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2015年5月23日 (土)

東海道五十三次 三島宿~沼津

杉江松恋・藤田香織著『東海道でしょう!』を読んで、街道歩きがどんなものか、一度体験したくて、参加したのが第11宿・三島宿~第12宿・沼津宿です。5月12日でした。

バスツアーで三島に着いてまず行ったのが、柿田川湧水。富士山周辺に降った雨水や雪とけ水が地下水となって、ここで1日に100万トン(約25mプール2000杯分)湧き出している。430x287
ところが次に行った楽寿園(元、小松の宮別邸)の中の富士の湧水を利用した小浜池が涸れて溶岩の湖底が現れていたのです。池の趣がすっかり失われています。原因は湧水の道筋の富士山裾野に別荘や工場などが建ったからだという。430x287_2
           園内の木は溶岩に根を張っているのに驚きます430x287_3
                   大きな楽寿灯籠430x287_4
             昼食は美味しい水で養殖したウナギでした430x287_5
第11宿・三島宿は、家数1025軒、旅籠74軒、本陣2軒。名高い三島明神の門前町として古くから発展していた町でした。箱根山越えの宿として小田原、箱根と並んで重要な位置を占めていました。この辺りは富士山麓の湧水が豊富にあり、古来より水のきれいな場所として知られています。
今は問屋場跡や世古本陣跡が残るだけです。430x287_6
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歌川広重の三島宿は、
朝霧の中、三島明神の前を行く旅人の姿を表現しています。駕籠(かご)に乗る人物、馬に乗る人物だけを線で描き、鳥居・人家・遠くの旅人などは線を用いず、ぼかしの濃淡だけで奥行きを出していて霧にかすむシルエットが素晴らしい。570x365_450x288
三島明神と呼ばれていた三嶋大社は、伊豆国一宮として伊豆半島の信仰の中心。伊豆に流された頼朝が崇敬し、戦勝を祈願した。源氏再興成就後、謝恩のため社殿を造営し、保護した。430x287_8
         頼朝と政子が祈願の折り、腰を掛けて休息した石。430x287_9
大社を出て歩き出すと、三島とゆかりのある文学者の記念碑がたくさん続いていました。
中には芭蕉を尊敬するあまり、墓を建ててしまった人がいた。(君澤山蓮聲寺)287x430
伊豆国分寺跡は1956年に発掘調査されて寺域と伽藍が推定されたそうだ。残る七重の塔址。我が武蔵国分寺にも七重の塔址があります。430x287_10
千貫樋 1555年今川、武田、北条の和睦が成立した時、北条から今川への引き出物として、楽寿園小浜池から樋を築いて、駿河に水を引いたというもの。関東大地震で崩壊したので木製の樋をコンクリート製にした。銭千貫を費やしたからとか、高千貫の田地を潤している等が名の由来となっている。287x430_2
              一里塚 江戸から29里の玉井寺一里塚Photo
八幡神社 頼朝が奥州から駆けつけた義経と対面し、源氏再興を兄弟で誓った所。
その時二人が腰掛けたと伝わる「対面石」
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平作地蔵堂
歌舞伎や人形浄瑠璃の三大仇討のひとつ、『伊賀越道中双六』に出てくる「沼津の段」の一幕「平作住居の場」の舞台。287x430_3
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(クリックすると拡大します)

広重の絵に「行書版五十三次」があります。その中の沼津には沼津垣が描かれています。道の駅のようなお店に沼津垣がありました。460x286
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   沼津宿の手前の狩野川を眺めてウォーキングは終わり、22559歩でした。430x287_13
第12宿・沼津宿は家数1234軒、旅籠55軒、本陣3軒。名所は千本松原と呼ばれた海岸沿いの松並木です。伊豆方面へ海産物を運ぶための港としても重要で、漁業も盛んです。

歌川広重の沼津宿は、月も昇り始めた頃、沼津の宿に急ぐ親子連れの巡礼と猿田彦(さるたひこ)の面を背にした旅人が描かれています。570x364_450x287
この他にもたくさんの史跡を巡った街道歩きだったのですが、車が行き交うアスファルトの道を、結構な早足で歩くのは膝にきました。東海道53次を、昔の人々は雨の日は立派な雨具もなく、今のような快適な靴もなく、泊まる宿も快適でなく、山を越え、川を渡り、夏場は暑い日差しの中を黙々と半月かけて歩き通したのです。距離は126里6町1間(495.5㎞)
感心はするものの、膝の問題で、この日の三島~沼津間、たったの5.8㎞で退散いたします。歩き通せば、広重の絵も一枚一枚その都度味わっていけたでしょうに、そして街道のいろいろな歴史に触れられるのにと思うととても残念です。登山もそうですが、もっと若くして一念発起していればと後悔することばかり。

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コメント

相変わらずお元気そうで大慶に存じます。
今度は三島と沼津ですか。
三島は新幹線で通過するとき富士山が綺麗
と聞いていますので窓外に目をやります。
通過点です。

沼津は数年前御用邸に行きました。
風格のある建物でした。
歌舞伎のことは知りませんでした。

6km近くも歩かれたとは・・・とてもマネが
出来ませんので、ここで拝見できてよかったです。

投稿: matsubara | 2015年5月24日 (日) 20:58

★matsubaraさま

こんばんは。
元気なのですが、足が年相応に弱ってまいりました。アスファルトの道はビンビンと骨にひびきます。富士山裾野もアスファルトが結構あるのですが、こちらは景色やお花で誤魔化されています。
この日は富士山は東名から見えました。
沼津御用邸は沼津アルプス登山の時に上から見ましたよ。緑豊かに見えました。

これで三大仇討ち関係を偶然にも続けて見物で来ました。実はこの仇討ちは荒木又右衛門のことしか知らなかったので、脚色はありますが浄瑠璃の内容と史実を合わせて知ることが出来ました。有難うございました。

投稿: tona | 2015年5月24日 (日) 21:53

tonaさん、こんばんは。
夫の実家の義弟が重病でして、昨日から長女と行ってきました(関西へ)

ミミズのいる地球から拝見して、五十三次まで辿り着きました♪
マニアックな著書を読まれてますね、凡人の私には刺激になりました。
とてもよく歩かれてます、知らない所が多くて参考になります。
琴平丘陵の円融寺の奥の院、是非行きたくなりました。
五十三次の街道歩きもこれから恒例になるでしょうか。
富士山一周ウオークには友達が参加して卒業証書?貰ってましたscissors
頑張って下さいね。楽しみに伺いますね、どうぞ宜しく^^

投稿: だんだん | 2015年5月24日 (日) 22:33

★だんだんさま

おはようございます。
義弟さん、大変なことですね。どうかよくなりますように。
お忙しい中、読んでいただき本当にありがとうございます。こちらこそよろしくお願いいたします。
丘陵や低山の植物を鑑賞しながらの会に入っていますので、こんなところに行くことが出来ました。少し前まではアルプスなどでしたのに、高齢化であっという間に低山になってしまいました。
五十三次はこの1回でリタイアです。寒い冬に運動不足の時には1回くらいいいかもしれないとも思うのですが。
富士山は半分まできましたので西側から北側の良い所が残っているので1,2年くらいかかっても歩き通したいです。応援いただいちゃって感謝です。有難うございました。

投稿: tona | 2015年5月25日 (月) 08:20

こんにちは
 
そのようなツアーもあるのですね。歴史や史跡を辿りながら、
昔の旅人の気分を想像しつつ歩くのは面白そうです。
とはいえ、車が通る脇ではなかなか同じ気分にはなれませんね。
 
富士の恵みの豊富な湧水に感心しましたが、一方では枯れてしまって
底が見えた池があることにはちょっとショックも受けました。
現代人は、日本には水が無尽蔵にあるような気になって使いすぎですね。
枯れた湧水と和睦の引き出物として樋を渡して水を引いたという話は
水の貴重さを改めて思い出させてくれるものだなぁと思いました。
同時に、この海に近い場所まで溶岩が流れてきていた証拠を見て、
噴火のすさまじさへの怖さも改めて感じています。
 
この道中で、ふたたび鍵屋の辻の決闘に繋がるとは驚きでしたよ。
人形浄瑠璃に描かれる場面が、地蔵堂としてあるのですねぇ。
広重の絵と現在を重ねて見たり考えたりも、とても面白いですね。
この区間だけでもとても内容濃く、ひととき面白い旅をさせて
いただきました。
 
でも膝にこたえられたとのこと、あまり無理なさらないでくださいね。
 

投稿: ポージィ | 2015年5月25日 (月) 10:30

沼津の御用邸の近くに大学の宿泊所があって
利用したことがあります。
しかし沼津は、私にとって帰省するときの通過点でしかなく、
このような見どころがあるとは知りませんでした。
私のジム仲間も、普段運動していても段々と膝や腰を痛めて
従来のようには踊れなくなって来たりしています。
どうぞお気を付け下さいね。

投稿: zooey | 2015年5月25日 (月) 10:55

私はまだ富士山の湧水があふれる柿田川と三島大社を知らなくて・・・
それがこちら方面に行くツァーの優待券が当たったので5月11日の分を申し込んだのですが、満杯で行きそびれました。
湧水の一部は枯れているのですか!

コンクリート道路が続く街道歩きは山と違って心臓にはやさしいですが、膝への負担は山以上です。
私も川を遡って歩いたり街道歩きに参加したりしていますが、最初の頃は夜中に膝痛で目覚めた事も多々ありました。
毎日1時間(6500歩)の防犯パトロールに参加するようになり大部慣れましたが・・・
でも断然ふかふか落ち葉が重なる山道の方が好きです。
膝、お大事になさって下さいね。
五十三次はこの1回でリタイアですか・・・?


投稿: nao♪ | 2015年5月25日 (月) 13:58

★ポージィさま

こんばんは。
↑の本には各宿場に関する文学などいろいろな本も紹介されています。関連本を楽しみ、歴史や浮世絵を楽しんで京都まで行ったら、どんなにか江戸時代の人々の大変さを体験できることでしょう。
前に痛めた膝ですから、少しでも違和感を感じたら気を付けなくてはですね。東海道の方はたった1回ですが、これでやめることにしました。足に筋肉を付ける体操は日に1回を3回に増やしました。

その昔に爆発して流れ出た富士山の溶岩がここ三島にまで流れてきて、そこにはえている樹木の根が溶岩の中に食い込んでいる様子に富士山裾野だけでなくビックリします。それにしても植物の強さに心打たれました。

ご紹介くださった伊賀の鍵屋の辻に関して、浄瑠璃の中ではありますが、この地に関係していたとはこれまた驚きました。お陰様でこの仇討ちに関しても勉強させていただきました。
広重の絵が残っていませんが、こうだったのだなあと思いを馳せるのも楽しいですね。
いろいろ有難うございました。

投稿: tona | 2015年5月25日 (月) 19:22

★zooeyさま

三島・沼津間は新幹線ではあっという間ですね。
東名では富士山の帰りに沼津から伊豆半島の景色が素晴らしいです。

もう戻ることがない足腰、だましだまし、無理しないで歩きます。歩かないとボケてしまいそうです。血圧やコレステロールなどにも良いみたいですので。
有難うございました。

投稿: tona | 2015年5月25日 (月) 19:34

★nao♪さま

nao♪さんのご友人のだんだんさんが同じ国分寺に住んでいらっしゃるのだとお知らせくださいました。お近くで親近感がありますね。nao♪さんのお陰で有難うございます。

柿田川と楽寿園の湧水は水の通路が違うようです。柿田川の方は途中で使われない地下深くのがこの辺で湧くようです。楽寿園の方は富士裾野を通っているのでそこで別荘などに水を全部取られて、三島まで流れて来なくなってしまったようです。
この間はふかふかの落ち葉がまだ積もっている山道(秋川渓谷の方です)を歩いたのですが、足に優しくてとても気持ち良かったです。
東海道は土の道は残っているのでしょうか?多分箱根とかいろいろな峠がありますがそこは山道ではないかと思うのです。
足のことを考えて、東海道はたった1回だけですがリタイアです。
この他中仙道、日光街道、甲州街道があって、特に東海道より中仙道を歩きたかったのですが、埼玉県を抜けると、もう1~2泊なのです。2日も3日も歩き続けるのは膝に悪そうですので、街道歩きはやめることにしました。
有難うございました。

投稿: tona | 2015年5月25日 (月) 19:51

こんばんは happy01
ご無沙汰していました。
PCが直り再設定も終わりました。

富士山すそ野ウォーキングだけでなく、今度は東海道ですか?!
相変わらずの健脚ぶり、敬服します。
三大仇討の話、初めて聞きましたが、三重県の伊賀上野には力餅で有名な数馬茶屋があります。確かそこで荒木又右エ衛門が仇をどんどん斬っていったとか・・・。
広重の絵を見て昔、永○園のお茶漬けに付いていたおまけを思い出しました(笑)!

投稿: 慕辺未行 | 2015年5月25日 (月) 21:55

★慕辺未行さま

おはようございますsun
PC大変でしたね。私なら心が平静を保つのに苦労しそうです。
数馬茶屋があるのですか。あそこの萬福寺には討たれた河合又五郎のお墓があるそうですね。鍵屋の辻が荒木又右衛門の助太刀で仇討ちがなされたところだそうです。この仇討ちについては、今回初めて知りました。

なるほどお茶漬けのおまけを思い出させてくれますね。東海道五十三次カードは五十五枚もあるそうですね。その他、北斎の富嶽三十六景や喜多川歌麿もあるそうです。
有難うございました。

投稿: tona | 2015年5月26日 (火) 09:02

こんにちは。
柿田川の眺めはたまにテレビなどで紹介されるのを見たことがあります。一度、行ってみたい場所ですね。湧水が枯れてしまったのは残念ですね。この地からかなり離れた場所での何かが原因なんでしょうね。

投稿: 多摩NTの住人 | 2015年5月26日 (火) 12:26

★多摩NT住人さま

こんにちは。
柿田川湧水は、遠い昔に降った雨や融けた雪が浸み込んで時間をかけてここ柿田川にたどり着いて湧くらしいです。
ところが三島市内の楽寿園は富士山裾野に降った雨などが地下に流れ込んで流れてきたのですが、最近はここに来る前にすでに裾野の別荘地で使われてしまうそうなのです。
とても残念な風景でした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2015年5月26日 (火) 13:09

芭蕉霊の別荘でしょうか^^。

投稿: 佐平次 | 2015年5月26日 (火) 17:59

★佐平次さま

そういうことなのでしょうか。

芭蕉が東海道を往来した時は蓮馨寺に立ち寄り、住職や近隣の文化人と談義に花を咲かせたそうで、芭蕉の死去に際し徳を偲び遺髪を拝受し俳諧発展のため墓石を建立し翁の冥福を祈り続け、十月十二日には俳人相集い翁の法要と句会を開催し、今日に至っているのだそうです。
「いざともに穂麦くらわん草枕」が石碑刻まれています。

投稿: tona | 2015年5月26日 (火) 20:34

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