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2015年2月25日 (水)

サルディーニャ島とコルシカ島旅行(その1)

600x45915日成田を午後2:10発、ローマ乗り継ぎで、イタリア、サルデーニア島の南のカリアリ(サルディーニャ自治州の州都)に到着したのは日本時間で16日朝8時でした。

サルディーニャ島(1)見学1日目(2月16日)カリアリからオリスターノへ

この島は地中海ではシチリアに次ぎ第2に大きな島で、キプロス島が第3位、次に行くコルシカ島は4番目の大きさだ。
カリアリからはシチリア島パレルモやローマよりチュニジアの首都チュニスの方がずっと近い。
人口は165万人。地中海性気候で冬は穏やかで、昼間は15,6度位で厳しい寒さではなかった。
まだ冬で殆ど旅行者もいなく、ホテルも道路もレストランも閑散としていて、東洋人も一人も見かけませんでした。

<カリアリ>
●植物園
冬穏やかだからでしょうか、並木もヤシ、シュロ、ソテツが両島ともに多く、道端にもサボテンが生え、沖縄のような感じだった
このカリアリ大学付属植物園にもサボテンが屋外に植えられているのである。440x293
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                    リュウゼツラン104_440x293
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                     園内の案内板13_293x440
●旧市街
ローマ円形闘技場がここにもあった。岩場を抉って造られたサルデーニャ最大で約1万人収容。19_440x293
                    展望台から26_440x293
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                       裏通り32_293x440
                     ライオン門36_440x293
                聖アゴスティーノ教会の主祭壇37_440x293

バルーミニへの途中にはアーティチョークの畑が広がる。イタリア本土に輸出している。38_440x293

<バルーミニ> 唯一の世界遺産「ヌラーゲ・ス・ヌラクシ」見学
一辺約1mほどの大きな石を接合剤を一切使わず積み上げた円錐形の塔で、高いものでは20mもある。
この複合体の最大級がこの遺跡だ。紀元前16~12世紀頃の建造で、天文台?家?宗教施設?用途がはっきりしていない。
サルディーニャ全体で7000~8000もあるという。42_440x293
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近くの邸宅でも床のタイルを修理していたらヌラーゲが現れ、発掘してガラス張りにして見学コースを作っていた。47_440x293
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2015年2月12日 (木)

ワンガリ・マータイ著『へこたれない』

UNBOWED・へこたれない・ワンガリ・マータイ自伝・WANGARI  MAATHAI  小池百合子訳 小池さんは元大臣

アフリカ人女性で初めて2004年にノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイさんは、ケニアの環境問題活動家で、1977年設立の非政府組織「グリーンベルト運動」で植林活動をし、また圧政的政権に立ち向かい、女性の地位向上に尽力していた方だ。
2005年の来日時に覚えた「もったいない」という言葉でその後世界に「MOTTAINAI」運動を展開している。3R(Reduce,Ruse,Resycle)に、自然への崇拝、感謝の気持ち、地球資源に対する尊敬Respectという意味も含めて4R運動へと導く。
ケニアの中央高原地帯の小さな村で生まれたマータイさんは、女子が誰も行かない小学校へ兄の一言で行くことになり、その後高校までキリスト教の学校に行き、英語以外話してはいけないということで英語が堪能になり、優秀だったので奨学金でアメリカの大学、大学院に行った。その勉強ぶりや学生生活を読んでいると生涯でとても幸せな時間だったのが伝わる。
ケニアに帰国してから大学教授になるも、その後の人生は波乱万丈。
開発によってどんどん伐採された国土は荒れていく一方で植樹運動を、虐げられた女性の地位向上運動を、悪政・汚職・暴力・抑制で経済もガタガタの中を政府に立ち向かっていくも、数知れぬ投獄の憂き目に遭い、時には命さえも失いかけた。それでも立ち上がる・へこたれない人なのですね。
しかし世界ではその活動が認められ、ノーベル賞や日本の旭日大綬賞をはじめ数々の賞を受賞している。
残念ながら2011年に71歳で亡くなられた。マータイさんの人となりを知ると同時にケニアの内情も垣間見える読み応えのある1冊です。

        神奈川県・葉山町の仙元山(118m)からの富士山と江の島440x293
               誰かが木で作った作品が並んでいた293x440
            二子山(208m)からの横須賀や東京湾の眺め12_440x293
   バス停まで下りると、阿部倉山の隣の山が夕日に染まって紅葉のようです。16_440x293_2

テロの心配もありますが、15日から10日間旅に出ます。帰りましたらまたよろしくお願いいたします。

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2015年2月 9日 (月)

三十槌の氷柱

奥秩父の三十槌(みそつち)の氷柱を見に行ってきました。
西武秩父駅からバスで奥深く入った三十場(みそば)というところにあります。
荒川源流の大自然の中の岩肌にしみ出る湧水が凍ったものです。夜は青くライトアップされるそうで幻想的な光景でしょう。
軒下に垂れる氷柱を見たのが小さい頃でそれ以来です。北海道で滝が凍りつく氷瀑に似ていました。
美しい自然の造形に圧倒されました。

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                    水にも映り込んで7_440x293
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         最後に上の展望台から観ると人が小さく見えました11_440x293
            お店で食べた豚汁が体を温めてくれました12_440x293

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2015年2月 6日 (金)

「バンクス花譜集」展 於Bunkamuraザ・ミュージアム

ブラシノキ(フトモモ科ブラシノキ属)に似ているバンクシア(ヤマモガシ科バンクシア属)が「バンクス花譜集」を手がけたバンクスにちなんで付けられたということを知りました。

             ちらしに載っているバンクシア・セラータ212x300
ジョゼフ・バンクスはあのキャプテン・クック(ジェームズ・クック)の大航海(1768~71年)に同行した人で植物の採集を行い、標本と写生を持ち帰った。その成果を出版しようと銅版を準備していた。今回の多色刷りは1980年代に実現した。
航海で植物を写生したのは画家のシドニー・パーキンソンだった。
しかしパーキンソンは最後の寄港地インドネシアで多くの船員とともに風土病で亡くなってしまったのでした。まだ20代半ばというのに。
帰り着いたバンクスはロンドン社交界ではクックより数倍もの人気者になったそうだ。

テスペシア・ポプルネア(材木、繊維、染料、薬)、舌をかみそうな植物の名前ばかりでした。228x300
                 クリアントゥス・プニケウス180x300
               クレロデンドルム・パニクラートゥム181x300
               カスアリーナ・エクィセティフォリア207x300
                  デブランケア・テトラピュラ213x300
それにしても実に正確で美しい細密画だ。クック関連資料や民俗資料とともに、オーストラリアや太平洋の島々の植物など120点の銅版画が並び、植物好きやポタニカルアートを学ぶ人にはたまらない魅力あふれる展覧会でしょう。

胡椒・さつまいも・じゃがいもなどの原種、トイレットペーパーになる葉、ゴーギャンの絵の中の花、ロープになる樹皮、カヌーの材料、ヘチマやモウセンゴケなどいろいろなものを持ち帰ったわけで、バンクスのプラント・ハンティングへの情熱をうかがい知ることができました。

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2015年2月 3日 (火)

米原万里著『打ちのめされるようなすごい本』 島田裕巳『0葬』

著者はロシア語同時通訳者にして作家。2006年に56歳で亡くなる。まだまだこれからという時に惜しい方に逝かれてしまった。

タイトル通りすごい本を紹介しているわけですが、この本自体がすごい本なのだ。
二部構成で、第一部が「私の読書日記」、第二部が「書評」1995~2005年。気になっていたのにもう10年も経ってしまって、紹介されている本も古くなってしまった。
解説に井上ひさし(ユリ夫人が米原万里さんの妹)が、書評は「考えやその中味を上手に掬い出す要約が大事な仕事」と言っているが、米原さんの本の要約と紹介文がそれはそれは素晴らしい。あまり趣味でない本以外は全部読みたい気になって、今からでも少し読むつもりです。
大の読書家で一日に数冊読まれ、夜を徹して一気読みした本もかなり紹介されている。特にロシア文学を広く深く読み込んでいるのでその思想と知識で、難しそうな本の中にさえ、いざない、興味をそそられるような内容を引出し、通訳で得たノウハウをも総動員して紹介して下さるのである。何だか自分の食わず嫌いを叱られているような感じ。
亡くなってほぼ10年、生きていらしたらこの10年にいったいどんな本をたくさん紹介してくださったのか、とても残念です。

米原さんの癌闘病は・・・
近藤誠『患者よがんと闘うな』を名著として紹介している米原さんだが、その後の『癌治療総決算』読んだのが、すでに「癌治療本をわが身を以て検証」した後だったと。
藁をもつかむ気持ちで、あるいはおまじないのつもりで、高速温熱リンパ療法、フローエッセンス、サメ軟膏、食餌療法、爪もみ療法・刺絡療法などを試すが全部効き目なしで、結果的に抗がん剤治療を受けた。自身が壊滅しそうな苦痛と恐怖で、2回目の投与開始はいやだというのが自身の癌に対する最後の記述になっている。


島田裕巳著『0葬』ーあっさり死ぬ

家族葬、密葬、自然葬まではお馴染みだったが、「0葬」って何?帯に「葬式も墓も要らない」という人のための、迷惑をかけない死に方入門とある。
東京圏でお墓の確保が難しくなって高価になって、そこから死者を弔う葬儀やその後の考え方が随分変わってきたという。日本は世界で一番葬儀にお金をかける国民という。人それぞれの考え方があるので自分の考えで自分の葬儀を決め、常識的な現在の葬儀を望まない場合は一筆書いておいた方が良い。

大往生の時代になって「0葬とは骨に執着しない、火葬場で遺骨を引き取らない究極の葬り方だ。あくまでも火葬場が遺骨を引き取ってくれるところでないとだめなのですが。この考え方が浸透すれば、そういう火葬場が増えていくかもしれない。

死者数は1970年代は70万人前後、2012年は120万6千人、そして2025年には160万人に達すると推計される。
ビジネスチャンスが増え、異業種から葬儀業への参入が増えるでしょう。遺体の搬送だけ許可がいるだけで、葬儀業を営むには、国の許可も地方の許可も要らないそうだ。

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