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2017年8月15日 (火)

鷗外の「庭」に咲く草花 展

特別展 鷗外の「庭」に咲く草花 牧野富太郎の植物図とともに と言う長い名前の展覧会に、終わる直前に行ってきました。

462x650千駄木の駅を降りて団子坂を上って行くと文京区立森鷗外記念館があります。
ここは鷗外の旧居「観潮楼」の跡地で、鴎外は1892(明治25)年から、亡くなる1922(大正11)年までここで過ごしました。
鬱蒼と植物が茂る様子を写した写真がありました。
明治・大正の文豪として夏目漱石と並び称される鷗外は軍医でもあり、評論家、翻訳家としての一面も持っていて、晩年、帝室博物館の総長や帝国美術院の初代院長なども歴任した、輝かしい経歴の持ち主でもある。、軍医として、脚気惨害をめぐる議論では一部擁護論はあるものの、批判も浴びてる。北里がペスト菌を発見した際もこれを痛烈に批判していることは頑迷固陋であったと言わざるを得ないと思う。それはそれとして・・・

鷗外の日記や子供たちに残したエッセイからは、草花を好み園芸を楽しむ一面を見ることが出来る。また自身の作品の中に500種以上の草花を登場させているそうだ。
作品の中の草花は、季節感や自然の美しさを忠実に伝えるものもあれば、鴎外の想いを伝える表現手段として登場するものもあるという。

そんな鷗外は、牧野富太郎と交流があり、牧野は何度も鷗外の家を訪れている。
この展覧会ではそうした鷗外作品に見られる草花と、観潮楼で咲いていた草花を牧野富太郎の植物図と共に紹介していました。
今の新しい園芸種は一切ないわけで、昔の家庭の庭をそのまま鷗外の作品で見られるというとても地味な展覧会でありました。
なかなか鷗外を読み返すことが出来ないが、こうした観点から明治大正の小説を読み返すのもいいかもしれません。

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GWとお盆休みはひたすら家の中だけでじっと過ごす我が家は、娘たちの夏休み中のお出かけ土産を食べ尽くしておりました(残るはおなめとジャムのみ)

・秩父土産ーーー和同最中、秩父おなめ(みそ)、しゃくしな(漬物)、ブルーベリージャム
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・大森土産ーーーのり大福(前出)

・箱根の帰り土産ーーー小田原籠清の磯三昧(桜えび太鼓判・さつま揚げ・いわし揚げ・珍味揚げ)、馬車道アイスクリンハーバー
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・山梨県土産ーーー黄金桃(すごく大きく普通の2個分)、夏のほうとう「おざら」、桔梗信玄餅、桔梗屋のどら焼きと桃まんじゅう
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2017年8月12日 (土)

東海道五十三次歩き8 府中~藤枝(3)

1872年(明治5年)に新橋~横浜が開通したが、京都まで電車で行かれるようになったのはいつかを調べてみると、
1889年(明治22年)新橋~神戸間 600.2kmが開通した。全線直通列車が1往復運行され、所要時間は20時間強であったそうだ。15日間の街道歩きからは考えられない速さ。
1914年(大正3年)東京駅が開業し、同駅が東海道本線の起点となった。
1964年(昭和39年)に東海道新幹線が出来、1992年(平成4年)にのぞみが登場し、のぞみだけでも1時間に10本から15本も出ている現在に、そして移動する人の多さに驚いてしまう。

21番目の岡部宿の入り口、東木戸のあった枡形跡。439x450

弥次さん喜多さんは岡部に投宿する際、「豆腐なるおかべの宿につきてけり足にできたる豆をつぶして」と詠んだ。「おかべ」とは豆腐のことで、平安時代の公家は豆腐がなまこ壁、御壁に似ていることから、おかべと呼んでいたそうだ。450x338
大旅籠柏屋(かしばや)は旅籠屋と質屋を兼業していた。今は資料館になっている。2回の火災後1836年に建てられ、180年経っている。450x338_2
        その隣が、内野本陣跡 表御門と塀が推定復元されている。450x338_3
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問屋場跡や高札場跡を過ぎるともう西の枡形跡だ。

  東海道岡部宿の松並木が出てきたが、今までにない長い長い松並木である。450x417
           きのこのような常夜灯のところから旧道に入る338x450

岩村藩領横内集落に入る。「従西厳村領」と書かれた岩村藩領傍示杭。傍示杭は街道では宿場の境を示すもので、広重の版画にも描かれているそうだ。338x450_2
横内村には職人が多くいて、今も掲げられている屋号札は当時の仕事を示している。
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           次に出てきたのが田中藩傍示石(徳川家重臣)338x450_5
少し先左手に御成街道があって田中城へ通じているが時間がないためこれもカット。今は下屋敷跡に冠木門が復元され、本丸櫓が移築されているそうだ。
藤枝宿は田中城の城下町でもある。ここ田中城で徳川家康が鯛の揚げ物を食べ、それがもとで亡くなったのではないかと言う話が有名。

須賀神社のクスの大きいこと!県の指定天然記念物で樹齢500年。枝張も東西約20m、南北約30mもあるという。旧東海道の脇にあるので、往来する旅人を見つめてきた大木だ。450x338_5

22番目の宿・藤枝宿は番所跡標柱(見逃す)近くの東木戸から正定寺近くの西木戸までの約2㎞だ。
平安時代に源義家が神社に咲く藤を見て詠んだ和歌から、藤枝の地名が付けられたという。 

小川眼科医院の白子由来の碑 本能寺の変後の家康の有名な伊賀越えの際、伊勢国白子(鈴鹿市)の小川孫三に助けられ、常滑の正住院に逃れることが出来た。その孫三に追っ手の危機があったので、藤枝に妻子とも住まわせ、ここを白子町と命名し、諸役免除の特権を与えた。小川眼科はその子孫である。338x450_6
蓮正寺の市天然記念物のイブキ 源頼朝の御家人の熊谷直実が法然上人の門に入り、蓮生と名乗ったが、この直実が関係したお寺。「月の砂漠」の作詞者の加藤まさをの墓もある。450x338_6
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大慶寺の「久遠の松」 日蓮が比叡山に行く途中、近くの夫婦を説得して開かれた寺。松は日蓮上人お手植えで、静岡県の天然記念物。樹齢700年。高さ25m。450x338_7
広重の藤枝宿は「藤枝人馬継立」上伝馬問屋場風景で、パーキングの所が上伝馬問屋場跡だ。説明の横に広重の絵が添えられている。本陣跡もこの場所にあった。450x381
                  弁天わらべ地蔵が可愛い338x450_8
正定寺の「本願の松」別名「延命の松」は田中城主が大阪城代に登用されたとき(1730年・享保15)、報恩感謝で植えた。傘形に枝張りした美しい姿。藤枝市指定天然記念物。この辺りが西木戸跡だ。450x338_8
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                    瀬戸川の風景450x338_10
        岡野繁蔵の碑 裸一貫から南海のデパート王になった人338x450_9
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というわけで藤枝宿は天然記念物の樹木が多かった宿であった。

藤枝駅には午後7時頃到着し、東海道線で静岡に出、こだまに乗って東京駅には9時半頃着き、家には10時半頃到着した。
静岡で買った富士山型の「富士の味覚」弁当にまた桜えびが入っていて美味しかった。450x277
                       (完)

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2017年8月 9日 (水)

東海道五十三次歩き8 府中~藤枝(2)

6/28に日本橋から大森まで歩いた時に、平和島駅近くの大黒屋が定休日で「のり大福」を食べられなかった。ところが1昨日娘がしながわ水族館に行った帰りに大黒屋で買ってきてくれた「のり大福」を味わいました。夕ご飯を食べた後にもらい、消費期限がその日の内で、冷凍も考えたけれども、どうしても食べたくて、家の近所を散歩してから戴いた。
のりは青海苔で(黒い浅草海苔を想像していた)ほのかに香り、餡も上等で美味しかったです。今は大森は海苔の養殖をしていないけれど、当時の大森を偲び、のり大福を作り続けているそうだ。御馳走様でした。
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                  丸子の消火栓 富士山と丸子川と丁子屋の建物か?450x338_3
丁子屋を出て高札場。ここが丸子宿西見附で、ここから次の岡部宿の間にある宇津ノ谷峠に向かう。

        歩きはじめるとすぐ右側奥に行ったところに誓願寺がある450x338_4
ここには大阪冬の陣の原因となった「国家安康」の京都方広寺鐘銘事件の家康への申し開きで、片桐且元が滞在した寺だ。境内に且元夫妻の墓がある。450x338_5
丸子は紅茶発祥の地である。丸子の多田元吉は、明治9年政府からインドに派遣され、紅茶製造技術を全国に広め、丸子に茶園を開いた。伝統の紅茶造りは今も続いている。450x338_6

●宇津ノ谷の集落から宇津ノ谷峠へ

宇津ノ谷峠には古代から現代まで6つの道が現存する。
① 蔦の細道(古代から中世への道)平安時代の歌人在原業平が『伊勢物語』の中で、「駿河なる宇津の山べのうつゝにも夢にも人にあわぬなりけり」と詠んでいる。その他新古今和歌集や紀行文、歌舞伎にも取り上げられている。
② 東海道(近世の道) 1590年秀吉の小田原征伐の時に開かれたとされる。
③ 明治のトンネル道  徒歩でしか通過できない
④ 大正のトンネル道  車で通過できる
⑤ 国道1号上り(昭和の道)
⑥ 国道1号下り(平成の道)

宇津ノ谷の集落へ左の道を入る。集落の左手には昭和と平成のトンネルが見え、車がビュンビュンと絶え間ない。450x338_7
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         この集落の各家にも屋号が残る
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御羽織屋は機知に富んだ主人が秀吉から羽織を下賜された家で、家康から贈られた茶碗もあり、訪問者の芳名録も凄いとのことだが、この日はお休みだった。

                      慶龍寺450x338_9
ここには十団子の句碑がある。峠の人食い鬼を地蔵が僧侶に化けて、鬼を団子に変身させ、その団子を10個に砕いたという由来がある。450x338_10
お地蔵様がいっぱい
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         集落を通り抜け登って行く。宇津ノ谷の集落が見えた。450x338_14
明治のトンネルに行ってみた。長さ230m、工費3万5千円、延べ人夫21万人。登録有形文化財。
トンネルの中の涼しいこと。我が人生で快い涼しさのナンバーワン。トンネル内にハンモックを吊って1時間でも昼寝が出来たらもう極楽。それも叶わずトンエルを抜ければ近道になるが、東海道・近世の道に戻って宇津ノ谷峠に向かう。450x338_15
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                     馬頭観音450x338_17
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  峠の地蔵堂跡の石垣。ここにあった地蔵が先ほどの集落の慶龍寺に移された。450x338_18
                      宇津ノ谷峠338x450_6
峠を降り切ると坂下地蔵堂に着く。この地蔵尊は宇津ノ谷峠を越えようとする旅人の安全を守り、堂前の木陰は旅人の疲れを癒した。450x338_19
やがて岡部宿の案内板が出てきた。
笠懸松と西住の墓への道をかなり登って行く。かなり高い所にそれはあった。ここは西行が弟子の西住と東国への旅の途中に起きた悲しい物語の舞台という。

                      西住の墓338x450_7
         西住が辞世の句を書いた笠を懸けた松。2代目という。338x450_9
                        続く

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2017年8月 5日 (土)

東海道五十三次歩き8 府中~藤枝(1)

また東海道歩き ヤレヤレヽ(~~~ )とうんざりされそうです。どこまで行けるか、果して完歩できるか東海道?心もとない足と体力で、途中で挫折するかもしれませんが、懲りずにお付き合い下さいませ。700x339_3
7/12(水) 前日では雨の予定が曇で気温もそんなに高くならないらしいということで、東海道歩きをすることに。府中宿~丸子宿~岡部宿~藤枝宿の四宿。
東海道線からは一時遠ざかったけれど、静岡駅ー安倍川駅ー用宗駅ー焼津駅ー西焼津駅ー藤枝駅でした。全部で53300歩。今までで一番歩きました。
今回はいつものこだまで静岡駅に8:24に到着し、8:30にはもう歩き始められたということと、岡部と藤枝の途中になると次回はバスで大分戻らなくてはならないということで、最後頑張って藤枝駅まで歩いてしまったことによります。曇の筈が現地は晴れていて、それがずっと続いていた。日陰に入ると涼しい風が吹いていたのでどうにか一日体が持った次第。

前回、府中宿の静岡駅と東海道が交差する地点の西郷・山岡会見所辺りから歩きはじめる。宿場町の中心だった所である。明治22年になり府中は不忠に通じるという意見が出て、賎機山(しずはたやま)から賎ヶ丘、そして漢字を静岡としたそうだ。
駿府の大御所として、ここで家康は府中の街を整備し、駿府96ヵ町、新通りを造り、駿府城天守閣と富士山が一直線に見えるようにしたらしい。駿府は駿河の府中と言う意味である。

各個所に町名が書いてあって、伝馬町、材木町、毛皮町、紺屋町、鍛冶町、呉服町と言ったいろいろな名前があった。650x488_3
                 府中の消火栓はカラフルだ450x338
                 札の辻跡 法度や掟書などが高く掲げられた高札場の跡338x450
この近くの右手奥に『東海道中膝栗毛』の作者・十返舎一九の生家跡がある。江戸生まれとばかり思い込んでいた。
標柱のない西見附跡で府中宿とも別れると、安倍川の橋が見えてきた。
川の手前には、安倍川の川会所跡の説明板がある。架橋を禁じられていた川の一つ、安倍川も川越人足により川渡しが行われていた。この人夫を監督する所のこと。
又水神社は安全祈願のため、富士川にもあったが、ここでも川の手前にある。450x338_2
由比正雪の墓趾がここにあった。その他明治天皇御小休所趾などいろいろな碑があった。488x650
弥次喜多にも出てくる安倍川餅が有名。創業210年の「せきべや」は10時開店。しかし9時半前だけどもう開いていた。娘に朝ご飯は控えめにと前日通達があったが、これだったのだ。やわらかくて出来立てでとても美味しかった。450x338_3
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                                         安倍川を渡る450x338_5
東海道の松の名残り。江戸幕府は夏の日除け、冬の西風よけのためか、街道を整備するとき道の両側に松を植えた。この辺りも丸子宿までずっと続いていた。338x450_3
  何だか見たことのない花に見とれた  シモツケ属?のようです(Sさんに感謝です)。450x338_6
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丸子宿(20番目)に到着。丸子宿江戸方見附跡338x450_5
道に沿って丸子川がながれ、水神社に馬頭観音が祀られる。そこにあった木の洞の20㎝以上もあるきのこにびっくり!338x450_4
サルンコシカケ科・コフキサルノコシカケ又はオオミノコフキタケ Sさんありがとうございます。450x325
                                        八重咲きひまわり450x338_8
本陣跡、脇本陣跡、問屋場跡などの標柱が次々と出てくる。
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各家には、今はやっていなくても、屋号を記した札をかけている
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広重の絵に出てくる、とろろ汁の丁子屋に11時に到着する。店の前には芭蕉の句碑「梅わかな丸子の宿のとろろ汁」がある。450x338_9
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部屋はもうすでに半分くらい埋まっている。
丸子膳(とろろ汁、麦飯、味噌汁、香物、薬味)に(むかご揚げ団子、むかごの和え物、駿河湾産しらす、甘味)がついたのが本陣。とても美味しかった。
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             丁子屋のそばに高札場が再現されていた450x338_14
                      つづく

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2017年8月 1日 (火)

あじさい山の病気と高尾山精進料理

7/9 越生梅林の近くにあるあじさい山公園に行ったのですが・・同行者が前日ホームページで見たら咲いてないとのこと。
もうバスにも乗ってしまったし、公園までの道があじさい街道なので街道のアジサイを楽しみました。450x338
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ルドベキアやヤブカンゾウ、タイマツソウなども咲いている。
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あじさい山は8年前にあじさいが全て病気になって全滅したそうなのです。13000株の多種類が植えられていたそうなのですが。
青梅の吉野梅郷がウィルスにやられ病気になり、2014年を最後に全部伐採したとのこと、植物も病気にかかるとよその地域まで伝染するのを防ぐためだと知りました。
ウィルスが終息するまで梅の木は植えられず、代わりに花を植えたとか。

ここあじさい山も下の方には様子見のあじさいが点々と植えられています。8年も様子を見ているそうで、完全に病気と縁がないことが分かればその時点で山全体に植えるのだそうです。
花と違って樹木は難しいのですね。

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表と裏と様子が全然違うきのこが展望台付近にありました。イグチ科アワタケ(可食)。sさんありがとうございます。450x284
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公園内のお蕎麦屋さんでビールやかき氷を頂きながら昼食にしたのですが、店のおばあさんと娘さんが山菜の煮漬けやジャガイモ煮っ転がしをサービスしてくれました。
アジサイの季節だけアジサイが咲いてないのに、土曜日曜だけお店を開いているのも、おばあさんの生き甲斐で、助ける娘さんも感じの良い方でした。この日で今年はお店を閉じるとのことで、もう会えないかもしれない親子に別れを告げました。

アジサイと言えば7/30、大山街道歩きのメンバーと雨の中の高尾山に行ってきました。まだアジサイが咲いていたのです。450x338_16
タマアジサイやヤマユリ、キキョウも咲き、薬王院のハスの花も開いていました。
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        頂上もこんな具合で高尾山としては閑散としていた方です450x338_21
昼食は予約していた薬王院・大本坊の精進料理・天狗膳をいただきました。葛餅にかかったとうもろこしあんこが、何とも言えない珍しい味でした。ノンアルコールビールで乾杯。
各々適当に座った膳には戒めが書いておいてあります。私は「相手を思いやる」。その人に丁度あった言葉が置かれていたのには、一同5人は感心しきり。450x296
                       大本坊450x338_22
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そもそも雨の中を登ることになったのは、前日雨が降ってきた時間には精進料理をキャンセル出来なかった(全額支払い)からなのです。でも比較的すいていたし、もやっていて山水画のような中に身を置くことが出来て、それなりに楽しめましたし、雨で涼しく熱中症にならないですんだのも幸いでした。

 帰りに買ったケーブルそばの「天狗焼き」は餡が黒豆で珍しい。皮も美味しい。
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