« 2017年5月 | トップページ | 2017年7月 »

2017年6月29日 (木)

尾瀬へ(1)往路

2_700x4976/17~18日に尾瀬に行ってきました。1965年に行って以来52年ぶりでした。梅雨のさなかでしたが雨に降られず、木道を歩いて水芭蕉の花の群落と至仏山、燧ヶ岳の2つの百名山をたっぷり眺めて、思い切り美味しい空気を吸って参りました。

新宿のバスタ7:15発、戸倉着11:05到着。シャトルバスで鳩待峠には12時過ぎ。鳩待峠から山の鼻に降りて、尾瀬ヶ原の木道をゆっくりと歩いて下田代十字路の尾瀬小屋へ4時ごろ到着です。

                     鳩待峠450x338
             途中、見えた至仏山にはまだ雪が残っていた450x338_2
ベンチで昼食。友人宅で作ったキュウリに味噌を塗ったのがおにぎりに合って美味しかったこと!450x338_3
                     サンカヨウ450x338_4
                    オオバキスミレ450x338_5
                    シロバナエンレイソウ338x450
                     イチリンソウ450x338_6
                        川450x338_7
              山の鼻に到着して木道を歩きはじめる450x338_8
450x338_11
                     白樺と水芭蕉450x338_9
                  燧ヶ岳が見えてきた450x338_10
                   振り返ると至仏山2_450x338
                       池塘450x338_12
450x338_13
                        川450x338_14
                      燧ヶ岳450x338_15
450x338_16
                     ミツガシワ 450x338_17
                      ワタスゲ450x338_18
                  水芭蕉
450x338_19 338x450_2

                   ショウジョウバカマ450x338_20
                       リンドウ450x338_21
夕食は山小屋としては種類も多く美味しい。歩荷さんとヘリコプターに頼っているようだ。残すようなお代わりはしないでくださいと言われる。当たり前ですが、ゴミは全部持ち返りです。450x338_22
トイレは水洗、洗面所は男女別、上がり湯はなく石鹸は使えないけれどもお風呂があり、おまけに同行4人だけの個室。隔世の感ありです。
洗面所のお水が天然の湧水でそのまま飲めるとのこと。そして部屋の畳がまだ新しい。畳の縁の模様が、尾瀬の文字と水芭蕉でした。338x450_3
                     (2日目に続く)

| | コメント (14) | トラックバック (0)

2017年6月26日 (月)

東海道五十三次歩き5 由比~江尻(清水)(3)

興津の宿も終わると、向こうの山の上に清見寺(せいけんじ)が見える。
入口の門を入ってから跨線橋で線路を渡って、総門をくぐる立派なお寺である。450x338
由緒ある名刹で、足利尊氏、今川氏、徳川家康が手厚い援助をした。家康は朝鮮や琉球からの通信使を清見寺で丁重にもてなした。その接待は瀬戸内海の島でも見たことがある。450x338_2
450x338_3 450x338_4

                                                 本堂450x338_5
五百羅漢 天明年間の作者不詳の五百羅漢を見ていると楽しい。島崎藤村の『桜の実の熟する時』の最後の場面にこの五百羅漢の話が出てくるそうで、読んだのに何も覚えていません。
薩埵峠と共に今回のハイライトなのです。450x338_6
450x338_8
450x338_9 450x338_10


338x450 450x338_11


7_338x450 338x450_2


9_338x450 10_338x450

線路を挟んで斜め向かいの、西園寺公望公別邸「興津坐漁荘」へ。
公望が大正8年興津清見寺町に建てた別荘で、現在は明治村に移築されている。明治村で見たことを思い出したが、ただただ竹が多く使われていたことが印象に残っている。
ここにある現在の建物は忠実に復元されたもので、明治村と全く同じ様に見ることが出来た。
広い屋敷で竹がふんだんに至る所に使われ竹の中に鉄骨が入っていて侵入できないようになっていたりして、優れた職人の技を垣間見ることが出来る。
ここで家系図を貰ったのだが、生家も、養子先の西園寺家もその祖先は藤原鎌足である。
松方公の死後、最後の元老(天皇の諮問に応える強力な発言権を持つ重臣)。先の水口屋もここ坐漁荘も無料でボランティアガイドの説明も受けられる。450x338_12
450x338_13
                              鶯張りの廊下がキュッキュッと良く鳴る事450x338_14
                                           ナツツバキ450x338_18

                                     静岡市清水区の消火栓450x338_16
    井上馨の座像が清見潟公園内あった。旧廷がこの辺りにあったらしい。450x338_17
                         延命地蔵尊を覗いてみると立派な中であった450x338_19
東光寺
青面金剛童子は単なる石であった450x338_20
鑑真和上将来の中国菩提樹(太宰府戒壇院より)。とても良い香りの花だ。Wikipediaによれば栄西が中国よりもたらしたと書かれるシナノキ科。インド菩提樹はクワ科、欧州菩提樹はセイヨウシナノキ。2_450x338
旧東海道の松並木に311本あったというが今は2本残ると書いてあったが、1本になっていた。松って年数が経っても余り太くならないですね。338x450_4
                                                 馬頭観音338x450_5
分岐点の細井の松。ここも細井の松原が続いていたという。昭和19年、航空燃料の原料として松根油採取のために伐採されたそうで、その時行き倒れた人の人骨が多量出土したそうだ。338x450_6
清水駅のちょっと手前が江尻宿の東木戸跡だが見つからなかった。

          駅前ロータリーの東照宮記念塔。久能山東照宮まで11㎞とのこと。338x450_7
例によって地元まで帰り、「北海道」で海鮮サラダやズワイガニ入りチーズフォンジュ、いくらおにぎりなどを食べて9時半帰宅。

この日の大失敗:時計を20分過ぎと20分前と間違えて40分遅くなったので目覚ましが鳴ってから5分で家を出、駅までマラソンして起きてから15分で到着したこと。おかげで近頃なかった筋肉痛に3日間くらいさいなまれた。時計さえもセットを間違えるようになってチョイボケがひどくなり悲しい。まだこだまだからいいけれども、指定席のひかりやのぞみになったらアウトね。

| | コメント (18) | トラックバック (0)

2017年6月25日 (日)

東海道五十三次歩き5 由比~江尻(清水)(2)

17番目の宿・興津宿へ向かう。興津の地名は、オキツヒメ女神説や奥津、つまり湾の奥に位置する津(港)、平安末期から興津一族が収めていたから等の説がある。東本陣、西本陣、脇本陣、旅籠24軒の宿場であり、甲州を結ぶ身延道の起点でもあった。

峠を降りると、スモークツリーやアジサイの花が咲き蝶が舞う、のどかな道を歩き興津川に出る。338x450_6
450x338_13
450x372_2
450x334_2

興津川は東海地方の鮎釣りのメッカで、東日本のトップを切って解禁されるそうだ。

450x338_2
                                    昭和20年の水難者の供養塔338x450_2
少し行くと「女体の森 宗像神社」という変な名前の神社がある。女体とは祭神がオキツヒメ女神である説、霧に覆われた神社の森が海上の漁師に女体に見えた説がある。450x377
450x338_3
                                          身延道入口
450x338_4
少し入った所に「ずんどう焼き」の店がある。この辺りは菓子屋が多く、興津が、私の大好きな餡子、製餡業発祥の地とも言われ、この後たくさん見かけた。一方ここには昼食を食べる店が一軒も見当たらず、ずんどう焼き屋で昼食にする。後で持ってきた野菜や果物を公園で食べる。
ずんどう焼きは回転焼きと同じようで、6種類、ツナ、キムチ、クリーム、おぐら、茶おぐら、ウグイスで半分ずつ食べました。ツナ、キムチが意外や美味しい。
450x338_5

一里塚塚跡の石柱、日本橋から41里目を過ぎると興津駅だ。興津地場産品産業が書いてあった。
お菓子の他、興津鯛、花の栽培、醤油、紙布製品、そして主力産業が木ネジだそうだ。450x338_6

理源寺 宿場はここ辺りから名刹清見寺の手前まで。
ここには目の不自由な人々のために尽くした眼の神様「意眼さん」が祀られている。338x450_3
門前には「東海道行路病死 無縁各霊供養塔」がある。過酷な旅だから行き倒れも多かったのでしょうね。338x450_4
                  線路を渡って耀海寺450x338_7
耀海寺 1510年創建。日蓮宗総本山久遠寺の直末寺で、天皇家、徳川家とも関係が深い。450x338_8
境内にある元身延道入口にあった身延道の道標がある。大火で折れて上部のみがこの寺にあったが、下部も発見されてつながれたという。338x450_5

脇本陣水口屋跡  明治以降は旅館として、西園寺公望や伊藤博文をはじめ、昭和天皇皇后両陛下も宿泊された。しかし昭和60年に400年の幕を閉じたが、平成11年に水口屋ギャラリーが開館し、説明付きで所蔵品を見ることが出来た。450x338_9
450x338_10

波切不動院 眺望がよく、行基菩薩が造ったとされる不動明王が祀られている。
上って行く途中の階段に鳥が。先日見たイソヒヨドリの雌のようだ。450x428
                    清水港が見えた450x338_11
             ズームすると向こうに美保の松原が見えた450x338_12

                        つづく

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2017年6月20日 (火)

東海道五十三次歩き5 由比~江尻(清水)(1)

700x339_2
6/14 この日は待ちに待った薩埵峠です。週間天気予報ではずっと曇りの予報が、前日から晴れマークが入っていつもの7時前の新幹線に乗り、三島から東海道線に乗り由比へ。沼津で乗り換えたりしていて由比には8時45分頃に到着。
東海道線は由比駅~興津駅~清水駅間を歩く。約34000歩、17km。

由比駅前の由比桜えび通りのアーチにさよならし、歩きはじめるとツバメがたくさん飛び交っていて家々の軒を覗きながら進む。由比と薩埵峠は桜えびと初夏はツバメ、枇杷の町としてしっかり刻み込まれました。450x338
450x337
前回寄った小池邸の斜め前の明かりの博物館を通り過ぎ、いよいよ薩埵峠へと向かう。だんだん上り坂になる。450x338_13
この間も枇杷畑が多かったが、薩埵峠全体が枇杷農家が多く、各家では枇杷が売られている。9つ入って300円のを買って峠に登った時に食べた。ジューシィで美味しい。450x338_2
450x338_3

ここで鞍佐里(くらさり)神社に登って、小田原で見えて、三島では見えなかった富士山が見えるかを確かめてみる。見えました!450x338_4
この辺りが間宿(あいのしゅく)・西倉沢となり、川島本陣跡、その隣に明治天皇が休息された柏屋があり、続きに脇本陣の望嶽亭藤屋がある。『歩いて旅する東海道』によれば、官軍に追われた山岡鉄舟が望嶽亭の主人に海岸へ逃してもらったというエピソードが残っているとのことだ。
           望嶽亭藤屋は室町時代から続く、現代24代目。450x338_5

一里塚跡からいよいよ峠に向かって登り始める。振り返ると富士山に少し雲が増えてきた。薩埵山は標高244m、薩埵峠は標高200mだ。338x450
450x338_6
広重の絵に描かれた位置辺りにやって来た。昔山際が海岸線間近に迫っている道の難所だった。
広重の絵の海岸辺りには今は海岸から東名高速、国道1号、JR東海道線がくっついて走っているのが見える。富士山とカーブを描いた駿河湾が絶景である!253x450
450x338_7
346x470
広重の絵では砂浜はなく、急な崖になっているが、安政元年の地震で隆起したそうで、以降、通れるようになったそうだ。

薩埵山は地形上、歴史的合戦の地で、足利尊氏、武田信玄と今川氏や信玄と北条氏などとの合戦があった。

枇杷や蜜柑の収穫用のトロッコが所々に見える。芥川龍之介の短編『トロッコ』を思い出す。450x338_8

面白い花を見ながら枇杷を食べ、名残惜しく富士山と分かれ峠を降りる。チリアヤメと教えていただきました。Oさんいつもありがとうございます。450x338_9
450x338_10
            海岸を見下ろしたら赤潮らしきものが見えた450x338_11
           峠の最後、往還坂を降りるとそこは墓地であった450x338_12
                       つづく

| | コメント (20) | トラックバック (0)

2017年6月16日 (金)

川柳&「バベルの塔」展

先日のクラス会で、神戸で宿泊などお世話になったMさんがみんなに、シルバー川柳の選り抜きを印刷してきてくださって、いっとき大笑いしました。
いやになるくらい殆ど当てはまって、一緒に勉強していた55年くらい前、思いもつかなかったことです。日々失敗が多いけれども、こうしてボケないで笑えるうちは最高です。
330x600_330x600_248x450
      <<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<

ブリューゲル『バベルの塔』展 於東京都美術館

ボイスマン美術館所蔵のもう一つの「バベルの塔」を見てきました。(クリックで拡大)

700x559 494x700 495x700

チラシの1枚目(59.9×74.6㎝)ですが、なんと1400人の人がいるらしいのです。人がいろいろな作業やしぐさをしているのですが、2~3㎜の大きさにしっかりその様子が描かれているとのこと。点として確認できるかできないかの人をです。この細部のリアリティは、これはもう超絶技巧としか言いようがない。拡大した絵(真中の絵がその一部)があったのでやっと人の確かな存在を確認しました。ミクロの想像力と表現されてもいる。
もう1枚のいわゆる「大バベル」は114×155㎝でかなり大きく、人の存在がきちんと見える。

そしてブリューゲルはあの奇妙な絵を描いたヒエロニムス・ボスの影響を受けていて、版画として22枚も来ています。ボスの絵と見間違えてしまう。
ボスの作品は有名な2点「放浪者(行商人)」と「聖クリストフォロス」ですからあの奇怪な絵とは違うけれどもなかなか味わい深いです。

動物園にパンダの赤ちゃんが生まれて祝福ムードの上野ですが、動物園側は改修中なのでしょうか、こんな塀がめぐらされています。
ハシビロコウ(嘴広鸛)は読めなかったです。動物園にいるのですね。
Hei_450x253


| | コメント (23) | トラックバック (0)

2017年6月13日 (火)

京都へ(3)大徳寺~鷹ガ峰

(2)で(つづく)を忘れましたが最終回です。適当に読み飛ばしてください。
3日目は、洛北の静かな一帯にある、一休、利休、光悦ゆかりの寺巡りをすることにしていました。
2泊させていただいた、5つ星ホテルのような居心地の良い素敵な友人宅を辞し、夙川駅から大阪を経て京都へ。
京都観光一日乗車券を買って、京都駅から地下鉄烏丸線で北大路駅下車、北大路バスターミナルから大徳寺へ向かう。

<大徳寺とその塔頭>
大徳寺  臨済宗大徳寺派の総本山。別院2ヶ寺と22の塔頭を有する。

                      勅使門450x338
山門 千利休が自身の雪駄履きの木像を楼門の二階に設置したと言われる逸話はここだったのでしょうか。様々な説10以上もあって真相はわからない。大徳寺は村田珠光、千利休など多くの茶人の帰依を受け、茶道とかかわりが深い寺。450x338_2
                仏殿と法堂
450x338_3 450x338_4


以下塔頭
高桐院 細川家の菩提寺。千利休の邸宅を移築したという書院や茶室がある。細川忠興と細川がラシャの墓もあるというが、いずれもこの日は見られなかった。
450x338_5 450x338_6

大仙院 撮影は許されないけれども室町時代最古の方丈建築の国宝・方丈と特別名勝の枯山水の庭が素晴らしい。相阿弥、狩野元信・之信の襖絵は名作で世界美術史上欠くことが出来ない存在だそうだが、嗚呼、もう思い出せない。歴代和尚に古渓和尚(利休と懇意)や沢庵和尚がいる。450x338_7
450x338_8
興臨院 能登の守護・畠山義総によって建立され、畠山氏の菩提寺になった(1520年代)。畠山家没落後前田家の菩提寺になった(1581年)。
花頭窓、方丈前庭や美しい紅葉、茶室などが目を引く。
450x338_9 450x338_10

450x338_11 450x338_12

・千躰地蔵塚
450x338_13 450x338_14

黄梅院 織田信長が28歳の時初めて入洛し、父・信秀公の追善菩提のため小庵・黄梅院を建立。秀吉が主君の塔所としては小さいということで塔頭「総見院」を大徳寺境内に建立した。

                   総見院の信長公廟所338x450
                    黄梅院入口450x338_15
小早川隆景は鐘楼・客殿・庫裡などの普請奉行だったし、表門を寄進した。450x338_16
      撮影が許されたのはここまで。枯山水の庭が素晴らしかった。450x338_17
450x338_18
以上、あの憧れの一休さんのお寺と塔頭を見られて一応満足。肝心の一休和尚が住んだという「真珠庵」はどこのあるかもわからず見られず、庫裡、方丈、唐門などは春と秋にしか公開されない。

<鷹ガ峰三寺> 洛北のなだらかな鷹峰三山(鷲ヶ峰、鷹ヶ峰、天ヶ峰)の山裳にある三寺。光悦ゆかりの地。
行き方が難しくバスターミナルに戻り、食事をした後、再びバスに乗り、行程が変なので途中下車、人に聞いて、また別のバスに乗りやっと辿り着けたのでした。(結局は最初のバスで行けたことが分かったけど後の祭り)

常照寺 日蓮宗 
本阿弥光悦の土地寄進とその子、光瑳の発願により、身延山第21世日乾上人を招じて開創された鷹峰檀林(学寮)の旧蹟。山城六檀林中の一偉観。大小30余棟の堂宇が並び、幾百人となく勉学にいそしむ学僧で賑わっていたと本阿弥光悦行状記に紹介される。

                吉野太夫寄進の山門(赤門)450x338_19
吉野太夫の墓 寛永の頃六条三筋町の廓で天下の名妓として一世を風靡し、その才色兼備を謳われた二代目吉野太夫。夫の豪商灰屋紹益との比翼塚もある。338x450_2
葉が三つ葉なのでミツバウツギ?でも花が少し違うでしょうか。エゴノキと教えていただきました。450x338_20
鬼子母尊神堂 中には三体の鬼子母尊神と眷属の十羅刹女が祀られていた338x450_3
                     妙法龍神450x338_21
             奥には白鳥池や他の池もある
450x338_22 450x338_23

帯塚 女性の心の象徴としての帯に感謝し祈りを捧げる全国初の帯塚(昭和44年)塚石は吉野石で帯状をなしている。毎年帯の時代風俗行列や帯供養が営まれるという。450x338_24

源光庵 曹洞宗 
1346年開創 江戸時代に高僧卍山禅師により曹洞宗に復古された。450x338_25
                本堂、釈迦牟尼佛のお顔が見えた450x338_26
丸窓「悟りの窓」と角窓「迷いの窓」 円形は「禅と円通」の心を、角は「人間の生涯」を象徴し生老病死の四苦八苦を表しているという。
450x338_27 431x450

血天井 伏見桃山城の遺構。関ヶ原の戦いの前哨戦「伏見の戦い」で家康の忠臣・鳥居元忠一党1800余人が石田三成の軍勢と交戦したが、討死し、残る380余人が自刃し相果てた時の痕跡。今もここの他5つの寺に存在する。338x450_4
450x338_28

光悦寺 日蓮宗 この辺一帯を鷹ヶ峰光悦町と称び、1615年家康が光悦に野屋敷として与えた土地である。一族の他、種々の工芸に携わる多くの職人と共に住居を構え、工芸集落を営んだ。338x450_5
450x338_29
                     光悦垣450x338_30
寺内にはいくつかの茶席が設けられている。本阿弥家は代々刀剣関係が家業だったが、光悦は、茶道、作陶、書道絵画における歌巻、謡曲本、蒔絵、彫刻、書道など多種多様に活躍した。80歳で亡くなる。
450x338_31 450x338_32

                     光悦の墓所338x450_6
                    東山三十六峰450x338_33
                 左・鷹ヶ峰、右・鷲ヶ峰450x338_34
ここ鷹ガ峰は光悦を中心として、一方は学僧の勉強の場、もう一方は芸術の新様式を確立した地であったのです。

これで京都観光を終えましたが、紅葉の緑が最も美しい時期であり、伏見稲荷以外は比較的すいていて良かった。長い京都における歴史の一齣を垣間見ただけですが、また新たに頭に刻み込めたことは嬉しいことでした。いつもながら長くなってしまいました。ご拝読ありがとうございました。

| | コメント (21) | トラックバック (2)

2017年6月10日 (土)

京都へ(2)伏見寺田屋周辺、東寺、大阪

午後は伏見の寺田屋方面へ。京阪本線で中書島駅で降りる。
京橋を渡る。宇治川派流と書かれた川は宇治川から淀川に通じている。
淀川からの三十石舟、高瀬川からの高瀬舟、宇治川を下ってきた柴舟などがひしめき合って、数十軒の舟宿が立ち並んでいた。旅館「寺田屋」がわずかに昔の名残をとどめている。
この場所は伏見の戦いの激戦地でもあった.。
450x338 338x450

寺田屋450x338_2
                  坂本龍馬先生遭難の跡碑338x450_2
坂本龍馬襲撃事件
1866年3月9日、京での薩長同盟の会談を斡旋した直後に薩摩人として宿泊していた坂本龍馬を伏見奉行の林肥後守忠交の捕り方が捕縛ないしは暗殺しようとした事件。龍馬は負傷しながらも薩摩藩に保護されたと言われる。

龍馬愛用の部屋 この龍馬の掛け軸は、幕末の風雲急を告げる薩長連合に、東奔西走する龍馬の身に忍び寄る殺気を感じた女将お登勢が、嫌がる龍馬に奨めて、街の画家に描かせた絵像。これが絶後のものとなり、京都円山公園の銅像のモデルになった。450x338_3
450x338_5 450x338_6

450x338_7 338x450_3

450x338_8 338x450_4

酒蔵の町・伏見の風情は、再現された十石舟に乗ると堪能できそうです。まるで九州の柳川のようです。
2_450x338 450x338_9

450x338_10 450x338_11

338x450_5
450x338_12
                    会津藩駐屯地趾338x450_6
伏見の最後は「御香宮神社」にお参りする
境内から香りの良い水が湧き出たので清和天皇より賜った名前。現在も名水百選が湧き出ているそうだ。本殿は重文で徳川家康によって建てられた。450x338_13
450x338_14

京都駅へ戻り、友人と待ち合わせて世界文化遺産の東寺へ向かう。真言宗、弘法大師様の寺。

講堂 1491年に再建された純和風の重文。堂内には、大日如来を中心にした五如来、五菩薩、五大明王、四天王、梵天、帝釈天の21躯の仏像が安置され、素晴らしいの一語に尽きる。21のうち16躯は国宝だ。450x338_15
金堂(東寺の本堂) 国宝。1486年焼失したので、豊臣秀頼が発願し1603年に竣工。天竺様の構造法を用い、細部に唐・和風の技術が取り入れられている。
薬師三尊・十二神将 金色に輝き、薬師寺の薬師三尊と随分違った印象で、桃山時代の康正作。450x338_16
                   五重塔(国宝)と瓢箪池338x450_7
1644年に家光の寄進によって竣工した総高55mで、現存する日本の古塔中最高の塔。
この日は耐震構造の宙ぶらりんの心柱と、心柱を囲む四仏坐像を鑑賞できました。338x450_8

大阪へ 友人に手配していただく
天満橋ベストビュークルーズ」 天満橋の八軒家浜というところから大川をクルーズ。30分。大阪城や中之島でのローズフェスティバルが眺められた。450x338_17
450x338_18
450x338_19
450x338_20
  夕食は曽根崎の「ゆかり」でお好み焼き。なんとも美味しいお好み焼きでした。450x333
最後に近松門左衛門の「曽根崎心中」ゆかりのお初天神露天神社)にお参りする。450x338_21
450x338_22


2日目は休息日。お昼に奈良のクラスメートが訪ねてくださり、近所で中華料理をいただく。
夕方六甲山頂付近の六甲山ホテル(標高769m)で食事をしながら神戸の夜景を見に出かけたのですが、あいにくの天気でやがて霧がかかってしまった。残念無念。お食事は神戸牛のバーベキューにバイキング。肉は半分くらいでもうお腹が一杯になってしまったのも残念。若くないからなあ~。450x338_23

| | コメント (18) | トラックバック (1)

2017年6月 7日 (水)

京都へ(1)伏見稲荷大社

5/23~25に西宮市に住む友人宅に宿泊させていただき、京都と、大阪・神戸の夜を過ごしてきました。

一日目は京都へまっしぐら。今、東海道を、えっちらおっちら歩いていて果して京都に辿り着くか怪しいけれども、「のぞみ」で2時間18分で到着してしまった。
この間歩いた沼津から由比あたりはあっという間に通りすぎ、それでも、もう、懐かしい富士川の歩いた橋を撮ることが出来た。小田原辺りでは富士山が見えていたが、この日は雲の中です。450x338
向かった先は伏見稲荷大社です。一人だから緊張しながら在来線に乗り換えお目当ての駅にすぐ到着。スイカが使えて便利になりました。

全国に約3万社ある稲荷神社の総本宮。和銅4年(711年)、秦伊呂具(はたのいろぐ)が稲荷山の三柱の神を祀ったことを起源とする。
稲荷山(標高233m)全体が神域で甲子園の22倍の広さがある。

殆どの方々が行っていらっしゃるこの大社、お馴染みの風景をバシバシ撮って、下手な写真を並べてしまいました(;´д`)トホホ…

          稲荷駅に着くと目の前の鳥居の奥に楼門が見える450x338_2
楼門 外国人と修学旅行生で大混雑 天正17年(1589)豊臣秀吉の母・大政所の病気平癒を祈願して寄進したといわれる。450x338_3
本殿 五間社流造。檜皮葺で唐破風。1499に再興されたもので室町、桃山時代の両方の特徴を併せ持つ。
「流造」って何? Wikipediaによれば、屋根が反り、屋根が前に曲線形に長く伸びて向拝(こうはい、庇)となったもの。その構造は、切妻造・平入であるが、側面から見た屋根形状は対称形ではなく、正面側の屋根を長く伸ばす・・・・とある。この写真では全然わかりません。下調べなしで痛いこと多し。450x338_4
鳥居が現れた 江戸時代より願い事が「通る」「通った」と言う祈願と感謝をこめて、鳥居を奉納する信仰があった。338x450
奥宮(他の境内社とは別格)。境内社がその他次々と現れたが、鑑賞もせず通過。450x338_5
千本鳥居 奥宮から奥社まで約150mの参道にトンネルのように2列に連なる。右側通行とあるので右側に入っていく。450x338_450x338
振り返る。奉納者の名前や奉納年月日が書いてある。小さいのから大きいのまでいろいろな値段が書いてあったが、うろ覚え、小さいのは175000円だったか、大きいのは100数十万円以上する。338x450_2
鳥居は神域の入り口で境界の役割を果たす。災厄を防ぐ色として朱色が用いられる。境内には1万基の鳥居があり平均一日3本の修理が行われている。
                     古くなった鳥居338x450_3
                    修理をしている人338x450_4
奥社 千本鳥居が終わると奥社が現れる。稲荷山の山麓に位置する社殿で、神域である山全体を拝むための場所。450x338_6
                   まだまだ鳥居が続く338x450_5
           途切れるとこんな風景が。そしてまた鳥居が続く。450x338_7
450x338_8
                   三ッ辻からの景色450x338_9
           四ッ辻450x194
                 四ッ辻からの京都市内450x338_10
午後の予定があるので、この上の上社を巡る、お山巡りはやめることにした。

            お昼は駅前であなご丼とうどんセットを頂く。450x338_11
                       (つづく)

| | コメント (17) | トラックバック (2)

2017年6月 3日 (土)

危うかった後にヒトツバタゴ(ナンジモンジャ)に会える

5/19、飯能市の周助山の続き、楢抜山(標高553m)に登りました。
4/8とは咲いている花も一変していました。
アカバナユウゲショウのそばにアカバナユウゲショウの白花が。初めてですが、ネットで調べると存在しています。

337x450
450x338
               シロアヤメにそっくりなのですが・・450x338_2
                    フタリシズカ450x338_4
ヤブレガサが開いたものと思われます(モミジガサに似ていますがヤブレガサと葉の形が違う)450x338_5
                    コガクウツギP1070110_450x338
450x338

以前なかったケルンが。誰か好きな人がこの1ヶ月の間に作ったのか。
山岳パトロールのみなさんはこうしたケルンを発見次第、ケルンを壊し、石を元の位置に戻す作業を行っているそうです。自然環境の汚染、破壊につながる行為だそうです。1_338x450
338x450

前回と同じ周助山をもう一度通り、その後楢抜山登山口からその頂上へ登山道があったので一気に登ることが出来たのでしたが・・・

頂上には標高の違う、新旧の表示板が貼ってあり、三等三角点もありました。
450x338_6 450x338_7

450x338_8
              その下にはロッククライミングの練習場450x338_9

この2つの山は、よくよく本のコピーを読むと、
「展望絶無、読図トレーニングに特化した全山植林の尾根歩き」と書いてありました。
林業や送電線保守の踏跡は山中に多数あるが、登山道としての整備は皆無とのこと。
登山道の整備がないと言ってもここ、周助山、楢抜山の頂上にまではありました。
ところが、本の方の地図をよくよく見ると、下山は道のない急斜面と書いてあるではありませんか。家に帰ってからでは遅すぎ。
しかしリーダーが地図が読めて、磁石も持っていたので、その道のない急斜面を降り、川を渡って(丁度浅瀬があった)林道に出ることが出来た。ちょっと外れた所に降りたので林道を長々と歩いたけれども、やっと茶内という集落に出てほっとしたのでした。

 そこに咲いていたのがヒトツバタゴ。本当に久しぶりに見ることが出来ました。450x338_10
450x338_11
              バス停の横に面白い塀がありました450x338_12

家人たちにお目玉を食わなかったのが嬉しかった。丘陵地帯ばかりになったのでここ暫く山岳保険に入ってなかったので、急遽入る手続きをしたところです。

       *:;;:*+*:;;:*+*:;;:*+*:;;:*+*:;;:*+*:;;:*:;;:*+*:;;:*+*:;;:*+*:;;:*+*:;;:*

410x600昨日、大学のクラス会があって、14人中11人、遠い山口県、兵庫県、長野県からも。
終わって大学構内の奥まで云十年ぶりに巡り、その後、昨年大みそかに亡くなった友人宅へお参りに出かけ、先立たれた御主人と娘さんとしばし思い出のひと時を過ごしました。
次回また元気に会えるかねなどと言いながら分かれたのですが、帰った家の机上には1昨日借りてきたこの本が鎮座していて、「エンディングノートを作る」と言う所を参考にしていよいよ準備に取り掛かるかなあという心境です。すぐか、5年後か、10年後かわからないけれども、死に急ぐわけでないけれども、友人の遺影を眺めて用意だけしようと思った次第です。
簡単な記述だけに終わりそうですが。

| | コメント (18) | トラックバック (0)

« 2017年5月 | トップページ | 2017年7月 »