« 尾瀬へ(2)復路 | トップページ | 平塚の七夕祭り »

2017年7月 4日 (火)

『きよのさんと歩く江戸六百里』金森敦子著

江戸時代1817年に、108日間・600里(2352㎞)を旅した女性がいた。もっとも恵まれていた女性ではあったのですが。

羽州鶴岡の三井清野という女性の『道中日記』による。
清野は三井家の曽祖父が伊勢から鶴岡に移住してきた豪商の家に生まれた長女である。伊勢松坂の豪商三井とは関係ない。
年の離れた末っ子の弟がいたが、17歳ころ婿を迎えて家業を継いだ。彼女が31歳になった時に2人の子どもも大きくなった(上は14歳)ので、自分も旅した理解ある夫に勧められ、旅に出たのだ。勿論一人でなく、三井家と同等につきあえる男性・武吉と荷物持ちの下僕の3人だ。

江戸時代1700年代から後、旅費はいくらくらいかかったのか?
石川英輔氏の『江戸人と歩く東海道五十三次』によれば、15日位かかった東海道歩きでは梅クラスでは1日300文、竹クラスなら400文で、通して4500文~6000文。金1両が銅銭6500文だから1両あったら歩けたことになる。1朱銀は405文。普通の人は毎日ほぼ1朱見当で歩いていたようだ。
宿泊料は1泊100~300文、昼食・間食・茶代等に1日100文、酒は30文。
では1両は現在の価値にするとどれくらいか?はとても難しいが、蕎麦の代金から換算すると13万円ぐらいの価値だそうだ。
現在「のぞみ」指定席で行くと片道13910円かかる。続いて宿泊しながら歩いていくと竹クラスで頑張ると13万円で行けるのか?
でも今の軟な体になってしまった私たち、若い人なら15日間続けて歩くことが出来るのでしょうか?

清野は同行者は自分で出しただろうから、宿泊費など下僕の分も含めて普通の人の6倍以上も払っている。
これは序の口、江戸に入ると料亭での豪華な食事、芝居見物などの遊興、反物などおびただしい買い物をし、家族や使用人への土産物も大量に買い、国にすぐその都度飛脚で送っている。疲れれば馬や駕籠に乗り、女性にしては珍しいほど健啖家で、酒も大いに嗜んでいる。商家だったので為替取引をしているから、江戸や京都で故郷からの送金を受け取っていたようだ。
旅日記は教養が偲ばれる紀行文ではなく、道中で見たものを率直に記していて魅力にあふれたもののようだ。
性格はおおらかで、好奇心旺盛で、何事にも物怖じしなかったらしい。
女性は幕府高官発行の関所手形を用意しなければならないが、それがない清野の関所抜けなどが凄い。たとえば箱根の関所、小田原まで行くが、大磯まで引き返し、そこから北上、相模湖まで行き、甲州街道も大月あたりから富士山裾野を巡って三島に至るのである。5日間のロス。
陽暦5月7日に出発、鶴岡から最上川を下り、奥州街道、日光街道(日光に寄る)、江戸に出て2週間遊び、その後江の島に遊び、件のように三島へ。
その後東海道を。私たちが三島から由比まで4回に分けて歩いたのに、時には駕籠や馬を使ったにせよ、たった一日で行っているのでびっくり仰天。三島から由比まで9里16丁23間だそうだ。
東海道から伊勢に入り、名張から奈良、大阪、京都を回る。奈良に入ったのが陽暦7月13日、主な寺を巡り、大阪も住吉大社など有名な寺を巡り、7月18日に京都伏見に舟で入る。ここから7月31日まで、あのものすごく暑い京都を1日休みを取っただけで2週間も京都の有名どころを全部見学しているから驚く。江戸に居た時もそうだ、清野は芸者等にも興味を持ち、お座敷にあげているのである。名物も食べあさっている。夏の京都の暑さは過去に2日くらい体験して、もう懲り懲りの私は決して夏に京都へ足を向けない。いくら31歳とはいえ、2週間も和服を着て歩き廻ったとは恐れ入りました。その後は琵琶湖の東側、北国道(北国街道とは違うそう)を行き、海沿いに福井、石川、富山、新潟を行き、親知らずの辺りは長い海上を小さな船で行く。凄い揺れらしいが、清野は全然酔わないそうだ。長野善光寺に寄り、また海沿いに新潟県を北上し鶴岡へ御帰還あそばしたというわけで、もうただただ当時の旅に驚き、裕福な人の旅事情がわかって面白かった。いくらお金に恵まれても勇気や度胸、体力がないとこんな旅は出来ない。
女性でありながら、お金も体力も、旦那の理解もすべてに恵まれた稀有な旅行記でありました。

6月初旬のシロバナネムノキ(柿の木坂にて) 初めて見たような気がします。62_306x450

        デュランタ・タカラヅカ (6月中旬) 青色がアジサイと双璧450x338
             ネジバナ (6月中旬) 今年初めてです307x450

|

« 尾瀬へ(2)復路 | トップページ | 平塚の七夕祭り »

コメント

貧富の格差、往時もすごいですね。

投稿: 佐平次 | 2017年7月 5日 (水) 10:53

こんにちは
 
なんとまぁ!! 江戸時代の女性で、こんなすごい旅をした
人がいたとは驚きでした。お金の掛け方も遊興の仕方も破格。
手形を持たずに関所抜けをしたとは大胆な。よくまぁ捕まらずに
無事に旅を終えられたものです。
tonaさんが書いていらっしゃるように、恵まれた境遇だけでは
これほどの旅はできませんね。体力・気力・好奇心・大らかさ、
どれ一つ欠かせない気がします。
でも、驚きと同時に、そんな女性がいたことが嬉しくも感じました。
 
シロバナネムノキ 初めてです。赤いのとは雰囲気が変わりますね。
白いほわほわの花に、思わず耳かきについているほわほわを
思い出してしまいました。情緒なしです~(^^;)
デュランタ・タカラヅカ 美しいですね。久し振りです。
ネジバナは、鉢植えに自然に生えてきたものが、今年は元気がいまいち。
1本だけ元気なのはお写真のものと同じような濃いピンクです。
この季節、是非見たい花の一つですね。

投稿: ポージィ | 2017年7月 5日 (水) 11:16

★佐平次さま

チャンバラ映画やお芝居で見ると、この時代も間引きも行われ、売られたりした悲惨な時代でもあったわけで、こんなお金持ち(紀伊国屋文左衛門を思い出します)があちこちにいたのですね。いわゆる豪商でしょうか。その差に驚きますね。
有難うございました。

投稿: tona | 2017年7月 5日 (水) 23:21

★ポージィさま

こんばんは。

江戸時代というと、夫が見ているチャンバラ映画の世界しか頭にありませんで、こんな旅行があったなんてビックリでした。
関所抜けはいろいろな手があったようです。
袖の下が必ずしも効かなかったこともあるのですね。
お金があっただけではこんな旅行できませんね。この方はかなり豪胆な性格だったようで、またとても丈夫だったと思います。
また家族の理解がこの時代にもある所にはあったと感心した次第です。
日本にもこんな女性がいたなんて。今ならお金を持っていて、世界の果てまで行ってしまうような女性が凄く多いでしょう。あの閉鎖社会には珍しいですね。

シロバナネムノキ、確かに耳かきを思い出すような形ですね。初めてで、蒲原の方でも見たのですよ。こんな年は珍しいと思います。
このデュランタ・タカラヅカは、他の場所で見たよりとてもきれいな色でした。
ネジバナがあるなんていいですね。
芝が生えているような野原でいつも見つけます。ねじれ具合を一つ一つ観察するのが楽しいです。
有難うございました。

投稿: tona | 2017年7月 5日 (水) 23:37

tonaさん、おはようございます♪
まず、江戸時代にこんなに自由に旅行が出来た
ことに驚きました。
しかも女性が・・・
旅姿は水戸黄門のドラマから推察するだけですが、
今のように良いシューズもなく足袋と草履だけで
よくこれだけ歩けたものかと感心するばかりです。
お伴が三人もいたので、荷物を持つようなことは
なかったでしょうが、長く険しい旅、お金を狙うおいはぎ
等の心配もあるので、さぞ大変だったでしょうが、
好奇心と度胸で切り抜けたのでしょうね。
私の思っていた江戸時代とだいぶイメージが変わりました。
知るって言うことは楽しいですね。

白いねむの木は初めて見ました。
デュランタ・タカラヅカは素敵ですね。
一度育てたことがありますが、駄目にしてしまいました。

投稿: hiro | 2017年7月 6日 (木) 07:25

こんにちは。江戸時代にそんな女性がいたのですね。興味深いです。ネムノキに白花がありましたか。知りませんでした。オオバネムノキは白いですが、花の形が違いますね。

投稿: 多摩NTの住人 | 2017年7月 6日 (木) 08:08

★hiroさま

こんにちは♪

江戸時代はお伊勢参りでも殆んどの女性が行ったように思えなかったのですが、こんな方もいたのですね。
旅姿は、なるほど水戸黄門から推察。時代考証もなされていますしね。広重の絵よりはっきり見えますし。
歩くことは今みたいな靴がないわけで、草鞋でよく歩けたものです。担ぐ人たちも凄いですね。
歩く事だけでなく、宿もお殿様と違って、快適とは程遠かったと思います。
一部の権力者以外は泣いて過ごしていたようなイメージですが、大分改めて見直さないと。

私も白のネムノキを初めて出会いました。見たときは驚きました。このところ白の方がいつも後で発見です。
デュランタ・タカラヅカは育てるのが難しいのですね。もっぱらよその方のを楽しんでいます。
有難うございました

投稿: tona | 2017年7月 6日 (木) 10:03

★多摩NTの住人さま

こんにちは。
東海道歩きでいろいろ見た本に紹介されていて読んだ本です。
まさかこんな方が、こんなは酷な旅行をするとは。若いから、そしていろいろな心身の条件やお金も問題もないから行けのたでしょうが、私も驚いてばかりでした。

オオバネムノキも初めて知りました。
白い花で、みんな堂々と上を向いている印象を受けました。
このネムノキはなんとなくうなだれ気味でした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2017年7月 6日 (木) 10:10

tonaさん、こんにちわ!

今回の「きよのさんと歩く江戸六百里」、江戸時代にこんな剛毅?な女性がいた事に驚き
それも財力・体力・気力・好奇心・家族の恵まれた環境と
これほど全てが揃った稀な女性だったのでしょうね。

昔の豪商は先日、アジサイの花を一般公開して見せてくれたの横浜のお宅を思い出します。
今の日本は貧富の差が殆どありませんが、江戸時代の豪商と言えば今とは桁違いだったようです。

ネジバナは伊東の家の庭が少し芝生があり、その中から毎年咲いてて
抜いて八王子の家の庭に植えるのですが根つかなくて
伊東の家でも2,3年前より見なくなりました。
我が家にある鉢植えのネジバナ(濃いピンク・ピンク)は以前に道の駅で買って来た物です。

投稿: ラッシーママ | 2017年7月 6日 (木) 13:15

いや、ただただ驚きました。これだけの道のりを15日間で踏破。然も和服で歩いて旅する,
今ではとても考えられません。いくらお金には困らなかった、若いとはいえ、その体力と、
勇気、度胸には感服です。世の中には奇抜な人もいるのですね。

白い合歓の木の花は初めて見ました。
タカラヅカ・ジュランタ。紫色の小さい花。好きです。
以前、家にも鉢植えでありました。
 
 ネジバナ、野原でよく見かけます。
素直に真っ直ぐ咲けばいいのに、なんで捻じれているにだろう?と、いつも思います。

投稿: 夢閑人 | 2017年7月 6日 (木) 13:28

日本にもイザベラ・バードような人がいたとは
知りませんでした。
特に関所は女性に厳しいと聞いていましたが
やはりそうなのですね。
この時代も当時の男尊女卑がはびこっていた
ということですね。
今の時代に生まれて本当によかったです。

白いねむのきははじめて見ました。
デュランタも前にアップしたことがありましたが
最近は見ていません。

投稿: matsubara | 2017年7月 6日 (木) 13:59

★ラッシーママさま

こんばんは
今日は比較的涼しかったですね。
今でこそ、これだけそろった女性はたくさんいて、世界を闊歩していますが、閉鎖社会と言われたあの江戸時代、特に女性がこんな旅行をするなんてただただ驚くだけです。
他には殆ど身分の高い人の和宮様のような籠にによる、いわゆる大名旅行しか考えられません。
しかもこのような大名旅行は物見遊山ではありませんものね。

伊東の家にはいかにもネジバナがありそうな感じですね。でも無くなってしまったのですが。それは残念な事でしたね。でも買われたのが無地育っているようで良かったです。
有難うございました。

投稿: tona | 2017年7月 6日 (木) 19:33

★夢閑人さま

若いとはいえ、600里を篭や馬や歩いただけでなく、合計108日間も病気もせず旅して物見遊山とは驚きました。
女性にとっては怖いこともいっぱいあったでしょうが、物おじしなかったそうです。
まったく奇特な人、江戸時代でも突出していたのではと思われます。

白いネムの花、初めてですが、偶然今年2か所で見ました。白いのは珍しいですよね。
デュランタ・タカラヅカはそれほど多く見かけなくなりました。一面難しい所もあるのでしょうか。色が兎に角きれいですね。

仰る通り、ネジバナはなぜねじれなければならないのでしょうね。面白い花です。
そちらではたくさん見かけられると思いますが、私は街道歩きなどでしか見られません。
有難うございました。

投稿: tona | 2017年7月 6日 (木) 19:45

★matsubaraさま

イザベラ・バードの紀行記を読みますと、生活習慣の違い、寝ること、食べることなどいろいろ違って、兎に角旅行は困難を極めたという印象です。言葉の問題もありますしね。
関所抜けは箱根のは一例ですが、袖の下を包んで簡単にというのもありました。でも女性にとって一大事であることに変わりありませんね。
私たちの年齢はある意味で一番幸せかもしれませんね。親や祖父母、そのまた上の年齢は江戸時代にかかりますが、本当に戦争もあったしいろいろな意味で大変でした。でもこんな女性もいたのですね。
白いネムノキはご覧になっていませんか。珍しいですよね。
デュランタ・タカラヅカは街道筋でも随分見かけました。
有難うございました。

投稿: tona | 2017年7月 6日 (木) 19:53

>いくらお金に恵まれても勇気や度胸、体力がないとこんな旅は出来ない

本当ですね。
江戸時代と言ったら封建的な男尊女卑で
裕福な家でも奥方は文字通り奥の方に潜んでいたかと思っていました。
格差社会の特別な人の話とはいえ、
胸がすく思いです。

投稿: zooey | 2017年7月 6日 (木) 23:31

★zooeyさま

夢のような大奥に上がっても、それから後の生活は今の人から見れば地獄のようです。
外に女性が出られない時代の一生を思うと、今の私たちの生活は外に出られて、それだけでも幸せですね。
いろいろなものを持ち合わせた人だったからこその話で、痛快ですね。
有難うございました。

投稿: tona | 2017年7月 7日 (金) 06:15

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/146506/65494266

この記事へのトラックバック一覧です: 『きよのさんと歩く江戸六百里』金森敦子著:

« 尾瀬へ(2)復路 | トップページ | 平塚の七夕祭り »