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2016年3月31日 (木)

バスツアー・東京桜めぐり

昨日3/30お花見でなく、人見に出かけてきました。21579歩。富士山裾野ハイキングでは疲れないのに、人に疲れました。外国人の多いことに今更ながら驚きます。アジア語も種類多く飛び交っていて、中国人だけでない。韓国語は全然聞かれなかったです?

隅田川お花見クルーズ→上野恩賜公園→靖国神社→千鳥ヶ淵→増上寺

開花宣言から9日経っていて丁度満開ごろと申し込んで、どこも行ったことのある所ばかりですが、一挙に楽しもうと。・・・欲張りすぎました。それに天候も寒い日が続いて隅田川は満開どころではありません。おまけに天気が良いということでしたが、完全に春霞で、日が照っていても青空が見えない。

●日の出桟橋からクルーズ。後ろにレインボーブリッジを見て出発。以前ヒミコで下っているのでお馴染みの橋を見ながら浅草へ。450x338
                                                 中央大橋450x338_2
                      浅草に到着した墨田区側は2分咲きといったところ450x300_2
                     しかし浅草側は数本を除いて殆ど咲いていませんでした450x338_3
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.         あきらめて仲見世へ.。ここはいつものように凄い人ごみ。450x338_5
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●上野公園 展覧会から1週間で7分咲きでしょうか。春休みだし、国立科学博物館や美術展と動物園や花見でごった返していました。450x338_7
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                     歩きやすい450x338_11

●靖国神社 ここもたくさんの人で賑わっていました。3_450x338
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東京管区気象台が観測するソメイヨシノの標本木は能楽堂の横にありました450x338_15
奥にある神地(しんち)庭園 この広い敷地の隣の隣が昔の我が勤務地であって懐かしくなりました。450x338_16
●千鳥ヶ淵 人が多くて歩くのが大変な状態。以前にも見た素敵な景色。ボートがあると様になる。450x338_17
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●増上寺 ここもそこそこの人出でした。450x338_21
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                    港区立芝公園450x338_24





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2016年3月27日 (日)

雑大「味わい教育」と本『揺れる移民大国フランス』

雑大の講義は「味わい教育 感じるとおいしくなる魔法」でした。

前掛けをして現れた先生、学習院女子大学の品川明教授はいつも講義で前掛けをしているのだそうだ。
下手なうえに聞きながらの走り書きで、正確ではないですが、面白い構図の前掛けでした。381x450

生徒たちにアーモンドを持ってきてくださって、「まず食べよ。次に鼻をつまんで食べよ」ということで、違いを知ったわけだが、鼻をつまむと香りが非常に強くなる。

・口に入れるもので、非生物は何?(水、塩、空気)から始まり
・生き物を殺したり、傷つけたりしないで食べられる食は何?(牛乳、無精卵、蜂蜜)とか
・「有難う」の反対は?・・・これは答えがいろいろ出たけれども正解が出なかった。答えは「当たり前」
・お椀の中に地球が見える。4行詩を作ろう。
などいろいろな問題やアクティビティがあってあっという間の2時間でした。いまに日本人はやわらかいものしか食べられなくなるでしょうとのこと。食の現状や背景を把握し、常に新しい食教育が必要になってくる。

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増田ユリア著『揺れる移民大国フランス~難民政策と欧州の未来~』

昨年のシャルリ-・エブド襲撃事件、パリ同時多発テロでその衝撃と恐怖に支配される欧州。そしてシリアやアフリカから押し寄せる難民に揺れる欧州。
人種の坩堝のパリを始め、フランス人は三代前はみな移民という。
えー、信じられないという思い。田舎のブドウを作ってワインを製造する人、ハーブやバラの栽培で香水を作っている人たちが移民なの?と思ってしまう。
沢山の植民地を支配したし、地続きでユーラシア大陸内の移動は航海よりもっと簡単にでき、さもありなん。
貧しさからの脱却、政治的亡命、より高い教育への渇望などいろいろなことで国籍を簡単に取れた欧州の国々。
ここにきて中近東のアラブの春からの嵐、シリア問題、以前からのイスラエル・パレスチナ問題、アフガニスタン問題、もっと昔のカンボジア問題などすべてが絡まって、向上心溢れる素晴らしき脱国者、亡命者などハイクラスのインタビューは感動的。だが、この間テロを起した人たちのその背景をさぐると移民を多く許したつけがたくさん浮かび上がり、私には解決策がちょっとわからない。著者はそれでも移民や難民を受け入れようとする人々がいて、ここにフランスの希望を見るのだそうである。
テレビで映像を見る限り、いやはや大変な問題と感じるばかりです。
と読み終わった所で、ベルギーでフランステロ事件と関係あった人達のまたしても連続自爆テロ。早く全容が解明され、今後の対策へと進めばいいのですが。

今朝のニュースで、日本へ来た外国人労働者の子供の日本語教育は国家予算の支援がなくなり、焼津のように自治体で教育が出来なくなって、日本語学校が廃校になるところが出てきた。日本語を習ってから日本の学校へ入学するわけで、外国人労働者の子供は日本語が出来ないなどいろいろあって不登校の子供が増え、日本での正規の就労が困難になると言っていたが、これこそベルギーのあのテロリストたちが活動始めたそもそもの原因と同じ状態ではないかと危惧される。対岸の火事ではなくなる。

哀れな今年の木蓮 
ヒヨドリが、花が開く前に殆ど食べつくして、咲いた木蓮の花が見られませんでした。
中央の黒いのがヒヨちゃんです。

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2016年3月24日 (木)

『カラヴァジョ展』 於:国立西洋美術館

        3/21 茅ヶ崎、お墓の近くに土筆がたくさんはえていました。450x338
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               同じ日、近所のユスラウメも満開321_450x338_2


昨日3/23に上野に『カラヴァッジョ展』を見てきました。前日開花宣言されたがなりなのに、もう人々はシートを敷いて宴会たけなわといった風情でしたのには驚きです。
咲いていた桜は「小松乙女」と「陽光」でした。450x338_5
                      小松乙女450x338_2
                        陽光323_450x338


『カラヴァッジョ展』
    ナルキッソス         トカゲに噛まれる少年
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カラヴァッジョもミケランジェロが付く、ミケランジェロ・メリ-ジ・ダ・カラヴァッジョ(1571~1610年)というのが本名です。
西洋美術史上最も偉大で、イタリアが誇る大画家だ。
彼の光と影の劇的な明暗法は、そこに浮かび出る人物表現と写実性によって、ラ・トゥール(今回2作品が来ていた)やレンブラントを含む多くの17世紀前半の画家に影響を与えた。
イタリアやヨーロッパからやってきた画家によって熱狂的に継承され、それはカラヴァジズムと呼ばれる。そしてカラヴカッジョの継承たちをカラヴカジェスキと総称する。
今回はカラヴァッジョによる現存する真筆作品は60余点と言われる作品(中には移動不可能な祭壇画などが多数ある)中、11点が来日し、残りカラヴァジェスキの作品40点余りが展示された。
私は沢山好きな画家がいる中に洋画家ではラファエロとカルヴァッジョ、ラ・トゥール、フェルメールとゴッホがことに好きな一群に挙げられる。

カラヴァッジョの作品と言えば、お花と果物と少年(自画像とも言われる)も多いし、風俗画「女占い師」、あとは宗教画「エマオの晩餐」「エッケ・ホモ(この人を見よ)」「洗礼者ヨハネ」「法悦のマグダラノマリア」など。斬首のコーナーには「メドゥーサ」が注目を浴びる。

                      バッカス390x450
                      女占い師450x357
                    エマオの晩餐450x365
                  エッケ・ホモ(この人を見よ)359x450
                     洗礼者ヨハネ450x332
                      メドゥーサ436x450

カラヴァッジョはミラノで弟子となって勉強していたが、ローマに出て活躍、しかし喧嘩っ早く殺人を犯し、ローマ郊外で保護された生活を送るが、その後マルタに逃れ、そこでもまた殺傷沙汰を起し、シチリアのシラクーサ、パルレモで絵を描きながら過ごし、その後ナポリからローマへ帰る途中熱病あるいは鉛中毒で38歳の短い命を終えた。

今回カラヴァジェスキの作品が4倍も多く並んだわけだが、直接の弟子ではないし、やはりカラヴァッジョの腕が群を抜いていることに注目した。ただラ・トゥールの作品は素晴らしい。

家に今咲いている花  ギンギアナムやヒマラヤユキノシタ、雲南黄梅など
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2016年3月20日 (日)

映画『アイリス・アプフェル!94歳のニューヨーカー』

昨日目薬がなくなって眼医者へ。
医師:あれ、目ヤニも出てて、花粉症ですね。お幾つですか?
 私:74歳です。
医師:私が看た患者さんの中で、花粉症発症年齢が、あなたが最高齢です。
 私:えー!(心の中では名誉なことかなどと一瞬思ったのですが)

3日前に富士山から帰ってきた夜、くしゃみが連発して鼻を数回かんだので、風邪かなと思いルルを飲んで寝たら翌日良くなっていたので、一安心したところでした。
だがめでたくも花粉症。でも症状はちょっと鼻をかむ回数が増えただけで、あまり気にならない。マスクが嫌いだからかけないでいこう。ひょっとして年々ひどくなるのかしら?

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ドキュメンタリー映画『アイリス・アプフェル!94歳のニューヨーカー』を観てきました。

のっけからカラフルな衣装に、大きな黒縁のメガネ、超特大の何重ものネックレスやブレスレット。次はどんな服装で登場かが気になり楽しみの映画でもある。90歳ころからの撮影らしいが、今年94歳。アルバート・メイズルス監督は昨年亡くなった。
映画全編中のそのファッションに圧倒されっぱなしだ。デザインだけではなく、その色合わせや組み合わせ、民族衣装からいろいろな小間物まで、この世に存在するありとあらゆるモチーフを使用しているのではないかと思う。それが全部似合っているのだ。
パートナーの御主人もデザイナーで撮影時100歳を超えていたらしい。奥さんがファッションにお金を使ってくれるのが嬉しいなんて言っていた。

新聞の映画評欄の秋山登・映画評論家が紹介しているところによれば、
アイリス・アプフェルは米ファッション界の伝説的存在で、現役の実業家だ。ニューヨーク大学で美術史を学び、雑誌編集者からインテリアデザイナーを志す。ホワイトハウスなどのインテリアを手掛けている。
世界各地の衣装や装飾類のコレクターとしても知られ、2005年にメトロポリタン美術館で開いた展覧会が大好評で、以来、広告のモデル、テレビ出演、大学客員教授などと超多忙、自ら立ち上げたテレビショッピング会社も好調だそうだ。

アイリス・アプフェルにとってのお洒落は「気概」だそうで、一番の才能は「好奇心」と「ユーモア」というわけ。
具合が悪くても頑張って出かけ、夢中になるから、帰ってくるとへとへとになる。けれども何事もただでは手に入らないから、泣き言を言わないで突き進む。
美人だと年取って我が美貌の衰えを悲しむが、自分はそうでないのでそんな悲しみはない。
まるでターシャ・チューダーのように他にもいろいろ名言を吐いて、本当に元気なおばあちゃんだ。
こういう人は全然ボケていないというのも、この人生哲学をもってすれば当然だ。
楽しいドキュメンタリー映画でありました。

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2016年3月17日 (木)

富士山すそ野一周ウォーキング12

2_650x562_2昨日、3/16(水)は曇。 富士山すそ野一周ウォーク第12回は「ふもとっぱら~割石峠」22206歩。
これまで行ったのは、1,3,2,4,5,6,7,8,9,10,14,11,15,16,12という順番で、あと13と最終回17回目を残すのみとなりました。

右手一帯は朝霧高原で、左手に山が迫っているその麓が東海自然歩道になっています。静岡県と山梨県の境の割石峠まで行く道で、右手にずっと富士山を眺めながら歩ける、一周の中で唯一のコースです。標高は800m~900mで風もありとても冷え込んでいました。

           中央高速道を走っているときは晴れていたのですが450x338_2
            9時頃通過した富士吉田では青空がなくなり450x338_3
               沿道には雪が降ったあとがあります450x338_4
             途中一瞬本栖湖が見えます(来月が愉しみ)450x338_5
ふもとっぱらに着いたら、雪はなく、原っぱ一面はモグラの活躍のあとでした。ここのモグラは天敵がいないのかしら。このあたりでは10万人規模のライブが開かれるそうだ。450x338_6
           富士山は雲の中に入ったり出たりの午前中でした450x338_7
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林の中も歩く 富士山並びに周り全体は水の吸収が悪くすぐ鉄砲水が流れるそうだ。ずっと歩いてきた感じでは樹海以外は杉やヒノキが多く、間違ってもブナ林はないですものね。さもありなんです。水の保水力がないのです。
このあたりはこのような製紙会社の木を植林した時代があったのですね。450x338_9
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                      雪道もある450x338_11
昼食はまたまたスエヒロ富士店のステーキ(軟らかくて美味しい)
              植え込みにあった盆栽のキノコ450x338_12
昼食後の12時には曇っているのにくっきりと見え始めました。万歳三唱。雪がまた増えて、特に山梨県側は多い。450x338_13
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                大澤崩れが見えますか?450x338_17
ここは時代劇の戦争場面のロケが多く行われる場所。電線など現代の遺物は何もないから撮影にもってこい。昔の合戦場も、想像するに、田舎は自然に囲まれ、粗末な家を背景に暮らし、領地争いで戦争ばかりしていたのですね。450x338_18
一時、ぶどう畑があったそうですが、甲府のように土地が合わなくて撤退したとか。ソバ畑もそういわれている。このあたりは昔の噴火の溶岩はないとのこと。又、前回のような大噴火は1万年に1回とのことで、今心配されているがあのようなことはないと学者が言っているそうだ。
鹿が木の幹を食べた跡が痛々しい。まあ冬に食べ物が何もないとき頑張って生きていく姿は映像で見ているので、鹿も大変なのだ。増えすぎて困っているとか。450x338_19
                       富士山450x338_21
             根原の吊り橋 すごく揺れて面白かったです450x338_22
A沢貯水池 かなり前、ボーイスカートが世界中から数万人集まった時のトイレ対策の水として築いた貯水池で飲料水として現役だそうだ。この貯水池を見上げて思うのは、ヨーロッパで御祭りに出会ったが、シチリア島も印象的だったが、数万人の人々が参集するのに、仮設トイレ一つなく、カフェでコーヒーを頼みながら、行列をじっと待つのは日本人ばかりでありました。かの地の人々の膀胱の大きさに感嘆した覚えが蘇ってきます。A_450x338
世界遺産でない可愛い浅間神社 奥に小さな祠が木の陰にちらっと見えた。450x338_23
鳴沢のゆらり温泉の露天風呂からも富士山が見えました
富士山さようなら 
富士山大好き人間で、富士山の写真ばかり興に乗って載せてばかりで失礼しました。450x338_24

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2016年3月14日 (月)

南高尾山稜ハイキングと高尾山火渡り祭

700x491昨日3/13に南高尾山稜の大垂水峠から大洞山(536m)、金比羅山(515m)、中沢山(494m)に登ってきました。
大垂水峠まではタクシーで行ってしまったので、中沢山頂には2時間かからず到着し10時ではお弁当も食べられず下山、11時頃林道をかなり下った中沢川のほとりで昼食という楽勝のハイキングとなりました。
まだ落葉樹の芽吹きは殆ど見られず、風もないのに気温が低く手袋をはめていてもなお冷たい気候でした。

                                             登ったり下ったり450x338
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                                  1時間くらいで大洞山(536m)に到着338x450
15分位で次の金毘羅山(515m)に到着。ここにはリュック掛けが下枝で沢山作られていて早速掛けてみた。こんな出迎えは初めて。450x338_3
30分位で中沢山(494m)に到着。仲間に中沢さんがいたので記念撮影、収まっていただいた。Photo
祠などなかったけれども、ここにはなぜか聖観世音像が立っていました。賽銭箱が1円玉、5円玉、10円玉他に分かれていたような。338x450_2
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唯一見たキノコは真っ白でした。ヒメシロカイメンタケ(shikamasonjinさまありがとうございました)450x338_4
                                       苔がびっしりの木が所々に338x450_4
                                 傍に寄って見るとこんなにきれい450x338_5
林道を下った所にはいろり炭火焼の「うかい鳥山」があって昼食の準備に大わらわの様子で、炭火を作っているところが見られました。
五箇山の合掌造りの家が幾棟かあって、川と庭園が美しいようです。450x338_6
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                                             貴船神社にお参り450x338_8
         ペットの豚を飼っている人に出会う。珍しくて人気者です。450x354

京王線高尾山口駅近くにさしかかると、高尾山自動車祈祷殿広場で「高尾山火渡り祭り」が始まろうとしていました。

「火渡り祭とは、高尾山御本尊飯縄大権現の衆生救済の御誓願に基づき、真言密教加持の極致である御護摩(浄火により災厄を祓う火の行)を修行することにより、世界平和、息災延命、災厄消除、交通安全、身上安全等を祈念するもので、これを修行する行者は、心身修練の功を積んだ高尾山の山伏であります」・・高尾山HPより

                   ほら貝を持った山伏450x338_9
                 梵天札の刺さった御輿450x338_10
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                    祈祷殿でまず祈祷450x338_13
                     広場に移動する450x338_14
中央にある緑の壇に火がつけられるらしいが、祈祷が長々と続いてあきらめて帰りました。450x338_15
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仲間に火渡りした人がいて、体験によると何も火傷のような痛さがなく渡れるのだそうだ。不思議o(@.@)o

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2016年3月10日 (木)

『大河紀行 荒川 ~秩父山地から東京湾まで~』 伊佐九三四郎著

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この写真は昨年行った秩父三峰山付近の三十槌の氷柱(2016.2.7)の写真です。川面に氷柱が写っています。3_450x300
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こちらはWikiからお借りした長瀞の写真。(以前宝登山に行ったときのこたつ船乗船の写真は見当たらず)252x380

どちらも荒川だったのですね。大昔長瀞に行ったときちらっと荒川という言葉がインプットされていたのですが、すっかり欠如、全く恥ずかしい限りです。

『大河紀行 荒川 ~秩父山地から東京湾まで~』を上梓された伊佐九三四郎氏の講義を雑大で聞いてまいりました。
氏は五年もかけて流域を歩いてルポし本にまとめたのが2012年で、現在83歳とは思えない若さです。ビデオを交えて体験を語ってくださいました。
体験を聞き、本を読み、本当なら源流は無理としても、河口まで私も歩きたいところだが、何せ女の独り歩きは危険、男性が1人で登山などをされているのを横目で羨ましく、この時ばかりは男であったら良かったと思うのです。それはさておき。、

深田久弥の『日本百名山』にあげられる奥秩父「甲武信ヶ岳」標高2475mは甲州、武州、信州三国にまたがる。山頂直下から甲斐は笛吹川・富士川、武蔵は真の沢・入川・荒川、信濃は千曲川・信濃川の三川が太平洋と日本海側に注いでいるという稀有な山です。以前甲武信ヶ岳をテレビで見た時のこの事の驚き、是非登ってみたいと思ったが、時すでに遅し、今ではガイドを雇ってならもしかして実現可能かと、遥かなる夢を抱く身となり果てる。
この三川の中の「荒川」には途中だけでなく河口にもいろいろな物語があったので有名。

荒川の最初の1滴が出る地点を「荒川源流点」といい(地図を拡大して参照してください)、真の沢を通って8㎞以上も下流に「荒川基点の碑」があるのです。このあと暫く入川といい、三十槌の所では立派な荒川となっている。羽生まで行く秩父鉄道がずっと熊谷まで寄りそっている。
秩父は地図で見ても広く、林家たい平が自慢しているように秩父には夜祭を始め、祭りが多く、三峰信仰を中心に、路傍の信仰も篤く、ダム湖も点在する。
山城も多く、戦国争乱にも遭い、行楽地ともなり、秩父34ヵ所の巡礼地としても賑わうようになった。秩父事件の地ともなった。
長瀞の手前、皆野では俳人金子兜太の父が「秩父音頭」を復活させ、医者の弟が秩父音頭コンクール審査委員長である。

長くなるので途中は割愛して河口へ。
江戸時代、家康が幕府を開いたころは、利根川と荒川の反乱おびただしく、川の方向を変えている。
明治に入って1910年(明治43)に源流の集中豪雨で隅田川、新河岸川、綾瀬が決壊し、南足立郡、北豊島群、南葛飾郡、東京下町市街地を泥流が民家の屋根まで覆いつくした。浸水家屋27万戸、被災者150万人に及んだ。そこでなされたのが荒川下流の大規模な改修工事。現代のような権利意識が強い時代では到底無理な事業。当時でも96%の買収契約が済んだが、24名の強硬派で困難を極めた。大正2年開始、通水式が大正13年、全ての工事完了が昭和5年のことだった。これが荒川放水路である。現在は「荒川」に名前が変更された。本来の隅田川は川口市あたりの岩淵水門で分かれ、荒川の支流になった。ともに東京湾に、荒川は葛西臨海公園の所へ出る。

神奈川県と東京都の境目は多摩川、千葉県と東京の県境を流れてきているのは江戸川で河口の東京と千葉県の境目は旧江戸川が流れているというわけである。
利根川は遠く千葉県と茨城県の境目に流れが変わって坂東太郎の名前でその大河ぶりを誇っている。

ヨーロッパ、ドナウ川やライン川の堤防のない川を美しいと愛でていた私、日本は山多く渓流多く、川の氾濫にどれほど苦しめられきたかの歴史であり、治水に成功することが何よりの国と認識を新たにしたのでした。

先日行った越谷の梅園の所の川、中川は地図で見たら利根川の支流で、平井辺りで荒川に並行し、河口で合流していたのでした。

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2016年3月 6日 (日)

手作りのお雛さまと皆さんにお会いできた今年の雛祭り

遅くなってしまいましたが3/4のことです。
昨年4月初めに2日違いで柳川、雲仙、ハウステンボスなど全く同じコースを旅した方がいらして、その様子をブログにアップされたのを私と両方ご覧になったnao♪さんがご紹介してくださった方がラッシーママさん。そのママさんがなんと、私が稲取や柳川や山梨県の塩山などで見入った吊るし雛をご自分で作られ、その他のお雛さまも見せてくださるということで、お宅にお邪魔しました。nao♪さんは遠くから、そして私と同じ所に住んでいらっしゃるだんだんさん、やはり近間の銀河さんもご一緒していただき、きさくなご主人様を交えて、盛大なひな祭り会となりました(あまりに久し振りで子供の頃を思い出しました)。
玄関に入るとお雛さま(後であわてて撮らせていただいたら大ボケ写真で(x_x;涙))
そして手芸のお部屋には吊るし雛やパッチワークの作品がたくさん。いろいろな形、美しい布地、配色の妙。細かいお仕事、きっと娘さんのことなども思ってひと針ひと針丁寧に仕上げられたのですね。ママさん宅を通して何百年と続いていくのでしょうね。

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そしてひな祭り会は、お白酒ならぬだんだんさんが作られた槇の実のお酒(生まれて初めて、珍しい!)で乾杯。
ママさん手作りのイカ飯(これ買うととても高い)やおでん、大根の佃煮、持ち寄りの美味しい品々で、食がすすみました。
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そのまま別腹でデザート。ママさん手作りの巨大干し柿、栗の渋皮煮、無花果のワイン煮、文旦のピール。450x338_3
そしてだんだんさんのお国の雛祭りのお菓子「えが餅」。手がかかっています。きれいです。餡も入っています。お母さんにこんなお菓子で祝っていただいた地が日本にあるのですね。素晴らしい日本って思ってしまいました。
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最後はカラオケ(実は個室のカラオケって初めてなのです!)
ラッシーパパさんとママさん、だんだんさんの歌声にはまいりました。声量があって、お金を出して(すみません、私めは出さなかったのですが)コンサートを聞きにいったようでした。世の中には歌の上手な人がたくさんいらっしゃるのですね。うーん、唸ってしまいました。
外国とは違った素晴らしいおもてなし、とても感激して帰ってまいりました。ラッシーママさん、皆さんありがとうございました。
ラッシーママさん、昨年思い切ってハウステンボスに行って良かった!!

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2016年3月 3日 (木)

越谷巡り(2) お雛様と梅園

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純和食の昼食を頂いて香取神社から元荒川桜堤を歩き越谷梅林公園に到着しました。

●香取神社
千葉県香取市にある、東国三社の一つ、香取神宮が総本社である。
御祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)。いつも神様の名前が読めたためしがなく、難しいです。(天照大御神の命令を受けて出雲の国譲り(神話)の大業を成し遂げられ、さらに荒ぶる神々を平定して日本建国の基を御築きになられた神様。勝運・厄除・交通安全・商売繁盛・縁結び等のご神徳)
600年前の室町時代後期に造立され、本殿は明治元年に再建された。450x338
越谷市指定文化財の本殿周囲の彫刻が見事。彫刻師は浅草山谷町・長谷川竹次良。450x338_2
大黒天や高砂の翁・龍などさまざまな彫刻がほどこされているが、川面で布を洗ったり、製品を竹竿にかけて干したりする紺屋の労働作業を表現した図柄が彫刻され、珍しい。江戸時代、越谷・大沢は、紺屋の盛んな所で、当時の作業状況を知る貴重な民俗資料だそうだ。450x338_3
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丁度御雛様が飾られていました。いくつになってもお雛様飾りには胸がわくわくです。450x338_5
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                     江戸享保雛450x338_8
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                      江戸古今雛450x338_10
                    明治初期古今雛450x338_11
                  尾張徳川有職雛狩衣姿450x338_12
                     平成8年御雛様8_450x338
                  狆引き官女(香取神社蔵)450x338_13
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●元荒川の桜堤を歩く
元荒川(もとあらかわ)は、埼玉県を流れる利根川水系で中川支流の一級河川である。古荒川とも呼ばれる。その名のとおり、荒川と利根川が合流していた時代の荒川の本流であった。
荒川については『大河紀行 荒川』伊佐九三四郎著を今読んでいるが、又の機会に。

この土手の右側に竹林があって、ここは宮内庁埼玉鴨場である。反対側には門がある。東京駅からの信任状捧呈式の馬車列も皇室の行事ですが、鴨場もそうだったのですね。初めて知りました。皇室のお仕事も広範囲にわたってたくさんあることを知るこの頃です。

Wikiによれば
駐日大使夫妻らを宮内庁が管理する鴨場(埼玉県越谷市「埼玉鴨場」と千葉県市川市「新浜鴨場」の2箇所がある)に招き、皇族方が接待すること。「外交団鴨場接待」のように表現されることが多い。国を代表して訪日している人々に、鳥を傷つけない日本の伝統的鴨猟を紹介し、それを通じて日本の自然・文化・歴史を感じてもらうことを狙いとした、まさに「皇室外交」の一つと言える活動である。

訓練したアヒルを使い鴨を猟者が潜む直線的な細い水路に誘導し、飛び立つ瞬間を網で捕獲する。水路で飛翔方向が限定されるため、網を振るだけで子供でも容易に捕獲が可能である。その後捕獲した鴨は国際鳥類標識調査に協力するために種類・性別などを記録し、標識(足環)をつけ放鳥される。元々は徳川将軍家や有力大名家が行っていた伝統猟で、明治時代以降は皇室が維持保存を行っている。
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●越谷梅林公園
鴨場に隣接して、2.56haの公園に梅が300本植えられている。殆どが白梅でした。
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