« 現代アートの街ビルバオとスペイン・バスク周遊9日間(最終回) | トップページ | 東海道五十三次歩き14 神奈川~保土ヶ谷~戸塚(前編) »

2017年12月12日 (火)

嵐山光三郎著 『悪党芭蕉』

昔から芭蕉は幕府の隠密だったので歩くのも早かったと言われてるし、今テレビ時代劇で『隠密 奥の細道』をやっている。

題名に、「えっ、芭蕉って悪党だったの」とどのような悪党かと読んでみた。
芭蕉の周辺には危険な人物が多かった。其角や画家の英一蝶などは花街で遊び、大名や旗本の屋敷に出入りし、当主を吉原に誘ったりしてそれが桂昌院(綱吉母)の縁筋まで及び、スキャンダルとなったりし、一蝶は三宅島遠流、其角も流罪すれすれだった。罪人すれすれのところで成立した俳諧は危険な文学である。という意味で芭蕉を「悪党」としてしまったとのこと。
冒頭、芥川龍之介と正岡子規の芭蕉批判が書かれる。
芥川は「芭蕉は大山師だ」といった。実はこれは芥川の自己を投影した逆説的賛辞ではあるのだけれど、芭蕉を俳聖としてあがめることによって生じる文芸の衰弱を批判したというのである。

子規は「芭蕉の句の過半を悪句駄句である」といった。子規の論は感情的で未完成の域を出ないとしつつも、その主張は芭蕉を神格化する宗匠への批判であった。芭蕉の句を鑑賞するよりも、芭蕉の廟や碑を建てることに熱中する宗匠を風刺したのであるが。東海道にも小夜の中山など芭蕉句碑が結構あった。

ほとんどの芭蕉評伝は、芭蕉を最高指導者として芭蕉を中心にとらえている結果、芭蕉に離反した俳人を脱落者として断罪する。
しかし芭蕉は自らいうように、風狂の人であって聖人君子ではない。悪党の貫禄があり、いささかでも癇にさわると、虫けらのように見捨て、重用した人ほど切り捨てたくなる性分だ。
才ある人を育てながらも気分一つで嫌ってしまう。才が鼻につくと、もう気にいらない。それを知り抜いていたのが其角だったそうだ。
芭蕉はスキャンダルを抱えた人でもあった。妾とその3人の連れ子、甥という5人の扶養者を抱えていた。
自ら進んでスキャンダルに突入していく破滅志向があった。芭蕉には衆道がいて百日間の蜜月の旅をしたとも。死後出版された『笈の小文』がそうだ。
著者は知れば知るほど芭蕉の凄みが見えて、どうぶつかってもかなう相手ではないと結ぶ。そういうことだったのですね。

今、植木鉢42鉢を家に中に入れ(これだけで腰が2日くらい痛かった)、もう庭は荒涼としています。キクが2種とチェリーセージと千両の実だけが外で頑張って咲いているだけです。
350x284

P1120256_350x289

450x253
      蛇はダメだけど蜘蛛は大丈夫。ジョロウグモはお洒落な蜘蛛です。
1010_253x450

|

« 現代アートの街ビルバオとスペイン・バスク周遊9日間(最終回) | トップページ | 東海道五十三次歩き14 神奈川~保土ヶ谷~戸塚(前編) »

コメント

10年前に発行されていますのに知りません
でした。面白い内容ですね。

正岡子規は、古今集や新古今集までも糾弾
していますから、当然芭蕉もそういう
ことにりますね。

口ではそう言いながら崇拝しているとろが
すごいですね。

投稿: matsubara | 2017年12月13日 (水) 08:06

★matsubaraさま ありがとうございます。

悪党という言葉がなかなかですね。
正岡子規は古今集や新古今集までも糾弾とは。子規のその類の評論を読んだことがありませんので、全然知りませんでした。
聖がつく人でも人間ですから、いろいろな面があるわけで、しかし芭蕉はあくが強い人のようで、興味深く読めました。

投稿: tona | 2017年12月13日 (水) 08:37

tonaさん、おはようございます♪
芭蕉が幕府隠密として「奥の細道」の旅に出たこと、初めてしりました。
また、芭蕉の句の過半が悪句駄句だったことも驚きです。
嵐山光三郎さんは一時期コメンテーターとしてよくテレビに出演されていたので
知っていましたが、著書については全く知りませんませんでした。
興味深い内容ですね。機会があったら読んでみたいです。

菊やチェリーセージ、まだ咲いているのですね。
千両が見事ですね。
植木鉢を42鉢も家に中に入れたそうですが大変でしたね。
年末は家事などで忙しいシーズンですが、ご無理をなさいませんよう。

投稿: hiro | 2017年12月13日 (水) 09:29

嵐山の芭蕉物は面白いです。
中味は忘れたけれど目から鱗が落ちる感じでした。

投稿: 佐平次 | 2017年12月13日 (水) 09:33

★hiroさま こんばんは♪

隠密説がたくさん言われているようです。
絵でもそうですが、有名な人だと何でも優れていると、写真を撮っていいと言われると他の人のいい絵も判別できずに有名な人だけ撮っています。
俳句も有名だから全部いいというわけではないのですね。そこが全然わからないので、このような本を読むと驚きます。

千両はどんどん増えて、もう一方の垣根に沿ってもたくさん実が出来ました。お正月は毎年これですましています。後はヒヨドリが全部食べ尽します。
植木鉢を中へ運ぶのを減らし続けましたが、まだまだあるものです。これから先どんどん減らしていくことになります。寂しい話ですが。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2017年12月13日 (水) 16:48

★佐平次さま ありがとうございます。

本当に今までの概念に縛られていた自分、目から鱗、その通りですね。
私もとても面白かったです。

投稿: tona | 2017年12月13日 (水) 16:50

聖人君子なぞ、この世にはいないと思っております。
キリストも仏陀もアッラーアクバルのアッラーも。
煩悩を抱え、婦女子への恋心を感じたと思うのです。
もしいるなら、あの世の方でしょうか。
芭蕉翁も旅から旅をする人だから、あらゆる心の闘いしたでしょうね。
忍者と聞いたことありますが、違いますよね?

投稿: だんだん | 2017年12月13日 (水) 17:25

★だんだんさま ありがとうございます。

本当にそう思います。どんなに頭が良くてそして行いも模範的で偉人伝に出てくる人も聖人君子であり得ないし、宗教人でもね。
空海でさえ、若い頃はそのようでしたね。

芭蕉の旅は歩くのは早く、でも1ヵ所に長くとどまったり、俳句愛好家に歓待されたり、要所要所で俳句を詠み句集や旅記録を出版したりと本当に俳句の神様のようだったのでしょうね。
こうして本になりますと自分では何も知らなかったことをたくさん知ることが出来て面白かったです。

投稿: tona | 2017年12月13日 (水) 19:10

芭蕉の話を楽しく拝読しました。評価がいろいろで面白いですね。私は蛇も蜘蛛も苦手です。

投稿: 多摩NTの住人 | 2017年12月14日 (木) 08:40

★多摩NTの住人さま こんにちは。

芭蕉の意外な面を知りました。独身と思っていましたが実は!とか破滅志向があったりとか。
全く知られていない人もいれば、芭蕉のように情報が多い人もいてここまで研究されていて凄いです。

蛇、蜘蛛、両方だめですか。蜘蛛には何回も遭遇するのではないでしょうか。いやでしょうね。
ありがとうございました。


投稿: tona | 2017年12月14日 (木) 08:52

芭蕉の事は俳句などでは知ってましたが、裏の顔?があったのですか。
恥ずかしいのですが、今回の記事で知った事ばかりです。

10月に「木曽義仲館」に行った時に知ったのですが
芭蕉が木曽義仲公を尊敬してて、自分が亡くなったら義仲公の側に葬って欲しいとの遺言で
弟子10名が(去来、基角他)が舟に乗せ
淀川を上がって義仲寺・無名庵の前に埋葬した
境内には弟子の又玄(ゆうげん)によって句碑が刻まれた「木曾殿と背中合せの寒さかな」。

芭蕉は大勢の弟子に慕われていたのですね。

投稿: ラッシーママ | 2017年12月14日 (木) 12:08

★ラッシーママさま

私も芭蕉の違う面を初めて知りました。
芭蕉のお墓がどこにあるかも知らず、ラッシーママさんの木曽義仲館に行かれて最後に書かれているので初めて知りました。
ありがとうございました。
義仲と芭蕉のお墓が並んでいるのですね。
本当に良い所に行かれたと思います。
葬儀には300人も参列したとか、芭蕉のお弟子さんや習った人がいかに多かったかを物語っていますね。
最期はお弟子さんたちがお世話したのですが、病が胃腸関係でとても大変だったみたいです。
そんな中でも「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」と詠んだのですね。

投稿: tona | 2017年12月14日 (木) 12:58

すっかりご無沙汰してしまいました。
追突事故の後遺症が酷くなり
パソコンに向かうことが長続きできず
ブログが一方通行の更新のみになっていました。
ようやく回復し今朝から元通りの形にしています。

芭蕉忍者説がありますね。
何日か前のテレビ番組をぼんやりと観ていたのですが
最初に忍者説を書いた歴史家(小説家だったかも)がいて
それに便乗して多くの小説家や歴史家が
忍者説を肯定する書物を売り出したとか。
実際には忍者ではないのでしょうね。

数年前に大垣、2年ほど前に深川を歩きましたよ。
特に芭蕉目的ではありませんでしたが
芭蕉にまつわる史跡や俳句を見かけました。

投稿: Saas-Feeの風 | 2017年12月14日 (木) 22:17

★Saas-Feeの風さま

まあ、追突事故の後遺症だったのですね。
それは大変な事でした。後まで続いて辛いですね。どうぞお大事に。
芭蕉忍者説そういう流れだったのですか。
隠密説はまだいきているようです。

深川歩きではありますね。江戸川にもあり、昔勤務していた場所だったので頷けました。
大垣は行くチャンスがないです。
大垣と言えば話は飛びますが、私の叔父が東海道線に乗って帰宅していたのですが、昔大垣行があって、終点まで寝て行ってしまったのです。
あの辺りが奥の細道の終点でしたね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2017年12月15日 (金) 08:31

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/146506/66150409

この記事へのトラックバック一覧です: 嵐山光三郎著 『悪党芭蕉』:

« 現代アートの街ビルバオとスペイン・バスク周遊9日間(最終回) | トップページ | 東海道五十三次歩き14 神奈川~保土ヶ谷~戸塚(前編) »