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2017年2月 3日 (金)

岩佐又兵衛


岩佐又兵衛については聞いたことがある名前でしたが、どんな人か?大河ドラマ「軍師官兵衛」をやっていた時にはまだ知りませんでした。官兵衛が村重に水牢に入れられ廃人同様になった姿が思い出されます。
有岡城主「荒木村重」が織田信長に反旗を翻したその時に、村重を父として生まれたのが又兵衛だった。
信長に攻め込まれた村重は花隈城に籠り降伏しなかったので、信長は郎党男女500人を焼き殺し、ついで荒木一族30余人を京都に護送し六条河原で処刑した。
そのとき「だし」というおそらく又兵衛の母と言われる女性の刑場での最期が毅然として美しかったという。
その辞世の句が涙をそそります。
 消ゆる身は 惜しむべきにもなきものを 母の思ひぞ 障りとはなる
 残し置く そのみどり子の心こそ 思ひやられて 悲しかりけり

村重とだしの子、又兵衛は、2歳だったが乳母の手で城から救い出され、京都西本願寺のもとにかくまわれ、母方の岩佐の姓を後に名乗った。
父村重は城から抜け出し尼崎から船で毛利方に逃れ、尾道に住んでいたが信長が倒れると畿内に戻り、千利休の高弟となり、秀吉の茶会に招かれたりした。

岩佐又兵衛については誰に育てられ、どのように成人したか、知る手掛かりが殆どないが、絵画だけでなく和漢の幅広い教養を身につけていた
大坂夏の陣で豊臣が滅亡したとき38歳になっていて、松平直忠の城がある、越前北之庄に都落ちした。その後60歳から江戸へ行き、73歳で没するまで活動を続けたという。

又兵衛は第1期浮世絵の元祖と言われ、菱川師宣が版画という、より量産に適した形式に移して、さらに幅広い町人階層の生活の場で愛されるものにし、第2期浮世絵の元祖となった。

明後日5日まで「岩佐又兵衛と源氏絵展」が出光美術館で開催されています。私は行けなかったですが、夫が行ってそのちらしを見せてもらったのがこのような絵です。
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辻惟雄著『岩佐又兵衛』では展示作品以外に様々な古典を描いた作品をたくさん見ることが出来ますが、その細かな描写、当時の風俗、深い教養が見てとれ、処刑されたお母さんが生きていたらどんなにか喜んだことでしょう。

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コメント

こんばんは
 
岩佐又兵衛 とは??
と思いましたが、tonaさんの記事を読み進むうちに、
大河ドラマで見た様々な場面がよみがえって来ました。
村重の子供だったのですね。ドラマではだしはクリスチャンで、
若い頃は軽い感じだったのが、どんどん人として成長していった姿が
記憶に残っています。時世の歌は、わが子への思いに溢れていますね。
その息子…ドラマには出てきましたっけ?登場したのは
嫡男だけだたかしら?? 思い出せません(^^;)
 
脱出し生きのび、後に第1期浮世絵の祖ともなったとは、
波乱に満ち数奇で強い星の下に生まれた人だったと感じますね。
拝見するに、繊細で雅な作品という印象です。
母の愛が守ったのかもしれませんね。

投稿: ポージィ | 2017年2月 3日 (金) 17:52

★ポージィさま

ありがとうございます。
ドラマでのだしを覚えていません。ポージィさんは記憶力がとてもいいですね。特に私は記憶力が悪いです。
受洗名が「Daxi」ということで「だし」と呼ばれたのですね。細川ガラシャと同じキリシタンだったのでしょうか。
だしは刑場で阿弥陀と西方浄土への憧れを詠んだものもあったそうで、キリシタン説には疑問があるという話もあるそうです。
ドラマには又兵衛は出ていなかったように思いました。
作品はおっしゃるように雅ですね。源氏物語にうってつけの筆運びです。
母の愛は強し、あの世でずっと見守っていたように思われます。

投稿: tona | 2017年2月 3日 (金) 19:13

tonaさん、おはようございます♪
大河ドラマ「軍師官兵衛」は見ていたので、
荒木村重のことは知っていましたが、
その子供の岩佐又兵衛については初めて知りました。
こんなに立派な人物に育っていたことを知ったら
お母さんはどんなに喜んだことでしょうね。

昨年の大河は「真田丸」でしたが、真田幸村の遺児たちも
敵方の大名・伊達正宗の重臣、片倉氏によって
養育されたそうですね。

投稿: hiro | 2017年2月 4日 (土) 07:20

★hiroさま

おはようございます。
ありがとうごじます。
私もあの荒木村重の子供であったとは最近知って驚きました。村重も抵抗の挙句に家臣家族は全員処刑されたのに、自分は生き延びたのですね。そして又兵衛も。

真田幸村の遺児たちはそうだったのですか。知りませんでした。
お兄さんの方は徳川に付いたので現在も14代か15代目でしたか続いているのですよね。
私はまだ上田城に行っておりません。

投稿: tona | 2017年2月 4日 (土) 08:37

村重一族の死の様子を描いた小説(題名・作者忘れました)を思い出しました。
悲痛哀切でした。

投稿: 佐平次 | 2017年2月 5日 (日) 10:16

★佐平次さま

ありがとうございます。
一族の死を描いた小説があったのですか。
他にもたくさんあったでしょうが、信長の徹底した、人を死に追いやるすさまじさでわかるような気がします。それにしてもだしさんの歌には涙が出てしまいました。

投稿: tona | 2017年2月 5日 (日) 13:17

岩佐又兵衛の出生については全く存じません
でした。最近ドラマに出てきてようやくアウトラインが
掴めたという程度です。

但し絵画については30年くらい前にどこかで
見たことがありました。画家以外のことは
知りませんでしたが、今回の記事で教えて
頂きました。

弁論大会につきましては、私が勝手に八王子の
人にお知らせしたことからお礼を言われました。

投稿: matsubara | 2017年2月 5日 (日) 13:22

★matsubaraさま ありがとうございます。

画家であることを知ったのがここ1年で、ドラマの段階では知りませんでした。
又兵衛が出てなくても、もうちょっとあの場面をよく見ておくべきでした。
色々な人生がありますが、岩佐又兵衛も随分数奇な運命の人であったと思います。
乳母が救い出したことで、他にないような元祖浮世絵が今残ったのですから。

投稿: tona | 2017年2月 5日 (日) 13:35

こんにちは。戦国時代の黒田官兵衛あたりの物語は大変好きなのですが、最近は読んでいないので、岩佐又兵衛の名前は思い出せませんでした。またじっくりあの時代の小説を読んでみたいです。

投稿: 多摩NTの住人 | 2017年2月 5日 (日) 14:57

★多摩NTの住人さま

こんばんは。ありがとうございます。

私も戦国時代は久しく読まず、もっぱら大河ドラマでだけです。
多摩NTの住人さまはかなりの読書家、それも幅広いですね。
お陰様で江戸時代のお花の小説、読み進んでおります。

投稿: tona | 2017年2月 5日 (日) 18:39

大河ドラマを見ないので、蚊帳の外に置かれています。
歴史上の人物はあるきっかけがないと、追ってみる余地がないですね。
無学でして、知らないことが多く恥ずかしいです。

投稿: だんだん | 2017年2月 5日 (日) 22:09

岩佐又兵衛が荒木村重の子どもであることは
まったく知りませんでした。
荒木村重は摂津城主でしたので
Saas-Feeの風には昔から身近な戦国武将でした。
最近はNHKの大河ドラマを観なくなっていますので
どのような人物像として描かれているのか
そしてどなたが演じておられるのかさえも
Saas-Feeの風は判っていません。

荒木村重で印象に残っている俳優は
緒形拳さんが主演された大河ドラマ“太閤記”で
荒木村重を演じられた小池朝雄さんです。
小池朝雄さんの憎たらしそうな(失礼、演技ですからしかたありません)お顔です。
あのドラマでの黒田官兵衛は田村高廣さんでしたが
あまり印象に残っていません。
緒形さんも小池さんも田村さんも鬼籍に入られてしまいました。
因みに織田信長は高橋幸治さんで、本能寺の変の放送前には局に「死なせないで」とのメッセージが
多数届いたという話がありましたね。

あの当時の大河ドラマにはきら星の如く名優が出演していましたが
近年のドラマ出演者には芝居が本職ではない人たちが増えてしまい
Saas-Feeの風は観る気を失っています。

投稿: Saas-Feeの風 | 2017年2月 5日 (日) 22:28

★だんだんさま

ありがとうございます。
無学なんてとんでもないです。
いつも凄く好奇心旺盛でいろいろご存知で教えていただくことばかりです。
又兵衛についても展覧会があるということで本を読み、初めて知ったことばかりです。

投稿: tona | 2017年2月 6日 (月) 08:30

★Saas-Feeの風さま

摂津の国、あちらの方は素通りしただけですので、様子が全く分かりません。
緒方拳さんの太閤記懐かしいですね。
それにしてもよくきちんと名前を憶えていらっしゃること。私は精々主人公だけです。
戦国武将にもお詳しいようでなかなかです。
男優もそうですが、女優さんもそして外国映画も往年の方々は名優も多く私の頭もその頃は少しはましで良く覚えていますし、歌の方もそうですね。
仰るように今はタレントや歌手など大勢出ていて、これといって上手いという人が減りました。ドラマも全然といっていいくらい見なくなりました。
いろいろ教えてくださってありがとうございました。

投稿: tona | 2017年2月 6日 (月) 08:41

大河ドラマの荒木村重はよく覚えています。
正直、家族や家来たちが惨殺されているのに
一人逃げ延びていく心境が分りませんでした。
息子が、岩佐又兵衛なのですね。
息子の方はよくぞ生き延びてくれました。

悲劇的な生い立ちなのに、この雅な世界の絵。
戦乱の世に生きたがために、より一層美しい物、穏やかな世界への憧れが増したのでしょうか。
とても優美な絵の数々です。

投稿: ☆銀河☆ | 2017年2月 6日 (月) 11:49

★銀河さま ありがとうございます。

私も家族郎党たちが全員殺される中、一人生き延びて、信長亡きあとは秀吉の茶人仲間になってと驚いたものでした。
生き延びた又兵衛は誰に育てられたのでしょう。教養があって絵にも表れていますが、きっとそのような環境で育てられたのでしょうね。
長谷川等伯とはまた全然違った画風で浮世絵風と言われるのが勉強不足で良くわかりませんでした。
現在だっていろいろな人がいて面白いですが、昔もいろいろな人生を歩んだ人がいて、生きた時代が違っても絵からその心を想像してみるのも楽しいです。

投稿: tona | 2017年2月 6日 (月) 16:43

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