« 『ホセ・ムヒカの言葉』佐藤美由紀著 | トップページ | 大山街道4 津田沼~海老名 »

2016年10月13日 (木)

椎名誠の本から&「藤田嗣治」展

椎名誠著『すばらしい黄金の暗闇世界』 過去のナショナルジオグラフィックから様々な話題を取り上げるが、「暗闇世界」「自然界の生き物」など北極圏から南米のジャングルまで世界の辺境をくまなく旅行した著者ならではの体験から語られるから驚きかつ説得力もあるというものだ。

●明るい日本考 
夜の街や部屋の中が明るい日本と暗い欧米
欧米のレストランでは夜いかにも暗い所があって、料理にゴミが入っていてもわからないし、色もはっきりわからない、何が添えられてるのかもはっきりしない食事を何回も体験した。
映画を見ても、暗くて良く見えない部屋の中の映像を殆どの映画で見るくらいだ。昔から漆黒の闇になる夜は洋の東西を問わず同じはず。
で、椎名氏の本でこうではないかと書かれた部分がある。
欧米の夏は、私には日本と同じように輝いて明るいと思うのですが、それを基準にしないで長い冬を基準に夜の照明がああなったみたいです。

<ヨーロッパの冬の曇天時の全天空照度は五千ルクス。日本の冬の曇天時の午前10時が二万五千ルクスで同じ地球と思えない凄い差。緯度の関係か?
ちなみに日本の晴天の昼の太陽光は十万ルクス。
ヨーロッパの人々が暗い昼から暗い夜に移行するのと、日本人が明るい昼から暗い夜に移行するときの心理的な差は相当なものだろう。日本が夜をできるだけ明るくしたがる背景は案外こんな所にあるようなのだ。そしてヨーロッパは、暗い夜の闇から精神的に身を守るのは頑丈な石の家のほうが有利に働くだろう。そしてヨーロッパの夜の灯は暖炉やテーブルの上のランプという「より人間の体に近い灯」が主流になった>・・・・というのである。

それにしても東日本大震災後の節電はどこ吹く風、公共機関でも必要でないところまで昼間でも電気を使用し、人もいなのにつけっぱなしのビルの中、夜のネオンは明るく、パチンコ屋の照明は昼間より明るくし、昼なのに外灯を付けている家など、原発なしでやって行こうと大方が思っているいるのに、何て考えなしの行動でしょう。喉元過ぎると忘れるということの連続で、嘆かわしい。

「藤田嗣治」展 府中美術館

424x600

個人蔵、日本の美術館、フランスのランス美術館から併せて158点が展示されている。
藤田嗣治は1886年に新宿区に生まれる。父は軍医、母の縁戚には劇作家の小山内薫、画家の岡田三郎助、音楽評論家の蘆原英了などがいて、4人兄弟の末っ子。

24歳で東京美術学校を卒業。その頃の自画像。下が有名なおかっぱ頭にちょびひげの43歳の自画像。
409x600_4 422x550_4


その後パリに出て、有名な乳白色の下地の絵に面相筆で引かれた墨の線の日本的な巧みな技術で、人々に認められ、パリ画壇の寵児になる。471x600
45歳で4度目の妻マドレーヌを伴って2年間、ブラジル、アルゼンチン、ボリビア、ペルー、キューバ、メキシコ、アメリカ西部と旅して日本に戻る。
その時の絵はどれも色が濃く鮮やかで別人の絵のようだ。
372x600
1936年(50歳)からはマドレーヌ急死で君代と暮らし始め、中国に派遣されたり、アメリカ経由でパリに渡るも、戦争で日本に戻り「アッツ島玉砕」など3点の戦争画の大作が今回出品された。凄い絵だ。しかしこの絵によって戦争責任を追及され、指弾され、1949年(63歳)に日本を脱出する。487x600
1955年には妻とともに日本国籍を抹消し、フランス国籍を取得。
パリ郊外に住み、近所の子どもの絵を描いたりしている。『小さな主婦』338x600
73歳でランスのノートルダム大聖堂で妻とともにカトリックの洗礼を受け、レオナール・フジタと改名する。そのとき「聖母子像」を寄進する。
388x600
1966年、80歳でランスに、平和の聖母・礼拝堂を完成させ3ヶ月でフレスコ画を完成させる。1968年、享年81歳で死去。ランス大聖堂で葬儀が行われたそうだ。
平和の聖母・礼拝堂 2010年に私が訪ねた時の写真。内部は撮影禁止でした。
460x345
若い時から73歳までのバラエティに富んだ絵を拝見できて大変面白かったが、やはりあの乳白色の絵と猫の絵が私にはいかにも藤田らしい秀逸な作品として心に残る。

|

« 『ホセ・ムヒカの言葉』佐藤美由紀著 | トップページ | 大山街道4 津田沼~海老名 »

コメント

おはようございます
 
椎名誠さんの書かれたもの、ずいぶん長いこと読んでませんが、
自分では見過ごしたり見逃したり気付かない視点で書かれている
ことも多くて面白く感じます。
欧米と日本の夜の照明の明るさの違いが、昼間の明るさの違いから
くるというもの、なるほどなぁと思いました。
夏でも冬でも、ヨーロッパなどと比べてすっと明るい昼間を過ごした後、
夜の暗さはそれこそ闇を濃く感じ、それゆえに少しでも明るくしたいという
心理が働くものなのでしょうね。闇への恐れは日本人の方が
大きいのでしょうか。
そうは思っても、震災後の節電はいつの間にかなくなりましたね。
今年はまたことのほか冷房がきつく感じられました。用心して長袖を
着ていってすら冷え切ったこともありました。
 
藤田嗣治氏の絵は、年代とともにこんなに変化に富んでいたのですね。
知りませんでした。戦争のありのままの悲惨な様子を描いたものが
どうして戦争協力の絵とみなされたのかしらと疑問に思いますが、
それがなくてもそのまま日本に暮らし続けたかどうか分かりませんね。
日本を出て長く暮らしていたからこそ見えていたものも色々
あるかも… そんなことをとりとめもなく考えながら
興味深く拝見しました。ありがとうございます♪

投稿: ポージィ | 2016年10月13日 (木) 09:30

★ポージィさま

おはようございます。
早速に素敵な感想をお寄せいただき、何時も参考になりありがとうございます。
日本とヨーロッパの曇天のルクスはかなり違うのですね。数字の差に驚きました。冬に行ったことがなくて全然実感していませんでした。
またそこに入ってしまうと感じないのかもしれません。
私は部分照明でなくコンビニのように天井からの明るい光が好きですから、目の良かった時もそうなので、日本人なのです。暗いのは嫌いです。
いろいろなことを理解しないとあの暗いレストランやホテルの部屋のこともわからなかったわけです。ホテルでは暗くて読書が出来ません。
冷房の効き過ぎ、多いですね。盛夏なのにいつも1枚多く用意して鞄に入れています。

藤田嗣治は、戦争がなかったとしてもパリへいつも心が向いていた画家だったのですね。
帰化してしまったのも頷けます。最期にはフジタ礼拝堂まで建ててしまって、壁画で埋め尽くしてしまったのですから、もう日本人離れしています。1年もたたないうちに命を終えてしまったことが残念です。

投稿: tona | 2016年10月13日 (木) 09:58

おはようございます。

急に寒くなり、今日はカーディガンを羽織ってるくらいです。
椎名誠さんは、こんな本も書いてるのですね。

東日本大震災後でも我が家が今も続いてるのが
使ってない部屋の電気は消すようになりました。

藤田嗣治画伯の名前は銀河さんが載せてましたので知りました。
お互いのブログにお邪魔して、私の苦手とする美術の事も教えて貰い
写真も見せて頂き、少しは増しになりました。

私的にはバラを書いた絵の方が好きです。
「アッツ島玉砕」の絵が戦後に戦争責任を追及されたのは、おかしいです。
今ではネットでおかしいと全世界に言えますが
その時代には言えなかったのでしょうね。
それからしたら今の時代は楽です。
一市民がネットで世の中を引っ繰り返す事も出来ますが
逆に嘘は通用しなくなり、良い時代になったものだと思ってます。

投稿: ラッシーママ | 2016年10月13日 (木) 10:57

東京より名古屋が先に公開されることもあるの
ですね。藤田嗣治展は名古屋で見ました。
紹介の仕方が私のようにアバウトではなくて
さすが、と思いました。

ヨーロッパの絵画はなぜ暗いか、ということが
理解できまはた。レンブラントなど特に暗くて
暗い所が好きなのかと勝手に思っていました。
事実暗いのですね。目からウロコです。
イギリスは霧でいつも暗いので、あの国だけの
現象かと思っていました。

投稿: matsubara | 2016年10月13日 (木) 11:54

★ラッシーママさま

こんにちは。
この本は新聞の書評にも出ました。いつもの愉快なエッセイではなく、真面目な文体です。

やはり藤田嗣治の絵はバラの絵のように乳白色の下地の絵がいいですね。
でも若い日の自画像、いかにも美大出の普通の絵で、一人の画家の出発点は結構みんな似ているなんて思ってしまいました。
戦争の絵は凄いです。あの頃は作家でも戦争に協力したと非難されたり牢獄に入れられたりと思想的に個人を貶めた大変な時代だったのですね。
今はネットでは炎上が珍しくなく、そういった点では怖いです。世の中を考えて正直に考えを発表して行く、意見の違った人の事も尊重して発言するなどルールがちゃんとあるはずですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2016年10月13日 (木) 16:49

★matsubaraさま

地方を巡回して最後に東京というのもあります。来年も吉田博があります。

絵画も言われてみますとそうですね。
そこで出てきたのが印象派ですか。今までとがらりと変わって光に満ちています。
イギリスの特に冬は日本人では夏目漱石がノイローゼの一因にもなるくらい暗かったのですね。
石の文化、狩猟民族、そしてこの明るさの問題、本当にヨーロッパを理解するにはこれだけでは足りないでしょうが面白いものだと思いました。そこから日本を眺めると日本人も結構面白い面があるのではとも思われます。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2016年10月13日 (木) 16:59

こんにちは。今回も興味深く拝読させていただきました。本当に日本の夜は明るいですね。震災後の節電は、「喉もと過ぎれば」の感です。

投稿: 多摩NTの住人 | 2016年10月14日 (金) 08:42

★多摩NTの住人さま

コメントありがとうございます。
今日は少し晴れてきて1万5千ルクスくらいもあるのでしょうか。これを上回る夜の店の明るさはもったいないですね。結局電気代をつり上げていることになります。
ちょっと情けない日本人の一面ですね。

投稿: tona | 2016年10月14日 (金) 08:53

シイナさん、小平や国分寺には馴染みの方ですね~
大笑いの冒険談や、いきなりモンゴルで馬に乗ったりとご活躍ですが。
これは文筆家の本領でしょうか。
日本に間接照明が広く取り入れられたのも、外国の影響が大きいですが。
そういう昼夜の差が、照明の明るさにあるんですね。
LEDだからと、所構わず明るくする昨今。
これからX,masイルミで競うのが、空恐ろしくなります。
ロウソクの灯だけで語らう集いもありますね。
自らを戒める意味で、参加しようかと思ったりしてます。


藤田嗣治展は、いつまででしょうか。
じっくり観ていないので、時間を見て行きたいと思います。

投稿: だんだん | 2016年10月14日 (金) 17:27

★だんだんさま

シーナさん、新宿の方に引っ越されましたが、長いこと小平市の住民で、サラリーマン時代は国分寺駅乗換だったのですね。
週刊誌2誌にずっと随筆を書き続けたり、世界中を飛び回り、日本では無人島でたき火大会をやったり、ラーメンを食べ歩いたり、釣り三昧で本を出したり、SF小説を書いたりともうすでに250冊以上も上梓していますね。結構読み漁りました。
ロウソクの灯だけの語らい、これは電気のない時代の江戸時代以前の夜とどちらが暗いのか、いろいろ状況を想像します。いいですね、体験は。

藤田嗣治展は12月11日までです。月曜日が休館日です。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2016年10月14日 (金) 19:46

こんにちは。たびたびすみません。以前、当方の「フジセンニンソウ」の記事にコメントをいただいておりましたが、誤記がありました。漢字は「藤」ではなく富士山の近くで発見されたとのことで「富士」が正しいとのことでした。失礼しました。

投稿: 多摩NTの住人 | 2016年10月16日 (日) 16:54

★多摩NTの住人さま

わざわざありがとうございました。
大学に問い合わせてくださったのですね。
今そちらにお伺いして確認いたしました。
冨士がつく植物もいくつかあるのですね。
アザミとか桜とかしか思い浮かびませんが。

投稿: tona | 2016年10月16日 (日) 17:09

シーナさんのふざけたような本は昔、随分読みました。
「さらば国分寺書店のオババ」だったか、題名からしてもふざけてましたよね。
彼の真面目な本を手に取るとちょっと驚きます。

欧米人の眼球自体が、あまり明るい光には耐えられないのだという説を読んだことがあります。
だから彼らはすぐにサングラスをかけるのだとか。
それには、そういった地理的条件による背景があったのかもしれませんね。

投稿: zooey | 2016年10月18日 (火) 10:43

★zoooeyさま

私は今もそのふざけた本を読んでいます。
気のはらないおかしくて笑ってしまう本は時にはとてもいいです。

イタリアでさえ日本の青森から北ですものね。関東より西南はスペイン南からアフリカ北部エジプトあたりです。いかにヨーロッパ人は夏以外は光が弱い所に住んでいるかです。
目の色も青いし、紫外線に弱いということは、夜もギンギラギンに明るくなくていいのですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2016年10月18日 (火) 13:30

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/146506/64341766

この記事へのトラックバック一覧です: 椎名誠の本から&「藤田嗣治」展:

« 『ホセ・ムヒカの言葉』佐藤美由紀著 | トップページ | 大山街道4 津田沼~海老名 »