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2016年7月28日 (木)

胃カメラ検査

今週は明日を含めて4日も医者通いです。
山歩きの友人が毎年胃カメラ検査をしていて、寝ている間に終わり、いつも起されるという話を聞いていて、それは楽だわね、と話したのは昨年のこと。
そして私も昨日体験してきました。
昨年は違う病院で、細い管を鼻から入れて撮影、モニターで自分の患部をずっと眺めるというもの。しかし入るとき一瞬うげげとなるだけで、これならバリウムよりいいわというのが感想でした。
遡って50年前は大変でした。帰宅してから昼ご飯も夕ご飯も食べられず、もう一生こんな苦しい検査をしないように体調管理に気を付けるんだと心に誓ったものでした。

さて、昨日注射を打たれてちょっといい気分になって、自分は意識がはっきりしているわと思っていたのですが、管が入るのも、検査中も、抜かれるのも気が付かず、やはり10分位寝ていたのですね。起されて後、1時間寝ながら点滴を打って行程は終わり。これなら毎年胃カメラにしよう。
終わった時先生が何だか嬉しいことを囁いて下さったのは、本当だったのか、そんなことはなかったのか、自分の願望がそいういう先生の言葉となって頭に響いたのか?確かめようとしたときは先生の姿もなく、暗いカーテンで仕切られたベットで点滴を受けていたのです。来週の生研の結果が恐ろしいけれども、天からの言葉が本当であってくれたらどんなにいいか。

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今日で7月に4回あった早稲田夏期講習『じっくり北方ルネサンス』が終わりました。

フランドルの画家、ヤン・ファン・エイクのこの絵≪アルノルフィーニ夫妻像≫は有名ですね。1434年、ロンドンのナショナルギャラリー。
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モデルはブルージュに住み、フィリップ善良公に仕えたイタリア・ルッカ出身のジョヴァンニ・アルノルフィーニと、その許婚ジョヴァンナ・チェナーミ。二人の結婚の様子を表したものとの説が有力視されてきた。奥の凸面鏡には二人の結婚の証人として画家自身の姿と、1434年の年記「ヤン・ファン・エイクここにありき」という文字が描かれている。
夫妻の立像は前例がなく、室内も様々な象徴表現で溢れている(以上先生のレジメより)

ところが1990年に新資料として古文書が発見され、アルノルフィーニ夫妻は1447年に結婚したことがわかった。しかも画家自身は1441年に50歳くらいで亡くなっているのである。
従ってこの絵はアルノルフィーニ夫妻の結婚の絵ではない。
画家ヤン・ファン・エイクは、この前年1433年に結婚したらしく、1434年に長男、1345年に長女が生まれている。
もしかしてこの絵は画家自身の結婚式の絵ではないかとも言われるようになったとのこと。絵の中に窓が見えますが、カーテンのない部分から外の景色が見えるそうで、そこにサクランボが10個位数えられるという。だから季節は5月頃か。
なお、≪アルノルフィーニの肖像≫を画家が別に描いているが、夫妻の絵の夫と同じ顔である。243x350
そして画家の自画像と言われる≪赤いターバンの男≫も≪アルノルフィーニの肖像≫に似ているとも言われるのである。192x263



 

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2016年7月25日 (月)

ミシン

先日壊れたミシンを前に、もう買わないと決めたのに、やはり作りためた枕のカバーがなくなり、手縫いがなかなか大変で、やっぱりミシンを買いました。
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値段がなんと19224円、以前は3,4倍したように思う。足のコントローラーがなくて(つけてもいいようになっている)、ボタンで縫い始めたり縫い終えたりするところが違う。
それに縫い終わるたびに下糸を手間かけてもとに戻さなくてはならず、怠ると縫えないというところが不便。買ったからには他にも少しは何かを縫わなくては。
早速縫った枕カバーが白布なので、白いと何でも刺繍をしないといられず、10数年ぶりに刺繍、すっかり腕が衰え、不器用の極み。そういうのは写真を小さくしてごまかす。昔練習したのはましだったけれど。227x340
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一緒に入れてあった、アンデルセン編み、型染め、絞り染めの道具は廃棄。千代紙、フェルト、パッチワーク用布とたくさんの毛糸と手芸関係の本は一部を一応残しました。

壊れ始めると一斉に壊れました。ミシンの他、スキャナー、体重計、CDラジカセ、風呂のシャワーと水道栓。おまけに西日対策の日よけと断熱ガラス張替えなどとお金と時間が飛んでいきました。

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数本の茗荷が20年近くで増えて一坪にびっしりでさらに増えつつあり、もったいないけど抜いちゃうのであります。毎日収穫があります。460x307
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隣からいただいたミニトマトの形は丸い形の苗は1本で、後はこんな細長い形。とても甘いというわけでないが、新鮮さがなかなかによい。460x307_2
ゴーヤは12本植え、2階まで到達しているのもあるけれども、まだ実が一つも見えません。待ち遠しい。

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2016年7月21日 (木)

小和田哲男著『国宝入門』と薬局経営のおばあさんの話

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千両の花には花弁がなく、緑が雌しべで白いのが雄しべ。雌しべに付いた雄しべには葯が2つあるそうで(見えなかった)花粉が出て実ができる。家では千両が増えて増えて、お隣にまで侵入をしています。喜ばれたけれど。

小和田哲男著『国宝入門』

現在、その数1100件近くに及ぶ国宝。種類は建築物、絵画、仏像、刀剣などの工芸品が主だが、最近は古文書、発掘出土品などもある。
正倉院正倉は国宝だが、収蔵されている9000件余の宝物は皇室が所有権を持ち、国宝に指定されていないというのを初めて知りました。

また最大の国宝は高いのが京都・東寺の五重塔(54.8m)で大きいのが東大寺大仏殿。一番小さい国宝は金印(一辺が2.3cmで、日本生まれでなくても指定されている)。
最古の国宝が土偶と火焔型土器。最新の国宝は迎賓館赤坂離宮。
都道府県別で一番多いのが東京都(276)、以下京都(231)、奈良、大阪、滋賀、和歌山、兵庫、広島、神奈川、栃木となっている。ない県が徳島県、宮崎県。1件しかない県は9つ。
国宝を最も多く残した人物は空海。歴代天皇で最多が後宇多天皇の直筆文書5件。絵画部門では雪舟の8作品。

そもそも国宝とは、重要文化財の中で文化史的・美術的・学術的に優れた作品だそうだ。
誰が決めるかというと文化庁の専門官によって選ばれた国宝が文化科学大臣によって承認される。
銀閣は国宝だけれども金閣は国宝でない。それは放火で昭和25年に全焼したため。再建されても再指定されないが世界遺産ではある。
80件ほど紹介されているが実際に見たのは建築物が多かったです。
タイトルに知識ゼロからの入門ということで楽しく読めました。

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以前書いた薬局と煙草屋を経営しているおばあさんの話の続きです。
そこは宅急便を受け付け、市の粗大ゴミ処理券なども扱っている。年中無休の大変な仕事だ。
粗大ゴミ処理券を先日買いに行ったとき、幾つになったのか聞いた所、何と96歳とのこと。腰がすっかり曲がってしまっている。
一日があっという間に過ぎてしまうそうだ。合間を縫って買い物、銀行などに行っているのでしょうね。
なんでも、御主人は病気で二人の子を残して昭和20年に亡くなったそうで、4年間の結婚生活だったそうだ。
疎開先で御主人の父親がお金を出してくれて、それから薬科大学に入学して2人の子供を育てながら卒業。
現在の駅に近いこの土地を買って薬局を開いたとのこと。以来60数年、子供の手も借りないで一人でずっとお店をやっている。
煙草の自販機に毎日入れているのも寒い冬はとても大変そうに見える。お花も植木鉢に植えたり、土を変えたりしている。
洋服や編んだものはお手製で、いつも小ざっぱりといろいろな洋服を着てお洒落。
健康診断に行っても悪いところは特にないとか。96歳の薬剤師さんは今も薬の勉強をしていなければならない。
いくつになっても現役で仕事を続け、倒れるまでやめないその心意気が元気の源でしょうか。
それにしてもずっと休みなく、どこにも遊びに行かないで60年以上働き続けることに驚きっぱなしです。

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今庭はオレンジ色が目立っています。ヒメヒオウギズイセンとオニユリです。

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2016年7月18日 (月)

国営武蔵丘陵森林公園

昨日7/17に森林公園にヤマユリとレンゲショウマを見に出かけました。
東武東上線の森林公園駅で下車、バスで7分、南口に到着。スタッフにずっとガイドをしていただく。
途中昼食を挟んで花を見ながら歩きつづけること5時間半、西口に到着。これでもほんの一部しか歩いていません。16475歩。
昭和記念公園より広そうだなあと思って調べたら、1.7倍もあり、304ha。人工的な部分は一割に過ぎず、殆ど自然林というのが昭和記念公園と違うとのこと。
園内には古鎌倉街道があり、京都へ通じていたという。
今の時期緑が一層濃くなって、フィトンチッドを思う存分吸ってきた。

昨日はカメラを忘れ、スマホで代用。スマホで撮った事が殆どなく、ズームもマクロで写すことも出来ず、本当にしょんぼりでした。
先月、湯西川温泉に行ったときも、実は電車にリュックを忘れ、その行方を追っていて、リーダーに行かれない旨を電話すると、荷物がなくても1泊なら何とかなるから来いということで、幸い財布とカメラがバッグに入っていたので着の身着のままでバスに2分遅れで飛び乗ったのです。80歳の友人に「信じられない」と呆れられました。今回もその友人にどうして?と呆れられたのでした。最近ことのほか毎日のように信じられないことをやらかしています。頭がどうかしちゃったようです。

と前置きが長くなりましたが、ガイドさんはヤマユリについてずっと講義しておりました。
日本原産のヤマユリの原産地はこの丘陵とのことです。自然林とはいえ、7年に1回伐採などして整える。それに合わせてヤマユリも種を飛ばしてゆっくり発芽。開花まで5年以上7年かかるという。
森林に入っていくとヤマユリの濃厚な香りがいきなり香ってくる。そして大きな花が見えてきた。直径20㎝以上もあって、これはカラスアゲハが蜜を吸えるように合わせての大きさなのだそうだ。

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樹がたくさん茂り、下草が生え、キノコが生えている場所で自然に遠くへ飛んだ種から発芽して開花してからも長いこと咲き続ける。下草が生えていると湿り気があり、キノコの菌種がヤマユリをウィルスから守るというわけだ。勿論木々の間から日が射すことも必要だ。
また自然のヤマユリは思い切り垂れるように茎を長く伸ばし、花を大きく咲かせ、実も大きくして種を遠くに飛ばせるようにしている。言われてみれば格好の悪い姿のそんなユリが多いこと。
このキノコたちがヤマユリに役に立っている(コトヒラシロテングタケ) shikamasonjinさま、ありがとうございました460x345
家庭で球根を買ってきて栽培すると、森の中のような条件がないのでウィルスにやられ、3年くらいで命を閉じる。よく家で植物がダメになるのはこれと同じようなことが起こっているのかもしれません。
これは日当たりのよい梅林に栽培したヤマユリ。こんなにたくさん花を付けると来年はもうだめになるそうだ。460x345_2
同じような条件の森林にはフシグロセンノウ、アキノタムラソウ、オオバノギボウシ、レンゲショウマ(標高が園内でも50mしかアップしないので、御岳山より1ヶ月早く開花)などが咲いていた。

         フシグロセンノウ(実際はもっとオレンジが濃くてきれい)345x460_2
                    オオバノギボウシ345x460_3
             レンゲショウマ(見苦しい写真で失礼しました)345x460_4
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                 ドングリの赤ちゃん、初めてです。328x460
          秋の七草園ではオミナエシ、キキョウ、ナデシコが満開345x460_6
                       ナデシコ345x460_7
             松の樹のバンソウコウは注射の跡だそうだ460x345_3
                クサギの花の咲き始め(花もくさい)345x460_8
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最後はハーブガーデンやボーダー花壇などを楽しむ。

                     ハマナスの実345x460_10
                    パイナップルリリー345x460_11
                      クサフヨウ345x460_12
地図で見ても道がたくさんあって、凡そしか歩いたところがわからず、人も多くないので一人では迷子になりそうな公園でした。以前行ったことがあるのに、どこを歩いたのか?3/10だったので梅だけ見に行ったのかしら。
秋はカエデ園の紅葉が素晴らしいそうだ。

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2016年7月14日 (木)

小平市 平櫛田中彫刻美術館

7/7に玉川上水べりにある「小平市 平櫛田中彫刻美術館」にブログ友のmatsubaraさまにお誘いいただき行ってまいりました。遠く岐阜からお越しで用事の傍らとはいえ、その探究心にはいつも感心させられています。
ここは2度目なのですが、10年くらいたつと作品などもすっかり忘れていて、私って10年あいだがあけば何度行っても初めてという感じです。かなり記憶力が悪いです。

平櫛田中(1872-明治5年~1979-昭和54年)は岡山県井原市の田中家に生まれ、広島県福山市の平櫛家に養子入りした人。
高村光雲の門下生になり岡倉天心に師事。文化勲章受章。 芸大名誉教授。
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             国立劇場にある「鏡獅子」は昭和33年に22年かけて完成したもの422x460
作品は仏教説話や中国の故事を題材にしたもの、モデルを使用した塑像、その後は彩色を施した作品、金・銅・青銅製動物などの小物など多岐にわたる作品が展示され、見ていて感動するような作品が並んでいました。
掛け軸には素晴らしい書。
記念館には、茶室、アトリエ、客室、居間、簡素な寝室となかなか住んでいて楽しくなるような造りです。何と98歳になって家を建て台東区から引っ越してきた。普通の人は98歳まで生きることも困難で、生きたとしても98歳で家なんか新築しない。それから足掛け10年も住んで107歳で亡くなったのです。

また100歳を超えても30年分の材木を所有していたという。
                            これは彫刻用のクスノキの原木、巨大です。307x460
                              つぼ庭、中庭、広い庭園が素晴らしい。460x307
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「不老 六十七十ははなたれこぞう おとこざかりは百から百から わしもこれからこれから」と揮毫していたそうだ。彫刻は凄い力のいる仕事なのに何て元気な百歳超えての人生だったことでしょう。

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2016年7月11日 (月)

「江戸絵画への視線展」と「北斎漫画展」

山種美術館「江戸絵画への視点」 ー岩佐又兵衛から江戸琳派へー 開館50周年記念特別展

400x600近現代日本画専門の美術館ですが、今回は41点と規模が小さいけれども江戸絵画が展示された。今回4作品、撮影が許された。

今回展示の一番古い人が大和絵の土佐派・土佐光吉(1539~1613)。
大和絵」というのは平安時代の国風文化の時期に発達した日本的な絵画のことで、中国風の絵画「唐絵」(からえ)に対する呼称であり、土佐派などの流派に受け継がれる。
土佐派は14世紀南北朝期に始まり、室町時代の約200年にわたって朝廷の絵所として権勢を誇ったが、直系が絶え、織豊期からは狩野派が躍進した。しかし江戸時代に流派は再興され、江戸末期まで地位を維持したとのこと。

↓は伝・土佐光吉「松秋草図」です。右端には沢庵和尚の歌「暮れそむる 野辺のけしきは 春秋と わが家もふかき あかねなるらん」が記される

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岩佐又兵衛とは浮世絵の祖といわれ、名前は聞いたことがあるけれど、何と黒田官兵衛があんな目に遭わされ、織田信長に反逆を企て一族の殆どが惨殺された荒木村重の子だったのです。又兵衛2歳の時(1579年)で、乳母に救い出され、石山本願寺に保護される。成人した又兵衛は母方の岩佐を名乗り、信長の子・織田信雄に仕え、信雄改易後浪人となり京都で絵師として活動を始めたそうだ。
今回は「官女観菊図」(重要文化財)が展示されていたが、浮世絵の祖という感じではなく、大和絵風で源氏物語絵巻のような作風である。 202x460

琳派 俵屋宗達3作品、酒井抱一(1761~1858)6作品、酒井抱一の弟子・鈴木其一(1796~1858)の3作品が見どころ。

                  伝・俵屋宗達「槇楓図」460x307_2

              酒井抱一「秋草鶉図」(重要美術品)460x307_3

鈴木其一「四季花鳥図」 秋にサントリー美術館で鈴木其一展があるとのことで、琳派の流れを楽しみたい。460x307_2_2

ちらしの右側の絵が伊藤若冲の「伏見人形図」で見ていて楽しい絵だ。
その他、文人画の池大雅、谷文晁、田能村竹田などの絵もいい。
そして猿を描いた森狙仙の養子・森徹山のうさぎが可愛く上手い。
その他幕末の名前を知らない10人くらいの人の絵が並んでいました。

教科書でしか知らなかった絵の世界だったがこの10数年、暇に任せて、そして美術館の多い地域に住んでいるお蔭で、日本も江戸時代辺りから現代まで、世界でも次々とやってくる名画の数々、多くの画家の絵を見ることが出来、又ヨーロッパの都市では美術館に多く足を運んできたので、ほんの少しだけですが視野を広げることが出来た、とても幸せな環境に感謝しています。

お昼は「マトリョーシカ」でロシア料理。

                 はと麦と緑のサラダ、ボルシチ、460x307_4
つぼ焼き(海老とほうれん草の豆乳クリームソース)、それにロシア紅茶でした。460x307_5


午後行ったのが 太田美術館「北斎漫画展」~森羅万象のスケッチ~

460x307_7北斎の多彩な才能を7つのキーワードで紹介・・躍動、滑稽、生活、自然、動物、妖怪、建築
他に北斎の絵本を紹介している。(どのような絵を選んで解説しているかを楽しみに見に行ってみた)
北斎漫画は私も以前書いたように持っているので見ているのですが、絵の総ページ数は970、図版は4000点以上のこと。
上の7つの分類と別の見方で眺めれば、動物、妖怪、建築の他、植物、風景、天候などの自然現象、風俗、職業、市井の暮らしぶり、生活用具、日本・中国の歴史上の人物、故事、説話など描けるものを全部描きつくした感があって、江戸時代の生活もかなり多様化しいろいろなものを使って生活していたのだと、また故事来歴、昔の世界にも庶民までどっぷりと浸かって学び、妖怪や幽霊まで愉しんでいた様子も伝わってくるのです。

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2016年7月 6日 (水)

今年も浜木綿(ハマユウ)が咲く&ブータンについて

10年前に蒔いた浜木綿の種が発芽してやっと昨年咲いたことは書きましたが、今年も咲きました。株が2つに分かれ。もう一つはまだ咲きません。

6月28日、今年は蕾を撮ってみました。まるでオクラのような形でオクラより少し太いです。628_460x307
3日後の7月1日、外側の皮が破れて中が見えました。全部で19の花が詰まっていたのです。71_307x460
7月5日、咲き始めました。全部で9輪。1輪には花弁が6枚、雄しべが6つ、雌しべが1つ。今日6日には3輪新たに咲き1輪は枯れかかっています。
夕方とても良い香りがしてきました。460x307
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植物の育て方図鑑によると、浜木綿は彼岸花科で日本や韓国の済州島に分布する毎年花を咲かせる多年草で、主に海岸線に群生します。正式な和名はハマオモト(浜万年青)で、葉がオモトに似ている事による。日本の平均気温15℃の地域を結んだラインをハマオモト線と呼び、このラインより南の地域に自生します。北限は房総、三浦半島になります。
我が家では冬は部屋の中です。

これは近所のインド浜木綿(アフリカ浜木綿):ヒガンバナ科 浜木綿と同じ仲間です。
花の咲き方は同じようですが、花弁の幅が広くユリに似ています。もう枯れかかっていました。628i_460x307_2

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高野秀行著『未来国家 ブータン』

ブータンといえば、両陛下がご覧になったという「ブータン展」が上野で開かれている。日本・ブータン外交関係樹立30周年を記念して。
震災の年に結婚されたブータンの第5代のワンチュク国王が、東日本大震災の折に王妃とお見舞いに来られたのは記憶に新しい。
ヒマラヤの麓・チベットは中国に、シッキムはインドに無理やりに併合されてしまったのに、同じような所にあるブータンは独立国だ。よくぞシッキムと同じ運命を辿らなかったものだ。
長い間鎖国状態の国であった。人口はたった75万人、しかも多民族国家なのだ。
しかしゾンカ語の他、小学校から英語教育がなされ、殆ど英語をしゃべることが出来る。日本人には信じられないくらい仏教の信仰が篤く、また国王は「尊敬の対象」をはるかに超える存在なのだそうである。
本によれば、生物多様性の国として、環境立国として努力している国である。国王は健脚で、自分の足で登記や税金まで決めるという。殺生を禁じている宗教上の理由と、資源保護の観点から、川で魚を取る事を禁じており、食用の魚は川の下流にあたるインドからの輸入に頼っている。将来の世代を考えて自然を守る事を徹底。外国人観光客の入国は制限されており、バックパッカーとしての入国は原則として不可能とのこと。
英語教育、経済と分離した環境政策、行政の丁寧なインフォームド・コンセント的指導、伝統と近代化の統一・・・こういった点は日本より進んでいる。先進国の良い所だけを取り入れて、悪い所は全て避けている・・・と著者は地方を回って感じる。

首都と他の小さな都市以外は水道も電気もないという。この本には書いてないけれども、1日2ドル未満で暮らす貧困層は17万人と推定されており、国民のおよそ25%を占めている。国際連合による基準に基づき、後発開発途上国(最貧国)に分類されている。
しかしながら、世界一幸せな国、国民総幸福量として表され、97%の人が幸福と答える(2005年)。今はこの統計から11年になろうとしている。が、現在は日本の方が幸福度が高いとのこと。
だが現在、都市への人口集中、世界の動向の流入などで、都市でも薬物、アルコール、犯罪、失業率上昇で、「国民総幸福量」という概念は実は小国が生き残りを賭けた起死回生の安全保障戦略だったと書かれたサイトもある。
本当に電気も水道もなくては、日本人の私は幸福には思えない。幸福に対する考え方が随分違います。
無計画に開発一本やりで環境を破壊してきた日本、人口が比べ物にならないほど多い日本、海に囲まれた日本では考えられない知恵がブータンという小国に詰まっている・・・と感じました。ブータンはこれから先どうなっていくのでしょう?

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2016年7月 4日 (月)

涼しい旧正丸峠

32度になった7/2(土)に西武秩父線の正丸駅(前回二子山登山のときに降りた芦ヶ久保駅は1つ先)で下車し、旧正丸峠(標高665m)に向かいました。正丸駅は標高300m位で360m位登る。14915歩。
今は鉄道と車道があるけれど、かつては江戸と秩父を結んだ交通の要衝だった峠だそうだ。
                                     駅を出ると自然がいっぱい

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すぐ花がたくさん咲く坂元集落に入る

                     ホタルブクロ460x307_2
                      マツバギク460x307_3
                      キキョウ460x384
                      アナベル460x307_4
                        トリトマ460x307_5
               峠道に入るとユキノシタの群落が続く460x307_6
              川の流れの音も涼しさを倍にしてくれる460x307_7
           苔むした石仏が往時を物語っているような感じです307x460
                      巨大な根460x307_8
カエルの卵?があちこちに山道の脇にたくさん産み付けられている。少し下方には川が流れていた。モリアオガエルの卵らしいと教えていただきました。matsubaraさま有難うございました。460x307_9
このあたりはこのキノコばかり。傘の表も裏のような感じです。オオホウライタケとshikamasonjinさまに教えていただきました。ありがとうございました。460x307_10
旧正丸峠に到着 木ばかりで遠くの景色は見えないけれど、涼しいこと!寒いくらいでした。丁度風の通り道になっている。460x307_11
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お弁当を食べていたらそばにマルミノヤマゴボウ(ヤマゴボウ科)がもう実になっていた。ヨウシュヤマゴボウに似ているが、これは垂れ下がっていない。307x460_3
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          直径1㎝くらい黄色い小さな花が一輪だけ咲いていた460x307_13

この日11人がしゃべりながら歩いていましたが、大勢の声がこだましていれば熊は出てこないとか。鈴を鳴らすのは熊が人間の独り歩きを察知して襲ってくるという。
そんなでしゃべりながらの話題の中に、
ある人の知人のおばあさん、105歳で昨年アメリカ西部旅行に参加し、今年106歳でハワイへのクルージングに出かけたという。凄すぎ。
もう一人は旅行で同行した時に60歳くらいの女性がいて、もう世界は全部行ってしまって、南極も北極も行き、次は宇宙への旅行を申し込んでいるとか。その元気なことと財力と情熱にびっくりです。

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