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2017年5月18日 (木)

東海道五十三次歩き3 元吉原~~蒲原(2)

吉原宿が移動したため、元・中・新吉原と3つを巡り、吉原と蒲原の間に2つある間宿の一つ目、本市場を通り過ぎたところでした。

札の辻跡は高札場の跡 富士市ではずっとこのような標柱が立っていた。宿の東側(江戸方面側)には東木戸跡、宿の終わり西側には西木戸跡の表示があって、宿の始まりと終わりが分かる。右の写真は少し前に歩いた新吉原の東木戸跡の標柱。
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色々な道祖神が現れる 双体道祖神       道祖神
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          富士駅から身延線の一つ目の駅・柚木駅をくぐる450x338_4
               富士川の手前に水神社がある450x338_5
富士川渡船場の手前で、人々はここ水神社で安全を祈った。またここは富士登山道の起点でもあり、「富士山道」の道標がある。450x338_6
                    富士川橋に出る 450x338_7
                  富士川橋からの富士山 450x338_8
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角倉了以紀功碑 が富士山と富士川を見て建っている
京都の豪商、角倉了以(1554~1614)・素庵(1571~1632)の父子は、幕府から富士川の開鑿を命じられた。その水路は、ここから71㎞も遡る長さ。岩渕(淵)河岸(現在地付近)から鰍沢(かじかざわ)河岸(山梨県富士川町)の間約18里(71km)で、大変な難工事の末、完成した。これにより、富士川水運は明治44年中央線が開通するまでの約300年間、甲信地方と東海道を結ぶ交通の大動脈としての役割を果たした。ここ岩淵河岸は「下り米、上り塩」の中継地として繁栄した。この紀功碑が建立されたのは昭和12年だった。450x338_9

ここからが2番目の間宿の岩淵だ

東海道ではわずか二軒しか現存しない小休本陣の常磐家がある450x338_10
              岩淵から身延山への道が通っている338x450_3
この日歩いた道の両側の民家は庭も広く、玄関先や庭が美し花で飾られ、癒される旅でもあった。
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             岩淵のこの一里塚は日本橋から37里目338x450_5
旧稲葉家(現富士川民族資料館)は、富士市内で現存する最古の民家(18世紀中頃)450x338_14
この辺りの名物、栗の粉をまぶした栗の粉餅は途絶えていたが、ツル家菓子店で再現されたということで、買って食べてみた。餡子が入り、栗の粉ががまぶしてあり美味しかった。350x257
新幹線をくぐり坂を登ると静岡市に入り、高速道路を跨ぐ橋から富士山が見えた。金網越しで見えにくいが。450x338_15

いよいよ蒲原宿へ

おぉ、蛇が。東木戸に入る前に北条新三郎(蒲原城最後城主)の墓に行こうとしたがやめた。380x285
前回と違って今回は夜の道を照らした、たくさんの常夜灯を見て写真に撮った。その一部です。
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蒲原宿に入るとすぐ4本の太い鉄管が山から海へ伸びている。富士川の上流で水を取り入れ、日本軽金属の工場用の電力を発電している。338x450_10
「蒲原夜之雪」記念碑 広重の東海道五十三次シリーズの最高傑作といわれ、昭和35年の国際文通週間の記念切手になったことを記念して、絵が描かれた場所にほど近いこの地に記念碑が立てられたそうだ。この辺りの方に伺うと、蒲原でも冬には雪が降ったことがあるそうだ。338x450_11
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旅籠「泉屋」 天保年間の建物で、安政の大地震でも倒壊を免れた。2階の櫛形の手すりが面白い。450x338_16
        本陣跡 門、玄関、上段の間があることが旅籠と異なる。450x338_17

とまあ、まだ蒲原宿が途中であったが日が暮れてきたので帰路に着き、前回と同じ時間のこだまに乗り、最寄駅でこの間味しめた「庄や」で乾杯と相なりました。(完)

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コメント

こんにちは♪
 
富士川橋からの富士山も、なだらかに広がる広大な裾野が見えて
素適ですね。あの裾野をぐるりと歩かれたのですね。
 
今回、小休本陣、古民家、旅籠、本陣跡、常夜灯、といった
昔を偲ばせる物に心惹かれました。
tonaさんも歩かれながら、江戸時代の人々が同じここを行き交って
いるようなお気持ちになられたかもしれませんね。
小休本陣と本陣跡の建物のつくりは、さすがに重厚感あり立派ですね。
 
途中、長々と道を横切っていた蛇は青大将かしら。
こんな大きな蛇がいることに自然の豊かさを感じます。
民家のお庭や玄関先が、沢山の花彩られているのは、心安らぎ
ふっと足の疲れも軽くなりそうです。
ときに、玄関前で衝立のように、オレンジ色の花をたくさん咲かせている
植物は何でしょう?? もうこんなに茂って蔓をのばし
花もたくさん咲いているとは…びっくりしました。
 
栗の粉餅 って初めて聞きました。頭の中で栗落雁とあんこ餅の
味を足して想像してみました。美味しそうです~ (^▽^)
 
楽しませていただきました m(_ _)m

投稿: ポージィ | 2017年5月18日 (木) 17:25

★ポージィさま

こんばんは。ありがとうございます。
本当に独立峰の冨士山は裾野が広いことに驚きますね。
やっといろいろ残っている建物や常夜灯などが出てきました。
仰るように昔の人も見たであろう、そしてここを歩いたことを思っての歩きでした。

蛇は青大将のようでした。毒蛇でないとしてなかなか動かないで横たわっているので尻込みしてしまいました。久しぶりの蛇です。グランドキャニオンのピンクの蛇以来です。
殆んどの家がお花を咲かせているのですよ。
我が家の近くでもだんだんお花が減ってきているので、やはり都会から離れた街道筋は素晴らしいと思いました。
オレンジ色の花はキンレンカ(ナスタチウム)でしたよ。
まだこちらでは咲いていない花も咲き進んでいます。ニオイバンマツリやマツバギクなどはどこも満開です。そしてサボテンが玄関先に置いてある家も多く、蘇鉄まで育てて大きくなっていました。

栗の粉餅は久しく途絶えていたそうです。街道を歩いていた往時の人が楽しみに食べたのでしょう。最近再現されたとのことで、売り切れていなくてラッキーでした。栗の粉がまぶしてあるだけでなく、栗も餡子も入っていました。
想像して食べていただいてありがとうございました。

投稿: tona | 2017年5月18日 (木) 19:44

栗の粉餅、珍しいですね。
どうしてここで作られたのか、誰か発明の才があったのでしょうね。
小布施などにはなかったような気がします。

投稿: 佐平次 | 2017年5月18日 (木) 22:03

角倉了以は関西でしか活動しなかったと思い
ましたら、そちらにも足跡があるのですね。

蒲原の切手は持っているのですが、温暖地の
雪はおかしいとかねてから疑問がありましたが
降ることは降るのですね。

次はいよいよこちらに近づかれるのですね。

投稿: matsubara | 2017年5月19日 (金) 08:03

こんにちは。富士川あたりからの富士山は本当に雄大ですね。蒲原はやはり雪が降ったことがあるんですね。

投稿: 多摩NTの住人 | 2017年5月19日 (金) 08:30

広重のこの絵を観て
北の雪国のことかと思っていました。
蒲原でもが降ったことがあるということは
珍しいことだったのですね。
だから描かれたのかもしれませんね。

投稿: zooey | 2017年5月19日 (金) 12:14

tonaさん、こんにちは~♪
富士川は新幹線や、バスツアーで何度も渡っていますが、
川幅が相当あるように感じました。
けっこう歩かれたのではありませんか?
富士山の眺めも壮大で美しいですね。
角倉了以は高校の日本史で学びましたが、
名前位しか覚えていませんでした。
歴史を身近に感じながら歩けるのも街道歩き良さですね。
蛇にはギョギョッとされたでしょう?
昔から長いこと旅人を守ってきた、道祖神やたくさんの常夜灯は
旧道の雰囲気を盛り上げてくれますね。

投稿: hiro | 2017年5月19日 (金) 13:21

★佐平次さま

ありがとうございます。
小布施にもいろいろ饅頭がありますが、ここみたいのはありませんね。
再現してくれたのが嬉しいです。
歩くとこんなのを食べると元気が出ます。
勿論アイスクリームもです。

投稿: tona | 2017年5月19日 (金) 20:59

★matsubaraさま

ありがとうございます。
70kmも改修を命ぜられて、大変だったことでしょう。商人も随分使われたのですね。

matsubaraさまは蒲原の切手をお持ちなのですか。凄いですね。
静岡県が長くてまだまだそちらの方には近づけないのですよ。袋井もまだまだ先ですがそこが全体の半分だそうです。

投稿: tona | 2017年5月19日 (金) 21:03

★多摩NTの住人さま

ありがとうございます。
冨士川が新幹線に乗っていますとどの辺にあるのかも知りませんでした。あっという間に通り過ぎますからね。
冨士さんの裾野が随分広く見えるところなのですね。愛鷹山が遠い昔飛んでしまって富士山より低くなったのが良かったのか悪かったのか。多分富士山の美しい姿が半減したのかもしれません。

投稿: tona | 2017年5月19日 (金) 21:13

★zooeyさま

ありがとうございます。
zooeyさまのおっしゃる通りだと思いました。
全く雪が降らないところと決めうつけていましたが、土地の人に二人に聞いて見ましたが降ったことがあるそうなのです。江戸時代の末も降ったのでしょうね
まったく北国の風情ですね。一番美しい絵というのも頷けます。

投稿: tona | 2017年5月19日 (金) 21:14

★hiroさま

こんばんは。ありがとうございます。
冨士川がどのあたりにあるのか歩くまで知りませんでした。
橋が随分と長かったですよ。
端の途中から見る富士山のきれいな事、感動しました。まだ雪がありましたからね。

関西の人として認識していた角倉了以が静岡県の治水事業まで負わされていたなんて、初めて知った事実でした。教科書の歴史はほんちょっとなぞっただけですね。
蛇は大嫌いなのですよ。巳年なのに。家にいたら大きな声をを出したでしょうが、ぐっとここではこらえました。
常夜灯がたくさんあり、また信仰の対象だった道祖神を多く見られて、昔の旅人雰囲気を味わいました。

投稿: tona | 2017年5月19日 (金) 21:22

富士山と富士川の光景を写真に撮りたいと思っているのですが
なかなかその機会がありません。
青空のもとの富士山が美しいですね。
旧東海道の街並みが今も残っているところが
あちこちにあり往時を偲ばせます。
Saas-Feeの風はさった峠越えで由比宿まであるいたことがあります。
その他にも松並木の残る旧東海道を歩いていますよ。
四日市宿にも松並木の松が一本だけ残っていますが
昔の旅篭・民家などはあまり残っていません。
tonaさんは旧東海道を歩いて京まで上られるのですか。

投稿: Saas-Feeの風 | 2017年5月20日 (土) 22:05

★ Saas-Feeの風さま

おはようございます。
冨士川からの富士山の景色も雄大なのですね。
冨士川の位置も初めて知りました。
東海道と言えば松、本を読みますとこれから先、美しい松の並木があるとか。
沼津から東海道線沿いにもずっと見える千本松原も圧巻でした。
まだ美保の松原もありますしね。
次回、晴れたら由井からさった峠へ向かいます。晴れていても富士山が見えないことがあるそうで、なかなかベストは望めないでしょうが。
四日宿はまだまだ遠いですね。
最後まで行きたいところですが、果たして成就できるかは疑問です。もう少し若かったらと悔やまれます。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2017年5月21日 (日) 07:57

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