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2017年9月25日 (月)

東海道五十三次歩き10 藤枝~島田~金谷(2)

650x329島田宿を通ってから大井川の手前川越遺跡で、「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」と言われるようにいかに大変であったか、その様子をたっぷり見ることが出来ました。

●島田宿(23番目の宿) 1601年に宿場に指定されたが、1604年には大井川の氾濫で宿が流失する。一時北方に移動させ、1615年11年ぶりに旧地に戻った。

島田宿には菓子屋が多く、早速旧東海道に戻った角の店でまず「小饅頭」を買う。15個も入っていて500円。次の「海道一名物の鯛焼き」の看板の店は残念ながら定休日。

                                 菓子屋の向かいの島田宿一里塚跡338x450
須田神社 立派な庚申堂がある。修験者が青面金剛を祀ったり、京都の八坂神社から牛頭天王を勧請している。450x338
神社の裏手に「お囲い土手」が残る。大井川の氾濫に悩まされた島田は堤防で囲まれている。強化のため松が植えられたそうだが、ここのは松でない。338x450_2
                                   銀杏の乳根を久しぶりに見る450x338_2
刀匠島田顕彰碑 島田は刀鍛冶が有名で、多くの刀工が軒を連ねていた。室町末期の連歌師宗長は、島田の刀工の子だった。
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島田宿には本陣が、下、中、上とおび通りのあたりに3軒並んでいた。おび通りは歩行者専用道路450x338_3
御陣屋稲荷神社 通称「悪口神社」と呼ばれる。代官所が置かれていた。境内には「愛するあなたへの悪口コンテスト」の作品が掲示されていた。450x338_4
塚本如舟屋敷跡の説明板によると、塚本家は茶商と大地主で財を成した家で、芭蕉が川留めで4日間泊まり句が刻まれている。450x338_5
島田駅前の栄西禅師の像 栄西は臨済宗の開祖で宋からお茶の実を持ち帰り、全国に広め「茶祖」と呼ばれる。338x450_4
大井神社  この向かいに島田宿西入口枡形跡がある。ここで宿が終わる。この神社は島田宿を洪水から守る神として建立された。
ここで日本三大奇祭の一つ「島田帯祭り」が3年に1度行われる。島田では他所から嫁を迎えると、晴れ着姿で町中を披露して歩く習慣があった。しかし嫁に気の毒ということで、帯を代わりに披露したのが祭りの始まり。また島田は島田髷発祥の地で、9月に島田髷祭りが開催される。
          大奴 祭りで大名行列と共に25人の大奴が供奉する。帯を掲げている。450x338_6
                  三番叟 島田鹿島踊先導338x450_5
 大井川川越しの開始・終了の合図などを鐘を鳴らして知らせていた大善寺の萩450x338_7

●島田宿・河原町の大井川川越遺跡 国の指定史跡 

川会所(かわかいしょ)業務の拠点であり、管理のために川庄屋の役職が設けられた。ガイドさんに話を伺う。450x338_8
大井川を渡るには、川札を川会所で買った。ただし水深1.4mになると川留めになり、最長で28日間だったそうだ。
                    川札の値段450x285
渡る方法は① 肩車(最も安い) ② 輦台 種類が5種類あって、写真のは大名や朝鮮通信使などが乗り、右奥の梯子のようなのが平輦台で一番安い。450x338_9
口取宿(仕事の割り振り、荷物の分配、荷造り)
六番宿、三番宿、十番宿、二番宿(川越は輪番で務めたので川越え人足が待機のために組ごとに詰めた所)

                 三番宿の中と人足の説明450x338_10
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                     十番宿の中450x338_12
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荷縄屋(荷造り用品販売)、仲間の宿(高齢の人たちの集まる場所)、札場(川札を現金に換金する所、税も徴収)なども並んでいた。
 
ここで1時間ほど前に買って解凍した「プリンどら焼」を食べて休憩した。冷凍プリンが間に挟まっている珍しいどら焼き。338x450_6
                      (続く)

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コメント

 川越人足の話興味深く読みました。
1.4mになると川止めだったのですね。
流れる川、私達なら水心50㎝でも流され、命が危険になりそうです。
それが1m以上でも人を運びながら川に入ったとは凄い話です。
また人足になるには何年も養成期間があったとの事、東海道を歩かなかったら知らなかったことかもしれませんね。

街道沿いのお菓子屋さんに寄るのは東海道歩きの楽しみの一つですね。よくわかる~。

投稿: ☆銀河☆ | 2017年9月25日 (月) 22:09

★☆銀河☆さま

私も歩かなかったら、越すに越されぬ大井川の人足の働き、それになるための訓練も知らないで終わっていました。
シーボルトの言葉がいいですね。
中山道を行かない限り、ずるしない人以外は全員渡ったのですからね。

この日は2回もお菓子を。
島田はお菓子屋さんがたくさんあるのです。水曜日は意外とお休み多しです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2017年9月26日 (火) 06:53

tonaさん、おはようございます♪
大井川には橋をかけられので、渡るのはさぞ大変かと
思っていましたが、具体的な方法はよく知りませんでした。
お殿様や地位の高い人たちが写真のような蓮台に乗ることは想像できましたが、
足軽や人足たちは自分たちの足で渡るものと思っていました。
道具や馬などを含めすべて川越人足に頼るようですので、
参勤交代などの時には相当な費用がかかったのでしょうね。
越すに越されぬ大井川と歌われた意味もよくわかりました。
栄西がお茶を広めたことも初めて知りました。
いろいろ勉強させて頂きました。

投稿: hiro | 2017年9月26日 (火) 08:06

★hiroさま おはようございます♪

大井川はこの後橋を渡るのですが、とても幅がある川で水が多い時は本当に恐ろしかっただろうと想像できました。
私も徒歩で足軽などは渡るものと思っていましたが、肩車だったのですね。
値段ですが、川札1枚の値段が書いてありますが、これ1枚は肩車の一部だけで、輦台になると数枚から十数枚もいるので凄いお金になります。
参勤交代は1回で凄くお金がかかって、財政を豊かにしないための参勤交代だったことがわかります。
栄西はこの地に直接関係ないですが、この地がお茶産業に明治以後に従事することになったので像があるのでしょうね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2017年9月26日 (火) 08:38

島田は1度行ってるので興味深いです。
「越すに越されぬ大井川」と言われる由縁がtonaさんの説明で分かりました。
「悪口神社」と呼ばれる代官所が置かれていて境内には
「愛するあなたへの悪口コンテスト」の作品が掲示されていたとは面白い。

栄西禅師が島田にからお茶の実を持ち帰り、全国に広め「茶祖」と呼ばれた事
初めて知りました。
日本三大奇祭の一つ「島田帯祭り」や島田髷発祥の地だったのですね。

川越人足になるに長い年月を費やして、やっと慣れたのですね。

投稿: ラッシーママ | 2017年9月26日 (火) 20:42

こんにちは。当時の島田宿の様子や、川越えの様子が良くわかりますね。たいへん面白いです。

投稿: 多摩NTの住人 | 2017年9月27日 (水) 17:28

★ラッシーママさま

行かれていらっしゃるのですか。
私は静岡県の東海道線は三島、沼津、浜松以外は殆ど初めてでした。島田髷は有名ですが、それほど長い髪の毛を持っている人が多いのでしょうか。それを結う技術を持った人がいてみんなのを結って、和服を着て行進するのかしら。9月だそうで何時やったのかも確かめませんでした。三大奇祭も面白そうです。
「愛するあなたへの悪口」ですから、それほどひどいものではないでほのぼのするのもあります。ママさんも一句如何ですか。悪口言うことがなさそうですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2017年9月27日 (水) 21:52

★多摩のNTの住人さま

こんばんは。
今日も続きを歩いてきました。またいつかゆっくり読んでいただきたいです。
大井川の川越がこんなだったとは思いませんでした。
本当に大変だったのですね。
ありがとうござました。

投稿: tona | 2017年9月27日 (水) 21:54

コメントが遅れましてすみません。

島田は大井川渡しの運賃の事のほかに
小林先生からは、
島田の髷のゆい方がいろいろあり
その図も頂いたことがあります。
先生は旅好きで旅先からいろいろな
写真が届きました。
東大の時ハチ公の飼い主の孫弟子
でした。

投稿: matsubara | 2017年9月28日 (木) 09:27

★matsubaraさま

島田の髷の結い方がいろいろあるのですか。
そこで検索してみましたら、本当にいろいろありました。
前髪や髷やタボやビン、つぶし島田、高島田、
投げ島田などあるのですね。飾りもいろいろ。
今は鬘でやるのでしょうか。お祭りは若い娘さんもたくさん写っています。
浮世絵の髪形をそういった観点から見るのも楽しみです。
小林先生は旅を何十倍も楽しんでいらっしゃるのですね。
現在もあちこちいらしているのでしょうか。
有難うございました。

投稿: tona | 2017年9月28日 (木) 11:20

秋風が吹きだして、旧東海道歩きも順調に進んでいらっしゃるようですね。
藤枝は夫の実家のルーツです。その辺りには我が家の名字の地名があるはずと聞いています。

「越すに越されぬ大井川」を渡るには、私は舟と単純に思っていましたが、川越人足の手が必要だったとは!
箱根の関所と同じような人形の展示物で当時をしのぶことができるのですね。
この川があったので皇女和宮は中山道を使って江戸にお嫁入りしたと聞きました。

私のカメラ仲間の親友が、同じマンションの4夫婦で毎月1回東海道歩きをしていて、沼津から先は1泊ですでに愛知県が終わったと聞きました。
tonaさんのたくさんの画像を拝見し、彼女の語る旧東海道が具体的に分かった感じです。
ありがとうございました。

投稿: nao♪ | 2017年9月28日 (木) 12:12

★nao♪さま

とても歩きやすい気候になってきました。
nao♪さんのご主人の苗字が藤枝に多かったのですね。
気をつけて見てなかったのが残念です。
川越人足は輦台の種類によっても人数が違いますので、表された料金の何倍も払って水が多いと凄い出費だったのですね。肩車の普通の人にも旅なんて出来ませんでしたよ。
そうそう、皇女和宮の中仙道ルートにはこのような所はありませんが、ただ日数はもうちょっと長くかかったようです。でも川止めをくえば、かえって東海道の方が時間がかかったのですね。
4ご夫婦がご一緒に東海道旅ですか。凄いですね。もうすぐ京都に到着ですね。我が家では都合で宿泊が出来ないので、進みがのろいです。
こちらこそありがとうございました。また宜しくお願いいたします。

投稿: tona | 2017年9月28日 (木) 13:48

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