« バルト三国旅行(2) | トップページ | バルト三国旅行(4) »

2015年6月27日 (土)

バルト三国旅行(3)

リトアニア③(3日目、4日目)

Photo_3●クルシュー砂州
 世界遺産 もう一つ首都ビリニュスも世界遺産でした。(3日目)
リトアニアの南西部はロシアの飛び地、カリーニングラード州につながる。
地図でよく見ると、リトアニアのクライペダからカリーニングラード州の真ん中まで、細長い砂州が連なりその内側は大きな湖のようになっていて(実際には端っこは陸とつながっていなくて海である)、クルシュー潟と呼ばれる。
バルト海とクルシュー潟を隔てる全長98㎞のこのクルシュー砂州は、先端から約52㎞がリトアニア領、その南西先がロシア領だ。
砂州の幅は400m~4㎞。
本土と砂州の間の潟の幅は一番狭い端は400m、広いロシア側は15㎞もあるらしい。
フェリーに乗って対岸に4分で着く。450x300
砂州の大半は森林ですが、ほとんどが植樹で65%が松。森の伐採により砂漠化が進み集落が砂に埋もれてしまい、植林を保護。450x300_2
階段を上って、バルト海側の琥珀海岸に降りる。砂は白く、バルト海は濃青色。450x300_3
450x300_4
450x300_5
ガイドさんに教えられて琥珀を採取。持って帰っていいそうだ。このような琥珀は小さな袋詰めいっぱいを3ユーロで売っていました。350x233
ウミウのコロニー 5月から9月にかけてやってくるウミウ。その巣の数は4000でヨーロッパで2番目の規模。ユネスコの自然保護区になっている。450x300_6
450x300_7
450x300_8
トーマス・マンは1929年のノーベル文学賞賞金で、この砂州に伝統的な別荘を建て、1930~33年、3回夏を過ごした。クルシュー砂州がドイツ領になっていた時代である。
オドリコソウやハマナスも咲いていた450x300_9
450x300_10
450x300_11

ニダの町(内海側)
猟師町の伝統家屋が並んでいて、燻製屋を見かけ、舟形の風見鶏、世界文化遺産の石碑なども見られた。450x300_12
450x300_13
450x300_14
450x300_15
450x300_16
3_450x300
450x300_17

パルニッシュ砂丘 ニダから先の展望台は国境で、正面はロシア領。砂州の幅が狭く、左は内海(クルシュー潟)、右はバルト海で両方が見渡せる。450x300_19

●十字架の丘(4日目)

クルシュー砂州から帰ってきてクライペダにもう1泊し、リトアニア最後の見学地、シャウレイにある十字架の丘に行った。
1831年、ロシアに対する蜂起で殺されたり、シベリアに流刑された人々を悼むために立てられた。というのも当時のロシアは家庭に十字架を持ち込んだり、道路に立てることを禁止したからである。ソ連時代に入っても軍は何度も倒したり焼き払ったりしたが、そのたびに人々は十字架を立て直した。今ではアメリカやオーストラリアなどから、移民の人々がの地から運んだ十字架を残し、その数、200万とも300万ともいわれる。

              草原の中に突然現れる十字架の丘 450x338
              中央の階段を上って行って振り返る 450x300_20
450x300_21
10_450x300
                     両脇にびっしりと 450x300_22
5450x300
                 上り切ると今度は下っていく450x300_23
                     振り返ると450x300_24
     下り切って右側に行っても左側を回ってもこんな感じに並んでいる300x450
450x300_26

|

« バルト三国旅行(2) | トップページ | バルト三国旅行(4) »

コメント

こんばんは happy01
このような変わった地形があるのですね。
砂州がおよそ100Kmも続くとはスケールが違いますね。
そしてロシアの飛び地がリトアニアの南にあることも驚きました。
海の青さが素晴らしい!
琥珀が拾えて、持ち帰ることができるなんて、いいですね。
漁師町の家屋もヨーロッパ的ですね。
十字架の丘、おびただしいほどの十字架・・・それほどの悲劇があった証拠ですね。
今日も楽しくバーチャル旅行させていただきました。ありがとうございました。

投稿: 慕辺未行 | 2015年6月27日 (土) 18:51

★慕辺未行さま

早速に見ていただき感想をありがとうございました。
行ったことないですが、オーストラリアの東海岸側にも砂が吹き寄せて出来ている島があるようですね。
本当に自然が作り出すものは面白いです。
晴れていたのでバルト海の色がきれいでした。
漁師町も日本とは全然違いますね。

十字架の丘はテレビで見ていたのと随分違っていました。人々の涙の象徴ですね。

投稿: tona | 2015年6月27日 (土) 19:11

tonaさま
カリーニングラード州はプーチンさんの奥さんの出身地だと聞いています。ロシアの拡張癖はどこから来たものでしょうかね。北方領土問題も油断なりません。どうもつい余計な話になってすみません。

投稿: evergrn | 2015年6月28日 (日) 11:28

★evergrnさま

ありがとうございます。
そうだったのですか。初めて知りました。
evergrnさまのブログで音楽家のお話のなかでドイツ領だった頃のポーランドだか、カリーニングラードかが出てきたように思いましたが記憶が確かでないです。ドイツとロシアにもてあそばれたこれらの国々は大変だったのですね。
北方領土は永久に戻らな様な気がしてなりません。

投稿: tona | 2015年6月28日 (日) 15:12

こんにちは。綺麗な青空ですね。
琥珀を採取できるんですか。
良いお土産になりましたね。

投稿: 多摩NTの住人 | 2015年6月28日 (日) 20:47

★多摩NT住人さま

おはようございます。
あちらの空は晴れるととても綺麗です。人口密度が低いためでしょうか。
9つばかりもらってきましたが、細工する能力がないのが残念なとことです。
細工したペンダントも購入してきました。

投稿: tona | 2015年6月29日 (月) 08:20

ほめ・くさんの写真と合せてみてると面白いです。
なるほど十字架の裏側はこんなだったか、とか。

投稿: 佐平次 | 2015年6月29日 (月) 09:17

★佐平次さま

私もお陰様で自分で写していないところを拝見出来て楽しんでいます。
感じ方も人それぞれですから、一つの旅が人によって全然違う旅にもなる可能性もあって、勝手にこんなものと決めてはいけないものです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2015年6月29日 (月) 09:21

おはようございます
 
面白い地形と自然。澄んだ青い空と濃青色のバルト海が印象的です。
砂洲で砂の中から琥珀を拾われましたか。ということは大昔は
現在とは違う景色が広がっていたのでしょうね。
十字架の丘、チラリとは知っていましたが、詳しいことは何も…
今回拝見しながら、たくさんの人々の想いの集まりに、
胸が重く切なく苦しい、ちょっと怖いような?気持ちになりました。


投稿: ポージィ | 2015年6月29日 (月) 09:50

★ポージィさま

こんにちは。
バルト海のこの当たりは昔は陸地だったのでしょうね。
今は絶滅してしまったマツ科の針葉樹のマツヤニから出来たそうですね。
それにしても、サンクトペテルブルグの宮殿の「琥珀の間」の琥珀も半端でないし、今もこうして流れ着くということは、バルト海沿岸はジャングルのように松が生えていたのでしょうか。
十字架の丘は私も今回の行ったところでは一番印象深かったです。この国の人々の涙の結晶のような丘です。理不尽に命を奪われてしまった人々が多かったのですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2015年6月29日 (月) 11:16

目まぐるしく入り組んだ地形ですね、でも面白い!
砂州の広がる海も素晴らしいです、白いのはハマナスでしょうか。
琥珀、拾われましたか。
余談ですが、以前ロッキー・マウンテンへ登りました(4084mと3600mに)
山道で各々が綺麗な石を拾い、1人の友達は百均で鎖を買ってペンダントを手作りに…
tonaさんも記念にされたら良いですよね。
トーマス・マンが住んだこと、知りませんでした。
風見鶏がカッコイイ、外国は看板も見映えがいいですね。
ユーロがいまいち値段不明にて・・・

投稿: だんだん | 2015年6月29日 (月) 17:36

★だんだんさま

砂州にはピンクと白のハマナスがたくさん咲いていました。
十字架の所にも白い花が見えますでしょうか。これはオドリコソウでその下方にワスレナグサがびっしりと咲いていました。
えっ!ロッキーマウンテンへ登られたのですか。素晴らしかったでしょう。私は見ていただけでも感動しました。
ペンダントを作られたご友人すご技ですね。9つしか無いですしもてあましています。

ドイツ人のトーマスマンが何故?と思ったら、その時はここはドイツ領だったのですね。
舟形の風見鶏は以前は漁船の柱につけていたそうです。本当に看板が素敵でザルツブルグではそればかり撮っていました。センスが日本とはまた全然違いますね。
ギリシャが大変なことになりました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2015年6月29日 (月) 18:47

前回のコメントに関してですが、あのモノクロ映画は
アメリカでやはり作られたものでしたか。
題名は忘れましたがよく記憶しています。

この砂州で撮影されたと思われる映画があり、
その題名は「ベニスに死す」でしたが、原作は
トーマス・マンなので、ついそう思ってしまいました。
これもモノクロ映画でした。

それにしてもシベリアの流刑は日本だけかと
思いましたが世界中に被害者がいるのですね。
ひどい国です。

投稿: matsubara | 2015年6月29日 (月) 19:34

★matsubaraさま

『ベニスに死す』はト-マス・マンだったのですね。今回この別荘で知りました。
この映画はベニス・リド島で撮影されたと思っていました。この砂州で撮影されても違和感はありませんが。

リトアニアを脱出した後、チェコやプロイセンなど転々と領事館で働き、1946年にはルーマニアのブカレストでソ連に拘束された後、4カ月かかって一家でシベリア経由で1947年に帰国しています。シベリアに抑留されなくて良かったです。
ソ連のシベリア抑留はヨーロッパ側も多かったようですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2015年6月29日 (月) 20:48

琥珀海岸、クルシューの砂州。琥珀海岸の白い砂と、
バルト海に広がる濃青色のコントラスト。
想像しただけでも圧倒されますが、
実際に自分の目で見たらどうなのか、言葉がありませんね。
遅まきながら、バルト三国についていろいろ調べたり
しています。勉強になります。

投稿: 茂彦 | 2015年7月14日 (火) 16:03

★茂彦さま

バルト三国について勉強までしていただいて感謝です。
コメントもありがとうございます。
バルト三国のツアーにはクルシュー砂州が入っていないのもありますので、入っているコースを選びました。
北海道の野付半島はここの四分の一の26kmだそうです。
そして天橋立も小さな砂州のようなものですね。
白い砂の海岸は私には珍しかったです。

投稿: tona | 2015年7月14日 (火) 16:27

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/146506/61802191

この記事へのトラックバック一覧です: バルト三国旅行(3):

« バルト三国旅行(2) | トップページ | バルト三国旅行(4) »