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2017年10月12日 (木)

東海道五十三次歩き11 金谷~日坂~掛川(後編)

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●日坂宿と掛川宿の間

・宿をはずれるとすぐ、遠州一宮の式内社・事任(ことのまま)八幡宮がある。まず本宮にお参りするが271段の階段を登らなければならなかった。338x450
県道を渡って事任八幡宮へ。『枕草子』にも「事任の明神 いとたのもし」と出てくる古社だ。意味は「願い事が思いのまま叶うありがたき言霊社」
その後1062年源頼義が石清水八幡宮を当社に勧請した。江戸期には徳川幕府も信仰し、社殿を改築し朱印高百石余を献上した。朱印高という言葉は恥ずかしながら初めてで、朱印地、黒印地という言葉もあって、寺社に関係する石高。→こちら

・塩井神社 一日に3度塩水が出るところがあって、そこを塩井と呼び、川を塩井川と言ったとされる。川に渡された板の上を渡って行く。昔塩がないときこの水で味付けしたそうだ。450x338
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ああ、びっくり!突然現れた蛇を娘が踏んでしまった。
黒い蛇はシマヘビ(カラスヘビ)、ヤマカガシ、マムシの3種の黒化型があるそうで、多分シマヘビでしょうか?450x332
                                                 神社450x338_2
・福天権現道標 東海道を上下する旅人の興味を引いたようで、太田南畝も「掛川領にいれば、左に福天権現本道とあり。いかなる神ならん」とある。菊川市西方の龍雲寺境内に祀られ、願掛けに御利益があるとして、多くの信仰を集めた。338x450_3
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・七曲り いよいよ掛川宿に入る手前の七曲りだ。容易に敵を侵入させないための構造。終点に城下に入ってくる人物や物を取り締まるための木戸と番所があった。
途中に塩の道標柱がある
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●掛川宿(26番目)
掛川は内助の功で有名な山内一豊が整備した城下町。江戸後期、旅籠30軒全てが飯盛女を置かない平旅籠だったという。
今までの宿と違って、掛川宿は宿場跡を記すものが皆無だ。ただ商店街には白漆喰塗籠造りの家が多く城下町の趣がある。

掛川城 東海の名城といわれた天守閣は平成6年に日本初の本格木造天守閣として復元された。
城は最初今川氏が築かせたが、桶狭間の戦いで義元が討たれてから家康領有となり家康の重臣石川氏が入城。その後秀吉が全国平定すると、家康を関東に移し、掛川城には山内一豊を入れた。その後家康の天下になってからは家康の異父弟の松平氏から始まり、太田道灌の子孫の居城として栄えた。しかし安政の東海大地震により大半が損壊し、明治2年廃城となった。
                           大手門 天守閣復元後にここも復元された

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天守閣 実に美しい!山内一豊が造った。450x338_5
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                                           天守閣からの景色450x338_8
                                           眼下の御殿450x338_9
掛川城御殿 江戸時代後期の建物だが、地震で倒壊後、時の城主太田氏が再建した。現存する城郭御殿としては京都二条城など全国で4ヶ所しかない貴重な建造物で国の重要文化財だそうだ。部屋は20もある書院造。藩の公的式典の場であり、藩主の公邸、藩内の政務をつかさどる役所という3つの機能を合わせ持った施設。450x338_11
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・ヘンミイの墓 オランダ商館の一員で江戸の将軍家斉謁見の帰途、ここで亡くなったので天然寺に葬られた。享年51歳。蒲鉾型の墓だ。450x338_15

・信用金庫や銀行が白漆喰で瓦屋根で他の町にはない珍しい金融機関だ。

                    掛川信用金庫450x338_16
          清水銀行には山内一豊と千代夫人の浮彫刻が見える450x338_17
・円満寺蕗の門(城から円満寺が買い受けた)を通り過ぎたところがもう西番所だった。450x338_19
・その少し先の掛川十九首町にある十九首塚で見学を終わる
十九首塚は、将門の乱で平将門は、平定盛、藤原秀郷らに滅ぼされた。将門ら19人の首実検が掛川で行われ、940年に埋葬された(大手町にも首塚があり全国にあるようだ)。450x338_20

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日曜大河ドラマで「おんな城主直虎」をやっている。楠戸義昭著『女城主・井伊直虎』によると、
直虎の許婚・井伊直親(虎松、徳川四天王の一人・直政の父)が小野但馬守道好の讒言に遭い、今川氏真に潔白を申し開きに掛川城に行ったのだが、ここ将門の十九首塚のある場所で氏真の手のものに殺されたのである。唯、資料が少ないので謎は多いと著者は記す。

十九首塚の近くの電線にムクドリの大群がとまっていたが、散歩していたおばあさんが、このムクドリは暗くなると掛川駅の前の木に集まり、ここだけでなく周辺からものすごい数が集まると教えてくださった。
暗くなった駅に到着すると凄いにぎやかな囀りとベンチまでにも落ちている糞。樹木をねぐらにしていた。何故駅に集まるのか??

掛川には新幹線が停まるので、お弁当を買って乗り、東京駅まで乗り換えなし。但し「こだま」なので時間のかかること。駅に着く度にのぞみとひかりに追い越されているから。
「直虎ちゃん弁当」は12月までの期間限定。1個しかもうなかった。
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                       (完)

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コメント

tonaさん、こんにちは~♪
黒い蛇を見るのは生まれて初めて・・・
お嬢さん、心臓が飛び出しそうなくらい驚かれたでしょうね。

事任八幡宮、由緒のある神社なのですね。
願い事が思いのまま叶うなんて有難いことですね。
掛川城や城郭御殿も素晴らしいですね。
山内一豊は高知城の城主かと思っていましたが、
掛川城の城主だったこともあったのですね。
「おんな城主直虎」で直親が殺されたシーンはよく覚えています。
人けのない寂しい場所でしたが、ここだったのですね。

たくさん歴史を学ばせて頂きました。
「直虎ちゃん弁当」、美味しそうですね。
12月までの期間限定とは残念です。

投稿: hiro | 2017年10月12日 (木) 14:30

★hiroさま こんにちは♪

早速にコメント有難うござました。
蛇を見ると慌てて数m逃げてしまう私。恐る恐る写真なんて撮ってしまっていました。
シマヘビなら毒がないそうです。

清少納言も書いていた神社、名前の読み方も難しいですね。この頃鎌倉初めあちらこちらにお願いしまくっています。欲張りすぎるかしら。

山内一豊は高知前はここだったのですね。私も認識新たにしました。また本も読もうと思っています。忙しい!お陰様です。

テレビとこの本では違う所が多いのは、テレビでは脚色しているわけですね。資料が少なく本当の事がわからない部分が多いそうです。
テレビが12月で終わるからお弁当も終わるのですね。

投稿: tona | 2017年10月12日 (木) 16:38

掛川は一度も行ったことがありません。
お城が再建ということも存じませんでした。

丁度半分にさしかかれたことですね。
井伊氏も関連しているらしいですから
観光客も多かったことと思います。

投稿: matsubara | 2017年10月12日 (木) 19:20

★matsubaraさま

掛川城の天守閣から新幹線が走っているのを見ることができました。
市民の強い要望があって天守閣が復元されたようですね。とても恰好が良いです私も勿論初めてです。なぜか松江城も見たくなりました。
次回ちょうど中間点の袋井です。
その後浜松ですが、掛川と浜松とその北側の井伊谷が井伊氏に関係してくるのですね。
そして佐和山城から彦根へ。その時直政は42歳で1602年に亡くなっていて彦根城は見てないのですね。
有難うございました。

投稿: tona | 2017年10月12日 (木) 20:56

掛川にこんな立派なお城があるとは知りませんでした。

ムクドリの大群は、私の最寄り駅にも見られます。
物凄い数と鳴き声で怖くなります。
近年、世田谷、大田区など東京でもあちこちで見られるそうですが
地方でもとは知りませんでした。

投稿: zooey | 2017年10月13日 (金) 12:33

★zooeyさま

駿府、掛川、浜松と今川、武田、徳川が争って城があちこちに出来たことを↑の直虎の本で知りました。
その昔山岡荘八の『徳川家康』で読んだことが頭に全くありませんでした。

そうなのですか。そちらの駅では糞害も凄いのでありませんか。
電線10本分以上と見受けました。凄いことですね。生物の生態がどんどん変わっていくのもニュースで見ることが多くなりました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2017年10月13日 (金) 16:34

驚いたのは蛇のほうでしょう^^。
私は長虫は大の苦手、観るだけでもダメです。
去年だったか、掛川で資生堂の美術館をみました。
夏祭りの頃だったなあ。

投稿: 佐平次 | 2017年10月14日 (土) 10:13

プチご無沙汰してしまいました。
金谷~日坂~掛川前編・後編と読ませて貰いました。
私も旅行をするようになってから、旅行先が違っていても人物が繋がっていたりで
それを知る事に、知識が広がったと思うと嬉しいですね。

私も先日、中山道の妻籠宿・馬籠宿に行き実際に見て来たばかりなので
今回の記事は特に興味を持ちました。

掛川城主は山内一豊でしたか、山内一豊の名前は知ってましたが
ブログ仲間の記事で色んな事を教えて貰ってます。
掛川城、実に素晴らしいですね。
何処に旅行しても城は残って無くても、城跡などがあってそれらを見るのも楽しいです。
未だ掛川には行って無いので、伊東に行った際に行ってみたくなりました。

投稿: ラッシーママ | 2017年10月14日 (土) 13:20

★佐平次さま ありがとうございます。

資生堂美術館が掛川にありましたか!
調べたら東海道とは駅をはさんで反対側にありました。
どんなアートがあるかまた調べてみます。

うなぎやアナゴは美味しいですがね。
私も蛇は凄い苦手、群馬スネークセンターがありますが、一生行けないでしょう。首に巻いて喜んでいる人がいるのですよね。

投稿: tona | 2017年10月14日 (土) 16:22

★ラッシーママさま

お帰りなさい。
お忙かったでしょうにさかのぼって読んでいただきありがとうございます。
私も宿というと妻籠や馬籠に反応しました。
中山道は遠くて泊まらないと行けそうにありません。東海道は泊まるという日程の余裕が(私ではない)がないので日帰りになります。

山内一豊は千代さんの内助の功で有名で高地というイメージですね。その前はここに約10年間いたのです。
城跡に復元とはいえお城が昔そのままで建っているのはなかなかいいものですね。
お城も城跡も行っていますが本物も随分見ているつもりですが、調べたらまだまだ見てないのがたくさんありました。
掛川は静岡から車なら近いですね。

投稿: tona | 2017年10月14日 (土) 16:23

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