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2017年8月31日 (木)

等々力渓谷とサギソウがまだ咲いている九品仏浄真寺

1昨日、8/29は晴れて33℃。そんな中、23区内で唯一の渓谷・等々力渓谷(約1㎞)から九品仏浄真寺へ、6㎞位歩いたでしょうか。渓谷は涼しかったけれども九品仏への道は暑かった。富士女子会の5人で今月も暑くても歩く。

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等々力渓谷は国分寺崖線の連なりにあり、立川市から国分寺、小金井、三鷹、調布、狛江、そして世田谷区から大田区へと延長30㎞続いているというその中にある。
以前にも行ったコースでお馴染みの不動の滝や稚児大師堂、等々力不動尊は懐かしかったが、以前見なかった等々力渓谷3号横穴を見ることが出来、開いていなかった日本庭園で休息できたのが良かった。
3号横穴は野毛地域の有力な農民の墓 。古墳時代末期から奈良時代にかけて構築された。埋骨人骨や副埋葬品も良好であったそうだ。450x420
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                         川縁には湿生植物のセキショウがいっぱい450x338_3
              カワラタケ きのこと蜂の巣はSさんに教えていただきました 338x450_7

                 チャカイガラタケ?450x338_8

日本庭園(竹林やみかん畑がある)

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蜂の巣?みたいなきのこ?か、あるいはゴミか不思議な物体。コアシナガバチの巣450x399_2
                   ねじれたザクロの木338x450_2
       等々力不動尊 本尊・不動明王は役行者の作と言われる450x338_9

御岳山古墳 渓谷を出てすぐの所にまた古墳がある。5~6世紀のもの。338x450_3
宇佐神社の後ろにも八幡塚古墳があるそうだ450x392
伝乗寺(浄土宗)には五重塔がある。宇佐神社のお向かいにある。338x450_4
          世田谷のマンホールの蓋 さぎそうと書かれている450x326

九品寺駅通りのお寿司屋さんに吸い込まれて、ちらしずしを食べる。450x338_10
          アイスあんぱんに心惹かれたが、満腹であきらめる。338x450_5

九品仏浄真寺

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             手水場にサギソウのレプリカとクロアゲハ 450x338_13
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            サギソウがまだわずかながら咲いていた! 450x338_14
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              菩提樹の切り株にコフキサルノコシカケ450x338_19
                  本堂に面するお庭450x338_20
              三仏堂の上品上生の阿弥陀如来さま450x338_21
                鐘楼 12干支の彫刻が見事なこと450x338_22
             お茶の時間(午後2時半)クリームアンミツ450x338_23

こちらは今年は時々涼しい日があるので、こうして出かけられ、熱中症にならないで済んでいるが、以前の熱帯夜が50日以上続いたり、猛暑日がたびたびあったりした年だったら、もう耐えられそうにないです。でも我慢して生きていかねばならない。

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2017年8月28日 (月)

東海道五十三次歩き9 大森~神奈川宿(2)

そうそう、前回最後に忘れていたのが、「関札」だ。今までの宿では出会わず、初めて知った札。
川崎宿の棒鼻(宿駅のはずれ)や本陣の前には、その日その宿にお泊まりになる大名の立派な「関札」が掲げられていた。これは「加藤遠江守宿」と書かれている。(先日の高尾山の宿坊では「ふじ会御一行」と大きく書かれていてこそばゆかった。ホテルや旅館や予約食事処にもありますね)

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京急八丁畷駅の手前の芭蕉の句碑「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」 1694年、芭蕉が故郷伊賀へ向かう旅で、見送りに来た門人たちとここで別れた。芭蕉はこの年10月に51歳で大阪で亡くなった。句碑が建てられたのは1830年。450x338
パンパスグラス サルノコシカケ(以前のアラゲカワラタケとは違うようだ)
変った植物!450x338_2
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無縁塚 江戸時代に災害や疫病で亡くなった無縁仏の人骨が埋まっていたという。八丁畷の由来は、人家もなく八町(約870m)もあぜ道(畷)が続いていたからという。想像もつかない今だ。450x338_5
カリンの街路樹が続く。珍しい。
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京急鶴見市場駅のそばに、日本橋から5番目の市場一里塚があり、奥に稲荷の祠がある。338x450
金剛寺の子育て地蔵や馬頭観音などを見る。馬頭観音はいつも馬頭が殆ど見られない。450x338_8
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暴れ川と言われた鶴見川の橋を越えると鶴見橋関門旧蹟がある。生麦事件の発生により、川崎宿から保土ヶ谷宿まで20か所の見張り番所が設けられ、これはその一つ。352x450_2
その少し先の鶴見神社。境内の頼朝が奉納したとされる富士塚(立入できない)。450x338_9
参道付近には茶屋が数軒あって「お江戸日本橋」♪に歌われる「よねまんじゅう」が鶴見の名物だった。井原西鶴も『八百屋お七』の中で書いているそうだ。東海道の名物1号で神奈川県の名産百選に指定されたほど。JR鶴見駅のそばの店で買うことが出来、後で生麦神明公園で食べる。安倍川餅も美味しかったけれど、羽二重粉を使ったやわらかい薄い餅に小豆餡、白餡、梅餡の3種を包んだものでとても美味しい。450x338_10
鶴見駅の反対側に総持寺があるが、夫の両親と義兄の墓があるので行っているからこの日は行かない。

旧東海道に戻るとJR鶴見線の高架の国道駅が右手に見える。9.7kmの工業地帯を走り、鶴見駅以外はすべて無人駅だそうだ。
ガード下がレトロで、映画のロケに使われたとのことだ。450x338_11
道念稲荷神社にはたくさんの鳥居がある。「蛇も蚊も」という祭りが行われる。蛇や蚊が出る季節になったので<雨よ降れ>の雨乞いの掛け声をかける。萱で編んだ大きな蛇を子供が担ぎ、叫びながら町内を練り歩く。疫病が流行した時は、蛇に悪霊を封じ込めて海に流した。450x338_12

民家の塀に「生麦事件発生現場」の説明板が設置されていた450x369_2
国道に合流する辺りにキリン横浜ビアビレッジが見えてきた。併設レストランで生ビールを味わっていると、この後に差し支えるので残念な思いで通り過ぎる。450x338_13
新子安駅手前の遍照院には庚申塔がある。山門前には5基あって、仏像と猿の組み合わせだ。450x338_14
子安駅あたりの町名には浦島町、亀住町、浦島丘など「浦島伝説」に因んだ名前が多い。
子安駅の北西にある連法寺には浦島太郎の伝供養塔がある。450x217
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3番目の宿・神奈川宿江戸方入口に到着。 京急神奈川新町駅の所にある神奈川通東公園内にオランダ領事館跡がある。オランダ領事館に充てられた長延寺(現在ここにない)前に枡形があった。神奈川宿の入口である。338x450_4
その先の良泉寺。多くの寺があの時期外国の領事館に充てられるなか、良泉寺の住職は本堂の屋根を剥がし、修理中であるから断ったという骨のある住職であった。450x338_16

この日の最後、京急仲木戸駅(JR東神奈川駅)の所にある神奈川小学校の壁に神奈川の地名の由来となった「上無川」の説明板があるのを見る。この小学校の東脇にあった小溝は水が少ししか流れておらず、水源が定かでないのでカミナシガワ(上無川)と呼ばれ、「ミ」「シ」を略してカナガワというようになった。何故「神」と「奈」を使ったかは書かれていない。
江戸後期に幕府の道中奉行所は「東海道分間延絵図」を作った。小学校の壁には神奈川藩の部分が全部描かれている。素晴らしい絵図である。450x299
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品川駅からずっとつかず離れずの京浜急行の電車は次の神奈川駅でお別れ、神奈川宿をもう少し見て、保土ヶ谷の方に向かいます。
次回の予定日は涼しくなってから、雨でなかったらいよいよ大井川を川の中でなく、橋の上を歩いて渡ります。
                   (完)

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2017年8月24日 (木)

東海道五十三次歩き9 大森~神奈川宿(1)

8/18(金)は30℃以下、時には雨と言うことで、夏休みが再び取れた娘と急遽、近場の方の東海道歩き、大森から川崎宿を経て神奈川宿の入り口まで。京急大森町駅から歩き始めたのは10:45で遅く、夕方も6時15分にはJR東神奈川駅から帰路に着きました。蒸すので飲み物ガブガブ。足がちょい重い感じで、すたすた行く子供の後ろを時に小走り気味に歩む老婆。35062歩。

すぐ次の駅の梅屋敷駅を過ぎると、梅屋敷公園がある。梅屋敷は江戸時代に山本久三郎という商人が屋敷に梅の木を植えた庭園を造り、そこで茶屋を営んだという。公園には里程標やたくさんの句碑・歌碑などが立ち並んでいた。450x338
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公園の前には斬新なデザインの建物が目を惹き、屋根の縁には木が植えられている。大田区立体育館か?450x338_3
                                 Trump Tower 何のお店でしょう450x338_4
蒲田駅近くは羽根付き餃子が有名だが、お昼に少し間があったのであきらめて進むと、熊野神社の力石が目に入る。その昔近郷近在の若者達が祭礼時等に力比べをした石だそうだ。何㎏あるのでしょう。450x338_5
                               熊野神社内の稲荷社の狐の顔が怖い450x338_6
広い国道歩きが続き,、雑色駅を過ぎると、左手に源氏ゆかりの六郷神社が現れる。450x338_7
          梶原景時が寄進したと言われる太鼓橋は実に小さい450x338_8
また、大田区の文化財に指定されているという狛犬はユニークで今まで見たことがない。
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旧東海道に入る、人も車もそうは見えないのがいい。
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多摩川の手前に落馬止め天神の北野天神がある。八代将軍吉宗公の落馬を止めたという天神様。今は願い事が決して落ちませんようにとご加護にあやかろうと祈る人が多いという。450x338_11
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六郷橋に出た。六郷橋は瀬田の唐橋、岡崎の矢矧橋と並んで東海道の三大橋と言われたそうだが、1688年に洪水で流出してしまったそうだ。1874年(明治7)まで橋はなく渡し船であった。
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           当時の渡し船の模型が橋の両側に置かれている450x338_15
渡り終わると橋のたもとには、明治天皇六郷渡御碑や渡しの説明板や川崎大師の灯籠がある。そして長十郎梨が、明治中頃この辺り大師河原村で生まれたという説明板もあった。
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橋を降りると川崎宿だ。日本橋から品川の次の二つ目の宿だが、宿になったのは最後から2番目、52番目にできたそうだ。観光案内板が良く整備された宿だが、ここも1761年の大火で消失したため、建物は残っていない。
宿の入り口にあった万年屋はアメリカ総領事ハリスも宿泊した旅籠で、奈良茶飯で有名であった。その向かいに田中本陣跡があり、大名家の財政難などで衰えてしまった本陣の荒廃ぶりを見たハリスが宿を万年屋に変えたそうだ。

このそばの「川崎屋・東照」という店が奈良茶飯を再現していたので昼食にした。
もち米に栗の甘露煮、大豆、小豆を加えてお茶の風味に仕上げたおこわで、シジミ汁も付いていて美味しかった。450x338_16
その隣に「東海道かわさき宿交流館」があって、興味深い展示がなされていた。川崎宿のジオラマや万年屋のコーナーや江戸時代の衣装を着られるコーナーなど、いろいろ充実している。無料。450x338_17
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面白かったのが歌川国貞作 東海道五十三次 「美人東海道」展だ。広重の五十三次の絵(模写)の前に得意の美人画を描いた。今回はちょうど真ん中の袋井まで。残りは8/29~9/18まで。国貞はこんな絵を描いていたのですね。(クリックで大きくなります)

川崎宿で最も古い寺・宗三寺には、宿に大勢いた飯盛り女の供養塔がある。450x338_18
昔流れていた新川堀に架かっていた小土呂橋の親柱が保存されている辺りが川崎宿京側入口だ。ここで川崎宿は終わり鶴見へ向かう。450x338_19
                       (続く)

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2017年8月20日 (日)

『アルチンボルト』展 国立西洋美術館

イヌキクイモ 花期が7~8月で根が芋にならない。キクイモは花期が9~10月で遅く芋が出来る。
地下茎でいつも数十株立ちするので背が低く花も良く咲かなかったが、今年は2本にしたら何と、2.6mの高さになってしまいました。450x338
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ゴーヤに今年は虫が寄ってきて、まずカブトムシがずっと居続け、そのあと同じゴーヤにカマキリが何やらお仕事を。
その上の方のゴーヤにはあの臭いカメムシが連日やってきて、そのゴーヤだけに居ついているので、このゴーヤは収穫しないことにしました。338x450
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お鷹の道にて          昔この辺りにあったという水車が流れの中に復元されていた813_338x450
        ホトトギス          ルドベキア・タカオ
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       オミナエシ             キツネノカミソリ
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『アルチンボルト』展 国立西洋美術館
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ヒエロニムス・ボスの絵や歌川国芳の「人かたまって人になる」「みかけハこハゐがとんだいい人だ」なんて面白いが、アルチンボルトも見飽きないほどの作品だ。
ジュゼッペ・アルチンボルト(1527~1593)はどんなお顔?、自画像がありました。とてもダンディ、美男子で素敵な画家です。
ミラノ生まれのイタリア人なのに、殆どウィーンとプラハのハプスブルク家の宮廷で活躍し、大作《四季》と《四大元素》を皇帝に献上した。
花や野菜、魚、鳥、獣といったモティーフを思いがけない組み合わせで人の顔に描いているのである。四季と四大元素がペアで向き合うように構成されている。

《大気》-《春》 大気は鳥がびっしりで頭を見ていると不気味。春は80種以上の花や草で描かれる。

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《夏》 -《火》  夏は野菜や果物からなり、鼻はズッキーニだ。火は火打ち石とか導火線や薪など火に関連するもの。
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《大地》-《秋》 大地は動物の寄せ絵でライオン、象、羊、兎などが見える。秋はブドウやワイン樽、栗などの収穫物。
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《冬》 -《水》  冬は切り株や苔、折れた枯れ枝、蔦の葉、きのこなど寂しい感じ。水はカニ、貝、エビ、タコ、エイなどの魚多数、サンゴまで。目や鼻、唇、耳や頬などが何で描かれているかに注目するのも楽しい。
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上下絵
上向けは<野菜>、下向けにすると<庭師>で良くできている。
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これらの作品は今は消失してしまっているのが多いが、いろいろなバージョンが残っていて、全8枚がいろいろな国から今回は集められた。
またアルチンボルトに追随する人も多くいて、その人たちの作品も並べられている。時間があればいつまでも眺めいていたい楽しい作品でした。

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2017年8月15日 (火)

鷗外の「庭」に咲く草花 展

特別展 鷗外の「庭」に咲く草花 牧野富太郎の植物図とともに と言う長い名前の展覧会に、終わる直前に行ってきました。

462x650千駄木の駅を降りて団子坂を上って行くと文京区立森鷗外記念館があります。
ここは鷗外の旧居「観潮楼」の跡地で、鴎外は1892(明治25)年から、亡くなる1922(大正11)年までここで過ごしました。
鬱蒼と植物が茂る様子を写した写真がありました。
明治・大正の文豪として夏目漱石と並び称される鷗外は軍医でもあり、評論家、翻訳家としての一面も持っていて、晩年、帝室博物館の総長や帝国美術院の初代院長なども歴任した、輝かしい経歴の持ち主でもある。、軍医として、脚気惨害をめぐる議論では一部擁護論はあるものの、批判も浴びてる。北里がペスト菌を発見した際もこれを痛烈に批判していることは頑迷固陋であったと言わざるを得ないと思う。それはそれとして・・・

鷗外の日記や子供たちに残したエッセイからは、草花を好み園芸を楽しむ一面を見ることが出来る。また自身の作品の中に500種以上の草花を登場させているそうだ。
作品の中の草花は、季節感や自然の美しさを忠実に伝えるものもあれば、鴎外の想いを伝える表現手段として登場するものもあるという。

そんな鷗外は、牧野富太郎と交流があり、牧野は何度も鷗外の家を訪れている。
この展覧会ではそうした鷗外作品に見られる草花と、観潮楼で咲いていた草花を牧野富太郎の植物図と共に紹介していました。
今の新しい園芸種は一切ないわけで、昔の家庭の庭をそのまま鷗外の作品で見られるというとても地味な展覧会でありました。
なかなか鷗外を読み返すことが出来ないが、こうした観点から明治大正の小説を読み返すのもいいかもしれません。

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GWとお盆休みはひたすら家の中だけでじっと過ごす我が家は、娘たちの夏休み中のお出かけ土産を食べ尽くしておりました(残るはおなめとジャムのみ)

・秩父土産ーーー和同最中、秩父おなめ(みそ)、しゃくしな(漬物)、ブルーベリージャム
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・大森土産ーーーのり大福(前出)

・箱根の帰り土産ーーー小田原籠清の磯三昧(桜えび太鼓判・さつま揚げ・いわし揚げ・珍味揚げ)、馬車道アイスクリンハーバー
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・山梨県土産ーーー黄金桃(すごく大きく普通の2個分)、夏のほうとう「おざら」、桔梗信玄餅、桔梗屋のどら焼きと桃まんじゅう
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2017年8月12日 (土)

東海道五十三次歩き8 府中~藤枝(3)

1872年(明治5年)に新橋~横浜が開通したが、京都まで電車で行かれるようになったのはいつかを調べてみると、
1889年(明治22年)新橋~神戸間 600.2kmが開通した。全線直通列車が1往復運行され、所要時間は20時間強であったそうだ。15日間の街道歩きからは考えられない速さ。
1914年(大正3年)東京駅が開業し、同駅が東海道本線の起点となった。
1964年(昭和39年)に東海道新幹線が出来、1992年(平成4年)にのぞみが登場し、のぞみだけでも1時間に10本から15本も出ている現在に、そして移動する人の多さに驚いてしまう。

21番目の岡部宿の入り口、東木戸のあった枡形跡。439x450

弥次さん喜多さんは岡部に投宿する際、「豆腐なるおかべの宿につきてけり足にできたる豆をつぶして」と詠んだ。「おかべ」とは豆腐のことで、平安時代の公家は豆腐がなまこ壁、御壁に似ていることから、おかべと呼んでいたそうだ。450x338
大旅籠柏屋(かしばや)は旅籠屋と質屋を兼業していた。今は資料館になっている。2回の火災後1836年に建てられ、180年経っている。450x338_2
        その隣が、内野本陣跡 表御門と塀が推定復元されている。450x338_3
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問屋場跡や高札場跡を過ぎるともう西の枡形跡だ。

  東海道岡部宿の松並木が出てきたが、今までにない長い長い松並木である。450x417
           きのこのような常夜灯のところから旧道に入る338x450

岩村藩領横内集落に入る。「従西厳村領」と書かれた岩村藩領傍示杭。傍示杭は街道では宿場の境を示すもので、広重の版画にも描かれているそうだ。338x450_2
横内村には職人が多くいて、今も掲げられている屋号札は当時の仕事を示している。
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           次に出てきたのが田中藩傍示石(徳川家重臣)338x450_5
少し先左手に御成街道があって田中城へ通じているが時間がないためこれもカット。今は下屋敷跡に冠木門が復元され、本丸櫓が移築されているそうだ。
藤枝宿は田中城の城下町でもある。ここ田中城で徳川家康が鯛の揚げ物を食べ、それがもとで亡くなったのではないかと言う話が有名。

須賀神社のクスの大きいこと!県の指定天然記念物で樹齢500年。枝張も東西約20m、南北約30mもあるという。旧東海道の脇にあるので、往来する旅人を見つめてきた大木だ。450x338_5

22番目の宿・藤枝宿は番所跡標柱(見逃す)近くの東木戸から正定寺近くの西木戸までの約2㎞だ。
平安時代に源義家が神社に咲く藤を見て詠んだ和歌から、藤枝の地名が付けられたという。 

小川眼科医院の白子由来の碑 本能寺の変後の家康の有名な伊賀越えの際、伊勢国白子(鈴鹿市)の小川孫三に助けられ、常滑の正住院に逃れることが出来た。その孫三に追っ手の危機があったので、藤枝に妻子とも住まわせ、ここを白子町と命名し、諸役免除の特権を与えた。小川眼科はその子孫である。338x450_6
蓮正寺の市天然記念物のイブキ 源頼朝の御家人の熊谷直実が法然上人の門に入り、蓮生と名乗ったが、この直実が関係したお寺。「月の砂漠」の作詞者の加藤まさをの墓もある。450x338_6
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大慶寺の「久遠の松」 日蓮が比叡山に行く途中、近くの夫婦を説得して開かれた寺。松は日蓮上人お手植えで、静岡県の天然記念物。樹齢700年。高さ25m。450x338_7
広重の藤枝宿は「藤枝人馬継立」上伝馬問屋場風景で、パーキングの所が上伝馬問屋場跡だ。説明の横に広重の絵が添えられている。本陣跡もこの場所にあった。450x381
                  弁天わらべ地蔵が可愛い338x450_8
正定寺の「本願の松」別名「延命の松」は田中城主が大阪城代に登用されたとき(1730年・享保15)、報恩感謝で植えた。傘形に枝張りした美しい姿。藤枝市指定天然記念物。この辺りが西木戸跡だ。450x338_8
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                    瀬戸川の風景450x338_10
        岡野繁蔵の碑 裸一貫から南海のデパート王になった人338x450_9
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というわけで藤枝宿は天然記念物の樹木が多かった宿であった。

藤枝駅には午後7時頃到着し、東海道線で静岡に出、こだまに乗って東京駅には9時半頃着き、家には10時半頃到着した。
静岡で買った富士山型の「富士の味覚」弁当にまた桜えびが入っていて美味しかった。450x277
                       (完)

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2017年8月 9日 (水)

東海道五十三次歩き8 府中~藤枝(2)

6/28に日本橋から大森まで歩いた時に、平和島駅近くの大黒屋が定休日で「のり大福」を食べられなかった。ところが1昨日娘がしながわ水族館に行った帰りに大黒屋で買ってきてくれた「のり大福」を味わいました。夕ご飯を食べた後にもらい、消費期限がその日の内で、冷凍も考えたけれども、どうしても食べたくて、家の近所を散歩してから戴いた。
のりは青海苔で(黒い浅草海苔を想像していた)ほのかに香り、餡も上等で美味しかったです。今は大森は海苔の養殖をしていないけれど、当時の大森を偲び、のり大福を作り続けているそうだ。御馳走様でした。
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                  丸子の消火栓 富士山と丸子川と丁子屋の建物か?450x338_3
丁子屋を出て高札場。ここが丸子宿西見附で、ここから次の岡部宿の間にある宇津ノ谷峠に向かう。

        歩きはじめるとすぐ右側奥に行ったところに誓願寺がある450x338_4
ここには大阪冬の陣の原因となった「国家安康」の京都方広寺鐘銘事件の家康への申し開きで、片桐且元が滞在した寺だ。境内に且元夫妻の墓がある。450x338_5
丸子は紅茶発祥の地である。丸子の多田元吉は、明治9年政府からインドに派遣され、紅茶製造技術を全国に広め、丸子に茶園を開いた。伝統の紅茶造りは今も続いている。450x338_6

●宇津ノ谷の集落から宇津ノ谷峠へ

宇津ノ谷峠には古代から現代まで6つの道が現存する。
① 蔦の細道(古代から中世への道)平安時代の歌人在原業平が『伊勢物語』の中で、「駿河なる宇津の山べのうつゝにも夢にも人にあわぬなりけり」と詠んでいる。その他新古今和歌集や紀行文、歌舞伎にも取り上げられている。
② 東海道(近世の道) 1590年秀吉の小田原征伐の時に開かれたとされる。
③ 明治のトンネル道  徒歩でしか通過できない
④ 大正のトンネル道  車で通過できる
⑤ 国道1号上り(昭和の道)
⑥ 国道1号下り(平成の道)

宇津ノ谷の集落へ左の道を入る。集落の左手には昭和と平成のトンネルが見え、車がビュンビュンと絶え間ない。450x338_7
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         この集落の各家にも屋号が残る
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御羽織屋は機知に富んだ主人が秀吉から羽織を下賜された家で、家康から贈られた茶碗もあり、訪問者の芳名録も凄いとのことだが、この日はお休みだった。

                      慶龍寺450x338_9
ここには十団子の句碑がある。峠の人食い鬼を地蔵が僧侶に化けて、鬼を団子に変身させ、その団子を10個に砕いたという由来がある。450x338_10
お地蔵様がいっぱい
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         集落を通り抜け登って行く。宇津ノ谷の集落が見えた。450x338_14
明治のトンネルに行ってみた。長さ230m、工費3万5千円、延べ人夫21万人。登録有形文化財。
トンネルの中の涼しいこと。我が人生で快い涼しさのナンバーワン。トンネル内にハンモックを吊って1時間でも昼寝が出来たらもう極楽。それも叶わずトンエルを抜ければ近道になるが、東海道・近世の道に戻って宇津ノ谷峠に向かう。450x338_15
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                     馬頭観音450x338_17
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  峠の地蔵堂跡の石垣。ここにあった地蔵が先ほどの集落の慶龍寺に移された。450x338_18
                      宇津ノ谷峠338x450_6
峠を降り切ると坂下地蔵堂に着く。この地蔵尊は宇津ノ谷峠を越えようとする旅人の安全を守り、堂前の木陰は旅人の疲れを癒した。450x338_19
やがて岡部宿の案内板が出てきた。
笠懸松と西住の墓への道をかなり登って行く。かなり高い所にそれはあった。ここは西行が弟子の西住と東国への旅の途中に起きた悲しい物語の舞台という。

                      西住の墓338x450_7
         西住が辞世の句を書いた笠を懸けた松。2代目という。338x450_9
                        続く

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2017年8月 5日 (土)

東海道五十三次歩き8 府中~藤枝(1)

また東海道歩き ヤレヤレヽ(~~~ )とうんざりされそうです。どこまで行けるか、果して完歩できるか東海道?心もとない足と体力で、途中で挫折するかもしれませんが、懲りずにお付き合い下さいませ。700x339_3
7/12(水) 前日では雨の予定が曇で気温もそんなに高くならないらしいということで、東海道歩きをすることに。府中宿~丸子宿~岡部宿~藤枝宿の四宿。
東海道線からは一時遠ざかったけれど、静岡駅ー安倍川駅ー用宗駅ー焼津駅ー西焼津駅ー藤枝駅でした。全部で53300歩。今までで一番歩きました。
今回はいつものこだまで静岡駅に8:24に到着し、8:30にはもう歩き始められたということと、岡部と藤枝の途中になると次回はバスで大分戻らなくてはならないということで、最後頑張って藤枝駅まで歩いてしまったことによります。曇の筈が現地は晴れていて、それがずっと続いていた。日陰に入ると涼しい風が吹いていたのでどうにか一日体が持った次第。

前回、府中宿の静岡駅と東海道が交差する地点の西郷・山岡会見所辺りから歩きはじめる。宿場町の中心だった所である。明治22年になり府中は不忠に通じるという意見が出て、賎機山(しずはたやま)から賎ヶ丘、そして漢字を静岡としたそうだ。
駿府の大御所として、ここで家康は府中の街を整備し、駿府96ヵ町、新通りを造り、駿府城天守閣と富士山が一直線に見えるようにしたらしい。駿府は駿河の府中と言う意味である。

各個所に町名が書いてあって、伝馬町、材木町、毛皮町、紺屋町、鍛冶町、呉服町と言ったいろいろな名前があった。650x488_3
                 府中の消火栓はカラフルだ450x338
                 札の辻跡 法度や掟書などが高く掲げられた高札場の跡338x450
この近くの右手奥に『東海道中膝栗毛』の作者・十返舎一九の生家跡がある。江戸生まれとばかり思い込んでいた。
標柱のない西見附跡で府中宿とも別れると、安倍川の橋が見えてきた。
川の手前には、安倍川の川会所跡の説明板がある。架橋を禁じられていた川の一つ、安倍川も川越人足により川渡しが行われていた。この人夫を監督する所のこと。
又水神社は安全祈願のため、富士川にもあったが、ここでも川の手前にある。450x338_2
由比正雪の墓趾がここにあった。その他明治天皇御小休所趾などいろいろな碑があった。488x650
弥次喜多にも出てくる安倍川餅が有名。創業210年の「せきべや」は10時開店。しかし9時半前だけどもう開いていた。娘に朝ご飯は控えめにと前日通達があったが、これだったのだ。やわらかくて出来立てでとても美味しかった。450x338_3
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                                         安倍川を渡る450x338_5
東海道の松の名残り。江戸幕府は夏の日除け、冬の西風よけのためか、街道を整備するとき道の両側に松を植えた。この辺りも丸子宿までずっと続いていた。338x450_3
  何だか見たことのない花に見とれた  
フトモモ科バクホウシア属の「レモンマートル」です。Oさんありがとうございました。
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丸子宿(20番目)に到着。丸子宿江戸方見附跡338x450_5
道に沿って丸子川がながれ、水神社に馬頭観音が祀られる。そこにあった木の洞の20㎝以上もあるきのこにびっくり!338x450_4
サルンコシカケ科・コフキサルノコシカケ又はオオミノコフキタケ Sさんありがとうございます。450x325
                                        八重咲きひまわり450x338_8
本陣跡、脇本陣跡、問屋場跡などの標柱が次々と出てくる。
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各家には、今はやっていなくても、屋号を記した札をかけている
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広重の絵に出てくる、とろろ汁の丁子屋に11時に到着する。店の前には芭蕉の句碑「梅わかな丸子の宿のとろろ汁」がある。450x338_9
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部屋はもうすでに半分くらい埋まっている。
丸子膳(とろろ汁、麦飯、味噌汁、香物、薬味)に(むかご揚げ団子、むかごの和え物、駿河湾産しらす、甘味)がついたのが本陣。とても美味しかった。
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             丁子屋のそばに高札場が再現されていた450x338_14
                      つづく

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2017年8月 1日 (火)

あじさい山の病気と高尾山精進料理

7/9 越生梅林の近くにあるあじさい山公園に行ったのですが・・同行者が前日ホームページで見たら咲いてないとのこと。
もうバスにも乗ってしまったし、公園までの道があじさい街道なので街道のアジサイを楽しみました。450x338
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ルドベキアやヤブカンゾウ、タイマツソウなども咲いている。
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あじさい山は8年前にあじさいが全て病気になって全滅したそうなのです。13000株の多種類が植えられていたそうなのですが。
青梅の吉野梅郷がウィルスにやられ病気になり、2014年を最後に全部伐採したとのこと、植物も病気にかかるとよその地域まで伝染するのを防ぐためだと知りました。
ウィルスが終息するまで梅の木は植えられず、代わりに花を植えたとか。

ここあじさい山も下の方には様子見のあじさいが点々と植えられています。8年も様子を見ているそうで、完全に病気と縁がないことが分かればその時点で山全体に植えるのだそうです。
花と違って樹木は難しいのですね。

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表と裏と様子が全然違うきのこが展望台付近にありました。イグチ科アワタケ(可食)。sさんありがとうございます。450x284
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公園内のお蕎麦屋さんでビールやかき氷を頂きながら昼食にしたのですが、店のおばあさんと娘さんが山菜の煮漬けやジャガイモ煮っ転がしをサービスしてくれました。
アジサイの季節だけアジサイが咲いてないのに、土曜日曜だけお店を開いているのも、おばあさんの生き甲斐で、助ける娘さんも感じの良い方でした。この日で今年はお店を閉じるとのことで、もう会えないかもしれない親子に別れを告げました。

アジサイと言えば7/30、大山街道歩きのメンバーと雨の中の高尾山に行ってきました。まだアジサイが咲いていたのです。450x338_16
タマアジサイやヤマユリ、キキョウも咲き、薬王院のハスの花も開いていました。
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        頂上もこんな具合で高尾山としては閑散としていた方です450x338_21
昼食は予約していた薬王院・大本坊の精進料理・天狗膳をいただきました。葛餅にかかったとうもろこしあんこが、何とも言えない珍しい味でした。ノンアルコールビールで乾杯。
各々適当に座った膳には戒めが書いておいてあります。私は「相手を思いやる」。その人に丁度あった言葉が置かれていたのには、一同5人は感心しきり。450x296
                       大本坊450x338_22
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そもそも雨の中を登ることになったのは、前日雨が降ってきた時間には精進料理をキャンセル出来なかった(全額支払い)からなのです。でも比較的すいていたし、もやっていて山水画のような中に身を置くことが出来て、それなりに楽しめましたし、雨で涼しく熱中症にならないですんだのも幸いでした。

 帰りに買ったケーブルそばの「天狗焼き」は餡が黒豆で珍しい。皮も美味しい。
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