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2016年6月30日 (木)

「暮しの手帖創始者 大橋鎭子さんのこと」:雑大にて

講師は加川厚子さん、暮しの手帖社に40年近く勤めて大橋鎭子さんをずっと間近に見つめてきた人。写真や本などいろいろな資料を持ってきてくださった。
NHKの朝ドラ「トト姉ちゃん」のモデルは大橋鎭子さんです。
NHKではモデルというのでなく「モチーフ」と言っているのだそうだ。だから今までの所かなり違う内容になっていることがわかった。

10歳のとき父親を結核でなくした鎭子は、母と2人の妹を幸せにするために「戦争が終わったら、何か儲かる仕事をしたい」と防空壕の中で考えた。
「自分は戦争中で、勉強も家事も知らないで大人になってしまったから、自分が知らないことがわかる本を出したら、自分の年の前後5年ぐらいの人が買ってくれるのではないか」と勤めていた読書新聞の編集長にしたら「とても知恵のある人がいる」と花森安治を紹介してくれた。(最初の就職は日本興業銀行で退職後日本女子大学校家政科Ⅱ類に入学するが退学。そして読書新聞に勤務)
1946年、最初の雑誌が「スタイルブック」。見せていただいたら花森安治の絵が上手い。売れたけれども、真似する雑誌が現れ、やめることに。
衣食住と随筆を多く入れた『暮しの手帖』誕生だ。
アメリカ視察をきっかけに「ふきんの研究」をしたり、ナス・ステンレスとの共同研究により、流し「シルバークィーン」を発売。
暮しの手帖Ⅱ世紀から「すてきなあなたに」が始まる。後にどんどん単行本になる。『スポック博士の育児書』も会社で翻訳して上梓する。「吉兆味ばなし」や「藤城清治さんの影絵」など記憶に残る。数々の商品実検は私も随分参考にさせていただいた。
1920年生まれで、2013年93歳で肺炎のため自宅で永眠。

花森安治と百万部の雑誌にまで伸ばした奮闘の物語、本当の大橋鎭子についてたくさんの逸話を語ってくださって興味深かったです。
責任感が強く、感が鋭い。人が困っているときには、その気持になってすぐ世話をする。
大橋家は鎭子さんの母親、鎭子、妹晴子(次女)夫妻と2人の子供、妹芳子(三女)の大所帯だが、いつも知らない困っている人がいたそうだ。ちなみに芳子さんは花森安治の秘書の役もし、雑誌編集に携わり、晴子さんの御主人が会社の経理、鎭子さんと芳子さんは独身を通す。花森安治亡き後、鎭子さんは家族まで含めると150~200人の生活を全て自分の方に担って、社長と編集長を兼ねる。
行動力もあり、足も強くて、社長の車は殆ど使わなかった。趣味は仕事の他、親友の石井好子のシャンソン、宝塚、映画、銀ブラだったそうだ。
そうそう、本の中の料理に添えられる手は鎭子さんの手。あまり汚い手では撮影に耐えられないと、家事は一切しなくて晴子さんに全部やってもらったとのことでした。
その後の暮らしの手帖社の社長は、晴子さんの息子の嫁、娘の婿がやっているとか。

             近所のインドハマユウもそろそろ終わりです628i_460x307
                 ムクゲが咲く季節になりました628_460x307
              神社の敷地に毎年なるナワシロイチゴ628_460x307_2

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2016年6月27日 (月)

府中市郷土の森のアジサイそして大自然体験

府中市郷土の森博物館にはアジサイがたくさん咲いていると教えていただいたので出かけて来ました。武蔵野線・府中本町よりかなり歩きます。
ここは梅の季節に行ったきりで、その時はこんなに園内が広く、しかもアジサイがここかしこに植えられているとは気が付きませんでした。

            入ってすぐ大賀ハスです。開ききっていました。460x307
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旧府中町役場にも、幕末からの薬屋の所にも農家にもアジサイが植えられています。460x307_4
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水車にアジサイが似合っています。まわりは多種類のアジサイで埋められています。素晴らしい景色!460x307_12
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                     ネムノキも花盛り460x307_16
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             アメリカデイゴ(マメ科)も今頃咲くのですね460x307_19
                    ネジバナは今年初めて297x460
                    ハギがもう咲いて460x307_20
                江戸時代名主の農家の長屋門です460x307_21
                郵便取扱所 郵便箱がかわいい460x307_22
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そして別の日、横浜の「みなとみらい駅」にあるビルに『オービィ横浜』があり、ラッシーママさんに連れて行っていただき自然体験をしてまいりました。HPよると

高い技術力とアイデアで革新的なエンタテインメントを生み出してきたセガ。過去50年間にわたり地球上の生命の姿や自然の神秘を圧倒的なクオリティで映像に収めてきたBBC EARTH。この2社がタッグを組み、昨年8月にオープンしたのが世界初の大自然超体感ミュージアム『Orbi』だ。大自然の様々なシーンを再現したエキシビションゾーン、巨大スクリーンと特殊効果装置で大自然にいるかのような体験を味わえるシアター23.4。そして、BBC映像の舞台裏などを垣間見られるアクターショー&サービスの3つのゾーンで構成。都会にいながら大自然を感じることのできる全く新しいミュージアムを体験あれ!

という内容です。
「4Dシアター」で観たマウンテンゴリラ。4Dは実際にその場にいるより立体感が凄いのではないか。これぞ迫力満点。
「シアター23.4の海がめロキシーの冒険」では、聞いてはいたけれども、万も生んで孵った自分の卵が1匹しか海へたどり着けない話に涙。何と水まで飛んで来るのにびっくりです。
アフリカゾウの水を求めての旅で子象が途中で亡くなる映像などなどすっかり童心にかえって悲しんだり楽しみました。
ママさんとはハウステンボスで2日違いでプロジェクションマッピングなどの光に関する最先端の技術に感動した同志であり、今回はまた違った体験が出来て、おまけにボケ写真しかないと言った私に写真まで送っていただき感謝です。

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2016年6月23日 (木)

東松山市の吉見百穴・岩室観音堂・箭弓稲荷

6/15、東武東上線の東松山駅で降りてバスで岩室観音堂に到着。この日はボランティアガイドさん付きで丁寧な説明が受けられました。

雨に煙る松山城跡。三方を川に囲まれた地。たくさんの曲輪跡が残ってい居るそうだが、急崖になっていたり蛇が出たり、天気も悪く登れない。
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埴輪の前を通り過ぎ、観音堂の手前には道を挟んだお土産屋さんの先祖が昔手で掘ったホテルがあります。実際には使われなかったそうで掘った方の遊びだったようだ。460x307_2
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岩室観音堂
起原は弘法大師です。その後松山城が焼け落ちても観音様だけは無事で、江戸寛文年間にお堂が貴重な懸造りとして建立された。307x460
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         松山城跡への登り口にはイワタバコがびっしり生えている460x307_8
四国八十八ヶ所巡りが大変な人はここに祀られた四国霊場と同じ如来・菩薩・明王天にお詣りするそうです。460x307_9
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吉見百穴 観音堂から近くにある
以前は「ひゃっけつ」と呼んでいたが、昔の人々が「ひゃくあな」と呼んでいたそうで、「ひゃくあな」に統一された由。
小学校入学前後の数年間この東松山に疎開していたのでこの百穴は見たことがあるのですが、整備されてきれいになっている。個人的にガイドさんに、私が昔住んでいた東平と松山第二小学校が残っているかお聞きしたら、ちゃんとあるとのこと。いつかこの目で確かめたい。

この百穴は最初住居跡とされたが、後に横穴式墓群とわかり、国の重要文化財として史跡に指定された。穴を覗いてみると2人も埋葬されるスペースがあります。460x307_11
昔の百穴の写真がありました。明治・大正時代でしょうか。子供たちも着物姿。700x467
国指定の天然記念物「ひかりごけ」を見ることができました。
第二次世界大戦末期(昭和20年初頭から8月)、中島飛行機がこの百穴の地下に軍需工場を造ったそうで、トンネルは幅4m、高さ2.2m。現在公開されているのは10分の1にも満たない。460x307_12
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            百穴は登れるようになっていて、頂上からの景色460x307_14
         この間教えていただいたヒイロタケに似ているでしょうか460x307_15
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昼食は百穴の前のお店でうどん、麦とろろ、こんにゃく味噌田楽、天ぷら、メロンと心こもったおもてなしの美味しい店でした。1_460x307
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箭弓稲荷神社(やきゅう)東松山駅から近い。彫刻が素晴らしい神社。

箭弓神社とボランティアガイドさん。1時間半も説明を受ける。境内のぼたん園が素晴らしいそうだ。
和銅5年創建だが、享保年間に最も隆盛を極めたそうだ。460x307_18
                        本殿460x307_19
ここの本殿の彫刻は日光廟を小さくしたような趣があって、勿論彫刻にも一つ一つ意味があります。460x307_20
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    柱まで彫刻されているのも珍しい。日光東照宮もそうだったでしょうか。307x460_3
             元宮 元のお社として現本殿の真後ろに鎮座 307x460_4
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                      神楽殿460x307_26
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宇迦之魂社(團十郎稲荷・穴宮) 芸能向上・技術向上の守り神として、特に篤く崇敬していた七代目市川團十郎が奉納された祠もあります。5月・10月には由緒にちなみ、團十郎稲荷祭を執り行うそうです。460x307_28

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2016年6月19日 (日)

頭がいい動物ランキング&天才数学者

西洋文化史家でたくさんの美術に関する本を書かれている中野京子先生のブログに「地球上に存在する最も頭がいい動物ランキング・ベスト25選」が載っていました。
http://blog.livedoor.jp/loveai0221/archives/33058054.html
チンパンジーが一番とは思っていましたのはその通りだったのですが、次はカラスかと考えていましたが違いました。2位は豚だそうです。3位バンドウイルカ、4位オウム、5位クジラ、6位が犬で猫は10位でした。カラスは18位で意外。他にも意外なのが利口だったり全然想像できないランキングが楽しめますよ。
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ポール・ホフマン著『放浪の天才数学者エルデシュ』

ハンガリー・ブダペスト生まれのユダヤ人。
1913年生まれで、1996年に亡くなったエルデシュ。わずか3歳にして三桁の数同士の暗算ができ、四歳にして負の数の存在をみずから発見したという数学の神童だった。ユダヤ人であり祖国がハンガリーということで第2次世界大戦前に米国に渡ったが、学会で1954年に出国すると米国から再入国を拒否される(後に許可される)。こうして定住地も家庭も財産も持たず、身の回り品を詰めたスーツケースを携えて25ヶ国以上を飛び回る生活をする。いやはやこれだけでも実に珍しい人です。
485人の共著者と1000本以上の論文を発表し、一日に19時間も問題を解くという生活を送ったのだが、普通の人では考えられない、おかしな奇妙な生活態度であった。しかし仲間に嫌われることなく、愛され続けたのは、愛嬌や機智や反骨精神に富む、豊かな人間性を備えた人だったからだそうだ。
83歳で亡くなった時もセミナー出席中問題を解き終え次の問題に移ろうとしたとき倒れ、病院に運ばれ、午後亡くなった。それこそピンピンコロリだったのです。
何から何まで桁外れの人生、天才的頭脳を持ったがための変わった人生、天才とはかくも数奇な人生を送るものかとただただ驚くばかりの人です。

丁度読んでいるときに、第二次世界大戦中にドイツ最強と言われた暗号であるエニグマを解析した天才数学者アラン・チューリングの数奇な人生を描いた人間ドラマの映画『イミテ―ション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』を見ました。
数学的天才だった幼少のころから孤立していた彼にとって、チームワークなど必要なく、協調性ゼロの性格が、暗号解読をますます困難なものにしていく。仲間を要らないと言って上層部と喧嘩したり、与えられた仲間を首にしたりする彼の頭は回転するが、解読をますます困難なもににしていく孤独な後姿が哀れだ。現れた女性数学者によって心を開き解読への成功へと導かれるのだが・・・でもその後の人生がこれまたいうに言われぬかわいそうとしか言いようのないもの。

『ビューティフル・マインド』も精神を病んだり国防省の諜報員が接近したり、『博士の愛した数式』などの映画もありましたっけ。博士は認知症になってしまう。

今読んでいる『数学で犯罪を解決する』は高度な数学を駆使して、例えば犯人の居場所を追及していくなど、その数学の内容は全然理解できないけれども、興味深い。

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2016年6月16日 (木)

大山街道1の(2)渋谷~二子玉川 

0001_750x530_2前回と同じ6/8(水)
大山(標高1252m)に果して登ることが出来るか?それを夢見て歩き出したがそれはいつになるでしょうか?

<渋谷 ~三軒茶屋>

ハチ公を見て、道玄坂を登る。坂の途中にある道玄坂道供養塔、横には与謝野晶子の碑もあった。道玄坂にも意味がありますがそれも割愛します。

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次に大阪を登って下ると右側に「上目黒氷川神社」があって、ここには目黒富士があるのです。以前買った『ご近所富士山の「謎」』に富士塚が36ヶ所が紹介されているが、これでやっと6つ目です。ビルがない江戸時代には広重や北斎の絵のように富士山を見ながら、富士山を信仰する人々が富士塚に登ってお参りしたのでしょう。460x307
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                                氷川神社には富士浅間神社もあります460x307_3
              この神社の道路わきには道標もあります307x460_3

道路は玉川通りとなり、目黒川を通り、東急新玉川線の池尻大橋に着く。
ここから旧道に入る。
右手に「池尻稲荷神社」に詣で、また狐さまを撮る。怖い顔。460x307_4
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                      かれずの井戸307x460_4
    三軒茶屋に到着してキャロットタワー(休み)の近くの店で、和定食を頂く。460x307_7

<三軒茶屋~二子玉川>

ここから世田谷通りとなる。途中松陰神社入り口が見えたが見ないで、少し行った先を左に入って右に曲がると、ボロ市通りとなる。これが有名なボロ市が行われる通りなのですね。12月15,16日および1月15,16日に開催されて大変賑わうのはよくテレビで見る。307x460_5
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ボロ市通り左手には代官屋敷がある。世田谷区の郷土資料館が併設されている。
江戸時代のはじめ、大場氏は彦根藩井伊家領世田谷の代官職を務め、明治維新にいたるまで世襲していて、この屋敷地はその代官役所として使用した居宅を含む屋敷跡です。
弦巻にあった道標がこの代官屋敷に保存された460x307_9
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ボロ市通りが終わって左折して1㎞位行くと公園に「大山道旅人の像」があります。
そのそばの説明板に「江戸時代中期、関東一円の農村には、雨乞いのために雨降り山と呼ばれる丹沢の大山に参詣する習慣があった。しかし大山詣では、次第に信仰は口実になり、帰り道、東海道に出て、江の島や鎌倉で遊ぶ物見遊山の旅に変わってきました。この像はそんな大山詣でをする商家の主人をモデルに一服しただろうと思われるこの場所に設置した」と書かれていました。307x460_6
木の切り株にシイタケみたいなキノコが生えていて、キノコから木の葉が出ているには驚きました。460x307_13
同じ木の切り株に、柿の皮みたいのが捨ててあるのかと思ったら堅いキノコでした。460x307_14
               用賀駅の手前に大山道追分があります307x460_7
少し行った右手の駅のそばには真言宗智山派の総本山智積院の末寺である真福寺がある。玉川88ヶ所霊場第39番札所。
大山道に面したこの門が朱塗りだったので赤門寺とも呼ばれたそうだ。307x460_8
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                       芭蕉句碑455x460
                    きれいなアジサイ460x307_16

用賀の駅を過ぎて、延命地蔵の所から街道は二手に別れ、今回は右手を行く。(次回は、二子玉川から一駅手前の用賀の駅に戻り、左手の道を二子玉川まで歩くことから始める予定。)307x460_9
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    環八を越すと右手に「大空閣寺」が現れる。玉川88ヶ所霊場代38番札所。460x307_17
                      御大師様銅像307x460_11

少し行くと「瀬田玉川神社」がある。このあたりも国分寺崖線上で、多摩川と比べるとかなり高度があるということだ。この階段もかなり高い。460x307_18
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                       獅子460x307_20
隣の区画に「身延山関東別院 玉川寺(ぎょくせんじ)」がありました。素敵なお庭の寺です。日蓮宗ですね。
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2016年6月13日 (月)

大山街道1の(1)赤坂御門~渋谷

750x463富士山裾野ウォークでご一緒した人の中の5人で大山街道を歩いて最後大山に登ることになりました。他の方は5歳も、あるいは一回り以上も年下なので、後期高齢者になったばかりの私は一人脱落しないようにしたい。

風人社の大山山頂までのウォークマップは13に区分された、屏風たたみになったマップをSさんに紹介されて見ながら、早速6/8(水)に歩きました。
1回目はウォークマップ№1の[1] 赤坂御門~三軒茶屋(7.7km)とマップ№2の[2] 三軒茶屋~二子玉川(7.1km)。合計約15㎞。あちこちふらふらしたので約34000歩でした。赤坂から二子玉川まで歩いちゃったなんて地図を見て信じられない思いです。

 大山街道とは(川崎国道事務所HPより)
大山街道(矢倉沢往還)は、江戸の赤坂御門を起点として、青山、渋谷、三軒茶屋より瀬田を経て、多摩川を二子で渡り、多摩丘陵、相模野の中央部を横切り、足柄峠手前の矢倉沢関所に至る脇街道です。
江戸時代中期以後、江戸庶民の大山詣りの道として盛んに利用され、矢倉沢往還は「大山街道」、「大山道」と呼ばれるようになりました。この他、大山へ向かう道を総称して「大山道」と呼んでいました。
又、タバコ、鮎、生糸、炭など相模地方の産物を江戸に送る道でもあり、沿道には人馬継ぎ立場として伊勢原、厚木、国分、下鶴間、長津田、荏田、溝口、二子などがありました。
東海道と甲州街道の中間に位置するこの街道は西に向かっては厚木街道、東に向かっては青山街道とも呼ばれていました。
現在でも、当時の大山街道を偲ぶものとして「道標」があります。「道標」は当時の人たちが大山詣りの際、道に迷わないように建てた道路標識です。

<赤坂御門跡 ~渋谷> 
所々旧道を行きながら国道246号、青山通りを渋谷まで歩きます。
地下鉄永田町駅を出たところが江戸城赤坂御門跡です。
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               道路を挟んだ斜め前の豊川稲荷460x307_2

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稲荷神社の狐のいろいろを見るのが好きなのでここでも独特の狐顔を撮る。子だき狐。460x307_5
このあたりは坂が多く説明板がついている
九郎九坂(くろぐざか)、牛鳴坂、弾正坂、薬研坂。たとえば牛鳴坂は路面が悪く車を牽く牛が苦しんだから付けられたそうだ。
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大坂を下りたあたりには「高橋是清翁記念公園」がある。2・26事件で亡くなった是清翁の邸宅があった所で、邸宅は今は武蔵小金井の江戸東京たてもの園に移築されている。460x307_6
                    柔和なお顔の是清像307x460_7
                  明治神宮外苑の銀杏並木460x307_7
地下鉄外苑前駅の所に梅窓院があって、青山家下屋敷に創建された浄土宗寺院で江戸三十三観音霊場24番、東京三十三観音霊場7番札所となっています。
驚いたのは、竹のアプローチを抜けるとガラス張りのビルが本堂でした。460x307_8
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                所々に大山街道のプレートがある307x460_9
地下鉄表参道駅に所に信州善光寺別院があります。徳川家康が長野市の善光寺から勧請した。307x460_10
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    岡本太郎こどもの樹 太陽の塔に少しだけ似ているところがあるかな

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                   面白い窓のビル307x460_12
宮益坂を下る途中に御嶽神社がある。明治天皇が駒場で観兵式の際、着替えに立ち寄った。460x307_13

渋谷ハチ公前に到着。1回では多すぎるので、続きの渋谷から二子玉川までは次回にします。307x460_13
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2016年6月 9日 (木)

平家の里・湯西川温泉

453x550_26/4、6/5に鬼怒川温泉のさらに奥の方の福島県境に近い日光国立公園内の、湯西川温泉の平家の里に、同好会で行ってきました。
日程の都合で6/5に行われる平家大祭は見られず、前夜祭のみの見学でしたが平家の里の雰囲気も見られました。伝説とはいえ、こんな山深い所に平家の子孫が生きてきて、旅館業を営みながら、毎年平家大祭を行っているとは!どこも観光業では働けるうちにみんな頑張っているのだと、もう自分のことにしか働けないばあさんは思い感心するのでした。

                                               泊まったホテル460x307
到着した午後は<安らぎの森>ハイキングとホテル近辺の散策です。緑が美しくお花もあちこちで咲いていて癒される心地がしました。

                                         私には珍しいアマリリス460x307_2
                                       アヤメがここでも花盛り460x307_3
嬉しかったのが、ヤグルマソウの花です!いつも葉ばかりを山で見ていて、花が咲いたのを見るのは初めて。凄いピンボケなのがとても残念。460x307_4
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湯殿山神社はこの日は大祭前日で入場禁止。ここで平家大祭の出陣式が行われ、行列が出発する。460x307_6
                         権現橋、平氏に関係するのか赤い色が印象深い。460x307_7
                                          川の水は澄んでいる460x307_8
     同好会には詳しい人はいても植物博士がいないのでわからない花
gakiさまにハクサンハタザオ(アブラナ科)と教えていただきました。ありがとうござました。460x307_9
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          安らぎの森 近くではキャンプをしている人もいました460x307_11
      ムシカリと思いきや、装飾花の花弁が4枚にしか見えないので違う。

    ヤブデマリと教えていただきました。ポージィさんありがとうございました。460x307_12
              遠くの方にホオノキがあちこちに見られた460x307_13
                  珍しいオダマキ(園芸種)460x307_14
                      家並み460x307_15
        日本地図にも載っていた慈光寺(浄土宗)は小さなお寺です460x307_16
トウゴクシソバタツナミソウ 葉は似ているものの花の白いのが検索できませんでした。これもピンボケ。460x307_17 
夜、「平家の里」前夜祭に出かけました。460x307_18
               茅葺屋根の家が10軒ばかりありました460x307_19
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  白拍子の舞 笙や篳篥(ひちりき)の音にあわせて3,4、舞が披露されました。460x307_21
                    琴・琵琶・鼓の演奏460x307_22
                         琵琶460x307_23
上臈参拝道中 てっきり花魁と思っていたら、入場券に「上臈参拝道中」とありました。
「上臈」というのは江戸時代大奥の最高位の女中の名でした。平家の時代とはゆかりがのないけれども、何故か前夜祭に一緒に行われました。

これもgakiさまに江戸大奥の女中ではなく、以下のような平家にかかわりのあるものでした。かいつまんで記します。

下関・赤間神宮の先帝祭は、源平船合戦に入水された安徳天皇の御霊を、後鳥羽天皇が先帝追福のために祭られたことに始まっているのです。
幼帝御入水のあと、からくも生きのびて下関の地に住を得た宮廷の女官たちは、毎年春三月二十四日(旧暦)を迎えると、女房装束(十二単)を取出して服装の威儀をととのえ、山の花を手折って御廟所(今の御陵)に額付き、香をたたいて参拝し、心からなるご冥福を祈り続けました。
しかも、列次の行粧は、平家時代宮廷における御節舞の五人五組という編成なのです。これは大変貴重なもので、既に宮中では行われなくなった行事の古い姿が、遠い下関の地に遺されていること、加えて明治維新のあと各宮中行事が復興された時、装束のうちの一具である「裳(も)」は、先帝祭の官女のそれを参考し復元したと言われております。
現在では、いわゆる遊女の時代の名残を留めているため、全体は過去の遊郭における太夫道中の姿にならって、先頭から稚児・警固・官女・禿・上臈の順に列立参進しています。

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丁度5/28、国立劇場にて、宮内庁式部職楽部による雅楽公演「管弦」を聴いてきたばかりでした。
管楽器(笙、篳篥、龍笛)と弦楽器(琵琶、筝)と打楽器(鞨鼓、太鼓、鉦鼓)を見て、聴いて、遠い千年の昔の音楽に浸ってきたところだったので、音楽と合わせての実際の舞などを見られて良かった。
この雅楽公演の演目は小冊子を買って見て読んだのですが、ちょっと難しくて理解できませんでした。しかし楽器の音色と舞台での配置がわかったことだけでもよかったとしなければなりません。
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前夜祭の入場料1000円を入れ、東京からのバス(湯けむり号)での送迎と1泊2食で10520円でした。

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2016年6月 6日 (月)

奥武蔵・横瀬二子山へ

5/29(日)に西武秩父線で終点の二つ前の駅、芦ヶ久保で降りて横瀬二子山(882.7m)の雄岳と雌岳に登ってきました。
標高差600mくらいで、それがこの頃の登山にない急登、急降下で長いロープを伝うような所もあって、険しい登山道でした。
8年間お世話になった山登りの会の会長の死でこの日が最後となり、たった882.7mなのにこの厳しさは最後にふさわしかったといえます。
途中で一人の若者が初めての登山で初心者向きということで、登ってきたのが、凄く急で大変で「心が折れそう」などと言ったので、ちょっと意外な心持でその若者を眺めてしまいました。

          駅前の空は青く、二子山へ続く山並みが見えています。460x307
          山中の緑もきれいです.。ハルゼミの声がにぎやかです。460x307_2
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                 クワガタソウ(ゴマノハグサ科)460x295
              初めての?花 ウツギの仲間でしょうか
マルバウツギと教えていただきました。多摩NTの住人さまとshikamasonjinさまありがとうございました。460x307_4
                     マムシグサの実460x307_5
                   沢を渡りかえして460x307_6
                       雌岳頂上460x307_7
若者から飴を頂いて感激。今まで見知らぬグループから、ましてや男の子から一度もなかったこと。
ここで話が飛んでしまいますが、このところ白髪染を徐々にやめて、大分白くなってきたら、途端に、電車で席を譲られることが多くなりました。特に若い女性が譲ってくれるのです。申し訳ないけれど、せっかく薦めてくださるのでありがたく座らせていただきます。もうすぐ後期高齢者、通勤電車ではお邪魔ですので、その時間帯が避けられない時は、自分を鍛える意味でも座席の前には行かないようにしたいものです。Photo
     雄岳頂上の方が高いのに何故か雌岳と同じ高さの表示になっている550x367_460x307
雄岳の頂上から武甲山が見えました。削られて形がどんどん変わっていくような感じです。460x307_9
                     西武秩父駅方面460x307_10
             フタリシズカは必ずしも花が一つとは限らない460x307_11
                こんな所にもあった富士浅間神社307x460
                  ヘビイチゴでしょうか460x307_12
                やっと電車の見えるところに到着460x307_13
下るのに倍の時間がかかったという超のろま登山でした。もう会えなくなる人がいるので寂しい限りです。

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2016年6月 2日 (木)

「広重ビビッド展」前期・後期 サントリー美術館

                <墨田の花火>が咲きました460x307
今年は桑の実の生り年。ひなびた昔の味で、ジャムにすると美味しいでしょうが、でき方がばらばらで黒くなった途端に落下で採集が難しくて断念です。蟻もいっぱいついてしまってよけいです。525_460x307
ニオイバンマツリは紫から次にピンク薄紫になって、最後に白くなり、それが混ざっているときがきれいです。525_460x307_2

「広重ビビッド展」前期・後期

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広重の絵は以前、江戸東京博物館で「東海道五十三次」を全部見ました。
今回は、原安三郎のコレクションのうち、広重最晩年の「六十余州名所図会」と前・後期に渡って「江戸名所百景」、「十二ヶ月風俗図」、そして北斎の10枚揃った幻の「千絵の海」が全部見られました。版画は「後摺」が多い中、本コレクションは「初摺」でしかも特に早い時期のもので保存状態が良いという揃物の全点公開でした。

「六十余州名所図会」は五畿七道の68ヶ国の名所を題材にしていて、現在の名所でもあり親しみが湧きます。これを見て、そして<美の巨人>で紹介されていた、中央線の沿線にある「さるはし」を見に行きたくなりました。
パンフレットには[阿波鳴門の風波][美作山伏谷]が載っています。7_460x327
「江戸名所百景」は画面が縦長で、あまりにも有名なゴッホが模写した[大はしあたけの夕立][亀戸梅屋敷]を始めとして、右上に亀がぶら下がっている[深川萬年橋]のや、同じく鷲が右上にいたり、[四谷内藤新宿]の馬のお尻と足が画面の大半を占めたり、神社仏閣はそのものは書かれていないなど構図の面白さも楽しめて、全部で119ヵ所の名所が描かれています。
それにしてもビルのなかった当時、スモッグもなく富士山だけでなく遠く筑波山が日常茶飯事見られたのですね。当時の名所も今は面影がない方が殆どです。
狐の絵は[王子装束ゑの木 大晦日の狐火]8_460x327
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葛飾北斎の「千絵の海」は釣りをする人々が描かれています。水の色が綺麗に版画に摺られ、やはり水の色や青い空は版画に非常に映えます。
北斎の[凱風快晴][神奈川沖波裏][千絵の海 五島鯨突] 最後が歌川国芳の[近江の国の勇婦お兼]460x316
広重の生み出した作品はこれだけにとどまらず、まだまだ驚くほどたくさんあります。渓斎英泉との合作「木曽街道六十九次」というのもサイトでも見られますが、見てみたいものです。
これらを彫った彫師、摺った摺師の名前はわかりませんが、凄い腕前だと感心します。

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昨日朝、テレビで北海道帯広の紫竹ガーデンのオーナーが紹介されたのを見ました。
御年89歳で5万坪くらいでしたか、花を咲かせて、年間12万人の来客を、花々よりもっと派手な洋服に身を包み接待しています。日に数回お召しかえするとかで、素晴らしい洋服を何枚も見ました。

朝5時から庭の手入れを始め、朝8時に入場者の朝食をスタッフで現地のものでバイキング風に提供し、来場者と写真撮ったり、握手したり、サインしたりと超大忙し。食事の場面も写されていましたが、ワンプレートに巨大なトンカツとおかずがのっていて、完食していました。凄い食欲。そして一日中の労働、89歳とは思えない動きです。なんともはや凄いおばあさんがいらっしゃるものと、朝から驚きました。

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