« 白樺湖 | トップページ | 東海道五十三次歩き11 金谷~日坂~掛川(後編) »

2017年10月 9日 (月)

東海道五十三次歩き11 金谷~日坂~掛川(前編)

9/21(水)に金谷宿から日坂宿、掛川宿まで41728歩でした。東海道の駅は金谷~菊川~掛川。箱根峠、鈴鹿峠とともに東海道三大難所と言われた小夜の中山越えがありました。普段登山をしているので苦しいとは思えなかったけれども、草鞋で石畳、それ以前の粘土質の道もさぞかし歩きにくかったでしょう。549x600
●金谷石畳、菊川坂と菊川宿、小夜の中山

金谷駅で降り前回の芭蕉句碑から坂を上がり、道祖神を過ぎると金谷の石畳が始まる。450x338
ここは粘土質で雨が降ると滑りやすく石畳が1862~3年に敷かれたが、宿が廃止されると電話線などの埋没のため剥がされコンクリート舗装された。しかし平成3年、金谷町民約600人で430mの石畳が復元された。

すべらず地蔵尊「ここの石は滑らないということから受験や商売など何事も願いが叶う」・・とはいいながら皮肉にも金谷坂の石畳は、日が射さないため苔が生えて滑りやすいそうだ。450x338_2
            金谷坂を登り切ると左手に茶畑が広がっている450x338_3
反対側には諏訪原城跡がある。この城は武田信玄が築いた金谷城を武田勝頼が遠江侵攻の拠点として、拡大築城させ諏訪大明神を祀ったので諏訪原城となった。450x338_4

次に出てきた坂が菊川坂だ。下った所に、金谷宿と日坂宿の間は急所難所ゆえ、間の宿・菊川が置かれた。
菊川坂は611mの石畳だったが、現在江戸時代の石畳が160m残る。菊川の家並みが向こうに見える。338x450
        いよいよ小夜の中山だ。坂が続く。茶畑が両側に見えてくる。450x338_5
450x338_8
多くの人が中山峠を歩いて句を残したので、その歌碑や句碑が次々と十数カ所に出てくる。
これは最初の方の一つで、「雲かかる さやの中山越えぬとは 都に告げよ有明の月」は『十六夜日記』の阿仏尼の歌碑である。十六夜日記を読んだが道中の苦しさはあまり書いてなかったような記憶がある。338x450_2
久延寺(きゅうえんじ)・真言宗は、夜泣き石伝説にまつわる寺で掛川市の指定文化財。450x338_6
夜泣き石と弘法大師 妊婦お石が中山峠で賊に殺されるが、お石の霊が石に移って石が泣いたため、生まれた子どもは久延寺の和尚に飴で育てられた。その後弘法大師がこれを聞き、お石に同情し石に仏号を刻み、立ち去ったという。(地図にもあるように夜泣き石はもう一つあるし、夜泣き石が実際にあった跡もある)450x338_7
寺の隣の茶店扇谷の名物・子育て飴は、お休みで買えなかった。447x450
扇谷の前の西行の歌碑「歳たけてまたこゆべしとおもひきや 命なりけり小夜の中山」40年ぶりにここを通った西行の感動の歌だ。450x338_9
           向こうの栗ヶ岳の横腹に「茶」の文字が見える450x338_10
    広重の五十三次の絵「日坂 小夜の中山」 坂がデフォルメされている450x290
沓掛や二の曲りの急な坂や曲り(坂というのは写真では伝わらないものだが)が終わって日坂宿だ。450x338_11

●日坂宿(25番目)
                   日坂宿の屋号札450x338_12
700mで本陣1、脇本陣1の小さな宿だったが旅籠は33軒あった。天保11年当時の屋号を書いた木札が通り沿いの各家にたくさんかかっていて驚いた。建物も数軒残っていて昔の面影を残す宿だ。

扇谷本陣跡は公園になっている。食堂がないことが分かっていたので、おにぎりと果物で食事、後で道の駅で「おでん」を食べる。450x338_13
              藤文 商家で最後の問屋役を務めた450x338_14
                     萬屋 旅籠450x338_15
川坂屋 上級旅籠で士分格の人が泊まった。山岡鉄舟や西郷従道らの書が残る。450x338_16
                バショウと花
450x338_17 450x338_18

    相伝寺は遠江観音霊場第二十一番札所の小寺で庚申塔などがある450x338_19
21_450x338
        天保の頃のが復元された高札場でここが下木戸跡である450x338_20
日坂宿も火災が多かったため秋葉信仰が盛んで、日坂宿3つ目の秋葉常夜灯である。450x338_21
                    (続く)

|

« 白樺湖 | トップページ | 東海道五十三次歩き11 金谷~日坂~掛川(後編) »

コメント

2010年9月21日に同じところを歩いています。
当時アップしたブログが数篇に分かれています。

金谷坂石畳 旧東海道 金谷宿から日坂宿へ
http://floatbridge.blog61.fc2.com/blog-entry-218.html

菊川坂石畳と菊川の里 金谷宿から日坂宿へ(2)
http://floatbridge.blog61.fc2.com/blog-entry-223.html

家康ゆかりの久延寺 金谷宿から日坂宿へ(3)
http://floatbridge.blog61.fc2.com/blog-entry-230.html

小夜の中山峠 茶屋と西行 金谷宿から日坂宿へ(4)
http://floatbridge.blog61.fc2.com/blog-entry-231.html

小夜の中山峠 公園の石塔 金谷宿から日坂宿へ(5)
http://floatbridge.blog61.fc2.com/blog-entry-232.html

佐夜鹿一里塚 金谷宿から日坂宿へ(6)
http://floatbridge.blog61.fc2.com/blog-entry-237.html


日坂宿に入ってからのことについての記事が見当たりません。
そこも含めて本祝内の様子をアップしなかったようです。
懐かしく思いながら拝見しました。

トラックバックしました。

投稿: Saas-Feeの風 | 2017年10月 9日 (月) 15:16

小夜の中山は、
西行の有名な歌で存在は知っていたのですが
行ったことがありません。
恐らく今後もハードで行くことはないと思います。
貴重な写真を拝見できてよかったです。

愛知はいつごろになるのでしょうね。

投稿: matsubara | 2017年10月 9日 (月) 15:29

★Saas-Feeの風さま

全く同じコースを歩かれのはもう7年も前で奇しくも同じ日に歩いているのですね。びっくり。
拝見させていただきました。
どれもみんな見ました。私は殆ど端折ってしまって筋がつかめませんが、写真で誤魔化しています。写真もたくさん撮っていますがSaas-Feeの風さまの写真はとてもきれいです。
三大難所というので興味ありました。あとの2ヶ所はまだ歩いていないのです。
この坂は3つあったわけですが、楽しく歩けました。
トラックバック、コメントをありがとうございました。


投稿: tona | 2017年10月 9日 (月) 16:44

★matsubaraさま

たくさんの有名な方の歌碑がありますよ。
歌を詠まれるmatsubaraさまがご覧になったらいいなあと思えます。
ゆっくり歩けば大丈夫ですよ。

次回袋井でど真ん中、その後浜名湖で、愛知県は来年になってしまいます。東海道は長いですね。
有難うございました。

投稿: tona | 2017年10月 9日 (月) 16:49

萬屋も川坂屋も、外見は殆ど変りませんが
庶民用と士分格用で、中は余程違うのでしょうか?
昔は、泊まる宿も、身分によってはっきり分かれていたのですね。
それを思うと今はありがたいです。
お金さえ出せば、誰でも何処でも泊まれるのですから。

投稿: zooey | 2017年10月 9日 (月) 18:06

こんにちは。広重の絵を体感されましたね。見どころがたくさんあるのが驚きです。

投稿: 多摩NTの住人 | 2017年10月 9日 (月) 19:24

★zooeyさま

この写真ではわかりませんが、川坂屋には茶室もあり大きいです。
これらの中は本の写真で見ましたが、中を見られるのは休日だけなのだそうです。
それに水曜日ばかり行っているので、このあたりまでは有名なお菓子屋さんは水曜日が休日な所が多いのです。この先はそんなこともなさそなので期待しています。
アメリカの人種差別もいまだに凄いですが、封建制の江戸時代、身分によって宿まで区別されました。本当に今は自分の好きな所に宿泊出来ていいですね。有難うございました。

投稿: tona | 2017年10月 9日 (月) 19:39

★多摩NTの住人さま

こんばんは。
広重の絵より坂は緩やかでしたが合わせて3つの坂を上り下りしました。
ここで1句をしたためた人が多かったほど、平坦な道と違って印象深かったのでしょう。
有難うございました。

投稿: tona | 2017年10月 9日 (月) 19:42

こんにちは、ご無沙汰しています。
 
記事は拝見しつつ、なかなかコメントできないまま失礼しています。
前記事「白樺湖」のお写真を拝見しながら、自然の中での
花や草木や空気との触れ合いに、かなり飢えてきている自分を
感じました。こうしてお写真で拝見できるのがせめてもですね。
感謝しています。
 
今回歩かれたところでは、再現されたものも含めて昔ながらのものが
たくさん残されている様子に、ふっとタイムスリップ気分も
味わわせていただきました。
金谷の石畳は、丸っこい石がまぁ見事に綺麗に並べられていますね。
お写真の苔むしている様子に、確かに今はこれでは滑るだろうなと
思いました。昔、往来が途切れなかった頃は、石に苔がつく間もなく、
大丈夫だったのかもしれませんね。

投稿: ポージィ | 2017年10月10日 (火) 12:11

★ポージィさま

お疲れ様です。行ったり来たりは大変疲れますね。そしてあちらの家のお片付け。
転院されたそうで、リハビリ後のこと、まだまだ何も問題は片付いたとは言えませんね。
お疲れが出ませんように。
私も今まで随分してきましたが、もうあと1歩頑張ろうと思いました。
子供たちも年取っていくわけでその重圧もかなりなものと思われます。
夏のきれいなブルー系の花を堪能させていただきました。

白樺湖なんて前行ったからと思ったんですが忘れていますし、自然は癒してくれます。ポージィさんに分けてあげたかったです。

金谷や菊川の石畳は雨の翌日も滑って危険だそうです。歩く力が無くなっている現代人を昔の人は笑っているかもしれません。
昔の人から学ぶことも多い街道歩きでした。まだ続けられそうです。次回やっと真中です。

ご両親様お大事に。ポージィさんもご主人さんも十分気をつけられてくださいね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2017年10月10日 (火) 16:39

古い遺跡を見ていつも思うのですが、自然の丸い石を使った石垣、
自然石を加工して築いた城壁。昔の人の石に対する技術の高さを感じます。

 郷にも昔の街道の石畳があります。滑りやすいと思えば、石を敷いて道を作る。
それが常識だったのですね。なるほど日影では苔が生えて滑りやすい。
果たしてそこまで考えていたのでしょうか? 今はコンクリートで舗装する。
味気ない。石畳には情緒がある、そんな気がします。
熊野古道を歩いて感じました。

 表から一歩入れば、タイムスリップ。昔の面影がいっぱい。
それが残っているのが日本のいいところですね。

 いま世界遺産に登録されたばかりに、悩んでいるところが多いとTVで見ました。
街ごと遺産に登録され、観光だけでは成り立たない。新しく観光事業を興すにもままならない。
世界遺産を抹消されてもいいと言うところが出てきています。

 日本の群馬の「富岡製糸場」もそのひとつ。市長がこぼしていました。
一時的には登録されて観光客が増えるが、後が続かない。
こうなると一体世界遺産とはなんなんでしょう?と疑いたくなります。
世界遺産登録を喜んでいるのは日本だけとも言っていました。

京都観光した時、世界遺産に登録されたあるお寺の住職の言った言葉が思い出されます。

投稿: 夢閑人 | 2017年10月10日 (火) 18:46

★夢閑人さま

本当に皇居の濠をはじめ、崩れてしまった熊本城や備後松山城などあちこちの石垣の立派な事。穴太衆などプロがいたそうですが、全国に数えきれないほど築かれた城と石垣をどのようにして造ったのか、凄いですね。
この平成の石畳を造った人々、その情熱が素晴らしいです。今はみんプロにやってもらうう時代ですから、どんなにか作るということが大変かを実感した人々なのですね。そのお蔭で石畳を味わえました。
そういえばヨーロッパでは随分たくさん石畳の道を歩きました。(若い人はハイヒールで歩いています)
石畳は風情があると思いました。

世界遺産に登録とかオリンピック開催とか喜んでいるのは日本人だけですね。
登録されるとかえって不便な生活を強いられるのですね。経済的にも大変と聞きます。
両方とも認定側、主催者側の胡散臭さも露呈しています。サマランチ元会長に入ったお金は莫大!初心に帰れと言いたいし、おかしいと思うのでやめてもいいとさえ思います。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2017年10月10日 (火) 19:50

tonaさん、こんばんは~♪
2日間ばかり、全く機能しなかったパソコンがやっと復旧しました。
写真もいろいろな情報もすべて没になるかと心配しましたが、
助かって良かったです。

東海道53次歩き、順調に進んでいますね。
金谷石畳、扇谷本陣跡、 相伝寺など、どこも江戸時代の面影が
残されていて素敵ですね。
小夜の中山超えは東海道三大難所だそうですが、
現在のように美しい茶畑はなく、うっそうとした森や林だった
でしょうから、一刻でも早く通り抜けたかったでしょうね。
バショウと言うのはバナナの木によく似ていますね。

投稿: hiro | 2017年10月10日 (火) 20:38

★hiroさん おはようございます♪

息子さんにお願い出来て良かったですね。
私もいつも娘夫婦にやってもらっています。
忙しい人たちですので、時には夜中に来てもらったりして。

街道歩きは次回が丁度真中になります。本当に長いですね。
石畳や日坂宿はなかなかでした。
小夜の中山は昔は山賊も出たりして、うっそうとした道だったと想像すると怖くなります。
茶畑がきらきらして見えました。

バショウは本当にバナナと同じような実がなって似ています。
苞が芭蕉は黄色でバナナは紫色だそうで、これは黄色でした。芭蕉は小さく種多くて、食べにくいそうですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2017年10月11日 (水) 08:20

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/146506/65893084

この記事へのトラックバック一覧です: 東海道五十三次歩き11 金谷~日坂~掛川(前編):

» 金谷坂石畳 旧東海道 金谷宿から日坂宿へ [花筐~花がたみ]
旧東海道の金谷宿から日坂宿(にっさか)までを歩いた。 およそ9kmの道のりではあるが途中には旧東海道の三大難所のひとつ “小夜の中山”がある。 (あとの二つは箱根と鈴鹿) 古から“小夜の中山”を詠んだ和歌や短歌は多い。 このコースにはそれらの碑が建てられている。 それらも紹介しながら旅の様子を写真に並べてみよう。 国道...... [続きを読む]

受信: 2017年10月 9日 (月) 14:56

» 菊川坂石畳と菊川の里 金谷宿から日坂宿へ(2) [花筐~花がたみ]
金谷坂石畳を歩き終わり、更に道なりに進むと “諏訪原城址”へ通じる細い道が右手に現れるので 少し寄り道をする。 “諏訪原城”は1573年(天正元年) 武田勝頼が馬場美濃守に築かせた山城で 天然の堀や人工の堀に囲まれた天然の要塞であったという。 どの堀も深く急斜面であり石垣は用いられていない。 写真を撮ったが暗くて何が写っているのかわからないので ここにはとても挙げられな...... [続きを読む]

受信: 2017年10月 9日 (月) 14:56

» 家康ゆかりの久延寺 金谷宿から日坂宿へ(3) [花筐~花がたみ]
旧東海道では箱根峠と鈴鹿峠に並ぶ難所とされた小夜の中山峠への 急な坂道(青木坂と呼ぶらしい)をあえぎながら30分ほど上がると ようやく平坦な道になりほっとする。 “久延寺” (きゅうえんじ) 真言宗で開創は行基と伝わる。 長篠の合戦で勝った徳川家康は 諏訪原城(ここまで来る途中にある)を攻めるときに 久延寺を本陣にしたという。 ...... [続きを読む]

受信: 2017年10月 9日 (月) 14:57

» 小夜の中山峠 茶屋と西行 金谷宿から日坂宿へ(4) [花筐~花がたみ]
久延寺の隣りに 中山峠の茶屋“扇屋”がある。 平日は閉めてある店なのだが、 この日(9月21日(火))、わざわざ店を開けて 私たちの到着を待ってくださっていた。 殺された妊婦の子どもを預かり育てる久延寺の住職が その子に舐めさせたと伝わる子育飴を売っている。 カキ氷が旨そうなので作ってもらった。      ここまでの急坂で...... [続きを読む]

受信: 2017年10月 9日 (月) 14:59

» 小夜の中山峠 公園の石塔 金谷宿から日坂宿へ(5) [花筐~花がたみ]
大きな西行歌碑を見た後は “小夜の中山公園”の中を歩く。 いつの時代のものなのか 判らないが 幾つかの石塔と石仏を見ることが出来る。 おそらくは峠にさしかかる街道沿いに点在していたものを...... [続きを読む]

受信: 2017年10月 9日 (月) 15:01

» 佐夜鹿一里塚 金谷宿から日坂宿へ(6) [花筐~花がたみ]
小夜の中山公園から旧東海道へ戻ると 近くに“佐夜鹿(小夜の中山)一里塚”がある。 (久延寺から300m) 江戸日本橋からの距離は 算定する言い伝えや史料によって異なり 52里、54里、56里との説があるが 一里塚自体の位置は変わっていないそうだ。 左:一里塚の近くの歌碑 蓮生法師  “甲斐が嶺は はや雪しろし 神無月 しぐれて越ゆる さ...... [続きを読む]

受信: 2017年10月 9日 (月) 15:13

« 白樺湖 | トップページ | 東海道五十三次歩き11 金谷~日坂~掛川(後編) »