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2017年9月28日 (木)

東海道五十三次歩き10 藤枝~島田~金谷(3)

徹底図解『東海道五十三次』の「川越え」の説明の「なぜ東海道の川には橋や船がなかったのだろうか」によれば、
一つは幕府が諸国の謀反を恐れて橋を架けることや船場を設けることを制限したため。
二つ目は、流れが急で出水する川が多く危険だったため。
三つ目は、旅人がすんなり川を渡ってしまうと地元の宿場の経済が停滞してしまうため。通行料が藩や宿場の大きな収入源であった。

東海道沿いでは、六郷川、馬入川、天竜川などには渡し船があった。(六郷川は最初は橋があったけれど流されてしまった)

川会所を出て大井川を渡る前に「吉三郎の墓」と「朝顔の松」を見る。

関川庵にある八百屋お七の恋人・吉三郎の墓 史実はどうだったのか、こんな所で亡くなっていたのです。畑仕事をしていたおばあさんに聞かなかったら場所もわからず、関川庵の手入れをしている方にちらしをいただいて、墓を教えてもらわなかったら全く分からずじまい。おばあさんに遠い所からよくお詣りくださいましたと感謝されてしまった。

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朝顔の松 浄瑠璃「朝顔日記」の深雪のお墓は清水の法岸寺で既に見てきた。ここ大井川の段も有名な所だった。
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・桜並木の堤450x338_2

●大井川
大井川橋は1026.4mで昭和3年に架設された鋼製のトラス橋で土木遺産に認定されている。450x338_4
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大きな中洲が2つもあって、その両側には川が数筋も流れている所もあって、中洲も見えないほど川が満杯の様子を想像すると、本当は橋を架けても流されてしまったであろうと想像されるし、人足に頼っても渡るのはさぞかし大変であったろうと思われた。対岸には金谷の町が見えている。広重の絵では島田宿でも金谷宿でも大井川の徒歩渡しを描いている。450x338_5
                   向こうの鉄橋はJR450x338_6
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●金谷宿(24番目の宿)
川を越えると金谷宿。駿河国から遠江へ

仲田源蔵像 川越制度廃止された後、1200人もの人足が失業した。当時29歳だった仲田源蔵が私財を投じて失業者を援助し、牧ノ原大茶園の開墾を政府に直訴し実施された。その顕彰碑。338x450_6
              ここにも小さいけれど水神社があった450x338_8
金谷側も人足宿が8軒あった。幕末には30軒以上あったが、大洪水で流出してしまった。
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新金谷駅の駅舎と改札口 大井川鉄道の終点金谷駅一つ手前の駅。板のペンキもはがれ、レトロな雰囲気の駅舎。ここがSLの発着駅のようだ。450x338_9
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SLポスト SL復活40周年記念に作られた。SLと同じ塗料が使われる。投函すると、SL、富士山、茶娘の風景印がスタンプされる。450x338_11
SLの部品が展示されている。他にいろいろなグッズを売っている店もあった。450x338_12
金谷に3軒ある本陣の一つ佐塚本陣は佐塚書店だったが2014年に閉店。ここと山田屋は安政大地震で全壊した。説明板のみ残る。450x338_13
               柏屋本陣は半壊。今は跡のみ。450x338_15
お七里役所跡 お七里役所はあまり他所での宿では見ないが、紀州家の飛脚の継立所だ。これも駒札が立っているだけ。450x338_16
巌室神社 市指定文化財の鎮火祭 「島田は水害、金谷は火災」と言われるくらい、金谷は西からの風の通り道で昔から火事が多かったそうだ。
神社の前の川が沢川で、金谷宿は東海道の北側を流れるこの沢沿いにある。沢川が曲がった谷だったため、曲谷→金谷の地名説があるそうだ。450x338_17
長光寺 芭蕉の「野ざらし紀行」の句碑がある。
「道のべの木槿は馬に喰われけり」大井川を越えた芭蕉が馬上で詠んだ。450x338_18
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金谷駅から静岡まで出て、新幹線で食べたお弁当は「茶飯」で茶の葉が2枚のっていました。450x225

次回は金谷の石畳を上って掛川までです。  (完)

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2017年9月25日 (月)

東海道五十三次歩き10 藤枝~島田~金谷(2)

650x329島田宿を通ってから大井川の手前川越遺跡で、「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」と言われるようにいかに大変であったか、その様子をたっぷり見ることが出来ました。

●島田宿(23番目の宿) 1601年に宿場に指定されたが、1604年には大井川の氾濫で宿が流失する。一時北方に移動させ、1615年11年ぶりに旧地に戻った。

島田宿には菓子屋が多く、早速旧東海道に戻った角の店でまず「小饅頭」を買う。15個も入っていて500円。次の「海道一名物の鯛焼き」の看板の店は残念ながら定休日。

                                 菓子屋の向かいの島田宿一里塚跡338x450
須田神社 立派な庚申堂がある。修験者が青面金剛を祀ったり、京都の八坂神社から牛頭天王を勧請している。450x338
神社の裏手に「お囲い土手」が残る。大井川の氾濫に悩まされた島田は堤防で囲まれている。強化のため松が植えられたそうだが、ここのは松でない。338x450_2
                                   銀杏の乳根を久しぶりに見る450x338_2
刀匠島田顕彰碑 島田は刀鍛冶が有名で、多くの刀工が軒を連ねていた。室町末期の連歌師宗長は、島田の刀工の子だった。
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島田宿には本陣が、下、中、上とおび通りのあたりに3軒並んでいた。おび通りは歩行者専用道路450x338_3
御陣屋稲荷神社 通称「悪口神社」と呼ばれる。代官所が置かれていた。境内には「愛するあなたへの悪口コンテスト」の作品が掲示されていた。450x338_4
塚本如舟屋敷跡の説明板によると、塚本家は茶商と大地主で財を成した家で、芭蕉が川留めで4日間泊まり句が刻まれている。450x338_5
島田駅前の栄西禅師の像 栄西は臨済宗の開祖で宋からお茶の実を持ち帰り、全国に広め「茶祖」と呼ばれる。338x450_4
大井神社  この向かいに島田宿西入口枡形跡がある。ここで宿が終わる。この神社は島田宿を洪水から守る神として建立された。
ここで日本三大奇祭の一つ「島田帯祭り」が3年に1度行われる。島田では他所から嫁を迎えると、晴れ着姿で町中を披露して歩く習慣があった。しかし嫁に気の毒ということで、帯を代わりに披露したのが祭りの始まり。また島田は島田髷発祥の地で、9月に島田髷祭りが開催される。
          大奴 祭りで大名行列と共に25人の大奴が供奉する。帯を掲げている。450x338_6
                  三番叟 島田鹿島踊先導338x450_5
 大井川川越しの開始・終了の合図などを鐘を鳴らして知らせていた大善寺の萩450x338_7

●島田宿・河原町の大井川川越遺跡 国の指定史跡 

川会所(かわかいしょ)業務の拠点であり、管理のために川庄屋の役職が設けられた。ガイドさんに話を伺う。450x338_8
大井川を渡るには、川札を川会所で買った。ただし水深1.4mになると川留めになり、最長で28日間だったそうだ。
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渡る方法は① 肩車(最も安い) ② 輦台 種類が5種類あって、写真のは大名や朝鮮通信使などが乗り、右奥の梯子のようなのが平輦台で一番安い。450x338_9
口取宿(仕事の割り振り、荷物の分配、荷造り)
六番宿、三番宿、十番宿、二番宿(川越は輪番で務めたので川越え人足が待機のために組ごとに詰めた所)

                 三番宿の中と人足の説明450x338_10
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                     十番宿の中450x338_12
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荷縄屋(荷造り用品販売)、仲間の宿(高齢の人たちの集まる場所)、札場(川札を現金に換金する所、税も徴収)なども並んでいた。
 
ここで1時間ほど前に買って解凍した「プリンどら焼」を食べて休憩した。冷凍プリンが間に挟まっている珍しいどら焼き。338x450_6
                      (続く)

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2017年9月22日 (金)

東海道五十三次歩き10 藤枝~島田~金谷(1)

650x3299/20(水)いよいよ島田~金谷の間で天下に名高い大井川の、今の橋を渡りました。気温27℃、曇時々晴れ、雨が少しぱらつく。43980歩。
東海道の駅は藤枝~六合~島田~金谷駅。藤枝宿の残りと、蓬莱橋往復、島田宿、そして大井川川越遺跡と金谷宿。大井川鉄道のレトロな新金谷駅を見学しました。

神奈川県と富士市からの富士山 曇がちだったのに見えた富士山。雪がなくてあまり風情がないけれどもその雄姿はいつ見ても素晴らしい。小田原からと富士市あたりから。
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●藤枝宿の続き。いつものように5:10起床。こだまで藤枝の駅に到着したのが8時50分。瀬戸の染飯(後ほど写真を)を現在でも販売している喜久屋は駅近くにあるというので9時開店めがけて行ったがお休みであった。
駅前の道路を北にまっすぐ進むと旧東海道に突き当たる。前回の所より歩きはじめる。松並木がぽつぽつと続いている。

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はなからエンジュやマキの実(イチイを訂正)、ハナセンナの花に目が行ってしまう。
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瀬戸新屋村は掛川藩と入りこむ特異な村で田中藩牓示石跡がこの後何度か出てくる。
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      道の合流点に六地蔵は彫られた石や数体の石仏が祀られている450x338_5
東海道追分は今は削ってなくなってしまった瀬戸山を通る古東海道と、裾を通る旧東海道の分かれ目。ここは当時大井川の河川敷に近く、氾濫して湿地帯だったらい。338x450_3
無縁寺跡と延命地蔵があって、大井川から旅人の溺死体がここに漂着したと伝わる。450x338_6
千貫堤も大井川の洪水から土地を守るために築かれたが現存するのは10mくらいであろうか。
ここに「千貫堤・瀬戸染飯伝承館」があって藤枝名物染飯のレプリカを見せていただいた。強飯をクチナシの実(足腰の疲れを取る)で染めてすりつぶし、薄く延ばしてほし乾かしたもの。葛飾北斎の絵にも出てくる。450x338_8
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岩田神社 東方からの伊勢神宮参拝者が、大井川が川止めになると、藤枝や島田宿に逗留し、やむを得ず岩田神社で代参を済ませて帰京したという。ここ神社は大化2(646)年の古き時代に伊勢神宮の御分霊が勧請されたという。450x338_10
                   造り酒屋の古い土蔵450x338_11
この辺りの瀬戸踏切付近で、昭和35年に新幹線の速度実検が行われ175㎞を記録した。線路を3本作り、実験後に撤去したのでここだけ上りと下り線の間隔が広くなっているそうだ。450x338_12
六合駅の少し手前から島田市に入り、駅を過ぎると昭和天皇御巡察碑があり、明治天皇は多いけれど、これは珍しい。338x450_4
一級河川大津谷川を渡ってから回転寿司で昼食
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黄色い(写真では色が出ていない)ヤマボウシの木に実も生っていた。今頃咲くヤマボウシは初めて。違う木なのであろうか。
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いよいよ島田宿(23番目)に入る。島田宿枡形跡(宿東入口)の案内板。枡形の跡はない。ここから大井神社前の西の枡形まで1㎞。枡形を少し過ぎて左に曲がって蓬莱橋に寄り道。450x338_19

●蓬莱橋 ギネスブック登録の世界一長い木造橋で、全長897.4m 幅4m。歩行者、自転車専用の有料橋(100円)。向こうには牧ノ原台地の茶畑が見える。その先端に御前崎灯台がある。450x338_20
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                 向こう側の展望台から450x338_22
渡った先には七福神や道祖神や展望台などいろいろな縁起物がある
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                    (続く)

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2017年9月18日 (月)

鎌倉16 梶原・寺分へ

今日は敬老の日。テレビで84歳の双子の姉妹が日替わり定食屋とお惣菜屋を切り盛りしている姿を放映していました。それぞれ結婚した相手の会社が倒産して二人で1億2000万円の借金を8年間で返したという。今も夜10時まで立ちっぱなしで料理を作り、昼と夜の日替わり定食の他、何種類もの惣菜を、あるいは200食の弁当を作っている。お姉さんの方は最近大腸癌や肝臓癌で3度も入院しているが、退院してきた日から働いているという。何という根性のお二人でしょう。私には雲の上の人です。

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9/14(木)、大船駅から湘南モノレールに乗って3つ目湘南深沢で降り、寺分(てらぶん)と梶原(鎌倉景通の嫡男の梶原景久がここ梶原で梶原氏を称した)の3寺2社を回る。1時間もあればゆっくり回れてしまうとても狭い範囲内にある。
鎌倉も4/25以来です。湘南モノレールに乗るのも30数年ぶり。大船駅から湘南江の島まで間に6つの駅があり14分で到着してしまう。驚いたことにスイカ・パスモが使えず、切符を買うのは久しぶり。降車駅で切符を集めるのは運転手か車掌です。それでも今日では年間乗客数延約1,000万人に及ぶという。

94 等覚寺(梶原)
 高野山真言宗 創建は1394~1428年。

                                    茅葺の山門が目を惹く450x338
                     本尊は不動明王で、あわせて出世子育て地蔵を祀る。450x338_2
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                                             弘法大師像450x338_4
シュウメイギク ちょうど2年前の9/16に鎌倉小町から歩き始めたときに、宝戒寺ではヒガンバナ、大巧寺ではシュウメイギクやハギ、オトコエシ、ワレモコウなど秋の花々が咲き乱れていたことを思い出しました。あれから2年、あと1回で鎌倉市巡りも終わります。450x338_5

95 大慶寺(寺分)
 円覚寺派。五山に次ぐ寺格を持つ臨済宗の禅刹の関東十刹の一つ。
「寺分」とは「寺領であったところ」を意味する。地名の由来は、南北朝時代から戦国時代に、大慶寺の寺領であった(大慶寺は後に廃絶)。寺名を略して「寺分」と称した。今の大慶寺は大慶寺の塔頭だった「方外庵」を改称したそうだ。
開創は1278~88年頃。開山は大休正念という中国僧で1269年に来日して建長寺や円覚寺に住持した高僧。

                                        ここも茅葺の山門450x338_6
                                                  本堂 450x338_7
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                               ビャクシン2株は市指定天然記念物2_450x338
                                     市指定文化財の石造・宝塔二基2_338x450
                       オキザリス・ボーウィがたくさん咲いているお寺です450x338_9
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96 駒形神社(寺分)
 大慶寺と次の東光寺が並ぶその間の反対側にある神社
 寺分の鎮守だが84段の階段を上るとひっそりと小さな社殿が建つが参拝する人はいない。338x450
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97 東光寺(寺分) 高野山真言宗
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四国八十八ヶ所お砂踏霊場 四国八十八ヶ所霊場の砂を弘法大師像の四方におさめ、それを踏みながら回ると八十八ヶ所遍路と同じ功徳があるとされる。450x338_15
ストロベリーキャンドルのような色の千日紅    オミナエシ
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このキク科のような花の花弁が面白く見たことがない。末広がりで先が3裂している。
ヘレニウム(ダンゴギク)だそうです。いつもいつもoさんことorangepskoさんありがとうございます。450x338_19
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98 梶原御霊神社(梶原) 
 ここにも、坂ノ下(長谷寺近く)の御霊神社と同様、鎌倉権五郎景政を祀る。1190年梶原景時が建立した。
 鎌倉権五郎景政は武勇が名高く、剛毅で武士の誇りの高い人物だ。後三年の役の時、敵に右眼を射られながら、その敵を射殺し、三浦為継が景政の顔を踏んで矢を抜こうとしたら、その無礼を怒ってひざまずいて抜かせたという。今、日本にこんな凄い人がいるでしょうか。338x450_3
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                      やぐら450x338_22

           ケイトウ  コシキブ(コムラサキ) ヒガンバナ450x338_23
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2017年9月14日 (木)

餡子好き

●昨日の朝は富士山が見え、昨晩の夕焼けの色がきれいで、ムンクの「叫び」のようだと写してみると、電線が邪魔するわが家の西の空でした。写真に写すと色がその通りに出ないものです。913_380x285
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●今年もまた新たに知った花がありますが、最近咲いているピンクの花、今まで見たことがなかったのです。最近3ヶ所で見ました。oさんにまた教えていただき感動したところです。
その名もツルバキア・ビオラセア(ソサイアティガーリック)・ユリ(ネギ)科。南アフリカ原産。葉はニラのようで、傷つけるとニラのにおいがします。
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●若い頃は両方好きだったのに、かなり前からケーキより餡子の方がより好きです。美味しい緑茶に餡菓子を食べる午後のひとときはまさに至福の時。日本人で良かったとつくづく思います。餡子評論家になれそうなくらい今まで食べてきました。子どもたちが何かに付けて買ってくれた最近の餡子菓子。
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9/10 禅師丸本舗の大きな栗饅 禅師丸柿に似せているかな。禅師丸柿というのは川崎市王禅寺の原産で、新百合ヶ丘に住む友人の庭のを頂いたことがある柿。
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9/12 都立立川高校校章付きどら焼き

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9/9,9/13 松呂 生餡を一口状に丸めた砂糖をまぶした、 昔駄菓子の定番商品の松呂。国立劇場買いました。913_450x338

●その国立劇場9月の公演として観てきたのは
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声明と雅楽「荘厳の調べ」法勝寺供養次第による無学法会。声明と雅楽の他に舞楽もありました。天台宗と真言宗、両方の声明も聞くことが出来、また声明と雅楽の共演もです。
出演が天台声明・七聲会、真言宗豊山派・迦陵頻伽聲明研究会、十二音会、江戸里神楽・若山社中。法勝寺は1077年京都岡崎後に時の白川天皇により建立されたが応仁・文明の乱で廃絶。跡地は京都市動物園だそうです。

雅楽のみ、声明のみと雅楽と舞楽は既に見聞していますが、こんな贅沢なのは初めて。
そして衣装が素晴らしく、この伝統の衣装を作る人々がいることまで伝わってくるのは歌舞伎のいろいろな脇の仕事をする人と全く同じです。
そしてこの公演だけでも約1ヶ月、いつも満席で鑑賞する人々がいることも嬉しいこと。
難しいと言われる日本の古典芸能が多くの人々に次から次へと伝えられ、またそれを見る人も若い人へと受け継がれていくことに感動を覚えます。文楽に至ってはまずチケットが取れません。凄いことです。

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2017年9月11日 (月)

幽霊の額の三角(△)の意味

雑大で「幽霊の額の三角(△)の意味するもの」という講義を聞いてきました。学習院女子大学名誉教授 増田美子氏

三角額当ては死者の額に付けられ、この世の人物と区別する象徴的なアイテム。江戸時代中期から後期には、幽霊を象徴する印となる。
幽者(死者)の△額当ての原型(埴輪に見られるもの)は、神の恩恵を受けて神のもとに行くものの印としての鬘の一種であった可能性が大きい。
埴輪の写真を見せていただいたが、なるほど人物埴輪には三角文でびっしりである。古墳の壁画や石棺にもである。同じく朝鮮半島の器やモンゴルの三角飾り、中央アジアの三角のお守りなどもある。古代では三角が好まれ、三角文が多いということだ。

日本の祭礼に関しては、古墳時代成立の三角額当てが原点と考えられ、そのベースは山を象ったものとする。しかし9世紀以降の歴史の中で、これに密教の一切遍知印の三角の意味が加味されたと考えられる。中世になると武士の祭礼に仏教が深く関わるようになり、祭礼に関わる人の額には、密教の一切遍知印の象徴ー煩悩を焼き尽くす象徴・悟りを求める印ーである△を付けることがなされるようになったのではないか・・・という凡その結論です。
昔の絵巻などにこの三角形を探すのが面白くなってきました。

●クレマチスの鉢に、なんとムカゴが!クレマチスがムカゴを作るなんてと思って調べたみたら、作ることはないと書いてありました。昨年まであったお隣のヤマイモのムカゴがよりによって、葉がとてもよく似ているクレマチスの中に着地していつの間にか占領していたのでした。慌てて絡まってるかなり長い弦を抜きました。

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●キッチンハイターをたわしに付けて洗っていたら、逆さまつげで殆ど下の睫毛がなくてゴミが入りやすい私、瞬きする運動神経もかなりなくなっているので、そのキッチンハイターが目に入ってしまいました。慌てて、目を洗ったものの痛い!すぐ眼医者に飛んでいきましたが20人待ち、やっと診察し、大丈夫とのこと、一安心したのでした。
それ以後は油を使う料理やハイターを使う時、白内障手術後に使ったゴーグルをしています。
今度は草取りをしたら、掘り返した泥が目に入りまたまた往生したので草取りもゴーグルをしてやらねば。
まあ、いろいろと手間のかかる老体であります。
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2017年9月 7日 (木)

阿刀田高の「知ってますか」「楽しむために」シリーズ

オキザリス・ボーウィ(はなかたばみ)が咲きました。昨年秋も深まったころにいただいた苗で越冬し、枯れてしまったが、やっと新芽が出て一安心したら蕾が突き出てきました。花は直径3㎝位。葉は3出複葉で小葉の長さで大きいのは7㎝もあります。葉の大きさに圧倒されます。matsubaraさま、ありがとうございました。
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ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』は読んでから映画を見たが、『天使と悪魔』と『インフェルノ』(上,中、下合わせて1000頁)は映画だけで本を読むのは省略。
『インフェルノ』観る前にダンテの『神曲』を読まねばと思ったのですが、とても難しそうな古典で読めないなあと悩んでいたら、婿さんが阿刀田高著『やさしいダンテ<神曲>』を貸してくれました。難しそうな『神曲』が結構面白く、こんな内容だったのかと納得した次第です。大雑把にいえば、地獄と天国に旅するダンテがいろいろな場所に自分の知っている過去、現在の人々を見るというもの。その人々が歴史上の有名人で面白いのです。地獄にいて当然、天国にいて当然の人々も世界の中世史を深く勉強してない私には判断が出来ないのもあり。

映画『インフェルノ』に関しては、謎解きながらも、ラングドン教授が追いかけられたりして走り回る所は、イタリアのフィレンツェ、ヴェネツィア、トルコのイスタンブール。ここで中世の大文学者、ダンテの「神曲」にまつわるルネサンス期のアーティスト作品を楽しむことができる。

阿刀田高氏が、ダンテ『神曲』と同様に古典をやさしく書き直した本を婿さんが貸してくれたので、ここ数ヶ月他の本と交互に古典の世界に浸っておりました。これで凡そ知った気になれたのが何とも心地よい。旧約聖書やギリシャ神話は今まで何度読んでも頭に入りませんが。

・イソップを知っていますか
・アラビアンナイトを楽しむために
・楽しい古事記
・ホメロスを楽しむために
・プルタークの英雄伝 <黎明編><栄華編>(ローマ・ギリシャの英雄たち)
・ギリシャ神話を知っていますか
・コーランを知っていますか
・旧約聖書を知っていますか
・新約聖書を知っていますか

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8月で終わってしまった「吉田博展」に行ってきました。これは凄い画家と感動して感想をと思ったところ、昨年8月に『吉田博作品集』で感想を書いているのとあまり変わらない想いです。 →こちら
吉田博(1876~1950)は養子になるも義父の急逝で18歳にして家族6人を養うという苦労の人でありながら、そして黒田清輝率いる白馬会に席巻され、旧派として排斥されながらも、太平洋画会を成立し、大御所10歳年上の黒田と対立する強い人。画友たちが「絵の鬼」と呼ぶほどの人で、23歳で友人とアメリカに渡って展覧会を各地で開き成功をおさめ、凄い売り上げを得た。そのお金でそのままヨーロッパを巡って勉強する。次は後に結婚する義妹と一緒に同じように外遊し、結婚してからも外国を巡る。初期のデッサンの確かさ、水彩画、油彩画、登山と山岳画、そして何と言っても素晴らしいのが50歳過ぎて始めた木版画だ。日本の風景だけでなく、欧米の山や名所を摺る。インド、ヒマラヤも年単位で滞在して木に刻み込むのです。
誠に異色の画家、強靭な精神力を持つ、鬼のような情熱を注ぐ人と申しましょうか。

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2017年9月 4日 (月)

日和田山(巾着田眺望の山で登山家を偲ぶ)

作日9/3(日)にまだ彼岸花が咲いてない巾着田を望む、日和田山(標高305m)に登って、亡き田部井淳子さんを心の中で偲んできました。
田部井さんが2012年2月に腹膜癌ⅢC期になり、抗がん剤治療後、副作用がひどかったが、寝ていても筋力が落ちると言って、リハビリを兼ねて、最初に家から近い日和田山に御主人と一緒に登った山だ。その後闘病中のリハビリコースとなった。そして亡くなった昨年10月20日の2週間前に川越の病院に転院した病室の窓から、武甲山、秩父連山、富士山と見えていた中で、一番手前に見えていたのがこの日和田山だったそうだ。

           日和田山・・・ 田部井さんはこの反対側から眺めていたのでしょう450x338
         まだ彼岸花は咲いてないそうで、この黄色の彼岸花を1輪見たのみ。
ヒガンバナ科のショウキズイセンと教えていただきました。gakiさんありがとうございました450x338_4
                          石や板に花を描いた作品が売られれていた450x338_5
巾着田と反対方向に入る
登山道始まり この道を田部井さんも痺れた重い足でやっとの思いで登っていたのです。338x450
               男坂、女坂の分かれ目で男坂を登り、下山は女坂にする。450x338_6
                                                岩場450x387
                           金比羅神社の鳥居は駅の方からも見えた450x338_7
                                          ここからの眺望450x134
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                       巾着田 ぐるっと周りの木の下に彼岸花が咲く450x338_8
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                                            金比羅神社450x338_10
頂上 西武秩父線の高麗駅から頂上まで約2㎞だそうで登山口からでも途中休憩が多かったけれども1時間もかからなかった。田部井さんはここから物見山まで行っているが、これでもかなり大変だったようでいかに抗がん剤が癌と一緒に体を蝕んでいたことが分かる。338x450_2
頂上からの景色。眺望はこれだけ。 最初の時、田部井さんはここで竹の子の煮ものに卵焼きやショウガの佃煮のおかずを食べたと記している。450x338_11
今の時期、花は一つも咲いてなくて、乾燥している山なのできのこさえも無く、唯一3つのきのこが登山道の脇に見えただけ。色違いのようなサルノコシカケ科のミノタケorニクハリタケ。sさんありがとうございます。450x338_12
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高麗神社へ 高麗駅から2.2kmあって、日和田山の頂上に行くより遠かった。

                                           胡麻が干してあった338x450_3
ハックルベリーでブルーベリーよりも目に良いと手入れしているおじいさんが言っていた。実はまだ熟れていない。450x338_14
                                           高麗山聖天院450x338_15

高麗神社 天皇皇后陛下が9月20日に御参拝だそうです450x338_16
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由来 朝鮮半島に700年間君臨していた高句麗人が、唐と新羅の連合軍によって668年に滅亡したときに、王族や貴族など多数来日し、王は郡司となって武蔵野の開発に尽くしたとのこと。王の直系によって神社が今も守られているなんて。

                参道にはツルボが群生していた450x338_18
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高麗家住宅 神職を代々勤めてきた高麗氏の住宅。茅葺で5室と土間からなっている。床下が通りよく涼しそう。17世紀後半の様式で解体修理されたもの。450x338_20
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帰り道
                       ユリ450x338_23
    骸骨が門柱代わりになっているユニークな家 守り神なのでしょうか338x450_4
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                  巾着田入口の高麗川450x338_24

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