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2017年12月23日 (土)

荒川土手の岩淵水門と浮間公園へ

赤羽駅から東へアーケード街を抜けて荒川へ向かう。志茂ゆりのき公園辺りに差し掛かると四角い頭に丸い目が3つついたような水門(岩淵水門、通称青水門)が見えてきました。
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                            ゆりのき公園の紅葉はまだ健在(12/9)450x253_2
水門の目の前の川は新河岸川で水門の所で、隅田川と合流する。
南側にはスカイツリーが見える
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新河岸川も荒川の支流の一つ。荒川も全国の川、例えば木曽・長良・揖斐川のように反乱を繰り返し、埼玉県の農地や東京の下町の家々を洪水でめちゃめちゃにした。
そこでここの水門辺りから向こう側に荒川放水路(現在は荒川と呼ぶ)を掘り進め、隅田川と分岐して東京湾に注ぐ。(明治44年に着手、完成が昭和5年。約20年かかる)
この岩淵水門はこの日は真ん中だけ船が通れるようになっていた。大雨になると水門を閉じて荒川(放水路)の方へ流すそうだ。
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                      そばで見ると水がかなり汚い。扉の重さは214tだそうだ。450x253_6
         西の方は川口市のビル群。キューポラの街は大変身していた。450x253_7
左の赤い水門が旧岩淵水門で赤水門と言われる。大正時代に造られ、現在は使用してない。歴史的建造物として保存されている。
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                 半月がうっすらと見える
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               更にズームすると浅間山が見えた
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                  東に向くと筑波山
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           荒川・隅田川分岐点。水門は手前右手にある。
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                      荒川
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水門の近くに荒川治水資料館がある。ここで30分ばかりレクチャーを受ける。
明治43年8月11日~21日までの新聞の記事が掲載されていて、荒川が大溢れして、東京市中は「さながら阿鼻叫喚」「飢え、渇く」「チフス、コレラ発生」「餓死、死体が流れる」「収容所・孤立・苦難の日々」、あるいはボランティアのニュース、病人を背負う力士などの話が書かれていた。
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河川敷は整備され、マラソンコース(この日も行われていた)があり、遡っていくとゴルフ場や川に突き出したボードウォークがある。ただここに降りるとどぶの臭いがしてきて、まだまだ下水完備が行き届いていないし、東京湾のオリンピックもこの汚水では危ぶまれると感じた。
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荒川の源流は100名山で登りたくて果たせなかった、甲武信ヶ岳(2475m)で甲州、武州、信州の境にあるから付いた名。ここは武州には荒川、甲州には笛吹川(釜無川と合流して富士川となる…懐かしい!)、信州には千曲川(新潟県に入ると信濃川)の3つの川の源流だ。荒川は東京湾まで埼玉県をぐるっと回って東京湾まで173㎞。

ゴルフ場の左手が浮間公園だ。北区と板橋区の境界線上にある公園。ここは湿生植物によって水の浄化を目的に作られた公園だそうだ。
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             チワワとダックスフンドのあいの子。珍しい。
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                      バン
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           浮間ヶ池には鴨がたくさん キンクロハジロが多い
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帰りは赤羽から2駅先の浮間舟渡駅から乗る。約19000歩。
水辺は癒されます。

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コメント

暴れ川と言うと、木曽川ばかりと思いますが
荒川もそうだったのですね。
100年前にもそういう被害があったということは
そちらもオランダのデレーケの指導で治水工事が
行われたのでしょうか。

チワワとの混血とは・・・小型犬同士は交配
されるのですね。初めて見ます。

都会の周辺にも野鳥が見られ、楽しめますね。

寒い中足まめに出られるのも健康的です。

投稿: matsubara | 2017年12月24日 (日) 07:43

tonaさん、おはようございます♪
この辺の景色は首都高速に乗ったときに車窓から眺めるだけでしたが、
川辺が整備され多目的に使えて、とても素敵だと思っていました。
荒川放水路はテレビでも見たことがあるような・・・
浅間山や筑波山まで見えるとはびっくりです。
荒川が大溢れし、伝染病が蔓延したことは初めて知りました。
ボランティアで力士さんも活躍していたのですね。
東京も知らないところばかりだと、改めて感じさせられました。

投稿: hiro | 2017年12月24日 (日) 08:41

★matsubaraさま

荒川放水路の技師は原田貞介と青山士で後者はパナマ運河建設に携わった方です。
木曽・揖斐川などの治水工事は明治4年頃と聞きましたが、ここよりずっと早く外国人の力を借りなければならなかったのですね。
荒川は荒れる暴れ川として有名だったそうです。

私も最初見たときチワワかと尋ねました。交配されていたとは驚きました。可愛いですね。
湿性植物に寄る水の浄化っていいことですね。いろいろな動物が共生していくからです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2017年12月24日 (日) 08:56

★hiroさま 

おはようございます♪
おっしゃるように私もバスなどに乗った時しか見たことがなく、実際に歩いてみて、その整備具合に驚きました。ゴミ一つ落ちていなくて、ランナーやゴルフ、少年野球練習など運動にも最適です。
雪を被った浅間山を見たときは感動しました。
資料館で明治時代の新聞記事を読んで、今よりずっとずっと後が大変。非難する所がないし、食料を配っていただくということもなく、自力で何とかしなくてはならないことが多く、病気も発生。その点今は改良され、災害時には仮設住宅がすぐ建てられ、食料も供給されありがたいことです。でもこれが東京全体がやられたら、もうあまりに人数が多くなすすべがないですね。
有難うございました。

投稿: tona | 2017年12月24日 (日) 09:09

東海道は一休みして今回は荒川ですか。
面白い形の水門ですが、この水門が出来上がる前までは洪水で地獄絵と化したのでしょうね。
浅間山や筑波山まで見えたのは良かったですね。

私は足が悪いので、tonaさんのように歩くのが目的な場所には行く事が無く
知らない事ばかりを載せてくれるので大変勉強になってます。

投稿: ラッシーママ | 2017年12月24日 (日) 11:15

★ラッシーママさま

東海道は12月はお休みしています。
津波も恐ろしいですが、川の氾濫も大変なことでした。と新聞の記事で知りました。
大体な方はそうでしょうが、終戦前後の体験の他は最近地震も東北や阪神のような目に遭っていないと思いますが、自分が家がなくなったときにどうなるか、考えていなかったです。本当は大変なことですね。
浅間山の雪がきれいに見えました。
私こそ、バスツアーでは連れて行ってくれない場所をいつもご案内いただいて嬉しく思います。有難うございました。

投稿: tona | 2017年12月24日 (日) 14:20

こんにちは。荒川土手から浅間山が良く見えるのですね。若い頃、大手町の高層ビルから浅間山を見つけて喜んだことを思い出します。

投稿: 多摩NTの住人 | 2017年12月25日 (月) 08:25

★多摩NTの住人さま こんにちは

いつもありがとうございます。
大手町の高層ビルには上がったことはありませんが、見えるのですね。
やはり霞んでいない季節だとどこもきれいに見えるのですね。

投稿: tona | 2017年12月25日 (月) 08:34

ちらっと行ったことはあるのです。
何のようでいつ行ったか?
思い出せないなあ。
鹿児島は二度、用事は思い出せます。
二度とも街を歩くこともなく焼酎を目いっぱい飲みました。

投稿: 佐平次 | 2017年12月26日 (火) 09:17

★佐平次さま ありがとうございます。

荒川土手を歩いたのは初めてです。
何かご用があったのですね。

はははlovely 用事が済んだら焼酎を目指してお店へでしたか!いいですね。

投稿: tona | 2017年12月26日 (火) 19:13

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