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2016年2月 1日 (月)

鎌倉6 二階堂周辺の四寺社

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1/26に二階堂地域に行ってきました。覚園寺と瑞泉寺は歩いていくしかないので約17000歩でした。
二階堂は人の名前にあらず、建立物、寺院の名前から来ているのです。
奥州征伐に向かった頼朝が、平泉の中尊寺など豪奢な寺院群を見て、その中の二階大堂大長寿院を模して鎌倉に創建したのが永福寺(ようふくじ)でその後廃亡した。その永福寺の本堂を二階堂と称し、永福寺の別名が「二階堂」であったので地名もこれにちなむ。

㊵ 鎌倉宮(大塔宮)後醍醐天皇の第一皇子・護良親王が祭神。
明治天皇が明治2年、建武新政に尽力され、悲しい最期をとげた偉勲をたたえるべく神社造営の勅令を発し、東光寺跡に創建された。鎌倉宮も明治天皇の命名である。
鎌倉幕府の専横による国家国民の困窮を憂慮された後醍醐天皇は討幕の夢叶わず、隠岐の島へ遠流。護良親王は幕府打倒したものの、足利尊氏の陰謀でここ二階堂に幽閉され殺された。450x338_2
                                        カンヒザクラが満開450x338_3
拝殿には3つ赤い獅子頭が置かれているが、護良親王が兜の中にしのばせていたお守りに由来する。450x338_4
村上社 中央の腰掛け木像が村上義光の「撫で身代わり」像である。
村上義光は、吉野で護良親王が幕府軍に捕えられようとしたとき、親王の直垂を身にまとい、身代わりの最期をとげたのである。
右側に掛けてある雛型の木の人形にはたくさんの人のお願いが書かれている。450x338_5
拝観料300円を払って入るコースには本殿や土牢、御構廟、多宝塔、宝物殿などが見られる。
           土牢 護良親王が9ヶ月幽閉された。お墓は3分位離れた場所にある。450x338_6
鎌倉宮碑 明治天皇が当宮ご創建にあたり太政大臣三條実美公に語られたお言葉を刻したもの450x338_7
                                                   りす450x338_8
                           お昼はおだんごと珈琲つきの赤飯和食でした450x338_9

㊶ 覚園寺
真言宗で京都・泉涌寺の末寺。1296年、北条貞時が智海心慧を開山に創建。お坊さん曰く、鎌倉のチベットだそうです。

                                           姿の良い山門450x338_10
                                          ここの梅は満開です338x450
       愛染堂(堂内には愛染明王像と不動明王像と阿閦如来像が祀られている)450x338_11
参拝は時間制で拝観料は500円、寺僧の案内で説明を聞きながら50分の拝観散歩をするが、撮影は禁止。
茅葺の薬師堂が素晴らしかった。薬師三尊と十二神将が足利時代のもので、その時に書かれた天井の字も消えつつあり、仏像も修理しないそうで自然に任せるとのこと、その古さが何ともいえず荘厳で崇高な御姿で、すっかり魅せられました。
おびんずる様もいらして自分の悪いところ、そして人の分まで撫でまわし、これは少しやり過ぎ、欲張り過ぎと反省したくらいです。

移築された鎌倉の名主住宅を見た後、黒地蔵菩薩、十三の仏様が彫られたやぐら、30㎝位の700体の地蔵のある千体地蔵堂などを見学しました。
こんな北の地には珍しい地植えの仏手柑と覚園寺椿(ごく薄いピンクの椿)やロウバイも鑑賞できました。アジサイの季節もいいそうです。

                                                   ロウバイ450x338_12
           蒲原有明旧居跡 今もご子孫が住んでおられる450x338_14
永福寺跡 頼朝が1192年に着手したのは義経や藤原泰衡などの慰霊のためだった。450x338_15

㊷ 瑞泉寺 
開山は夢窓国師、建立1327年の臨済宗円覚寺派。鎌倉公方(鎌倉府の長)の菩提寺として、鎌倉五山に次ぐ関東十刹に列せられた格式のある寺院。鎌倉三十三観音霊場六番札所。拝観料200円。
有名な梅はまだ何も咲いてなくて、水仙は雪にやられてしまったそうだ。

     吉田松陰留跡碑 幕末に松陰は伯父の住持のもとをたずねている。
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                        本堂450x338_16
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               どこもく地蔵尊(鎌倉地蔵尊七番札所)300x450
         夢窓国師が作られた、名勝瑞泉寺庭園の天女洞と貯清池450x338_17

㊸ 荏柄天神社 
太宰府天満宮と北野天満宮とともに日本三天神とのこと(ただし鎌倉時代までで、現在は防府天満宮とのこと)。知りませんでした。祭神は菅原道真。
頼朝が幕府を開いた際、当社をその鬼門を守る鎮守社としたわけだ。

参道の大木が上空で重なり合って鳥居のようと書かれていたが本当にそのようです。338x450_3
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               社殿 受験生の絵馬が溢れています450x338_18
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             境内左奥に「かっぱ筆塚・絵筆塚」があります450x338_21
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コメント

正月から旺盛な行動力!
身代わりと練って殺されるとか土牢にとじこめられるとか、こういうことを本で読むのではなくて、その地で知ると想像力が刺激されて、痛いような感覚を覚えることが多いです。

投稿: 佐平次 | 2016年2月 1日 (月) 10:49

こんにちは
 
今回巡られた周辺で、行ったことのあるのは瑞泉寺だけですが、
花の寺としかしらなくて、背景の歴史もすぐ近くの二階堂についても
初めて知ることばかりでした。
今回の各地も、多くの壮絶な歴史事実と切り離せないのですね。
鎌倉時代というのがそういう時代だったということでしょうね。
いえ、鎌倉時代に限らず、江戸時代の安定期に入るまでは
ずっと血で血を洗うようなことが繰り返されていたのかもしれません。
そう考えると、現在のシリアなど紛争の続く所と一緒でしょうか。
戦国時代の武将たちの物語を娯楽的に読んできましたが、
とんでもない時代だったのですね。
おっとすみません、話がおかしな方に流れてしまいました。

投稿: ポージィ | 2016年2月 1日 (月) 11:23

★佐平次さま

早速にありがとうございました。
たくさん歩くと体調がいいです。
家の周りを広く歩いても7000歩で、しかも買い物が入っているので飽きちゃって。

本当にそうですね。他の天皇などは畳の部屋を与えられたのに、この親王は狭く寒くて暑い土牢ですから体が弱ってしまわれて、痛みが伝わってきました。

投稿: tona | 2016年2月 1日 (月) 13:09

★ポージィさま

鎌倉宮と瑞泉寺は2.、3度行ったことがあるのに、何も覚えていませんでした。それに歴史も地名の謂れもそうです。
鎌倉の初期と最後の方の歴史が少し頭に入ってきた段階です。
武士が台頭してきてから江戸時代初期まで、ずっと戦争の連続、残酷さはおっしゃるように今の中東やアフリカのイスラム教信仰地域の紛争と変わりなく、多くの涙が流されていたのですね。
今戦争がない日本は、北朝鮮からミサイルが飛んでこないのを祈るばかりです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2016年2月 1日 (月) 13:17

昨年12月上旬の撮影会で鎌倉宮から獅子舞~天園~瑞泉寺~覚園寺と行きました。
この地区は紅葉も素晴らしい所です。
今の季節は梅とロウバイ、そして鎌倉宮の寒緋桜も咲きだしたようですね。

永福寺跡もだいぶ整備されてきました。
上に建物が建つのか?が気になる所ですが、その資料はないそうですね?
その永福寺が二階堂と呼ばれていたので地名になったとは知りませんでした。
美術館勤務時代、理事だった高名な先生のお宅が二階堂地区で、仕事で何度か訪ねました。
邸宅はどのへんだったか?と、この辺りを歩くたびに思います。

覚園寺の500円を払ってのお坊さんの説明を聞きながらの観覧は見どころもいっぱいで皆さんに勧めていますが・・・
「撮影禁止」がカメラを趣味とする者にはとても残念でした。

投稿: nao♪ | 2016年2月 1日 (月) 16:44

まだま寒いこの時期、梅が咲き、ロウバイが咲いて、鎌倉路にも春の訪れが
感じられます。
 さすが鎌倉は歴史の街。随分前に行ったきりで、一度ゆっくり探訪したいと
思いながら気持ちだけ逸り、体がついていけず、未だに実現せず。
もっぱらtonaさんのブログで拝見。散策してます。
詳しい解説に感謝してます。

投稿: 夢閑人 | 2016年2月 1日 (月) 17:29

★nao♪さま

撮影会は随分長い距離で行われたのですね。
今はお花がないですが紅葉の頃も素晴らしそうですね。
季節ごとに何回行ってもいいところです。
鎌倉宮の寒緋桜をご存じだったのですね。

永福寺は公園になっているし、これからまだ整備されるようなことが書いてありましたが、建物の復元はどうなのでしょう。
理事だった方の邸宅はどこなのでしょう。二階堂はかなり立派な家が多いですね。あちこち見とれました。

覚園寺の撮影禁止はちょっと悲しいですね。頭から抜けてしまうのが残念。でも薬師堂だけは頭にしっかり刻み付けてきました。
説明も良かったです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2016年2月 1日 (月) 20:49

★夢閑人さま

瑞泉寺の梅だけは一つも咲いてなくてがっかりしましたが、ほかはぽちぽちと。
それにしてもお寺にはロウバイが多かったです。
鎌倉にたくさんある寺社には、それぞれ歴史が詰まっていて、何も知らなかった私は随分勉強になる鎌倉歩きです。
他は個人ではなかなか行けませんが、鎌倉や都内は自分の都合で歩けていいですね。
こちらこそいつもありがとうございます。

投稿: tona | 2016年2月 1日 (月) 20:53

tonaさんやnao♪さんのブログには、その土地の謂れや歴史などが説明され
何時も読んでて社会科の授業を受けてるようです。

私は鎌倉に行ったのは数える程度で、お寺も多くて何処が何処やら
さっぱり覚えてないのですが、分からないながらにも
読ませて貰って面白く、歴史は知れば知るほど面白いですし
その場に立ってると思うと、考え深いものがありますね。

日本三天神は太宰府天満宮と北野天満宮と荏柄天神社との事ですが
一般的には太宰府天満宮・北野天満宮に防府天満宮の方を言ってるみたいですね。

春を先駆けて蝋梅や紅梅を楽しまれたようですね。

投稿: ラッシーママ | 2016年2月 1日 (月) 21:13

★ラッシーママさま

日本三天神を教えていただきありがとうございました。
本文に訂正させていただきました。
荏柄天神を入れていたのは鎌倉時代までと調べたら出ていました。
防府天満宮は北九州に住んでいた時に行ったことがありました。もうよく覚えていません。
私も本当に申し訳ないことですが、ブログに書くお蔭で、いろいろ復習して頭にやっと入っています。すぐ忘れるのですけれども。
こちらこそいつもありがとうございます。

投稿: tona | 2016年2月 1日 (月) 22:01

こんにちは。鎌倉はすっかり春の様相ですね。写真で鎌倉巡りができてとても楽しかったです。(前のコメントは変換ミスでした。お手数ですが削除いただければありがたいです。)

投稿: 多摩NTの住人 | 2016年2月 2日 (火) 08:22

とても行けないところを詳しく書いていただき
ありがたいです。
鎌倉にこんなに遺跡があるとは東京に居たころも
知りませんでした。

阿閦如来、これは、あしゅく如来と読みますが
よく文字転換できられたと驚きます。
今はこの文字まで変換できるのですね。
初めてこの如来のことを知ったのは30年前で、
辞書を引くのにも苦労しました。

投稿: matsubara | 2016年2月 2日 (火) 08:28

★多摩NTの住人さま

こんにちは。
寒い中にも春の気配がしてきましたね。
ご一緒に鎌倉巡りをしていただき、ありがとうございます。嬉しいです。

投稿: tona | 2016年2月 2日 (火) 15:53

★matsubaraさま

6回目でやっと私にもなじみのある寺社に参ることが出来ました。子供時代以来のもありまして何も覚えてないし、知りませんでした。
阿閦如来は密教における金剛界五仏の一つだそうですね。
皇族ゆかりの泉涌寺の末寺とは驚きました。
仏教関係もこれからまだまだ学ぶことばかりでやっと入り口付近近くに着いたという感じです。ありがとうございました。

投稿: tona | 2016年2月 2日 (火) 16:03

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