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2018年2月21日 (水)

東海道五十三次歩き15 戸塚~藤沢(後編)

●藤沢宿(6番目の宿)日本橋から約50㎞。戸塚宿から7.9㎞。

650x490_2神奈川県も随分歩いたように感じましたが、まだ半分だったのですね。箱根が大変そうです。
藤沢は東海道線、小田急線、江ノ電が接続する交通の要所だが、昔から江の島や鎌倉、大山への参詣の拠点として賑わった。また、鎌倉時代末期に創建された時宗総本山・遊行寺の門前町でもあった。

・藤沢宿江戸見附跡 遊行寺坂を下り、一里塚跡を過ぎると寺の横にあった。
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・高札場跡
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・遊行寺 時宗の総本山で正式名称は藤沢山無量光院清浄光寺
総門の手前に日本三大広小路の案内板があって、広小路とは火除地を意味するとある。藤沢広小路の他は、上野広小路と名古屋広小路だそうだ。
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                     本堂
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           シンボルの樹高約21m、幹回り7.1mの大銀杏
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                    宗祖一遍上人像
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    境内に浄瑠璃で有名な小栗判官と十勇士の墓と照手姫の墓がある
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・境川に架かる遊行寺橋を渡ると旧東海道は右折する。昔の面影はなくただ蒔田本陣跡の標柱と、所々のある東電トランスボックスの絵や写真が昔を偲ばせてくれる。
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・永勝寺には藤沢宿で旅籠を営んでいた小松屋源蔵の墓を囲むように、39基の悲しい一生を終えた飯盛女の墓が並んでいる。
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・伝源義経首洗い井戸跡 奥州平泉で打たれた義経の首は、海に捨てられた。境川を遡ってきた首をここで洗い奥の白旗神社に葬られたという。スペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラに流れ着いた聖ヤコブの話みたい。
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・小田急線を越えた先に藤沢宿上方見附跡(京見附)があって、藤沢宿が終わる。
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◆茅ヶ崎までの間(ここ小田急藤沢本町から四谷までは以前歩いたので一度写真を載せていて重複するものありです)

・左手に母校の高校の方を眺めて通り過ぎると、引地川があり、そばにおしゃれ地蔵(道祖神)がある。願を掛けた女性が満願のあかつきには白粉を塗ってお礼をした。顔が白い。今も化粧が絶えることなく「おしゃれ地蔵」と名付けられた。
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・反対側引地山養命寺の石像
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・メルシャン藤沢工場の醸造タンク 残念ながら見学や試飲なし
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右手が城南町で城は中世の山城・大庭影親の居城の大庭城。道路の反対側の丸寿で大庭城最中を買ったのでした。

・四谷は大山道の分岐・入口。一ノ鳥居と不動堂の大山道標の上の不動尊。左手が辻堂駅だ。
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・二ツ谷稲荷神社の庚申塔は藤沢市指定の重要文化財
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私が中学生からあしかけ25年以上住んだ茅ヶ崎に入る。地名や中高の名前、通り名、そして運転免許を取った自動車教習所がとても懐かしいが、お寺など知らないところばかり。

・松並木が立派
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・茅ヶ崎マンホール蓋 海、カモメ、舟、朝陽に烏帽子岩がわかる。
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・上正寺 上野寛永寺から移設された大きな石灯籠がある。この先のいくつかの寺にある。その理由は、寛永寺の墓所に多くの大名が石灯籠を寄進したが、戊辰上野戦争で寛永寺が炎上し、明治時代に縮小された時、東京近辺の天台宗の寺に分けられたのだそうだ。
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・千手院の石像
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・牡丹餅立場(牡丹餅茶屋)跡 藤沢宿と平塚宿の間が長いので4つの立て場があり、ここは牡丹餅が有名であった。
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・海前寺 ここの石灯籠も寛永寺からのもの
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・八王子神社庚申塔
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・茅ヶ崎一里塚(江戸から14番目)
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夕食はここに住んでいる妹も加わり、「すし処あさまる」で酢の物、刺身盛り合わせ、特上寿司をいただく。オーナーが船を持っているので魚の生きがよろしく美味しい。妹のお土産の茅ヶ崎名物・かりんとう万十も美味しかった。
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                   (完)




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2018年2月19日 (月)

東海道五十三次歩き15 戸塚~藤沢(前編)

2/15(木)15℃という暖かさの中、久しぶりに神奈川県の方の東海道を歩きました。歩いたのは戸塚~茅ヶ崎までで40162歩。東海道線の駅は戸塚、大船、藤沢、辻堂、茅ヶ崎です。

庚申塔や道祖神、地蔵、石灯籠の多い地域でした。しかし静岡県にたくさんあった常夜灯は見かけません。

●戸塚宿(5番目の宿) 日本橋から42㎞。宿の距離は2㎞くらい。

前回、戸塚駅手前で戸塚宿の江戸方見附跡と吉田一里塚、吉田大橋で広重の五十三次の絵を見て終わりました。
今回は、吉田茂が業を煮やしたことで知られる「開かずの踏切」だったが、今では線路を跨ぐデッキを渡り、宿場の中心に向かう。
吉田茂はそこで戸塚道路と昔呼んだ戸塚に国道1号のバイパスを建設させたのだが、吉田のニックネーム「ワンマン宰相」から「ワンマン道路」と呼ばれた。
途中にあったお菓子屋でこのことが由来の「ワンマン最中」を買ったのでした。その後、戸塚の原宿で「原宿最中」と「原宿松並木」を、藤沢宿の大庭で「大庭最中」と計3種類の最中を買ってしまった!中味撮り忘れ。大庭最中は大庭城の形だった。街道に関係するお菓子を買うのは街道歩きの楽しみの一つでもあります。
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・家康の側室お万の方開基の清源院(浄土宗)には遊女心中句碑がある
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・内田本陣跡と澤邊本陣跡 戸塚宿は、日本橋を7つ(午前4時頃)発った旅人の最初の宿泊地で大いに賑わい1843年には旅籠数は75軒だったそうだ。
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・海蔵院というお寺を覗いてみると可愛いお地蔵さんがたくさん置かれている
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・八坂神社には7/14にお札まきという夏祭りがあって、男子数十人が姉さん被りのたすき掛けの女装をして輪になって踊る。踊り終わると音頭取りが渋団扇で神札をまき散らし、人々は競ってこれを拾って帰り、厄霊除けとして戸口や神棚に飾る。江戸時代中期に江戸や大坂で盛んに行われていたが、ここ戸塚宿だけに残ったお祭り。
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神社では狛犬を見るのが楽しみだが、2/14の毎日新聞に狛犬の拓本を2000体も取った人の話が載っていた。「魚拓」ならぬ「狛拓」で結構大変な作業のようだ。世の中には色々な人がいるものです。
             国土地理院の測量部の水準点もあった
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           そして神社前には「かまくら道の道標」がある
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・冨塚八幡宮 冨塚之碑があってこの塚が「戸塚」の由来となったそうだ
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・上方見附跡
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◆藤沢宿までの間 
上方見附跡を過ぎると権太坂より緩い大坂という坂があり駅伝選手もちょっと大変だろうと思われる。江戸時代より工事によりなだらかにしたそうだ。

・庚申塔群 庚申塔に三猿が現れたのは江戸時代で、庚申の夜に天の神(天帝)に悪事を告げるといわれる三尸(さんし)との兼ね合いで「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿が結びついたそうだ。

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・お軽勘平戸塚山中道行の場の碑 この辺りが歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の名場面の石高道だったとか。
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・江戸より11番目の原宿一里塚跡を過ぎると、スダジイの大木が連なる参道のある浅間神社がある。
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・大運寺がその先にあって、エキゾチックなお地蔵さんがいるということで、撮影。ちょっと髪型とお顔がそうなのかしら。
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・原宿最中を買って、黄色い立派な洋館の戸塚崎陽軒で昼食をとる。
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10食限定ランチプレート 
                  寒サワラ入りサラダ
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麻婆ナスご飯、コーンスープ、とんぶり入りシューマイ、青パパイヤの酢の物
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             プーアール茶黒蜜の揚げパン入りプリン
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・藤沢市に入ると旧東海道松並木碑があり、広重の絵も案内板にあった。昔の様子がよくわかる。
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マンホール(汚水蓋は市の木・黒松と仕切弁、雨水蓋は市の花・藤)
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          遊行寺坂を下るといよいよ遊行寺と藤沢宿だ
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                     (続く)

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2018年2月14日 (水)

今日の散歩・野鳥の森

近所のお鷹の道から登った所に野鳥の森があります。コゲラやエナガもいて木の下に近づくとどんどん上に上がっていく。双眼鏡を忘れて残念。
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                      シロハラ
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ヒヨドリ 珍しい鳥かと写してみたらヒヨドリでした。我が家を縄張りにしているヒヨドリ夫婦はロウバイの後は、今はモクレンの蕾を食べ始めました。あ~あ。
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             高い木の上の方にいたるのはムクドリかな
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                ホーキのような葉を落とした木
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                   イイギリの実の落ちた姿
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              ヒムロ ヒノキ科のサワラの園芸種
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    ドイツトウヒ クリスマスツリーの木 先日コロラドトウヒとは全然違う
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青木が原樹海を歩いていると、根が溶岩の上を這っている様子は目を瞠るものがあります。あるいは荒れ果てた登山道には木の根が縦横に露出して躓いたりします。
木は地上に広がっている幹・枝・葉とそっくり同じ分量を地下に張りめぐらせている。高い木はそれだけ深く地下に根を伸ばしているわけで想像すると楽しい。

粗朶(そだ)・・・枯れ木や倒木の細い枝を集めたものを粗朶という。これで「エコスタック」という生き物の棲みかを作った。
タマムシやキクムシなど小さな昆虫の産卵場所になったり、シジュウカラなどの鳥類が巣材を集めに来たり、蜥蜴、蛇、蛙などの隠れ場所になったりするそうだ。
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お鷹の道に瘤だらけの木があって、下の方の瘤がはがれたようだ。
ムンクの叫びの顔のようなのがあったり、思わず見とれる。
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      その後方には大きな梅の木があって、かなり咲いていました。
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2018年2月11日 (日)

『世界探検史』長澤和俊著

P1120501_300x450長澤教授には、1986年に早稲田のエクステンションセンターに初めて登録し、その頃NHKの「シルクロード」の番組にのめり込み、たくさん本も買っていた(全部処分してしまったのは早まったか)ので、最初に受講してお会いしました。すでにあの辺りをたくさん探検されてその豊富な体験のお話もなかなかに面白かった。クンジュラブ峠(4700m)では高山病の一種でしょうか、鼻血ぶーだったとか、酷い大揺れ小型機体験などのお話が記憶にあります。豪放磊落の方とお見受けしました。教授と一緒のシルクロードの旅に参加できなかったのが残念でした。
この本は1969年に上梓されているので受講していた時にはあったわけで全然知らず、今年講談社学術文庫で刊行されたので本屋で見かけて購入しました。

探検として私が認識しているのは香辛料を求めてスエズとパナマ運河のない時代、大航海時代が始まったことや、マルコポーロに始まるシルクロード、チベットやヒマラヤ探検、アフリカ探検、そして北極や南極探検などでした。
実は探検って年表に寄れば、前7世紀アリステアスのスキタイ地方探検に始まりそれが次第にあらゆる大陸、島にまでおよび、20世紀に入ってからは近代的な科学装備により、未踏の高峰や深海、各大陸の極奥部の探検もなされ、地理的探検の時代はここに終わった。しかし残るは航空写真も進歩したものの、地名もわからず内容もほとんど知られていないのでこうした地域の実態を探検することが残された課題のようです。
アメリカ、アジア、太平洋、アフリカ、極地のたくさんの探検が網羅されているけれども北極、南極、オーストラリア乾燥地帯、アフリカ奥地など、もうそこで死ぬような苦労をしながら探検をし、実際にクック、マゼランなどはじめ多くの探検家が客死している。それでも探検家は跡を絶たない。現在は探検家とは少し意味を異にする冒険家が多くなっている。
日本では、江戸時代にジョン・万次郎の漁船で漂流してしまったような数々の漂流、そして植村直己、女性で世界初七大陸最高峰登頂の田部井淳子、単独無寄港世界一周航海の今給黎教子などたくさん知られているが、この本の中には中央アジアやチベットなどへ足を運んだ、大谷探検隊や河口慧海などが記されています。

というわけで本の中で、飛行機や車や列車のなかった時代の世界中の凄いところを、死にそうな気持になって探検して参りました。

下の方にちょろちょろと緑の葉もあるけれど、シロタエギクのように葉が白くなっているこの木、葉の色をこれから通るたびに観察したい。と言っても何の木だかわからないと面白味が半減します。   トウヒ属のコロラドトウヒとのことです。多摩NTの住人さま、有難うございました。
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2018年2月 7日 (水)

中華料理の茶わん蒸し

昨日は良い天気に恵まれ、ブログのオフ会へのお誘いを受け、総勢8人で横浜中華街で食事をしてきました。
食事前に関亭廟と新しく(2005年)に出来た媽祖廟を見学して中国のお寺らしい雰囲気を味わいました。媽祖廟は航海安全の守護神とのこと。

                      関亭廟

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以前初めて見たとき、日光東照宮より色彩が派手で飾りもゴテゴテしていると思った廟です
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幹事さんがお世話くださった「状元楼」はとても美味しく、感動して味わったのがオードブルと初めての中華風茶碗蒸しです。巷で食べる中華料理の種類はいつも同じ料理になってしまっていたので、値段もはずめば中華街の中華料理屋さんも研究している料理を味わえるんだなあと思ったしだいです。銀杏とかシイタケなど具が入っているわけでなくただ卵がふわっとして味よしと言ったところ。

                    オードブル3種450x300_7
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新しくお目にかかった方の貴重な体験話やそれぞれに逞しく生きておられる様子もまた私に感動を与えてくださいました。皆さん有難うございました。
その後の見学は、私のみ、先週土曜日に足の甲にパソコンを落としてしまったが、幸い骨折せず腫れただけだったので、数日はあまり歩かないようにと医者に言われ自粛しました。薬剤師さんにパソコンは何でもなかったのかと問われ、何でもなかったと答えたのですが、確かにパソコンがこわれたら、骨折した場合同様泣きを見る所でした。

久しぶりの横浜駅のこの作品は、渋谷駅の岡本太郎のようになっていて、誰の作品か確認できなかったですが、目を引きました。
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