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2017年9月28日 (木)

東海道五十三次歩き10 藤枝~島田~金谷(3)

徹底図解『東海道五十三次』の「川越え」の説明の「なぜ東海道の川には橋や船がなかったのだろうか」によれば、
一つは幕府が諸国の謀反を恐れて橋を架けることや船場を設けることを制限したため。
二つ目は、流れが急で出水する川が多く危険だったため。
三つ目は、旅人がすんなり川を渡ってしまうと地元の宿場の経済が停滞してしまうため。通行料が藩や宿場の大きな収入源であった。

東海道沿いでは、六郷川、馬入川、天竜川などには渡し船があった。(六郷川は最初は橋があったけれど流されてしまった)

川会所を出て大井川を渡る前に「吉三郎の墓」と「朝顔の松」を見る。

関川庵にある八百屋お七の恋人・吉三郎の墓 史実はどうだったのか、こんな所で亡くなっていたのです。畑仕事をしていたおばあさんに聞かなかったら場所もわからず、関川庵の手入れをしている方にちらしをいただいて、墓を教えてもらわなかったら全く分からずじまい。おばあさんに遠い所からよくお詣りくださいましたと感謝されてしまった。

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朝顔の松 浄瑠璃「朝顔日記」の深雪のお墓は清水の法岸寺で既に見てきた。ここ大井川の段も有名な所だった。
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・桜並木の堤450x338_2

●大井川
大井川橋は1026.4mで昭和3年に架設された鋼製のトラス橋で土木遺産に認定されている。450x338_4
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大きな中洲が2つもあって、その両側には川が数筋も流れている所もあって、中洲も見えないほど川が満杯の様子を想像すると、本当は橋を架けても流されてしまったであろうと想像されるし、人足に頼っても渡るのはさぞかし大変であったろうと思われた。対岸には金谷の町が見えている。広重の絵では島田宿でも金谷宿でも大井川の徒歩渡しを描いている。450x338_5
                   向こうの鉄橋はJR450x338_6
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●金谷宿(24番目の宿)
川を越えると金谷宿。駿河国から遠江へ

仲田源蔵像 川越制度廃止された後、1200人もの人足が失業した。当時29歳だった仲田源蔵が私財を投じて失業者を援助し、牧ノ原大茶園の開墾を政府に直訴し実施された。その顕彰碑。338x450_6
              ここにも小さいけれど水神社があった450x338_8
金谷側も人足宿が8軒あった。幕末には30軒以上あったが、大洪水で流出してしまった。
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新金谷駅の駅舎と改札口 大井川鉄道の終点金谷駅一つ手前の駅。板のペンキもはがれ、レトロな雰囲気の駅舎。ここがSLの発着駅のようだ。450x338_9
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SLポスト SL復活40周年記念に作られた。SLと同じ塗料が使われる。投函すると、SL、富士山、茶娘の風景印がスタンプされる。450x338_11
SLの部品が展示されている。他にいろいろなグッズを売っている店もあった。450x338_12
金谷に3軒ある本陣の一つ佐塚本陣は佐塚書店だったが2014年に閉店。ここと山田屋は安政大地震で全壊した。説明板のみ残る。450x338_13
               柏屋本陣は半壊。今は跡のみ。450x338_15
お七里役所跡 お七里役所はあまり他所での宿では見ないが、紀州家の飛脚の継立所だ。これも駒札が立っているだけ。450x338_16
巌室神社 市指定文化財の鎮火祭 「島田は水害、金谷は火災」と言われるくらい、金谷は西からの風の通り道で昔から火事が多かったそうだ。
神社の前の川が沢川で、金谷宿は東海道の北側を流れるこの沢沿いにある。沢川が曲がった谷だったため、曲谷→金谷の地名説があるそうだ。450x338_17
長光寺 芭蕉の「野ざらし紀行」の句碑がある。
「道のべの木槿は馬に喰われけり」大井川を越えた芭蕉が馬上で詠んだ。450x338_18
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金谷駅から静岡まで出て、新幹線で食べたお弁当は「茶飯」で茶の葉が2枚のっていました。450x225

次回は金谷の石畳を上って掛川までです。  (完)

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コメント

今回の帰省でも大井川を渡った筈ですが
新幹線なので、気が付く暇もなしでした。
こうして写真を拝見して
大きな川なのに、驚いた次第です。
便利さと引き換えに、失っているものも多いのでしょうね。

投稿: zooey | 2017年9月28日 (木) 23:52

★zooeyさま おはようございます。

私の場合も名古屋からはのぞみになりますが、帰りは浜名湖を過ぎると天竜川が、そして大井川になりますが、帰りは夜だからきっと気が付かないです。行きは今の所こだまやひかりなのでなんとか富士川などはわかりていどです。

便利になって失っているもの、交通だけでなくいろいろあるのでしょうね。

橋が出来てその代りにお茶畑が出来たということは初めて知りました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2017年9月29日 (金) 06:47

こんにちは。頑張っていらっしゃいますね。大井川は本当に大きな川ですね。昔の人の苦労がわかります。お七の恋人の墓がそんなところにあるとは意外でしたね。

投稿: 多摩NTの住人 | 2017年9月29日 (金) 08:11

★多摩NTの住人さま

東海道の一番の難所、大井川が橋がなかったらどうだったかを、下を見ながら想像してみました。何しろ1kmもあって長いこと。歩けば15分ですが、川の中を流れに抵抗して渡るのはとても大変だったことがわかりました。
お七の恋人はお七を思うあまり、東海道を下り、心を病んで体も弱りここで亡くなったようですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2017年9月29日 (金) 08:43

tonaさん、こんにちは~♪
今は新幹線を使えばいとも簡単に新大阪まで行けますが、
江戸時代は本当に大変だったのですね。
特に大井川等のような大きな川を渡るのは・・・
八百屋お七の恋人の墓がこんなところにあるのも意外でした。
吉三郎のふるさとなのかと思いましたがそうでもなさそうですね。
仲田源蔵のことは蓬莱橋のツアーの時、ガイドさんから聞きました。
29歳の若さで私財を投げ打ってまで失業者を援助するとは見上げたものですね。
駅弁の茶飯がとても美味しそうです。

投稿: hiro | 2017年9月29日 (金) 13:30

★hiroさま こんにちは♪

新幹線に乗る身には、東海道を全部歩き通すなんて、若くなくてはとても出来ないことだと思いました。何しろ半月もずっと凄い宿に宿泊しては歩き通すのですからね。
大井川は幅が広くてつくづく大変と実感しました。人足さんの労力もいかばかりだったでしょう。

吉三郎はお七を想うあまり、得度して江戸から旅に出ました。心があまりに辛くて若いのに、その命まで蝕まれたのが大井川に来たこの地点だったようです。意外な結末ですね。
金谷から菊川、牧ノ原とあの広大なお茶畑を開墾することを願い出て、多くの人を救ったのですから仲田源蔵さんは今の人にも恩人ですね。
そして静岡の美味しいお茶が飲めることもありがたいです。
このお弁当は歩いた後ですから美味しかったです。
有難うございました。

投稿: tona | 2017年9月29日 (金) 16:35

八百屋お七の恋人・吉三郎のお墓が此処にあるのは、調べて知ったのですか?
大井川橋が土木遺産に認定、土木遺産と言う言葉さへ初めて知りました。

仲田源蔵さんて偉い方なのですね。
川越が廃止され1200名の失業者を私財を投げ打って茶畑にするよう政府に直訴した。

tonaさんの記事を読むと勉強になります。

投稿: ラッシーママ | 2017年9月30日 (土) 21:52

★ラッシーママさま

吉三郎のことは全く偶然です。
川越遺跡の所を歩いていましたら、矢印がありました。そこで行って見たらどこかわからないので、畑にいた方に聞いたらやっとわかったのです。お七は処刑されたのは知っていましが、相手の吉三郎はどうなったか全然知りませんでした。ちらしで面白い嘘か本当かわからない後日談があってビックリしました。吉三郎に子供がいたという飛んでもないことだったのですよ。
私もいろいろな遺産がありますが、土木遺産とは初めてです。
仲田源蔵さんがいなかったらあの茶畑がなかったのでしょうか。
歩くとわかることってありますね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2017年10月 1日 (日) 08:43

朝顔の松、どういう謂れなのでしょうか。
関川庵に、吉三郎のお墓が存在していたんですね。
世に逆らった恋の結末は全て悲劇でしたね・・・
浄瑠璃や文楽はTVですが好きなのです。
「女殺油地獄」「八百屋お七」「曽根崎心中」など観ました。
東海道の川は、橋や船が無かったのですか。初めて知りました。
越すに越されぬ大井川~とだけ覚えてますが、チラッと車窓から見たような(-.-)

茶飯駅弁、美味しいでしょうね♪
田舎は番茶を飲むので、茶色っぽい茶飯焚きますよ。

投稿: だんだん | 2017年10月 1日 (日) 18:41

★だんだんさま

「朝顔の松」の謂れは大変小さい字なのですが、上記松の下の駒札をクリックしますと説明があります。浄瑠璃にもなったように、恋する人がいるのに実家に帰ったら無理にすすめられた人を蹴って親の言うことを聞かなかったその人が実はこの恋する人で、それからいろいろあって目が見えなくなったり、助けられて目が見えるようになったときに初めて見えたのが松。その時恋人はすでに川の向こう云々といった内容です。
ちらしに吉三郎に子供がいて、父を尋ね当てて、丁重に葬ったと書かれていてまた驚きました。多分作られたお話でしょうね。
東海道のたくさんある川には全く人だけでしか渡れないもの、船で渡れたもの、小さな橋があったものなどいろいろあったようです。
のぞみで京都からの帰り、何時も夜なので大井川は気が付きませんでした。
東海道も名古屋を過ぎて歩くとき、行きの電車で大井川に気が付くかしら?

私も茶飯を炊いたことがその昔ありました。
有難うございました。

投稿: tona | 2017年10月 1日 (日) 19:16

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