« 2017年6月 | トップページ

2017年7月23日 (日)

『続・ざんねんないきもの事典』

426x600_2
今泉忠明 監修
下間文恵 フクイサチヨ ミューズワーク 絵 文章にマッチした絵が素晴らしい。
丸山貴史 文

2冊目はざんねんな「体」「生き方」「能力」の他に「こだわり」が加わっています。其々に笑ってしまう。暑いと笑うのがとてもよろしい。今日は涼しくなりましたが。
進化を遂げていく動物ですが、進化とは体のつくりや能力が、長い時間をかけて変わっていくことで、「なりたい」と思って起きるのでなく自然の中で一所懸命に生きていたら、たまたまそうなっただけのことだそうです。

まず「ざんねんなこだわり」では「やらなくてもよさそうなのに何で!?」と言う生き物の紹介

・ジャコウネズミは迷子にならないように全員繋がって移動なので、最後尾が敵に掴まると、家族そろって全滅するのが弱点
・クマサカガイは自分も貝なのに、他の貝の殻や小石をべたべた貼り付ける。個体によって2枚貝専門だったり小石専門だったり、本人しかわからないこだわりがある。自分をゴミに見せるとか、自分を補強しているとか。
・タテハチョウは動物の死体の汁やうんこが大好物。かたいうんこには自分のつばやおしっこをかけて、どろどろに溶かして、吸うのです。あんなきれいな蝶がね。
・ツパイは毎日お酒を浴びるほど飲む。マレー半島にはお酒を出すヤシの木があって蕾から出る蜜が自然に発酵し、人間なら酔っぱらって立てなくなるほどの量を毎日飲んでいるそうだ。

「ざんねんな体」では「どうしてこんな姿になったんだろう?」と言う生き物

・クマノミは全部オスなのだそうです。群れの中で一番大きいオスが性転換してメスになり、残ったオスの中で一番大きなオスと夫婦になって卵をうむ。
・オカピは体から油分たっぷりのオイリーな体液を出して水をはじいている。触るとべとべとするだけでなくチョコレート色の体液がつく。動物園で見るととても美しく見えるのに。熱帯雨林に棲んでいる哺乳類は体温が下がるため毛が濡れることを嫌がるが、オカピーだけはそんなことがないわけ。
・深海のオニキンメは口が閉じられないほどの出っ歯で、せっかく捕まえた魚でも小さめには逃げられてしまう。餌の少ない深海では牙でガッチリ抑えて逃げられないようにするためだったのですね。
・ウミイグアナは海に潜って海藻を食べるため、大量の海水も飲み込むのでくしゃみをして鼻から塩を吹き出す。自分に降りかかって、あら塩で顔面パックされて真っ白け。

「ざんねんな生き方」では「もっとラクな方法があるんじゃない?」という生き方をしている生き物。

・リスはドングリをあまりにあちこちに埋めまくるので、4割は忘れちゃうらしい。あんなに雪で埋め尽くされた冬探すの大変でしょうに、やっぱりねそうだったのね。
・チンパンジーは愛想笑いをする。とても好戦的なので、群の中で「誰が強いか」をとても気にして、自身がないオスは強いオスの前で愛想笑いを浮かべて、機嫌を損ねないようにする。
・ウーパールーパー(メキシコサマランダー)は水が少なくなると、陸上で生活できるように体が変化し、ギョロッとした目玉の悪人ヅラに変態してしまうのだそうだ。見てみたい。
・クジャクグモのオスはダンスが下手だとメスに食べられてしまう。動物のオスは殆どの種類が本当に大変だ。
・サイチョウのメスは卵を産むと全身がハゲてしまう。そのためヒナが孵っても巣から出られない。オスはハゲたメスとヒナに3ヶ月も食べ物を届け続けるが重労働のため、過労死してしまうこともあるとか。
・弱い鶏は鳴きたくてもなかなか鳴けない。なぜなら強いものから順番に鳴いていくからだそうだ。

「ざんねんな能力」では「せっかくの力がもったいない」

・プロングホーンは時速90㎞で走るが、追いかける敵がいない。
・アルマジロの9割はボールになれないが、ボールになれた方が持ち運ぶのにちょうどいいので、食用にされるので絶滅の恐れがあるほど数が減ってしまった。
・ニコヤカヒメグモは鳥に食べられないようにほほえむ。たまたま模様が人間にそう見えるのであって、これは鳥も惑わせる。

なかにはタイトルとちょっと合わないような生物もいましたが、色々な生き物がいて大いに笑えました。必死に生きている動物に笑って不謹慎とは思うのですが。
そういって笑っている自分がこの頃ますます残念な生き物に変化しつつあります。

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2017年7月20日 (木)

東海道五十三次歩き6 日本橋~大森(2)

東海道最初の品川宿は旅人だけでなく、見送りや出迎えの人で賑わった。(朝出て、あるいは江戸に帰ってきて、ここで宿泊する人は殆どなかったのではと思う)
同時に春には桜の御殿山や潮干狩り客で賑わい、秋には紅葉の海晏寺と言う名所もあり、江戸近郊の遊興地であったそうだ。街道にずらりと並ぶ旅籠では芝エビや江戸前の新鮮な海産物の料理が人気を集めた。
又浮世絵にもあるが吉原と並んで一大遊里として、100軒近くの旅籠に「飯盛女」が1500人以上もいたという。
江戸時代末の品川宿は京急線・北品川駅の辺りから、青物横丁と鮫洲の境まで、全長約2.4km、戸数は1600戸であった。
 
京急線に沿って、品川駅→北品川駅→新馬場駅→青物横丁駅→鮫洲駅→立会川駅→大森海岸駅→平和島駅→大森町駅まで歩いた。一駅が短い。
JR品川駅ロータリーから進み、京急本線の踏切を渡ったら八ツ山口で品川宿の入口であった。品川駅は品川区でなく港区にある。本来の品川とは京急の北品川駅南側のこと。

338x450_2
利田(かがた)神社には品川沖に迷い込んだ鯨の供養碑がある。今は埋め立てられ海は遠いが当時は海辺であった。1798年鯨が迷い込んでしまったらしい。天王洲に追い込んで捕えた。これを沖に引っ張っていき、将軍家斉にもこれをご覧に入れた。この鯨がどうなったは書いてなかった。供養碑があるということは死んでしまったのか?450x338_2
                                  品川宿本陣跡 新馬場駅の近く431x450
品川神社(北品川宿の鎮守)線路をくぐった第一京浜沿いにある。
以前ここの写真を載せたけれど、石鳥居には見事なまでの昇龍・降龍が彫られている。450x338_3
                                         その左側には大黒天338x450
他にここには高さ7mの富士塚があり、浅間神社、御嶽神社、板垣退助の墓もある。また江戸時代には品川ネギ・カブ、大井ニンジ、戸越のタケノコが名産品だったとして記されている。七福神巡り発祥の碑もある450x338_4

品川橋 新馬場駅のホームの下を流れている目黒川に架かる橋で、向こうはもう南品川宿。450x202_2
品川宿の松 29番目の宿場・浜松より寄贈された樹齢約80年の黒松で、寄贈主に「品川宿の松」と命名された。ここ街道松の広場には、三島宿、袋井宿、大磯宿、保土ヶ谷宿の松がある。450x338_5
                    保土ヶ谷の松450x338_6
                  問屋場・貫目改跡450x249

青物横丁駅前の品川寺(ほんせんじ)には江戸六地蔵の一つがある。座高2m75㎝で大きい。地蔵というより鎌倉大仏の子分と言う感じ。450x338_7
                 七福神の石像が可愛い450x338_8
450x338_9
338x450_3

1軒置いた隣の海雲寺 千躰荒神で有名。竈の神、火の神、水の神で、火伏せ信仰の寺として多くの人が参詣する。450x446
ここには平蔵地蔵がある。1860年、平蔵と言う乞食が大金が入った財布を拾い正直に番所に届けた上、落とし主からの謝礼も断った。乞食の仲間は怒って平蔵を小屋から追い出し、平蔵は凍死してしまう。これを聞いた財布の落とし主が、地蔵を建てて弔ったという。憐れな地蔵。450x338_10

鮫洲駅を過ぎ、立会川駅に続く商店街に入ると、20歳の龍馬像が立つ。商店街が龍馬がいた土佐藩下屋敷から土佐藩が築いた浜川砲台への道筋にあり、若き日の龍馬が歩んだ道ということで、この銅像があるのだという。338x450_4
450x338_11

旧道と第一京浜が合流する手前に鈴ヶ森刑場跡がある。丸橋忠弥、天一坊、白井権八、八百屋お七、白木屋お駒など、演劇などで知られた者が処刑されたという。338x450_5
                     磔台と火炎台450x338_12

そのすぐ先のしながわ区民公園は憩の場所。しながわ水族館もある。とここはもう大森海岸駅だ。450x338_14
450x338_15
450x338_16

  更に歩き平和島駅の手前、平和島入口から次の大森町駅まで旧道に入る338x450_6
                 すぐ三原不動尊がある450x338_17

ここ大森は大きな森があったことに由来する。品川宿と川崎宿の中間地点で間の宿として賑わった。
また海苔の生産地だったので今でも海苔店が多い。平和島駅の手前の「大黒屋」ではのり大福が売られているそうで楽しみにしていたが、休日でした。残念無念。それならもう一駅歩こうということで大森町駅まで歩いた。

途中内川橋で内川を渡るところにするがや通りという案内板があったが、この通りはかつての羽田道で、川崎大師や穴守稲荷に行く道として利用されたそうだ。338x450_7
                       おわり


 

| | コメント (16) | トラックバック (0)

2017年7月17日 (月)

東海道五十三次歩き6 日本橋~大森(1)

6/28(水) 江尻宿の続きを予定していたのに、雨が降る予報だったので日本橋からに変えました。三島までは大体知っている所なので後でもいいかと雨の日に回すことに(箱根は無理ですが)。
日本橋をゆっくり10時頃出発して、京急大森町駅には夕方6時半近く、約40706歩でした。

「♪お江戸日本橋七つ立ち・・」と謳われたように江戸時代は、七つ(5月ごろなら午前4時頃)、まだ暗いうちに発って、今の田町と品川の間くらいにある、東海道の玄関口の高輪大木土門が開けられる頃にたどり着いた。木戸は明け方六つ(午前6時)に開き、暮れ六つ(午後6時)に閉じられた。

日本橋の四隅には日本国道路元標のレプリカ(本物は道路の真ん中にある)、日本橋由来記、日本橋魚市場発祥の地碑、罪人の晒し場跡がある。
450x338
橋が架けられたのが1603年、何度か消失し、現在の二連アーチ橋は明治時代の終わりに完成し、重要文化財だ。五街道すべての起点だ。

百十四銀行(本店は高松市) 明治5年に国立銀行条例に基づいて開設された153の国立銀行のひとつで、他に5行(四、十六、十八、七十七、百五)当時の名前で営業。見たことあるようないような。114_338x450
東京駅八重洲口からのびている中央分離帯に、オランダ人航海士ヤン・ヨーステンの碑がある。450x338_2
京橋辺りに来ると「江戸歌舞伎発祥の地」「京橋大根河岸青物市場跡の碑」がある。450x338_3
338x450
銀座発祥の地碑や銀座の柳の碑(ちなみに今の柳は2代目)等を通り過ぎると新橋のお馴染みの「芝大明神」や「増上寺」に至る。もうここで早めの昼食はお寿司。雨が止む。
芝大明神には昔この辺りは生姜畑が多かったということで生姜塚がある。338x450_2
増上寺では今回は山門横の「グラント松」を知る。米国第18代大統領グラント将軍は明治12年、国賓として日本を訪れ、増上寺に参詣し、記念としてこの松を植えたとのこと。450x338_4
こちらは41代大統領パパブッシュが副大統領として昭和57年、来日の時、増上寺訪問の際のお手植えの「ブッシュ槇」のコウヤマキ。338x450_3

田町に入ると、田町薩摩邸跡があって、ここが江戸無血開城の「西郷・勝会見の地」碑がある。450x338_5
                     シマトネリコ450x338_6
450x338_7
                      東京タワー338x450_4
三田の「元和キリシタン遺跡」 徳川家光が1623年、50人のキリシタンを処刑したという。450x338_8
この日はどこの神社にも茅の輪があって、我々は御田八幡神社にてくぐり、心身清浄を祈願する。338x450_5

高輪大木戸跡 朝6時に開いたという大木戸跡に到着。昼食をはさみあちこち寄り道があったので、すでに2時間どころか3時間40分位経っていた。450x338_9
四十七士の墓であまりにも有名な泉岳寺 最近ここを見ているのでさすがに覚えている。2年前には赤穂城も見てきた。
                  お寺と大石内蔵助の墓450x338_10
338x450_6
高輪大木戸から品川宿まで東海道の東側は石垣の海岸だった
                  高輪海岸石垣の跡450x338_11
品川駅ロータリーの品川駅創業記念碑 (明治5年の時刻表と運賃が裏に刻み込まれている)338x450_7
(2)は品川宿から大森まで京急線に沿って歩いた記録を。つづく

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2017年7月14日 (金)

緑の「信州」と青の「越後」(3)

<3日目> 信州へ

最終日は緑の信州ということで行ったことがあるところもあったが、梅雨時は初めてで、緑と水を楽しんできました。

                朝食のバイキングは和食に450x338

小鳥ヶ池(戸隠山)
前回は戸隠山の紅葉の鏡池を見に行ったが、今回は戸隠山のもう一つの池・小鳥ヶ池へ。
ごつごつした戸隠山を写す美しい池だった。小鳥の声は聞こえなかった。
450x338_2
450x338_3
450x338_4

戸隠古道 奥社参道入り口から随神門まで。前回は奥社まで杉並木を通って登山した。

                   奥社参道入り口450x338_5
                      奥社参道450x338_6
  ミヤマカラマツ(葉が良く写っていなかったけれどカラマツソウとは違っていた)450x338_7
                     ギンリョウソウ338x450
450x338_8
                    サルノコシカケ450x338_9
                      随神門450x338_10
     樹齢400年のクマスギ並木 500mにわたって200本植えられている338x450_2

安曇野

         クリアボートに乗る。緑色の澄んだ清流の美しいこと!450x338_11
450x338_12
450x338_13
                   珍百景の二つの川2_450x338
450x272
                  正に一緒になったところ450x338_14
      道祖神 安曇野は有名で自転車で廻るとたくさん見つかるらしい450x338_16
                       昼食3_450x338
                    大王わさび農場450x338_17
450x338_18
450x297
450x338_19

おしどり隠しの滝と御射鹿池(みしゃかいけ)・・・茅野市の奥蓼科横谷渓谷にやってきた
                    おしどり隠しの滝338x450_3
                      マタタビ450x338_21
         ミヤマハンショウヅル sさまありがとうございました450x338_22
                   ミヤマカタバミか450x338_24
御射鹿池 東山魁夷の「緑響く」のモチーフとして有名な池である。ため池百選に選定される。このため池で水が温められ、農業が出来るようになったとか。前回は紅葉していたので「緑響く」には程遠かった。450x338_25
450x338_27
白駒池 日本3大原生林の一つに数えられる原生林の中に標高2100mを超える湖では日本最大。北八ヶ岳の麓の八千穂高原にある。
450x338_28
450x338_29
            ほおずきのソフトクリームの美味しかったこと450x338_30
             日本の貴重な苔の森に認定されている450x338_31
450x338_32
450x338_33

中央高速道から山々に別れを告げ、バスの中で夕ご飯弁当を頂き、事故渋滞に巻き込まれ、2時間遅く10時半頃元気に帰宅できました。まだ緑と青が目に焼き付いています。450x338_35

| | コメント (22) | トラックバック (0)

2017年7月11日 (火)

緑の「信州」と青の「越後」(2)

<2日目> 新潟県の海岸方面へ

                    朝食もバイキング(洋食) 家よりついつい食べ過ぎ450x295
                                 妙高山にはまだ雪が残っている450x338

●角田岬
判官舟かくし 1187年、源判官義経が兄頼朝に追われ、奥州平泉に海路おちのがれる際、追っ手を避けて舟とともに身を隠した洞穴。338x450
角田岬灯台
450x338_2
450x338_3
338x450_2
                   佐渡島が見えない450x338_4
                      展望台から450x338_5
450x338_6
ハマヒルガオやハマボッスなどが咲いている
450x338_7 450x338_8

450x338_9
450x338_10

●弥彦神社とロープウェイ山頂駅
弥彦山はスカイツリーと同じ高さと覚えた山(634m)
この山を御神体とする弥彦神社は式内社で、越後国一宮。古事記や万葉集、源義家や源義経、上杉謙信などにゆかりのある神社。450x338_11
450x233
                ロープウェイ。山頂駅は552.5m.。 450x338_12
   弥彦山山頂ではなくて多宝山(634m) sさまありがとうございました。450x338_13
                  山頂の御神廟(写真より)338x450_3
             ロープウェイ山頂駅より越後平野を見る450x338_14
                佐渡島はやはり見えなかった450x338_15
           ギボウシやハマナスが駅のそばに咲いていた450x338_16
450x338_17 450x338_18


   寺泊(新潟の築地と言われている)でノドグロの入った海鮮丼の昼食450x338_19

●出雲崎
この地域は良寛和尚が生まれ、修行や放浪後の定住地であり、終焉の地でもある。資料館や民俗資料館や美術館もある。
ただしこの旅行では一つも尋ねない。
良寛和尚の言葉「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬる時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候」が好きです。

    海の風景はただただ青い(これらがタイトルの「青の越後」というわけ)450x338_20
               夕凪の橋 夕日がきれいらしい450x338_21
450x338_22
             芭蕉像 「荒海や 佐渡によこたふ 天河」338x450_4
        ここは石油産業発祥の地で記念公園になっている450x338_23
338x450_5
               歌詞が書いてある変わったバス停!299x450

●青海川駅 日本一海に近い駅「青海川駅」。柏崎駅から乗り鯨波駅を過ぎ青海川駅に到着。450x338_25
450x338_26
450x338_27
450x338_28
                 ホームのすぐ下は海450x338_29
450x338_31

            2日目の夕食バイキング。デザートは同じ。450x338_32

| | コメント (16) | トラックバック (0)

2017年7月10日 (月)

緑の「信州」と青の「越後」(1)

話は前後しますが、6/22~6/24に、新宿出発の
『息を飲むほどの絶景の連続!山の幸・海の幸を満喫。緑の「信州」と青の「越後」自然が魅せる華麗なる饗宴』
とタイトルが非常に長い、2泊3日のバスツアーに参加してきました。家族にはとりあえず、長野と新潟の何処かに行ってくると告げて。地図はもらえず、どこを走っているのかわからず、友人が買って、切り貼りして作ってきた地図が頼りでした。

<1日目>

●諏訪峡 利根川の水上あたり
諏訪湖の方かと思うとさに非ず、利根川の清冽な流れが造り出した渓谷です。 流れに沿って遊歩道が整備されている。 諏訪峡の入口にかかる吊り橋(笹笛橋)より眺める谷川岳は絶景だそうだが、あいにく見えなかった。

338x450
450x338
450x338_2

●二居湖(ふたいこ)
新潟県南魚沼郡湯沢町、信濃川水系清津川に建設された二居ダムの2つの湖。最大出力160KWで日本最大の揚水式水力発電所(奥清津発電所)。上池と下池との間で水を往来させている。
みんなが節電すれば、たくさんあるダム、水力だけでなく火力が多いのけれども、原子力に頼らずまかなえることをしみじみ思う。

                      下池450x338_3
                      上池450x338_4

●しゃくなげ湖
新潟県南魚沼市、信濃川水系三国川(さぐりがわ)に建設された三国川ダムの湖。高さ119.5メートルのロックフィルダムで、洪水調節・不特定利水・上水道・水力発電を目的とする、国土交通省直轄の多目的ダム。標高440m
ダムってこんなにたくさんの目的を持っていることを知る。又、南魚沼は郡と市の両方があることも知る。
                     しゃくなげ湖450x338_5
450x338_6
450x338_7
450x143
                   水の精(藤巻秀正作)338x450_2

                南魚沼の水田 コシヒカリ450x338_8

●竜ヶ窪
新潟県中魚沼郡津南町にある湧水で名水百選に選定されている。標高450m。
この地は特別豪雪地帯に指定されており、水源は、日本の秘境100選秋山郷の降雪および苗場山や鳥甲山南の山塊の伏流水となり、信濃川の河岸段丘に多くの地下水が湧水しており、泉やため池の水源となっている。水量毎分30トン、日量43,000トンの池の水が1日に1回入れ替わる。軟水。なかなか美味しい。
450x338_9
338x450_3
         あまりに透明で波がなく、水がどこにあるかわからない。450x338_11

斑尾高原のホテルタングラム連泊 スキー場とゴルフ場に囲まれている。ルピナスの群生が素晴らしい。450x338_12
450x338_13
450x338_14

   夕食のバイキング。お昼はタンパク質が全くないおにぎりと煮物弁当。450x338_15
450x338_16
          ホテルで友人が買ったフチ子。最近集めているとか。450x338_17

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2017年7月 7日 (金)

平塚の七夕祭り

今日は七夕様、この数年ずっと雨でしたが、今日は彦星と織姫は目出度く会えるのでしょうか。
子どもの頃から願いごとを書いた色とりどりの短冊や飾りを笹の葉につるし、星にお祈りをする習慣でした。

隣の市に住んでいたので、平塚の七夕祭りは、子供の頃から良く見ていたが、もう40年以上見ていませんでした。
あの頃の記憶に残っているのは、各お店から大きな竹が出ていてそこに立派な飾りがあり、毎年瀧口カバン店?が優勝していたことだけです。
今は全く様変わりしたようにも思え、途中から各連?の踊りが始まっていました。
今日の午前中の様子を見てきたのでほんちょっとご覧ください。
1_460x345
2_460x345
4_460x345
5_345x460

6_460x345
7_460x345
8_460x345
9
10_460x345
11_460x345
12_460x345
132_460x345
14_345x460
460x345
P1080783_460x345
460x345_2
460x345_3
460x345_4
460x345_5
345x460

もうお願いは忘れているかもしれませんが良い七夕の夜をお過ごしください。


| | コメント (20) | トラックバック (0)

2017年7月 4日 (火)

『きよのさんと歩く江戸六百里』金森敦子著

江戸時代1817年に、108日間・600里(2352㎞)を旅した女性がいた。もっとも恵まれていた女性ではあったのですが。

羽州鶴岡の三井清野という女性の『道中日記』による。
清野は三井家の曽祖父が伊勢から鶴岡に移住してきた豪商の家に生まれた長女である。伊勢松坂の豪商三井とは関係ない。
年の離れた末っ子の弟がいたが、17歳ころ婿を迎えて家業を継いだ。彼女が31歳になった時に2人の子どもも大きくなった(上は14歳)ので、自分も旅した理解ある夫に勧められ、旅に出たのだ。勿論一人でなく、三井家と同等につきあえる男性・武吉と荷物持ちの下僕の3人だ。

江戸時代1700年代から後、旅費はいくらくらいかかったのか?
石川英輔氏の『江戸人と歩く東海道五十三次』によれば、15日位かかった東海道歩きでは梅クラスでは1日300文、竹クラスなら400文で、通して4500文~6000文。金1両が銅銭6500文だから1両あったら歩けたことになる。1朱銀は405文。普通の人は毎日ほぼ1朱見当で歩いていたようだ。
宿泊料は1泊100~300文、昼食・間食・茶代等に1日100文、酒は30文。
では1両は現在の価値にするとどれくらいか?はとても難しいが、蕎麦の代金から換算すると13万円ぐらいの価値だそうだ。
現在「のぞみ」指定席で行くと片道13910円かかる。続いて宿泊しながら歩いていくと竹クラスで頑張ると13万円で行けるのか?
でも今の軟な体になってしまった私たち、若い人なら15日間続けて歩くことが出来るのでしょうか?

清野は同行者は自分で出しただろうから、宿泊費など下僕の分も含めて普通の人の6倍以上も払っている。
これは序の口、江戸に入ると料亭での豪華な食事、芝居見物などの遊興、反物などおびただしい買い物をし、家族や使用人への土産物も大量に買い、国にすぐその都度飛脚で送っている。疲れれば馬や駕籠に乗り、女性にしては珍しいほど健啖家で、酒も大いに嗜んでいる。商家だったので為替取引をしているから、江戸や京都で故郷からの送金を受け取っていたようだ。
旅日記は教養が偲ばれる紀行文ではなく、道中で見たものを率直に記していて魅力にあふれたもののようだ。
性格はおおらかで、好奇心旺盛で、何事にも物怖じしなかったらしい。
女性は幕府高官発行の関所手形を用意しなければならないが、それがない清野の関所抜けなどが凄い。たとえば箱根の関所、小田原まで行くが、大磯まで引き返し、そこから北上、相模湖まで行き、甲州街道も大月あたりから富士山裾野を巡って三島に至るのである。5日間のロス。
陽暦5月7日に出発、鶴岡から最上川を下り、奥州街道、日光街道(日光に寄る)、江戸に出て2週間遊び、その後江の島に遊び、件のように三島へ。
その後東海道を。私たちが三島から由比まで4回に分けて歩いたのに、時には駕籠や馬を使ったにせよ、たった一日で行っているのでびっくり仰天。三島から由比まで9里16丁23間だそうだ。
東海道から伊勢に入り、名張から奈良、大阪、京都を回る。奈良に入ったのが陽暦7月13日、主な寺を巡り、大阪も住吉大社など有名な寺を巡り、7月18日に京都伏見に舟で入る。ここから7月31日まで、あのものすごく暑い京都を1日休みを取っただけで2週間も京都の有名どころを全部見学しているから驚く。江戸に居た時もそうだ、清野は芸者等にも興味を持ち、お座敷にあげているのである。名物も食べあさっている。夏の京都の暑さは過去に2日くらい体験して、もう懲り懲りの私は決して夏に京都へ足を向けない。いくら31歳とはいえ、2週間も和服を着て歩き廻ったとは恐れ入りました。その後は琵琶湖の東側、北国道(北国街道とは違うそう)を行き、海沿いに福井、石川、富山、新潟を行き、親知らずの辺りは長い海上を小さな船で行く。凄い揺れらしいが、清野は全然酔わないそうだ。長野善光寺に寄り、また海沿いに新潟県を北上し鶴岡へ御帰還あそばしたというわけで、もうただただ当時の旅に驚き、裕福な人の旅事情がわかって面白かった。いくらお金に恵まれても勇気や度胸、体力がないとこんな旅は出来ない。
女性でありながら、お金も体力も、旦那の理解もすべてに恵まれた稀有な旅行記でありました。

6月初旬のシロバナネムノキ(柿の木坂にて) 初めて見たような気がします。62_306x450

        デュランタ・タカラヅカ (6月中旬) 青色がアジサイと双璧450x338
             ネジバナ (6月中旬) 今年初めてです307x450

| | コメント (16) | トラックバック (0)

2017年7月 1日 (土)

尾瀬へ(2)復路

2日目、4時半に起床して朝日を見に行ったのですが、朝霧が立ち込めて見えず。この日は一日曇天でした。尾瀬ヶ原の標高は凡そ1400mで早朝は10℃以下になっていたでしょうか。
450x338 450x338_2

450x338_4 450x338_5

                      朝食、大好きな卵焼きを1つ食べてしまってから撮影

450x338_6
                                               尾瀬小屋 338x450
このあと7時に出発。北の方の東電小屋、ヨッピ吊橋の方から牛首分岐に戻り、山の鼻、鳩待峠へと昨日と同じ道を戻る。
リュウキンカは水芭蕉の頃一緒に見る花だ 450x338_7
450x338_8
                                ここでも水芭蕉の群落に会える450x338_9
                  まだ霧が漂っていた450x338_11
                       燧ヶ岳450x338_12
                     チングルマ450x338_13
                コバイケイソウの咲き始め450x338_14
                スミレもいろいろ咲いていた    450x338_15
                 オオカメノキ(ムシカリ)450x338_16
                      ヨッピ吊り橋450x338_17
        ヤマドリゼンマイ だそうです。sさまありがとうざいます。450x338_18
                     木道のキノコ450x338_19
         池塘  カッコウやカエルの鳴き声が良く響き渡っている450x338_20
450x338_21
只見川 池塘や湿原は只見川の源流になっていて、尾瀬ヶ原の水は全て三条の滝となって流れ出ている。歩みののろい私たちは滝にも行かれなかったのが残念。450x338_22
2017年(今年)と平成24年(2012年)の木道。傷んでいく木道をどんどん新しくしている。ありがたいことです。何ヶ所かで数字を目にすると、どうも15年は持たないような。年間でも随分たくさんの人が歩きますから。
2017_450x338 24_450x338

Tonbo_450x340
歩荷(ぼっか)さんが80㎏背負っている。休憩しているところにも出会う。10㎏で起とうとするとよろよろしてしまう私なので信じられない。ご飯が頂けたのもお陰様である。338x450_2
338x450_3
                     ヒメシャクナゲ450x338_23
                  面白い模様の水芭蕉の葉338x450_4
                    山の鼻に到着 450x338_24
                   ウチワカエデの花450x338_25
                  コミヤマカタバミ?450x338_26
                     シラネアオイ450x338_27
 ミツバツツジではなくムラサキヤシオ 初めて出会えました。sさまありがとうございます。450x338_28
鳩待峠に到着。タクシーで戸倉に戻ってきた。尾瀬戸倉関所がある。
慶長5年に設けられた。関ヶ原の役が起こったので、急いで会津方面との出入りを警戒するために、真田信幸(信之)が命じて造られた。450x338_29

往復約4万歩。平らな木道が殆どで、往復楽なバスで尾瀬も簡単に行けるようになりました。日本には他に素晴らしい場所がたくさんありますが、こんなに完全に規制を強化して保護し、美しい自然を守っていく場所は大変貴重な国の財産だと実感です。国立公園で日本百景の一つ。東西約6km、南北3km。特別保護地域の面積はおよそ8690haだそうだ。

| | コメント (24) | トラックバック (0)

« 2017年6月 | トップページ