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2016年9月 5日 (月)

中野京子氏の講演『プラド美術館の名画にみるスペイン王室』

ドイツ文学者であり、『怖い絵』シリーズや『名画の謎』シリーズなど絵画に関する著書の多い中野京子氏の講演『プラド美術館の名画にみるスペイン王室』を聴いてきました。
12枚の有名なベラスケスやゴヤらの絵を見ながら、スペイン・ハプスブルク朝の人々の秘話を伺った。

本で読んでいたので凡そは記憶していたが、例のハプスブルク家の近親婚の数値がどうやって出されるかは帰って調べたみたけれどもわかりませんでした。
他人同士では0、親子やきょうだいの結婚でできた子供の数値は0.25なのだそうです。
ですが親子、きょうだい結婚よりもっと血が濃くなってしまった数値、0.254があるのです。カルロス2世です。写真はwikiより拝借。
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スペイン・ハプスブルク
フェリペ1世(カスティーリャ王、フアナと共同統治:1504年 - 1506年)
               ↓
1、カルロス1世(1516年 - 1556年) 
2、フェリペ2世(1556年 - 1598年) 伯父・姪結婚
3、フェリペ3世(1598年 - 1621年) 母の従妹と結婚
4、フェリペ4世(1621年 - 1665年) 伯父・姪結婚
5、カルロス2世(1665年 - 1700年)

カルロス1世が1500年生まれでカルロス2世が1700年に亡くなったのでちょうど200年で血が絶えたというわけである。このあとブルボンがスペイ王朝に入る。

・フェリペ1世はフィリップ美男公と言われ、フアナは熱愛していた夫が28歳で亡くなってから、その棺を持って半年以上も国内を彷徨っていた、その「狂女フアナ」の絵がまず紹介された。

・フェリペ2世の跡継ぎを残した4番目の妻アンナの父である神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世はフェリペ2世と同年生まれの従弟であった。さらに彼女の母マリアはフェリペ2世の妹であるという関係から、2人は伯父と姪の結婚。

・フェリペ4世の、オーストリア・ハプスブルクに嫁いだ妹が生んだマリアナは、フェリペ4世の息子バルタサール・カルロスの婚約者であったが、彼が早世したためその父フェリペ4世の2番目の妻となった。故に伯父と姪の結婚になる。ハンサムなバルタサールが亡くなってしまい、30歳も年が違う伯父との結婚で描かれた絵の顔は面白くない顔をしていると言われる。そりゃそうでしょう。子供は5人いたが一人がベラスケスが何枚も描いた「マルガリータ」で、父方の従兄・母方の叔父にあたるレオポルト1世と結婚し、夫妻の間に生まれた4人中3人の子が1歳未満で夭折した、自身も22歳の若さで亡くなる。マルガリータの弟がカルロス2世。
           ベラスケス「ラス・メニーナス」の中のマルガリータ210x240
・カルロス2世 癲癇、知的障害などいくつもの病気を抱え、精神障害も起したが、それでも39歳まで生き、家は断絶した。オーストリアの方も近親婚がこの頃多かったが大丈夫だった。

何故これほどまで近親結婚をしたか。
・地位や財産の一族外への散逸を防ぐため。
・厳格なカトリック政策で、プロテスタントや正教会の王侯との結婚ができない。ヨーロッパの王侯は次々とプロテスタントに改宗していた。
・ヨーロッパ屈指の名門であり、家格の低い諸侯との結婚ができない。

ヨーロッパ各国の王室のいろいろな話を読むと、殺し殺されという残虐な話、処刑される話、愉快な話、威張っている王様王妃の話などいろいろだが、太陽が沈まぬ国の何だか笑えない悲劇の一面を持ち併せていて、暫くいろいろな絵がちらちらとしていました。

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コメント

こんばんは
 
ハプスブルグ家というと、私が最初に思い浮かぶのは、マリア・テレジアと
その娘マリー・アントワネット(「ベルサイユのばら」の影響大)ですが、
スペイン・ハプスブルグ家は意識しないまま知らずにきたようです。
ベラスケスの絵画のマルガリータはスペイン・ハプスブルグ家だと
初めて知ったような状態で、いつもながらお恥ずかしいことです。
こんなに血族結婚が繰り返されたことについてもほとんど知らずに
いました。けれど名家とされる一族では少なからず行われてきた
ことなのですね。
地位や財産の散逸を防ぐための血族間での婚姻関係の繰り返しが、
結局は途絶に繋がったのは皮肉な気がします。

投稿: ポージィ | 2016年9月 5日 (月) 21:43

★ポージィさま

こんばんは
コメントをありがとうございます。
オーストリア・ハプスブルク家では何と言ってもマリア・テレジアとマリー・アントワネットですね。そして最後の方のフランツ・ヨーゼフ1世と王妃エリザベータですね。
近親結婚は伯父・姪結婚が2回ありましたが親子・きょうだい結婚の血の濃さより濃くなるということが驚きです。続くとそうなるのですね。
そのために絶えてしまったこと全くその通りです。
持統天皇も叔父と天武天皇と結婚して、草壁王子を生みましたが若く亡くなりましたね。
兎に角、王族、皇族の結婚は制約が多くて大変。日本の皇室やイギリスの王室の現在は庶民の血が入るようになって良かったです。でも皇室典範なるものがあって今度の天皇陛下のお気持ちのこともいろいろな解釈やら制約があってなかなか大変のようですね。

投稿: tona | 2016年9月 5日 (月) 22:12

学生時代は世界史をよく勉強しましたが、こういう視点は無かったですね。とても興味深く拝読しました。

投稿: 多摩ニュータウンの住人 | 2016年9月 6日 (火) 08:19

★多摩ニュータウンの住人さま

コメントをありがとうございます。
そうですね。私も世界史をとりましたが、スペインといえばフェリペ2世くらいです。
絵画から世界史に入っていくのも面白かったです。

投稿: tona | 2016年9月 6日 (火) 08:24

近親結婚をすれば淘汰されてしまうことに
当時は気づかなかったのですね。
王族の事情もありますので、そんなことは
二の次だったのでしょうね。

日本でも島崎藤村が「新生」という小説で
姪と叔父との結婚を書いていますが、
当時は時代的には許されていたとか・・・
芥川龍之介は嫌悪しましたが・・・

投稿: matsubara | 2016年9月 6日 (火) 08:51

八か月も政権が成立しないで三度めの選挙もあるのかというスペイン、その都度王様も仲介?で大変なことです。
こんなことがあるのもスペインだからでしょうか。

投稿: 佐平次 | 2016年9月 6日 (火) 09:50

★matsubaraさま ありがとうございます。

当時は気がつかなかったのでしょうか。おかしいと気付くはずですよね。
でも制約があって、身内しか結婚できなくなったので仕方なかったのでしょうか。

島崎藤村の『新生』は読みましたが、実際の藤村の体験だそうですね。それを聞いた時は驚きました。時代的に許されていたのですか。
横溝正史の一連の本を読むとそういう面のおどろおどろしい田舎の風習が書かれていますね。


投稿: tona | 2016年9月 6日 (火) 12:51

★佐平次さま ありがとうございます。

ハプスブルクのあとのブルボンもなか大変で似たようなことがあったそうですが、スペイン内乱を経て、今も政権成立しないだけでなく、王家も信頼されいないとか。
でも南アメリカはブラジル以外は全部スペイン人の国になってしまいましたね。

投稿: tona | 2016年9月 6日 (火) 12:52

高校の世界史でも、この様なお話は学びませんでしたので驚きました。
東欧三国のチェコ・オーストリア・ハンガリー旅行でハプスブルグ家の隆盛をたくさん見聞きしましたが、それでもこの様なお話は出ませんでした。

スペインのプラド美術館で「マルガリータ」の絵を見た覚えがありますが・・・
彼女・彼らの生まれがそのような状況だったということも知りませんでした。
私の勉強不足と痛感ですが、当時のヨーロッパ、特にスペインの王朝では当たり前のことだったのですね。
日本の天皇家も通じるお話ですが・・・
親子兄弟よりも伯父&姪の方が血が濃くなるというお話も意外でした。


日本の天皇家も

投稿: nao♪ | 2016年9月 6日 (火) 22:11

★nao♪さま ありがとうございます。

東欧三国はハプスブルク領地だったから痕跡がたくさんありますね。
特にオーストリア・ハプスブルクは皇妃エリザベートの時代が最後のクライマックスで第1次世界大戦後であえなく潰えましたが、スペインの方はオーストリアより血が濃くなりすぎて、悲惨な最期でした。王家は王家なりに大変な苦労があって決して憧れの世界ではなかったわけです。
マルガリータも生まれてまもなくオーストリア皇妃になることが決まって、ベラスケスがオーストリアに送るため何枚も成長に合わせて描いたのですよね。
伯父・姪婚が何回か続くと、そしてその伯父やら父母なども何代にわたって近親婚なのでこんなに濃くなってしまうのですね。驚きました。
日本の天皇家にも大昔は持統天皇の頃が系譜を見ると凄いですね。そして近代でも。
現代、美智子皇后や雅子皇太子妃l、紀子さまなど、庶民の血が入って良かったですね。イギリスも故ダイアナ妃(貴族)やケイト皇太子妃など同じように変わってきました。
当時の無知?か選択肢がなかったかは痛ましいです。

投稿: tona | 2016年9月 7日 (水) 08:34

ヨーロッパでは親子やきょうだいの結婚などがあったのですか?
日本の皇室も以前はほとんどが近親結婚でしたが
今の皇后陛下から民間の人との結婚は初めてだったですね。

私も高校の時に日本史を選んだのですが、人数の関係で世界史になってしまいましたが
名前がややこしくて覚えられずに苦労しました。

大それた事を言って申し訳ないのですが、私は皇室や由緒ある家庭に生まれなくて
良かったと思っています。
なぜなら行動は決められ自分の好きなようには動けませんからね。
これは貧乏人の負け惜しみと言われそうです。

投稿: ラッシーママ | 2016年9月 7日 (水) 10:18

★ラッシーママさま ありがとうございます。

私は高2で日本史、高3で世界史でしたが、世界史はあまりに広く歴史も長く、1年間ですから殆ど覚えられませんでした。
横文字は小説でも、特にロシア文学なんか名前が難しく読むのに苦労するくらいで苦手ね。

私もいつも王室や皇室の人々を見聞し、そこに生まれなくて良かったと常々思っていました。
くだけた話やリラックスできる話も出来そうにないし、旅行も好きな所に行けないし、とにかく自分の好きな事を出来ないなんてとんでもないですね。人間の生活ではないです。
お互いに普通で良かったですね!

投稿: tona | 2016年9月 7日 (水) 12:58

ちょっと長くなりますが,スペインハプスブルク家についてです。

カルロス1世は,1519年に父方の祖父から神聖ローマ帝国皇帝にしてオーストリア王の位を相続し,カール5世を名乗りました。世界史的には神聖ローマ帝国皇帝としてのカール5世としての役割が大きかったようです。

カール5世の祖父(カルロス1世の父)はオーストリア王(ハプスブルク家)マクシミリアン1世です。そのハプスブルク家は1438年以降,神聖ローマ帝国皇帝の位を世襲しています。また,マクシミリアン1世の時には,ネーデルランド,ハンガリー,ベーメン(チェコ)を支配しました。

つまりカール5世は1519年以降,父方から神聖ローマ帝国皇帝,ネーデルランド,ハンガリー,ベーメン(チェコ)を相続し,母方からスペインを相続しました。しかもこの時,スペイン王であると言うことは,アメリカ大陸〜フィリピンまでの植民地も支配すねことになります。

カール5世は1556年に退位(死去は2年後)します。そして,スペインとネーデルランド関係の土地は子のフェリペ2世に,オーストリアと神聖ローマ帝国関係は弟のフェルディナントに譲ります。こうしてハプスブルク家はスペインハプスブルク家とオーストリアハプスブルク家とに分かれました。

投稿: gaki | 2016年9月 7日 (水) 18:51

★gakiさま

ご丁寧にありがとうございました。
チェコをベーメンと言ったのですか。初めて知りました。
「戦争は他家に任せておけ。幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ」というハプスブルク家の結婚政策がマクシミリアン1世の頃より実現してどんどん領地が拡大していくのですね。
まず自身がブルゴーニュとネーデルランド、子のフィリップとマルグリッドでイベリア半島、ナポリ、シチリアが増え、カール5世(カルロス1世)の時におっしゃるようにアメリカ大陸(フィリッピンは知りませんでした)まで、弟フェルディナント1世でハンガリーとボヘミアを。だから太陽が沈まぬ国と言われたわけですね。復習になってすみません。
ハプスブルク家の台頭でオーストリアの歴史が面白いです。
インスブルックのマクシミリアン1世の「黄金の小屋根」を9年前に見たのですが、その勢いを感じました。デューラーの肖像画がいいですね。

投稿: tona | 2016年9月 7日 (水) 21:10

中野京子さんの講演、面白いと思います。
先月「残酷な王と悲しみの王妃」を読みました。
特に面白かったのが、スコットランド女王メアリースチュアートと、イングランド女王エリザベス1世の話です。今までメアリースチュアートは悲劇の女王とばかり思いこんでいましたが、
中野さんの本では、すべての原因はメアリースチュアートの思慮の足りなさと解説していました。
内容がずれましたが、彼女の本は新鮮な視点で
西洋史を解説してくれるので素人にも面白く読むことが出来ます。

プラド美術館に1日いて眺めていた事があるので、フェリペ4世の特徴ある顔が記憶に残り、ヨーロッパ各地で肖像画を見かけても、すぐにフェリペ4世とわかります。
カルロス2世は父親によく似ていますね。
でも小さいときは天使のように可愛かった。
姉のマルガリータの肖像と同じ服を着たカルロス2世の肖像画がプラドにありますが、
この王室の血の悲劇を考えると感慨深いものがあります。
せめてもの良い話は、マルガリータは実の叔父と結婚しましたが、夫婦仲はとてもよかったそうです。短いけれど幸福な時間があったようですね。

余談ですが、ヨーロッパでベラスケスのマルガリータの肖像画はすべて見ました。
スペイン王室の話は私のツボなので、ついコメントが長くなってしまい、すみません。

投稿: ☆銀河☆ | 2016年9月 8日 (木) 00:57

★☆銀河☆さま ありがとうございます。

私も読みました。中野さんの美術関係の本は殆ど読みました。今度アントワネットの本を来月出版されますが、先行販売・サイン会をしていました。映画がお好きでブログにも良く書かれています。
メアリー・スチュアートはフェリペ2世の2番目の妻でしたが、長く続かなかったのですよね。
確かにカルロス2世のあの絵、もう死んでいる人のような感じで、何だか酷い誕生であり、人生だったと思います。
中野さんの本を読まなかったら、漠然とした歴史しか頭になく、本のお陰でいろいろな事がわかりました。

ベラスケスのマルガリータの絵を全部ご覧になったのですね。美術史美術館の3点、プラドの3点、ルーブルの1点は私も見る事が出来ました。
スペイン王室は他の王室と変わっているので興味深いですよね。
絵画から見えてくるものを説明されると面白くなってしまって、早稲田の美術史講座に今年度は24回通います。昨年はビザンティンでした。今年はルネッサンスです。ついでに教会建築を読んでいますが、難しくて私には理解できませんでした。☆銀河☆さんに講義をしてほしいとつくづく思いました。

投稿: tona | 2016年9月 8日 (木) 09:09

神聖ローマ帝国が柱になってる、ハプスブルグ。
講義を聴いてるようで、不勉強な自分には敷居が高いです。
一生懸命読んで、理解しようとしています。
ウイーンに半月滞在して3ヵ国を回ったけれど、音楽を聴く旅が主だったから・・・
ウイーン・ハプスブルグは下調べして行き、隅々まで巡りましたが。
美術館も行きましたが、もっと知るべきだったと思います。
スペイン・ハプスブルグの血族の物語が、ヨーロッパに及ぼす影響は遠大ですね~
ヘンリーとアン・ブーリンの子、エリザベス一世。
そしてスコッランド女王メアリーの探りあいは映画で分かりました。

投稿: だんだん | 2016年9月 8日 (木) 12:58

★だんだんさま ありがとうございます。

敷居が高いだなんておっしゃって、かえってすみません。話題性に欠ける生活の結果です。
ウィーンに半月も滞在されたのですか!
音楽三昧、なんて素敵な旅でしょう。
本場でお聴きになれるってこと、なかなかチャンスがありませんもの。生涯の思い出となったことでしょう。
ウィーン美術史美術館はベラスケスやブリューゲルがあって良かったですね。
ヘンリー8世の物語も残酷且つ滑稽です。関連の映画もいろいろあり、ご覧になったのですね。ヨーロッパの時代物は予習をしておかないとわかりません。

投稿: tona | 2016年9月 8日 (木) 14:24

中野京子氏の本は面白くて
何冊も読んでいます。
その講演をお聞きになったとは、羨ましい限り!
カルロス二世の長い顔、突き出た下顎は
ハプスブルク家の象徴ですね。
最後のエリザベート妃も近親結婚から生まれたのに
あのような美貌とスタイル、素晴らしかったですね。

投稿: zooey | 2016年9月 8日 (木) 23:47

★zooeyさま ありがとうございます。

zooeyさまも中野京子氏の本を読まれているのですね。中野氏は映画もいろいろ見ているようでブログで時々感想を書いておられますね。
兎に角ややこしいヨーロッパ王家の歴史が絵を通して良くわかります。
ハプスブルクの顔、良くも延々と続いたものです。
エリザベート妃もバイエルンの方の近親結婚だったのですか。皇帝フランツ・ヨーゼフとは従兄結婚ですね。劣勢が出なければあの美貌とスタイル。晩年は皺とシミを隠すべくベールを被った装いだったとか。オードリ・ヘッブパーンのいきなりの60代のユニセフ大使としての仕事をしている写真には心底驚きました。岸恵子とか、草笛光子などはそのままでかえって今の方が素晴らしいくらいです。話がそれてすみません。

投稿: tona | 2016年9月 9日 (金) 08:48

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