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2015年7月 3日 (金)

バルト三国旅行(5)

エストニア

Photoバルト三国の一番北側にあり、フィンランド湾に面している。フィンランド湾の一番奥がロシアのサンクトペテルブルグである。対岸のフィンランドまでは約90㎞である。北海道の約60%の面積でラトビアとほぼ同じ。人口は約132万人。エストニア人69.1%、ロシア人24.8%、ほかにウクライナ人、ベラルーシ人。宗教はエストニア人の殆どがプロテスタント。ほかにロシア正教。国連の分類では北ヨーロッパに入る。
IT産業の進出も多くソフトウエア開発が盛んで、経済的には三国の中で抜きん出ているということだ。

エストニアには島が1500もある。大きな地図で見ても10位しか確認できない。
リガを出てバスはエストニアに入り、3番目に大きいムフ島へフェリーで渡って見学し、その後土手でつながった1番大きいサーレマー島へ渡って、見学、宿泊し、翌日また島を見学し本土の首都タリンへ向かった。

●ムフ島(6日目)
朝7時に出発したバスはエストニアのヴィルツ港に11時過ぎに着いた。ムフ島までフェリーで30分。この島の広さは山手線の内側の3倍くらいで、石灰岩の一種ドロマイトで出来ている島だ。

コグヴァ村を散策
19世紀からの古民家に定住するのは10人だけ。茅葺屋根も多い。

大きなライラックがあちこちに。この後、本土のエストニアにもたくさん咲いていて、ライラックの国と呼びたいほどだった。450x300
                 住人を一人だけ見かけた450x300_2
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石垣の上には引退した古い木舟が逆さに保管されているが、これは夏至の日(6/13だったのであと8日後)に焼いて天国へ送るそうだ。450x300_9
●サーレマー島(6、7日目)
淡路島の5倍くらい。13世紀からドイツ騎士団、16世紀にデンマーク、17世紀スウェーデン、18世紀ロシア、1940年代からソ連と支配者が入れ替わり、ソ連時代にはエストニア本土の人々は許可がないと島へ入ることが出来なかった。

              サーレマー島へ。 寂しげな風景である。450x300_10
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【クレッサーレ城】(6日目)
修道院型と呼ばれる正方形の典型的な騎士団の城で堀に囲まれている。14世紀後半に僧正によって建てられた。城の内部は迷路のように複雑に入り組んでいるのです。隠し階段とかもある。中庭に面して回廊もある。450x300_12
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  リュートを弾いている女性。まるでフェルメールの絵から抜け出てきたようだ。450x300_18
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歴史的建造物の中には必ずエンブレムがたくさん飾ってあって、実に凝っている。
早稲田の講義を受けている仲間の一人にイギリスの紋章学会の会員だという人がいたけれども、どんな勉強をしているのだろう。450x300_20

【アングラ風車群】(7日目)この日から2日間、遂に青空が見えなくなった。四分の三は快晴だったのでラッキーだった。
20世紀初頭にはサーレマー島内には約800基もの水車があったそうだが、現存するのは、ここアングラ地区に5基のみ。全て製粉用の木造風車。5基のうち丸い頭の風車1基がオランダ式で、屋根の部分が回り、風向きによって調整する。残り4期はエストニア式で、小屋全体を手動で回せるつくり。450x300_21
                    エストニア式450x300_22
                      オランダ式300x450_2
                      風車内部450x300_23
                  ゲンペイコギクが花盛り450x300_24
                    シチメンチョウ450x300_25
                        羊450x300_26

ここを見学した後、来た道を戻り、本土に11時半頃着き、そこから首都タリンへは1時間半で到着した。
エストニアも山がなく、ただただ真っ平らな平野を走って行ったのでした。450x300_27
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コメント

コメントしなくちゃ、と思ってるうちに。
ラトビアからエストニアに出発されちゃいました!
首都リガの建造物に、ため息つきながら拝見しました。

で…長くなるのでエストニアに致しますねcoldsweats01
1500もの島があるのも驚きです。
少数になったとはいえ、ネイティブの人が茅葺の家に住んでいるんですね。
実家は藁屋根でしたが、使う道具などは似ていて懐かしいのです。
オランダ式、エストニア式の風車も面白い。
現役で粉挽きしてるし…
次へ行く道中は、ただ平原地帯が続く…これは外国でいつも思います。
何処までも同じ景色でね~
タリンはどんな街でしょうね。
忘れっぽい私と違って、しっかり覚えてらして感心しました♪

投稿: だんだん | 2015年7月 3日 (金) 13:38

★だんだんさま

ありがとうございます。
なかなか終わらず読んでいただくのも申し訳ないなんていう心境になってまいりました。

そうです。エストニアにだけには島がこんなにあるそうで、どこどこ?と大きな地図を広げてしまいました。最も日本にも6847も島があるそうで、地図ではそんなに見えませんものね。

ご実家はあの懐かしい藁屋根なのですか!
向井潤吉の絵を彷彿とさせますね。

風車はオランダに比べて小ぶりでしたが、エストニア式が見られて、しかも中が見物出来てとても面白かったです。

いつもどこかで山を見る日本人では、ずっとこんな平原の国には住めないなあと思ったりしました。
あと1回もよろしく願いいたします。

投稿: tona | 2015年7月 3日 (金) 15:32

tonaさま
オランダで観た風車群と何かがちがうと思いましたら、水路などの水辺でなく平地にあるのですね。用途が違うということでしょうか。

投稿: evegrn | 2015年7月 3日 (金) 16:07

★evergrnさま

オランダ風車は降って流れ込んで溢れる水を水路に流しているそうですが、こちらは粉を挽いたりしたらしいですよ。
今はどちらもお役御免で飾りですが、いい風景ですね。

投稿: tona | 2015年7月 3日 (金) 20:15

こんばんは happy01
今日も見知らぬバルト三国のバーチャル旅行にやってきました (*゚▽゚)ノ
タリンはエストニアの首都でしたか?!
ヘルシンキからフェリーが出ていました。
茅葺の屋根の家がヨーロッパにもあるのですね。壁は石造りで、そこが日本とは違いますね。
茅の上に並んでいる木材を見ると、日本の神社を連想します。
少し共通点がありますね。
お城の中、はじめは廃墟の様なイメージでしたが、しかしお城らしい空間もありそこでリュートを弾く女性・・・素敵ですね。
風車の違いも興味深いです。
いやはや今夜も楽しく旅させていただきました (*^-^)
ありがとうございました。

投稿: 慕辺未行 | 2015年7月 3日 (金) 22:04

★慕辺未行さま

またまたありがとうございます。
次回タリンで終わりますのでまたよろしくお願いいたします。
よその旅行者はヘルシンキから船でタリンに入って旅行を始めるようです。その方が楽ですね。

石造りの壁の上に茅葺屋根というのが、見慣れた日本と大分違うと感じました。
仰る通り屋根の上は神社そっくりですね。
ヨーロッパの修復技術は凄いですね。リュートの女性がいた部屋は完全修復でコンサートが催されているようです。音響効果がいいのでしょう。元気な人は城の中の探検に30分くらい出掛けて行きました。暖房設備は当時から工夫されていました。でも住むのには大変そうに思われます。

投稿: tona | 2015年7月 4日 (土) 08:28

こんにちは
 
3国目のエストニアには海路で入られたのですね。
島の数の多いこと! まぁ日本もですけれど。
この国も次々と支配国が変わってきたのですね。
海に面し、他国と面している国は、時代時代の強国に翻弄されますね。
日本がそうならなかったのは(沖縄と北海道は江戸幕府が支配し
取り込んだ…??)奇跡的なことに思えてきます。
ムフ島の古民家にはどこか郷愁を誘われます。分厚い石壁に藁葺き屋根や
板葺き屋根ですが、この北の国でこの家での冬は厳しいでしょうね。
今でも暮らしている方の家には、室内は暖房設備など充実している
のかしらと気になってしまいました(自分が超寒がりなもので)。
クッサーレ城は、中世の映画に出てくるそのもの、という感じの
お城ですね。騎士団のものだったののですね。
映画の影響もあるのでしょうけれど、この中で多くの人々が
生活していた光景がぼんやり目に浮かぶ気がします。
吊り上げ式の鉄格子の扉が恐ろしく感じられました。
サーレマー島の風車群と農場は牧歌的ですね。一口に風車といっても
オランダ式・エストニア式と違うのだと初めて知りました。
エストニア式は石垣の上に小屋が乗っかっているように見えますが、
これを小屋ごと向きを変えたとは大変そう…
屋根部分だけ向きを変えるほうが楽そう、と感じましたが
実際のところはどうだったのでしょうね。
 
今回は、タイムスリップしたような旅を大いに楽しませていただきました。

投稿: ポージィ | 2015年7月 4日 (土) 11:07

★ポージィさま

吊り上げ式鉄格子などを写真の中に見つけてくださって、本当に細かくご覧になっているのだと感心しています。ありがとうございました。

私もよく日本は植民地にならなかったことと、幕末、明治の人々の苦労を偲びます。ただ昭和10年代の軍部台頭で歯止めがきかなくなり、70年前のあの日を迎えたことは残念でした。でも敗戦があったから今日の繁栄があったのかしらとも。でもでも中国、韓国の問題がずっと引きずっていくことになったので、日本の侵略行為は悪ですね。
こんなことでバルト三国の歩んだ道を聞いてただただ複雑な気持ちになりますが、そのロシア人と北の2か国は共存して住んでいるのです。

古民家といい、お城や修道院など本当に寒そうです。暖房はそこそこにあったのでしょうけれども、とても快適とは思えず、我慢強い人々の生活が偲ばれました。

エストニア式の風車は風の向きをとらえるために、この大きな小屋を人力で回したなんて知って驚きました。オランダの風車のあの大きな羽の操作も熟練した人がやっていましたが大変そうでした。
今はただお飾りですが、何時までも残ってほしい風景です。

投稿: tona | 2015年7月 4日 (土) 17:08

バルト三国ではリトアニアのことしか
知らなかったのですが、こちらも変化に
富んで小さい国ながらロシアが狙う価値の
ある国なのですね。
新聞でよく名前を見たのも旧ソビエトから
独立したからでしょうか。
オランダのような水車もあるし・・・
魅力のある国ですね。
バーチャル旅行させて頂きました。

投稿: matsubara | 2015年7月 4日 (土) 20:36

★matsubaraさま

お付き合いいただきありがとうございます。
エストニアといえば相撲のバルトを思い出します。今は実業家のようで会社をたくさん持っているそうです。
エストニアになぜオランダ式の風車があるのか?わかりませんでしたが面白いと思いました。

投稿: tona | 2015年7月 4日 (土) 20:57

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