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2017年11月30日 (木)

現代アートの街ビルバオとスペイン・バスク周遊9日間(3)

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<4日目> 11月12日(日)

ビトリアを離れ、ナバラ州の牛追い祭で有名なパンプローナへ、そこからまたアラバ県のビトリア南のワイナリーのあるエルシエゴへ。そこから私の地図は間違えていて直しましたが、一挙ギプスコア県のサンセバスチャンへバスで進んだ。
朝の出発が遅いからいいけれども、スペインの難点は夕食が一番早くても20時過ぎで終わるのが22時頃ということです。

●パンプローナ ナバラ州の州都 人口は約20万人
ローマの将軍ポンペイウスがピレネーへの前哨基地として紀元前75年に町を築いたのが始まり。

         サラサーテ通り  この町出身の作曲家の名を付けた450x338
            市庁舎広場 牛追い祭の開会式が行われる450x338_2
7月6日正午2階バルコニーからのロケット発射が合図。翌7日から14日、毎日朝8時に850mの距離を10頭の牛とたくさんの人が闘牛場まで走る。450x338_3
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ヘミングウェイが泊まっていたホテルと、通っていたカフェ
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闘牛場 スペインではマドリッドに次いで2番目、世界では3番目(1番はメキシコシティ)に大きい闘牛場。現在は牛追い祭の時しか見られない。450x338_8
ヘミングウェイの碑 ヘミングウェイは1923年のスペイン旅行で、マドリッドの闘牛を観戦。翌年牛追い祭を見学。1925年からパンプローナの闘牛、牛追い祭等を素材にした『日はまた昇る』を書き始めた。450x338_9
・聖母マリア大聖堂 12世紀建立だが現在は15世紀ゴシック様式  450x338_10
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              ナバラ王国カルロス3世と皇妃の棺450x338_11
                       天井450x338_12
お店の風景450x338_13
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               来年の牛追い祭りまでの日時450x338_14
           ここは巡礼の道の一つでもある。巡礼さんと印450x338_24
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・エルシエゴヘ(アラバ県)450x338_15
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●エルシエゴのワイナリーとホテル「マルケス・デ・リスカル」ミシュラン1つ星レストラン

・マルケス・デ・リスカル カナダ生まれの建築家フランク・ゲーリー設計 何とも形容しがたい複雑でどうなっているかわからない建築。面白い!  450x338_17
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               裏側(掲載されていた写真から)450x338_19
・ミシュラン1つ星レストランで昼食
ワイン、前菜、赤えびのカルパッチョ、アスパラガスとキャビア、ノルウェーロブスター、コロッケ、メルルーサ&豚肉&羊肉のメイン、羊のチーズとアイスクリームのデザート、食後のコーヒーなど
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・建物から周囲の見学 450x338_23
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・葡萄の葉4種
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      オリーブの木の上の猫 バスク地方で唯一見た猫は美形であった450x338_35
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・ワイナリー見学と試飲 建物は1860年。この地ではテンプラリーニョ種の赤ワイン製造でセラーには100万単位のワインが寝かされている。1862年製造ワインが14万3千本も置かれている所も見学。年間600万本の赤ワインを作り、65%は輸出。試飲ですが私にはボルドーより渋い味のするワインでありました。(白ワインは西300㎞の所で出来たもの)1_450x338
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サンセバスチャンへ到着後の夕食はホテルの自室で    (続く)

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2017年11月26日 (日)

紅葉の大山へ

11月24日(金)に大山街道を歩いた女子会で昨年は落ち葉になってしまっていたので、今年は紅葉の盛りにということで出かけました。
小田急線で友人に会い、乗ったのですが、冷や汗が出て海老名で下車し、帰ろうか迷った末、次の急行に乗って伊勢原に向かったのでした。生涯2度目の途中下車、加齢と疲れですね。電話したらみんながバス終点で待っていてくださって、一番きれいと言われているロープウェイ大山寺駅に寄らず(私のために時間節約)、終点阿夫利神社下社駅で下車。お詣りし、洞窟の中を見学し、日向薬師に向かう方の展望台でお昼にしました。
お天気も良く、久しぶりの登山でちょっとよろよろぎみだったけれども、階段は若い友人に手を引いていただき兎に角またバス停にまで戻って伊勢崎駅へと向かいました。

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                      下社へ450x253
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                      神水450x338_8
                     菅原社450x253_2
                     さざれ石450x338_9
                      遠方景色450x253_3
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帰路電車内で発熱、医者ですでにインフルエンザの注射を打ったのに、別のインフルの疑いがあるということで薬を処方された。肺炎の夫と9度6分の私にと勤め帰りの娘が慌てて買ってきてくれた食料のうち、プリンとマンゴープリンを食べて薬が飲めた。昨日は微熱、通院でインフルでないことが判明し、今日は平熱でやっと元気を取り戻せました。

防災用品と同様、栄養ドリンクとかスープ、おかゆ、レトルトのおかずを常に用意しておかねばならないと準備の悪い私は大反省であります。

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2017年11月23日 (木)

現代アートの街ビルバオとスペイン・バスク周遊9日間(2)

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<3日目>11月11日(土)アルタミラ博物館と同じところにある、スペインで最も美しい村の一つへバスク州からすぐ西隣のサンティヤーナ・デル・マールへビトリアから往復。夜ビトリアの広場見学。

バスク州のアラバ県から西隣のアルタミラのあるカンタブリア州へ車を進めると美しいビスケー湾が見えてくる。
ビスケー湾はスペイン北部全部とフランス西部の下半分で囲まれた大きな湾である。

車窓より

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                                ススキの群生が多かった450x338_5

アルタミラ博物館 1985年アルタミラのみの世界遺産が2008年に旧石器時代の洞窟壁画が発見されたスペイン北部の洞窟も含めて17か所世界遺産になった。450x338_6
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1879年、アマチュア考古学者サウトゥラと娘マリア(8歳)が洞窟の中に約18500~12000年前・旧石器時代の壁画を発見した。「パパ牛よ、上を見て(アルタ=高い、ミラ=見る)」とマリアが叫んだのが洞窟名になったそうだ。
全長270mの洞窟のうち、入口から30mほど入った辺りの奥行18m、幅9m、高さ2mに描かれた天井画が最も有名。その部分をそっくり同じように再現したレプリカを見学して説明を受ける。
天井の凹凸を生かし立体的に描かれているのがフランスのラスコーと違う点である。木炭で黒く描き、鉄分を含んだ石を削ったり、土を水で溶き、手の平を使って色を塗ったそうだ。描かれているのは、バイソン、馬、牡鹿、謎のサイン、手形など。

アルタミラ博物館 この洞窟に住み絵を描いた人々の祖先はラスコーと同じくクロマニヨン人でバスク人の祖先という。レプリカでも撮影禁止なので絵葉書を買った。
生捕った動物の骨で針を作り、炉辺で女性が毛皮の衣服を一針ずつ縫っている姿が印象的だった。今の生活から想像もできないほど大変な生活だ。今の自分は贅沢我儘の極みである。450x304
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博物館から100m離れた本物の洞窟入口。何でも毎週金曜日に抽選で当たった5名のみに、最近本物を見せるようにしたと言う話をちらっと聞いた。338x450
フランスバスクの東側にあるラスコー洞窟は、夫が昨年行ったところによれば、ラスコー2は本物の洞窟のすぐそばに造ったので、本物の痛みが激しく閉鎖、ラスコー4が離れた所に造られ、そこを見学。ラスコー3は精巧に造られたレプリカで、国際巡回のために造られ、現在東京上野で公開中というわけだ。Arutamiramura_450x338_2
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サンティヤーナ・デル・マール スペインの最も美しい村の一つ。アルタミラのすぐそば。
起源は8世紀。聖女フリアナの聖遺物が運ばれ、修道院と教会が造られたのが始まりで、13世紀からアルフォンソ8世の直轄領になったことから、貴族の館が多く建てられ、貴族の紋章や石畳も美しい。(聖人、聖女の有名な人だけでも凄い数になり、勉強不足でなかなか頭に入っていない。あまり先がないにもかかわらず、勉強したい気持ちが募るがあせっても仕方ない)450x338_9
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                     エアープランツ338x450_2
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                      洗濯場450x338_15

昼食はホテル業も営むレストランンで手厚いおもてなしを受け感激。ここの御主人がまるで日本人みたいな気質で食べきれない御馳走を奨めて奨めて!野菜のスープ、イワシの揚げ物。写真撮り忘れだけどイカのリングフライがたくさんと、絶品の自家製プリンでした。450x338_16
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ビトリアへの帰り道には工場も見えた(欧州ではバス沿道には殆ど煙を吐いた工場群は今まで見当たらなかった)450x338_18

●ホテルに帰った後徒歩で昨日見られなかった町の中心広場へ出かける
  
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          スペイン広場では市庁舎がライトアップされていた450x338_19
隣接するビルヘン・ブランカ広場は17世紀に造られ、昔は市場が開かれていた。450x338_20
バルの中。
この日は日本から持ってきたうどんや缶詰などで食事。バルめぐりをした人たちは4軒巡り11時頃ホテルへ帰還したそうだ。元気ですね。最長老は一人参加の男性で180回で次回はもうすぐ41回目のインドだそうだ。ワインの他、ウォッカなどをあおっている大酒豪だ。うらやめ(ま)しい。
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                      (続く)

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2017年11月20日 (月)

現代アートの街ビルバオとスペイン・バスク周遊9日間(1)

お久しぶりです。私は無事帰りましたが、夫が風邪を引いて大分ひどくなってきました。
1昨日は肺炎と言われなくて良かったのですが、今日医者に行ったら肺炎になっていました。おまけにパソコンの調子が随分悪くなりました。そろそろ買い替えです。

11月9日(木)羽田に11時ごろ到着、エールフランス航空で13:45に出発の筈だったが、14時に乗り込んだものの、非常灯の故障で出発できず、18時半まで機内に。飛行機はキャンセルになりました。
U社の助っ人が現れ、23:55に抑えてあった添乗員と合わせ10人分の席を確保でき、無事11月10日0:30に飛び立つことが出来たのでした。羽田空港に13時間半も居たことになります。
国際線にはお江戸日本橋が再現されていて眺めたり、食事を2回とり、本を読んだりとまあ、長い半日でありました。U社で座席が確保できなければ旅行自体がキャンセルとなったわけで、とてもラッキー。同じ昼に乗る予定だった人の多くは次の飛行機の手続きやホテルなどてんやわんやであったでしょう。

パリ・シャルルドゴール空港に現地時間4:42に到着、バスが6:08にオルリー空港へ向け出発、7:35に到着。10:45にオルリー出発で、フランス・バスクビアリッツに11:45に到着。
バスで12:17に出発、14:30にスペイン・アラバ県、県庁所在地のビトリアに到着、観光開始。

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地図の黒で示したのが元来の予定で、赤で記したのが変更後。
バスク地方は、バスク人とバスク語の歴史的な故国を指し、かつて独立の機運に燃えたことがある。標識はスぺイン語とバスク語の両方が書かれる。
ピレネー山脈の両麓に位置してビスケー湾に面し、フランスとスペインの両国にまたがっている。スペイン側にはバスク州の3県とナバーラ州の計4領域があり、フランス側にはフランス領バスクの3領域があって、全部で7領域、地図の黒い太字がそれに相当する。行かなかったら一生知らないままでした。夫は昨年フランスバスクに行っております。

<1日目>羽田国際空港

日本橋 総檜で、半分の大きさで出来ている。 東海道の出発点に立った気分です。450x338
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                  AIRLINE εAIRPLANE450x338_3

<2日目> スペイン・バスク州アラバ県ビトリア

              フランスバスクはすぐ通り過ぎてしまった450x338_4
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ビトリア観光

2012年には欧州グリーン首都賞に選ばれたので、あちこちに緑の美しい公園が点在していた。この日も雨で秋から冬は雨が多いので緑が多いとのことである。

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               路面電車には芝生が植えてある450x338_9
                     旧市街450x338_10
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      特別に許された家だけペインティングがなされる。数軒見かけた450x338_12
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             坂の多い町でこんな所にもエレベーターが450x338_13

・サンタマリア大聖堂 昔教会があった上に建てられた13世紀の大聖堂で、23年前から倒壊の恐れが出て今修復中。ヘルメットを被ってその修復状態を見学することは出来た。地下聖堂を見ると土台の柱が地盤沈下でゆがみ、他に水掘で土壌がゆるくなっていて傾き始めた。23年も修復しているがまだまだかなりかかりそうとのことだ。338x450_2
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                  聖堂からの景色P_450x338
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・現代アートセンター・アルティウム 日本でも現代アートは素通りすることが多いが、ビトリアもビルバオもスペインバスクは現代アートで町おこしをしたところである。450x338_19
                    ガラス細工450x338_20
                       ダリ338x450_3
                       ピカソ338x450_4
                       ミロ450x338_21
食事の文句を言ってはいけないが、この日のホテルの牛肉は固くて食べられなかった。

                    (続く)

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2017年11月 6日 (月)

東海道五十三次歩き13 見付~浜松(後編)

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・妙恩寺 金原明善の菩提寺 供養塔が立派である。450x338_8
                 家康公お手植えのツゲ450x338_9
・龍梅寺 臨済宗妙心寺派450x338_10
      焼餅地蔵があって、何故か焼き餅を備えたという面白い地蔵。 338x450_4

●浜松宿(29番目)

                     外木戸東門跡338x450_5
ここから浜松宿が始まる。本陣6軒、旅籠94軒あり、遠江・駿河国で最大の宿場であった。

            浜松の中心街が近くなってビルが多くなってきた450x338_11
・夢告地蔵が道端に祀られている。安政5年(1858)に大流行したコレラで亡くなった人を供養するために建てられた。450x338_2_2
遠州鉄道の高架をくぐった先を少し行くと 交差点に浜松城大手門跡がある。東海道は左へと折れるが、右に曲がって浜松城に寄る。338x450_6
・浜松城は、今川氏が築いた引馬城を家康が1570年に拡大築城し、地名も浜松に改めた。家康29~45歳の17年間過ごしたが、ここで三方ヶ原合戦敗北を経験した。
家康が駿府に移ってから廃城となるまで譜代大名が城主となり12人が入城したが、うち幕府老中を6人も輩出したため、「出世城」と呼ばれた。

                  天守閣 昭和33年に再建450x338_13
                    若い時の家康像338x450_7
             石垣は堅固な野面積みで400年前のもの450x338_14
                 天守門は平成26年に復元450x338_15
天守閣展望台から北に見える三方ヶ原古戦場。森の一番奥だそうだ。家康敗北で有名な三方ヶ原はこんな所にあったのです。450x338_16
                  西、水平線は浜名湖450x338_17
                     南、遠州灘450x338_18

大手門跡に戻り東海道、浜松宿を進むが、戦災で2度も焼失して何も残っていない。駒札が全部表示されていた。高札場跡、6つの本陣跡、問屋場跡、中番所跡。西番所跡は見つからなかった。P1110141_450x315

●高塚駅(東海道線)まで東海道を進む

・少し行くと、子育て地蔵尊があった。戦災で顔の一部が欠けてしまったことから「首なし地蔵」とも呼ばれる。(中央の地蔵)450x338_19
・掘留ぽっぽ道があり、ケ91タンク機関車があった。大正7年製造の初期軽便機関車(岐阜県美濃太田~多治見間)。450x338_20
         八丁畷は森田から東若林まで続く旧東海道の長い畷338x450_8
・畷が終わった所で右に曲がる角に道路に向かいあって建つ二つの御堂がある。 藤原秀衡が京で病気になったことを聞いた妾がこの地で秀衡の訃報を聞き、秀衡の菩提を弔い、自らもここで亡くなってしまう。しかし、秀衡は実際には病気から回復し、帰国途中に妾の話を聞きお堂を建てた。
                北側の秀衡が建てた御堂450x338_21
                 南側の妾が建てた御堂450x250

                  振り返ると虹が出ていた2_374x450
                   前方には夕焼けが450x338_24
・秋葉常夜灯。木造屋形の鞘堂であるで明かりがともり立派だ。袋井からいくつか立派な常夜灯にお目にかかってきた。338x450_9
          浜松領と堀江領の境界である領地境界石があった338x450_10
高塚駅に着き、東海道線で浜松駅に一駅戻り、新幹線ひかりに乗れたので家には9時前に到着できた。
         夕食のお弁当 家康くん弁当が売り切れで残念でした450x338_22
                       (完)

      ●~*●~*●~*●~*●~*●~*●~*●~*●~*●~*●

11月9日から17日までスペインバスク地方に行って参ります。海外は約2年半ぶりになります。天気予報を見ましたら現地はずっと雨でその後も雨の様子、ちょっとがっかりの旅になりそうです。帰りましたらまたよろしくお願いいたします。

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東海道五十三次歩き13 見付~浜松(前編)

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10/25(水)午前中は雨で地図も破れそうなほど濡れて、それを見ながら歩く娘は大変であった。午後には小やみになって夕方は西の空が晴れる。46406歩。
東海道の駅は磐田~豊田町~天竜川~浜松~高塚駅の5駅間を歩いた。見付宿のはずれを歩き、天竜川を渡って浜松宿へ向かい、浜松駅の隣の駅まで頑張る。次回が楽になるため。

●天竜川を越えて浜松へ

・磐田駅南口前の前島密像とポスト
前島密は維新前は海軍伝習生だったが、維新後はここ磐田に赴任し善政を尽くす。後新政府に出仕し、イギリスで郵便事情を視察し、帰国後郵便制度を設け、日本郵政の父として敬慕される。
明治4年の郵便創業時のポストで模したものであるが(当時は木製)、現在使われている。街道筋ものとして東海道62ヵ所に置かれていた。
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・磐田駅北口前の善導寺大楠と磐田市イメージキャラクターのしっぺい(怪物退治の悉平太郎)像。善導寺は移転してここにない。450x330
・鳥居だけでなく屋根から社殿まですべて真っ赤な珍しい伏見稲荷神社450x417
               磐田市マンホールはジュビロ君450x403
                宮之一色一里塚(61里・地図上)450x338
・一里塚のすぐ先にある常夜灯は竜の彫り物がある立派なもので、竜灯と呼ばれ大変貴重なものだそうだ。昼間だけれど明かりが灯されていた。450x405

天竜川が近くなってきた

           若宮八幡宮は、奉納相撲が有名で土俵があった。450x210
   新天竜川橋で天竜川を渡る。青い鉄橋は昭和8年に作られた天竜川橋だ。450x338_2
天竜川は江戸時代は渡船であったが、明治9年木橋が作られた。天竜橋だ。1163m、幅3.6m。古い写真の向こう側にも昭和8年に完成した天竜川橋が見える。450x447
                    木橋の天竜橋跡338x450

天竜川を渡ると浜松市東区に入った。7つの区からなる巨大な市だ。縦長で1558㎢で1412㎢の静岡市より広いのだ。
六所神社や明治天皇玉座跡、舟橋跡、木橋跡などの碑を見て中野町通りを歩いていると、餃子でも有名な浜松。円形に焼き中央開いた穴にもやしが添えられているという、その餃子屋さんが見えてきたが、この日はうなぎなので残念ながら見られないし、味わえない。

・末子蔵(まっしぐら) 江戸城の石垣にも使われたという伊豆半島から切り出された伊豆石を使用した蔵。伊豆石は耐火性に優れ、廻船問屋の蔵として明治37年に建てられた。市内には使用した建造物が数多く残っているそうだ。450x338_3
浜松と言えばうなぎ、蔵の前の中川屋はまだ11時15分なのにもう人が結構入っている。早く到着して良かった。「うなぎとろろ飯茶漬け」を注文。
いずれも茶碗によそって食べるが、まず1杯目はそのまま茶碗によそって食べ、2杯目は薬味をのせてだし汁をかけて鰻茶漬けで食べ、 3杯目はとろろをかけて食べる。
うなぎの油っこいのが茶漬けやとろろで緩和されてなかなか美味しい。しかしご飯を残して満腹状態だがデザートは別腹。夕ご飯前もお腹がすかなかった。450x338_4
           浜松のマンホールは凧揚げで有名な浜松の凧だ450x378
・薬師霊場の松林寺(臨済宗)の門には中央にお地蔵さんが安置されていて面白い。
庭が禅寺らしくきれいに整えられている。枯山水の庭もあった。
薬師堂は徳川家光が浜松城主に命じて建立させたもの。2度の火事にも焼失しなかった。450x338_5
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・金原明善生家  明善(1832~1923)は天竜川の治水事業に全財産を投じた。その他にも植林事業、出獄人の保護事業なども行った偉人である。450x338_7
・安間一里塚跡(63里)は姫街道安間起点でもある。ここ浜松市からも行かれるわけだが、磐田市の姫街道の方が磐田駅から近い。338x450_2
                 牓示杭(是より西・浜松領)となる338x450_3
                       (続く)

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2017年11月 2日 (木)

東海道五十三次歩き12 掛川~袋井~見付3

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●見付宿

見付宿は奈良時代には遠江の国府が置かれ、古くから遠州の中心地として栄えていた。天竜川の渡船業務を担う川越しの宿場であり、姫街道との分岐点でもあったので多くの旅人で賑わったという。地名の「見付」は京側から来て初めて富士山が見えたからという。しかし見えそうな感じはしなかった。

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・遠州鈴ヶ森刑場跡
品川と同じ鈴ヶ森という名の刑場跡。白浪五人男の日本左衛門の首が晒されたところでもある。供養塔「南無阿弥陀仏」の碑がある。 
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                     木戸跡(東)338x450_8
・見付天神 裸祭が有名
この神社には悉平(しっぺい)太郎という犬の像がある。昔神社の森に住む妖怪に人身御供が行われていたが、この妖怪を悉平太郎が退治し、宿場に平和が戻ったとの伝説がある。700年前のこの怪物退治に里人が踊り上がって喜んだのが裸祭だそうだ。国指定無形民俗文化財で天下の奇祭として知られているとか。450x338
          太郎の反対側で2匹の猫のにらみ合いが続いていた2_450x262
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・悉平太郎や江戸時代の風俗なども道のタイルに埋め込まれていてなかなかだ450x334
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         ジュビロ磐田のホームタウンなので旗がひらめいている338x450_9

・国史跡 旧見付学校 明治8年に落成。基礎が石垣積みで5階建て。現存する日本最古の木造洋風小学校校舎。最上階から町を一望できる。
明治時代の教科書や学用品等多数展示され、日本の初期教育を知る上で大変貴重な学校。450x338_2
                私的には石板が懐かしい教室450x338_3
                      職員室450x338_4
  黒塗りの教科書は私は知らないけれども聞いたことがある。こんなに真っ黒。450x338_5
                    和服姿の小学生338x450_10
5階は太鼓楼になっていて、登校合図や正午の時報として太鼓が打ち鳴らされたとのこと。5階からの眺め450x338_6
懐かしいおもちゃの一部
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・淡海國玉神社 小学校の隣にある。遠江の総社で遠江のすべての神社の神様が祀られている。初めてだったのが狛犬ならぬ、狛兎であった。
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・大見寺 ここには江戸時代中期、安倍川で空を飛んだ鳥人・幸吉の墓があるというが見つからなかった。450x338_9
・又一庵にてあきらめていたお菓子・きんつば(栗やサツマイモ、あずきなど)を買った。450x338_10
・姫街道の道標 東海道が左に直角に曲がる辺りの角にある。姫街道は東海道の新居宿の新居関所の「女改め」が厳しかったのと、浜名湖の今切の渡しを姫様たちが嫌い、浜名湖を迂回し、気賀の関を通り、三河の御油で東海道と合流する。いずれこの姫街道も歩いてみたい。338x450_11
・木戸跡(西) 338x450_12
・西光寺の表門 家康の別荘の門を移築したもので、江戸時代の総ケヤキ造りの門。市の文化財。450x313
・府八幡宮 奈良時代の桜井王がここに赴任してきたときに建立したと伝えられる。450x338_11
・ジュビロのマスコットキャラクターのジュビロくん。静岡県の県鳥、サンコウチョウがモチーフ。
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もう磐田駅はすぐそこ、東海道線で掛川駅に戻り、お弁当を買い新幹線に乗る。帰宅は9時半頃でした。450x338_13
                       (完)

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