東海道五十三次歩き8 府中~藤枝(3)
1872年(明治5年)に新橋~横浜が開通したが、京都まで電車で行かれるようになったのはいつかを調べてみると、
1889年(明治22年)新橋~神戸間 600.2kmが開通した。全線直通列車が1往復運行され、所要時間は20時間強であったそうだ。15日間の街道歩きからは考えられない速さ。
1914年(大正3年)東京駅が開業し、同駅が東海道本線の起点となった。
1964年(昭和39年)に東海道新幹線が出来、1992年(平成4年)にのぞみが登場し、のぞみだけでも1時間に10本から15本も出ている現在に、そして移動する人の多さに驚いてしまう。
21番目の岡部宿の入り口、東木戸のあった枡形跡。
弥次さん喜多さんは岡部に投宿する際、「豆腐なるおかべの宿につきてけり足にできたる豆をつぶして」と詠んだ。「おかべ」とは豆腐のことで、平安時代の公家は豆腐がなまこ壁、御壁に似ていることから、おかべと呼んでいたそうだ。
大旅籠柏屋(かしばや)は旅籠屋と質屋を兼業していた。今は資料館になっている。2回の火災後1836年に建てられ、180年経っている。
その隣が、内野本陣跡 表御門と塀が推定復元されている。

問屋場跡や高札場跡を過ぎるともう西の枡形跡だ。
東海道岡部宿の松並木が出てきたが、今までにない長い長い松並木である。
きのこのような常夜灯のところから旧道に入る
岩村藩領横内集落に入る。「従西厳村領」と書かれた岩村藩領傍示杭。傍示杭は街道では宿場の境を示すもので、広重の版画にも描かれているそうだ。
横内村には職人が多くいて、今も掲げられている屋号札は当時の仕事を示している。

次に出てきたのが田中藩傍示石(徳川家重臣)
少し先左手に御成街道があって田中城へ通じているが時間がないためこれもカット。今は下屋敷跡に冠木門が復元され、本丸櫓が移築されているそうだ。
藤枝宿は田中城の城下町でもある。ここ田中城で徳川家康が鯛の揚げ物を食べ、それがもとで亡くなったのではないかと言う話が有名。
須賀神社のクスの大きいこと!県の指定天然記念物で樹齢500年。枝張も東西約20m、南北約30mもあるという。旧東海道の脇にあるので、往来する旅人を見つめてきた大木だ。
22番目の宿・藤枝宿は番所跡標柱(見逃す)近くの東木戸から正定寺近くの西木戸までの約2㎞だ。
平安時代に源義家が神社に咲く藤を見て詠んだ和歌から、藤枝の地名が付けられたという。
小川眼科医院の白子由来の碑 本能寺の変後の家康の有名な伊賀越えの際、伊勢国白子(鈴鹿市)の小川孫三に助けられ、常滑の正住院に逃れることが出来た。その孫三に追っ手の危機があったので、藤枝に妻子とも住まわせ、ここを白子町と命名し、諸役免除の特権を与えた。小川眼科はその子孫である。
蓮正寺の市天然記念物のイブキ 源頼朝の御家人の熊谷直実が法然上人の門に入り、蓮生と名乗ったが、この直実が関係したお寺。「月の砂漠」の作詞者の加藤まさをの墓もある。

大慶寺の「久遠の松」 日蓮が比叡山に行く途中、近くの夫婦を説得して開かれた寺。松は日蓮上人お手植えで、静岡県の天然記念物。樹齢700年。高さ25m。
広重の藤枝宿は「藤枝人馬継立」上伝馬問屋場風景で、パーキングの所が上伝馬問屋場跡だ。説明の横に広重の絵が添えられている。本陣跡もこの場所にあった。
弁天わらべ地蔵が可愛い
正定寺の「本願の松」別名「延命の松」は田中城主が大阪城代に登用されたとき(1730年・享保15)、報恩感謝で植えた。傘形に枝張りした美しい姿。藤枝市指定天然記念物。この辺りが西木戸跡だ。

瀬戸川の風景
岡野繁蔵の碑 裸一貫から南海のデパート王になった人

というわけで藤枝宿は天然記念物の樹木が多かった宿であった。
藤枝駅には午後7時頃到着し、東海道線で静岡に出、こだまに乗って東京駅には9時半頃着き、家には10時半頃到着した。
静岡で買った富士山型の「富士の味覚」弁当にまた桜えびが入っていて美味しかった。
(完)
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コメント
前回のコメントのお返事になりますが、
難所と言われるので、小夜の中山は
歌に詠まれているのですね。
一つ覚えました。
次は秋かしらと思っていましたが、まだまだ
暑さにめげずお元気です。
藤枝はサッカーを小学生から始めていると
55年前に聞き、すごいなあと思っていたら
プロチームまで出来ていますね。
岐阜はからきしだめです。
さすがサッカーの地だけあり歩道のタイルにも
埋め込まれていますね。
富士山のお弁当、楽しそうですね。
東京駅にはありませんでした。
それとも早々に売り切れかも・・・
明石のたこ弁当さえありましたのに・・・
投稿: matsubara | 2017年8月12日 (土) 15:21
★matsubaraさま
またまた早速にコメントいただきありがとうございます。
小夜中山は西行法師の「年たけて・・・」の歌が有名ですね。
次回は9月の下旬を予定していますが、少しは涼しくなるでしょうか。期待しているのですが。
藤枝はサッカーの町、ゴン中山こと中山雅史の生家もあるのでみんなで盛り上げようとしています。
このお弁当は静岡駅だけなのでしょうか。
とても工夫が凝らしてあって美味しかったです。
明石の引っ張りだこ弁当でしたっけ。買ったことがあります。デパートで、でした。これも美味しかったですよ。
投稿: tona | 2017年8月12日 (土) 16:58
tonaさん、こんばんは~♪
明治初期はまだ人力車も多かったと思うのですが、
明治22年にはもう新橋~神戸間まで
鉄道が伸びていたと知り驚きました。
それに比べると、東京駅ができたのは遅かったのですね。
枡形は馬籠宿や妻籠宿に行った時、初めて見ました。
東海道の宿にも名残が残っている場所が多いですね。
大旅籠柏屋や内野本陣跡などの町並みからは
宿場町当時の面影が感じられました。
修復されたとはいえ、このような町並みは趣があって良いですね。
須賀神社のクスノキ、市天然記念物のイブキ、大慶寺の「久遠の松」
正定寺の「本願の松」、どれも見事で感動しました。
富士山型のお弁当も美味しそう。一度食べてみたいです。
暑い中をよく歩かれましたね。その健脚ぶりに脱帽です。
今回もいろいろ学ばせて頂き、ありがとうございました。
投稿: hiro | 2017年8月12日 (土) 23:06
★hiroさま おはようございます♪
横浜まで開通してから17年間で神戸までとは。
まだ用地買収は今ほど大変でなかったでしょうが、とても早かったような感じです。
東京駅は今の駅舎を造って開業したのですね。
明治の文明開化はそれこそ恐ろしいほどの勢いでなされたことに驚嘆を覚えます。
今はまた違った意味で日進月歩、もう老人にはついていけないですが。
馬籠、妻籠はきちんと枡形が残っていて、私もあそこで学びました。その点東海道の方は定かにはわかりません。
天然記念物の木だらけの藤枝、お寺も立派でした。商店街だけはずっと続いていて、本陣などの家関係は何も残っていませんでしたが、樹木だけの印象で頭に入った宿でした。
こちらこそありがとうございました。
投稿: tona | 2017年8月13日 (日) 08:36
こうしてみていると、東海道は明るいですね。
投稿: 佐平次 | 2017年8月13日 (日) 11:03
★佐平次さま ありがとうございます。
人影はあまりないけれどお天気も良かったし、江戸時代の暗い、恐ろしいイメージは現代にはないわけですね。
投稿: tona | 2017年8月13日 (日) 16:07
天候もそうでしたが、東北とか日本海との対比で、日本のメインルートとしての明るさが感じられました。
舌足らずのコメントで失礼しました。
投稿: 佐平次 | 2017年8月14日 (月) 10:29
★佐平次さま
すみませんでした。
東北や日本海側はこのようにじっくり歩いたことはないですが、確かに随分違うと思います。
様々な意味でメインルートの明るい東海道ですね。
投稿: tona | 2017年8月14日 (月) 12:34
私には考えられない東海道五十三次歩き、健脚だからこそ考えられるのです。
愛犬ラッシーが健在だった頃に毎日散歩で近くを歩き廻りましたが
歩いてるから色々な物が発見できました、車では知らなかった事だらけでしたが
tonaさんも歩いてるからこそ、このように細かく観察でき記事も書けるのですね。
本陣跡は旅行に行ってると、よく見掛けます。
tonaさんの記事で色々な事を教えて貰っています。
藤枝は本当に松との縁が深いですね。
「富士山弁当」美味しそうですね、私は新幹線は殆ど使わないので
駅弁を食べたのは数える程度です。
投稿: ラッシーママ | 2017年8月14日 (月) 12:52
★ラッシーママさま
何もない所でも景色が良ければいいですが、排気ガス立ち込める国道を歩かなくてはならない時だけはちょっとがっかりです。
ですが、おっしゃる通り、歩いていると見えてくるものがあって楽しみです。
藤枝は本陣など往時の痕跡は全くないのですが、今も続いているお寺などの天然記念物の樹木が多くて、サッカーの町藤枝が、私には樹木の町藤枝に変わりました。
東海道といえば松並木、今ではほとんど姿を消しているのですが岡部の松並木は立派ででした。
新幹線のお弁当は今回からになりました。今までは国分寺に帰ってからでしたが、遠くなって、これからは新幹線内で食べるのが楽しみです。美味しいのを選びたいです。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2017年8月14日 (月) 13:11
こんにちは。まだまだ歴史を感じられるところがたくさんあるのですね。白子の話は興味深く拝読しました。
投稿: 多摩NTの住人 | 2017年8月15日 (火) 08:26
★多摩NTの住人さま こんにちは。
白子の話ですが、家康の伊賀越えの話の中に出てこないのですね。
大勢の人に助けられながら逃げ延びられたということで、このような実話もあったのだと、初めて知りました。
命の恩人に対してきめ細かく礼を尽くしたことがわかりますね。
ありがとうございました。
投稿: tona | 2017年8月15日 (火) 08:46