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2016年2月10日 (水)

忠臣蔵・義士の最期 と 『勝川春章』展

雑学大学にて
忠臣蔵の真相シリーズ5回目のラストが『義士の最期』でした。資料を先生に読んでいただきわかったことは

元禄15年12月15日泉岳寺へ引きあげ
四家にお預け
 ・細川越中守(肥後熊本)~大石内蔵助以下17名・・泉岳寺の裏にある下屋敷 引き取り人が750人 その人数の多さにびっくり。
 ・松平隠岐守(伊予松山)~大石主税以下10名・・今のイタリア大使館 引き取り人300人
 ・毛利甲斐神(長門長府)~吉田沢右衛門以下10名・・今の六本木の毛利庭園 引き取り人200人 
 ・水野監物 (三河岡崎)~間瀬孫九郎以下9名・・今のJR田町駅 引き取り人150人
元禄16年2月4日
 ・討ち入り浪士切腹 切腹はこの頃は自分の腹に刺すことはなく介錯人が首をすぐ刎ねたとのこと。
 ・吉良家は息子が上杉家の当主になっていたので、吉良家の当主は孫・吉良左衛門であった。喧嘩両成敗で領地召し上げ、信州高嶋藩へお預けとなった。
 ・浪士の遺児15歳以上の4人は遠流で1人死に、3人は赦免され戻る。15歳以下16人は仏門に入る。

切腹したのは四十七士でなく四十六士であった。足軽だったらしい寺坂吉右衛門は引きあげ途中でいなくなる(密命説や逃亡説などあり)。お墓は東京と福岡八女市の2ヵ所も言い伝えがある。
また一人は親戚が引き取ってお墓を別の所に建てる。しかし泉岳寺にはこの2人の墓も供養のために建てられた。

先日、明治天皇が鎌倉宮を作って護良親王の名誉を回復したことを知ったのですが、図らずも四十七士も明治天皇の勅宣(天皇の勅語)で罪人でなくなったのだそうです。
明治天皇が遷都し最初に行幸されたのが埼玉県の氷川神社だったそうですが(東京入都10日目に)、同時に勅使を泉岳寺に派遣したのだそうです。
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       ☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

『勝川春章』前期展 太田美術館

318x450北斎好きとしては北斎の師の展覧会ははずせません。本日行ってきました。

チラシより
「勝川春章(1726?~1792)は人気の歌舞伎役者や力士たちを、似顔絵を用いた写実的な作風で描き、一世を風靡した浮世絵師です。晩年には、緻密な肉筆美人画を手がけたことでも知られています。春章の門下には春好、春英、春潮ら人気絵師が出て活躍し、勝川派は浮世絵界で大きな勢力を誇りました。あの葛飾北斎も、若いころ春章の門を叩き、勝川春朗という名前で青年時代を過ごしています。そして春章が発展させた役者似顔絵の手法は、東洲斎写楽や歌川豊国ら、のちの浮世絵師たちにも多大な影響を与えました。つまり春章の存在無くして、北斎や写楽が世にでることはなかったとも言えるのです。」
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春章の師の絵も数枚あり、弟子に影響を与えた春章の役者絵、力士絵、肉質美人画、武者絵がたくさん。そして弟子たちの絵がたくさんあり、北斎が弟子であった頃の絵も。北斎と書いてなければ分からないし、師匠と弟子の区別も出来ませんでしたが、初めての北斎の作品がたくさん見られたので本展に行った甲斐がありました。

本日朝日夕刊に勝川春章は実は17年若かったという資料が発見されたという記事が載っていました。生誕290年でなくて生誕273年ということですか。生誕290年記念ということで2月20日から出光美術館でも『勝川春章と肉筆美人画』展が開催されるのです。

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コメント

こんにちは
 
赤穂四十七士の最期について学ばれたのですね。
仮名手本忠臣蔵で脚色されたり色々あって、真相の分かって
いないこともあるのですね。
吉良上野介サイドから見ると極悪人に描かれて憤懣やる方なかったりも。
切腹したのは四十六士だったことは知っていましたが、
寺坂吉右衛門について、ドラマなどでは密命説を基に描かれている
ことが多いようですね。私もそれが真実のような気がしています。
事件後の士の預かり先が何家かになったのは分かりますが、
いずれも大人数の「引受人」とはどういう方たちのことでしょう?
明治天皇の勅宣で四十七士が罪人でなくなったというのは初めて
しりました。何にしても、これほど長い年数語り継がれ人々の想いが
投影され続けてきた事件と物語は、他にはないかもしれませんね。
 
北斎の師匠の展覧会。勝川春章という画家、まったく知りませんでした。
写楽にも北斎にも多大な影響を与えた師匠とのこと。
まさしく、知られざる巨匠なのですね。

投稿: ポージィ | 2016年2月11日 (木) 13:57

★ポージィさま

今日は一日中雲が見当たりませんでした。風もなくいいお天気ですね。

仮名手本忠臣蔵で脚色されたのを2回ほどテレビで放映された歌舞伎で観ています。吉良家の隣の家の中でのことや、大石内蔵助が母や妻まで裏切る場面です。
お芝居は毎年年末にベートーベンの第九と一緒に必ずやりますね。
今回は堀内伝右衛門覚書の資料など数点からですが、何しろ一人では資料が読めず、先生が読んでくださってやっと理解できました。
寺坂吉右衛門についてはいろいろ言われていたのですね。福岡のお墓には驚きました。
ああ、引受人ではなくて引取り人ですが、どうしてこんなに物々しく大勢か不思議ですね。
大名行列や和宮様の人数の多さから、江戸時代ってそのように何でも大人数にするのでしょうか。
明治天皇はいろいろなことをなさっていらしたのですね。私は自ら研究はしませんがこの他にもきっといろいろなさっていらっしゃるのでしょう。

勝川や歌川は弟子関係でたくさんの人が出てきまして、さっぱり覚えられませんが、とりあえず勝川春章だけ頭に入りました。歌川は豊国と国芳だけです。時間を見つけて浮世絵や肉筆画について勉強したいと考えていますが、早稲田の方は西洋ルネッサンスの講義が今年もありますので、私が両方なんてちょっと無理のような。
お忙しい中、ありがとうございました。

投稿: tona | 2016年2月11日 (木) 16:27

忠臣蔵はいろいろな小説を読みましたが、すべてお気に入りです。四十七士が明治天皇の勅宣で許されたのは知りませんでした。

投稿: 多摩NTの住人 | 2016年2月11日 (木) 19:56

★多摩NTの住人さま

本をいろいろ読まれたのですね。
私はお芝居やテレビだけですので、全部通してつながっておりませんでした。
明治天皇のされたことは私も初めてで、これがこの日一番驚いたことでした。
コメントありがとうございました。

投稿: tona | 2016年2月11日 (木) 21:23

「忠臣蔵」と言えば年末には必ず登場しますね。
以前、NHKで年台と共にた忠臣蔵は脚色されて、実際とはだいぶ違ってると言ってましたが・・・

討ち入りには大雪が降ってますが、実際には雪など降ってなかったそうです。
私も寺坂吉右衛門は内蔵助の密命を受けて身を隠し
討ち入りになるまでや討ち入りの様子を、後世の人達に語り継いだのでは・・・

先月に両国に吉良邸があり、其処には吉良邸を守った侍達の名前が記してありました。
主人を守る為に、己を犠牲にして戦ったのに
吉良上野介だけ悪者にされて、悔しがってる事と思うと不憫で・・・
吉良上野介は名君だったとも・・・

私は絵には疎いのですが浮世絵、見て心豊かになります。
ブログ仲間の銀河さん、今度「お茶会」で一緒になりますが
その銀河さんに連れられて何度か絵もご一緒してます。
その一つが歌川豊国?・国芳?どちらかの浮世絵展に行きました。
裸になった人間がチョンマゲになった・・・
私の無知に恥ずかしいのですが・・・

葛飾北斎の名前は有名ですし浮世絵も沢山見てますが
勝川春章の弟子だった時があるのですか。

多分、銀河さんなら深いお話しが出来る事でしょう。

投稿: ラッシーママ | 2016年2月11日 (木) 21:24

★ラッシーママさま

お芝居にする時んは名前も変えるのだそうですね。
真田幸村はお芝居の中の名前で信繁が本当の名前だというのを初めて知った私です。
寺坂吉右衛門のこともいろいろあって面白いですね。
忠臣蔵も歌舞伎にもたくさんの場面があってなかなか全部見きれていません。
そうそう、吉良邸は今度行かなくては。
吉良の殿様の地元ではとても慕われているのですってね。
人には極悪人以外は表と裏の顔があって、歴史上人物の多くが書かれるようになりましたね。
キュリー夫人の裏の顔なんかを以前読んで驚いたことがありました。

浮世絵展あちこち行っていますが、もう系図が頭から抜けてしまって、せっかく鑑賞してもその時だけになっています。
ご一緒に気長に勉強したいものです。
いろいろありがとうございました。

投稿: tona | 2016年2月11日 (木) 21:40

忠臣蔵は子供のころから毎年暮れになると、映画やTVドラマで観てきましたが・・・
(父の誕生日が打ち入りの12月14日)いろいろ脚色されていたのでしょうね。
四家にお預けで、引き取り人が750人!とは凄いですね。

↑のラッシーママさんも書かれていますが、1月のオフ会で吉良上野介の屋敷跡を見てきました。
彼は彼で地元では名君だった聞いています。

出光美術館で葛飾北斎の師匠だった勝川春章の「肉筆美人画展」が今月の20日からあるのですね。
tonaさんの方が詳しいわ。
私が居た頃から肉筆美人画は所蔵があり、展示会もやっていましたが・・・
私自身が最近はご無沙汰でした。

昨日はお見舞いメールをありがとうございます。
二重瞼が一重になるほど腫れていましたが、今日は戻りました。
まだまだ内出血の跡が長引きそうで・・・
今日はマスクをして写真教室です。

投稿: nao♪ | 2016年2月12日 (金) 12:40

★nao♪さま

お父さんのお誕生日が討ち入りの人は、忠臣蔵を忘れられない日ですね。
吉良上野介はお芝居では特に悪者ですね。
浅野内匠頭にも随分問題があったとされています。

勝川春章の生誕290年で奇しくも太田美術館と出光美術館の両方で開かれるなんて。
特に出光美術館は肉筆美術画中心ですからね。
出光はいろいろ所蔵しているのですね。
太田は2万点所有と書いてありました。

腫れが引いて良かったです。
でも内出血はなかなか引かないですね。3週間ですか。早く治りますように。

投稿: tona | 2016年2月12日 (金) 19:13

歌舞伎「忠臣蔵」を通しで観たいと思いつつ日が暮れそうです。

投稿: 佐平次 | 2016年2月13日 (土) 10:12

★佐平次さま

本当に通しで観たいですね。
歌舞伎はチケットもなかなか買うのが大変そうです。
テレビでポチリポチリと観ています。

投稿: tona | 2016年2月13日 (土) 11:05

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