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2018年3月 5日 (月)

東海道五十三次歩き16 舞坂~新居(後編)

本日、前編で書いた浜松の新玉ねぎを売っていたので早速買って来て、生噛りしたところ甘味がありました。値段は3個で197円+税でした。サラダや煮たり焼いたり楽しみです。

◆舞坂から新居までの間 浜名湖を渡る。風が吹き渡って実に寒い。右手には自動車道の他、東海道線と新幹線があって、新幹線が数分おきにびゅんびゅんと飛んで行く。
これらがあるために右手奥の浜名湖が殆ど見えず、浜名湖競艇場さえも見えず、帰りの電車からわずかに浜名湖が見えたのでした。

・先ず弁天橋を渡る。橋を渡った先の右手にはJR弁天島駅がある。昔弁天島の辺りは白砂青松「天橋立」のような風景が広がっていたが、地震で砂洲が壊れてから洲崎の一部であった弁天は湖に取り残されて島になったそうだ。
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・弁天神社 江戸時代1709年に今切渡海安全のためにこの神社が建てられた。境内に「天の川 濱名の橋の十文字」という正岡子規の句碑があった。
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・弁天島シンボルタワー 鉄鋼製で高さ18mの鳥居で、1973年(昭和48)に舞坂町観光協会が建設した。潮干狩りの名所。
浜名湖ではアサリ、スズキ、黒鯛、鰻、穴子、シラスウナギなどいろいろな漁業が行われ、最多漁獲はスズキ。秋から冬にかけてはトラフグ、牡蠣の養殖も盛んで、隣の新居町で牡蠣剥き場を見た。
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・弁天島から新居の方を眺める
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・長かった浜松市が終わり、中浜名橋を渡ると湖西市に入る。この辺りは手筒花火が有名で、これは手筒花火のモニュメント。右手は新居町駅だ。
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・浜名橋には広重などの絵が数枚紹介されている
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●新居宿(31番目の宿)舞坂宿から5.9km 日本橋から約284㎞ 本陣3軒、脇本陣なし、旅籠26軒。

・新居関所 徳川幕府は江戸を守るため、全国に53ヶ所の関所を設けた。新居に関所が出来たのは1600年だ。地震や津波の被害を受けて移転を繰り返し、現在の場所になったのは1708年。今切れの渡しの渡船場業務もあり、新居関所は箱根関所と並ぶ東海道の重要地点だった。
現在の遺構は幕末1855年再建のもので、昭和46年解体修理を行い、江戸時代の関所で全国で唯一現存する建物だ。関所が廃止されたのは1869年(明治2)で約270年の役目を終えた。

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面番所 旅人を取り調べる役人が控えていた所。関所役人は番頭や給人まで併せて40人前後が交代で任務にあたっていた。
関所を通行するには「関所通行手形」が必要で、武士なら藩の担当役所が発行し、庶民なら自分が檀家になっている寺が出すほか。村長さんに相当する名主・庄屋が発行する。手数料は数百文。内容は氏名、生年、住所、宗派。
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あらため女 「入り鉄砲に出女」と言われ、江戸に持ち込まれる鉄砲や武器に目を光らせ、江戸から出る女性に対し特に厳しい調べを行った。女手形が必要だった。多くの女性がこの関所を避けて姫街道に行ったが、<女城主直虎>に出てきた気賀にも関所があった。
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                                                中庭
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渡船場跡 復元されたものであるが、今は周りは全部埋め立てられて面影はない。
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大御門 午前6時からから午後6時まで開けていた。屋根付きの高麗門。
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                                門のそばにある復元された高札場450x300_13
関所の隣のあと引き製菓で名物の「あと引き煎餅」を買う。瓦煎餅系である。固いけれども美味しい。
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・旅籠「紀伊国屋」は紀州藩の御用宿 昭和30年代まで旅館業を営んでいたという。
お雛様が飾ってあった。御殿飾りと言われるお雛様。とても豪華だ。
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                                                   庭 450x300_19
                           枕                           手筒花火
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                     客間
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・小松楼(大正期の芸者置屋)多い時で60~80人いたという。道に面する2階廊下の手摺りの角度に工夫が凝らされているという。道から見上げた時、きれいどころの姿が美しく見えるようにと。
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                     お雛様
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                       部屋
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・本陣の一つ、飯田武兵衛本陣跡。
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・東海道はここで直角に左に曲がる。その一つ向こうの通りが寺道である。手筒花火のお祭りをする諏訪神社や朝鮮通信使一行の無事を祈って奉納した関所稲荷が神宮寺にあったりする。
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・寄馬跡 宿場には常に100人の人足と100匹の馬が用意されてたが、足りない時は助郷制度で近在の村々から人馬を寄せ集めた、その溜まり場。
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・湖西市のマンホールは関所に松と波に千鳥
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・いさごやで「はまぐり」というお菓子を買う。蛤の形をしていて中に栗が入っている。
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             家康くん弁当が遂に浜松の駅で手に入る
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                    (終わり)

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コメント


今回も軽やかに35000歩、tonaさんのご健脚とフットワークの良さに脱帽です。おみ足にPCを落として怪我をしたのは別人だったのでは?。息子が静岡の大学に行ったので浜名湖の辺りは、昔何度か遊びに行きました。懐かしいです。お弁当のお供、お気遣いいただきましてありがとうございました。

投稿: shikamasonjin | 2018年3月 5日 (月) 19:17

★shikamasonjin さま

早速にコメントいただきありがとうございました。
街道歩きは東海道線に辿り着かないと帰れないので、どうしても長くなってしまいますね。
3万歩も4万歩も最後の方の足運びの重さはあまり変わりありません。とにかく頑張るしかないのです。まあ、まだ歩けることを幸せに思い感謝です。
浜松はそうだったのですか。私は花万博でしか行ったことがなかったです。現在は友人の息子さんに内科の方を看ていただいていますが、浜松で勉強し、付属の病院にずっと勤めていたそうで、そのことを思いながら歩きました。
最近歩いている途中で腰が痛くないのが奇跡が起きたような感じです。人間の体は悪くなったり、ふとよくなったり不思議です。

投稿: tona | 2018年3月 5日 (月) 20:40

浜名湖は東海地方ですのに、弁天島すら行った
ことはありません。
とても詳しく教わりました。
関所は三重県の関町というところの説明板を
思い出しました。女性は特に厳しく調べられた
ようですね。
男尊女卑の時代という理由だけではなかったような・・・

季節柄お雛様も見られてよかったですね。

投稿: matsubara | 2018年3月 6日 (火) 08:51

★matsubaraさま

弁天島の名前は聞いていたのですが、地震で壊された後に島として残った所とは知りませんでした。
今は大きな浜名湖も東海道を歩いていては見えず、反対側の海方面さえも埋め立てで道路が出来ていて面白い地形になっています。

女性だけが藩の秘密を漏らすわけでなく、男性だって往来が多かったわけですから、本当に出女の取り調べは、今の時代に鑑みると理不尽です。
何処に行ってもお雛様が見られるこの頃です。
今回は初めて御殿の付いたお雛様を拝見しました。関東にはありません。
有難うございました。

投稿: tona | 2018年3月 6日 (火) 09:16

丁寧に旅館や置屋の中までご覧になってエライなあ。
でもここが肝、一番面白いところですね。
あんな高くて硬い枕で眠れるのかな。
時代劇をみると布団カバーやシーツを使わないのが、いつも気になっていました。
今の私は清潔「症」ですね。

投稿: 佐平次 | 2018年3月 6日 (火) 09:40

★佐平次さま

そうですね。中を見せてくれるところに行くと入りたくなります。
箱枕でなんか寝られませんね。
布団もカバーはなく、臭くて、のみ、しらみ、ダニがいっぱいでひどい目に遭っている人は一般人でしたが、今回見た殿さまの寝所は別でしょうね。
置屋の中も初めてです。三味線などが置かれた部屋もありました。悲しい運命の女性を見るようでした。
有難うございました。

投稿: tona | 2018年3月 6日 (火) 09:54

tonaさん、こんばんは~♪
浜名湖といえば、子供たちが小学生頃、一度行っただけで、
海水浴や、舘山寺の遊園地がレジャーの中心だったので、
関所などの歴史的な建造物を訪ねることもなく、
初めて知ることばかりでした。
関所では女性に対して特に厳しい取り調べを行うので、
それを避けるために姫街道に行ったという話は、
以前、『きよのさんと歩く江戸六百里』でご紹介いただいた
関所抜けを思い出し、どこにでも自由に行ける
現代に生まれて良かったとつくづく思いました。
時節柄、素晴らしい雛飾りをご覧になれたのも良かったですね。

投稿: hiro | 2018年3月 6日 (火) 22:38

こんにちは。たくさんの観光情報を有り難うございました。いつも新幹線であっという間に通ってしまう場所です。現存する最古の関所は知りませんでした。

投稿: 多摩NTの住人 | 2018年3月 7日 (水) 08:29

★hiroさん おはようございます♪

舘山寺は有名ですね。まだ行ったことがありません。汽水湖で海水浴というのもしていません。良い思い出ですね。

「きよのさんと歩く江戸六百里」の本の名前までよく覚えていらしたこと、凄いです。私はきよのさんくらいしか記憶になくて、内容は思い出せました。特に酷いのは新居ですが、箱根の関所も恐ろしく相模湖の方から中山道まで大回りして三島にという話には泣けますね。今はありがたいです。
そうそう、毎年どこかでお暇様に会えますが、まさかの関西方面の御殿雛飾りを見ることが出来て嬉しかったです。
有難うございました。

投稿: tona | 2018年3月 7日 (水) 08:47

★多摩NTの住人さま

こんにちは。
今回浜名湖を渡りながら新幹線の通過を見て、いかに新幹線が速く走るかを実感しました。本当にあっという間なのです。
再建されたお城などを見て、どこで現存するという言葉が使われるのかわからなかったのですが、遺構をそのまま使って解体修理するようなのですね。
毎回1つは勉強になることがあって励みになります。
有難うございました。

投稿: tona | 2018年3月 7日 (水) 08:54

御無沙汰しておりましたが、ついに新居まで到達ですね! 後半は、三重県と滋賀県の境界などアクセスの悪い所も少しありますが、前半に比べるとずっと短く感じると思います。
ちょうど雛祭りの時期で、素晴らしい雛飾りもご覧になられて良かったですね。
家康弁当、食べそびれています。浜松城も、その前の掛川城でちょっと時間をかけすぎ、急ぎ足で通ってしまいました。舞阪の松並木は是非もう一度通りたいですし、こんどは姫街道経由で浜名湖にまた行きたいな~

「関所の出女警戒」は、男尊女卑というよりも、各藩の江戸屋敷にいる大名の妻たち(実質的人質)が国元に出奔するのを恐れ、江戸から西へ向かう女性たちは厳しく取り調べられたということですね(逆に江戸に入る女性の方は、それほど厳しくなかった)
反対に「入り鉄砲」江戸に入る武器を警戒して貨物類は、西から江戸に入るものが厳しかったそうです。

投稿: 風人社(ぱ) | 2018年3月 8日 (木) 08:16

★風神社(ぱ)さま

御社の地図ですと殆ど迷わずさっさと街道を歩くことができます。
色々な説明も参考にさせていただき、行くべきところと行かなくてもよさそうなところ(と言ってもあまりに遠いと怠けて省略しちゃったり)を判別して、説明文も使わせていただいたりとありがたいです。
あちらのお雛様を初めて見ました。豪華さに驚きました。家康弁当は何時も売り切れていましたが、今回は早く切り上げられたので2食だけ残っていましたのでラッキーでした。
舞坂の松並木は立派ですね。
京都までもし行けたら次は姫街道に参ります。また浜名湖が良く見られるでしょうか。
大名の妻たちが国元に出奔するということは、幕府恐れるほどのいろいろな意味があったことになりますね。
関所は実にかなった場所に置かれていると感心しました。神奈川県が半分残っていてあと4回くらい三島までかかりそうですね。
コメントありがとうございました。

投稿: tona | 2018年3月 8日 (木) 13:14

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