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2016年10月 3日 (月)

大山街道2 用賀(行善寺線)~鷺沼

364x6002回目の区間を娘が一緒に歩いてくれるということで休みが取れたのが9/28(水)でした。
本も買ってくれたので、どうやら地図の道筋の説明を読みながら辿れました。途中全く迷ってわからなくなったときには娘のスマホでの探索で尋ねあてることが出来た次第で、一人だったら一区間も歩けなかったと思います。娘に感謝でした。この日は何と午前中は晴れて31℃、午後は時々雨で、かなりの高湿度。兎に角暑かったです。

前回用賀から二子玉川まで慈眼寺線を歩いたので、今回は延命地蔵の所から南側の行善寺線を行く。
用賀駅から鷺宮駅までは田園都市線で、二子玉川、二子新地、高津、溝の口、梶ヶ谷、宮崎台、宮前平と7つの駅を通り、街道は8.85km。実際は寄り道が多く家から駅往復と合わせると26812歩、14.5㎞でした。蔦屋書店二子玉川で中を巡ってそのスタイルを見学し、二子玉川と二子新地の間一駅は電車に乗って涼み、公園のベンチがあると休み、アイスクリームを食べて体のほてりを冷やしと、道中6時間の行程でした。昔の大山詣での人々は真夏も歩いたのでしょうか。強かったのでしょうか。

<用賀~二子玉川>2.45km

600x427延命地蔵の所で左手・南側の行善寺線に入る。

行善寺は江戸時代に玉川八景で有名になった寺だそうだ。
玉川八景とは、岡本紅葉・二子帰帆・瀬田黄稲・大蔵夜雨・登戸晩鐘・川辺夕煙・吉沢落雁・富士積雪で近江八景に半分そっくり。中国の「瀟湘八景」という山水画が伝わってからの影響だ。
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大山、丹沢、富士山が見えるはずが、この日はすそ野しか見えなかった。目の下には二子玉川駅周辺の建物がよく見えた。460x307_2
行善寺坂下に六郷用水(丸子川)が流れている。家康は耕作地を広げるため、小泉次太夫を登用した。次太夫が今の世田谷区と大田区に水路を通したこの堀は次太夫堀と呼ばれている。460x307_3
         多摩川に出た。田園都市線がひっきりなしに走っている。460x307_4
二子の渡し跡の碑 1925年に二子橋が出来るまでここから渡し舟が対岸まで出ていた。307x460

[3]<二子新地~梶が谷>2.5km

二子新地は深川新地の「新地」と同じで、昔の「三業地」つまり料理屋、芸者屋、待合茶屋が軒を並べた「花街」で、往時160人の芸者がいたという。

二子新地側の渡し場は案内板だけで今はない。
そばに「岡本かの子文学碑」がある。川端康成の直筆によって刻まれてる。モニュメントは子息岡本太郎の作品。太郎は両親がこよなく愛したこの地に「誇り」と命名したモニュメントを建てた。460x307_5
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                    境内の二子神社460x307_7
ここ、二子宿から溝口宿は商家が多く大変賑わっていたそうで、往時の面影が所々に残っていて、見どころが多くこの日のハイライトの部分だ。それぞれ多摩川から近い方から下宿、中宿、上宿と続いていた。
高津区の路面には青や茶の断片が敷き詰めてあるので、この色の道に従って歩けば迷うことがない。460x307_8
大貫病院跡 
岡本太郎の生家でかの子の実家だった。かの子の兄の文学者・大貫雪之助は24歳の若さで亡くなったが、島崎藤村の門下生として、谷崎潤一郎や和辻哲郎らとともに同人雑誌「新思潮」を創刊している。460x307_9
光明寺が道路を挟んである。ここに大貫雪之助の墓がある。この寺には二子学舎という学校が開かれていたことがある。460x307_10
二子新地と溝の口の間の高津駅近くを街道は通る。高津図書館の所に国木田独歩の碑がある。独歩が一泊した亀屋が小説『忘れえぬ人々』の舞台となったのを記念した碑文は藤村の筆になる。460x307_11
            田中呉服店 明治時代の代表的な蔵造りの店
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一軒隣の灰吹屋(はいふきや)。江戸時代の明和2年(1765)に創業された老舗で薬を売っていた。この日この沿線のどこかの駅付近でも見たし、四谷にも店があるそうだ。460x307_13
大山ふるさと館 大山街道の資料、写真や道具類の展示を行っていて参考になる。460x410
納太刀(おさめだち) 参詣の際には何故か?納太刀をする習慣があり、自分の背丈よりも長い木太刀を2,3人で担いでいる参詣者の姿が多くの浮世絵などに描かれている。460x307_14
ニヶ領用水 稲毛領と川崎領を流れる用水はこれまた家康の命令で代官小泉次太夫が工事したもの。307x460_2
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溝の口駅(ここで昼食)が近くなって、溝口神社が現れた。隣の宗隆寺から廃仏毀釈で分離した。460x307_16
宗隆寺は七面天女を祀る日蓮宗の寺で、陶芸家・濱田庄司の墓が門の横にあった。寺は濱田家の菩提寺であり、小学校では上級生に岡本かの子がいた。
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                     濱田庄司の墓460x307_18
            8分位進むと濱田庄司生誕の地の碑があった308x460
長いねもじり坂を上っていくと「笹の原子育て地蔵が祀られ、子を授かったお礼に建てられ、今も子授けを願う人がいるという。307x460_3

[4]<梶ヶ谷~鷺沼>3.9km

庚申塔 見ざる聞かざる言わざるの「庚申塔」は旅人の道しるべも兼ねていたそうだ442x460
宮崎大塚 円墳か方墳もわからず、死者を弔うためか武器の隠し場所に利用したかも定かでない。このあたりは戦争中陸軍が接収していたそうだ。307x460_4
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宮前平駅付近に、108段の階段を上ると「八幡神社」があって、右隣に小台稲荷神社も祭ってある。この狐は玉を咥えている。460x307_20
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              階段下には小台庚申塔(1714年)もあった307x460_8
この竹林から坂を上り下りする。マンションが多く立ち並び街道は消えて、やがて鷺宮に到着。460x307_21
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コメント

鷺沼から二子玉川までは急行で10分、
我家から一番近い映画館になりますので
良く観に行きます(ここではやってなくて都心に行くことも多いのですが)。
が、電車や車で行くのと、歩いていくのとでは
まるで違う風景が広がるのでしょうね。
二子新地が昔、花街であったとは夢にも知りませんでした。

投稿: zooey | 2016年10月 3日 (月) 19:35

こんばんは
 
大山街道を辿るウォーキング。2回目はご用があって参加できなかった
のでしたっけ。お嬢様が一緒に歩いて下さって、いつものお仲間の
皆さんとの時とはまた違う楽しいウォーキングになられたご様子、
よかったですね。それにしても、おふたりとも14.5㎞歩かれたとは!
いくら途中休憩や電車があっても、あの蒸し暑さの中よくぞ歩かれました。
お2人の健脚と体力に感嘆しました。
この間の街道沿いでは見るものがたくさんあったようですね。
歴史、文学、政、灌漑、信仰。連綿と続いてきた人々の暮らしが
より強く感じられる区間だったのではないかしらと思いました。
 
昔の人は真夏でも歩いたでしょうね。でも、現代とは違って
土の道でしたし緑も多くアスファルトやコンクリートは無く
風通しも良かったのではないでしょうか。温暖かもありませんでしたし。

投稿: ポージィ | 2016年10月 3日 (月) 20:26

★zooeyさま

急行で10分ですか。用賀から鷺沼まで14分かかりますね。歩くと20倍以上かかり、歩くのがいかに遅いか、乗り物がいかに早いかを電車を見上げながらため息です。
二子玉川は聞いていた通り商業施設がたくさんありますね。映画館もあるのですね。
本屋さんの中を覗いてびっくりでした。
二子新地から溝口まで2宿あって、二子新地側が花街であったとは。面影はなにもありません。私も何も知らないで本で知りました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2016年10月 3日 (月) 21:25

★ポージィさま

はい、2回目はあの頃医者に予約があってどうしても医者優先で皆とご一緒出来ませんでした。7月ですがその日の方が27℃で楽に歩けたようです。
私は自信がなかったけれども、休憩を多くしたり、日陰を、そして日傘をさしてどうやらこうやらでした。何しろ暑さに弱いので心配でした。お陰様でその後具合悪くならずにいます。
この街道からも、徳川家康の命令の範囲内にあって用水などが掘られたことも知り、どこにも花街があったこと、信仰心が強かったことなどいろいろ知ることが出来ました。

ポージィさんがおっしゃるように、大体昔は猛暑日なんてなく、地面が土だったのですね。アスファルトの照り返しって暑いですものね。
菅笠をかぶって、建築物があまりなく樹木が多く、風通しが良い道を一日30kmも多い人は40kmも歩いたわけですね。
暑さ寒さにも負けない古の人々の強さに打たれますね。
大変だったけれども学ぶことも多く有意義な歩きでした。
示唆に富んだお言葉ありがとうございました。

投稿: tona | 2016年10月 3日 (月) 21:42

こんにちは。大山街道の本はいろいろあるんですね。今回もとても参考になりました。いつか歩いてみたいと思います。

投稿: 多摩NTの住人 | 2016年10月 4日 (火) 08:32

★多摩NTの住人さま

こんにちは。
最初持っていた屏風たたみの地図とこの本は出版社が同じです。本には解説があるのでとても参考になりました。
多摩NTの住人さまはお若く体力があるので難なく踏破できますね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2016年10月 4日 (火) 08:46

二子玉川は華やかなイメージしかないのですが
歴史ある町なのですね。それを探索され
新しい発見がありましたね。
つぎつぎ見つけられ楽しみも倍加しますね。
渡し場まであったとは信じられないです。

六郷用水は大田区にいましたので、そこの六郷鉄橋が
かなり古いものであることは聞いていました。
歴史遺産でしたね。

投稿: matsubara | 2016年10月 4日 (火) 08:51

★matsubaraさま

お疲れのところをコメントありがとうございました。
二子玉川の駅の賑わいには驚きました。
ちょっと行くと多摩川が広がっているのですね。
六郷と言えば、六郷合唱団が先に思い浮かびますが、六郷用水も次太夫さんが掘ったことを知ったのは愉快でした。六郷鉄橋があるのですね。これは見られませんでした。街道から外れているのでしょう。
今週の例の予定はなくなったのでしょうか?

投稿: tona | 2016年10月 4日 (火) 09:10

大山街道歩きの二回目は個人で本を頼りに歩かれたのですか?、お嬢様が付き合ってくれて良かったですね。
往復14.5km,26812歩!、蒸し暑い中よくぞ頑張りました(拍手)

同じ日に私も東京下町のブラ歩きでした。
午前中はうす曇り、午後3時頃から雨がぱらつきましたが、とにかく蒸し暑くて汗まみれになりました。

二子多摩川はお洒落な新しい街と言う印象ですが、宿もある歴史ある町だったのですね。
多摩川を渡っていよいよ神奈川県に入りましたね。
私もいつか歩いてみたい「大山街道」(ワンゲルの会ではもう歩いているそうでガックリ!)
これからも楽しみにしています。

投稿: nao♪ | 2016年10月 4日 (火) 09:11

★nao♪さま

nao♪さんもこの日歩かれていたのですね。
凄く蒸し暑くて無理そうな感じでしたが、団体ではなかったので、我儘に途中お休みばかりして何とか辿り着きました。
鷺沼から長津田までは先に歩いたので、次回は相鉄線のさがみ野に辿り着く予定です。大山が見えそうな感じですけれど。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2016年10月 4日 (火) 09:26

誓いと頃なんだから、5キロづつ3回に分けて歩こうか、それでも前回の終わりまで行くのが大変かな。

投稿: 佐平次 | 2016年10月 4日 (火) 10:58

近いところ、でした。ときどき気をつけていてもこういう変換をするのです。油断大敵。

投稿: 佐平次 | 2016年10月 4日 (火) 10:59

★佐平次さま ありがとうございます。

3回に分けたらちょっとした散歩になって良いですね。
用賀の駅から出たところで迷子になってしまいましたが、川崎に入ってからの地面が色つきの区間はわかりやすくて迷いません。

国分寺には何も大きな会社がありません。全部隣の府中市です。東芝、サントリー、NEC、競輪競馬場があるのです。

投稿: tona | 2016年10月 4日 (火) 12:59

すみません。
連絡すべきことがありましたのに・・・
実はあれから彼女から何の連絡もないので
都合が悪いみたいです。
あまりしつこく聞くのもはばかられるし・・・
母が先日入院し、ホテルはキャンセルしました。
またの機会を待ちたいです。

投稿: matsubara | 2016年10月 4日 (火) 18:14

★matsubaraさま

ご連絡ありがとうございました。
またの機会を楽しみにしておりますね。

投稿: tona | 2016年10月 4日 (火) 20:19

私は車で行ける範囲は旅行しますが、以外と電車やバスに乗っての移動は少ないのです。
特に都内は用事が無い限りは行きませんので
tonaさんが載せてくれた所は名前は知ってますが、行った事が無い所だらけです。

でも春頃だったかしら、だんだんさんの歌の発表会で二子玉川駅に行きましたが
慈眼寺線や行善寺線などと言う線があるのですね。
初めて聴いた線です。

何時も知らない所を教えて貰って、ありがとうございます。

投稿: ラッシーママ | 2016年10月 4日 (火) 22:44

★ラッシーママさま ありがとうございます。

だんだんさんの歌の発表会は二子玉川方面であったのですか。南武線の武蔵溝ノ口で田園都市線に乗り換えますね。
昔の街道に今でいう線という名前は付いてなかったと思うのですが、今の地図では~線と名づけているようですね。
今回の街道歩きでは渋谷から長津田までずっと田園都市線に沿って歩きましたので、この間の沿線沿いの雰囲気を知ることが出来ました。中央線みたいに遅れないみたいでいい路線だなあという感想を持ちました。

投稿: tona | 2016年10月 5日 (水) 08:14

母娘さんでどんどん歩かれたんですね。さすが健脚です!
漏らした穴埋めをきっちりされたんですね♪

歴史あるお宮は、全てを回ってはいませんが・・・
息子一家は、武蔵新城→武蔵溝の口→二子新地→そして現在の桜新町へと転居しました。
現在も電車や車で、通い慣れた所です。
たもとにある岡本かのこの碑・・・
公園になっていて神社もあり、孫を連れて遊びに行ってました。
二子橋のすぐ近くがマンションで、大山街道沿いだったんです~
庚申塚が多いですよ。
生田緑地には岡本太郎美術館もあり、川崎市のメインになっていますね。

近辺の小学校には、馬事公苑から交通整理に騎馬警官が来てますね。
駒澤医療センターは、お嫁もその子ども達(孫)も生まれた病院です~

投稿: だんだん | 2016年10月 5日 (水) 18:08

★だんだんさま ありがとうございます。

息子さんご一家は都心に近付いて行ったのですね。
まず南武線沿線の二駅、そしてこの田園都市線を二駅、便利な良いところですね。
だんだんさんも通い慣れていらして、この大山街道沿いをよく御存じで恐れ入りました。
さすが沿道沿い、子育て地蔵や庚申塚が多いですね。常夜燈は東海道ほど見られません。
岡本かの子の生誕地でもあった川崎市の中に岡本太郎美術館があります。とてもユニークのようですが、ここはまだ行っておりません。
馬事公苑から騎馬警官が来る小学校なんて、子供たちが喜びそうでいいですね。

投稿: tona | 2016年10月 5日 (水) 20:38

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