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2017年7月26日 (水)

東海道五十三次歩き7 江尻~府中(1)

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7/5(水)この日、台風が早く抜けたので清水に向かい、江尻宿から府中宿(静岡)まで歩きました。42712歩。
東海道線は清水駅ー狐ヶ崎駅ー草薙駅ー東静岡駅―静岡駅の区間になる。
東京駅7時前のこだまで三島まで1時間弱、東海道線で清水まで50分くらい。まず寄り道して、9時のバスで、世界遺産でもある美保の松原に向かう。

●美保の松原
富士の眺望と、万葉歌人に詠歌され、能の「羽衣」のよっても親しまれている。

神の道・美保の松原 バス停の所の横には御穂神社があり、神の道は海岸までずっと続いている。338x450
神の道には、これは「ちゃっきりぶし」だが、三保の松原に関する歌や羽衣伝説や高山樗牛の小説や廣津和郎の随筆を書いた案内板などがたくさんあり、面白い。450x338
海岸に到着してみると残念、富士山は見えなかった。車中からは見えていたのですが。450x338_2
        実際にはこのように見えると写真が道路に飾ってあった450x187
              砂浜にハマゴウの花が咲いていた450x338_3
7㎞にも及ぶ砂浜に、54000本の松が植えられている。「羽衣伝説」の舞台で天女が舞い降りて羽衣を掛けたという「羽衣の松」は3代目(平成22年)。450x338_4
羽車神社 積み重ねられている石は願い事が叶った人が置いていくそうだ450x338_5
        文学散歩道 北原白秋や与謝野晶子の歌が紹介されている450x338_6
神の道を戻り、御穂神社(美保松原鎮座・延喜式内社・美保大明神)にお参りする。450x338_7

清水駅に戻り、駅の階段横に描かれた、清水出身の「ちびまるこ」のさくらももこの絵を見る。階段はさくらももこの絵でないが、楽しい階段だ。
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              駅そばのアーケードは七夕の準備中450x338_12
この先食事場所がなさそうなので、ここのイートインで東京にないようなおにぎりと黒はんぺんで有名な「しぞーかおでん」の昼食だ。450x338_13

●江尻宿(18番目の宿) 地名は清水港に注ぐ巴川の「尻」、すなわち河口に出来た砂州の上にある町に由来する。やっとここで東海道歩き再開。時刻は12時。前回東木戸跡を通過したばかりの場所あたりから。
まず江浄寺。家康の長男・信康が自害させられた、その供養塔がある。閉まっていて見られなかった。338x450_2
少し歩いて鉤型に右折、ここからが江尻宿の中心となる。今は人通りが少ない。突き当たって、左に曲がり東木戸から2㎞の所が西木戸跡になる。

鉤型に曲がった突き当りに、武田信玄の家臣穴山梅雪の造った魚町稲荷神社がある。境内に「日本少年サッカーの碑」があるのでサッカー神社と呼ばれる。隣にある江尻小学校は武田信玄が築いた江尻城址になる。338x450_3
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元に戻り左に曲がるとすぐ巴川があり、ここに稚児橋が架かる。何と最初は1607年に架けられ、1699年に再建されたということだ。(大きな川には橋が架かってなくて大変だったが小さな川には橋が架かっていたのだと改めて気が付く)
四つの親柱の上に其々ポーズの異なる河童がいる。橋の渡り初めのとき、川の中から現れた河童(稚児)が橋を渡って去ったという伝説に基づく。450x338_15
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橋を渡ると料亭入口に河童の腰かけ石があった
   この川は船運が盛んで沼津へも出ていたという。船高札の説明板がある。450x338_19
すぐ先左の法岸寺には浄瑠璃「朝顔日記」深雪のモデルになった人の墓がある。知らなかったので調べたら擦れ違いや、会っては別れの繰り返しで数奇な運命を辿った人のようだ。立派なお墓! 338x450_5
その前にあるのが東明院。東明院山門は江尻城廃城の際、家康から裏門が下賜されたもの。火事で焼失再建されている。450x338_20
その隣の慈雲寺。宝暦年間、長泉智牛和尚はやせ地で困窮していた美保の農民に甘藷の栽培を広め、「芋和尚」と呼ばれていたという。和尚は原の白隠に学んだ。
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ここが木戸跡で江尻宿が終わる。 つづく



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コメント

江尻から府中宿へ、歩数も多かったことと思います。健脚ですね♪
しぞーかは、静岡地方の方言かな?
弾みがつくちゃっきり節は、ここが発祥の歌でしたか。
マツクイムシ病の伝染で、全滅したままの地域があるのに。
三保の松原は立派な並木道ですね!
天女の羽衣とだけ覚えていますが、行ったことがありません。
羽衣神社かと思ったら羽車・・・何故かしら、不思議な感じでした。
大明神、稲荷神社とか、好きなんですよ。
慈雲寺は、塩山にも同じ名前の寺があります。
糸桜で知られてます、同じ寺名に各地で出逢いますね~

投稿: だんだん | 2017年7月26日 (水) 12:15

★だんだんさま

ちゃっきり節は静岡電鉄が北原白秋に詩を依頼し、町田嘉章が作曲したそうで、静岡の事が出てくる30番までの歌らしいです。その中に美保が出てくるのが4番あってここに紹介されていました。方言がいっぱい出てきますが、「しぞーか」もそうなのでしょうね。
羽車神社は御穂神社の離宮で、御穂神社の二神が天の羽車に召され、美保の浦に御降臨されたという由来が書いてありました。

私も塩山慈雲寺の糸桜を見に行ったことがあります。見事ですね。
お寺も同じ名前のがありますね。神社は系列で同じ名前ですからお寺みたいに名前が多くないですが。
早速にありがとうございました。

投稿: tona | 2017年7月26日 (水) 12:50

前のざんねんな生き物も読ませて頂きました。
こういうテーマの研究者は退屈しないと思います。
読んでも退屈しませんから。

三保の松原は55年前の学生時代に行きました。
昭和37年くらいですから、あの時の松は
二代目だったということが分かりました。
あの当時も囲いがありました。

東海地方の国立大学の教育学部はいろいろ交流が
あり、静岡大学にも訪問しました。
その時寄りました。
当時が懐かしいです。
快晴で富士がとても綺麗で、モノクロ写真を
撮りました。

投稿: matsubara | 2017年7月26日 (水) 14:29

★matsubaraさま

美保の松原は初めてでした。
映像では見ていますが、やはり実際に見ると地理的によくわかり、イメージと違ったりしました。
matsubaraさまがご覧になった羽衣の松は2代目ですね。
いらっしゃった時は富士山が良く見えてよかったですね。
薩埵峠で富士運が尽きてしまいました。
晴れていれば一日のどこかで見えている富士山ですが。
静岡大学は娘の友人や同僚が行った学校で話には聞いています。当時交流があったのですね。
有難うございました。

投稿: tona | 2017年7月26日 (水) 16:14

こんばんは
 
江尻宿から府中宿まで42712歩歩かれましたか。この回も歩数が
多かったですね!お疲れさまでした。
三保の松原も歩かれたのですね。富士山が雲に隠れてしまったのは
残念でしたね。まだ青空は見えていましたのに惜しいところでした。
羽衣伝説のある羽衣の松はいかにもの枝ぶりに見えます。
現在の3代目は、まだ7年なのですね。初代の松から挿し木で
後継松を育てているのかしら…
砂浜でご覧になったハマゴウの花が綺麗です。まだ出会ったことがありません。
こんなに海岸に近い場所(江尻)にも武田信玄が築いた城が
あったということが驚きでしたが、考えてみたら、武田信玄が
手中にした領地がどの辺りだったか、正確には知らないのでした。
この後の大河ドラマでその辺りも出てくるかもしれませんね。
家康の長男・信康と正室・築山殿の切腹や殺傷は、昔々読んだ
徳川家康という小説の中でも腑に落ちませんでしたが、この辺りも
そのうち出てくるかもしれませんね。どう描かれますやら。
そんなことを思いながら拝見しました。

投稿: ポージィ | 2017年7月26日 (水) 21:26

★ポージィさま こんばんは

いつも4万歩を越してしまいます。電車の駅の関係です。次回ももう終わったのですがもっと凄いです。京都に行く前に先に足がダメにならないように願っている日々です。まあ、年ですからいつどうなるかわからないという覚悟とあきらめは大分ついてきました。

羽衣の松ですが、7年にしては太いなあというのが感想です。挿し木とか接ぎ木とかどんな方法でつないでいるのでしょうね。不思議に思って見ていました。

ハマゴウの花、きれいですね。まだこの時期咲き初めでした。この間の日本海側には探しましたがありませんでした。
ここで富士山が見えたらもうつき過ぎですね。人生、そうは問屋が卸さない。もうこういう時は想像力で補うことことにします。

今直虎で、今川、武田、北条、織田、徳川と実にややこしいですね。なかなかついていけません。私も15冊でしたっけ。山岡荘八でしたか『徳川家康』を読みましたが、よく覚えていないです。ましてや当時小さな井伊家なんて知りませんでした。井伊家が徳川の一番の家来になる場面なんかこの本にありましたっけ。
信康のお墓は東海道に数か所あるようです。築山殿はまた別の所に葬られているのですね。
様々な説があるようで驚きます。
テレビで何の番組だったか、最近見たのにもう忘れましたが、今川は滅びたのではなくて、なんと徳川幕府でも高家として、明治維新でも朝廷との仲立ちとして今に生き残ったのですね。あの公家風が役に立ったのですってね。
話がずれてすみません。東海道筋に関係ある武将たちの勉強にもなります。
有難うございました。

投稿: tona | 2017年7月26日 (水) 22:39

tonaさん、私が読んだのも多分山岡荘八のです。
文庫よりちょっぴり大きいサイズの版で24巻か26巻あったかと。
時代劇好き父が買いそろえたものが家にあって、途中流したり
飛ばしながらハイスピードでひととおり読んだのを覚えています。
中学だったか高校だったか忘れましたが。
細かいことは全然覚えていなくて、井伊家は出てきたかどうかすら
覚えなく、井伊直政が徳川四天王の一人になったことも知らずにいました。
そうそう、今川氏真が生き延び子孫は江戸幕府でも高く取りたてられ…
人生、何が生きてくるかわからないものですね。
柔軟さも大切なんだなぁと思いました。
私もたまたま見ていたんです。NHKの歴史秘話ヒストリアですね。
今川家については、桶狭間で織田信長に敗れた今川義元しか
知りませんでした。

投稿: ポージィ | 2017年7月27日 (木) 09:24

★ポージィさま

お忙しい中、ご丁寧にコメントいただきすみませんでした。中途半端な記憶ばかりで、これですっきりしました。
山岡荘八、そんなにあったのですね。よく読んだものです。吉川英治の「新平家物語」や「私本太平記」なども読みました。我が家も大量の本を買うのは父でした。
まさか井伊家が徳川四天王の一人に収まり、幕末に井伊大老が殺されることになるとは。そして素敵な彦根城を持つ武家となるとは、今の直虎の時代ではとても考えられないです。

今川の生き延びの話は歴史秘話ヒストリアでしたか。本当に最近やったばかりなのに忘れて我ながら呆れ果てました。
今川家も井伊家も大したものですね。
私も今川義元だけしか知りません。今、尾上松也がやっている義元の息子氏真夫婦がしたたかだったわけで驚きました。
でも何と言っても徳川家康はいろいろの意味で大人物です。嫌いな人が多いようですが、いなかったらその後もずっと戦国時代が続いたのかしら。歴史に「もし」はなしにしたいですが、ついつい空想してしまいます。
本当にいろいろ教えていただきありがとうございました。

投稿: tona | 2017年7月27日 (木) 16:04

tonaさん、おはようございます♪
三保の松原にはだいぶ前に行きましたが、写真が一枚も
残っていません。風が強くて大変な日で、ゆっくりと
散歩もできませんでしたが、お写真を拝見し
当時を懐かしく思い出しました。

駿河に武田信玄が築いたお城があったとは知りませんでした。
稚児橋は1699年に再建されたものが現在も架かっているのですか。
河童伝説はいろいろな地に残っていますね。

投稿: hiro | 2017年7月28日 (金) 04:59

★hiroさま おはようございます♪

わー、hiroさん早起きですね。
風の強い日だったのですか。
でも富士山が見えてよかったですね。
たくさんの立札がありますので、一つ一つ読んで行くとかなり時間がかかります。松林の中に文学の散歩道があって、かつての文豪がいかにこの美保の松原に親しんだかがわかりました。

稚児橋は現在のコンクリートになったのは何時だかは書いてありませんでした。
河童伝説は北九州市の若松にもありましたし、茨城県の牛久沼にもありました。有名な画家?(すっぽり抜けて思い出せません)が描いています。全国にたくさんありますね。
有難うございました。

投稿: tona | 2017年7月28日 (金) 06:45

tonaさん、こんばんわ!

美保の松原、何十年かぶりで5,6年前に2回目で行きましたが
私も以前観たのは2代目の松だったようです。
神の道などと言うのがあるのを知りませんでした。
今なら前もって調べて行ったと思いますが、まだ個人旅行を初めて間が無かったので
勉強不足でした。

私、まだ静岡おでんを食べた事が無いので1度食べたいと思ってるのですが
静岡には伊東に行くだけで、旅行で浜松に何度か行ってるのですが
おでんは食べて無かったわ。

今回も江尻宿から府中宿まで42712歩、よく歩かれました、本当に健脚です。

私も独身の頃、山岡荘八だと思いますが20何巻?だったか長い日にちを掛け読みましたが
今ではすっかり忘れています。
旅行してて歴史上の人物やお寺など知る事が多くなりました。
浜松は去年2度も井伊家菩提寺に行って来ました。

投稿: ラッシーママ | 2017年7月28日 (金) 22:19

★ラッシーママさま おはようございます♪

神の道というのが御穂神社から羽衣の松のある海岸まで続いています。500mは続いていたような気がします。
しぞーかおでんは黒はんぺん(さつまあげみたい)が有名らしく、汁の色が黒っぽいのです。

この当たりからいよいよ東海道も徳川家康など戦国武将に関係した場所が色濃くなってきました。
そうそう、昔読んだ本はみんな内容を忘れてしまったのでぼちぼち関係あるところをネットで見て知るということになります。
神社仏閣が歴史上の人物と関係する所が多いですものね。

今年は浜松周辺の井伊家、直虎関係のツアーがあちこちで企画されていますね。
井伊家のお墓は豪徳寺で見てきましたが、浜松の方に菩提寺があるのですね。
ありがとうございました。


投稿: tona | 2017年7月29日 (土) 06:41

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