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2015年7月 6日 (月)

バルト三国旅行(6)

エストニア②(7、8日目)

Photo●タリン エストニアの首都で世界遺産 の町。 人口は40万人で国民の約3分の1が住んでいる。

【トームペア】
タリンの町は13世紀初めトームペアに上陸したデンマーク人が丘の上に教会を建てたところから始まる。(タリンの町の西南の突き出た部分なのです)
その後ハンザ同盟の一員になり、14世紀にはドイツ騎士団による都市建設が本格化し、中世ドイツの町並みが今も残る。

トームペアの丘の展望台からの眺めです。雨に煙っている。教会の塔がたくさん見える。Photo_2
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トームペアには代々の支配者が住んだトームペア城がある。ロシア女帝カテリーナ2世が改築し、今は国会議事堂に。450x300_3
             城の南側を守る塔の「のっぽのヘルマン」300x450
向かいにあるのがロシア正教会のアレクサンドル・ネフスキー聖堂。ドームが玉ねぎ型。十字架にイスラム教を表す三日月マークがついている。450x300_4
エストニア大聖堂は本土では最古の教会。教会でもあり墓所でもある。壁には無数の墓碑銘や紋章、墓標、石棺があり、床には墓石があった。300x450_2
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ハンザ同盟で豊かになったタリンだったが、16世紀のリヴォニア戦争で繁栄は終わり、スウェーデン、ロシアと続く支配者の時代には要塞都市としての性格を強め、そしてソ連の占領による閉塞の50年も経験したのである。

【タリン郊外】
郊外に「歌の広場」がある。
1988年9月11日、エストニア各地から30万人以上(民族人口の約3分の1)の人々がここに集い、独立への思いを歌にした。”歌いながらの革命”といわれたバルト三国の独立運動が大きな一歩を進めた瞬間だった。
5年に1度のエストニア最大の祭り、歌と踊りの祭典で最後に歌のコンサートが開かれるステージ。人間の鎖といい、歌の祭典といい、独立に向けての人々の情熱を今回知った。450x300_6
昨年2014年にも民族衣装に身を包んだ約33000人の歌い手と10万人以上の聴衆が集まった。(パネルより)450x300_7
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広場を見つめるグスタフ・エルネサクシュの像。第二の国歌「我が祖国わが愛」を作曲した、指揮者でエストニアの父とも言われる。300x450_3
歌の広場の近くにカドリオル公園がある。北方戦争後、バルト地方を手に入れたロシアのピョートル大帝が妃エカテリーナのために離宮と公園を造らせた所。450x300_9
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【旧市街】

一番北側の「ふとっちょマルガリータの塔」から入る。
この塔が監獄に使われていた頃、囚人の食事を切り盛りしていた太ったおかみさん、マルガレータの名を付けた。囚人たちから尊敬と畏敬の念をもって慕われていた。450x300_14
三人姉妹
15世紀の住宅の集合体。ファサードの雰囲気が女性的な雰囲気だったので呼ばれた。上部にはクレーンが設けられ、屋根裏の倉庫に物品を引き上げられるようになっていた。300x450_4
聖オレフ教会 塔が124mもあって旧市街で最も高い。巨人が建てたという伝説が伝わるいわく因縁の教会。一瞬晴れてまた曇る。300x450_5
ブラックヘッドの会館の門。 リガと同じくエチオピア生まれの聖人マリティウスが守護聖人で同じような内容の教会。300x450_6
大ギルドの会館 タリンで最も古い(1410年)建築の一つ。赤地に白十字は大ギルドの紋章。450x300_15
旧市庁舎 ここで大雨になって雨宿りしたことだけが記憶に残る。北ヨーロッパで唯一残るゴシック様式。450x300_16
聖ニコラス教会
パイプオルガン(4711本)コンサート中だった。この教会には「死のダンス」があるので有名。法王や国王が死者とダンスをする図柄が、15世紀当時よく描かれたが、現存するものはとても少ない。どうしてこんな絵が描かれるようになったのでしょう。450x300_17
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          主祭壇は二重の観音開きでモニターで確認できた450x300_19
城壁
三角屋根の塔を並べ旧市街を取り囲む約2.5㎞あった城壁は、現在1.85㎞残る。一部登って歩くことが出来る。(西側のもの)450x300_20
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           東側のヴィル門から正面に見えるホテルに帰る450x300_24
食事はスープでなければサラダ、メインにデザートと変化に富んでいて欧州では美味しい方であった。

緑が多く、建物、町並みも美しく、ゴミも落ちていなくて清潔。電線があまり見当たらず、勿論看板もなくどこをみても景色が素晴らしい。どぎつい感じがなにもなく、さらっとして歴史に翻弄されたという感じは、表向きは今はみじんも感じられない。EUの一員として三国共に頑張ってほしい。

長くなりましたが、最後まで見ていただいてありがとうございました。

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コメント

こんばんは
 
旅の最後に青空が少なくなったのがちょっと残念でしたね。
トームペアの丘から眺めるタリンの街並みも、青空の下だったら
さらに美しかったかも。丘からのお写真で、2枚ともカモメ?ウミネコ?が
カメラ目線でポーズをとっているかのような様子なのが可笑しいやら
可愛いやら笑ってしまいました。
街中は、とても古い建築物と、すっきり美しい建物と近代的建物とが、
様式もさまざまあるのようですが、丘からの眺めは統一感がありますね。
屋根の色が揃っているからかしら。
ラトビアには三人兄弟の家がありましたが、エストニアには
三人姉妹の家があるとは。綺麗な家ですね(^^)
長く続く城壁は、今見ると味わいがありますが、要塞都市ならでは
の建築物なのだなぁと拝見しました。仰るようにとても綺麗な街ですね。
 
15世紀頃「死のダンス」がテーマの絵がよく描かれたのは何故でしょうね。
死を身近に描くことでかえって遠ざける効果をねらったのかしら。
それとも恐れなくてもよいものと言いたかったのかしら??
 
いよいよ最終回なのですね。名残惜しいです。
バルト三国、どこもが歴史に翻弄されてきたけれど凛としたものを
もっているように感じられ魅力的な国々でした。
すてきな旅をありがとうございました♪
 


投稿: ポージィ | 2015年7月 6日 (月) 20:30

★ポージィさま

こんばんは。
とうとう最後の2日間は曇り、雨にも降られました。本当に青空とそうでないのとでは景色が随分違うものです。よくわかりました。

海が近いのでユリカモメかと思いましたが、カメラを向けても動じず、全然動きませんでしたよ。鳥ってすぐ逃げるものと頭にインプットされてるので、私も可愛い!と叫んでいました。
屋根の色が揃っていて、それも赤系がヨーロッパには多いので、緑と合っていて上から眺めるのがいいですね。この三国首都では階段を上ることなく、眺めることができました。

他の国と違ってあまり高い土地がないけれども、このようにぐるっと城壁で囲んで敵の侵入を防いでいたその時代、考えますといつもびくびくと生活していたのだなあと、昔の人々の大変さを城壁からも感じました。

「死のダンス」は写真がうまく撮れませんでしたが、ドクロのような死人と王様たちが手を取り合って踊っているのですね。このような絵の存在をヨーロッパで初めて知りました。どこにも見たことなかったです。

ちょうどギリシャが話題になっているところへ、新たに参入したこれらの国々はしっかりとやっているのだという印象を受けました。
比較してはいけないですが、今もギリシャのホテルの状態はひどいらしいです。しかしこの国のホテルは他の先進欧州国よりもとても快適でした。これから観光でも頑張っていこうとしている印象でした。
こちらこそいつもありがとうございました。

投稿: tona | 2015年7月 6日 (月) 20:59

ここも全く知らない土地で多分訪問できないと
思いますので、珍しい写真を拝見できて
よかったです。小さい国ながら見るべき所が
とても多いですね。
あらかじめ計画を立てられるとき調べられた
のですね。

先週の世界不思議発見でリトアリアの杉原千畝
記念館がとりあげられていましたね。
あの場所に行かれたのですから感慨無量だったと
思います。
でも平和のためにスパイをせざるを得なかった
という面は知りませんでした。あの情報が
生かせれば真珠湾攻撃もなかったかもしれないのに・・・

投稿: matsubara | 2015年7月 6日 (月) 21:24

こんばんは happy01
最初の2枚の写真、鳥が写っているのがすごくほのぼのとさせられました。
それにしても本当に美しい街ですね。
歴史に翻弄された国でしょうが、今のこのような風景を見ますと、とてもそんな過去があったと思えないほどです。
大聖堂に宮殿、広場、教会・・・どれを見ても本当に見応えある建物ばかり!
ため息が漏れそうです。
城壁はヨーロッパでは多くの街で見られるのでしょうね。
これも歴史の証人なのでしょう。
ほとんど何も知らなかったバルト三国、数多くの写真とともに紹介していただき、とても嬉しく思います。
ありがとうございました。

投稿: 慕辺未行 | 2015年7月 6日 (月) 21:49

こんにちは。旅行記をじっくり拝見しています。歴史と地理の勉強になっています。

投稿: 多摩NTの住人 | 2015年7月 7日 (火) 07:29

★matsubaraさま

ヨーロッパでも一番近い方ですから、旅行社によってはフィンランドのヘルシンキから90km離れたエストニアまで船というのがあって、これはとても楽そうです。私が行ったのは最低の行き方ですね。大手でない旅行社ではこんな不都合が生じます。

行先は旅行社任せですから、行き先だけをあらかじめ見て、歴史書を見るにとどまります。いつも泥縄ですよ。帰ってきてから整理するととても勉強になるというわけです。

杉原千畝のこのシンドラー的行為だけでなく、この後チェコやポーランド、ルーマニアなどでのスパイ活動は苦悩の日々の連続でしたでしょう。国家に翻弄された人だったのですね。
全部見ていただきありがとうございました。

投稿: tona | 2015年7月 7日 (火) 08:26

★慕辺未行さま

おはようございますcloud
うっとうしい梅雨ですね。涼しいのがありがたいです。
三国の首都は、今ではどこがどこだかわからなくなるほど、赤い屋根と緑の美しい展望台からの景色でした。
このカモメ?可愛いですよね。逃げないどころか人の顔をじっと見上げるんですよ。

いつものことながら、個人の家に訪問というのがないわけですから、ガイドさんやホテルのコンシェルジェなどしかコンタクトがなかったので、国民性などわかりませんでしたが、このように美しく街を築き、ゆったりと生活している様子は見てとれました。
日本の建築のめちゃめちゃなこと、帰国して電車から眺めると愕然とするほどです。すぐに慣れっこになってしまう順応性で生き延びている感じです。
いつもありがとうございます。

投稿: tona | 2015年7月 7日 (火) 08:45

★多摩NTの住人さま

いつもコメントありがとうございます。
一緒に勉強していただいて感謝です。
私の頭にも今まで全然知らなかったこの地域が入りました。

投稿: tona | 2015年7月 7日 (火) 08:48

充実した旅の報告を、毎回愉しみながら読みました。
整理がきちんとなされて、知らなくても良く理解出来ました。
大変でしたね、お疲れさま~!

鳩じゃないな?カモメ?
ガイドよろしくポーズして、愛くるしいですね。
教会の塔が林立する街に、十字架にイスラムマークの三日月が珍しいですね。
バルト三国もしかり、中欧諸国もしかりの独立の闘いは書物も多くありますね。
歌いながらの~とは、人間的ですねー♪
無血革命、ビロード革命など、読むほどに胸を打たれます。
中世のギルド組合は現在にも引継がれて、その中からフリー・メイソンも生まれたと聞いています。

勉強にもなりました。ありがとうございましたhappy01

投稿: だんだん | 2015年7月 7日 (火) 14:01

★だんだんさま

こちらこそコメントしていただきありがとうございます。
鳥ですが調べて見ましたら、鳩は足が短く羽の色が違い、ユリカモメは足が赤っぽいので違い、カモメのようでした。可愛い子でした。
三日月マークですが、どうしてロシア正教なのにと不思議です。
中欧、北欧(フィンランド、バルト諸国)の歴史にはそれがあまりに昔からの戦いで胸が痛くなるほどです。最近ではバルカン半島がコソボ紛争などいろいろ大変でしたね。
平和になったヨーロッパもこんな苦難の上に成り立っているわけです。そんな中ギリシャ問題が話題になっています。
しかし最も深刻なのは中東とアフリカの一部ですね。
わたくし、写真の整理をしてまた勉強している状態です。ありがたいブログです。

投稿: tona | 2015年7月 7日 (火) 15:34

中世ドイツの街並みが残るエストニアの首都タリン、重厚な建物が多いのでしょうね。
でもトームペアの丘の展望台からの教会の塔が多い眺めはチェコのプラハの雰囲気にも似ています。
そしてロシア正教会のアレクサンドル・ネフスキー聖堂や国会議事堂の建物はロシアで見る風景そのもの・・・
この国の大国に翻弄された歴史が感じられますね。

タリン郊外での1988年9月の「歌いながら革命」のお話とグスタフ・エルネサクシュの像。
チェコの「ビロード革命」と「プラハの春」にダブります。
そして「モルダウ(わが祖国)」を作曲したチェコのスメタナの存在も思い出しました。
ドイツやソ連にかかわった国々の歴史は似ていますね。

首都の名前すら知らなかった「バルト三国」の国々の事、tonaさんの写真と説明で少し分かったような気がします。ありがとうございました。

ちなみに先日行った映画館で「杉原千畝」の映画の予告編を観ました。
もうすぐ公開されるようです。
そして先週のTV「世界ふしぎ発見」でもリトアニアを紹介していました。
遠い国ですが、かの地での小学生の教科書には必ず杉原千畝の事が載っているそうです。
私自身、チェコやハンガリーのことは知っててもバルト三国の事は知らないことが多すぎました。反省です。

投稿: nao♪ | 2015年7月 8日 (水) 09:21

★nao♪さま

ずっと見ていただいてコメントをありがとうございました。
私もポーランドやチェコの悲劇は知っていても、何とバルト三国も悲惨な過去があったとは全然知りませんでした。
もし行かなかったら死ぬまで知らなかったわけです。
どこも首都は教会の塔がたくさん見えて、緑と一体になって素晴らしいですね。
おっしゃるように、議事堂や宮殿、聖堂などなどロシアのサンクトペテルブルグのようです。
ドイツ風のハンザ同盟の建物と混在して、両国の支配を受けていたのがよくわかる首都ですね。
なるほど「ビロード革命」と「プラハの春」とスメタナ。思い至りませんでしたがその通りですね。ありがとうございます。

もう「杉原千畝」の映画の予告をやっていましたか。
世界ふしぎ発見でやることは知っていたのですが、そして毎週見ているのに、これだけ見ることが出来ませんでしたので、ネットで内容を読みました。旧日本領事館が出てきたのですね。ユダヤ人には心に刻み込まれることですが、リトアニアの教科書に載っているなんて感動です。人道的なことに敏感で優しい国民性は過去の酷い歴史から培われたものでしょうか。

投稿: tona | 2015年7月 8日 (水) 11:39

本当に美しい町並みですね。
まあ欧州は何処もそんな気がしますが。
その分、建築規制が厳しくて
住むには大変なようです。
「死のダンス」、不思議な絵ですね。
今回見たメテオラの修道院の骸骨の山といい、
ローマの骸骨寺といい、
向こうの人々の死や骸骨に対する考え方が
どうも理解できません。

投稿: zooey | 2015年7月 8日 (水) 20:39

★zooeyさま

欧州で汚いと感じた首都はないですね。東京と
は比較の対象にもなりません。
おっしゃるように、日本の日に日に新しく建てられる快適な住居に比べたら、もう不便だらけの生活のようですね。

骸骨に対する考え方、私も相当違うように思いました。
オーストラリアのハルシュタットの土地がないためドクロで飾ったあの教会の墓地。
もっと驚いたのが、チェコのクトナ・ホラの墓地教会(納骨礼拝堂)です。4万人の骨(ドクロもあります)で聖杯、シャンデリア、十字架をはじめとする教会の装飾が全部できているんです。これには驚きました。
日本は骨やドクロを晒したりしません。

投稿: tona | 2015年7月 9日 (木) 08:58

すべての記事を一気に見せて頂きました。
 バルト三国と言えば、北極圏に近いところ。今頃の昼の時間の長いのは頷けます。
山のない平地の広がる国。風車のある風景、何処までも広がる緑の平原を見ると
オランダを思い出します。
以前はロシアの統治下にあった国々。華やかさはないけど、数多くの試練の歴史を秘めた国々ですね。

 何処の田舎の町を訪れても必ず教会はある。当然でしょうけど。
緑の田園風景の中に散在する家々。整然と植えられた街路樹の中に立ち並ぶ古い石造りの
建物のある都会。広場の風景や石畳の道。狭い路地の入り組んだ古い歴史ある町並み。
軒先やベランダに花飾りのある古い家々。ドイツ建築様式の木造の家々など。日本とは違う風景に見とれました。

 
 海外の観光で必ず訪れるのが教会、美術館や古城。歴史遺産、古く美しい街の眺めなどですね。
教会で印象に残ってるのがイタリア・ミラノの大聖堂ドゥオモ。林立する塔の圧巻。
フィレンチェのドゥオモ。外壁の色とりどりの大理石の模様の美しさ。
中のステンドグラスのすばらしい輝き。
フランス・シャルトルの大聖堂のシャルトルブルーの美しさなど今でも強く心に残っています。

 行けなかったところを見せて頂くのが楽しみです。

投稿: 夢閑人 | 2015年7月14日 (火) 16:48

★夢閑人さま

こんばんは。
ご丁寧にコメントをありがとうございました。
全部ご覧いただき感謝です。

晴れの日が続きましてバルト三国は明るいという印象です。
空の青と目を下に落とせば一面の緑。
山がないのでオランダと同じ風景ですね。運河はありませんが。

教会の塔が目立つ美しい街や古城など、他のヨーロッパの国々と全く同じです。
東欧諸国と同じく過去の歴史を初めて知って、本当に大変だったのだと思いました。

街路樹も美しいですね。トチノキ、ボダイジュなどで日本とは違います。今は街路樹が青々ときれいな季節でした。ライラックが多いのが他の欧州諸国と違うところです。

ミラノ、フィレンツェ、ヴェネチアなど思い出深い町でした。
フランスもドイツも独特の町々がたくさん思い出されます。
そろそろ体力的にきつくなりまして、これが最後のヨーロッパかもしれません。長い飛行時間が大変なのです。アジアは近いけれども興味ないです。

投稿: tona | 2015年7月14日 (火) 19:33

タリンという街ですか?中世の趣が残る美しい街のようで感嘆します。
写真もさることながら、実物を見たら圧倒されることでしょう。
城、城壁、要塞等々見事な建築物。考えてみれば、
これ等はすべて戦争によって生まれた産物ですね?
人類はいつの時代も戦争に明け暮れていたのだということを実感します。
そして、今の時代も・・・。

投稿: 茂彦 | 2015年7月20日 (月) 21:03

★茂彦さま

東京と違ってヨーロッパの都市は一日あると、殆ど見て回ることが出来ていいものですね。
教会や城、市庁舎広場、美術館や市場、路地裏と、まあ、どこも似たり寄ったりと言えばそうなんですが、歴史を垣間見ながら楽しいものです。
殆どが城塞都市で、いかに中世以来戦争に明け暮れして、それで町が出来て行ったかがよくわかりますね。
一緒に旅していただきありがとうございました。

投稿: tona | 2015年7月21日 (火) 08:32

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