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2015年6月30日 (火)

バルト三国旅行(4)

ラトビア(4、5日目)

Photo_4三国の真ん中に位置するラトビアは、北海道の約60%の広さで人口は199万人。民族構成はラトビア人61.1%、ロシア人26.2%、その他ウクライナ人、ベラルーシ人、など。宗教はキリスト教で、北部西部がプロテスタント、東部はカトリックが多い。ほかにロシア正教。

十字架の丘からまもなく国境を通過してラトビアに入った。

●ルンダーレ宮殿(バウスカ)(4日目)
”バルトのヴェルサイユ”と呼ばれる、バロック様式の豪華な宮殿。
宮殿の向こう側には広大な庭がある450x300
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どうしてラトビアのこんなところに宮殿が建ったのか?
帝政ロシアの時代、ピョートル大帝の姪アンナが結婚した相手クールラント公が治めていた所。大帝が亡くなって、アンナが女帝になって、クールラント公も亡くなったとき、アンナが愛人にクールラント公国を与えて城の建設が始まったというわけである。紆余曲折があって1734年から1768年まで完成に時間がかかった。
クールラント公国が消滅した後、エカテリーナ2世最後の愛人・ズーホフカが住み、次にズーホフの未亡人の再婚相手シュヴァロフ伯爵が住んだそうだ。ソ連時代はジムや倉庫として使われ、修復が始まったのが1971年だった。
兎に角ヴェルサイユとたとえられる位、鏡の間はなかったけれど、中は豪華であった。450x300_5
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          夜リガに到着。私のバースデイケーキには花火が。300x450_2

●首都リガ(5日目) 世界遺産
バルト三国では抜きん出た大都市で人口は70万人。1201年ドイツ・ブレーメンの司教だったアルベルトが集めた兵士達を引き連れてここに上陸し街を建設した。1282年ハンザ同盟都市となって発展した。
以下は1日あったのであちこち沢山見物したその一部です。

              ホテルから見た川向こうのリガ旧市街450x300_14
聖ペテロ教会展望台から。この教会にはエレベーターがあって、運転するおばさんが座っているが、何とこのおばさん開閉と人数を数える数秒以外は全部本を読んでいたのには驚く。日本のデパートなどのエレベータ―ガールとは大違いで顔も見ず、にこりともしない。450x300_15
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ヨーロッパでも初めてエレベーターがあった聖ペテロ教会はこんな渋い感じ。(1階部分尻切れトンボになってしまった)300x450_3
ブレーメンの音楽隊 リガがブレーメンの姉妹都市だから。下から驢馬、犬、猫、鶏300x450_4
猫の家 猫に全然出会わなかったバルト三国なので、やっと銅像で会えた。
この家に裕福なラトビア商人が住んでいて、大ギルドに加わりたいと思っていたが、ドイツ人支配のギルドに断られた。怒った彼は大ギルド会館に尻を向けた猫を屋根に取り付けた。その後大ギルド会館がコンサートホールに変わったので、猫は音楽に誘われて向きを変えたという。450x300_18
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            火薬塔とラトビアの町の紋章がずらりの家450x300_23
三人兄弟の家
右の白い家:15世紀のもので当時は窓税があったので窓が小さい。真ん中のクリーム色の家は17世紀で窓税がなくなった。左側薄緑の家は17~18世紀で建物の間口税があったので京都の町屋みたいに幅が狭い。3_450x300
ブラックヘッド会館 
ファサードがきれい。エチオピアの聖人マリティウスを守護聖人とする団体で未婚の商人で構成されているという。どうしてこんなところに。450x300_24
自由記念碑 1935年にラトビア独立を記念して建てられた51mの記念碑。ソ連時代になり近づくだけでもシベリア送りとうわさされたとう。300x450_5
リガ大聖堂で夜パイプオルガンの演奏を聴く。ハチャトリアンの「剣の舞」とたっぷり15分のラヴェルの「ヴォレロ」が良かったです。450x300_25
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ユーゲントシュティール建築群(アールヌーボー)
19世紀後半から1914年まで流行。動物や人の顔、草花をモチーフとした彫刻で飾られている。バルトにアールヌーボー建築があるとは思いがけなかった。450x300_27
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                 階段を下から見上げる450x300_29
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2015年6月27日 (土)

バルト三国旅行(3)

リトアニア③(3日目、4日目)

Photo_3●クルシュー砂州
 世界遺産 もう一つ首都ビリニュスも世界遺産でした。(3日目)
リトアニアの南西部はロシアの飛び地、カリーニングラード州につながる。
地図でよく見ると、リトアニアのクライペダからカリーニングラード州の真ん中まで、細長い砂州が連なりその内側は大きな湖のようになっていて(実際には端っこは陸とつながっていなくて海である)、クルシュー潟と呼ばれる。
バルト海とクルシュー潟を隔てる全長98㎞のこのクルシュー砂州は、先端から約52㎞がリトアニア領、その南西先がロシア領だ。
砂州の幅は400m~4㎞。
本土と砂州の間の潟の幅は一番狭い端は400m、広いロシア側は15㎞もあるらしい。
フェリーに乗って対岸に4分で着く。450x300
砂州の大半は森林ですが、ほとんどが植樹で65%が松。森の伐採により砂漠化が進み集落が砂に埋もれてしまい、植林を保護。450x300_2
階段を上って、バルト海側の琥珀海岸に降りる。砂は白く、バルト海は濃青色。450x300_3
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ガイドさんに教えられて琥珀を採取。持って帰っていいそうだ。このような琥珀は小さな袋詰めいっぱいを3ユーロで売っていました。350x233
ウミウのコロニー 5月から9月にかけてやってくるウミウ。その巣の数は4000でヨーロッパで2番目の規模。ユネスコの自然保護区になっている。450x300_6
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トーマス・マンは1929年のノーベル文学賞賞金で、この砂州に伝統的な別荘を建て、1930~33年、3回夏を過ごした。クルシュー砂州がドイツ領になっていた時代である。
オドリコソウやハマナスも咲いていた450x300_9
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ニダの町(内海側)
猟師町の伝統家屋が並んでいて、燻製屋を見かけ、舟形の風見鶏、世界文化遺産の石碑なども見られた。450x300_12
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パルニッシュ砂丘 ニダから先の展望台は国境で、正面はロシア領。砂州の幅が狭く、左は内海(クルシュー潟)、右はバルト海で両方が見渡せる。450x300_19

●十字架の丘(4日目)

クルシュー砂州から帰ってきてクライペダにもう1泊し、リトアニア最後の見学地、シャウレイにある十字架の丘に行った。
1831年、ロシアに対する蜂起で殺されたり、シベリアに流刑された人々を悼むために立てられた。というのも当時のロシアは家庭に十字架を持ち込んだり、道路に立てることを禁止したからである。ソ連時代に入っても軍は何度も倒したり焼き払ったりしたが、そのたびに人々は十字架を立て直した。今ではアメリカやオーストラリアなどから、移民の人々がの地から運んだ十字架を残し、その数、200万とも300万ともいわれる。

              草原の中に突然現れる十字架の丘 450x338
              中央の階段を上って行って振り返る 450x300_20
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                     両脇にびっしりと 450x300_22
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                 上り切ると今度は下っていく450x300_23
                     振り返ると450x300_24
     下り切って右側に行っても左側を回ってもこんな感じに並んでいる300x450
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2015年6月24日 (水)

バルト三国旅行(2)

Photoリトアニア②(2日目)

●トラカイのトラカイ城 
ビリニュス郊外30㎞のトラカイは14世紀にクリミア半島から傭兵として連れて来られた小数民族「カラメイ人」が暮らす地域。
通りに面して3つの窓がある(神、大公、家族)のが、トラカイ人の伝統的な家である。

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トラカイ人の伝統的な料理キビナイ(ピロシキのパイ版と言った感じ)をお昼にいただいた。300x277
トラカイ城
トラカイ周辺には大小200の湖があり、その中で最大のガルヴェ湖の島に立つ城。
14世紀末、ドイツ騎士団への防御のためと祭事を行うため築かれた。再建された内部は博物館になっている。当時からセントラルヒーティングになっていて驚く。450x300_5
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武具を身に着けた騎士が倒れたら、一人では起き上がれず、足にダメージを受けて辛そうだった。実際にもその通りだったらしく武具が命取りになったようだ。とても重そうだし。映画を見ている限りそんなことは全然わからなかった。450x300_9
●カウナス
リトアニア第二の都市。15世紀半ばにハンザ同盟の代表部が設けられ、商業活動の中心地として繁栄した。
両大戦の22年間、ポーランドに占領されたビリニュスに代わってリトアニアの首都となった。そのため杉原千畝時代には日本領事館もここにあったわけである。

【杉原記念館】旧日本領事館が”日本のシンドラー”と呼ばれる杉原千畝の記念館として保存される
1940年7月31日~8月28日までの間、ナチスドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人に「日本通過ビザ」を1600通発給し、約6000人の命を救った。ドイツと同盟を結んでいた日本政府からは当然許可は出ていなかった。
バスの中で添乗員さんが読んでくださった、奥さんの杉原幸子著『命のビザ』の中の一章はこの間の様子を詳細に記していて、涙を誘う。
日本政府による公式の名誉回復がなされたのは2000年のことである。それは、千畝の没後14年目のことであった。しかしながら、カナウスの杉原記念館は日本の援助は未だになく、私たち訪れた者の寄付などで運営されるのである。政府がいろいろな所にばらまいている昨今、おかしい話である。
生地の岐阜県八百津町で作られたビデオ15分を見てから館内を見学した。

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             記念館のある通りの様子 静かな高級住宅街450x300_16
【カウナス旧市街】赤レンガの建物が多い
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       ベルク―ナスの家 雷神ベルクーナスを祀る神殿があった450x300_18
         聖ペテロ&パウロ大聖堂。祭壇が彫刻で飾られている。300x450
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      カウナス城 13世紀にドイツ騎士団の侵略を防ぐため造られた城450x300_21
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【パジャイスリス修道院】カウナス郊外
18世紀バロック様式でシンメトリーの建築の修道院。ロシア、ドイツ、ソ連配下では修道僧は追い出され、正教会、軍事病院、精神病院として使用。現在再び修道院として活動を再開している。
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●クライペダ
この後、208㎞走って着いた、リトアニア第三の都市「クライペダ」に宿泊したホテルは高くて面白い形なので、とても目立っていた。450x300_29
               国の海運を一手に引き受ける港町450x300_30
この町唯一の名所・劇場広場のドラマ劇場。1939年ヒトラーがバルコニーからクライペダ奪還を宣言した所。450x300_31
     名所がないので、町のモニュメントを見て歩いた。幸せのネズミ365x380
                       偉いネコ275x380
                      煙突掃除屋380x281

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2015年6月21日 (日)

バルト三国旅行(1)

Photo_3北からエストニア、ラトビア、リトアニアと続く夏至が近づいたバルト三国は、緑が美しく、日没はリトアニアでは21:51、エストニアでは22時半頃で、夜になっても太陽が眩しいのです。気温は朝晩は5~10℃で寒く、昼は13℃から20℃くらいでした。
山は殆どなく(どこかに200m位のがあるらしい)オランダのようです。

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ロシアとドイツに囲まれて、ポーランドと同じく大変な歴史的経緯があったことを歴史書で知りましたが、あまりに複雑で途中でもう頭に入らなくなったくらいです。1991年にソ連崩壊で独立、今年には三国すべてユーロ圏になりました。ギリシャと違って頑張っているようです。
その前、1989年8月23日に、ソビエト連邦の統治下にあったバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)で、独立運動の一環として行われたデモ活動の「人間の鎖」はバルトの道ともいい、200万人が参加して手をつなぎ、3カ国を結び、600km以上の人間の鎖を形成したことは記憶にあるところです。

南のリトアニアから北へ向かって実質8日間の旅でした。
往路は成田 → コペンハーゲン → ストックホルム → リトアニア・ビリニュスと飛び、現地時間の真夜中に飛行場に到着したのです。それからホテルへ、就寝したのは2時過ぎだったか、長い1日でした。
ストックホルム・アーラン空港夜9時過ぎに2重の虹が出ました。450x300

リトアニア① 
北海道の80%の面積で、人口は約294万人。リトアニア人が84.1%、ポーランド人6.6%、ロシア人5.8%。宗教はキリスト教でリトアニア人の殆どはローマカトリック。ほかにロシア正教。

●首都ビリニュス 人口約52万人 教会の多い町です。(1日目 6/8)

  杉原千畝モニュメント、そばには2001年早稲田大学OBが桜を100本植樹した。450x300_2
                                 上記「人間の鎖」の基点プレート370x295_2
                                       ビリニュス大聖堂450x300_3
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                       大統領官邸 かのナポレオンもここに滞在した450x300_5
                        ダリア・グリボウスカイテ大統領 美しい人です450x300_6
                                            芸術家通り450x300_7
聖アンナ教会 ナポレオンが「持って帰りたいほど美しい」と表現した、33種のレンガを使用した教会。450x300_8
夜明けの門の上にある礼拝堂の聖マリアのイコン この時スリが出没して我らのガイドさんたちが財布を取り戻す。450x300_9
ゲディミナス城址と塔からの景色 赤い屋根と緑、川と空が重なって美しく静かな都市です。450x300_10
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聖ペテロとパウロの教会 「リトアニアバロックの真珠」とも言われる内装の2000以上の漆喰彫刻が見事で、素晴らしいものでした。450x300_14
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                  ホテルのそばの日本大使館 体育館のイメージでした450x300_17
早速に午後フリータイムとなり、このあと最後の日までずっとないので、もう日本から持っていったおかゆとスーパーで買ったおかずで胃を休めました。スーパーにお惣菜が多種類売っていて日本のスーパーのようです。ほかの国ではこんな美味しい惣菜は売っていなかった。買ったのは野菜サラダと鶏手羽肉のローストと地ビール。
そうそう、お昼は期待した通りスープが出ました。東欧、ロシアはスープが出て、これ一品だけでも頂けたら美味しいし、ほかのが食べられなくても安心です。
もう一つ期待していたのが掛け布団の問題。この三国の掛け布団も、他の東欧と同じくシーツに挟まれた毛布ではなくて、軽い掛け布団でした。380x253

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2015年6月 6日 (土)

9つの城めぐり(3)

3日目は鳥取で1つ見てから再び岡山県に移動して3城を見ました。今回は長くなってすみません。

鳥取城 鳥取県鳥取市 国指定史跡 平山城及び山城
山名氏が造り、吉川経家のとき秀吉の兵糧攻めに遭い自刃、宮部氏(6万石)、池田氏(32万石)と続く。
1879年に建物がほぼ全て撤去された。1943年には鳥取大地震により城址も被害に遭った。
                  復元された西坂下門Photo
              大手登城路は復元整備をしているところ450x300
                       石垣450x300_2
  天球丸巻石垣・・背後の石垣の崩落を防止するために築かれた球面石垣450x300_3
               御殿跡に建った仁風閣と鳥取の街450x300_4
久松山全体が鳥取城で、険しい山登りの末に着く天守のあった山上ノ丸と、山下ノ丸(鳥取藩の政庁でもあった)からなる広大な城です。
今回は山下の丸の中の三の丸、天球丸、二の丸などをさっと見て歩きました。

津山城 岡山県津山市 国指定史跡 平山城 
1603年森忠政公(森蘭丸の弟)が信州川中島から18万6500石の大名として入封して築いた。1874年にすべて取り壊された。
破風を持たない四重五階の天守だったそうで日本三大平山城(姫路城、松山城)。復元されたのは備中櫓と塀。
桜、芝桜、アジサイ、紅葉の名所。450x300_5
             本丸までの高さ45mの壮大な石垣が続く450x300_6
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                 櫓の中は珍しい畳敷き450x300_9
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四重五階の天守のパネル展示があった。破風を持たないので面白くうつる天守。Photo_2
鬼の城(きのじょう) 岡山県総社市 国指定史跡 神籠石式山城
飛鳥時代(6世紀から7世紀)の12の古代山城には入らない山城を、神籠石式山城という。東西南北にある門のうち西門と石垣、土塁が復元された。
標高約400mの鬼城山(きじょうざん)の8~9合目を鉢巻状に高さ6m、全長2.8㎞の城壁が巡らされている。非常時には何千人もの人がこの中に避難出来たという。城壁付近まで小さいバスに乗り換えて行き、城壁を半分だけ歩きました。
                       西門450x300_11
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        城壁は版築土塁で城壁の内外両側に敷石を施している450x300_12
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水門 城壁が谷を渡る6ヶ所では、排水のため水門を築いている。下部は石積み、上部は版築土塁。450x300_14
                   シダの美しい新芽450x300_15
眼下遠く中央右寄りに作山古墳が見えていたが、見えるはずの瀬戸内海、小豆島、屋島、讃岐富士等が見えなかったのが残念でした。450x300_16
   頂上と角楼 角楼とは横方向からの攻撃を意図した特殊な防御施設。450x300_17
岡山城 岡山県岡山市 国の指定史跡 外壁の下見板に黒漆が塗られていたので、烏城の別名がある。
安土城にならって造られた城。天守台が珍しい不等辺五角形で、塩倉を併設した複合の天守閣。唯一戦火を免れた月見櫓が現存する。
築城者は宇喜多秀家。天守閣内部に城主の間があるのが犬山城とともに珍しいとか。
櫓35、城門21という壮大な城だった。明治以後国有になったけれども維持できなくて天守をはじめ4棟だけになり、その後空襲にあって月見櫓だけになった。現在は天守と門と塀が復元された。
                        堀450x300_19
                       門450x300_20
天守閣は鉄筋コンクリート造りだが、外観だけ旧状通り再現されている。450x300_21
                   裏側からの天守閣450x300_22
                 天守閣から見えた後楽園450x300_24
                      月見櫓450x300_25
番外・岡山後楽園 特別名勝 ようやく日本三大名園を制覇できました。
岡山藩主池田綱政公が1687~1700年にかけて造ったもので、藩主の静養の場であり、賓客接待の場でありました。
天守閣上からは芝生と池しか見えず殺風景に思えたのが入園してみるとさすが天下の名園です。450x300_26
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お城を巡って、堀、石垣、塀、城を築くその労力はいかばかりだったか、特に山城の場合は石などの資材を運び上げるだけでも大変だったことが偲ばれます。そして攻めこまれた時の様々な工夫、籠城に備えての工夫をも見ることも出来ました。
マニアの方たちは歴史を深く勉強し、建築物より城跡や残された石垣、土塁、塀などに思いを馳せているのでしょう。

この日5月30日は東京には地震があって、飛行機は遅れるし、山手線はストップ、地下鉄は満員、各駅停車になってしまった中央線で家に1時過ぎにたどり着きました。
2011年にも岡山や鳥取を旅していて、3.11地震を、そして今回の地震も直接体感していません。人にはあちらは鬼門ではないのと言われましたっけ。

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      6月2日に行った葛飾区にある堀切菖蒲園は6,7分咲きでした450x300_30
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明日7から17日までバルト三国に出かけてきます。帰国しましたらまたよろしくお願いいたします。

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2015年6月 3日 (水)

9つの城めぐり(2)

2日目は姫路城と竹田城址でした。

姫路城 兵庫県姫路市 世界文化遺産、国宝・天守を含む8棟、重要文化財74棟、現存天守、特別史跡。
大天守は海抜91.9m(石垣と天守合わせて45.5m)、5重6階地下1階。櫓の数27棟。門の数21棟。狭間の数997。井戸の数11。西の丸櫓の長さ約240m。平成の大天守修理費用は24億円。すべて凄い数でびっくりです。

1日目は姫路駅のそばに宿泊し、ライトアップされた姫路城を見てきました。夏は白く冬は暖色にライトアップするのだそうです。
本当に白い!!450x300
朝9時前から待ってすぐ入場でき、最初に大天守に行った方が良いと言われ、いろはにの門を丁寧に見ないで直行。大変すいていました。300x450
          最上階から景色:三の丸、大通りの終点は姫路駅。450x300_2
              最上階の長壁神社(姫山の地主神)450x300_3
              武具掛け(大天守は武器倉庫だった)450x300_4
備前門から出て備前丸からの大天守は昨晩のライトアップされたのと同じ側。写真が悪くてあまり白く見えません。450x300_5
備前門の脇の石垣の大きな石は石棺です。姫路城の石垣には古墳の石棺が多く転用され、古墳が多く破壊されたそうです。450x300_6
             二の丸にある播州皿屋敷のお菊井戸450x300_7
西ノ丸には240mの百間廊下(長局)と呼ばれる櫓がある。千姫に仕えたお局たちの部屋が並んでいる。450x300_8
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長局につながる突き当りの化粧櫓の中
本多忠刻と再婚した千姫の化粧料で三の丸には武蔵野御殿、西ノ丸櫓が建てられ、この化粧櫓は千姫の休息所だった。450x300_10
最後に西ノ丸からもう一度大天守を仰ぐ。この角度からは手前に小天守3つのうち2つ見える。450x300_11
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頼んだお弁当 3日間ともお昼ご飯は移動のバスの中です。
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2日目
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3日目はカニずしでした。

竹田城址 兵庫県朝来市 国史跡
全国屈指の山城で「日本のマチュピチュ・天空の城」と呼ばれる。雲海に浮かぶ写真が多く紹介されていますね。
ちらしの写真です(クリックで大きくなります)
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このような写真を撮るには、あるいは見るには、お向かいの山の同じ高さの辺りにこのような雲海が生ずる季節、天候に合わせて、前日から場所取りをし、寝袋で寝て、早朝3時ごろより準備をするとか。そのお向かいの山です。450x300_15
朝来市は、古来播磨・丹波・但馬の交通上の要地だったため、標高353.7mの山上に竹田城が築城されました。
今は小型バスに乗り換えて8合目付近まで行かれても、さらに上り詰めるのが大変なのに、南北400m、東西100mの規模の城を築き上げたことは驚きです。これだけの石垣を築くのも、水の確保も大変だったでしょう。
山名氏は1431年に着手し、1443年に完成しました。当時は山名氏と赤松氏の間に深刻な対立が生じていたからです。その後太田垣氏7代の後、秀吉の但馬攻めにより、竹田城は織豊方の拠点城郭として機能したのでした。しかし1600年に西軍惨敗で廃城になったのです。

観光者が増えて道が荒れて(高尾山みたい)このように土嚢の上に黒いネットで保護されています。
石積みにも、穴太積み(野面積み)や算木積みや笑い積みなどいろいろあることをガイドさんから教えてもらいました
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                     天守台 450x300_18
                  マチュピチュのよう450x300_19
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その後鳥取駅のそばのホテルまで移動し、話題になった「スタバ」を見に行きました。29日(金)の20時近くでしたが結構混んでいました。450x300_25
こちらは駅を挟んで対角線にある、知事が言っておられた「すなば珈琲」です。中は見えません。中間点の駅構内にはドトールがありました。450x300_26
駅の中にコナンが。鳥取空港がコナン空港に改名され、米子空港が米子鬼太郎空港に改名されたとか。450x300_27

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2015年6月 1日 (月)

9つの城めぐり(1)

2009年に平成の大修理が始まる前に見に行った姫路城が真っ白になったということで、再び見るためにコースに入っていたツアーに参加しました。
『城にみる堀と石垣の造形美名城めぐり3日間』というもので、岡山県と兵庫県が4城ずつ、鳥取県が1城で全て100名城に入っています。
同行24名でしたが多くが100名城マニアで100名城のスタンプ帳を持っていて、到着すると押しています。そんなことも知らないで参加したのですが、中には90以上踏破した人も居て、50,60はざらで驚いてしまいました。

「城」とは天守があり、なくても櫓がいくつかあるものと思っていたのですが、実際は砦や土塁、堀や石垣で囲まれた寺社までも数えることがあって、その数5万とも言われている。
建造物のない城見物はつまらないものと決め込んでいたのですが、今回「日本のマチュピチュ」と呼ばれる竹田城を見て、壮大な堀や石垣を築いた先人の偉業に触れることが出来、建物を想像しながら城址を楽しむことを学びました。
多くあった城も一国に一城ということで壊されてしまったり、攻め滅ぼされてしまったり、空襲で焼失してしまったりした中、現存する天守は12城あり、そのうち4城が国宝です。

<一日目>
備中松山城 岡山県高梁市 、国指定重要文化財
岡山空港からまず行ったのが備中松山城です。現存天守を持つ山城としては最も高く標高430mに聳える。
ミニバスに乗り換えて8合目に行き、そこから頂上まで登る。
見えてきたのが石垣群。天然の岩盤の上に石垣を築き、更に土塀(半分は現存で半分は復元)を建てている。300x450
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現存の天守は江戸時代に建てられたもので二層二階。天守に神棚や囲炉裏が設けられているのは珍しいそうだ。450x300_2
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                              江戸時代に建てられた現存の二重櫓450x300_5
眼下には高梁市の家々が見えている。城主は麓の御根小屋に住んでいた。450x300_6

赤穂城 兵庫県赤穂市、国の史跡。
1661年に完成したが、天守は造営されず天守台のみが残っている。明治時代に建てられた建物はすべて破却される。450x300_8
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                              円形に造られた石垣は珍しいそうだ300x450_2
復元された本丸表門。復元とは設計図があって、当時と同じ建材を用いるなど4つの条件が満たされないと復元とは見なされないそうだ。この門だけでも6億円かかったとか。450x300_10
                                   復元された本丸庭園(国の名勝)450x300_11
寄付によって徐々に復元されつつある途中の石垣。石垣の造り方がよくわかる。450x300_13
                                 復元された大石内蔵助邸長屋門450x300_14
      大石神社 明治時代になってから創建が許され1912年に竣工された450x300_15

明石城 兵庫県明石市、国の史跡。
二代将軍秀忠が西国諸藩に対する備えとして小笠原氏に築城を命じ、1618年に完成。2つの櫓と石垣・堀・土塁が現存。天守台は築かれたが、天守は建てられなかった。

阪神・淡路大震災で大きな災害を受けたが、修理された左・坤(ひつじさる)櫓と右・巽櫓450x269
                                                 坤櫓450x300_16
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                                                   巽櫓450x300_18
宮本武蔵の庭園 宮本武蔵が藩主の命を受けて城内に御茶屋、築山、泉水、滝などを造った。又武蔵は明石城下の町割りを行った。450x300_19

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