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2015年3月29日 (日)

モクレンの香り

       木蓮(紫木蓮・マグノリア)が満開を過ぎました。2階から。440x293
家のは低くしてあるので、香りをかぐことが出来ます。上品な芳香なのです。440x293_2
花弁は紫で内側は真っ白、あっという間に白い内側を全面に見せて散ってゆきました。440x293_3
        雄しべと雌しべがたくさん、らせん状についています。440x293_4
          雄しべの葯がボロボロになって落ちていきます440x293_5
残ったのは雌しべ、受粉していれば秋に実がなるのですが、まだ見たことがありません。結実しにくいのでしょうね。

フッキソウ(ツゲ科)も満開になりました。
上の方の雄花は4本の雄しべが目立ち、一番下の花柱が2個のが雌花だそうだ。440x293_6
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相模湖が一駅も続いていたことに驚きました。長い湖!
中央線で高尾から9分で相模湖駅、ここから4分で次の藤野駅に到着です。
相模湖駅から藤野駅までの4分間ずっと相模湖が細いながらも続いていました。440x293_7
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この先が相模川(上流)で水源が先日見た山中湖から流れ出る桂川。下流方向が相模湖ダムと津久井ダムで、その後相模川は馬入川という名前で海へ注ぐ。

藤野の小さな山、三山(石楯山、一本杉山、古峯山)に登った展望台からの相模湖440x293_10
石楯山(いわたてやま)の登山口にある石楯尾神社が延喜式内社で創建が2000年前で、立派な欄間彫刻が目を引きました。440x293_11
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2015年3月26日 (木)

コルクの額

NHKの『美の壺』で額縁について放映していました。
素材、デザインが作品に合わせて実にいろいろあることに、今更ながら驚きました。
そこで思い出したのが、娘のポルトガル土産の、ポルトガルのタイルを囲むコルクの額縁です。ソフトな味わいがあります。233x350
同じ土産の手帖のカバーです。薄く加工してあります。先日のサルディーニャ島の産業の一つでもありましたが、ポルトガルは世界のシェアの半分以上を占めています。コルクと言えば、空気を含み、柔らかく、保温性に優れ、弾力性もあるので、ワイン栓、床や断熱材の他、楽器、釣竿、バッグ、靴などがあります。233x350_2

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シャクナゲモドキ(マンサク科)
葉がしゃくなげに似ていて、中国南部、ベトナム、ビルマ、マレーシアに分布している。
暖地に生えるため、日本でも冬暖かい所が適しているとのこと。
茅ヶ崎の実家付近で、初めて見ました。420x280
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                 ハーデンべルギア(マメ科)420x280_3
             直径5㎝以上もある大きなミツマタでした313_440x330
     家では5,6年前に挿し木した沈丁花がようやくこの程度に咲きました430x287
今年はヒマラヤユキノシタが良く咲きました。何と38年前にもらった株です。初めて軒下に入れたからでしょう。316_350x233

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2015年3月23日 (月)

赤鼻のトナカイ再び

291x750スカンデァナヴィア半島の北極圏まで行ってトナカイを見てきた夫が言うには、トナカイの鼻は赤くなかったそうだ。(夏だったけれどもかなり寒かったのに)
しかし新聞記事の切り抜きの中に赤い鼻のトナカイを見つけました。
以前書きましたように、寒いとき私の鼻が赤くなるので、娘が「トナちゃん」と綽名をつけて、tonaというHNにしたのです。
新聞記事によると、トナカイの鼻が赤いのは、鼻の毛細血管がよく発達していて、赤血球がよく供給されているためだ。
このことは外気を取り入れる際に温め、脳を守る役目をしているということだ。理由がわかってすっきりしました。

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このところ、ずっと「たかぎなおこ」さんのコミックエッセイを16冊のうち13冊を娘から借りて読んでいました。本で読む漫画は『サザエさん』と『いじわるばあさん』だけだったのですが、たかぎさんのも面白い。とぼけているようで、ドジでもあり、おかしくてすっかり引き込まれてしまう本だ。
背が小さくて、気も弱く、人見知り、ちょっとデリケートな方。
でも東京に出てきて、身長150㎝の不都合を語った『150㎝ライフ』3冊に大笑い。しまいには平均身長182㎝の国オランダでガリバー体験するのも滑稽だ。
三重から上京しての「ひとりぐらしを綴るシリーズ」もだんだん板につく生活ぶりがよく描かれている。
そして「ひとりたびシリーズ」です。その最初の旅で、最初の日だけ友人二人に付いて来てもらってから、ひとりたび開始、人にどう思われてるかなどいろいろ気にするが、次第に慣れて北から南の果てまで、宿坊泊、断食泊、青春切符旅、沖縄でダイビングのライセンスまで取るのだ。
一人旅も目的がさらに、温泉三昧の一人旅であったり、ローカルごはん旅へと発展する。
そして驚いたのがマラソンだ。2008年頃から突然始めたのでしょうか、5㎞、10㎞、ハーフマラソン、フルマラソンと国内のあちこちのに参加してタイムを次第に上げ、ハワイやグアム島など海外マラソンまで参加するのである。いつも完走だったが、フランスのワイン街道のマラソンではワインを飲み飲みで、さすがあっけなく途中リタイアで、何だか笑えました。
兎に角小さな体でよく食べる。マラソンの編集者のお友達も、カレー9杯を食べて日本記録を作ったというKさんや手先が器用で何でも作ってしまう方がいたりで、すごく楽しい旅になっています。
疲れたときや病院内に宿泊っていう時はまた読んでみたい。

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2015年3月19日 (木)

小惑星の名前が「コクブンジ(Kokubunji)」に決定

小惑星コクブンジ(正式名称Kokubunji)は平成12年8月3日、美星スペースガードセンター(岡山県井原市)で、NPO法人日本スペースガード協会の小惑星観測プロジェクトBATTeRSが発見したもの。
我が国分寺市が、昭和30年4月12日に糸川英夫博士らによって、日本で初めてペンシルロケット水平発射実験が行われた日本の宇宙開発発祥の地であることから、発見者の日本スペースガード協会が国際天文学連合小惑星センターに提案申請し、今年2月3日に正式決定しました。
直径約4㎞、表面積約50.3㎢、体積は約33.5㎦、東京ドーム1076個分で形はまだ分かっていない。太陽の周り一周に4年2ヶ月かかる。2_440x309


国分寺駅ビルに「新聞サファリパーク」が登場して、新聞紙で作った動物が9階まで各階1匹ずつ9匹置かれているので見物してきました。
1階から順にレッサーパンダ、ペンギン、カバ、ワニ、ペリカン、パンダ、ガゼル、ヒツジ、キリンです。
新聞紙広告や記事のいろいろな所を使って、実によく出来ています。ワニは迫力あるし、動物の特徴が出ていてとても可愛い。293x440
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2015年3月16日 (月)

富士山すそ野一周ウォーキング6、7

Photo2/28(木)快晴 22811歩 すそ野ウォーク第6回は「忠ちゃん牧場~勢子辻」

          忠ちゃん牧場から出発440x293
まずここ裾野市にある「富士山資料館」に立ち寄り、富士山の成り立ちや爆発、自然や歴史、生活、民具、祭りなどの展示を見ました。
富士山は4回噴火し、1回目は数十万年前、4回目が1万年前から起こり、3776mの新富士火山が出来上がったのです。富士五湖や青木ヶ原樹海は平安時代の噴火によって出来たそうです。

旧吉永村の農民であった仁藤春耕は、遭難者が多かったため、明治39(1906)年から5ヶ年をかけて、御殿場にいたる十里木街道などに自費で約120基の道しるべを建てました。いつの時代も偉い人がいるものです。440x293_2
映画のロケ(模型がたくさん並べられていたので、誰かがゴジラみたいな映画か?と言っていました)440x293_3
十里木氷穴 深さ30mで昔は冷蔵庫代わりに使われたという。雪で足元悪く入れなかった。440x293_4
まわりにはミニ樹海が広がり、昭和初期、昭和後期、平成の別荘が点在していました。440x293_5
         昼食を食べた「こどもの国」」は絶好の富士山ビューです440x293_6
                   水原秋桜子の句碑440x293_7
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頼朝の井戸
幕府を開いた翌年、源頼朝は東麓御殿場から、南、さらに西麓の朝霧高原にかけて大規模な「冨士の巻狩り」を1ヶ月行った。これは大規模な軍事演習でもあり、全国から15万人の将兵を動員したと言われる。
その際、湧き出た水が小湖を作り、その美しさに感銘し朱塗りの椀を沈めて水神に供えたと言われている440x293_9
勢子の辻に到着
勢子とは巻狩などの狩猟の際、山野の野生動物を追い出したり、追い込んだりする役割の人。
勢子の辻は、その勢子たちの集結、待機場所であったが、後に十里木街道の宿場となった所で、今は何もない。

3/5(木)晴れのち曇り 約2万歩 すそ野ウォーク第7回は「勢子の辻~村山浅間神社」
恐らくこのウォークの中で一番面白くない回と思われるこのコースは、神社が2つあるのみで、緑も花もない季節、ひたすら左右の杉・檜の林を見ながら舗装道路を歩き続けるだけ。富士山も、天気予報ではばっちり晴れるということだったので期待して行ったが、曇って裾野さえ見えなかったのです。
唯一の面白い体験が出来たのが帰りの温泉です。
イスラエルとヨルダンにまたがる死海(海抜-418m)から取り寄せたという塩を、死海と同じ30%の濃度にしたというお風呂に入ったら、簡単に浮かびました。舐めた人によるとすごく苦いとか。

          到着前の須走トイレ休憩所では見えてた富士山300x200
富士山南麓は茶が産業の一つで茶畑があった(昼食のため駿河湾の吉原に下って行ったとき)440x293_10
                     昼食は和食440x293_11
                   店の暖簾が目を引いた440x293_12
          富士山世界遺産の一つの村山浅間神社さえも修復中440x293_13
外国人最初の富士登山者ラザフォード・オールコック卿の、2010年150周年記念碑440x293_14
     冨士登山道の1つ村山口。今は登山者はほとんどないという。293x440

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2015年3月13日 (金)

日本画って何?

日展などに行って洋画部門と日本画部門の作品を比べても区別がつかないことが多かったのですが、雑大での講義(伊藤正次先生)でわかったことが次のようなことでした。

日本画は膠を接着剤にして顔料を画面につけたもので、油を接着剤にして画面に顔料をくっつければ油絵・・という定義で
狭義の意味で「明治以降の膠を使って描いた日本人画家の作品」となる。つまり明治以前の雪舟や光琳、丸山応挙などの作品を日本画と呼ばない。

日本画が初めて使われたのは、明治22年、フェノロサが講演会で使った「Japanese painting」の翻訳。
それまでの日本の絵画の呼び方は
中国から入ってきた「唐絵」に対して「大和絵」、もしくは「漢画」に対して「和画」と言っていた。・・つまりお手本の中国絵画に対置する形で、日本の絵画を呼んでいた。
「日本画」という言葉は明治期になって、ヨーロッパの絵画に対置して作られた言葉でした。

他に日本画は・線描や筆遣いを重視
            ・平面性を強調して装飾性が高い
            ・陰影や遠近法などの空間意識が低い
と言った特徴があって、西洋絵画が三次元(空間)である外界を、いかに二次元(平面)上にリアルに表現するかという方向性で発展したのと対峙している。
公募展の日本画部門出品作品、販売されている日本画、日本画科を卒業した人の作品は日本画と呼ばれ、「これが日本画だ」という決め手がないのが現状だそうです。

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山種美術館『花と鳥の万華鏡展』 ~春草・御舟の花、栖鳳・松篁の鳥~に行ってきたのですが、まさしくこれぞ日本画でした。
その他福田平八郎、奥村土牛、横山大観、川端龍子、山口逢春、川合玉堂といった、錚々たるメンバーの花鳥画が一堂に並んでいて、艶やかな華やかな世界を醸し出していました。

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次にはしごしたのが出光美術館『小杉放庵展』没後50年ー<東洋>への愛ー
洋画と日本画の両方を描いた画家です。
「金太郎」などの日本画で親しまれた放菴だが、若い頃は夏目漱石が絶賛するほどの洋画家だったという。
パリへ留学して洋画家を目指したころは、まさにシャヴァンヌの絵そっくりでびっくりです。
シャヴァンヌがソルボンヌ大学で描いた壁画に触発され、安田講堂に壁画を描いています。
パリで池大雅に出会った放菴は、帰国して今度は文人画風の絵を描く。
麻紙に出会ってからますます日本画に傾倒し(まだシャヴァンヌ風で洋画っぽい)、その後神話や古典、画冊、花鳥、動物画とたくさんの作品を残したのです。

両方の展覧会の絵の中に「白鷴(はっかん)」という中国分布のキジの仲間の鳥が描かれていました。オスは顔が赤で、体が白と黒の美しい鳥です。日本でも飼われていたらしい。Wikipediaに出ていました。          

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2015年3月10日 (火)

サルディーニャ島とコルシカ島旅行(その5)

コルシカ島(2)見学7日目・最終日(2月22日)アジャクシオ~カージェス~ピアナ~カロンク・デ・ピアナ(ポルト湾)~アジャクシオ

600x459島の西海岸をポルト湾まで北上し、そこから帰りは内陸の山道を南下してアジャクシオに戻る。

町から出るとローマ人の造った水道橋が見え、緑豊かな自然が広がる。
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●カージェス
ギリシャからトルコの支配を逃れてやってきた入植者が築いた町は、アンズの花盛りであった。91_440x293
ギリシャ正教とカトリックの教会が向かい合うように建てられている。

        ギリシャ正教の聖スピロス教会にはイコンが飾られている80_440x293
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       カトリックの聖マリア教会にはステンドグラスが輝いている86_293x440
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●ピアナ
フランスの最も美しい村に選ばれている可愛らしい村
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カロンク・デ・ピアナ 海岸からそそり立つ奇岩などの景色が広がる世界遺産
バスを降りてしばし散策しました。111_440x293
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●ポルト湾
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●帰路
コルシカ島では殆ど目が回るような急カーブの、日光いろは坂のような峠の山道ばかりだった。134_440x293
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                 子豚がお乳を飲んでいる143buta_440x293
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●料理は両島ともに魚貝やチーズが多かった。他にイカやタコやカラスミも。肉は少なくて日本人向きで美味しかった。
   リコッタチーズのパイ              白身魚
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    ハム盛り合わせ            ロブスタースパゲティ
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    アサリのフレゴラ          シーフードの前菜盛り合わせ
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   ムール貝のトマト煮    ズッパガレーゼ(パンとチーズのグラタン)
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          買ったCapの模様がサルディーニャ島の州旗です158_293x440
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国が違うけれどもそっくりです。何故黒い人?その意味がわかりませんでした。

両島ともに気候が穏やかで自然が美しく、コルシカ島は美の島と言われるだけのことがありました。お隣同士でも今は国が違い、サルディーニャ島では陽気な人々に出会い、コルシカ島ではおしゃれな人にさすがフランスと感嘆したのでした。両国ともいろいろなもののデザインが優れているというのは島ではありながら感じました。

ちょっと欲張って写真を載せすぎました。最後までご覧いただきありがとうございました。

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2015年3月 7日 (土)

サルディーニャ島とコルシカ島旅行(その4)

コルシカ島(1)見学5~6日目(2月20~21日)ボニファシオ~サルテーヌ~アジャクシオ

600x459_2コルシカ島はフランスの島。ナポレオン誕生の島で、広島県と同じくらいで、人口は約30万人。ほとんどが急峻な山岳で占められ、2500メートルを超える高峰が連なる。

ボニファシオ
カーフェリーでサルディーニャ島を出発し、ボニファシオ海峡を渡って50分でコルシカ島に到着。

                 コルシカ島が見えてきた440x293
                     港に到着440x293_2
               すぐにボニファシオミニクルーズへ 4_440x293
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                 ナポレオン帽子洞窟440x293_4
   ドラゴンの洞窟の中へ。中は青の洞窟(入れなかった)のような感じでした。11_440x293
                 天井はコルシカ島の形12_440x293
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                ボニファシオの旧市街散策17_440x293
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サルテーヌ 
アジャクシオに行く途中の中世の要塞都市で、仏作家メリメが「最もコルシカらしい町」と称した。

          途中、島の中央部の山脈は白い雪に覆われていた29_440x293
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                  コルシカ島のお墓39_440x293
アジャクシオ ナポレオンの生まれた町

         フェッシュ広場のナポレオン像の上に鳩がとまっていた44_293x440
              土日に開かれる市場は賑わっていた45_440x293
                      ウニ46_440x293
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私たち日本人を見かけたおじさんが、「日本の本に載ったよ」と本を広げて見せてくれた。53_293x440
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ナポレオンの生家。彼が暮らしていたのは小学生まで。内部には彼の母が買い求めた家具やデスマスクが展示されていた。59_293x440
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         ナポレオンが洗礼を受けたアジャクシオ大聖堂の中67_293x440
                 シャルル・ド・ゴール広場70_440x293
午後の自由時間にフェッシュ美術館へ。1827年にナポレオンの叔父フェッシュ枢機卿によって建てられた宮殿であった。丁度キューバから初めて外国に貸し出されたというキューバ展覧会が催されていた。42_440x293
               ナポレオンの母マリア・レディツィア74_293x440

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2015年3月 4日 (水)

サルディーニャ島とコルシカ島旅行(その3)

サルディーニャ島(3)見学3日目~4日目(2月18~19日)

2月18日(見学3日目)オリスターノ~アルゲーノ~サッカリへ

600x459イタリアには原発がない。電気はフランスから輸入し、ガスはロシアから輸入しているそうだ。島には5本の川があって水力発電と灌漑用のダム湖を造っている。トイレなど入ってから電気がつくというところも多くいろいろな方式で節電している。

ユーカリの木を見かけるが、湿地が多くてマラリアが発生したため、たくさんの水を吸うユーカリを植えたというわけだ。しかし今は乾燥が進んでしまったのが問題だそうだ。

●サッカルジャ教会
サルディーニャ島内最高傑作のロマネスク様式の三位一体教会で12世紀に建てられた。黒と白の2色の石材を使用した縞々模様が印象的です。イタリア本土の中世海洋王国ジェノヴァやピサの支配下にあったこともあり、多くのキリスト教系の修道院が築かれた。
影響を与えたそのジェノヴァのサン・ロレンツォ大聖堂も縞々で記憶によく残っている。

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                                                教会の中103_300x450

●アルゲーロ
アルゲーロとは”海草”の意味で、この海岸の向こうには海草が打ち上げられていた。
12世紀にジェノバのドーリア家によって造られた町、その後スペインのアラゴン王家が占領したため、子孫はいまでもカタロニア語を話す。107_450x300
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                              サンフランチェスコ教会の内部と回廊 111_450x300
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                                   サンミケーレ教会の屋根115_450x300
                スペローネの塔 海岸にはここにも要塞化した塔が建つ117_380x253
                                        サンゴが特産品だ109_450x300
                       裏道116_380x253
その後サッサリへ移動し、サンナ国立博物館で先史時代からローマ時代までの考古学部門を見学。

2月19日(見学4日目)東北海岸エリアへ
アーティチョーク畑に寄った時、土が粘土質で靴底がひどいことに。とても土地が肥えているとのこと。ワイン畑もあるし、野菜やメロン、スイカ、小麦の収穫が多いが、ただ輸出するほどの量がない。魚介類が豊富で、カラスミが名物。食事も魚料理が多かった。

             ワイン畑 島の白ワインが美味しかった106_450x300
イタリアはポルトガル、スペインに次ぎコルクの生産が盛んだ。今年切られた跡が生々しい。次の収穫は12年後となる。121_300x450
サルデーニャ島は、四国のほぼ1.3倍の大きさだが、人口は160 万人と少ない。島の人口より羊の数の方が多いと言われる。
人口の三分の一以上が州都であるカリアリに集中している。450x300_3
●コスタ・ズメルダ(エメラルド海岸)・・北東海岸エリア

1962年アラブの富豪が開発した人工リゾート地でダイアナ元王妃も滞在した。
展望台からは周りの島々や最短距離で12㎞しか離れていないコルシカ島も見える。450x300_4
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700x467コルシカ島との間のボニファシオ海峡にあるマッダレーナ島にフェリーで渡る。
コルシカ島に近いことから軍の基地が置かれていたが、見つからないように自然に馴染むように施設が造られたので自然が残った島だ。花崗岩の石切り場もあり、スエズ運河やアメリカの自由の女神にも使われた。
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2015年3月 1日 (日)

サルディーニャ島とコルシカ島旅行(その2)

600x459サルディーニャ島(2)見学2日目(2月17日)オリスターノ滞在
午前中はオリスターノ郊外のタロス遺跡を見学し、午後はオリスターノで行われたお祭り見学。閑散としていた島もこの日のこの町は大混雑でした。

●タロス遺跡
郊外シニス半島のサン・マルコ岬の突端にある都市遺跡で、昨日と同じヌラーゲ集落の跡も残る。紀元前8世紀頃フェニキア人が建設した。その後カルタゴ、ローマ、ビザンチン帝国と11世紀頃まで人が住んでいたのに、度重なるアラブ人の侵略により町ごと内陸のオリスターノへ移住したため打ち捨てられた。
塩野七海さんの『ローマ亡き後の地中海世界』に詳しいが、アラブ人や海賊が地中海を荒らしまわって地中海沿岸都市や島々の海岸に住む人々はその恐怖にさらされ、内陸部に逃げ込んだ。島の海岸線を走っていても頑丈な要塞、砦がたくさん存在する。

       遺跡入口の5世紀のサン・ジョバンニ教会で島内で2番目に古い55_440x293
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                      神殿跡62_440x293
                   フユシラズの群生64_440x293
●サルティリヤ祭
カーニバルの最終週の日曜と火曜に行われるお祭り。
日本の流鏑馬は矢を的に向かって射るけれど、こちらはロープに吊るされた星のオーナメント(直径22㎝、中央の穴の直径は2㎝)の穴を、仮面を被った騎士が馬に乗ったまま剣で貫くというもの。とれた数でその年の幸運を占うそうだ。流鏑馬と違って馬は速度の速いサラブレッドだ。お面を被っているし、速度は速いし難易度が高い。
この日火曜日は126名の騎士(うち女性2名)のうち、19個の星が取れた。なんと女性が1個取ったのだ。
                  楽隊などのパレード73_440x293
3人一組の仮面の騎士のパレード。お面、帽子、服装、馬の飾りなどいろいろで素晴らしい。74_440x293
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                     星を取った人82_440x293
                 胸にバッジをつけてもらう96_440x293
      女性の星取得者。髪は長いし、乗馬ズボンの上にスカートを巻いている。85_440x293_3
●パリリア祭
サルティリヤ祭が終わって、その後移動してパリリア祭の会場へ。
                       パレード86_440x293_2
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パレードが終わってから、3人一組の騎士が走りながら、馬の上に立ち上がったり、逆立ちしたり、後ろ向きになったりとアクロベティックな迫力あるショーが行われた。3人落馬しました。
             スピードがあってボケボケの写真です91_440x293
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旅行社が一等席を用意してくれたのでずっと座ってお祭りを堪能できました。

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