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2017年12月15日 (金)

東海道五十三次歩き14 神奈川~保土ヶ谷~戸塚(前編)

11/29(水)今年最後の東海道歩きは、浜松の方ではなく神奈川県の方にしました。ゆっくり出発で東神奈川駅から歩き始めたのは10時20分。日の暮れが早くなって日没は午後4時半頃。最後は暗くなってペンライトで照らさなければならないほどです。37494歩。

大山街道歩きと同じく、今、東海道もずっと風人社のマップと説明書にお世話になっています。色々な本やマップがある中、一番わかりやすく、回りきれないほどいろいろな場所が紹介されている。

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●神奈川宿 (3番目の宿)

前回、宿の入り口を確認したが、その続きもお寺が多かった。そのお寺が幕末、外国の領事館や公使館になったことが東海道の最後の歴史となる。神奈川宿を見て、東京の埋め立て同様、横浜も随分埋立られていたことを知る。

・東神奈川駅を降り、少し南の京急線仲木戸駅(将軍が宿泊する神奈川御殿の警護する木戸があったとか)を抜けると、右手に立派なお寺・金蔵院がある。
平安末期の古刹。本堂前に家康「御手折梅」があったそうで、毎年1月に当院住職がこの梅の一枝を折って携えて登場するのがならわしだったという。
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・道沿いの松並木がいい
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・裏手は熊野神社は金蔵院の境内にあったが神仏分離で分かれた。御神木の大銀杏は名木古木で樹齢400年。この神社の狛犬が巨大であること、狐の像が多いなど面白い神社だ。
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・神奈川地区センターの中には神奈川宿のジオラマがあった。神奈川宿の目の前はすぐ海であったことが分かる。今は埋め立てられ見えないくらい遥かかなただ。
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              センター前に高札場が再現されている450x253_4
センター裏の成佛寺はアメリカ人宣教師の宿舎になり、ローマ字で有名なヘボンもここに滞在した。

・線路の向こうが慶運寺でフランス領事館だったし、浦島伝説も伝わる。450x253_6
滝の川を滝の橋で渡るが橋の両側に本陣があったという。

・橋を渡った先が宗興寺でヘボンがここで診療所を開いた記念碑がある。その先にはイギリス領事館であった浄瀧寺があった。

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・洲崎大神の前が船着き場であった。頼朝が安房国一宮の安房神社の霊を移して祀った事に始まる。この大神内の狛犬が面白い場所にあった。
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                  この日、出会った猫の顔!253x450_3
・普門寺(イギリス士官宿舎跡)の先に甚行寺(フランス公使館跡)の銀杏が見事だった
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・青木橋で京急、JRを越えるとき左手に横浜駅前のビル群がすぐそこに見えた。ジオラマや広重らの絵でもわかるように横浜駅はあの頃海の中だったのですね。
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・本覚寺 すぐ線路沿いの高台にある。
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臨済宗栄西の創建だが今は曹洞宗に。開港当時ハリスは立地条件の良いこの寺をアメリカ領事館に決めた。
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その時山門が白いペンキで塗られたそうで、これが日本初のペンキ塗装だそうだ。又、生麦事件で負傷したイギリス人が逃げ込んで、ヘボンの手当てをここで受けている。本覚寺の中には塗装業者合同慰霊碑があった
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・大綱金比羅神社に日本橋より7つ目の一里塚が置かれていた。なぜか境内に大きな天狗の木彫りの顔があってユーモアを誘う。
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・坂をさらに上がった所が湊を望む景勝地で多くの茶屋がならんでいて、今ある料亭田中屋に坂本龍馬の妻おりょうが、英語も話せて働いていたそうだ。
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・神奈川台関門跡 鶴見橋の関門同様、開港後の外国人殺傷増加に対応した。このあたりで神奈川宿は終わりのようだ。
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●保土ヶ谷宿までの間

・浅間神社
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神社のある山は「袖すり山」と呼ばれ、すぐ海が迫り、すれ違うのに袖を触れ合うほどだったことに因む。今は遠くにランドマークが見えるほど海が遠い。
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・追分八王子道(八王子から横浜で絹を運ぶシルクロードだった)と保土ヶ谷通り大山道と東海道の分岐点の追分の標柱
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・洪福寺松原商店街 この日はすいていたが日曜日は人でごった返すという、アメ横みたいな活気ある商店街が現れた。いろいろ買いたくなってしまったが、歩く旅では叶わない。
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                     (続く)

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コメント

tonaさん、こんばんは~♪
スペインから帰国されて1か月もたたないうちに東海道五十三次歩きを
されたのですね。しかも37494歩も歩かれたなんて、驚くばかりです。

神奈川宿沿いにこんなにたくさんのお寺があるとは知りませんでした。
それが幕末には外国の領事館や公使館になっていたのですね。
ヘボン、生麦事件、歴史で学んだことが今も息づいている感じがします。
電車に乗れば一っ跳びですが、歩いているといろいろなことがわかりますね。

投稿: hiro | 2017年12月15日 (金) 20:38

★hiroさま こんばんは♪

帰国して2週間もたってなかったですが、近場で朝遅かったので歩けました。
そうなのです。帰りに歩いたところを電車では停車時間を含めても15分はかからないであっという間に通り過ぎて、今の時代こんな恩恵を被っているのだと実感しました。
横浜駅の回りや近くが神奈川宿だったのですね。40歳代半ばまで電車通学・通勤していたのに当時から今回歩くまで全然知らなかったわけです。
そして幕末この地がとても賑わっていたことも。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2017年12月15日 (金) 20:55

東海道を東から順に西へ歩かれていると思って
いましたが、そういう訳でもなさそうで、
まだ近いところが残っていたのですね。
もうすぐ愛知県と思っていたのですが・・・
徒歩でのコース案内本まで出ているとは知りません
でした。これにより安全に巡れる訳ですね。
時代が変わり旧街道を探すのも大変だと思って
いました。

旧街道にはいろいろ遺跡があり、楽しめますね。

それにしてもこの寒さの中を歩かれて、大変
健康的ですね。私は不健康な生活をしています。

投稿: matsubara | 2017年12月16日 (土) 09:05

★matsubaraさま

まだ神奈川県から静岡県沼津まで残っています。
雨とか寒いとか条件が合わない日はこちら側です。
次回は1月に浜名湖を渡って新居までの予定です。
はい、地図にお陰で旧東海道の道筋が書いてありますので比較的迷わずに歩けます。それでも時々違う方向に行って引き返すことがあるのですよ。
色々な遺跡や歴史を楽しめますね。
matsubaraさまこそ不健康どころか、風邪一つひかずお元気で秘訣を教えて欲しいくらいです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2017年12月16日 (土) 18:22

東海道五十三次歩きでも今回は神奈川~保土ヶ谷~戸塚を歩き37494歩。
毎回の事ながら素晴らしい健脚です。

苦労して歩いた所も電車だと15分もあれば通過してしまうのですね。
こんなに立派なお寺が沢山ある事も、歩いて知る楽しさがありますね。

何方かの東海道歩きの記事で、料亭田中屋に坂本龍馬の妻おりょうが、英語も話せて働いていた
たしか銀河さんだったかしら
やはり洪福寺松原商店街が面白そうと書いてあったような・・・

投稿: ラッシーママ | 2017年12月16日 (土) 21:29

このあたり、明治直前の歴史が残り、東海道の中でも面白い所だと思いました。

本格時の塗装業者の合同慰霊碑、そんな歴史があるのですね。
何でこれが?と少し気になってました。
松原商店街、楽しいですね~。
私は父母のお墓が近くにあるのに、全く知りませんでした。
後日墓参りのついでに寄り、漬物を買いました。
おいしかった~。

スキポール空港の乗り換え時間に、運河クルーズという手があったのですね。
次回また寄ることがあったら、クルーズに行きます!!
8日目の下から2番目の写真、アンネフランクの家ですね。

投稿: ☆銀河☆ | 2017年12月17日 (日) 00:44

★ラッシーママさま

この当たりは昔の通学通勤でずっと電車から沿線の景色は見ていたのですが、まさか神奈川宿や保土ヶ谷宿が近くにあったとは思いもしませんでした。

そうですよ。銀河さんの後を追って歩いていますので、情報はある程度得ているのですが、実際に歩いてみると忘れていました。
松原商店街だけは覚えていましたので興奮しました。
有難うございました。

投稿: tona | 2017年12月17日 (日) 08:58

★☆銀河☆さま

この当たり、幕末に外国との関係があって、その居住が全部この当たりにお寺だったことを初めて歩いて知ったことです。一つのお寺だけが賢くも断ったという話が面白かったです。
塗装業者の合同慰霊碑も何で?と首かしげたくなりますね。
やっと松原商店街に到着してしばらくぶらぶらしました。お菓子を買ったのですが、あとは重いのでやめました。あの中のお寿司屋さんがねらい目だったのですが、激混みで、ファミレスになってしまいました。
ご両親のお墓が近くなのですか。これからこの商店街には何度も寄ることが出来るのですね。

8番目の建物がアンネ・フランクの家だったのですか。レンブラントのも写したのですが、帰って写真見たらもうわからなくなっていました。教えていただきありがとうございました。

投稿: tona | 2017年12月17日 (日) 09:11

このあたりのことをまったく知りませんでした。
戸塚に住んでいた若いころには
あちこちを見て回る余裕もなく過ごしていました。
おりょうさんは英語を話せたのですか。
龍馬や海援隊の影響でしょうか。
戸塚篇が愉しみです。

投稿: Saas-Feeの風 | 2017年12月17日 (日) 10:17

横浜に住む私には見覚えのある風景や町名が・・・
tonaさんの東海道歩きは日本橋から順番に始まった訳ではなかったのですね。
この地図購入したら、今回のコースは私も歩けるような気がしてきました。
でも37494歩とは恐れ入りました。
今ちょっと弱気な私ですが、少しお姉さまであるtonaさんから勇気をもらった感じがします。

横浜の樹は「イチョウ」ですから、晩秋に歩くとあちこちで見事な黄葉が楽しめますね。
もうすっかり散ってしまったかしら・・・?

投稿: nao♪ | 2017年12月17日 (日) 10:23

40000歩もの踏破、もう尊敬します!
この調子なら、東海道歩きも早々と完歩されるでしょう。
地域のことは何も知らなくて、感想も言えずゴメンナサイ。
三ッ沢町に住んだけど、育児期間だったし・・・

投稿: だんだん | 2017年12月17日 (日) 17:00

★Saas-Feeの風さま

私も電車で通るだけで知ったつもりでいた自分を笑ってしまいました。
歩いていないのに、神奈川県に住んでいただけで。実は何も知らなかったです。地理どころか、歴史も。
ですから歩くのは大変だけれどもとても興味深いです。
おりょうさんが英語を話せたということにもビックリでしたね。
お体早く治りますように。ありがとうございました。

投稿: tona | 2017年12月17日 (日) 22:33

★nao♪さま

私も神奈川県住まいだったのでこの辺の名前や地理が少しわかっていたいたのですが、実際には何も知らなかったので、結構面白いです。このあと藤沢から茅ヶ崎や平塚までは近かったのであまり興味がないし、実際にないようです。
横浜の樹は「イチョウ」ですか。
本当にイチョウの色がきれいだったのですよ。よそより。さすがだったのですね。
教えてくださってありがとうございました。

投稿: tona | 2017年12月17日 (日) 22:38

★だんだんさま

まだ半分ちょっと、京都は遠いです。
まだ難関の箱根や鈴鹿峠が残っています。
この頃体をだましだましなんです。
寒くて腰痛体操や膝体操をサボっていたら、今日も違う所を歩いたのですが腰が痛くなるし、階段も怪しいし、自分に合った体操は続けなくては思ったところです。
三ツ沢近辺を通りました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2017年12月17日 (日) 22:44

こんにちは。このあたりは元ハマッ子としては馴染みの多いところです。地区センターにジオラマがあるんですね。面白そうです。

投稿: 多摩NTの住人 | 2017年12月18日 (月) 08:06

★多摩NTの住人さま こんにちは。

東神奈川駅と神奈川駅の間の海より側は幕末は凄かったのですね。
青木橋を渡っていく線路の反対側もかなり高台になっていて、海がかなり下だったのでは想像できました。
住んでいらっしゃったとうことで、よけい興味が湧きました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2017年12月18日 (月) 09:04

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