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2016年10月30日 (日)

日光街道・杉戸宿

東武動物公園に行った同じ日の午前中は、動物園と線路を挟んで反対側の杉戸宿の見学でした。263x550

800x459日光街道は五街道のひとつで、日本橋から日光東照宮まで約142㎞で、21の宿場が設けられた。20家くらいの大名の参勤交代に用いられ、大山街道と違って、宿場には人馬の継立、問屋場(助郷差配などを行う)があり、本陣、脇本陣があったのは言うまでもない。伊勢参りの東海道と同じく、日光社参の道として庶民にも多く利用された。
杉戸宿は日光街道の5番目の宿場で、今年開宿400年。ということは家康が亡くなった年に開かれたということだ。

大落古利根川(おおおとしふるとねがわ)を渡った、写真左側に杉戸宿がある。460x307
                       ボランティアガイドさんが菅笠、作務衣姿で現れた215x460
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              宿場の手前の清地村の鎮守・近津神社327x460
               ここには顔を背ける珍しい狛犬がいる460x369
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                        境界307x460
境界にある東福寺山門 明治期の自由民権運動の拠点の一つで演説会があったお寺460x307_2
            こちらは杉戸宿の鎮守・神明神社 造りが面白い411x460
問屋場跡には明治天皇小休止阯があり、天皇はここで5分ばかり休息したという。271x460
この地の名漢方医・虎屋善蔵の「虎屋」はその後、薬局になっている。その隣の煎餅屋の煎餅が美味しくたくさん買ってしまう。
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                本陣はこの門しか残っていません307x460_2
            愛宕神社 杉戸宿の火伏の神としての鎮守様460x307_4
      神社の樹齢数300年以上の大銀杏の古木が痛々しいが勇壮だ307x460_3
富士浅間神社 川辺のこの富士塚には芭蕉の句碑もはめ込まれ、まわりには小さな厳島神社や金刀比羅宮、稲荷神社などが祀られる。460x307_5
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               川辺にはアレチウリが蔓延っていた460x307_7
最後に「宝性院」 とても美味しいお茶と焼き芋、らっきょう漬け、きゅうりの漬物のお接待を受けました。460x307_8
1560年、幸手城主・一色氏が安産と子供の成長を願い、不動堂を建て、安産不動明王を安置したことに始まる。
まちの寺院として、法事法要の他、戸籍の把握、寺子屋教育、旅籠屋など重要な役割を担っていた。460x307_9
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              馬頭観音は日光街道で一番大きいそうだ307x460_4
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寺社のみで本陣を始めとする往時の建造物は殆どなくなって跡だけの宿場町でしたが、ガイドさんの地域を愛するその情熱は大したものでした。
顔を背ける狛犬とお寺のお接待しか心に残らない私。@(;・ェ・)@/反省…

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2016年10月27日 (木)

東武動物公園のホワイトタイガー

東武伊勢崎線の東武動物公園駅の西口10分の所にあります。有名なホワイトタイガーがいるので見たかった。好きなペンギンはいません。(追記:もう一度地図を見たら数種類のペンギンがいることがわかりました)

                ホワイトタイガーはベンガルトラの白変種でアルビノではない3_460x307
黄色のベンガルトラと違うのは体が白いだけでなく、目が青く、肉球の色が肌色だ。
ライオンと同等の王者の風格があるではありませんか。見ていて惚れ惚れします。1_460x307
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   隣の部屋の歩き回っているこの子は、鼻息も荒く野獣の叫び声をあげていた。460x307_2
フラミンゴも好きな鳥で、ここでは3種類、羽の色が違う。赤ちゃんに母親が喉でフラミンゴミルクを作ってあげるのだそうだ。恵まれた赤ちゃんだ。ペンギンもそうだったらどんなにか楽な子育てが出来るでしょうに、肝心の餌が離れた海の中だから皇帝ペンギンなどは悲惨。460x307_3
真っ赤なのが「ベニイロフラミンゴ」でカリブ海周辺の海岸にいるそうで、フラミンゴ種最大。
白いのは「ヨーロッパフラミンゴ」で地中海沿岸の塩湖や沼に生息する。嘴が濃いピンク色をしている。460x307_4
    薄いピンク色のが「チリーフラミンゴ」で、南アメリカ南部高山帯の塩湖に生息。460x307_5
餌を貰っては逆立ちしたり、飛び上がったりといろいろ芸をするオットセイ。2011年9月に来園した唯一の男の子。460x307_6
アビシニアコロブスは葉を食べる猿。檻の周りには草が植えてあって、手を出してつまんで食べていた。460x307_7
        アメリカバイソン(ウシ科) イエローストーンでたくさん見かけました460x330
          レッサーパンダ(アライグマ科) 風太君を思い出す顔460x307_8
ミーアキャット(マングース科)見張りをしているのかと思ったら、この立ち姿は多くは日向ぼっこだそうだ。歩哨のように立って見張りをするのはアメリカのブレリードッグでした。
アフリカ南部の南アフリカ、ナミビア、ボツワナだけに生息する。私は南アフリカで見た。370x460
アカゲザル(オナガザル科)インド北部から中国南部に棲んでいる。何となくニホンザルに雰囲気が似ている。460x307_9
フタコブラクダ(ラクダ科)中国・モンゴル      象
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      ホンシュウジカ        ガチョウ(アヒルはもう少し小さい)
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                    コスモスと観覧車  460x307_13
       可愛い植木鉢アート いずれ捨てる植木鉢に書いてみようかな  460x307_14
動物園はどこも高齢者が少ないけれど、いくつになっても楽しい所です。

   

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2016年10月23日 (日)

施設見学(ごみと水関係)

自治会の地区長をやっている関係で、可燃ごみ焼却施設と水再生センターと清掃センター内のリサイクルを見学してきました。

●「クリーンプラザふじみ」では可燃ごみ焼却施設の方だけ(リサイクル工場は省略)。三鷹市と調布市の施設で3年前に設立で新しい。当然後で行ったわが市の30年ものの施設と違って、騒音も臭いも全然ない。どこもごみの臭いを含んだ空気は燃やす空気に利用される。

煙突の高さが60m以上になるとピカピカと光らせなければならない決まりがあるけど、直径が10m以上なら60m超えても光らせなくて良いそうだ。ここは高さが100mで直径が10.05m。460x307
敷地内は屋上まで緑化されている。遠くに杉並区の焼却場の煙突が見えた。460x307_2
プラットホームには重さを入口で測定された集塵車が次々とゴミピット内にごみを落としていく。460x307_3
ごみクレーンバケットで2,3tずつごみをピットから持ち上げ、焼却炉に落とす。2炉で288t/日も焼却するそうだ。460x307_4
      これらのシステムはコンピューター制御によって自動化されている460x307_5
          焼却による熱は発電され、ここで使う以外は売られる。460x307_6
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焼却によって発生する排ガス中のダイオキシン類、塩化水素、硫黄酸化物、窒素酸化物、煤塵などを最新の処理技術によって除去し、煙突(中にさらに4本の煙突あり)から出す。
ごみの10分の1は灰になる。その焼却灰と飛灰(焼却排ガス中に含まれる固体の粒子状物質)は施設に運ばれてエコセメントになる。テトラポッドや路肩部分などに使われる。
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            可燃ごみに平気で出す信じられない人がいる460x307_9
                      灰を運ぶ車460x367
           敷地内にさらに6か所で風力、太陽光発電をしている。460x307_10


●北多摩二号水再生センター 国立市にあって、国立市の大部分と立川市と国分寺市の一部を担っている。ここは家庭排水と雨水の両方を浄化している合流式。460x307_11
このコンクリートの下に汚水がある。事前の説明のとき、そこから汲んできたばかりの汚水と、処理された水を見せてもらいました。すっかりきれいになった水もし尿に含まれる人間の血液や胆汁の黄色い色素は完全に消えていない。宇宙では尿を飲み水に変えていたのですね。460x307_12
大きなごみと土砂を沈殿させ、次に沈みやすい汚れを沈殿させ(2~3時間)、そして微生物で汚れを分解し(6~8時間)、そこでできた活性汚泥を沈殿させる(3~4時間)。ここまで最大15時間もかけてきれいにしてもらっているのです。
次は富栄養化しないように窒素やリンを除去し、塩素消毒で大腸菌などを殺菌してから多摩川に流しています。
                      塩素接触槽460x307_16
汚泥は濃縮し、脱水し、焼却して灰にする。それをどうするかを質問しそびれた。

ここは屎尿の臭いが一面に立ち込めていて、働いている人には頭が下がります。

●国分寺市清掃センター 煙突の高さは59m
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ここは狭い敷地に焼却場の建物を中心に、屋外の集塵車が走る道路の両側が粗大ごみ及び不燃ごみや資源回収施設となっていて、市のすべてのごみが集まっている。
焼却炉は30年経って老朽化し、この日も2号ある炉が故障修理中で炉の火は消えていて、可燃ごみがゴミピットに結構山積みになっていた。この修理費が云千万円もかかることもあるそうだ。4年後3市合同のセンターが日野市に出来る予定だが、まだ着工に至っていない。
ここでは可燃ごみの処理は省略して、リサイクルをぐるりと見て回る。仕分けや破砕の一部は全部手作業です。
                   プラゴミの圧縮したもの460x307_13
               粗大ゴミから手作業で取り出したもの460x307_14
                 蛍光灯 水銀系は北海道へ460x307_15
唯一鍵がかけられて保存されていたものは携帯。レアメタルや金など価値が高くて盗まれないように。
アルミ缶も価値が高いので圧縮されて屋内に保存されていました。

知っているようで知らなかったゴミの行方や生活排水の処理を学べて有意義な一日でした。
死ぬまで出し続けるごみ、死んだ後はさらに大々的に出るごみのことを思うと、日頃余計なごみは家に入れないで、ゴミ減量に努めるしかないです。

登山家の田部井淳子さんが亡くなられたとのこと、ファンとしてとても悲しい一日でした。明るい人柄だけでなく、人を楽しく元気にさせる趣味豊かな人、環境問題その他で大活躍し、東日本大震災に遭った高校生を元気づけるために富士山登山をさせるのを5年も続けておられた。今年の7合目でのその様子を映した映像を観て、頬がこけて顔色が悪かったのでもしや悪くなられたかと心配になっていたところでした。惜しい方に逝かれてしまって本当に残念な気持ちです。

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2016年10月20日 (木)

仙元山でパラグライダー離陸を見る

10/16、低山ハイキング。東武東上線で埼玉県のほぼ中央部の小川町駅下車で、仙元山(298.9m)に登ってきました。

                      駅を出るとすぐ仙元山(中央右高い山)が見えてきます460x307
                              マユミらしいのですが実がびっしりです460x307_2
                                     登山道入り口に30分位で到着460x307_3
                           左手には見田稲荷神社の鳥居だけが見える460x307_4
百庚申に到着。庚申塔が100基ほど並んでいます。普通は1基ですが、1860年ふもとの12ヶ村の信者に呼びかけ造立したそうです。大山街道では道祖神を知り、ここで庚申を学びました。鎌倉にもあったのですが無視していました。460x307_5
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                                                  頂上に到着307x460
小川町が良く見えます。遠くの山に2ヵ所白く横長に見えるのが本多技研の工場だそうです。460x307_7
青山城跡の空堀。松山城の支城だそうで、このまわりには他に4つも城跡があるという。460x307_8
            今年初のサラシナショウマ(葉が見えなかった)460x307_9
パラグライダーの離陸場で離陸する場面に出会った。山の中は無風状態なのに、ここは凄い風が通り抜けています。この日は気象条件が良かったようです。
そのまま麓に飛んで着陸かと思いきや、ずっと空中を回っている。家に帰って調べたら2~3時間も飛べるのだそうだ。高い所では2000mにも上るとか。気持ちよさそうだ。
ハーネスを付けている。460x307_10
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下里のオオモミジ 推定樹齢600年、樹高7.2mで埼玉県指定の天然記念物。幹に穴があいてしまっているのが痛々しい。460x307_16
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   下って、見晴しの丘公園展望台から 浅間山や榛名山なども見えるそうだ。460x142
今回は雨の後でもなく、きのこはひとつも生えていなかったけれども、展望台の所の桜の木にカワラタケ?のようなきのこを見つけた。
ハカワラタケのようとshikamasonjinさまに教えていただきました。ありがとうございました。460x307_17
     そこに毛虫みたい(サナギに見えなかった)のからこの虫が出てきた。
ヨコヅナサシガメと教えていただきました。ポージィさま、ありがとうございました。460x286
下に降りて最後に「カタクリとオオムラサキの林展示館」で蝶や世界一大きい蛾などを鑑賞
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                    枇杷の花の蕾460x356

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2016年10月16日 (日)

大山街道4 津田沼~海老名

10/12、田園都市線長津田駅から小田急小田原線海老名駅まで約15.6㎞ 歩数は合わせて31888歩(約17.3㎞)で今までの最高値。とはいえ、当時の旅人は一日に30㎞も40㎞も歩いていたのだから比較にもなりません。翌日足が痛くならなかったのが嬉しい。

[8]<長津田~さがみ野>10.6㎞

まず長津田駅から隣のすずかけ台駅までは線路から離れて南側を大山街道は続く。
街道歩き3回目で見た長津田上宿の常夜灯に続き、ここで二基のもう一つ、下宿の「常夜灯」が出てきた。307x460
ここを上ると「大石神社」だ。説明板によると長津田の鎮守であり、在原業平に由来するらしい。桜の木がたくさんあって「大石観桜」として長津田十景に入る。460x307
すぐ上りになってススキとセイタカアワダチソウの原が広がりその向こうに山らしきものが見えてきた。460x307_2
            左が大山(1252m)、中央には富士山が見えた。460x307_3
振り返ると旧街道の面影を残す細い道だ。空を見上げるとすっかり秋の雲に覆われている。307x460_2
すずかけ台の駅のそばには「東京工業大学キャンパス」があって、国道をくぐって学生が行く。丁度女子学生が3名も通って工業を学ぶなんて凄い!と感嘆してしまった。
ノーベル賞受賞の大隅良典栄誉教授のお祝いのプレートが掲げられていた。
街道の左側は横浜市緑区だが、右側は東京都町田市になる。307x460_3
すぐ右手には「こうま公園」に親仔馬(昭和46年竣工)の像が置かれているが何故かはわからない。460x307_4
                    歩道橋からの景色460x307_5
横浜水道道路を越すと左手は横浜市瀬谷区に入り、右側に「大ヶ谷庚申塔」。後ろ側に塚があって天明の大飢饉の時に、江戸から来た難民に犠牲者が出て、村人が供養したそうだ。ここは大ヶ谷宿があった所だ。460x307_6
                  すぐ左手に「日枝神社」460x307_7
そして右手に「圓成寺」。本堂の聖徳太子立像は、室町時代後期作で町田市の指定文化財。460x307_8
「五貫目道祖神」北は青山世田谷、西は伊勢原小田原、南は戸塚鎌倉の三方分離点だった。460x307_9
         境川を渡ると神奈川県大和市に入ってすぐ「観音寺」がある460x307_10
ここは下鶴間宿で、江戸から11里(42.9㎞)、海老名市の国分宿まで2里(7.8㎞)の位置にある。大山街道と八王子往還が交差する交通の要衝でもあった。 
宿に入ってすぐ右側に「大山阿不利神社御分霊社」があり、江戸方面からの旅人はここで草鞋を履き替え、身と財布を清めて、金運にあやかるよう祈願したという。460x307_11
         新田軍の鎌倉進撃地図も掲げられ、石碑が建っている307x460_4
少し行った左手に下鶴間ふるさと館がある。昔の高札場であって、太政官高札が3つ掲げられていた。460x307_12
ふるさと館には、大和市指定重要文化財の旧小倉家住宅の母屋と土蔵がある。母屋は安政3年(1856年)建築で、下鶴間宿に残された唯一の商家建築だ。460x307_13
                   店(雑貨商兼郵便局)460x307_14
道祖神(展示) 街道を歩くとよく見かけるが、その意味する所は、村の境などの道端にまつられて、災いを防ぐ神だとされる。今頃やっと道祖神の意味を知る。庚申塔は次回の山の記事で。460x307_15
         ふるさと館の斜め向かいには石段脇に「不動明王」がある307x460_5
            階段を上ると鶴林寺の不動尊(右)と天神様がある460x307_16
鶴林寺の「名誉の木」。大和市シンボルツリーの特別賞のイチョウの木。背が高く、刈り方が面白い。307x460_6
それから30分歩いて小田急江ノ島線の鶴間駅に到着し、この近所で昼食。
鶴間駅から相模鉄道・さがみ野駅まで泉の森公園があるが少し遠いので見ず、他に見るべきところもなくひたすら歩き続ける。右手は座間市で左手は海老名市に入る。

                     大山街道石碑307x460_7

[9]の1<さがみ野~海老名>

さがみ野駅過ぎると左手は綾瀬市、右手は海老名市になり、海老名駅まで相模鉄道に少し離れているが沿って歩いていく。

          中間点辺りに「渡辺崋山ゆかりの道」の案内板があった460x298
                   大山が近くなってきた460x307_17
                      道祖神2_460x307
                      目久尻川460x307_18
逆川碑 目久尻川からの用水掘で、海老名高知の潅漑や運搬などに使われた水路。低い方から高い方へ流したので逆川という。碑だけで水路が見当たらない。307x460_8
               海老名駅近くに相模国分寺跡がある460x307_19
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ここは国分宿で江戸から14里(54.6㎞)、下鶴間宿へは2里(7.8㎞)、厚木宿(3.9㎞)。

この日も6時間の行程でした。

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2016年10月13日 (木)

椎名誠の本から&「藤田嗣治」展

椎名誠著『すばらしい黄金の暗闇世界』 過去のナショナルジオグラフィックから様々な話題を取り上げるが、「暗闇世界」「自然界の生き物」など北極圏から南米のジャングルまで世界の辺境をくまなく旅行した著者ならではの体験から語られるから驚きかつ説得力もあるというものだ。

●明るい日本考 
夜の街や部屋の中が明るい日本と暗い欧米
欧米のレストランでは夜いかにも暗い所があって、料理にゴミが入っていてもわからないし、色もはっきりわからない、何が添えられてるのかもはっきりしない食事を何回も体験した。
映画を見ても、暗くて良く見えない部屋の中の映像を殆どの映画で見るくらいだ。昔から漆黒の闇になる夜は洋の東西を問わず同じはず。
で、椎名氏の本でこうではないかと書かれた部分がある。
欧米の夏は、私には日本と同じように輝いて明るいと思うのですが、それを基準にしないで長い冬を基準に夜の照明がああなったみたいです。

<ヨーロッパの冬の曇天時の全天空照度は五千ルクス。日本の冬の曇天時の午前10時が二万五千ルクスで同じ地球と思えない凄い差。緯度の関係か?
ちなみに日本の晴天の昼の太陽光は十万ルクス。
ヨーロッパの人々が暗い昼から暗い夜に移行するのと、日本人が明るい昼から暗い夜に移行するときの心理的な差は相当なものだろう。日本が夜をできるだけ明るくしたがる背景は案外こんな所にあるようなのだ。そしてヨーロッパは、暗い夜の闇から精神的に身を守るのは頑丈な石の家のほうが有利に働くだろう。そしてヨーロッパの夜の灯は暖炉やテーブルの上のランプという「より人間の体に近い灯」が主流になった>・・・・というのである。

それにしても東日本大震災後の節電はどこ吹く風、公共機関でも必要でないところまで昼間でも電気を使用し、人もいなのにつけっぱなしのビルの中、夜のネオンは明るく、パチンコ屋の照明は昼間より明るくし、昼なのに外灯を付けている家など、原発なしでやって行こうと大方が思っているいるのに、何て考えなしの行動でしょう。喉元過ぎると忘れるということの連続で、嘆かわしい。

「藤田嗣治」展 府中美術館

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個人蔵、日本の美術館、フランスのランス美術館から併せて158点が展示されている。
藤田嗣治は1886年に新宿区に生まれる。父は軍医、母の縁戚には劇作家の小山内薫、画家の岡田三郎助、音楽評論家の蘆原英了などがいて、4人兄弟の末っ子。

24歳で東京美術学校を卒業。その頃の自画像。下が有名なおかっぱ頭にちょびひげの43歳の自画像。
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その後パリに出て、有名な乳白色の下地の絵に面相筆で引かれた墨の線の日本的な巧みな技術で、人々に認められ、パリ画壇の寵児になる。471x600
45歳で4度目の妻マドレーヌを伴って2年間、ブラジル、アルゼンチン、ボリビア、ペルー、キューバ、メキシコ、アメリカ西部と旅して日本に戻る。
その時の絵はどれも色が濃く鮮やかで別人の絵のようだ。
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1936年(50歳)からはマドレーヌ急死で君代と暮らし始め、中国に派遣されたり、アメリカ経由でパリに渡るも、戦争で日本に戻り「アッツ島玉砕」など3点の戦争画の大作が今回出品された。凄い絵だ。しかしこの絵によって戦争責任を追及され、指弾され、1949年(63歳)に日本を脱出する。487x600
1955年には妻とともに日本国籍を抹消し、フランス国籍を取得。
パリ郊外に住み、近所の子どもの絵を描いたりしている。『小さな主婦』338x600
73歳でランスのノートルダム大聖堂で妻とともにカトリックの洗礼を受け、レオナール・フジタと改名する。そのとき「聖母子像」を寄進する。
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1966年、80歳でランスに、平和の聖母・礼拝堂を完成させ3ヶ月でフレスコ画を完成させる。1968年、享年81歳で死去。ランス大聖堂で葬儀が行われたそうだ。
平和の聖母・礼拝堂 2010年に私が訪ねた時の写真。内部は撮影禁止でした。
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若い時から73歳までのバラエティに富んだ絵を拝見できて大変面白かったが、やはりあの乳白色の絵と猫の絵が私にはいかにも藤田らしい秀逸な作品として心に残る。

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2016年10月 9日 (日)

『ホセ・ムヒカの言葉』佐藤美由紀著

            茅ヶ崎で初めて見た白花のルコウソウです

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『世界で最も貧しい大統領 ホセ・ムヒカの言葉』
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ホセ・ムヒカとは南米ウルグアイの第40代大統領で、2012年のリオ会議で「もっとも衝撃的なスピーチ」をした人だ。ウルグアイは日本の半分の土地に300万人が暮らす。
<豊かさとは何か><前世で大切なこと>などホセ・ムヒカの言葉で語られた1冊がこの書。

そのスピーチはどこの国もきれい事[持続可能な発展と世界の貧困をなくすこと]を語っているが、その本音は現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似すること。
全世界の人がこうなるには、この地球1個では足りないということ。環境危機でなく政治的危機問題なのだ。
私たちは発展するために生まれてきたのではなく、幸せになるために地球にやってきた。
その発展とは、愛を育むこと、人間関係を築くこと、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。
貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ。

<私は貧乏ではない。質素なだけです>と語る大統領は
水道のない倒れそうな3部屋だけの農場に住み、131万円の給料のうち、約90%は慈善事業と所属する政党に寄付する。残りは将来自分の農園に貧しい子どもたちを受け入れる農業学校をつくるために貯金する。暮らしは上院議員の妻の収入で暮らしている。その生活費は月に1000ドル。大統領官邸に住まず、大統領専用車を使わず、いつも愛車だ。海外出張はエコノミークラス、または他国の大統領専用機に便乗だそうだ。
連日の都議、国会、地方の県議、市議、無駄遣い国家日本、借金ばかり増やす、これらの面々に、大統領の爪の垢を煎じて飲んでもらいたいものだ。
この言葉もいいですね。<お金があまりに好きな人たちは、政治の世界から出て行ってもらう必要があります>

若い頃、都市ゲリラ・左派の過激な武装グループ「トゥパマロス」に参加し、結果、13年間の獄中生活を送る。
言いようのない孤独と、自分がいつ発狂するのではないかという恐怖から破壊寸前だった精神も8年目に読書を許され、死の次に恐ろしい孤独から開放され、人生においての限度を知り、どんな小さなことでも有難味を持つようになったと言います。
1935年生まれ。1995年から下院議員。2005年農牧大臣として初入閣。2010年~2015年まで大統領。5年任期を満了して大統領を退任。一国会議員に戻って現在に至る。

獄中で得られた数々の哲学がたくさん言葉となって散りばめられた1冊です。

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2016年10月 6日 (木)

足柄峠と夕日の滝

今歩いている大山街道の伊勢原から西へ続いている矢倉沢往還は、足柄峠を経て沼津宿を結んでいる。現在は、ほぼこの旧往還に沿って国道246号が通っている。

10/2、足柄峠付近から足柄古道を少し歩いてきました。約17000歩。
小田急新松田で降り、バスで地蔵堂まで40分かかって到着。神奈川県の地図で見ると地蔵堂の少し手前辺りに矢倉沢(やぐらざわ)という地名が記されている。ここから矢倉沢往還の名前が付いたようだ。
矢倉沢往還は律令時代は東海道の本道にあたり、「足柄道」と呼ばれ、鎌倉時代に東海道が開かれる前まで官道として機能していた。

                                                 地蔵堂460x307
ここからバスで10分、足柄万葉公園に着く。万葉集の歌と、それらに詠まれている日本古来の植物を紹介する公園。全部で20余を見て回った。460x307_2
                   箱根名物の霧が立ち込めてきてあたりは幽玄な感じになる460x307_3
566x600600x326日本野鳥の会・神奈川支部で「鷹の渡り観察会」が行われていた。説明によるとタカ類、主にサシバがここを通り今晩愛鷹山から浜松付近で1泊し、さらに旅を続けるらしい。

カメラを構えて、じっと待つ会の人々の忍耐心にいつも脱帽。

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              公園内には万葉集の中の歌が碑に刻まれた箇所がいくつかある 460x307_5
                                             からたち460x362
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                         ヤマボウシの実をツアーの人たちが食べていた460x307_7
          ガマズミの実か                ゲンノショウコの群生があちこちに見られた
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万葉公園から少し進むと「足柄関所の跡」がある。江戸時代には東海道の脇往還として機能していた矢倉沢往還には箱根の関所と同等位の関所が置かれていた。307x460
                                          足柄峠(標高759m)307x460_2
右手には「足柄山聖天堂」と金太郎像がある。このお堂にお参りすれば、将来家族に下の世話をかけないで済むという御利益があると言われているそうだ。もっと熱心にお詣りするべきであった。460x307_11
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すぐ先の階段を上がると足柄城跡に出る。今は何も残っていない。展望台からは目の前に富士山が見えるはずだが、まだ霧が立ち込めて残念。460x307_12
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          足柄峠付近から「足柄古道」を最初の地蔵堂まで歩く460x307_16
          一部石畳になっていて峠越え古道の雰囲気に浸れる307x460_4
古道に入ったらきのこがちらほら。前に教えていただいたことがあるようなのもあったがもちろん名前が出てこない。(クリックで大に)
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    オオシロカラカサタケ?         コナカブリテングタケ?
shikamasonjinさまありがとうございました。
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      トリカブト                  ソバナ
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        クサボタン              ホトトギス
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       オジギソウ
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地蔵堂に着いてそこから1㎞程の所に「夕日の滝」がある。金時山斜面から酒匂川へ流れ出る内川上流にかかる滝で、夕日に映えるそうだ。307x460_7
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                 イノシシの皮が干してあった460x307_31
まだ大山には達していないけれども、大山街道の続きの街道を少し歩くことが出来、大満足の一日でした。

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2016年10月 3日 (月)

大山街道2 用賀(行善寺線)~鷺沼

364x6002回目の区間を娘が一緒に歩いてくれるということで休みが取れたのが9/28(水)でした。
本も買ってくれたので、どうやら地図の道筋の説明を読みながら辿れました。途中全く迷ってわからなくなったときには娘のスマホでの探索で尋ねあてることが出来た次第で、一人だったら一区間も歩けなかったと思います。娘に感謝でした。この日は何と午前中は晴れて31℃、午後は時々雨で、かなりの高湿度。兎に角暑かったです。

前回用賀から二子玉川まで慈眼寺線を歩いたので、今回は延命地蔵の所から南側の行善寺線を行く。
用賀駅から鷺宮駅までは田園都市線で、二子玉川、二子新地、高津、溝の口、梶ヶ谷、宮崎台、宮前平と7つの駅を通り、街道は8.85km。実際は寄り道が多く家から駅往復と合わせると26812歩、14.5㎞でした。蔦屋書店二子玉川で中を巡ってそのスタイルを見学し、二子玉川と二子新地の間一駅は電車に乗って涼み、公園のベンチがあると休み、アイスクリームを食べて体のほてりを冷やしと、道中6時間の行程でした。昔の大山詣での人々は真夏も歩いたのでしょうか。強かったのでしょうか。

<用賀~二子玉川>2.45km

600x427延命地蔵の所で左手・南側の行善寺線に入る。

行善寺は江戸時代に玉川八景で有名になった寺だそうだ。
玉川八景とは、岡本紅葉・二子帰帆・瀬田黄稲・大蔵夜雨・登戸晩鐘・川辺夕煙・吉沢落雁・富士積雪で近江八景に半分そっくり。中国の「瀟湘八景」という山水画が伝わってからの影響だ。
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大山、丹沢、富士山が見えるはずが、この日はすそ野しか見えなかった。目の下には二子玉川駅周辺の建物がよく見えた。460x307_2
行善寺坂下に六郷用水(丸子川)が流れている。家康は耕作地を広げるため、小泉次太夫を登用した。次太夫が今の世田谷区と大田区に水路を通したこの堀は次太夫堀と呼ばれている。460x307_3
         多摩川に出た。田園都市線がひっきりなしに走っている。460x307_4
二子の渡し跡の碑 1925年に二子橋が出来るまでここから渡し舟が対岸まで出ていた。307x460

[3]<二子新地~梶が谷>2.5km

二子新地は深川新地の「新地」と同じで、昔の「三業地」つまり料理屋、芸者屋、待合茶屋が軒を並べた「花街」で、往時160人の芸者がいたという。

二子新地側の渡し場は案内板だけで今はない。
そばに「岡本かの子文学碑」がある。川端康成の直筆によって刻まれてる。モニュメントは子息岡本太郎の作品。太郎は両親がこよなく愛したこの地に「誇り」と命名したモニュメントを建てた。460x307_5
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                    境内の二子神社460x307_7
ここ、二子宿から溝口宿は商家が多く大変賑わっていたそうで、往時の面影が所々に残っていて、見どころが多くこの日のハイライトの部分だ。それぞれ多摩川から近い方から下宿、中宿、上宿と続いていた。
高津区の路面には青や茶の断片が敷き詰めてあるので、この色の道に従って歩けば迷うことがない。460x307_8
大貫病院跡 
岡本太郎の生家でかの子の実家だった。かの子の兄の文学者・大貫雪之助は24歳の若さで亡くなったが、島崎藤村の門下生として、谷崎潤一郎や和辻哲郎らとともに同人雑誌「新思潮」を創刊している。460x307_9
光明寺が道路を挟んである。ここに大貫雪之助の墓がある。この寺には二子学舎という学校が開かれていたことがある。460x307_10
二子新地と溝の口の間の高津駅近くを街道は通る。高津図書館の所に国木田独歩の碑がある。独歩が一泊した亀屋が小説『忘れえぬ人々』の舞台となったのを記念した碑文は藤村の筆になる。460x307_11
            田中呉服店 明治時代の代表的な蔵造りの店
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一軒隣の灰吹屋(はいふきや)。江戸時代の明和2年(1765)に創業された老舗で薬を売っていた。この日この沿線のどこかの駅付近でも見たし、四谷にも店があるそうだ。460x307_13
大山ふるさと館 大山街道の資料、写真や道具類の展示を行っていて参考になる。460x410
納太刀(おさめだち) 参詣の際には何故か?納太刀をする習慣があり、自分の背丈よりも長い木太刀を2,3人で担いでいる参詣者の姿が多くの浮世絵などに描かれている。460x307_14
ニヶ領用水 稲毛領と川崎領を流れる用水はこれまた家康の命令で代官小泉次太夫が工事したもの。307x460_2
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溝の口駅(ここで昼食)が近くなって、溝口神社が現れた。隣の宗隆寺から廃仏毀釈で分離した。460x307_16
宗隆寺は七面天女を祀る日蓮宗の寺で、陶芸家・濱田庄司の墓が門の横にあった。寺は濱田家の菩提寺であり、小学校では上級生に岡本かの子がいた。
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                     濱田庄司の墓460x307_18
            8分位進むと濱田庄司生誕の地の碑があった308x460
長いねもじり坂を上っていくと「笹の原子育て地蔵が祀られ、子を授かったお礼に建てられ、今も子授けを願う人がいるという。307x460_3

[4]<梶ヶ谷~鷺沼>3.9km

庚申塔 見ざる聞かざる言わざるの「庚申塔」は旅人の道しるべも兼ねていたそうだ442x460
宮崎大塚 円墳か方墳もわからず、死者を弔うためか武器の隠し場所に利用したかも定かでない。このあたりは戦争中陸軍が接収していたそうだ。307x460_4
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宮前平駅付近に、108段の階段を上ると「八幡神社」があって、右隣に小台稲荷神社も祭ってある。この狐は玉を咥えている。460x307_20
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              階段下には小台庚申塔(1714年)もあった307x460_8
この竹林から坂を上り下りする。マンションが多く立ち並び街道は消えて、やがて鷺宮に到着。460x307_21
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