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2015年8月 3日 (月)

宮崎正勝著『地図と地名で読む世界史』

294頁だけれど、小説と違うからずいぶん時間がかかった。2004年の上梓なので激動激しいこの10年は載っていない。

時間では約7000年間、全世界に渡る歴史なのでかなり内容が多岐にわたるが要点だけでそんなに詳しくはない。
2点思いがけなかった歴史を知る。

(その1)オスマン帝国のイェニチェリ
3大陸にまたがるオスマン帝国は、トルコ語を共用するイスラム帝国であった。
多様な民族、宗教が混じり合う広大な地域の秩序を巧みに維持できたのは、基本的には民族よりイスラム教徒であることが優先されたものの、非イスラム教徒に対しては宗教ごとに共同体をつくらせて、納税を条件に自治を許した。
バルカン半島のキリスト教徒に対しては税金に代わって青年を提供させ、イスラム教育を施した後、官僚・軍人として帝国統治に利用した。イスラム世界の外から自由に利用できる人材を集めたわけである。
あの勇壮なる世界最強の軍隊「イェニチェリ」が改宗したキリスト教徒の子弟から成り立っていたとは!今までずっとトルコ人だとばかり思っていました。
彼らは結婚を禁止され、軍旗の代わりに巨大な金属製の野戦用の鍋を携帯し、帽子にはスプーンをさしていたという。

(その2)アフリカの悲劇の始まりはリビングストンの探検から
リビングストンがアフリカを探検し、ザンベジ川源流部のヴィクトリアの滝を発見しヨーロッパに紹介し、行方不明になったリビンングストンを探し当てたスタンリーが、その後コンゴ川、アマゾン川などがアフリカの動脈として豊かな可能性を持つことを紹介したのが、アフリカ分割のきっかけになったという。
その後ヨーロッパの勝手な論理で多くのヨーロッパ諸国が参加し、アフリカはどんどん分割され、植民地化され、しかも机上で分割されたので国境線に直線が多い。
勝手に線引きされたことにより、既存の多くの部族が分断された。このことが多くの悲劇を生むことになる。国家への忠誠心より部族に対する忠誠心の方が強いから。次々と独立して53の国が誕生したが問題多発。
強力に国家建設を進めるためには一党制。しかし独裁体制は腐敗しやすく、国境紛争、部族間対立、利害対立、軍事クーデターなどで、難民が21世紀に入ってからも400万人になった。
多くの天然資源を持ちながら、開発資金に乏しく、外貨不足、債務拡大、干ばつと飢饉、エイズ、コレラ、エボラ出血熱など様々な困難に直面している、とある。

中南米は航海技術の発達によって、スペイン、ポルトガル等によってマヤ、アステカ、インカ文明が破壊され、征服されて、ブラジルやポルトガル、残りは全てスペインの植民地になっが、独立して、白人、メスティーソ、インディオがまざって一つの国民を作りあげていった。アフリカとは全然違うのである。

     朝の7:45、すでに暑いのに畑の雑草の中でくつろぐ近所の猫ちゃん450x301

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コメント

おはようございます
 
今しばらく猛暑の日々が続きそうですね。
といっても、うちの辺りはまだ猛暑日にはなっていないと思います。
おかげで日中もクーラーなしで頑張れますが、無理はいけませんね。
 
人間の歴史は事象を並べただけでは見えてこないものがたくさん
あるのですね。巨大な帝国を築き維持しえたのは、締め付けすぎない
押し付けすぎない巧みさがあったということなのかな、と
思いながら拝見しました。
アフリカは(アフリカに限らずですが)、植民地化で分断されなかったら
現在どんな状態になっていたのでしょうね。
それを知ることは不可能ですが、見てみたかった気がします。
近代の日本では明治維新の開国の頃に国の存亡の危機があり、
その後、第二次世界大戦ではさらに危うかったですよね。
終戦の決断が下されずに総玉砕の道を突き進んでいたとしたら…
今の私たちはいないのでしょうね。
一部の人間の思惑で億にも上る人間の運命を左右することになる
国家って何でしょう。そんなことを思い始めるととても恐ろしく
なってしまいます。

投稿: ポージィ | 2015年8月 3日 (月) 09:46

★ポージィさま

こんにちは。
さすが湘南地方はこちらより2度くらい低いですね。夏になるとあっちにいた方が良かったなあなんて思うのです。
こちらはもう午後はずっとクーラーの中です。
外のアスファルト表面は60度以上とか。午後外を歩いていたら熱中症になってしまいます。

巨大なローマ帝国もそうだったのですね。
アフリカが植民地化されなかったら、ニューギニアの奥地やギニア高地のように部族同士で仲良く暮らしていたかもしれないです。

日本は明治維新の頃よく中国のようにならなかったと幕末維新の頃の日本人の複雑な活躍を見てしまいます。
第二次大戦後も連合国に負けたのが帰って良かったなんて見てしまいます。戦争に突入してしまった軍部の恐ろしさは、今の安保をじっくり討論していかねばならないことにつながりそうな。でもでもどうなるでしょう。一人の首相の決断でやがては動いてしまうことが怖いですね。
早速にコメントをありがとうございました。

投稿: tona | 2015年8月 3日 (月) 13:40

ソマリア紛争とかアフリカでは国連すら放棄した
国があるのは、もとはと言えば西欧諸国が
勝手に侵攻したことによるのですね。

権力者が奴隷船でアメリカに黒人を連れて行った
ほかにこういうひどいことをしているのですね。

その点日本はそれほど他国に被害を与えて
いないのには救われますね。
秀吉の耳塚は例外として・・・

投稿: matsubara | 2015年8月 4日 (火) 10:49

★matsubaraさま

ありがとうございます。
いろいろ知らなかったことが多い世界史ですが、アフリカに関してはその原因に驚きました。
欧州列強はかなりひどいことをあちこちでしています。
日本も隣国に叩かれていますが、それなりにいろいろありましたがこれほどまではの感を抱きました。
もう二度と戦争に巻き込まれたくないですね。

投稿: tona | 2015年8月 4日 (火) 11:26

イエニチェリ軍団の詳細については
以前、本で読んだことがあります。
オスマントルコが広大なヨーロッパを破竹の勢いで攻略していた時、
あちこちから男の子を剥奪していたようでもあります。
そうしてイスラム教に改宗させ、徹底的に兵士として育て上げた。
イエニチェリ軍団の勇壮な行進の最中に逃げようとする若い兵士がいると、
しんがりにいる屈強なトルコ兵士が容赦なく切り捨てたとか。
敵よりも恐ろしい存在であったのだそうですい。

投稿: zooey | 2015年8月 7日 (金) 09:33

★zooeyさま

軍団についてのご本を読まれたのですね。
結婚をしてはいけないとか厳しい軍律についていけない人もいたでしょうに、しんがりに本物のトルコ兵が締め付けていたのですか。
トルコ旅行で見るあのイェニチェリ軍団の行進はそれこそトルコ人によるものですね。
実際の時代のは見たことがないわけですが、そんな士気高い軍団の不思議を知りました。ありがとうございました。

投稿: tona | 2015年8月 7日 (金) 13:05

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