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2016年1月28日 (木)

仏の教え・ 無財の七施

松戸の蓮行寺、小牧住職にブログで教えられた仏の教えです。

無財の七施とは、お金をかけないで功徳が積め、大きな果報が得られるという七種のお布施。

1. 眼施(がんせ)・・眼を施す
優しいまなざしで人に接し、人に暖かみを与えること。

2. 和顔施(わがんせ)・・「柔和な顔」を施す
なごやかで優しい顔つきで人に接すること。人に喜びや安心感を与える。岩崎彌太郎は社員教育におかめの面を見せて、この顔のようにいつもスマイルを絶やさないように訓示したと「知恵泉」でやっていました。

3. 言辞施(ごんじせ)・・言葉のお布施
相手と話をする時、優しい言葉や暖かみのある言葉で話すと、相手に優しさ、思いやりが伝わり、安らぎを与える。それも表面上でなく心からの言葉が大切。

4. 身施(しんせ)・・自分の体を使って、他のためにさせていただくこと。

5. 心施(しんせ)・・心のお布施。
「心配り」とか「気配り」で、相手を暖かくして差し上げる。

6.  床座施(しょうざせ)・・相手に席・場所などを施すお布施。
「徳を人に譲る」例えば、電車やバスで困っている方に席を譲ったりすること。

7. 房舎施(ぼうしゃせ) 雨・風を凌ぐところを人に与えることです。
自分のことより相手を思いやって行動していく。

全て人を思いやっていくところに「七施」があり、そこに「功徳」があります。年取ると人から受ける方が多くなるが、できることは自分からもしたいものです。

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椎名誠著『ぼくがいま、死について思うこと』

椎名さんは死は怖くないと言っております。何度も死に損なっているからでしょうか。
私は、昨年7,8月とあまり食べられなくなって、初めて自分にも死がもしかして近づいているのかと考えた月でした。
いつもは寝ている間に死んだら、もういつあの世に行っても、大体仕事も遊びもやり終えた感があるので、いいなあと思っていました。
しかし死というものはそうもいかないから、死ぬ前には必ず長期間、あるいはもう少し短期間体も苦しんで、気持ちもきっと恐怖を覚えるのではないかと想像します。
死は怖くないとは堂々とは言えないです。
私はずっと元気だったので、自分の加齢や病気を素直にすぐ受け入れられなくて、それで悩んでいたのだと思います。
<全てあるがままに受け入れる>ということが今の課題であります。そして恐怖心を少しでも減らしていけるようになったらgoodです。

この本には、世界で人を葬る方法がいろいろあり、国によっても実に様々であることが載っています。
火葬、土葬、風葬、水葬、鳥葬、樹葬など。鳥葬はチベットなどで行われるが、高原で木など燃やす原料の少ない国だから火葬だけはできないとのこと。その鳥葬が、私は遺体を岩に乗せておくだけかと思っていたらなんと、猛禽類や他の動物が食べやすいように切断をするのだそうだ。遺体切断係がいるのですね。
風葬というのは風が遺体を運ぶわけでなく、野ざらし=曝葬だ。太陽と風と動物と鳥と虫が処理をするわけだ。

チェコで見た人骨でできた教会、敷地がないため髑髏を飾っているオーストリア・ハルシュタットの教会などを見てきましたが、日本にもちょっとしたのがあったのです。
宮田珠己の本に書いてあるらしいですが、大阪通天閣の近くにある浄土宗「一心寺」には人の骨で作った阿弥陀仏が安置されているそうだ。「お骨仏」という。

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縁起開運えと飴(丙申)
「丙」は盛んな様、陽気な姿を表す。
「申」は外に伸びようと発展し、物事が盛んに動く年回り
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2016年1月25日 (月)

谷中七福神と「ボッティチェリ展」

1/20(水)に谷中七福神めぐりをしたのですが、御開帳は10日までだったので、見られたのは大黒様と弁天様だけでした。何でも御開帳のときは大混雑でご拝顔までかなり時間がかかって大変とのこと。近頃人が多くてあきらめることが多くなりましたが、この時も行かないで正解でした。
田端駅から上野駅まで5駅間歩き、同好会の皆と分かれて、この日第3水曜日でシニアは無料の東京都美術館「ボッティチェリ展」まで観たので、約17000歩でした。

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●東覚寺・・・福禄寿・道教の神で長大な頭に白髭を蓄えた老人のイメージ。幸福、封禄(財産)、長寿の3種の願いを具現化したもので、福禄寿ということを知りました。
御大師様の像が見えるので真言宗 。二宮金次郎も像もありました 。450x338
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●青雲寺・・・恵比寿・日本の神。漁業や商いの神様。右手に釣竿を持ち左手に鯛を抱えている姿が一番多い。狩衣姿なのだそうだ。450x338_4
●修性院・・・布袋尊・中国唐の実在の僧。大きな袋を背負った太鼓腹が印象的。富貴繁栄をつかさどる福の神。袋は「堪忍袋」とも見なされる。 塀に布袋様の絵がタイルに描かれているのがなかなかよろしい。450x338_5
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◇夕焼けだんだん 夕焼けが絶景という。そして猫がたくさんいるというので「夕焼けにゃんにゃん」と呼ばれるそうだが、1匹もいませんでした。 しかし、階段を下った谷中銀座の店の屋根に白猫の像が見えました。450x338_7
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◇朝倉彫塑館 朝倉文夫の邸宅兼アトリエ 以前見学してなかなか良かった。450x338_11
◇まちかど賞をとった塀。 景観形成に寄与したことが称えられたそうだ。以下サイトより 1992年に台東区のまちかど賞を受賞し、東京、谷中で寺町の風情を伝えるシンボルとなった観音寺の築地塀。関東大震災で一部が崩壊し、修復を重ねて往事の姿を留めている。瓦と土を交互に積み重ねた土塀に屋根瓦を葺いた作りは、200年前、赤穂浪士らが居た時代の町の面影を伝える貴重なもの。現存する築地塀の長さは37.6m、高さ2.06m。450x338_12
●長安寺・・・寿老人・道教の神。頭が長くて白髭を蓄え、長寿の神で、福禄寿と区別がつかないです。長寿のシンボルである不老長寿の桃を持っているらしい。 狩野芳崖の墓がありました 石像が古くて味わい深い。450x338_13
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◇谷中霊園 文豪のお墓が多い450x338_16
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●天王寺・・・毘沙門天・仏教四天王の一尊に数えられる武神(多聞天)で、インドの神。勝負ごとに利益あり。吉祥天が奥さんで善膩師童子が息子。篤く信仰したのが上杉謙信ですね。 450x338_18
上野公園までお寺の多いこと。田の字に4つも大きい寺もありました。江戸時代に火事があって1ヶ所に集められたとのこと。

●護国院・・・大黒天・ヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラ。護国院は寛永寺の最初の子院。
大黒様です。兎を助けた「大黒様」の歌を思い出すと、日本の神様と思ってしまいます。シヴァ神の化身とは思いませんでした。五穀豊穣の農業の神。

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●不忍池弁天堂・・・弁財天(弁才天)・七福神中の紅一点、琵琶を弾く妖艷な姿で現される弁財天は福徳・諸芸能上達の神。江戸時代になると蓄財の神となった。大黒天と同様、ヒンドゥー教の女神のサラスヴァーティーである。 弁財天はもともと河川の神(水の神)という性格があり、江の島や井の頭公園と同じく水辺に祀られている。 弁天堂内の弁財天は小さくて逆光で残念ながらはっきり見えませんでした。450x338_20
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「ボッティチェリ展」

展示を出たところにある「聖母子(書物の聖母)」とボッティチェリの姿(「ラーマ家の東方の三博士の礼拝」の右端に描きこまれたボッティチェリの肖像画から)
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ボッティチェリと言えば、「春」「ビーナスの誕生」であるが、今回は日伊国交樹立150周年を記念して、工房作品を含む27点が世界各地から集められた。それに関連してボッティチェリに影響を与えた師のフィリッポ・リッピと、その子フィリッピーノ・リッピ(ボッティチェリの弟子になる)の作品など全部合わせて78点にもなる。 ボッティチェリの「聖母子」は金箔やラピスラズリが使われ、優美な線や繊細さや色彩の美しさに目を奪われ、ラファエロの聖母子とはまた違った技量に感動する。 それは「物語画」や「宗教画」や「肖像画」にも言え、特に肖像画の「美しきシモネッタの肖像」はフィレンツェ一の美女とたたえられた女性ということで、実に美しく素晴らしい。 修道士フィリッポ・リッピは自ら司祭職を務めていた女子修道院で修道女クレツィア・プーティを見初め、二人の間にフィリッピーノが生まれた。ボッティチェリの弟子になって、影響を受け、「幼児キリストを礼拝する聖母」や「聖母子」の絵の美しいこと、父親の絵と同様好きになりました。

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2016年1月21日 (木)

阿刀田高著『ものがたり風土記』

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阿刀田高著『ものがたり風土記』は、日本各地に古代から伝わる様々な物語の謎と魅力を解き明かしていくので、実に面白い。
その中でも、硫黄島の話は全く知らず、とても興味深かった。

黄島島(いおうとう)アメリカ軍にやられて玉砕したところ。
硫黄島(いおうじま)は昔は鬼界ヶ島(きかいがしま)と呼ばれていて、薩摩半島の鼻先にある。俊寛が流された島である。
奄美大島の東30㎞にある喜界島(きかいじま)は名前が似ているけれども違う。何だかややこしい。

平家一門の専横に反発した勢力が平家討伐の謀略をめぐらした。俊寛の山荘があった鹿ケ谷である。密告され俊寛ら3人は鬼界ヶ島に流され、後の二人は大赦があり赦免されるが、俊寛は一人この地で37才で亡くなる。
何とこの島には、壇ノ浦で没したはずの安徳天皇の墓があるそうなのである。その上、その后、その皇子の親王など十数個の墓石があるそうなのだ。帝の血筋は延々と今日まで続き、長浜天皇と称され、現在(2000年当時)は第35代だそうで、島では今でもこの一族を「天皇さん」と呼ぶ習慣が残っている。
このほかにも全国各地に安徳天皇陵墓と伝えられるものが存在するらしい。
平家落人伝説も日本全国にあるが、豊臣秀頼の薩摩潜伏説もあるそうだ。
そして私も読んで突拍子もないと思ったのが、高木彬光著『成吉思汗の秘密』で書かれた義経が成吉思汗になったというとんでもない伝説である。
悲劇の主人公を死なしたくない日本人の心が生んだのだが、安徳天皇の一族の墓が十数個もあって案内板にしっかり書かれているというのがほほえましくさえなる。

友人にいただいたもの。骨が殆ど感じられない食感でカルシウムがたくさん摂れそうに思える逸品。秋刀魚、金目鯛、鯵、ホッケなど。温めるだけで尾を残して全部美味しくいただきました。

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2016年1月18日 (月)

鎌倉5 鶴岡八幡宮周辺2

鎌倉も5回目になりました。1/13(水)1/14(木)にお天気も良く暖かかったので八幡宮の周辺の寺社と頼朝墓をめぐりました。殆ど階段を上っていく所ばかり。約12000歩。
まず八幡宮の西側、ごくごく小さな神社で人は誰も見えません。

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35.志一稲荷
筑紫の僧・志一は訴訟のため鎌倉へ来たが、証拠の文書を国に置き忘れた(筑紫から遠いのに何故ここまで気が付かないか!)。すると志一に仕えていた狐が一夜のうちに、往復して文書を持ってきてくれた。しかしその忠心な狐が過労のため息絶えてしまったので、狐を祀るためにこの稲荷社を建立した。338x450
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36.青梅聖天社
鎌倉将軍が病に臥し、青梅を欲しがった。ところが時期が違ったので、方々探し、ようやくこの小社で見付け、献上したら病が癒えた。そのことから青梅聖天社とよばれるようになった。
ともに内部まで閉ざされていて見えないが、将軍地蔵と歓喜天像が祀られているという。この木造の歓喜天像は男神と女神が抱き合って、おたがいの顔を見つめ合う立像だそうだ。最近拝見した方はいるのだろうか?338x450_4
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                                階段の両側は水仙が満開でありました450x338_3
●鶴岡八幡宮 「神苑ぼたん庭園」の冬ぼたん
昭和55年に当宮創建八百年を記念して開園された、廻遊式の日本庭園。源氏池畔には景石と御簾垣や杉苔などが調和し、書院造の齋館では茶会が催されている。
神苑ぼたん庭園では、上野・東照宮ぼたん苑と同じく藁囲いの中で可憐に咲いていました。450x338_4
「湖石の庭」の石は、中国江蘇省・太湖の底から掘り出された石灰岩です。わが国では古来、「牡丹には太湖石」を描いて親しまれてきた。現在中国では天然記念物として保護され、国外に持ち出し禁止となっていますが、ここの太湖石は日中友好を願って寄贈されたもの。上海の豫園でたくさん太湖石を見たことを思い出しました。
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                                            中国より贈られた石筍338x450_6
何でしょう? 左義長神事でお焚き上げするものだそうです。ポージィさんありがとうございました。  (中に門松などが入れてありました)450x338_8
   源氏池には圧倒的にユリカモメが多い。向こうには旗上弁財天社が見える。450x338_9

八幡宮の東側へ431x550
        セイヨウヒイラギ(クリスマスホーリー)の大木に実がびっしり450x338_10
37.来迎寺 町名は雪ノ下から西御門へ
時宗一向派の寺で、鎌倉三十三観音霊場の5番。如意輪観音菩薩像を見ることができました。本尊の阿弥陀如来像も、地蔵菩薩坐像も立派であった。450x338_11
38.八雲神社 
西御門一体の鎮守社で、祭神は須佐男命で1832年の建造
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39.白旗神社と頼朝の墓 北条義時・大江広元・島津忠久の墓 八幡宮内にも同じ名の白旗神社がありました。
       
        階段を上っていくと頼朝墓があり、階段下左手が白旗神社450x338_14
白旗神社 頼朝がこの地に住み、政子が亡くなるまでの46年間ここで政治が行われた。祭神は頼朝。江戸時代末まで寺院として法華堂があったが、神仏分離令で明治5年神社を設立した。450x338_15
頼朝の墓 偉業の割には、後世の人気に乏しいと言われているが、墓も秀吉の豊国廟や家康の東照宮には比べるべくもなく質素である。450x338_16
                      隣の小山には450x338_17
                    この階段を上ると450x338_18
北条義時の法華堂跡(墓石がないけれどもここを墓というらしい)の原っぱがある。義時は2代執権で北条時政の子供、政子の弟。義時のやぐらは今はもう確認できないようです。
この原っぱの左手のやぐらには、執権・北条家によって滅ぼされた三浦泰村一族の墓があります。(材木座の来迎寺には三浦義明と三浦一族の墓がありました)Photo
ここからまた階段を上がるとやぐら式のお墓が3つ並んでいる。左から

大江広元の墓 はじめは朝廷に仕える下級貴族だったが、鎌倉に下って源頼朝の側近となり、鎌倉幕府の政所初代別当を務め、幕府創設に貢献した人。450x338_19
         島津忠久の墓 鹿児島・島津家の祖で鎌倉幕府の御家人Photo_2
毛利季光の墓  毛利家の祖。鎌倉幕府の御家人。大江広元の四男。父広元の相模の毛利荘を継いで、毛利姓を名乗り、唯一生き残った季光の四男経光が後の毛利元就につながる。Photo_3

後の長州と薩摩の祖のお墓が並んでいるなんてびっくりです。そして大江広元の子供が毛利の祖になったなんて。

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2016年1月14日 (木)

映画『消えた声が、その名を呼ぶ』

映画を見るまで時間が相当あったので、有楽町のそばの交番で銀座の地図を貰い、稲荷神社3社などに詣でました。

                 有楽町駅前の南奉行所跡
名奉行大岡越前守忠相は、1717年から1736年にかけて南町奉行としてここで執務していた。450x338
線路の反対側には有電ビルの懐に「有楽稲荷神社」があります。創建は1859年で永井飛騨守が天下泰平と子孫繁栄を祈念した。450x338_2
稲荷神社を多く見るようになって、お狐様の顔に興味が湧いてきたところです。
向かって右側は巻物をかんでいる。450x338_3
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銀座4丁目の並木通りに面するビルの裏側の細い路地に「宝童稲荷」があります。江戸時代から伝えられた子育て稲荷です。直接には今関係ないけれども丁寧にお詣りしてきました。450x338_4
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銀座5丁目のあづま通りに「東稲荷大明神」があります。戦後あづま通り三原小路に火災が続出し、調査の結果この一角にお稲荷さんが祀られていたことがわかり、京都伏見稲荷より御霊をいただいたそうだ。お狐様はおられなかった。450x338_6
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         ソニービルの隣の隣のビルの屋上の洋風の像。何でしょう。450x338_7


映画『消えた声が、その名を呼ぶ』於角川シネマ有楽町 

2001監督はトルコ系ドイツ人のファティ・アキン。
1915年から22年までアルメニア人迫害がオスマン・トルコ帝国内で起きた。最大150万人が虐殺されたと言われる。ヒトラーがユダヤ人虐殺の手本にしたと言われる。その虐殺についての記述はサイトで読んでも、どちらが良い悪いというのも複雑に書かれていてなかなか理解が出来ない。
アルメニア人やクルド人はトルコ系だが、トルコ人やクルド人はイスラム教でアルメニア人はキリスト教だ。アルメニアは紀元301年に、世界で初めてキリスト教を国教とした国です。

映画はオスマン・トルコによって、アルメニア人がたくさん銃殺される場面や、迫害され追われて、ついには亡くなってしまう場面などが描き出される。
ものがたりはアルメニア人の鍛冶職人ナザレットが妻と双子の娘から突然引き離され、砂漠で強制労働につかされ、イスラム教に改宗しないと銃殺刑になる。ナザレットは奇跡的に助かるが、声を失う。娘を捜して、砂漠を歩き、海を越え、森をさまよい、9年かかってアメリカのノース・ダコダへ到る。登場人物はフィクションだが監督は入念に時代背景など調べ上げ再現した。

親日国と言われるトルコ、今映画『海難1890』が話題になっているように、エルトゥルルー号事件で助けた日本人とイラン・イラク戦争時のテヘラン邦人救出に尽力してくれたトルコの関係。トルコの教科書に海難事件の話が載っているとか。あの恐ろしいと言われたオスマン・トルコと日本のこのような関係は、ヨーロッパ侵略やアルメニア人虐殺した同じトルコ人とはとても考えられない。
ついこの間までクルド人問題があったものの平和だったトルコが、アンマンや数日前のイスタンブールで起こった爆発事件、シリア難民問題など、非常に困難な局面を迎えて大変なことだろう。

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2016年1月11日 (月)

長勢了治著『シベリア抑留』

昨日朝はもやっていなかったので、都立武蔵国分寺公園をつなぐ陸橋の上から、スカイツリーが見えました。
写真には写っていなかったのですが、ズームしたらかろうじて見えました。気がついたのは最近です。450x338
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良い匂いが香ってくるのは、ロウバイと梅です。もう散り始めて、この冬の暖冬を実感します。450x338_2
            道端ではイヌホオズキがずっと咲き続けています450x338_3
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鍋用ラーメンに入っていたなると。若い人に「妖怪ウォッチジバニャン」と教えていただきました。地縛霊の可哀そうな猫でした。可愛くて食べるのがもったいないくらい。450x338_6


長勢了治著『シベリア抑留』~日本人はどんな目に遭ったのか~

抑留された叔父の話を聞き、抑留体験記を少し読んできて、その凄まじい生活は想像を絶するものです。
しかし抑留問題はこの部分だけではなかったのですね。戦前戦中戦後の世界の情勢、歴史が刻みこまれていたのです。詳し話は本に譲るとします。
何故日本人が抑留されたのか、数年間から11年間も帰国できなかったかなどあらゆる角度から抑留問題を、統計などをふんだんに使って解説している。
酷寒のシベリアでのソ連の暴虐、飢餓と重労働(酷寒とあわせて三重苦と言った)で拉致抑留された70万人のうち10万人が亡くなった。
ポツダム宣言が発せられ、8月15日の終戦を目の前にした8月9日に、突然ソ連は宣戦布告、満州、北朝鮮、樺太、千島へ侵攻しソ連軍占領地における惨状は、ドイツ、ポーランドなどのソ連軍の暴虐ぶりと全く同じ。邦人の引き上げが始まったがこの大変だったことは、いろいろな本や体験した友人の話で知った。そしてソ連は戦争が終わってから、自国においての労働力不足等の理由があって、日本人70万人を抑留したのであった。
マロース(-40度~-50度)の中で重労働に駆り出し、薄い衣服に少量の粥やスープや腐ったような野菜だけの食事、水さえ少量しか与えられず、医薬品もなく不衛生から来るチフス、防寒設備不良の兵舎など、ないない尽くしの生活を強いられた。
トイレ用の紙はなく、一日に朝晩2回しかトイレに行かせてもらえず時間も制限され(これはアウシュビッツと同じ)、夜中はマロースの中、30mも離れた屋外のトイレに行かねばならないとか、以前読んだ中で、飢えて自分の消化不良の便から穀物を拾って洗って再び食べたという悲壮な話は、私は生涯忘れられない。
亡くなった人の埋葬は杜撰で冒涜的であったという。
ダモイ(帰国)はその年から始まったが、軍参謀やスパイや犯罪者、細菌戦部隊の指揮者、諸々の指導者・活動家、政府機関員などは送還対象から外され、最後の引揚者は11年後となったのである。
戦争を引き起こした罪は大きいとはいえ、降伏後の不条理な拉致抑留は許されない。原爆も投下された日本だからこそ、平和を維持していかねばならない。
されど、安倍首相は「安保法制」を多くの国民の反対の声を押し切って強行成立させました。なんだか驕る平家のようです。でも久しからずではなく久しく続けていくようです。ああ、困った困った。

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2016年1月 7日 (木)

フェルメールに帰属「聖プラクセディス」

ヨハネス・フェルメールの絵が好きになって10年、日本にも毎年のようにやってきたし、また外国の美術館で見る機会を得ました。
全作品37と言われ、うち1作品「聖プラクセディス」はその真偽のほどが論争なっています。アメリカの所有者が亡くなったため、1昨年オークションにかけられ、日本人が約11億円で購入、昨年3月よりヨハネス・フェルメール帰属として国立西洋美術館に寄託され、常設展に展示されるようになりました。
フェルメール作品は37点あるとされ、「聖プラクセディス」だけはまだはっきりした決め手が出ないために、フェルメールに帰属となった。
昨日やっと見ることが出来、初期作品の「ダイアナとニンフたち」「マルタとマリアの家のキリスト」と同じくフェルメールらしくない感じです。
フェルメールが模写したと思われるフェリーチェ・フィケレッリの「聖プラクセディス」とは、十字架を持っている点や空にラピスラズリを使用しているなど相違点が見られるし、顔の表情が少し違うように見えます。あと6点は盗難にあっていたり、門外不出であったりで日本では見られないですが、31点を見られたのがありがたいことです。
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ちなみに「聖プラクセディス」とは初代教会時代の伝説上の童貞殉職教女。聖女ポテンティアナとは姉妹で 聖プデンスの娘(共に歴史的確証無し)。共に迫害された聖人たちを看護し、 迫害によって死んだ大勢の信者を埋葬したらしい。

国立西洋美術館は松方コレクションを基として、1959年(昭和34年)に設立され、印象派やロダンなどの彫刻が中心だが、ルネサンス頃まで遡って少しずつ充実していっているようだ。
寄託作品以外は撮影可能で、気に入ったのだけ写して復習できました。

              ヴェロネーゼ「聖カタリナの神秘の結婚」450x338
                  ルーベンス「眠る二人の子」450x338_2
     マリー=ガブリエル・カペ「自画像」仏女流画家、1785年22歳 美しい!338x450
                       クールベ「波」450x338_3
             ルノワール「アルジェリア風のパリの女たち」338x450_2
                      モネ「睡蓮」450x338_4
                  セガンティーニ「羊の剪毛」450x338_5
                    ロセッティ「愛の杯」338x450_3
                   シャヴァンヌ「貧しき漁夫」338x450_4
                      ミロ「絵画」450x338_6

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「愚痴言わない」「悪口言わない」「自慢しない」この3つは守られたか。今年も心がけていこう。
「持続する」「自立する」はどうか。こちらは怪しいのでしっかりしたい。

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2016年1月 3日 (日)

眉毛スワン

元旦は例年のように井の頭公園の弁財天に初詣に行きましたら、今年は一部かいぼりをやっていました。450x338
池の水を抜き、生き物を捕え、在来種と外来種に分け、池底を天日干しし、水を入れて在来種だけ戻す。2年前にやったのに、外来種がもう戻っていたそうだ。
在来種のウナギはいなかったけれども、ナマズやギンブナ、テナガエビ、モクズガニ、ニホンイシガメなどがいた。338x450_2
外来種には、ブルーギル、アメリカザリガニ、クサガメ、ヒメダカ、コイ(錦鯉は国魚)などがいた。338x450_3
国内外来種3種、ゲンゴロウブナ、ギギ、ヌマチチブがいて、これは国内に分布しているが、人間によって本来の生息地ではない地域に持ち込まれたものだそうだ。
例えばゲンゴロウブナ(ヘラブナ)は本来は琵琶湖の固有種であったそうだ。450x338_2
かいぼりしたヘドロみたいな池底を歩くツアーも開催されているようである。

ますます鳥が減って寂しい池になっています。キンクロハジロが数羽、そして河口湖に多かったオオバンがここにも数羽見られ、カイツブリが1羽盛んに潜っていました。380x285
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今年はスワンボートが見えません。あの眉毛スワンに今年こそ会いたかったのに。そこへ近くにいたらしい娘からのメールで公園の端っこに陸揚げされているとの情報が。
25艘あるスワンボートのうち、睫毛がなくて眉毛のある男スワンがたった一艘、いました。いました。初めてで、飛び上って喜んでおりました。450x352
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ウィンーフィル・ニューイヤーコンサート、今年の指揮者はラトビア出身のマリス・ヤンソンス氏。3回目です。450x338_3
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今年は国連創立71周年目とのことですが、1曲目はローベルト・シュトルツ作曲の「国連行進曲」でした。そのためかどうか、あの歴代最悪と酷評される潘基文事務総長の姿が見えました。
今年のお花のアレンジメントはバラが中心の華やかな色ながら、例年よりずっと目立たない控えた感じでなされています。ヨーゼフ・シュトラウス作曲の「ポルカ・とんぼ」のときは花の中にとんぼが置かれているのが写されました。450x338_5
カール・ミヒャエル・ツィーラー作曲の「ウィーン娘」は初演時、何と6回もアンコールがあったとか。団員さんの口笛が素晴らしかった。
800曲の中から指揮者と団員で選曲された21曲が堪能できた元旦でした。

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2016年1月 1日 (金)

新しい年を迎えて

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              明けましておめでとうございます。

            本年もどうぞよろしくお願いいたします。

暮れから右手が使えないので包丁が使えず、娘が高島屋のお節料理を送ってくれました。全部で28種類の目出度い料理が並んで、自分だったら一日かかっても出来上がらないでしょう。なかなか良いお味でした。
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