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2015年11月30日 (月)

鎌倉4・材木座の寺社(2)と鶴岡八幡宮摂末社・境外末社

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材木座海岸に近くなった材木座の残りの寺と鶴岡八幡宮の摂社・末社をまわってきました。

25.九品寺 東京世田谷の浄真寺(九品寺)、京都の浄瑠璃寺と同じ浄土宗だが、ここには九体の仏様は見られなかった。
鎌倉攻めの総大将・新田義貞が、鎌倉幕府滅亡後に敵方の北条氏の戦死者を供養するために建立した。鎌倉三十三観音霊場の16番札所でもあります。381x450
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      本堂の「九品寺」の文字は新田義貞の筆を写したものと言われる450x338
26.補陀洛寺 真言宗 京都大覚寺派 鎌倉三十三観音霊場17番札所
文覚上人の開山、頼朝の開基。頼朝の祈願所として1181年の創建されたと伝えられる。

             本堂の前に見事な枝ぶりの百日紅の木がある450x338_2
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27.光明寺 浄土宗 鎌倉三十三観音霊場18番札所
1243年創建 開山は良忠上人。良忠は浄土宗の宗祖法然の弟子弁長に仕え、教えを受けた浄土宗第三祖。 
第5代執権・北条時頼をはじめ歴代執権の帰依が篤く、やがて七堂伽藍の寺観を誇り、関東における念仏道場の中心となった。

総門を入ると壮大な山門がそびえる。間口16m、奥行7m、高さ約20mで鎌倉の寺院の門では最大の格式をそなえる。450x338_3
    大殿(本堂)1698年の建立。現存する木造の古建築では鎌倉一の大堂。450x338_4
                     本尊阿弥陀三尊450x300_2
                    左が宗祖法然像450x338_5
左が善導大師像。右が弁財天。中国唐時代の浄土宗の高僧。宗祖法然上人が善導大師の教えに導かれて浄土宗を開かれた。開山の良忠上人も篤く大師を敬い像を作り、大師を顕彰された。450x300_3
                 記主庭園(小堀遠州の流れ)450x338_6
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三尊五祖の庭
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                    繁栄稲荷大明神450x338_8
               開山堂 当寺開山良忠上人を祀る御堂450x338_9
光明寺裏山の展望は神奈川の景勝50選に選ばれている。稲村ケ崎や海岸が見える。450x84_2
              良忠上人と北条経時(4代執権)の墓所450x338_10
28.蓮乗院 鎌倉三十三観音霊場19番札所(光明寺境内)450x338_11
29.千手院 鎌倉三十三観音霊場20番札所(千手観音菩薩) 光明寺境内450x338_12
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材木座の海岸
子供たちの作った筏でこれから競争が行われようとしていた。見られなかったのが残念。450x338_13
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30.鶴岡八幡宮と鶴岡八幡宮境内摂社末社・境外末社
頼朝が源氏の祖先と一門を祀って、八幡神という武神を精神的中核として鎮座したのが鶴岡八幡宮である。830余年経った今、年間1000万人の人々がおとずれる大社となった。
         この日11/22(日)も七五三の家族も多く混雑していました350x260
       下拝殿(静が舞曲を演じた舞殿)では結婚式が行われていた450x338_16
                  舞殿から見る本宮(上宮)450x338_17
舞殿の右手には若宮(下宮)がある。頼朝が由井郷から八幡神を遷座した元々の社だった。450x338_18
           舞殿の左手には倒れた大銀杏の切り株が痛々しい450x338_19

鶴岡八幡宮の境内摂社・末社(摂社・末社とは神社の境内・外にある小規模な神社)

①旗上弁財天社: 源氏池の一番大きな島に祀られている。頼朝が伊豆で源氏復興の旗上げしたことにちなむ。可愛らしい神社。450x338_20
②白旗神社:若宮の前を東へ行ったところにある。白旗とは源氏の旗色。頼朝と実朝を祀っているそうだ。唐破風の屋根が印象深い。450x338_21
③武内社:武内宿祢を祀るが所在がわからなかった。
④丸山稲荷社:本宮の西の小さな丸山の上にある。室町の様式を残している古い建物で重文。450x338_338x309

境外末社
⑤新宮神社:八幡宮の北側の駐車場の奥にある小さな神社。承久の乱の後鳥羽・順徳・土御門天皇が祭神。勝った幕府が後鳥羽天皇の怨霊を恐れて1247年創建したという。450x338_22

何度か行っている八幡宮の摂社・末社を初めて目で確認できたことでした。

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2015年11月26日 (木)

白崎修一著『中年ドクター宇宙飛行士受験奮戦記』(白崎修一著)

宇宙に行った日本人飛行士10人、未飛行3人。2人(秋山、菊池)はソビエト連邦の宇宙飛行士。それに比べてアメリカではもう200人以上が宇宙へ飛行している。語学だけはわざわざクリアしなくても良いわけだがそれにしてもその人数に驚く。
宇宙飛行士といえば、頭がよく英語堪能だけでなく、健康で体力あり、精神力強靭、ロボットアームを操作できるなど超・器用なことなど抜群の才能を持った人を想像する。
どのような試験を受けて合格するのか、興味があったが、ブログ友のzooeyさんがこの本を紹介して下さり、よくわかりました。zooeyさんありがとうございました。

著者白崎氏がこの試験にチャレンジしたのは39歳の時で平成10年(1998)の第4回の募集のときだ。ちなみにこの試験で合格したのが古川聡、星出彰彦、角野直子の3氏だ。
865人の応募者がいた。応募資格は理科系大学卒業以上の学歴、自然科学系の研究に3年以上の経験あり。英語試験を含む書類選抜で195人になる。

一次選抜試験 2日間。一次医学検査と一般教養、基礎的専門知識、心理適性の筆記試験。一般教養は例えば「もののけ姫の観客動員数は何位?」ですって。合格者は54人(うち3名辞退)

二次選抜試験 1週間。主に医学検査と面接。頭のてっぺんから爪先まで、皮膚の上からハラワタの中まで徹底的に調べられる。一度でも手術を受けたことがあったらダメ。内科・外科・眼科などいろいろな科の診察のみならず、臨床、機能、超音波や内視鏡、24時間畜尿、体力等の検査や精神科面接。
複数の国の生活習慣や信条などが違う宇宙飛行士同志が、狭い宇宙ステーションの中で共同生活を行うため、協調性、思いやり、柔軟さなどが求められるから精神心理学的に調べられるわけで、この時点で合格者は8人となる。先般、若田さんが船長になって「和の心、ハーモニー」を信念に努めたわけで、皆から絶大なる信頼と支持を受けた。

三次選抜試験 筑波とヒューストンで17日間
筑波での閉鎖設備に1週間缶詰状態になって受けた試験は、例えば144ピースの真っ白なジグゾーパズルを3時間かける。誰も完成せず。ワープロ練習では2時間かけて脈絡のないアルファベットを打ちこんでいく試験。みちのくの三泊四日の旅を時刻表と観光ガイドブックで7万円の予算で計画を立てるという問題も著者は時間内に出来ず。チームで性能を持ったロボット制作。宇宙酔い対策の回転いす。お絵かき試験など多岐にわたって大変なものだ。
ヒューストンではいろいろな施設に行って、無重力疑似体験したり、国際宇宙ステーションモジュール内体験やNASA宇宙飛行士の面接、各種パーティーに臨み、日本に帰ってさらに2つの面接試験でやっと終わり。3人の合格で、ここまで1年もかかっている。
いやはや凄い試験の連続で、合格した宇宙飛行士の面々って兎に角凄い人ばかりなのですね。

最近河野議員が、無駄な出費をやめるためそろそろ宇宙への挑戦をやめていいのでは、と言ったのが印象に残ります。もっともっとくだらない無駄遣いもあり、改善されないのがはがゆいのですが。

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2015年11月23日 (月)

晩秋の渋沢丘陵(秦野~渋沢)

晴れた11月21日(土)に小田急線、秦野~渋沢間にある渋沢丘陵(221m)を渋沢側から秦野まで歩いてきました。約2万歩。
この丘陵は線路の南側にあって、西の富士山から北側の大山・丹沢の山々を眺められるという絶好の展望に恵まれる。

登り始めるとすぐ、眼下の住宅地の向こうに山が見える。中央より右側の山が大山で左側が丹沢連山。一番高い蛭が岳も見える。500x187
                      丘陵の林450x338
        栃窪の村社の栃窪神社 昔は小田原街道の要所であった450x338_2
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                     皇帝ダリア450x338_4
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               このあたりにはみかんもたくさんある450x338_6
             富士山を見ながらのお弁当は美味しかった450x338_7
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                        畑450x338_9
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震生湖に到着 関東大震災で陥没した自然湖だそうで平均水深4m、周囲1㎞。鮒を釣る釣り人がいた。 450x338_12
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ナデシコ
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             サルノコシカケみたいなキノコの色がきれい338x450_2
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オオイヌノフグリとホトケノザ
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                      トウガラシ450x338_22
                    雲がきれいな日!450x338_23
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白笹稲荷神社 
関東三大稲荷の一つだそうで、後の二つは関東総元締めの王子稲荷(大晦日にキツネが集まる浮世絵がありました)と笠間稲荷といわれる。キツネは神様のお使いで神様でない。
「お稲荷さん」として親しまれる稲荷大神の御神名は「宇迦御魂命:うかのみたまのみこと」と称し、稲作・農業の神様なのに、食物を司る神様ということから人間生活全般をお守りする。家内安全・商売繁盛・火盗消除・厄除・交通安全など様々な御利益があるというわけです。450x338_25
            秦野の駅前が立派になっていて驚きました338x450_3
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2015年11月19日 (木)

東洋文庫ミュージアム『幕末展』

今週月曜日、ブログ友のMさんと久しぶりにお会いし、駒込の六義園の向かいにある「東洋文庫」に招いていただきました。ありがとうございました。
東洋文庫と聞いて平凡社の東洋文庫が並んでいるのかと思ったのですが、昨年Mさんがいらしてそうではないことを知ったのでした。
以下HPから・・・
東洋学の研究図書館で、三菱第三代当主岩崎久彌氏が1924年に設立した、東洋学分野での日本最古・最大の研究図書館であり、世界5大東洋学研究図書館の一つに数えられております。その蔵書数は国宝5点、重要文化財7点を含む約100万冊であり、内訳は、漢籍40%、洋書30%、和書20%、他アジア言語(韓・越・梵・イラン・トルコ・アラビア語等)10%です。 職員は研究員を含めて80名。・・・
ミュージアムは2011年開館

以前行ったことがありますが、二子玉川には静嘉堂文庫美術館があって、こちらにも蔵書と美術品をたくさん所蔵しています。東洋文庫設立者が三菱創始者・彌太郎の子供の第三代当主ですが、静嘉堂文庫は弥太郎の弟彌之助(第二代当主)とその子供の小彌太(第四代当主)が設立したもので、美術品が多いのが違うところです。

岩崎家はこうした蔵書、美術品の他、旧岩崎邸、清澄庭園、六義園などを持ち(今は都のものとして運営)、二つの文庫ミュージアムに加え、三菱系は三菱一号館美術館も開設したのです。東京駅丸の内の付近の土地を所有、そしてたくさんの三菱関連企業を見るにつけ、三大財閥でも群を抜いた存在と、この文庫を訪ねて知りました。

モリソン書庫を見て、オーストリアのメルク修道院やアイルランド・ダブリンのトリニティ・カレッジの図書館などの大きな美しい図書館を思い起こしますが、それとはまた違った美しい書庫です。3階まであって、私はそこにはたどり着けないし、閲覧しないが、研究者にはよだれの出るような本が並んでいるのですね。
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<オリエントホール>にも興味引くような本が20冊近く紹介されています。歴史の教科書に出てきたような本が実際に見られるわけです。
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                    絵本庭訓往来500x212

<東洋文庫の名品の数々> 枕草子、太平記、東方見聞録、ロビンソンクルーソー漂流記、日本書紀など32冊。

これは徳川家康が出版した中国の本で、日本で初めて鋳造された銅活字約10万個を用いて印刷された本『群書治要』450x311
<幕末展>では37点、清朝末期に関するのや、ペリー来航や桜田門外襲撃の図など日本の幕末のあわただしさも伝わってくる。

                 ジョン・万次郎の聞き書き500x375_3
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                     ペリー提督450x275
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                    桜田門外襲撃之図450x338_3
             岩崎彌太郎日記 全部漢字で書かれている500x375_4
いやはや凄い本ばかり集めた図書館です。

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2015年11月16日 (月)

富士山すそ野一周ウォーキング15

11/12(木)曇 すそ野ウォーク第15回は「富岳風穴~西湖」18280歩。

2_650x562_2富岳風穴を見学後、再び青木が原樹海の中を歩き、西湖近くの「いやしの里根場(ねんば)」で昼食・見学、その後西湖のほとりを30分歩いて温泉へ、この日の行程を終わりました。
この風穴と、この近くにある鳴沢の氷穴との違い:風穴が溶岩の流れによって生み出された横穴式洞窟であるのに対して、氷穴は固まり始めた溶岩の内部から熱いガスや水蒸気が噴き出してできた竪穴式洞窟であることです。
ともに昭和4年に国の天然記念物の指定を受けている。
今の季節は氷柱が全部融けている時期で、これからの冬から春にかけて出来ると夏まで見られるとのこと。中の気温は5℃で外と同じでした。

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この風穴の中で、昭和30年頃まで繭や種子(杉、檜、楢、赤松、落葉松などの発芽率を良くし、種の生命を長く保持する目的)が保存された。450x338_2
              光り苔(珪酸華)が見えた。目のない微生物の餌になるという。450x338_3

樹海の続きを歩く。樹海は3週間前よりモミジが紅葉して、落ち葉の絨毯となっていて、土に返るときの発酵の匂いもしていた。ハウチワカエデ、ヤマカエデなど多い。450x338_4
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英(はなぶさ)こおりあな  樹海を歩いている地面の下はこのような穴が開いているところが多い。冷蔵庫の代わりに使われ、氷などが保存されていた。450x338_7

樹海が終わり「いやしの里根場(ねんば)」に到着です。
紅葉真っ盛りです!450x338_8
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昭和41年9月の連続台風で「足和田村土石流災害」が起こって、根場地区63名、西湖地区31名が亡くなった。助かった住民は、同じ場所で同じ災害に遭いたくないと、樹海の一角に根場民宿村と西湖民宿村を作って移り住んだのだそうだ。平成15年に人々は先の災害で荒れ果てた地に昔の風景を蘇らせた。それは兜作りの民家22棟、昔懐かしい茅葺屋根の集落です。
大石紬や布、紙屋、ちりめん細工・吊るし飾り、匠や、炭焼き小屋、特産品加工場、、水車小屋など見どころ一杯です。昼食は石挽き手打ちそば屋さんでした。昼食後すぐにお団子屋さんへ直行、そばと天ぷら少々のお腹を満腹にさせました。
ここ根場からの富士山は見事なのに、残念ながらこの日は一度も見られませんでした。1_450x338_2
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そのあと西湖の周りを30分位歩いてこの日の行程は終わりです。別名「乙女の湖」
樹海の北端であり、対岸の溶岩流の先端が顕著に見えます。さかなクンによって絶滅と思われた「クニマス」が発見された。対岸は足和田山でその向こうに富士山が見えるはず。
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2015年11月12日 (木)

日本橋・神田川クルーズ

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地図の日本橋で乗船して日本橋川をJR水道橋駅あたりまで行き、そこで神田川に入り右手、お茶の水、秋葉原を通って柳橋へ、そこで隅田川に出て、永代橋手前でまた日本橋川に入って日本橋までの一周、100分のクルーズです。

                                 他のツアーの船が橋から見えました450x338
                                 12時に右端の滝の広場から乗船です450x338_2
日本橋をくぐるとすぐ次の西河岸橋です。日本橋川は、このようにずっと首都高の下を行きます。51年前のオリンピックのときに用地買収が間に合わなくて、急遽川の上に道路をこしらえたという訳です。450x338_20
常盤橋、常磐橋、新常盤橋と続くのですが、真ん中の常磐橋の磐の字が「石」で「皿」ではありません。東日本大震災で壊れ、まだ工事中です。450x338_4
                    神田橋を過ぎた左手が気象庁でアンテナが立っています450x338_5
錦橋、一ツ橋あたり左手には江戸時代の石垣が見え、各大名の提供した石に印が見えます。450x338_6
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          雉子橋を過ぎると、左手に災害の際の千代田区の避難階段あり。450x338_26
江戸時代、朝鮮通信使の人々500人くらいの接待に雉を使ったので、この橋のあたりでたくさん雉を飼っていたから付いた名前だそうだ。450x338_7
                                       俎板橋も面白い名前です450x257
神田川に入る手前、紅葉がきれい。蔦は満潮時に上がるところより下には伸びません。450x338_8
神田川に入るとだるま船が。後方上の四角い黒い部分から不燃物が落とされるそうだ。神田川に入ったら少し臭う。450x338_9
左、文京区は緑の手入れが行き届き、右、千代田区は全部工事中と区の方針が歴然としているとガイドさんは言う。450x338_10
                     御茶ノ水橋450x338_11
                        聖橋450x338_21



地下鉄丸ノ内線 当時は地下鉄はあまり深くなくて地上に出ている部分があった。450x338_12
             これではよく見えないけれども3本ある昌平橋450x338_13
                    昌平橋と万世橋の間450x338_14
           神田ふれあい橋と和泉橋の間の右手にある柳森神社450x338_15
      左衛門橋を過ぎると柳橋まで屋形船がたくさん停泊していています450x338_16
   柳橋の所で佃煮屋さんの歌と歴史を聞いて、あなごの佃煮を買いました。338x450
                 娘さんは三味線を弾きます450x338_17
柳橋をくぐると隅田川。スカイツリーと総武線。川幅があります。またちょっと臭いました。450x338_18
                清洲橋 雨がぱらついてきました450x338_19
        右手に、真ん中に穴の開いたビルが(元読売新聞だったとか)338x450_2
             永代橋の手前を右に入ると、再び日本橋川。450x338_22
                     すぐ豊海橋450x338_23
            いくつか橋をくぐって、日本橋に戻ってきました。450x338_24
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川はまだまだ汚れているし、工事中できれいな景色ではなかったですが、橋の謂われや歴史を説明してもらったので面白かったのです。都会とは何て沢山の橋で川の左右が結ばれていることでしょう。

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2015年11月 9日 (月)

鎌倉3・材木座の寺社(1)

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大町の南は材木座で突き当りは材木座海岸です。この日は北側の方を駅から歩きました。今回こそ本興寺が道筋にあるので寄ろうと思ったのに、またも忘れてしまった迂闊な私です。
今回のメインは元八幡宮と三浦氏が関係する寺と日蓮の第一弟子の寺です。

17.延命寺
鎌倉三十三観音霊場の11番で聖観音菩薩がある、浄土宗の寺。予約しなかったので外からしか見られなかった。Noraさんに教えていただき見ることができました。450x300
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18.由井若宮(元八幡宮)
鎌倉に拠点を持っていた源氏の氏神であった。
頼朝より五代前の源頼義が陸奥の平定に赴くさい、京都の石清水八幡宮に戦勝を願い、その通りになったので、1063年に八幡宮を勧請した。
1081年に頼義の長子、八幡太郎義家が社殿を修復した。小さな社殿だが、今の八幡宮とあわせて国の史跡になっている。450x300_2
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境内には義家の「旗立の松」が空洞の幹根になって残されている。
社域に入る横には芥川龍之介の旧居跡があって今はアパートが建っている。300x450_2

◎昼食は喫茶ギャラリーAKIで。3代続いた酒屋さんの3代目が酒屋をやめて、アーティストとして木工チャームなどの作品を販売し、貸しギャラリーと喫茶と3種類の食事(ドライカレーとチキンライスとリゾット)を提供している店。建物が古くて味わい深いお店だった。Aki1_450x300
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19.長勝寺 創建1263年 開山は日蓮300x450_3
参道を進むと増長天、広目天、毘沙門天、持国天の四天王に囲まれた西郷さん像を思わせる大きな日蓮の銅像(高村光雲作)がある。背後に帝釈堂が建つが、日蓮が帝釈天の使いである白猿に助けられたことから、帝釈天ゆかりの霊場とされる。
先日行った横須賀の猿島で日蓮は白猿に助けられたと聞いたところです。帝釈天のお使いだったのですね。450x300_4
                     本師堂の中450x300_5
1960年前後に活動した日活スター、赤城圭一郎の墓と像が境内にある。鎌倉高校出身。450x300_6
               お墓の石塔が観音様という墓が多い300x450_4
                      六地蔵450x300_7

20.妙長寺 創建1299年
開山の日実は伊豆に配流になった日蓮を助けた漁師とも、またその子供とも言われる。泉鏡花が明治24年の7,8月をこの寺で過ごし『星あかり』を執筆した。450x300_8
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21.向福寺
             鎌倉三十三観音霊場の15番で聖観音菩薩450x300_10
ここは花のきれいなお寺
                     シャクナゲ450x300_11
               サンパラソル
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                       ネリネ450x300_12

22.五所神社
材木座一帯の氏神でもともとあった五社を合併した。450x300_13
国の重要美術品の「不動種子板碑」種子を「しゅじ」と読み、仏や菩薩をあらわす梵字のこと。1262年の銘があり、貴重なもの。次回に行く光明寺との板碑と対をなしているそうで楽しみだ。300x450_8
                      摩利支天像300x450_9
                神輿が三基保管されている300x450_10
23.来迎時
来迎時の前身能蔵寺は、源頼朝が鎌倉幕府の重臣、三浦大介義昭の霊を弔うため建立した寺だ。真言宗を時宗に改宗し、寺名も来迎寺になった。
三浦半島の衣笠城主だった三浦義昭は、石橋山の合戦に敗れた頼朝のもとに一族を向かわせ、自身は一人城にとどまり畠山重忠の軍勢と闘い、89歳で戦死した。
三浦氏は義昭の孫の代で北条氏に滅ぼされる。
畠山氏の重忠も最初頼朝と敵対するが、後重臣となる。しかし源氏亡き後北条時政の策謀で、北条義時軍に滅ぼされる。これも北条氏による有力御家人の排斥の一つ。

来迎時は、鎌倉三十三観音霊場の14番で、子育て観音(聖観音)をおまつりしている。本尊阿弥陀如来は三浦義昭の守護佛で、着衣の素晴らしい截金文様が高い評価を得ている。しかしあいにく両方とも閉まっていて見られなかった。450x300_14
                    三浦大介義昭の墓450x300_15
          三浦一族と家来の墓。100余の五輪塔が並んでいる。450x300_16
24.実相寺 曽我兄弟の父の仇として討たれた工藤祐経の屋敷跡と伝えれる。
日昭創建。日昭は日蓮宗六老僧の筆頭。つまり松葉ヶ谷に、最初に日蓮をたずねて弟子になった人で、母親は工藤祐経の娘である。450x300_17
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                       日昭の墓300x450_11
                     サネカズラ450x300_19

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2015年11月 5日 (木)

旧新橋停車場プラットホームと鳥居などにまつわる3つの神社

(1)新橋駅で下車してまず向かった旧新橋停車場は、今とは汐留方面に少しずれている。
朝の連続ドラマ『あさが来た』でもうすぐ汽車が横浜まで走るようになるから、その原動力が石炭で、その商いを・・・というのが先週出てきたところです。
夏目漱石は18歳の学生時代から生涯で54回新橋駅に足を踏み入れたそうだ。

1872(明治5)年10月14日、新橋駅ー横浜駅(現桜木町駅)間が開業した。
これはその時のプラットホーム25m(本来は151mあった)が再現されたもので盛土式石積みという方式で造られているそうです。450x300_2
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日本最初の鉄道の起点・0哩標識とレール
1914(大正3)年に新橋駅は貨物専用の汐留駅になり、新橋駅は烏森駅になり、汐留駅は86年に廃止。91年に汐留再開発で関東大震災で、焼失した停車場の礎石などの遺構が現れた2003年、再現駅舎が完成(写真撮り忘れです)。300x450

ブログ「楽餓鬼」のgakiさんに教えていただいた2つ面白い神社です。

(2)ー1 烏森神社 
新橋駅烏森口からすぐのところにある神社で、変わった鳥居と同じ形の社殿。なるほどそっくりで、それだけで感動しました。
手前が鳥居です300x450_2
                       近づいて450x300_4
                  社殿は鳥居にそっくりです300x450_3
ここの狛犬は吽形の方が子どもを抱えているというか、踏んでいるように見えます。300x450_5
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                     神社の起源450x273
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(2)-2 虎ノ門金刀比羅宮(ことひらぐう)
虎ノ門琴平タワー(26階)が鳥居と参道に覆いかぶさるという面白い神社。
下層部3分の1が参道になっている宗教法人金刀比羅宮と三井不動産の共同開発オフィスビル。300x450_6
          中から鳥居を見る。ビルを支えている柱の太いこと!450x300_6
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           参道を奥に進み左を向くと、銅鳥居と拝殿がある。300x450_7
                        拝殿450x300_9
拝殿前の銅鳥居には四神の彫刻がある。品川神社にもありました。
左の柱の上が青龍(東)と下が玄武(北)300x450_8
              右の柱の上が朱雀(南)と下が白虎(西)300x450_9

(3)羽田・穴守稲荷神社と大鳥居
2度ほど羽田から朝早い便に乗るため、前日羽田国際空港駅より3つ手前の「大鳥居」という駅のそばのホテルに泊まったというのが事の始まりです。
その時、大鳥居というのはどこにあるのか見てみたいと思って交番で聞いたら、かなり遠くてもう暗いからよした方がいいと言われあきらめたのです。(店やホテルで聞いても誰も大鳥居もことを知りません)
その後調べたら、戦前から羽田には穴守稲荷神社があったが、戦後進駐軍の空港拡張に伴って穴守稲荷神社が取り壊された。地元の人はすぐ近くに土地を寄進してくれた人がいたので神社をそこに造りなおしました。大鳥居も移転しようとしたら、移転に関わった人が亡くなったりといろいろなことが起こり取り壊しを免れて残りました。ところが新B滑走路の整備の障害となることから、今の天空橋駅のそばに移転を余儀なくされ、今は穴守稲荷のものではなく、国と空港関係企業のものになったのだそうだ。
穴守稲荷は羽田に向かって、大鳥居駅の次の穴守稲荷駅にあり、大鳥居は穴守稲荷駅の次の天空橋駅のところにあるというわけです。天空橋の次の駅が国際空港駅です。大鳥居駅といっても大鳥居があるわけでなく、もしかして穴守稲荷駅や天空橋駅が以前はなかったのかなあと思ったですが、どうして名前が付いたのかが調べられませんでした。

前置きが長くなりました。以前夫が川崎の夜景を見に羽田から船に乗ったら赤い鳥居が運河のそばにあったと言っていたので、是非、赤い鳥居(大鳥居)と奥に引っ込んだ穴守稲荷神社を見ようと友人と出かけて見てきたというわけです。

          穴守稲荷には東西南北に鳥居が5つもありました2_450x300_2
                        社殿450x300_12
                       キツネ300x450_10
                      稲荷大明神300x450_11
                必勝稲荷社などお狐様がいっぱい450x300_13

          神社から天空橋まで5分歩くと大鳥居が見えました450x300_14
関係なければ、どうという話ではないのですが、歴史の詰まった大鳥居に出会えて感激です。青空に映えてきれいでした。450x300_15
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2015年11月 2日 (月)

クラス会

昨日11月1日は、神保町の学士会館でクラス会でした。(50年前にここで結婚式を挙げたので懐かしかったです)
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1964(昭和39)年、東京オリンピックの年に卒業して以来51年半、来年は後期高齢者になるクラスメイトであります。18名中3名が故人になってしまいましたが、昨日は一人だけ欠席の14名出席、過去最大の出席率です。
ここ5年くらいはだんだん動けなくなっていくから、会えるうちに毎年会おうということで毎年1泊でやっていましたが、今年からそれもやめ、会食だけになりました。
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仲の良いクラスで、話題も豊富で楽しくあっという間に過ぎ、12時に会食が始まって、2次会、3次会のあと東京駅で関西に帰る友人を見送ったら夕方5時半、声も嗄れました。
「よく年寄りが集まると健康と孫の話ばかりだけれど、私たちもやっぱり健康の話が多くなったわね」と誰かが言ったのは全くその通り。昨日は見学が主のいつもと違い、一人一人の近況だったので、健康の話題になったのですが、14人中殆ど医者に行ってない人が約半数、あとの半数は大なり小なり医者のお世話になったようなのです。

元気と思われていた私ですが、後者のお仲間入りです。
6月のバルト三国旅行中の自分の誕生日に風邪を引き、ひどくなって帰国。その後上気道炎をこじらせて結果が食道裂孔ヘルニア、つまり逆流性食道炎になってしまったというわけです。風邪は万病の元とはよく言ったもの、特に夏風邪はこじらせると老体には異変が起きます。
都立のガンセンターも混んでいて、やっと10月6日に予約が取れて胃カメラを飲み病名がはっきりしました。
7月中、咳をしながらも胃の調子がおかしいと、いろいろ売薬を飲んだりしていましたが、食べられなくてあばら骨が出るくらい痩せてしまい(今も戻っておりません)、これはおかしいと再びクリニックへ。8月から11週間も薬を続けていたら食べられるようになり、2週間半前一旦、薬を打ち切って様子見になりました。が、4日でヤクギレ状態に戻り、またまた薬(半量)のお世話になっています。今日クリニックへ行ったらさらに弱い薬に変更して処方してもらいました。
薬で胃液の酸を薄めているだけなので、ヘルニアが治らない限り一生治らないこともあるということで、一頃ブルーな気分でした。食事制限や外食の種類制限がありますが、食べられれば歩けるので、GoーGoーです。

1人来られなかった山口県在住の友人が、自分で作った14人分の落花生を送ってきてくださったので、早速3%の塩を入れ皮ごと40分茹でて食べてみたら美味しいこと!。以前1度だけ茹でたのを頂いたことがあってその美味しさを思い出すほど。国産の落花生はほとんど手に入らないからありがたいことでした。
友人に早速お礼のメールをしたら、今日はサツマイモ堀りと柿もぎをしているとのこと。焼き芋でますます体重が増えてしまったという何とも羨ましい返事が返ってきました。私と比較したら重労働で体を鍛えているのだなあ。
400gが120gに。
                    茹で終わったピーナツ300x200
                   薄皮を剥いてない状態300x200_2

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