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2015年7月30日 (木)

さつまいもジャム

(株)サンクゼールの「さつまいものクラシックジャム」を娘からもらいました。ちょっと酸っぱ味とプルプル感はないけれどパンに塗ると美味しい。
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軽井沢の沢屋では50種類のジャムを売っていますが、他の会社のも合わせると40種類くらい食べました。自分で作ったのでは以前書きましたが、イチジクとキウイが美味しかった。頂いたザクロもなかなかです。ペクチンと糖類、酸類(クエン酸、酒石酸、リンゴ酸)があれば何でもジャムになりそうです。

あと残り10種も死ぬまでに味わいたい。 
アカシアの花、クルミバタークリーム、グースベリー、スイートコーンバタークリーム、さるなし、地梨、なつはぜの実、ペア・ジンジャー、レーヌクロード、レッドカラントなど
その他、バナナ、パッションフルーツ、ジャガイモ、セロリ、人参、カボチャなどもあるらしい。

<薬用植物園の夏の温室の中> 赤っぽいのが多かった。

     シャムの舞姫(グロッバウィニティー)(ショウガ科)。タイ原産。
     紅紫色は苞で黄色いのが花でネーミングも形も実に面白い花!300x450
            ジャワケイヒ(クスノキ科)芳香性健胃、発汗450x300
               マツリカ(モクセイ科)茶の賦香料450x300_2
                 シクンシ(使君子)駆虫剤450x300_3
             トウワタ(ガガイモ科)根を吐根の代用とする450x300_4
                 ハナチョウジ(ゴマノハクサ科)300x450_2
           イキリウム・ランケオラーツム(シキミ科)有毒450x302
         インドジャボク(キョウチクトウ科) 鎮静、催眠、血圧降下450x300_5
                 サンゴ花(キツネノマゴ科)450x300_7


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2015年7月27日 (月)

真夏の薬用植物園

東京都薬用植物園を、暑いのでちょっとだけ覗いてきました。

名札には用途が書いてありますが、いつもいつも殆ど無視です。その昔薬剤師になりたいなんて思った志が皆無になって、一瞬ですがちょっぴり悲しくなります。

でもこの日は「ニチニチソウ」だけしっかり写真に撮ってきました。5種類が猛暑の中、元気に咲いていました。ビンクリスチンが白血病等の抗がん剤の製造原料になるのだそうです。漢方でない薬は化学的に作られるのか、はたまた化学的に作ることが出来ない成分は薬用植物から抽出して使うのか、知りたいところです。450x300
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漢方薬と言えば、名前も失念した黄色の苦い胃薬をオブラートに包んで飲み続けて胃弱が普通になってきたと喜んでいた矢先、なんと咳き込んで飲めなくなり、廃棄しました。
その代り、この暑い夏を乗り切るため、14種の生薬が入っている養命酒を飲んでいます。効果があるといいのですが。

                            フジマメ(マメ科) もう豆が出来ている450x300_3
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                       ミッキーマウス(オクナ科) こちらも花と実が同時450x300_5
                                     ハイビスカス(アオイ科)450x300_6
                               コガネバナ(シソ科):消炎解熱450x300_7
   ミソハギ(ミソハギ科) 盆花で仏前の供物に禊ぎをする:急性腸炎、下痢止め450x300_8
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                         クマツヅラ(クマツヅラ科):皮膚病、腫物450x300_10
                        ハエドクソウ(ハエドクソウ科):蝿取紙に使った450x300_11
                                     オランダセンニチ(キク科)450x300_12
                                        ヒモケイトウ(ヒユ科)450x300_13
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                                       スギモリケイトウ(ヒユ科)300x450
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                                   ルコウソウ(ヒルガオ科)有毒450x300_16
                              ウマノスズクサ(ウマノスズクサ科)有毒450x300_17
                             フサフジウツギ(フサフジウツギ科)有毒450x300_18
                                センニンソウ(キンポウゲ科)有毒450x300_19
                        パイナップルリリー 別名ユーコミス(ユリ科)300x450_2
暑いさなか、思ったより沢山の花が咲いているのに感動しました。

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2015年7月23日 (木)

椎名誠の「活字四部作」

サルコペニア 筋肉量が落ちて、転倒・骨折する状態
フレイル   病気一歩手前の虚弱な状態
と覚えられないような言葉を昨日新聞で知りました。両方ともまさしく自覚したこの頃で、気合を入れたいところですが・・

何ということ!ミシンが壊れてしまいました。最初足踏みミシンが10年で、この電動ミシンは40年。
もう洋裁はしないけれども、繕いや台布巾作りなどに便利。壊れたので、男物のズボンのすそ上げを手縫いでして随分時間がかかってしまい、何と不便なこと。
買おうか迷って、買わないことにしました。粗大ごみシール600円を貼って、今朝の収集で「さよなら」をしたところです。

岩波新書の椎名誠の「活字四部作」
1987年『活字の大サーカス 面白本大追跡』
1998年『活字博物誌』
2003年『活字の海に寝ころんで』
2010年『活字探検隊 めざせ、面白本の大海』

うち1冊目を除いて3冊を一気読みしました。
新しい本ではないが、椎名さんはこんなに面白い本を、幅広い分野に渡って紹介していたのですね。

のっけから『ガリバー旅行記』について、ガリバーの排泄物が小人国の住人にとっては345㎏になるなどと考察していて、大人になって読んでみても、普通の人はそこまで読み切れないでしょう。
100年前に書かれた21世紀の予言本も当たりすぎで面白い。
『ロビンソン・クルーソー』『十五少年漂流記』などの小説だけでなく漂流者の実話がたくさんあることに驚きです。海、無人島、南極などが圧倒的に多い。
世界にはこんなものまで食べると驚く紹介本も多い。特に中国の話がこれでもか、これでもかと凄いし、イヌイットの寄生虫を食べる話にも驚く。
辺境の食卓のチベットやアマゾン、砂漠、漂流者の食事も。世界の40%が手食で、箸、フォーク・ナイフがそれぞれ30%という。手食の多さにこれまたびっくりだ。
住に関してもいろいろな本から、人間どこにでも住んでしまうことがわかる。
いろいろな恐怖症の話。ヒルや蚊やその他の恐ろしい虫の話。菌類では古今東西膨大な話が広がる。
日本の特異性に関しては
・中島義道著『うるさい日本の私』
・自販機王国日本の話では、なぜ外国にないかがよくわかった。
・「イルミネーション・ニッポン」や照明に関してもなんとたくさんの本があることか。
・スリッパの話。
博物誌に関する本の多さ、面白さ、一たび読めば嵌りそう。
エネルギー、水問題の本の内容は恐ろしい。特に子孫に。

など多岐にわたる本の紹介本で、全部読んだ気持ちになり、大変ためにもなりました。

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2015年7月20日 (月)

富士山すそ野一周ウォーキング10

6/4(木)快晴  すそ野ウォーク第10回は「白糸の滝~田貫湖」20526歩

2_650x562_2前回9回目なのに「8」書いてしまい失礼しました。この10回目はバルト三国へ行く3日前の話であります。

9回目以降、今回10回目もバスは中央高速を通り、河口湖から富士山を反時計回りに走り前回の白糸の滝に着き、そこから時計回りに田貫湖に向かって歩き始めました。

          中央高速からの東北側の富士山には6/4まだ雪がありました450x300
               西の方へ回って朝霧高原あたり空の富士山にもまだ雪が450x127
                白糸の滝付近からの富士山450x316
歩き始めると1ヶ月前とはまた違ったお花が咲き、道端には園芸種まで植えられていました。
                                           ユキノシタ450x300_2
                                                   ニゲラ450x300_3
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                                              マタタビ450x300_6
                                          ハナイカダの実450x300_7
                                           フタリシズカ450x300_8
                                        トリアシショウマ?450x300_9
                                               ヤブレガサ450x300_10
                                          ナワシロイチゴ450x300_11
                                            コアジサイ450x300_12
                                         昼食(富士宮市)450x300_13
                                       ここからの富士山450x300_14
お店のすぐ横に陸軍少年戦車兵の教官、生徒六百有余を祭神として祀る、若獅子神社がある。以下Wikipedia による。
この地には昔、陸軍少年戦車兵学校があったのです。
昭和40年(1965年)12月、陸軍少年戦車兵学校の跡地に戦没同窓生の慰霊・顕彰のため若獅子の塔を建立したのを起源とし、昭和59年(1984年)10月に神社を創建したそうなのです。450x300_15
         若獅子の塔 「若獅子」とは、戦時中の少年戦車兵の愛称である。300x450
安置されるサイパン帰還戦車
機甲部隊の主力としてサイパンの戦いにて使用された九七式中戦車(チハ車)が置かれている。昭和51年(1976年)夏に発見されたこの戦車は、戦後30年余りが経ち、この地に安置された。サイパンの戦いで戦死した40余名の少年戦車兵への追悼の願いが込められている。
車体には貫通した弾の跡が各所に見られ、激戦の跡を物語っている。発見時、車内から二振の日本刀と人骨が発見された。人骨はその後の調査で、戦車第九連隊第三中隊砲手 鈴木正軍曹と判明され、遺族に返還された。
なお、同じく戦車第九連隊所属で、同時期に帰還したもう1輌は現在、靖国神社の遊就館に修復され展示されている。450x300_16
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                                            ホタルブクロ450x300_18
イタチハギ(マメ科イタチハギ属)・・あまりきれいな花とは言えない。黒紫が涸れたような茶色に見えて葯も黄色だから。初めてです。
北アメリカ原産の落葉低木(2~5m)崩壊地や河原に野生化。
長さ6~20㎜の穂状花序を数個伸ばし、長さ8㎜の黒紫色の花を多数付けているのである。450x300_19
途中、天子の森キャンプ場がある。天子ヶ岳の麓の小川に沿ってあって、ニジマス釣りが楽しめるところ。450x300_20
午後1時半頃田貫湖に到着した。
長者が岳の麓にある周囲4㎞の、農業用水として造られた人造湖。4月20日と8月20日前後の1週間は、湖面に映るのと一緒にダブルダイヤモンド富士が見られるビュー・スポットだそうだ。また冬の夕映えに赤く染まる紅富士の逆さ富士は見事だそうだ。450x300_21
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ガイドの先生によるとミミガタテンナンショウということで、これにも初めて出会えた。300x450_2
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                             西湖 このほとりの温泉に寄りました。450x300_26

11回目は7月、12回目は8月でとても暑くてパス、完歩したいですが、ここを歩けるのはいつになるやら。

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2015年7月16日 (木)

ハマユウの花が遂に咲く!

2006年10月に四国駆け足旅行をしたとき、高知県のどこかでいただいたハマユウ(浜木綿)の種。
播いてから9年目、1昨日(7/14)にやっと花が咲きました。ずっと待っていましたよ。ある時、夫が捨てそうになったときはあわてました。
白いけれど、彼岸花に似た咲き方だと、調べてみたらヒガンバナ科の多年草でした。今年いきなり花茎が伸びて90㎝位の高さになりました。

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名の由来は浜辺に生え、コウゾなどから作った白い布(ゆう)に似ていることから付いた。
別名のハマオモト(浜万年青)は葉がオモト(万年青)に似ていることから付いた。
花弁6弁の中心に雌しべが、周りの6本の雄しべの先端の方は赤い。

                    7/14遂に咲いた714_450x300
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種は出来るのであろうか?出来たとして播いたらその9年後。もう生きていない可能性大。残念。
近所に葉がまったくそっくりの「インドハマユウ」が咲いています。そちらの花はヒガンバナのようでなくユリの花にそっくりです。


暇なので鬼百合がどのように開いていくのかを観察してみました。

                 まず1枚の花弁が開いて 

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                片側の3枚が最初に開く場合と714_450x300_2
                                        一つ置きに開くものあり714_450x300_3
                    最後の1枚が残って714_450x300_5
そして翌日全部反対側に反り上がった、今日は台風の風に身を任せて頑張って咲いている。別段法則なんてはないみたい。714_450x300_7


昭和記念公園でアンケートに応じたら、マリ-ゴールド、サルビア、ペチュニアの種を頂いた。
あまり発芽しない。サルビアは3本くらい、ペチュニア0、マリーゴールドは1本だけ。
マリーゴールドだけハマユウたちと同時に1つだけ超小さな花を付けました。こんなのでもささやかな喜びを感じました。714_300x450
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2015年7月13日 (月)

宮田珠己著『だいたい四国八十八ヶ所』

ごく最近の新聞に、中国貴州省の田舎で、14歳の男の子と3人の弟妹が農薬を飲んで自殺したとありました。(漢民族らしいのにこの辺りは一人っ子政策ではないのか?)
母親は既に家を出ていて、父親は出稼ぎに行ったまま帰らず、子供たち4人で暮らしていたけれども、生活が出来ず、兄が死を選んだようです。大都会には富裕層が4000万人もいて、海外旅行や日本での爆買いなどいろいろ話題になっている一方、こんな悲しい田舎の極貧の暮らしがあって差が甚だしい。
アフリカでも飢えた子供が多いと聞くし、あちこちで戦火に怯える子供もいます。
日本でも昔は子供を間引きしたり、売ったりがありましたが、今はここまでの話は聞きません。
しかし最近話題になった戸籍のない子供の貧困、難病の子供、DVに苦しむ子供、あるいはいじめに遭って自殺など苦しんでいる子供など他にも考えると沢山不幸な子供がいることは事実です。
そうではあっても、中国のこの子供たちの話はとても哀れを誘いました。

宮田珠己著『だいたい四国八十八ヶ所』

例の『スットコランド日記』を書いた人です。
昨年だか四国霊場開創1200年を迎えています。
だいたいといっても、全部まわれなかったのではなく、物見遊山がなどがいろいろ加わってしまって巡礼一筋ではないためのようです。
<意味を考える前に計画を立て、結論が出る前に出発してしまう>というのが著者のやり方。
信心もなく、供養というわけでもなく、自分の人生をじっくり考えなおすという目的もなく、ただいっぱい歩いて全部回ってみたいという理由だけで歩き遍路に飛び出してしまった。
四国巡礼と言えば、以前大田区にある川端龍子の「龍子記念館」で、四国遍路の、札所で詠んだ俳句と画をじっくり見たことがある。
大変だったのだろうなあという感想で、大師信仰もなく、室戸や足摺などのあたりの歩きも自信がなく、行ってみたい心はあったけれどもあきらめた私。それがこの本を読んだら、すっかり全部歩いた気にさせられ、行ってきたも同然だ。だから行かない。
著者は足にマメを作って1歩踏み出すのさえ困難、難所や台風に遭いながらも、出会う人々と苦しみや楽しみを分かち合い、カヌーで下ったり、海に潜ったり、絶望的につまらない街道を歩いたり、美しい美しい景色に感動したりと、とうとうやり遂げたのだった。
著者独特のおかしみと八十八ヶ所のお寺の描写に惹きつけられた本でした。面白かった!

著者が本の中のどこかで、「婆」、つまりおばあさんはどうして波に関係あるのか?と疑問を呈していたが、7月10日付の新聞記事に理由が書いてありました。
「人生の荒波を何度もかぶって女は婆になる」という意味か?という質問に答えてです。
そうではなくて、古代中国で、おばあさんのことを「ブア」と言ったため、それに近い「プア」の音をもつ「波」を用いて「婆」の字を作った・・・とありました。

                  今年も1回だけ堪能しました71_330x220
                   ヒオウギズイセン満開78_360x240


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2015年7月 9日 (木)

ゲイブリエル・ウォーカー著『命がけで南極に住んでみた』

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本土とモン・サン・ミシェルの間は車や人が通るために土手が築かれていました。
それが、新橋が誕生した。この写真を見て一瞬「う~ん?」でした。
この橋のお陰で自由に潮が行き来するようになったため、長年問題になっていた陸地化に歯止めがかかったそうだ。

ゲイブリエル・ウォーカー著『命がけで南極に住んでみた』
想像を絶する過酷な環境の南極。そこでいろいろな仕事をしている学者たちの中に潜入してレポートを書く著者。それにはその生活を共に体験し、あるいは仕事に参加しながら長期滞在しなければならない。そんな中でいろいろなことを学ぶ著者。想像していた南極の別の面がたくさん紹介される面白い本です。
世界各国の人々は其々の基地で実に様々な研究をしているのです。ペンギンの研究はもちろん、深い深い氷の中の研究、極地における天体観測、南極全体の地理的探検、地球の歴史も探るなどの奥深い観察の他、過去のクックやアムンゼンやシャクルトンらの探検が如何に偉大であったかを挟んで、より一層南極の厳しさを解説していく。
中には次のような記述もあって面白い。
そこに地球最強の生き物「クマムシ」がいます。1㎜足らずの体長で8本の太い足を持った動物で-273.15度に耐え、煮沸にも、乾燥にも、放射能を浴びせても生き延びるという。
南極点は儀式的なものと本ものと2つの目印があるそうだ。
又南極にはあちこちに礼拝施設があるけれども、ロシアのネギ坊主のドームが聳えたつ教会はミスマッチだが、荘厳さを賛美するという目的で造られ、専従の司祭がいるという。
彼女の気力、体力は並々ならぬものがって、探究心からこんな極地に引き込まれ、何度も赴き、想像していたのとまた違う南極を世界に紹介するという偉業を成し遂げたことになります。

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栗の実がもうこんなに大きくなっていました。19年前には既にありました。
♪大きな栗の木の下で あなたとわたし~~と歌いたくなる木です。
以前長野に旅したときに、リンゴの木が実をたわわに付けていました。ガイドさんが「リンゴの木1本に何個くらい実が付くと思います?」という質問の答えが1000個ということで驚いた覚えがあります。
そこで栗に実はどのくらいと検索してみたら、1本で250個くらいだそうです。寿命は600年。
実はこの木になった栗を毎年いただいているのです。
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クレオメが最初の花を付けました。思うに最初はとても色がきれい。これからだんだん下に咲いていって、最初の花がどんどん種になります。

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2015年7月 6日 (月)

バルト三国旅行(6)

エストニア②(7、8日目)

Photo●タリン エストニアの首都で世界遺産 の町。 人口は40万人で国民の約3分の1が住んでいる。

【トームペア】
タリンの町は13世紀初めトームペアに上陸したデンマーク人が丘の上に教会を建てたところから始まる。(タリンの町の西南の突き出た部分なのです)
その後ハンザ同盟の一員になり、14世紀にはドイツ騎士団による都市建設が本格化し、中世ドイツの町並みが今も残る。

トームペアの丘の展望台からの眺めです。雨に煙っている。教会の塔がたくさん見える。Photo_2
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トームペアには代々の支配者が住んだトームペア城がある。ロシア女帝カテリーナ2世が改築し、今は国会議事堂に。450x300_3
             城の南側を守る塔の「のっぽのヘルマン」300x450
向かいにあるのがロシア正教会のアレクサンドル・ネフスキー聖堂。ドームが玉ねぎ型。十字架にイスラム教を表す三日月マークがついている。450x300_4
エストニア大聖堂は本土では最古の教会。教会でもあり墓所でもある。壁には無数の墓碑銘や紋章、墓標、石棺があり、床には墓石があった。300x450_2
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ハンザ同盟で豊かになったタリンだったが、16世紀のリヴォニア戦争で繁栄は終わり、スウェーデン、ロシアと続く支配者の時代には要塞都市としての性格を強め、そしてソ連の占領による閉塞の50年も経験したのである。

【タリン郊外】
郊外に「歌の広場」がある。
1988年9月11日、エストニア各地から30万人以上(民族人口の約3分の1)の人々がここに集い、独立への思いを歌にした。”歌いながらの革命”といわれたバルト三国の独立運動が大きな一歩を進めた瞬間だった。
5年に1度のエストニア最大の祭り、歌と踊りの祭典で最後に歌のコンサートが開かれるステージ。人間の鎖といい、歌の祭典といい、独立に向けての人々の情熱を今回知った。450x300_6
昨年2014年にも民族衣装に身を包んだ約33000人の歌い手と10万人以上の聴衆が集まった。(パネルより)450x300_7
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広場を見つめるグスタフ・エルネサクシュの像。第二の国歌「我が祖国わが愛」を作曲した、指揮者でエストニアの父とも言われる。300x450_3
歌の広場の近くにカドリオル公園がある。北方戦争後、バルト地方を手に入れたロシアのピョートル大帝が妃エカテリーナのために離宮と公園を造らせた所。450x300_9
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【旧市街】

一番北側の「ふとっちょマルガリータの塔」から入る。
この塔が監獄に使われていた頃、囚人の食事を切り盛りしていた太ったおかみさん、マルガレータの名を付けた。囚人たちから尊敬と畏敬の念をもって慕われていた。450x300_14
三人姉妹
15世紀の住宅の集合体。ファサードの雰囲気が女性的な雰囲気だったので呼ばれた。上部にはクレーンが設けられ、屋根裏の倉庫に物品を引き上げられるようになっていた。300x450_4
聖オレフ教会 塔が124mもあって旧市街で最も高い。巨人が建てたという伝説が伝わるいわく因縁の教会。一瞬晴れてまた曇る。300x450_5
ブラックヘッドの会館の門。 リガと同じくエチオピア生まれの聖人マリティウスが守護聖人で同じような内容の教会。300x450_6
大ギルドの会館 タリンで最も古い(1410年)建築の一つ。赤地に白十字は大ギルドの紋章。450x300_15
旧市庁舎 ここで大雨になって雨宿りしたことだけが記憶に残る。北ヨーロッパで唯一残るゴシック様式。450x300_16
聖ニコラス教会
パイプオルガン(4711本)コンサート中だった。この教会には「死のダンス」があるので有名。法王や国王が死者とダンスをする図柄が、15世紀当時よく描かれたが、現存するものはとても少ない。どうしてこんな絵が描かれるようになったのでしょう。450x300_17
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          主祭壇は二重の観音開きでモニターで確認できた450x300_19
城壁
三角屋根の塔を並べ旧市街を取り囲む約2.5㎞あった城壁は、現在1.85㎞残る。一部登って歩くことが出来る。(西側のもの)450x300_20
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           東側のヴィル門から正面に見えるホテルに帰る450x300_24
食事はスープでなければサラダ、メインにデザートと変化に富んでいて欧州では美味しい方であった。

緑が多く、建物、町並みも美しく、ゴミも落ちていなくて清潔。電線があまり見当たらず、勿論看板もなくどこをみても景色が素晴らしい。どぎつい感じがなにもなく、さらっとして歴史に翻弄されたという感じは、表向きは今はみじんも感じられない。EUの一員として三国共に頑張ってほしい。

長くなりましたが、最後まで見ていただいてありがとうございました。

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2015年7月 3日 (金)

バルト三国旅行(5)

エストニア

Photoバルト三国の一番北側にあり、フィンランド湾に面している。フィンランド湾の一番奥がロシアのサンクトペテルブルグである。対岸のフィンランドまでは約90㎞である。北海道の約60%の面積でラトビアとほぼ同じ。人口は約132万人。エストニア人69.1%、ロシア人24.8%、ほかにウクライナ人、ベラルーシ人。宗教はエストニア人の殆どがプロテスタント。ほかにロシア正教。国連の分類では北ヨーロッパに入る。
IT産業の進出も多くソフトウエア開発が盛んで、経済的には三国の中で抜きん出ているということだ。

エストニアには島が1500もある。大きな地図で見ても10位しか確認できない。
リガを出てバスはエストニアに入り、3番目に大きいムフ島へフェリーで渡って見学し、その後土手でつながった1番大きいサーレマー島へ渡って、見学、宿泊し、翌日また島を見学し本土の首都タリンへ向かった。

●ムフ島(6日目)
朝7時に出発したバスはエストニアのヴィルツ港に11時過ぎに着いた。ムフ島までフェリーで30分。この島の広さは山手線の内側の3倍くらいで、石灰岩の一種ドロマイトで出来ている島だ。

コグヴァ村を散策
19世紀からの古民家に定住するのは10人だけ。茅葺屋根も多い。

大きなライラックがあちこちに。この後、本土のエストニアにもたくさん咲いていて、ライラックの国と呼びたいほどだった。450x300
                 住人を一人だけ見かけた450x300_2
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石垣の上には引退した古い木舟が逆さに保管されているが、これは夏至の日(6/13だったのであと8日後)に焼いて天国へ送るそうだ。450x300_9
●サーレマー島(6、7日目)
淡路島の5倍くらい。13世紀からドイツ騎士団、16世紀にデンマーク、17世紀スウェーデン、18世紀ロシア、1940年代からソ連と支配者が入れ替わり、ソ連時代にはエストニア本土の人々は許可がないと島へ入ることが出来なかった。

              サーレマー島へ。 寂しげな風景である。450x300_10
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【クレッサーレ城】(6日目)
修道院型と呼ばれる正方形の典型的な騎士団の城で堀に囲まれている。14世紀後半に僧正によって建てられた。城の内部は迷路のように複雑に入り組んでいるのです。隠し階段とかもある。中庭に面して回廊もある。450x300_12
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  リュートを弾いている女性。まるでフェルメールの絵から抜け出てきたようだ。450x300_18
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歴史的建造物の中には必ずエンブレムがたくさん飾ってあって、実に凝っている。
早稲田の講義を受けている仲間の一人にイギリスの紋章学会の会員だという人がいたけれども、どんな勉強をしているのだろう。450x300_20

【アングラ風車群】(7日目)この日から2日間、遂に青空が見えなくなった。四分の三は快晴だったのでラッキーだった。
20世紀初頭にはサーレマー島内には約800基もの水車があったそうだが、現存するのは、ここアングラ地区に5基のみ。全て製粉用の木造風車。5基のうち丸い頭の風車1基がオランダ式で、屋根の部分が回り、風向きによって調整する。残り4期はエストニア式で、小屋全体を手動で回せるつくり。450x300_21
                    エストニア式450x300_22
                      オランダ式300x450_2
                      風車内部450x300_23
                  ゲンペイコギクが花盛り450x300_24
                    シチメンチョウ450x300_25
                        羊450x300_26

ここを見学した後、来た道を戻り、本土に11時半頃着き、そこから首都タリンへは1時間半で到着した。
エストニアも山がなく、ただただ真っ平らな平野を走って行ったのでした。450x300_27
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