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2016年8月 4日 (木)

和田博著『海の上の世界地図』

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19世紀後半から20世紀前半の日本人がヨーロッパに赴く主なルートは欧州航路とシベリア鉄道とアメリカ経由のコースである。
このうち日本人の世界認識に大きな影響を与えたのが欧州航路だ。シベリア鉄道と言うと与謝野晶子が鉄幹を追いかけていったその情熱が苦しい旅を打ち消してしまった。
欧州までは12,3時間あれば到着し、その夜はホテルに寝ることが出来るという現代だが、船では3,4カ月もかかって、しかも嵐にあったり、3等船室の人は地獄の苦しみを味わって出かけていったのだ。鎖国の江戸時代から一転して明治に入り、船を借りることから始まり、外国で造ってもらい、やがて造船技術を獲得し、船員を外国風に養成し、問題のスエズを通りながら人材や資源の輸送をする。そこには全く航海時代を経験していない日本の海運業の困難さがにじみ出る。そして日清、日露、第一次、第二次世界大戦の真っただ中を船は進み続ける。
日本史や国語の教科書に出てくるような人が随分大勢渡欧していることに驚く。維新の頃の福沢諭吉や勝海舟や薩摩長州、朝廷、明治政府の元勲までその数は多い。
その後アジアへの移民も運び続ける。
夏目漱石や森鴎外の渡欧はあまりに有名。
鎌倉東慶寺の住職・釈宗演は各国を巡遊しセイロンで修業を積み、円覚寺派管長に就任しているが、夏目漱石が「神経衰弱」に罹り、円覚寺を訪ねて釈の下で参禅した。この体験が『門』に織り込まれているのだ。
その他作家には高浜虚子が横光利一と船内で句会を催して余裕の航海だったのに比し、武者小路実篤などはアジアを離れると私の本を知っている人はないと嘆き寂しき航海となっていたようだ。
野上弥生子夫妻などは他の人と違ってエジプトに下りて10日くらい見学、その他エーゲ海の島々を楽しむ。最初貧しかった林芙美子まで洋行している。
画家は明治以降多くパリ留学しているが、音楽家もどんどん留学を始める。
そして萩須高徳と藤田嗣治は戦争時帰国したが、戦後フランスに行って、遂に日本には帰らなかった。
船舶と国策、様々な困難が横たわった世界でもあった。知っている人々しか私の頭には入ってこなかったけれども、欧州航路紀行史は複雑な地誌、政治、歴史などを航路を通して教えてくれた。

              ・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・

昨日病院へ。昨年来激やせで食べても体重は全然増えず、肋骨が浮き出ているのと、皺が至る所に100歳のごとく出てしまって、これはおかしいと通い始めた病院でした。
お陰様で逆流性食道炎はきれいに治っていました。画像で確認できました。先生がいろいろ説明していたらしい中で、麻酔の効いた頭でそこだけが聞こえたわけです。1年間の投薬治療でまさか治るとは思っても見なかったので、これから外食もいろいろできると思うと本当に嬉しい。ポリープは30ヶ所もあるというのには驚いたけれども良性で心配なしとのこと。
皆さんに大丈夫だと励ましていただいたことを感謝したします。
まあ、遺伝、体質、一時的な物か、あるいは1年間油気のない食事をしたせいか、もう肉がつかないかもしれないけれども、どこも悪くないことが判明したので、また元気を出していきたいものです。

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コメント

こんにちは
胃カメラの検査結果、passおめでとうございます。
逆流性食道炎も完治とのことでバンザーイですヽ(´▽`)/
頑張られた結果ですね。これで何でも食べられると、急に油っこい物を
パクパク食べたらいけませんョhappy01
でも、さらなる健康アップのために、痩せてしまわれた分も戻るといいですね。
 
航路や航海のこと、あまり深く考えたことがありませんでした。
学校で、幕末に咸臨丸がアメリカへ往復したことは奇跡に感じましたが、
今よりはるかに壊れやすそうで進みも遅い船で、よく大海原へ
漕ぎ出したなぁとか、長い長い船旅をよく耐え忍んだなぁ、
といった程度のお粗末さです。
記事を拝見して、想像していたよりはるかに大勢の方が海を渡って
いったこと、そしてそれらが多くの事柄と結びついていることを
知ることができました。

投稿: ポージィ | 2016年8月 4日 (木) 18:02

★ポージィさま

こんばんは。
ポージィさん、ありがとうございした。
お陰様です。この1年、ある時は鬱に陥ったり
気分がすぐれない日も多くありましたので、この目で治った食道を見て、小躍りしたくなるほど嬉しかったです。
はい、ちょっと反省。昨日は炒め物、今日は焼きそば(1年ぶり)や鰻を食べました。明日は自粛です。

そう、咸臨丸はその後、函館で沈没してしまったのですよね。それくらい初めての船は今から思うと小さくて頼りない感じでしたね。
私の長い船旅は台風に追いかけられて東京から北海道へ行ったときです。台風で揺れました。それ以来そういうのはやめています。
昔の人たちはよくぞ何ヶ月も耐えて航海したものです。移民の人たちも大変でしたね。

投稿: tona | 2016年8月 4日 (木) 19:20

逆流性食道炎が完治されて本当によかったですね。
はじめて聞く病名で想像もできなかったです。
きちんとした食生活をされた賜物です。

航路について一番に思いだすのは信長が
遣わしたあの若いクリスチャンたちのことです。
つまり、天正の少年使節のことです。
帰国したら信長は亡くなり人生が悲惨にも逆転しました。
でもこれは時代が違いますね。
400年もずれていました。
すみません。

投稿: matsubara | 2016年8月 4日 (木) 21:23

逆流性食道炎が治り、ポリープも良性とのこと本当に良かったですね。
投薬と油っ毛のない食事が功を奏しましたか・・・
私は6~7キロ痩せた体重が3kg戻り、目下慌てています。
ダイエットを心がけても全然痩せなかったのが、あっという間に痩せて・・・
心理的な要因が大だったとつくづく思います。
が・・・
美的にも健康面でも今の体重を維持することが大事!
それには脂っこい食事をできるだけ避けるのが良さそうですね。

飛行機のない時代の洋行の大変さ、想像がつきませんね。
明治時代多くの日本人がヨーロッパを目指したのですが、スエズ運河はもうできていたのですね。
あれがなかったらヨーロッパはもっともっと遠かったでしょう。

山下公園に係留されている氷川丸を見学すると、アールデコ調の優雅な社交場のような船内が再現されていますが・・・
この船は1930年に太平洋横断シアトル航路として就航しましたから昭和に入ってからのものですね。
古くは咸臨丸が思い出されますが、明治時代の客船は想像がつきません。

投稿: nao♪ | 2016年8月 5日 (金) 01:21

こんにちは。検査の結果が良好で良かったですね。これからたくさん美味しいものを食べられますね。

投稿: 多摩NTの住人 | 2016年8月 5日 (金) 07:44

★matsubaraさま

健康ですと全然縁がない病気です。どうして罹ってしまったのかはっきりした原因がわかりません。何でも加齢にされてしまいますが。
食べることに関係してくるので、テレビ画面の食事やお料理を見るのも辛い時があり、目をそむけました。献立が全然考えられず、考えるだけで気分が悪くなるのも悲しかったです。

天正少年使節や支倉常長時代は、コロンプスたちが世界の海を制覇し。キリスト教の普及などの他植民地争奪戦、クックなどの探検家が南極や北極探検と、海への冒険の後に来た時代の話ですね。
それでさえもなんでこんな苦しい航海にこぞって出たか、異国の文化を吸収すべく先人たちハッスルしたのですね。
飛行機の12時間がもうだめだと言っている自分が恥ずかしくなるくらい凄い時代です。

投稿: tona | 2016年8月 5日 (金) 08:34

★nao♪さま

食事は香辛料の強いもの(カレーはこの1年食べていませんし、韓国料理も)、チョコレート、餡子多量、アイスクリームやかき氷の冷たいもの、お酒などを控えてきました。油っ気のあるものをが食べられないのが一番答えたかもしれません。あとのは我慢できますからね。

スエズ運河は意外や出来ていて、戦争時封鎖されたりして喜望峰を回ったそうです。で、次はアメリカ回りが安全な時期はパナマ運河まわりだったそうです。
今、豪華客船で世界一周がありますが、当時は小さな船ですから揺れたときは食はほとんど空っぽ状態だったとか。
飛行機の事故も恐ろしいけれど、海難事故は溺れていく時を想像してよけい怖いです。
氷川丸はあの頃の船として貴重なものですね。2度くらい行ってみましたが、中は結構素敵ですね。
咸臨丸はどんなだったでしょうか。払い下げられ、函館で沈没してしまったとか。

投稿: tona | 2016年8月 5日 (金) 08:47

★多摩NTの住人さま

お陰様です。完治と医者から聞いて信じられませんでした。ポリープがあるため、毎年胃カメラ検査は受けなければなりませんが、怖くないので進んで出かけます。
同じ病気の多摩NTの住人さまがマラソンをされていらして、ただただびっくりするばかりでした。つくづく病弱いと思いました。
いろいろありがとうございました。

投稿: tona | 2016年8月 5日 (金) 08:53

そんなに痩せたのですか。
心配でしたでしょうがノープロブレム、うれしいですね。急に世の中が明るく見えやしませんか^^。

投稿: 佐平次 | 2016年8月 5日 (金) 09:27

逆流性食堂炎が治って、本当に良かったですね!
お逢いした頃は、体調の辛い時だったのですね。
胃がお弱いかなぐらいしか思えずで、配慮することなく・・・
sweat01
肉も必要、そして梅干しは万病に効くので是非。

渡航した有名人は、日本に多大な影響を及ぼしましたね。
野上八重子(弥栄子とは違いますか?)夫妻は、日本帝国の軍拡に鋭く切り込みましたね。
欧州の気風に触れた者の、強みでしょうか。
婿の父親は学生10人と、オートバイでユーラシア大陸横断しました。
撮影した映像は、ドキュメンタリー部門で賞を受けました。
ロカ岬には、ここから太平洋との印があるそうですね。
余計なこと長々とすみません~


投稿: だんだん | 2016年8月 5日 (金) 09:50

船もそうですが、何でも今の便利な世の中になるまでには
沢山の人が発明や発見した努力の結果ですね。

今は海上も飛行機で一っ飛びですが、最初は船を造りそれも何度か失敗し
大勢の犠牲もあったでしょう。
その結果の繰り返しで今のような安全な船になり、豪華客船で世界一周も夢ではなくなりましたね。
我が家には豪華客船で世界一周は無理ですが・・・

逆流性食道炎が完全に治り安心できますね。
私は好きな食べ物が食べれないのが一番辛く感じますが
先生からお墨付きを貰ったのですから、1年間食べ物には気を使ったでしょうが
これからの毎日は楽しい生活が出来るでしょう。
激痩せが少しは戻るかも・・・

投稿: ラッシーママ | 2016年8月 5日 (金) 12:58

★佐平次さま

ありがとうございます。痩せたので癌の心配をしました。でも年齢とか体質とかいろいろあるらしく、消化器本体は完治したので、多少胃弱気味ですが、痩せは気にしないことに。
本当におっしゃるように世の中がバラ色に見え、興奮して寝られなかったです。

投稿: tona | 2016年8月 5日 (金) 16:04

★だんだんさま

お陰さまで1年がかりでやっと治りました。
ありがとうございました。
お会いしたときは投薬の最終段階のときでした。一生治らない人もいると聞いていたので、そうだったらいやだなあとまだ暗い気分でした。
野上弥生子でした。文中訂正いたしました。ありがとうございます。これからもこんなミスが続出すると思いますのでよろしくね。
夫妻はぎりぎりにアメリカスエズ運河周りで帰国できたようです。弥生子氏が御夫君に付いて行って嬉々として取材しているのには驚きました。
お婿さんのお父さんも凄い方なのですね。危険がいっぱいあったでしょうに。映像はどこかにあるのでしょうね。
ロカ岬は行きましたが、そのように書いてありました。ユーラシア大陸の西端の記念として証書を持っていますが、そのうち捨てることになります。

投稿: tona | 2016年8月 5日 (金) 16:17

★ラッシーママさま

高速船に乗って島巡りなんて好きですが、豪華客船に乗って世界一周はやりたくありません。
お金だけでなく、あの豪華な衣装をたくさん用意して会食したりするのが苦手です。
上流階級の人々の集まり、鹿鳴館を想像したりします。

お陰様で治りまして、ありがとうございました。その節はご迷惑をおかけしましたがお許しください。元にだんだん戻ると思います。
旅行もおそるおそるでなく、できるようになります。暑いので今は引きこもり状態ですが。

投稿: tona | 2016年8月 5日 (金) 16:24

こうして見るとあの時代に結構沢山の人たちが洋行してるのですね。
何か月もの船旅、今だったらとても耐えられません。

 鹿児島で有名なのは、薩英戦争で西洋の西欧文明の偉大さを痛感させられた薩摩藩は、
15名の留学生と4名の使節団を英国に派遣しました。
幕府の鎖国令を破っての派遣だったので、全員変名を使って、グラバーが用意した蒸気船で
密かに英国に旅立ちました。
約2ヵ月後にロンドンに到着した学生たちはロンドン大学に留学し,
留学生らは帰国後、外交、文教、産業等の分野で活躍し、日本の歴史を大きく転換させ、
新生日本を建設する原動力となったのは有名な話です。
 その歴史的業績を称えるため、鹿児島中央駅前に「若き薩摩の群像」という記念像が建っています。

投稿: 夢閑人 | 2016年8月 5日 (金) 16:57

検査の結果、逆流性胃炎は直り、ポリープも良性でよかったですね。私もポリープが発見されましたが心配してません。
これからは食べたいものを食べて、元の体を取り戻してください。、

投稿: 夢閑人 | 2016年8月 5日 (金) 17:03

★夢閑人さま

逆流性食道炎について、その節はいろいろ教えていただきありがとうございました。
昨年の胃カメラではちょっとひどい状態を映像で見たので、これって治るのかとかなり心配しましたが、ご助言を得て助かりました。
まさか治るとは思ってもみなかたので、今も信じられない想いです。
また気を付けないと再発するのではと考えたりしました。

薩摩藩が欧州にたくさんの使節を派遣した話は本で読みました。
伊東博文などは先に返ってきたのですよね。
特に4人はその後政治産業の中枢になって活躍しましたね。
あんな大変な航海に随分時間かけて行ったことはどの人にも感動します。
今は飛行機で12時間という手軽な旅行なのに、それだけでも耐えがたく感じるようになって、船で耐えた人々を拝みたい気分にさえなります。
ナイジェリアの選手が開会7時間前にやっと現地に着いたのに、勝利して驚きました。試合の強さだけでなく、こんな悪い条件でもその強さが発揮できるという日本人では考えられない、ハングリー的強さを感じました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2016年8月 5日 (金) 20:36

 逆流性胃腸炎、そんなに大変な症状だったのですか。
激やせは、心配でしたね。
これから普通の生活ができるかどうか不安な日々を送られたことでしょう。
完治されてよかったです。
無理されずにまた、いろいろと挑戦なさってね。

↓吉田博の記事、私も参考になりました。
この方の淡い色彩の水彩画は湿気の多い日本の風土をよく表していて落ち着きます。
アメリカやヨーロッパに何度も渡っていますが、この本にあるような苦労もあったのですね。
多くの作品を持参しての旅、大変だったことでしょう。

投稿: ☆銀河☆ | 2016年8月 8日 (月) 11:54

★☆銀河☆さま

私の逆流性食道炎はちょっと画像で見る限りひどいようでした。それで治らものと思っていましたので、治って嬉しい限りです。でもいきなり食べるわけにもいかず、おそるおそる馴らしていきます。
これでいろいろな会や旅行などで食事が出来そうです。

吉田博をご覧になられて良かったですね。私は来年こちらに来たら行きたいと思うのですが、その頃まで忘れないように頭に打焼き付けておきます。
奥さんも画家で個展も府中美術館で開かれたことがあるらしく、知りませんでしたので残念でした。
そう、あの頃はこの本のように船で行ったわけで本当に大変だったでしょうね。それでも手段がないわけですからその勇気に感動します。

投稿: tona | 2016年8月 8日 (月) 16:10

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