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2014年7月31日 (木)

光源氏と源光(雑学大学で)

奈良時代から平安時代中期にかけて皇子の多くは様々な姓を賜って臣籍に降下した。皇室の財政が保てなかったから。最も多く与えられたのが「源・みなもと」で2番目に多かったのが「平・たいら」であった。ちなみに皇室に残った方が親王と呼ばれる。
平安時代後期から江戸時代末までは、皇子を仏門に入れ大寺院の住職として生活を安定させる手段が用いられた。
源頼朝・平清盛のイメージが強くて、源氏や平氏は「武士の頭領」と思われがちだが大部分は宮廷の貴族として生き、武門は一部のみである。

源氏物語の主人公「光源氏」はニックネームで天皇の子に生まれ臣籍に降下したとされる架空の人物である。
しかし「源光・みなもとひかる」という本名を持つ人物が実際に存在していた。

光源氏のモデルとみられたのが
源融(嵯峨天皇皇子・河原左大臣)
源光(仁明天皇皇子・右大臣)
是忠親王(光孝天皇皇子・光中納言)
敦慶親王(宇多天皇皇子・玉光宮)
源高明(醍醐天皇皇子・太宰権の帥)
在原業平(平城天皇皇孫)
などとまあ、ずいぶんたくさんいます。

源光(846~913)は仁名天皇の皇子で、臣籍に降下し朝廷の重臣になった。醍醐天皇の時に右大臣に昇進したが、913年に狩猟に出かけて行方不明になり、遺体も発見されなかった。
疑わしい犯人は誰か?該当者は藤原忠平(菅原道真を左遷に追い込んだ藤原時平の弟)と言われる。源光が居なくなった後、トップの右大臣につき(当時太政大臣・左大臣は空席)その後長期間にわたり摂政や関白として繁栄を謳歌した。曾孫が藤原道長である。
ただ忠平は温厚で寛大な人物であったと評価されているので事件の黒幕として追及されなかったそうだ。

ミステリアスで面白い平安時代だ。
先生のレジュメ丸写しのようになってしまいました。川口順啓先生ありがとうございます。

      武蔵国分寺・七重塔跡(国分寺跡地の一番東側にあり、我が家から近い)420x280
そばで笙の笛を練習している人がいました。奈良の時代に舞い降りたような音色にしばし聞き入りました。420x280_2

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2014年7月28日 (月)

新宿御苑の温室でサラソウジュの花

1回目11:30の映画を観るために岩波ホールに着いたのは11時、何とチケットは売り切れ、次回15時のを売っている行列とのこと。
もう10時半には完売とかで到着が遅すぎた。15時の回のチケットを買ったが、さあ3時までどうしよう。
思いついたのが新宿まで戻って食事をして、新宿御苑の温室に行くこと。
というわけで暑い日に、暑い温室で眺めた花です。
ところが途中でカメラの電池が切れてしまって、不慣れなスマホで撮影となりました。

                  温室手前のヤブミョウガ420x315
      アガパンサスはまだきれいに咲いているのですね
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サンゴシトウ(マメ科)、シドニー植物園で作られたというアメリカデイゴの交配品種。
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新しくなった温室は道なりに歩くとぐるっと回って出口へ。初めての花(単に以前のを忘れただけかもしれない)がたくさんで温室はいつ来ても楽しい。420x315_6
サラソウジュ(フタバガキ科)これが本当のインドの釈迦が亡くなった所にあった木のサラソウジュであり、日本では温室にしか咲かない。日本において娑羅双樹(沙羅双樹)は、ツバキ科のナツツバキのことをいう。450x600_315x420
ヤエサンユウカ(キョウチクトウ科)、夜中に香り、クチナシに花が似る。サンユウカの園芸種。420x315_7
         コガタシロアミメグサ(キツネノマゴ科) 葉の網目が凄い420x315_8
                ベニアミメグサ(キツネノマゴ科)420x315_9
               ベニマツリ(アカネ科)キューバ原産420x315_10
           ツンベルギア・マイソレンシス(キツネノマゴ科)450x600_315x420_2
                  サンゴノボタン(ノボタン科)450x600_315x420_3
     ベコニア・マソニアナ(シュウカイドウ科)=アイアンクロス・ベコニア450x600_315x420_4
                ドラゴンフルーツ(サボテン科)の蕾315x420_2
                ウツボカズラ(ウツボカズラ科)315x420_3
                       睡蓮420x315_11
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                     庭園の池600x450_420x315

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2014年7月24日 (木)

映画『大いなる沈黙へ ー グランド・シャトルーズ修道院』岩波ホール

550x298グランド・シャルトルーズ修道院はフランスアルプスの山中の世間から隔絶された場所にある。
案内によれば、ドイツ人監督フィリップ・グレーニングが1984年に撮影を申請、それから16年の歳月を経て許可がおり、音楽・ナレーション・照明なしという条件のもと、監督ひとりだけが中に入ることを許された。監督はカメラを手に6カ月間を修道院で過ごし、俗世間から隔絶された孤独な世界で決められた生活を送りつづける修道士たちの姿を、四季の移ろいとともに映しだしていったドキュメンタリーだ。
一切を捨て、生涯を神に捧げると誓った修道士たちは、朝晩の礼拝堂でミサをあげる以外は、私語も禁じられ、独房で1日7回の祈祷を行い、独房で食事をし、食事作りや床屋や僧衣を縫うなど其々の日課を一人で行う。聞こえてくる音と言えば、鐘、風、雨の音や衣擦れ、床のきしむ音、鳥の声や虫の羽音などだ。
皆で食事は日曜の昼食だけで、会話を許されるのがその昼食後だけだ。
最後の方で唯一目の不自由な修道士が、「死は怖くない、嬉しい、神に近づけるし一緒になれるのだから」という趣旨の言葉が発せられたのがとても印象的だ。

修道院と言えば、ギリシャのメテオラの高い奇岩群の上のが最も印象的だが、トルコのカッパドキアの地下8階までのや洞窟の修道院や、図書室で有名なドナウのメルク修道院、巡礼者を迎え入れたモン・サン・ミッシェル修道院、そして『サウンド・オヴ・ミュージック』のマリアの居た修道院などが目に浮かぶ。
映画『薔薇の名前』を始めいろいろな映画で垣間見た修道院のことがあり、修道院内の様子がこの映画で初めてというわけでないが、音楽やナレーションや俳優なしのそのままというのが新鮮だった。

西村祐子著『不思議な薬草箱』に修道院のことが出てくる。
修道院とは;
「勤労と祈りの場」であり、基本的に自給自足
修道士たちは
森から木材を運び、自らレンガを焼く。
祭壇や壁に飾るキリストや聖人の像を彫り、絵を描く。
讃美歌も楽器も作る。
魚は川で捕まえ、肉は家畜を飼い食事を作る。
鍛冶や皮剥ぎの仕事もある。
農園では果樹、野菜、ブドウを栽培する。
薬草園では病気治療のための薬草を栽培する。
修道士たちは神学はもちろん、哲学、医学に長り、建築や絵画の才もあった。修道院はキリスト教文化の中心地になっていく。

これを読んでイメージして観たこの映画ではわずか野菜作りしか見られなかった。監督の6か月間は冬を中心としたもののようで、夏の戸外での活躍は見られなかった。

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2014年7月20日 (日)

グレートトラバース:日本百名山一筆書き 

プロのアドベンチャーレーサー、田中陽希が深田久弥の「日本百名山」を陸上は徒歩で、海上は自ら漕ぐシーカヤックで歩み、100座を一筆書きで人力のみで繋ぐという試みをしている。
今年は百名山が知られてから50周年だ。4月1日に鹿児島県屋久島の宮之浦岳を出発点とし、北海道利尻島の利尻岳に10月末から11月上旬到着予定、約半年間で成就しようとしている。
既にNHKで2回ほど放映され、その時点では6月4日の南アルプスの22座目の北岳までだった。
現在は16日に富士山登頂を果たし伊豆天城山から62座目の神奈川丹沢山あたりだろうか。照れば35℃以上の炎天下のアスファルトの道路を何時間も歩くのは、想像以上の苦行だろう。私は1時間も歩いたらもうダウンだ。
泊まるのも時には自分でいつも持ち歩くテントだし、アルプス縦走は数日分の食料を担ぎ、常にリュックの重さは20㎏を超えるという。肩脱臼や筋肉痛や足の豆など痛みとの戦いだ。

田中陽希さんはプロのアドベンチャーレーサーチーム・イーストウィンドの一員として過酷なパタゴニアレースに4年連続出場とコスタリカ横断850キロに挑んだ。2011年のパタゴニアレースと2013年のコスタリカレースをテレビで見たが、言葉で言い表せない凄いレースだ。
今回のプロジェクトも最終地点までリタイアするような事故もないように、無事に終えて欲しい。(私の百名山登山は登頂を果たさなかった谷川岳を入れて26座、花の百名山は21座で終わったのでした)


                2階まで届きそうなヒマワリPhoto
                道端のオキザリス・デッペイ420x280
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     小さな白い花が可愛い。葉がハゼノキに似るが花が全然違うようだ。
ニワナナカマドと教えていただきました。アザミの歌さんありがとうございました。420x280_3

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2014年7月16日 (水)

めざしの土光さん

号泣県議にヤジ議員が世界に知れ渡り、またまた政治家が地に堕ちた話題が沸騰のこの頃だ。

そんなとき思い出されるのが、めざしの土光さんとして親しまれた土光敏夫氏。テレビの『昭和偉人伝』に登場する。
個人は質素に 社会は豊かに」をモットーに実践した土光氏。陋屋で早起きして畑を耕し、めざしを食べて質素な生活を送り、余ったお金は母親のが経営する学校にすべて寄付した。
会社のみならず、当時の国家の82兆円の財政再建を果たした。その道は困難を極めたが動ずることもなく、モットーに向かって邁進した。

そして現在、もう国の借金を1017兆9459万円まで増やして、再建どころか、あっち行って金をばらまきこっち行って甘い言葉を口にして、さらに増やし続ける。
節約の「せ」の字も発せず、無駄を顧みようともしない。一体何を考えているのだろう。
国の未来を考えている政治家や官僚ゼロ、身を削ろうとする政治家はなし、みんな自分のお金稼ぎのため政治家になって甘い汁を吸おうとしているとしか考えられないこのところの言動に、もう情けないを通り越して絶望の文字がちらちらする毎日だ。御親戚に良き議員さんがおりましたら失礼。

もう一人最高の医者、母と妻を実験台にして麻酔を研究した華岡青洲も、ただただ病人たちの苦痛を見ていられなくて、あらゆることを犠牲にしてまで献身的に研究に励み、私の中の偉い人として心に残る。
マザー・テレサの無私の献身的な活動もまた忘れられない。

オイランソウも西洋ノコギリソウも暑いのに同じ色をした花を咲かせている
                  オイランソウ(フロックス)280x420_2
                   西洋ノコギリソウ420x280_2




                  

                                                        

 

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2014年7月13日 (日)

弁論大会

世界平和女性連合(WFWP)主催の女子留学生日本語弁論大会(八王子大会)に行ってきました。
八王子には大学がたくさん集まっていますが、弁士は創価大学と拓殖大学と中央大学の2~4年生9名で、全員女性だった。
世界について、日本について、平和について、ある学生は流暢な、ある学生はたどたどしい日本語で論じる。
まず趣旨がしっかりしていること、それを日本語で表現力豊かに訴えられること、それが共感を得られることなどが求められるのでしょう。もし自分が演台に立ったら頭真っ白状態になるところ、彼女たちは実に堂々と演じるのでした。

9名のうち5名が中国、3名が韓国、1名がウズベキスタンからだ。
各大学にはアジア諸国のみならず西欧諸国からの留学生もいるそうなのに、弁論大会には圧倒的にアジア、それも中国、韓国からの学生が多い。さすが中国人はこんな所でもしっかりしている。世界のどこでも何があっても逞しく住みついてしまう人たち。

今両国とは政治レベルでぎくしゃくし、普通に解釈すれば結構腹立たしい両国。それに対して卑怯にもヘイトスピーチで対している日本人もいる。
こんな情勢の中で日本へ留学を果たした彼女たちにもいろいろな思いがあるに違いない。1人の中国人学生と休み時間に話す機会を得たので、ヘイトスピーチに遭わないのか聞いてみたら、全然そんなこともなく楽しい学生生活を送っているそうだ。
中国では医学生だったのに、日本で勉強して就活、苦労してやっと決まったそうだ。

これで留学生のお話を聞くのは2回目だが、逆に日本から世界へ出ていく留学生も頑張っているのでしょうが、それが非常に減ってきているということが問題視されている。
願わくば、日本の学生もスマホに明け暮れしないで、心身鍛えて、猛勉強して活躍してほしい。気になるのが親元からの送金が減って、アルバイトに明け暮れ、勉強時間が減っているそうで、これでは卒業後も危ぶまれるというものだ。

エンターテイメントでウズベキスタン(この日唯一の白人)の学生がベリーダンスを披露。本場よりも上手だった。256x369
同じく韓国人姉妹のトークでは韓国から応援に駆け付けたお母さんもトーク出演。285x380_2


新聞に上橋菜穂子氏が「作家の口福」・・タテ飯、ヨコ飯・・を書いていました。
タテ飯とは洋風で前菜、スープ、、メイン、デザートというふうに縦型に食べること。
ヨコ飯はご飯、おかず、汁物、漬物を一緒に並べてご飯とおかずを一緒に食べること。ご飯を美味しく食べる日本人が生み出した食べ方というわけだ。ただ高級料亭や店によっては縦型です。
タテ飯で1度失敗したことがあります。あらかじめ何が出てくるかは知っていたのですが、メインのお肉を期待して、珍しく美味しかったオードブルを全部いただかないで肉のために残したところ、出てきた肉が固くて歯が立たず、これなら全部オードブルをいただいておけばよかったと悔しい思いをしたことです。

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2014年7月10日 (木)

月見草

8日夜、月見草が咲きました。この日膨らんだ蕾が2つあったので今日こそ逃すまいとつきっきりで観察していたところ、1つが7時50分頃開きました。万歳!もう一つは11時半まで待っても遂に開かず。
昨年リンクしているmatsubaraさまより種をいただき、4月下旬に蒔いたものが3つだけ発芽しました。
この3週間で急に成長し、既に3つの開花を逃していたので、朝になってピンクの花にがっかり、4度目の正直と言ったところです。
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実は今まで月見草の花とは黄色い「大待宵草」「待宵草」などと思っていました。
本当の「月見草」は夕方から夜にかけて4弁の白色の花を咲かせ、朝にかけて徐々に薄ピンク色、やがて赤紫色に変わるというものです。もう自生ではないということだ。
清楚な幻想的な姿の月見草は一夜で枯れるという儚い花であります。

                        朝380x252
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蕾のまま開花しないのがあることがわかりました。蕾のまま夜中にはピンクになっていました。380x253_4
                    これは蕾です380x253_5

咲くのを待っているときに思い出した♪「月見草の花」。 「みかんの花咲く丘」にも雰囲気の似た歌詞です。
 
 

 はるかに海の みえる丘
  月のしずくを すって咲く
  夢のお花の 月見草
  花咲く丘よ なつかしの

  ほんのり月が 出た宵(よい)は
  こがねの波が ゆれる海
  ぽーと汽笛を ならしてく
  お船はどこへ 行くのでしょう

  思い出の丘 花の丘
  きょうもひとりで 月の海
  じっとながめる 足もとに
  ほのかににおう 月見草

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2014年7月 7日 (月)

清和研二著『多種共存の森』

今年もクレオメ(フウウチョウソウ科)が咲き出しました。
クレオメは学名で和名は「西洋風蝶草」「酔蝶花」、英名はスパイダーフラワー。
夕方濃いピンク色で咲いて、だんだん薄くなり、翌日午後白くなって枯れる。

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花弁は4枚で中央に太い雌しべがあり、その両脇に3本ずつ計6本の細い雄しべがある。Dsc01641_420x279
朝になると、次の段の花の蕾の下部から雌しべと雄しべが出ているのがわかります。夕方濃い色の花弁が開くのでしょう。279x420

清和研二著『多種共存の森』
国土の70%を占める森林が、戦後の杉など針葉樹林一辺倒と言う森林政策によって破壊の危機に晒されているという問題と、それを1000年と言う単位でいかに更生していくかと言う途方もない難問題解決の方法を、多面的に述べている好著だ。
あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たず的な、森林行政は実に難しいことが、たくさんの実験と世界の論文紹介を通して述べられる。
杉林、これは水源涵養林とはならず、土壌も貧弱で土砂災害の危機に晒される。
樹木、キノコ類や草本、動物、昆虫などが一体となった生態系豊かな森林こそこれから求められ、日本の森林発展になる。単一林のように一つの機能だけを取り上げたゾーニングは有益でない。
間伐し、有用広葉樹の混交林、多種共存の森にしていくことが豊かな森への道だ。広葉樹は針葉樹と違ってパルプチップの原料にしかならないということで敬遠されてきたが、かと言って針葉樹林では荒廃するだけと矛盾を抱えるから、広葉樹の製品化技術を会得し、家具建具のデザイン性を高めていかねばならない。

しかし生物多様性の保全だけで成り立った森林でさえ、そこで生活してきた山の人々を排除し(もう山では生活できなくて都会への人口流出で超高齢化が進み、若者はUターンしない)、野生の生物だけを保全しようとする。
山村で暮らせるように森と人が共生する社会を築きあげていかねばならない。生物多様性に富む収入のある森へと転換していくのが理想だ。そこへ至るであろう困難な道をさらに著者はあらゆる角度から考察する。
何しろ樹木という相手は一季節、一年単位で収穫するものではなく少なくとも30年、50年、100年と途方もない年月を要するからそこまでを見極めた上の計画がなされなければならない。だから木の出荷だけでなく、多種類の山菜やキノコ、マムシや小動物の毛や皮などから細い木、低木、灌木さらにツルまで有効活用し、それらを森林浴だけでなく観光にまで持っていかなければ山村の人口は減り続けていくのみだ。
こうした著者のような学者の活躍や、東日本大震災から立ち上がった被災地の人の勇気ある森の育成や活用の行動で、日本の林業を立て直す方向に少しずつでも前進していることは素晴らしい。
都会人もいろいろな角度から日本を見つめなおしていかねばと警告された一書だ。知ったことに満足し、何もできない自分がいるだけというのが情けないけれど。

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2014年7月 4日 (金)

イル・ド・フランス旅行(4・最終回)

パリには3日間もうろうろした。モンマルトルやオペラ座や教会の他は殆ど美術館ばかり。オルセー美術館では思いっきり印象派のお宝を見て回った。日本に来るというミレーの『晩鐘』はまだありました。クリュニュー中世美術館では、昨年日本にきた「貴婦人と一角獣」に薄暗い照明の中で会えた。420x280
あちらこちら街角を巡るも、佐伯祐三やユトリロが描いた街角などの面影は見られなかった。

●エッフェル塔(シャイヨー宮テラスより)
映画『クロワッサンで朝食を』を最近見たが、エストニアからパリへ家政婦としてきた女性が、夜、パリの街に散歩に出て憧れていたエッフェル塔を見たのがこのテラスで、映画で同じように出てきたので感動した。420x280_2
・シャンゼリゼ大通りの途中から歩行者道路には並木が3列もあって、道も3本、広くて心地よい通りだ。420x280_3
●モンマルトル
     ムーランルージュ(赤い風車)・・・ロートレックの顔が浮かんでくる420x280_4
ルノワールらが描いたムーラン・ド・ラ・ギャレット・・・ あんなにたくさんの人が踊っていた当時の面影は今はない280x420
         洗濯船・・・ ピカソが「アヴィニヨンの娘」を描いた場所280x420_2
ラパン・アジル(すばしっこいウサギ)・・・ユトリロやピカソが通っていた店で現在もシャンソンが聴ける420x280_5
       モンマルトルのブドウ畑はラパン・アジルの横だけになる420x280_6
                     素敵な家 420x280_7
                 塀にアートのような店420x280_8
サクレクール寺院・・・ 丘の上に1919年に建てられた白い教会。パリ市内が一望でき、セーヌ川の向こう側の宿泊したモンパルナスのホテルからこの教会が見えた。420x280_10
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●オペラ・ガルニエ(オペラ座)
1875年完成の大きなオペラ座の中は実に豪華だ。まさに上流階級の社交場だ。客席の天井にはシャガール「夢の花束」が描かれる。420x280_12
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●ギュスターヴ・モロー美術館 
聖書やギリシャ神話を題材に幻想的な絵を描き続けたモローの、アトリエ兼アパートが美術館に改造された。280x420_5
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●ロダン美術館 
ロダンが晩年を過ごした庭園を持つ貴族の館でロダンの死から2年後1919年にロダン美術館になった。
「カレーの市民」「地獄の門」「考える人」など500点の彫刻が展示されている。420x280_16
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             ムンクが描いた「考える人のある庭園」280x420_10
愛弟子カミーユの作品 カミーユは妻のもとに帰ったロダンと破綻した後は精神を病み、48歳から亡くなるまでの30年間を精神病院で暮らした悲劇の女性だ。7_420x280
●フランス料理は芸術!日本の高級レストランも負けていませんが。
        キノコのパイ               テリーヌ
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        ミルフィーユ            ポロネギのパイばさみ
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        サラダ1                  サラダ2
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       アボガド風味スープ            エスカルゴ
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見ていただきありがとうございました。

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2014年7月 1日 (火)

イル・ド・フランス旅行(3)

600x307_21この日は6月17日でしたが4か所回りました。今回の周遊ドライバーさんは今までで初めての女性でした。どんなに狭くても複雑な一方通行の多いパリでもハンドルさばきがお見事。体格も良くて、何だか肝っ玉母さんを見るような感じでした。

●シャルトル大聖堂
フランスのノートルダム大聖堂には7つ(8つとも)あってその一つで世界遺産だ。“シャルトルブルー“と呼ばれる鮮やかな青色が特徴のステンドグラスがたくさんある大聖堂。420x280
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                    シャルトルの町420x280_2

●ジヴェルニーの「モネの家」の庭と睡蓮の池
モネが43年間暮らした家と庭で、睡蓮の池はたくさん描かれた。

まず睡蓮の池へ
敷地内を流れる川(右側の流れ)から水を池の方へ引き入れた(左の流れ)。ここにモネは竹を植えた。川は池の向こう側の端で再びつながっているから、池はいつも浄化されているのかしら。睡蓮も丁度咲いていた。420x280_3
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               太鼓橋はいつも人がたくさん420x280_7
道路で隔たっているモネの家と庭へ。この時期も春に次ぐ、最高のお花の状態で、1時間半の時間があっという間に過ぎて行った。
モネの家 浮世絵がたくさん飾られた黄色の食堂やアトリエやブルーの読書室を見る。420x280_4
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●サヴォワ邸 ポワシーにあるル・コルビジェが1931年に設計した別荘。
近代建築の5原則(ピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由な立面)を体現。420x280_11

280x420_2●オーヴェル・シュル・オワーズ
ゴッホがピストル自殺をするまでの68日間滞在した町。その間に100点もの作品を描いた。

            オーヴェル教会の絵が有名280x420_3
   中は絵から想像できないほど広い。コンサートの準備が行われていた。280x420_4
絵に描いたドービニの庭 ドービニーはバルビゾンにも住んでいたが、その後ここの立派な家に住んだ。420x280_12
            自殺した麦畑 今は麦が寂しく風に揺れている420x280_13
ゴッホと弟テオの墓
生前にたった1枚しか絵が売れなかったゴッホ、そんな兄を死ぬまで支え続けた弟テオ、そのテオもゴッホに続いてすぐ亡くなるなんて悲しすぎる二人の人生。100年後にこんなに世界中からその絵が愛されるとは夢にも思わなかったでしょうし、あの世の二人のご冥福を祈ったことでした。420x280_14

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