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2016年2月29日 (月)

越谷巡り(1) 庭園と植物園(ハランの花!)

650x4462/27浅草から東武線に乗り、越谷駅で降りて、ボランティアガイドさんの案内で越谷を巡ってきました。

●花田苑
越谷市が平成3年に造った廻遊式池泉の日本庭園。美しい池を中心に特色ある木橋、数奇屋造りの茶室、園内を一望できる築山、趣きある石灯籠があり、約14,000本の樹木が植えられていて四季折々花や紅葉が楽しめます。
隣接して越谷能楽堂があり、「薪能」「紅葉能」「春の能」の他、市民の能楽養成事業もなされていて、素晴らしい越谷市です。

入口は長屋門で、名主・宇田家のを復元したもの。ブロ友のmatsubaraさまの長屋門も見学させていただいたけれども立派で、中にある御物もきちんと保存されていました。450x338
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                       能舞台450x338_7
       面の説明が書いてあり、興味をそそられました。般若と若女450x338_8
                  能楽堂の松(羽衣の松)450x338_10
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●久伊豆神社
創建は平安時代。本殿は1789年建立。手元の日本地図の中の越谷で唯一載っている神社、有名なのですね。450x338_12
天然記念物の藤は平田篤胤が植えたもので、樹齢200余年、株廻り8m、地際から7本に分かれ、棚が東西15m、南北30mと大きく、1.5mに垂れ下がり、咲いたら見事でしょう。
平田篤胤(1776~1843年)は妻に先立たれ、再婚した1818年から数年この神社内に仮の庵を結んだようである。450x338_13
         参道が長く鳥居中心に500mもある
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●アリタキ植物園
2002年に植物学者の故・有瀧龍雄氏が所有していた植物園が市に寄贈され、2010年に開園したもの。ここでもボランティアガイドさんに解説していただきました。
越谷市天然記念物の北米原産の「ラクウショウ」や幹回り4m以上もある「シナサワグルミ」など貴重な樹木及び多種の「ツバキ」が植えられています。

初めて見たハランの花に感動です。それはカンアオイに似た雰囲気で色も紫で似ています。お寿司の飾りや華道に使われる葉にお花が咲くなんて考えもしませんでした。
調べると、ハランはユリ科(ユリ科といえども花弁が8枚?)とかスズラン科とかキジカクシ科とか書いてあり、ハラン属です。地面からいきなり花が出ています。
白い方はまだ蕾で、開いている方の紫の花被は5枚は付いてるが、3枚はもう落ちてしまっていた。中央には柱頭があり、雄しべはこの下に隠れて見えないそうである。450x327
朴伴 花芯の雄しべが小さな花弁に変化した(唐子咲と呼ばれる)ツバキ。この花心部に大小の弁花が盛り上がっているものを獅子咲というのですが見たことがない。450x338_16
キンギョバツバキ(金魚葉椿) ツバキの葉の先が金魚の尻尾のようなので、名前が付いた面白いツバキ。450x338_17
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                 四角の茎の竹 触るとよくわかる338x450

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2016年2月25日 (木)

多摩湖(村山貯水池)の2つの富士山

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1927年に、東京の上水道の貯水池として掘られた狭山湖(山口貯水池)と多摩湖(村山貯水池)は多摩川から水を引いている。小学校の遠足で行ってもいるが、その時水道の勉強をした覚えがあります。
2/21に多摩湖の自転車道(湖が見えない道)を半周して、そこにある2つの富士の名前が付く山(丘)に登ってきました。その帰り薬用植物園に一人で寄り、さらに家に帰って図書館に行ったら約25000歩でした。

西武池袋線の西所沢で西武狭山線に乗り換え、終点の西武球場前で下車。

                 西武球場ドームが目の前だ450x338
●最初に立ち寄ったのが狭山山不動寺

芝増上寺をはじめとする各地の文化財をこの地に集め、西武鉄道グループが、当時のオーナーであった堤義明と親しかった寛永寺の助力により、天台宗別格本山として建立したというもの。

勅額門も御成門も、秀忠公の御廟に秀光公が建立したもので重要文化財。彫刻や色合いなど日光東照宮に似ている。450x338_2
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           第一多宝塔、第二多宝塔はともに室町時代の様式1_450x338
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弁天堂 井伊家建立 このお堂の御本尊は上野不忍池弁天堂の御本尊である450x338_4
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               芝増上寺から持ってこられた石灯籠450x338_7

●山口観音(金乗院千手観音 真言宗・豊山派)
この寺は、古くから観音信仰の霊場として知られ、武蔵野観音霊場第13番。鎌倉時代末期新田義貞が鎌倉を攻めた際には、この寺に祈願したという。文書が残っているという。

                        山門450x338_8
                 六地蔵に名前が付いている450x338_9
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                        本堂450x338_11
   霊馬堂の中の新田義貞の白馬像。ここでこの白馬は余生を送ったという。450x338_12
                      水子地蔵450x338_13
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                       七福神450x338_15
                      千躰観音堂338x450
●玉湖神社 山口観音から歩き始めてすぐの所にある。今は事情により神様不在と書いてあった??450x338_16
●狭山富士(標高:151m) 神社の横をちょっと登ると何もない狭い頂上がある。昭和8年に多摩湖を掘った土を積み上げて造った富士だそうだ。
ここからは多摩湖でなくて狭山湖と、かすかに富士山が望めた。450x338_17
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●谷津仙元富士 西に向かっていた道が三等三角点で東に向かう。すると谷津仙元富士に到着。頂上に小さな「浅間神社」と書かれた石の祠があった。ここは富士講があり、この場所は富士塚でもある。450x338_19
            すぐ近く下った所に木祠がありここで昼食にした450x338_20
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湖の真ん中のダムサイト(上堰堤)を渡って対岸の西武ドームに向かった。
美しい青い湖面と空、爽やかな張りつめた空気を満喫しました。450x338_22
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無信仰と言われる日本人ですが、神社仏閣のみならず、日本のあらゆる場所に、人々が信仰する山、樹木(御神木となる)、路傍の地蔵・石像などが見られることに驚く日々です。

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2016年2月22日 (月)

『レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の挑戦』展 江戸東京博物館 と 都薬用植物園

特別展『レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の挑戦』が日伊国交樹立150周年を記念して、江戸東京博物館で開催されています。
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15点あまりと言われているダ・ヴィンチの絵画のうちの1点が来日しました。
その名も『糸巻きの聖母』
これは英国貴族バクルー公爵が代々所蔵してきた傑作で、2009年から英国エディンバラのスコットランド・ナショナル・ギャラリーに寄託され展示されている。
スフマート(ぼかし技法)が用いられているのが、『モナ・リザ』へとつながるきわめて貴重な作品で、英国外に出品されるのは77年振りとのこと。
と云う事を聞いてたまたま第3水曜日に出かけたら、ここも高齢者は無料で大変混んでいました。そのため、展示の一番最後に掲げられている小さな『糸巻きの聖母』を見るためには40分並ばねばならず、斜め遠くから背伸びして見るにとどまりました。細部はだめだったものの一応鑑賞でき、『モナリザ』に雰囲気が良く似ているとわかりました。
幼子イエスが身体を糸巻きの方にひねり、糸巻きを手に取り、もう一方の手で上方を指している。背景の描写も素晴らしい。ダ・ヴィンチは他の画家と違って、母子に光輪を描いていない。

199x277展示の最初はダ・ヴィンチの肖像です。左の有名な自画像はありませんが、後世の人が描いたのが数点ならんでいます。これもダ・ヴィンチの顔かというのもあります。
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素描、鳥の飛翔の研究から飛行機へ、人体解剖図と筋肉・骨格の研究、花や馬や洪水の研究、橋や空気スクリューや護岸用プレハブブロックなどの模型もあって、研究が事細かにノートに記されている。こんなにあらゆる森羅万象に興味を示し、研究していれば、絵画も10数点で未完のものも多いわけと納得できます。

聖母子に関連する絵画はこの他に見たのが
エルタミージュ美術館の『リッタの聖母』と『ブノワの聖母』
ミュンヘンのアルテ・ピナコテークの『カーネーションの聖母』
ルーブル美術館とロンドン・ナショナル・ギャラリーにそれぞれある『岩窟の聖母』
ルーブル美術館の『聖アンナと聖母子』
で今回のを入れて全部で7点。

他にルーブル美術館の『洗礼者ヨハネ』『荒野の聖ヨハネ』『モナ・リザ』『貴婦人の肖像』
ウフィツィ美術館の『受胎告知』
ワシントン・ナショナル・ギャラリーの『ジネヴラ・デ・ベンチ』の6点

まだ未見?2点
アンブロジアーナ美術館の『音楽家の肖像』は日本にやってきたような記憶があるけれども?来ていたら見ました。
チャルトリスキ美術館『白貂を抱く貴婦人の肖像』は横浜美術館に来たのに、そしてポーランドでも見られなかったのが残念です。
以前見た『ほつれ毛の女』の素描や壁画『最後の晩餐』も忘れられない作品です。

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『動物を愛護するレオナルド・ダ・ヴィンチ 鳥を買い空に放つ』という絵があったのですが、辻惟雄著『若冲』の中に、エピソードとして
<ある日、彼は市場で、生捕った雀を売るのに出会い、焼き鳥にされるその運命に同情して、数十羽を買い求め、自宅の庭に帰って放してやった>というのである。
東西の画家が同じような愛護の気持ちを鳥(動物)に抱いていたというのに感動しました。

 

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都立薬用植物園(2/20)の様子 セリバオウレンとセツブンソウを見られて嬉しい!
                     
                      枝垂れ梅

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                       紅梅450x338_2
                      フキタンポポ450x338_3
                      セリバオウレン450x338_4
                    セツブンソウ450x338_5
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                      サンシュユ450x338_7
<温室>
                    パフィオペディラム450x338_9
                       コチョウラン450x338_10
                     ヤエヤマアオキ450x338_11
                   アリマウマノスズクサ450x338_12
                      シロガヤツリ450x338_13
                     オオベニウチワ338x450
                   ヒョウタンウツボカズラ450x338_14

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2016年2月18日 (木)

鎌倉7 十二所神社から杉本寺へ

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2/12に、鎌倉駅からバスで十二所神社バス停まで行き、金沢街道の滑川沿いに点在する6つの寺社を巡りました。地名は十二所(じゅうにそう)、浄明寺、二階堂。5つのお寺はいずれも鎌倉三十三観音霊場でした。小町通り、若宮大路、八幡宮はごった返しているのに、この辺りは人もまばらでしたが、前日の11日休日は大変な混みようだったと、鴨南蛮を食べたそば屋さんが言っていました。

十二所神社(大江稲荷) 十二所
この地の地名になった神社で、祭神は天神七柱、地神五柱の十二神。この神社の前身が熊野十二所権現社(次に訪れた光触寺にあったが神仏分離でここに移った)だったから十二所という地名が付いたと言われる。ひっそりし誰も訪れる人はない。338x450
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光触寺 十二所
時宗 一遍上人開基。創建は1279年。鎌倉三十三観音霊場第7番札所450x338_2
  本堂へと続く境内の道の両脇には新旧の墓塔が並ぶ姿が印象的なお寺である450x338_4
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塩甞地蔵 寺への道を教えていただいた近所に住む三浦一族の末裔の老婦人に、塩甞地蔵が元あったバス通りの角を教えられ、その謂われも教えていただいた。
現在の金沢区から朝比奈峠を越えてきた塩売りが鎌倉市中で商いをするため、この地を通るたびに、この地蔵に塩を捧げていたが、帰りに通ると塩がなくなっていたので塩甞地蔵と呼ぶようになった。実際は当時ここの人々も貧しかったので持って行ってしまったようだと伝わっていると婦人は話された。450x338_7
明王院 十二所
真言宗御室派 創建は鎌倉幕府四代将軍の藤原頼経。実朝の後の将軍の名を初めて知る。鎌倉三十三観音霊場第8番札所。
本尊は不動明王を中心とした五大明王である。
山懐に抱かれた寺院で、茅葺の屋根と正面の蔀戸が印象的なのと、お隣の庫裏がいい風情の静かなお寺です。450x338_8
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                                                滑川のサギ450x338_12
浄妙寺 浄明寺(寺の名と住所が字が違うのは高名な寺名をはばかって明としたらしい)拝観料100円
鎌倉五山の第五位 臨済宗建長寺派 鎌倉三十三観音霊場第9番
創建は頼朝の忠臣の足利義兼。中興開基が足利尊氏の父・貞氏で没後当寺に葬られた。室町時代には浄妙寺の東側に足利公方屋敷が構えられ、足利尊氏やその子孫が居住していたそうだ。450x338_13
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                        方丈450x338_14
                     喜泉庵(茶室)450x338_15
                  足利貞氏(尊氏の父)の墓338x450_2
少し上っていくと、大休寺跡足があり、足利直義(尊氏の弟)の墓がやぐらの中にありました。450x338_17
                     フクジュソウ450x338_18
報国寺(竹の寺) 浄明寺 竹の庭の拝観料200円
臨済宗・建長寺派。鎌倉三十三観音霊場第10番。
開祖が足利尊氏の祖父・足利家時。家時は八幡太郎・源義家の7代目。足利氏は義家3代目義康が下野足利に土着して足利氏と称したのがはじまり。
原節子の主演映画「山の音」(原作川端康成)には「報国寺」が出てくる。康成はこのあたりに住んでいた。

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竹の庭の風景 孟宗竹が空を隠すほど密生している。人が小さく見える。450x338_20
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                     中世のやぐら450x338_22
                        地蔵450x338_23
                        お庭450x338_24
                 お寺の障子も竹の模様です450x338_25
杉本寺 二階堂 拝観料200円
天台宗 杉本観音は坂東三十三観音の第1番札所であり、鎌倉三十三観音でも第1番札所である。
734年創建で鎌倉で最古のお寺である。長谷寺が2年後に創建された。光明皇后の御願により藤原房前(不比等の二男)と行基が建立。

行基と慈覚大師(円仁)、恵心僧都(源信)と3人の作った十一面観音像を、1191年に頼朝が参詣し、この三像を内陣におさめ秘仏とし、前立に運慶作の十一面観音像を寄進したという。
内陣の奥の、秘仏である三像はとても古く、弱い光のもとではあるけれども荘厳なお顔を見ることが出来て、この日一番の感動を覚えました。前立の運慶作は七尺という大きな観音様でした。殆どのお寺で見せていただけないので、秘仏をこのように公開してくださってお寺に感謝です。338x450_3
                     仁王門と仁王450x338_26
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          先端が削られて丸くなった、奈良時代の苔むした石段450x338_28
今回は奈良時代の光明皇后や行基,平安時代の偉大な僧都のお寺の観音様を拝見できました。そしていよいよ北条亡き後の足利氏の登場。鎌倉が根拠地であった鎌倉公方、京都の室町将軍にもなった尊氏はじめ、足利親子三代、兄弟の栄枯盛衰が垣間見られる、鎌倉のこのあたりの地を探索できました。

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2016年2月15日 (月)

あさが来た

『小説 土佐堀川 広岡浅子の生涯』古川智映子著
朝の連続テレビ小説を「あさが来た」を観ています。毎日が楽しみなドラマです。以前の「花子とアン」の村岡花子とも関係があって、浅子の御殿場の別荘での勉強会に花子は市川房江らと参加していました。

幕末・明治草創期には実に大勢の新しい日本を作った人が出て、様々なドラマや本でその人々を知りましたが、女性実業家は初めてです。当時の女傑番付表によれば、東の横綱は、広岡浅子です。
9転10起、転んでも転んでも起き上がる。それもただでは起きない。刺客に刺され瀕死の重傷を負って奇跡的に助かった時にも、生命保険ということに気付かされたと、それをありがたかったことと思う人である。借金の返済猶予をお願いにあがったり、銀行倒産の噂が駆け巡って資金繰りに困ったときにも多くの人に頭を下げてお願いに上がるときに、断られても断られても、ぺしゃんこになっても、道端で病に倒れてもまた起き上がって続けるというその精神力の強さはこの人だけのものです。
結核になって血を吐いても、処方の薬を飲むだけで仕事を続けながらいつの間にか治ってしまい、乳癌を20年以上も抱えていながら一度も受診せず、娘に発見されて手術という、今では考えられない仕事優先の人です。20年もほおっておいたガンが転移もしなかったのはどうして。そんな癌があるのか、やりたい情熱を注ぐ仕事があるということが癌という病気をもはねのけてしまうものか。
自分で儲けたお金を人のために、女子を教育するために使うという精神がまことにいい。今の日本のお金持ちにもその精神を汲んでやって欲しいと願わずにはいられない。
p.235~236に書いてある会話にも含蓄があります。井上秀(浅子が設立に貢献した日本女子大の教授で後に学長になった人)に諭している会話の中から抜粋です。
「自分の向上のために勉強するということ、本を読むだけで成長すると思うことではだめで、生きた学問をしなくてはいけない。自分だけ知識を得ても、しまいこんでも社会に役立てなければだめ。「人間」て、人の間て書く。他人さんのおかげを蒙って生きている。自分だけでなく人のことも考えなければいけない」

               ★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

昨日娘から届いたバレンタインチョコ。今年はムーミンチョコ。スナフキンやリトルミイもいます。380x285
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チョコが今食べられなくて相伴出来ない、我儘な私の食道のために餡子菓子も添えられて。285x380


               ★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

卍の筆順は横・横・縦・縦・縦・横。
「必ず」や「飛ぶ」も長いこと間違えて覚えていました。他にも筆順のあやしいのや、未だに読めない漢字がたくさんあります。
日本語さえも一生かかっても全然勉強しきれないです。

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2016年2月10日 (水)

忠臣蔵・義士の最期 と 『勝川春章』展

雑学大学にて
忠臣蔵の真相シリーズ5回目のラストが『義士の最期』でした。資料を先生に読んでいただきわかったことは

元禄15年12月15日泉岳寺へ引きあげ
四家にお預け
 ・細川越中守(肥後熊本)~大石内蔵助以下17名・・泉岳寺の裏にある下屋敷 引き取り人が750人 その人数の多さにびっくり。
 ・松平隠岐守(伊予松山)~大石主税以下10名・・今のイタリア大使館 引き取り人300人
 ・毛利甲斐神(長門長府)~吉田沢右衛門以下10名・・今の六本木の毛利庭園 引き取り人200人 
 ・水野監物 (三河岡崎)~間瀬孫九郎以下9名・・今のJR田町駅 引き取り人150人
元禄16年2月4日
 ・討ち入り浪士切腹 切腹はこの頃は自分の腹に刺すことはなく介錯人が首をすぐ刎ねたとのこと。
 ・吉良家は息子が上杉家の当主になっていたので、吉良家の当主は孫・吉良左衛門であった。喧嘩両成敗で領地召し上げ、信州高嶋藩へお預けとなった。
 ・浪士の遺児15歳以上の4人は遠流で1人死に、3人は赦免され戻る。15歳以下16人は仏門に入る。

切腹したのは四十七士でなく四十六士であった。足軽だったらしい寺坂吉右衛門は引きあげ途中でいなくなる(密命説や逃亡説などあり)。お墓は東京と福岡八女市の2ヵ所も言い伝えがある。
また一人は親戚が引き取ってお墓を別の所に建てる。しかし泉岳寺にはこの2人の墓も供養のために建てられた。

先日、明治天皇が鎌倉宮を作って護良親王の名誉を回復したことを知ったのですが、図らずも四十七士も明治天皇の勅宣(天皇の勅語)で罪人でなくなったのだそうです。
明治天皇が遷都し最初に行幸されたのが埼玉県の氷川神社だったそうですが(東京入都10日目に)、同時に勅使を泉岳寺に派遣したのだそうです。
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『勝川春章』前期展 太田美術館

318x450北斎好きとしては北斎の師の展覧会ははずせません。本日行ってきました。

チラシより
「勝川春章(1726?~1792)は人気の歌舞伎役者や力士たちを、似顔絵を用いた写実的な作風で描き、一世を風靡した浮世絵師です。晩年には、緻密な肉筆美人画を手がけたことでも知られています。春章の門下には春好、春英、春潮ら人気絵師が出て活躍し、勝川派は浮世絵界で大きな勢力を誇りました。あの葛飾北斎も、若いころ春章の門を叩き、勝川春朗という名前で青年時代を過ごしています。そして春章が発展させた役者似顔絵の手法は、東洲斎写楽や歌川豊国ら、のちの浮世絵師たちにも多大な影響を与えました。つまり春章の存在無くして、北斎や写楽が世にでることはなかったとも言えるのです。」
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春章の師の絵も数枚あり、弟子に影響を与えた春章の役者絵、力士絵、肉質美人画、武者絵がたくさん。そして弟子たちの絵がたくさんあり、北斎が弟子であった頃の絵も。北斎と書いてなければ分からないし、師匠と弟子の区別も出来ませんでしたが、初めての北斎の作品がたくさん見られたので本展に行った甲斐がありました。

本日朝日夕刊に勝川春章は実は17年若かったという資料が発見されたという記事が載っていました。生誕290年でなくて生誕273年ということですか。生誕290年記念ということで2月20日から出光美術館でも『勝川春章と肉筆美人画』展が開催されるのです。

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2016年2月 8日 (月)

10余年前のドイツ と 大楠山

今や経済大国でEUを牽引していく覇者、ドイツ。
2004年に上梓された、川口マーン惠美著『ドイツは苦悩する』を読んで、それこそ仰天だった。古い本なので読もうか迷ったが、読んで大変驚いた。
10年以上も前の本なので最初読むのが躊躇され、序章までは乗り気でなかったが、その後嘘みたいな連続の話に、今のドイツからは考えられなくて、でもあんなだったのに、どうして今のドイツになったのか?、?マークだらけの印象です。しかし現在新たなシリア難民受け入れ問題で、寛容なドイツだったが、その後の新たな(わかっていたと思うのだが)問題に苦悩することになった。そしてEUの拡大の不安。ギリシャ問題、トルコ加盟問題(これは遠ざかった感があるが)、山積する問題に頭を抱える状態だ。

アデナウアーが福祉国家を目指した段階から国家は狂い始めた。ふくれあがる債務と労使の負担、年金制度の重大な欠陥などなど。
そして一番びっくりが公務員。年金も医療保険も全く負担してないのに恩給を受ける。90日の休暇に祝日と土、日を引くと200日しか勤務しない。
普通の人々も資産海外への持ち出し、脱税、ヤミ労働など国家財政をかなり減らしている。

ドイツのごみ問題は世界のトップを行って、そのビデオは日本の教材に使われた。しかししかし、ハイテクのごみ選別は凄いのだが、強制デポジット制は、読み進むと、店側、製造者側ととんでもない犠牲を強いられたのである。

教育問題、これも想像つかなかったが驚く実態だったのである。この当時、学力はヨーロッパで下位、北ヨーロッパやアジアには遠く及ばず、下を見れば、ブラジル、メキシコ辺りしか見当たらないという悲惨な状況だった。幼稚園はただ預かるだけで字も何も教えない。小さな子供に勉強を強要するべきでないという親が多く、小学校へ行かせるのもわざと1年遅らせる親が結構多いのだそうだ。小学校4年が終わると大学へ進むコース、専門学校コース、職人コース(いまは昔のマイスター制は見る影もなく、落ちこぼれコースと化した)と分かれる。
そして当時、学校は午前中だけ。7時45分から午後1時まで6時間。ホームルームもクラブ活動もなし。食生活の乱れの原因になっている。

この頃三組に二組が離婚していた。離婚男性は当然ながら子供の養育費と妻の生活費を要求され、家から追い出されるのでとても哀れである。

1960年代に不足した労働力を補うためにトルコから労働者を招聘した。当時すでに320万人のイスラム教徒が住んでいて、うちトルコ人が210万人。ドイツ国籍取得のトルコ系ドイツ人が50万人。帰国するどころか一族を呼び寄せ、子供たくさん産み、人数を増やしてドイツに居ついてしまった。そして過激なイスラム教徒がドイツの憲法に則ってどんどん自分たちの権利を拡張しているという。ドイツ語を学ばず、早朝の礼拝や乗りつける車の騒音、やかましい礼拝のスピーカー音などいさかいが裁判に持ち越されても全てアラーの神に味方の判決だ。
ある学者によれば今世紀末、政治はアメリカ、経済は中国、ヨーロッパはイスラム化しているであろうと。

東西ドイツの統一は、もうさんざん言われているが、西側の莫大な援助がソ連の影響を受けた東側には何のメリットも持たされないで消え、東の不満ばかりが残っている状態だった。
苦悩するドイツの一面を読んだのですが、それからの10年後は随分改善されたのでしょうか。当時の日本はこんな問題はなかったけれども、現在近隣4か国に何だか引っ掻き回されてる感じで、心穏やかではない。混迷混沌するばかりの世界情勢でもあるし。トランプ氏のように言いたいことを叫びたい人も多いでしょう。
川口さんの文章と考察はなかなかのもので、随分勉強されています。

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昨日2/7、三浦半島最高峰・大楠山(241m)に登りました。
登山口から80分という簡単な山で下の方は竹藪が見事。登山道も整備されていて、整備する自治体?やされる方にいつも感謝です。450x338
           日本在来種のシロバナタンポポ(キク科タンポポ属)380x303
ヒメウズが群生し、蕾をたくさんつけていました。焦点が合わずボケボケ写真です。自分が大ボケになって写真までボケが多いこの頃で嘆かわしい。450x338_2
                      山頂の看板400x300
                    河津桜が咲いていた380x285
風が少し弱まった時点で展望台が解放され、登ると360度の展望が開けていました。

                     大山方面450x338_3
             江の島 その向こうの富士山は見えず残念450x338_4
            伊豆半島方面 この左に大島が見えていました450x338_5
                   南方面、右側は三浦市450x338_6
                       横須賀450x338_7
                最近行った猿島が見えています450x338_8
                     横浜・東京方面450x338_9
                北側の二子山から畠山の山並み450x338_10

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2016年2月 4日 (木)

映画『ブリッジ・オブ・スパイ』

映画『ブリッジ・オブ・スパイ』を観てきました。

監督:スティーブン・スピルバーグ
出演 弁護士(ジェームス・ドノバン):トム・ハンクス
   スパイ(ルドルフ・アベル):マーク・ライランス

トム・ハンクスは勿論ですが、共演するスパイ役のマーク・ライアンスの演技に見惚れた映画でした。アカデミー賞助演男優賞にノミネートされている。本命はシルヴェスター・スタローンと言われているそうでどうなるでしょう。

のっけから自画像を描いている男、鏡に映った男、男の描いている自画像と三つの顔が映し出されます。自画像ってこのように描くのかと感心したりしたのですが、きっと男の心は複雑でも表情は穏やかでとてもスパイとは思えない。
このスパイのアベルが捕まってしまって、裁判にかけられる。その弁護士がトム・ハンクス演じるドノバンで、本来は保険関係の仕事をしているが抜擢されたわけである。法廷場面はさらっとしていて、激しいやり取りはそれほど見られないのですが、どこまでもスパイの無罪を訴えて闘う。そのおかげで家族までも銃弾を浴びるはめになるが、ドノバンは上告までして頑張り死刑判決を回避する。
舞台は東ベルリンへ。1960年にソ連で撃墜された偵察機のパイロットのパワーズともう一人の学生スパイ、二人のスパイの交換の交渉を米国政府から秘密裏に依頼され、交渉を開始する。この裁判とスパイ交換の2つの大役をこなしたドノバンは、決してひるむことなく、信念を曲げることなく困難な仕事に立ち向かっていくのです。最後の別れのシーンが感動的でした。
素晴らしい弁護士がいたものです。
内容に比べたら、静かだと言ってもいい映画でした。

隣にイギリス人の男性二人が座ったのですが、映画が始まる前、やおらサツマイモの皮をむき始めたので、思わずそちらを見物。そしたら「石焼き芋」と石焼き芋屋さんの口上をまねて言うのです。石焼き芋が大好きだそうで、外国人が・・・と驚いてしまいました。

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今日は立春、日が沈むのも少し遅くなり、そこここに春の兆しを感じます。この日豆腐を食べるといいなんて聞きました。
娘の所の文旦が今年は150個くらいなったらしくて、半分貰った一部を今日も干して熟させています。実が生り始めた年の頃より大きく、美味しくなってきました。来年再来年にはさらに美味しくなるでしょう。
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2016年2月 1日 (月)

鎌倉6 二階堂周辺の四寺社

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1/26に二階堂地域に行ってきました。覚園寺と瑞泉寺は歩いていくしかないので約17000歩でした。
二階堂は人の名前にあらず、建立物、寺院の名前から来ているのです。
奥州征伐に向かった頼朝が、平泉の中尊寺など豪奢な寺院群を見て、その中の二階大堂大長寿院を模して鎌倉に創建したのが永福寺(ようふくじ)でその後廃亡した。その永福寺の本堂を二階堂と称し、永福寺の別名が「二階堂」であったので地名もこれにちなむ。

㊵ 鎌倉宮(大塔宮)後醍醐天皇の第一皇子・護良親王が祭神。
明治天皇が明治2年、建武新政に尽力され、悲しい最期をとげた偉勲をたたえるべく神社造営の勅令を発し、東光寺跡に創建された。鎌倉宮も明治天皇の命名である。
鎌倉幕府の専横による国家国民の困窮を憂慮された後醍醐天皇は討幕の夢叶わず、隠岐の島へ遠流。護良親王は幕府打倒したものの、足利尊氏の陰謀でここ二階堂に幽閉され殺された。450x338_2
                                        カンヒザクラが満開450x338_3
拝殿には3つ赤い獅子頭が置かれているが、護良親王が兜の中にしのばせていたお守りに由来する。450x338_4
村上社 中央の腰掛け木像が村上義光の「撫で身代わり」像である。
村上義光は、吉野で護良親王が幕府軍に捕えられようとしたとき、親王の直垂を身にまとい、身代わりの最期をとげたのである。
右側に掛けてある雛型の木の人形にはたくさんの人のお願いが書かれている。450x338_5
拝観料300円を払って入るコースには本殿や土牢、御構廟、多宝塔、宝物殿などが見られる。
           土牢 護良親王が9ヶ月幽閉された。お墓は3分位離れた場所にある。450x338_6
鎌倉宮碑 明治天皇が当宮ご創建にあたり太政大臣三條実美公に語られたお言葉を刻したもの450x338_7
                                                   りす450x338_8
                           お昼はおだんごと珈琲つきの赤飯和食でした450x338_9

㊶ 覚園寺
真言宗で京都・泉涌寺の末寺。1296年、北条貞時が智海心慧を開山に創建。お坊さん曰く、鎌倉のチベットだそうです。

                                           姿の良い山門450x338_10
                                          ここの梅は満開です338x450
       愛染堂(堂内には愛染明王像と不動明王像と阿閦如来像が祀られている)450x338_11
参拝は時間制で拝観料は500円、寺僧の案内で説明を聞きながら50分の拝観散歩をするが、撮影は禁止。
茅葺の薬師堂が素晴らしかった。薬師三尊と十二神将が足利時代のもので、その時に書かれた天井の字も消えつつあり、仏像も修理しないそうで自然に任せるとのこと、その古さが何ともいえず荘厳で崇高な御姿で、すっかり魅せられました。
おびんずる様もいらして自分の悪いところ、そして人の分まで撫でまわし、これは少しやり過ぎ、欲張り過ぎと反省したくらいです。

移築された鎌倉の名主住宅を見た後、黒地蔵菩薩、十三の仏様が彫られたやぐら、30㎝位の700体の地蔵のある千体地蔵堂などを見学しました。
こんな北の地には珍しい地植えの仏手柑と覚園寺椿(ごく薄いピンクの椿)やロウバイも鑑賞できました。アジサイの季節もいいそうです。

                                                   ロウバイ450x338_12
           蒲原有明旧居跡 今もご子孫が住んでおられる450x338_14
永福寺跡 頼朝が1192年に着手したのは義経や藤原泰衡などの慰霊のためだった。450x338_15

㊷ 瑞泉寺 
開山は夢窓国師、建立1327年の臨済宗円覚寺派。鎌倉公方(鎌倉府の長)の菩提寺として、鎌倉五山に次ぐ関東十刹に列せられた格式のある寺院。鎌倉三十三観音霊場六番札所。拝観料200円。
有名な梅はまだ何も咲いてなくて、水仙は雪にやられてしまったそうだ。

     吉田松陰留跡碑 幕末に松陰は伯父の住持のもとをたずねている。
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                        本堂450x338_16
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               どこもく地蔵尊(鎌倉地蔵尊七番札所)300x450
         夢窓国師が作られた、名勝瑞泉寺庭園の天女洞と貯清池450x338_17

㊸ 荏柄天神社 
太宰府天満宮と北野天満宮とともに日本三天神とのこと(ただし鎌倉時代までで、現在は防府天満宮とのこと)。知りませんでした。祭神は菅原道真。
頼朝が幕府を開いた際、当社をその鬼門を守る鎮守社としたわけだ。

参道の大木が上空で重なり合って鳥居のようと書かれていたが本当にそのようです。338x450_3
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               社殿 受験生の絵馬が溢れています450x338_18
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             境内左奥に「かっぱ筆塚・絵筆塚」があります450x338_21
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