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2014年7月 1日 (火)

イル・ド・フランス旅行(3)

600x307_21この日は6月17日でしたが4か所回りました。今回の周遊ドライバーさんは今までで初めての女性でした。どんなに狭くても複雑な一方通行の多いパリでもハンドルさばきがお見事。体格も良くて、何だか肝っ玉母さんを見るような感じでした。

●シャルトル大聖堂
フランスのノートルダム大聖堂には7つ(8つとも)あってその一つで世界遺産だ。“シャルトルブルー“と呼ばれる鮮やかな青色が特徴のステンドグラスがたくさんある大聖堂。420x280
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                    シャルトルの町420x280_2

●ジヴェルニーの「モネの家」の庭と睡蓮の池
モネが43年間暮らした家と庭で、睡蓮の池はたくさん描かれた。

まず睡蓮の池へ
敷地内を流れる川(右側の流れ)から水を池の方へ引き入れた(左の流れ)。ここにモネは竹を植えた。川は池の向こう側の端で再びつながっているから、池はいつも浄化されているのかしら。睡蓮も丁度咲いていた。420x280_3
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               太鼓橋はいつも人がたくさん420x280_7
道路で隔たっているモネの家と庭へ。この時期も春に次ぐ、最高のお花の状態で、1時間半の時間があっという間に過ぎて行った。
モネの家 浮世絵がたくさん飾られた黄色の食堂やアトリエやブルーの読書室を見る。420x280_4
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●サヴォワ邸 ポワシーにあるル・コルビジェが1931年に設計した別荘。
近代建築の5原則(ピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由な立面)を体現。420x280_11

280x420_2●オーヴェル・シュル・オワーズ
ゴッホがピストル自殺をするまでの68日間滞在した町。その間に100点もの作品を描いた。

            オーヴェル教会の絵が有名280x420_3
   中は絵から想像できないほど広い。コンサートの準備が行われていた。280x420_4
絵に描いたドービニの庭 ドービニーはバルビゾンにも住んでいたが、その後ここの立派な家に住んだ。420x280_12
            自殺した麦畑 今は麦が寂しく風に揺れている420x280_13
ゴッホと弟テオの墓
生前にたった1枚しか絵が売れなかったゴッホ、そんな兄を死ぬまで支え続けた弟テオ、そのテオもゴッホに続いてすぐ亡くなるなんて悲しすぎる二人の人生。100年後にこんなに世界中からその絵が愛されるとは夢にも思わなかったでしょうし、あの世の二人のご冥福を祈ったことでした。420x280_14

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コメント

モネの庭はこんなに広いのですね。
沢山の写真をありがとうございます。
生前にたった1枚しか絵が売れなかったゴッホは
本当に悲劇の人でしたね。
精神病院への入退院を繰り返したようですが
癲癇、統合失調症であったのではないかなどと
色々な説があるようです。
今だったら適切な薬もあり、
もう少し楽に生きられたのかも知れませんね。
でもそうしたら、あの膨大な数の絵は残らなかったのかもしれませんが…

投稿: zooey | 2014年7月 1日 (火) 15:34

★zooeyさま

こちらこそコメントありがとうございます。
ゴッホのことおっしゃる通りです。
南仏アルルのゴーギャンと住んだ家と、カフェや、入院した病院(修道院の回廊が素晴らしかった)と、そのあと北の修道院になっている精神病院にも行き、南仏の彼の足跡を辿りましたことが今では懐かしいです。
その前のパリではモンマルトルで描いていたようですね。
そしてオーヴェルの悲劇。映画でも観ましたが、生まれつきの性格が気の毒な人生を歩ませましたが、神様は弟という救世主を与え、好きな絵を描き切って死ぬことが出来ました。
画家の中では不幸な人の筆頭ですが、今はそれこそ驚くほどの人に愛されているゴッホですね。事実絵具を叩きつけるように塗ったキャンバスを見ているとやっぱりすごく上手なんだと感心します。

投稿: tona | 2014年7月 1日 (火) 16:13

こんばんは
 
シャルトル大聖堂のステンドグラス、大作ですね。シャルトルブルーと
呼ばれるのですね。このブルーたち。濃淡の変化があって美しいです。
シャルトルの町も長閑そうで、散歩して歩いてみたくなります。
 

そしてモネの庭! 思わず、わぁ本物のモネの庭だー!と興奮して
しまいました。やっぱり素適ですね!水辺も豊か、緑も花々もなんと
豊かなのでしょう。1時間半があっという間に過ぎてしまったと
仰るのがよく分かります。
 

ゴッホが最晩年を過ごした町や墓地にもいらしたのですね。
↑のお返事コメントを拝見するに、tonaさんはこれでゴッホの生涯を
辿られたことになるでしょうか。
現代だったら、これだけの個性的な独自の画風を確立していたゴッホの絵は
すぐにも認められるという気がしますが、当時はなかなか認められなかった
のが気の毒ですね。加えて病気によるたびたびの発作。
辛い発作の合間にはたくさんの作品を精力的に生み出しているのですね。
ずっと兄を支え続けて、その死後、まるで後を追うように亡くなった
弟テオとの兄弟愛とふたつ並んだ墓標に、胸がジンとしました。
 

投稿: ポージィ | 2014年7月 1日 (火) 21:12

★ポージィさま

有名なシャルトルブルーってこんな色なんですね。写真はマリア様です。冠を被っているので最初気が付きませんでした。
教会が少し高いだけで町を見下ろす感じです。この町に宿泊しましたが静かなところでした。

モネの庭、広くてお花いっぱいで全部をお伝えできないのが残念です。前回は1か月後の7月でしたので、お花がもう少し少なかったので少々気落ちしましたが、今回はもういろいろありすぎて全部は観察できませんでした。
緑にはいろいろな色合いがあるものとここでも感動しました。

ゴッホの生まれたオランダは行きましたが、コースには何もなくてゴッホ美術館だけ行きました。春のオランダは緑に輝いていましたが、冬はゴッホの「馬鈴薯を食べる人々」のような暗い世界なのでしょうか。日本の浮世絵から日本に憧れてアルルまで行ったのもオランダにはないからでしょうね。アルルが日本と似ていると勘違いしたのがまた面白いです。
ゴッホが現代に生きていたらと考えてしまうのですが、考えない方がいいですね。
いろいろ感想をありがとうございました。

投稿: tona | 2014年7月 1日 (火) 21:41

こんばんは happy01
ノートルダム大聖堂やノートルダム寺院、パリに限らず、いろんな国に同名のものがありますよね。
ふと「ノートルダムって、どういう意味だっけ?」と調べてみました。
フランス語で『我らの貴婦人』、つまり聖母マリア様のことなのですね。納得!
モネの家と庭、こちらは本物ですね。
先日、matsubara様が浜名湖花博に行かれ、これを再現されたものを紹介されていましたが、実は10年前に行われた浜名湖花博でも、このモネの家と庭が再現されていました。
咲いている花の種類はともかく、そっくりです。
モネの世界を忠実に表現したのだと、本物を見て改めて感動いたしました。
見たこともないような花、名も知らぬ花・・・ばかりです。
俯いてはいませんが、スズランに似たピンクの花、なんて可愛い花 lovely sign03
ゴッホって・・・生前は全く売れなかったのですか?!知りませんでした。

投稿: 慕辺未行 | 2014年7月 1日 (火) 23:27

tonaさん 今晩は

コメントが遅くなりましたが、
お帰りなさーい^^
お疲れになりませんでしたか?

モネの庭には2回も行ってらっしゃるのですか?
一度でいいから本物をみてみたいと思っていますが、
実現できますかどうか・・・
溢れんばかりの花にうっとりです。
いい季節に行かれて良かったですね。

随分前になりますが、ひまわりの絵が何十億円もの高額で日本の保険会社が買いましたね。
テオに援助してもらわなければ生活していけなかったのに、なんとも皮肉なものですね。

イル・ド・フランス旅行の1、2も読ませていただきました。
絢爛豪華なお城やバルビゾンの村、ジャンヌ・ダルク一色のオルレアン。
興味深いところがいっぱいありました。

投稿: glenn | 2014年7月 2日 (水) 00:36

★慕辺未行さま ありがとうございます。

おはようございますsun
ノートルダムの言葉を私も以前引いて納得でした。フランス語圏のベルギー、ルクセンブルグ、カナダにあるらしいです。

10年前の浜名湖花博のモネの庭に私も行ったのですよ。本当に本物そっくりに作ってありました。バラのアーチは今年は本家は貧弱で、浜松の方が立派でした。今年も浜名湖でやっているのは知りませんでした。
咲いていた花の種類までちゃんと覚えていらっしゃる慕辺未行さまは凄い!
プロの仕事とはいえ、本当に見事な花園でした。
生前に1枚しか売れなかった画家ってゴッホだけでしょうか。どんな気持ちで描いていたのでしょうね。

投稿: tona | 2014年7月 2日 (水) 08:25

★glennさま 

glennさんはお元気でお帰りになったようですね。私はといえば、何と初めてですが帰国2日前くらいに喉が痛くなって、持っていった風邪薬3種類を飲んでどうやら帰りました。やっと昨日くらいに風邪が治ったところです。
もう海外は無理になってきた感じです。

モネの庭は以前西回りで廻った時にも行ったのです。5,6月が一番いいのではと思いました。

ゴッホのひまわりは当時で55億円でしたか、安田が買ったのですよね。損保ジャパンの美術館展に行くたびに拝見しています。世界中のゴッホの絵の総額をゴッホがあの世で知ったら卒倒するでしょう。本当にかわいそうだったゴッホです。
前の紀行文も読んでいただいてありがとうございます。フランスについてよく聞くところに行けてラッキーでした。

投稿: tona | 2014年7月 2日 (水) 08:36

本物のモネの日本庭園に行かれたのですね。
浜名湖で見られたようですし、両方を比較
できてよかったです。
浜名湖花博ではよく真似をしたものと感心
します。よく見聞されたのでしょう、きっと。
ゴッホのお墓の写真を拝見しますと、昔読んだ
「ゴッホの手紙」を思い出します。
兄弟愛がすばらしいです。

ゴルビジェの設計したサボォア邸は有名らしく
何度もテレビで見ました。建築関係の番組
だったと思います。

投稿: matsubara | 2014年7月 3日 (木) 08:28

★matsubaraさま

こちらにもありがとうございます。
モネの庭は浜名湖花博のあまりにもそっくり再現に驚きます。それは敬服してしまうくらいに凄いです。
勿論本家はもう花盛りで、花博と同じ気候状態でしょうか、花のないところがないという状態でした。

ゴッホの兄弟愛、本当に珍しいくらいですね。お墓まで仲良く並んで。テオの奥さんも良くやったと思います。

サヴォワ邸、今でこそありふれているという印象でしたが、1930年代当時、あのヨーロッパスタイルの光があまり入らない住宅(今でも手入れして住んでいますね)からすると凄く斬新だったのですね。五原則もまあまあわかりました。外から見るとピロティと屋上庭園があるのに、結構お部屋があって驚きました。

投稿: tona | 2014年7月 3日 (木) 08:49

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