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2018年4月 3日 (火)

東海道五十三次歩き18 新居~白須賀~二川(前編)

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3/23(金)小田原方面は雨、白須賀方面は晴れということで、また新幹線ひかりで浜松まで、東海道線に乗って新居駅で下車。前回歩いた宿場はとばして歩き、新居宿の出口あたりから次の白須賀宿、その次の二川宿まで全部で40720歩でした。これだけ歩くとカロリーは約2000㎉いる。そこで饅頭屋さんを当てにしているのに何と金曜日というのに目当ての3軒ともことごとくお休みか売り切れ。持参したバナナやカロリーメイト、エネルギー補給ゼリー、甘納豆などでカロリー不足にあてました。
この日の目当ては太平洋の眺めで何故かはのちほど。他、二川宿にて現存本陣や改修復元の旅籠見学です。舞坂では唯一現存の脇本陣を見、新居では唯一現存の関所や置屋を見て来たばかりでわくわくします。

又、この日は遂に長い静岡県から愛知県に入ったのです。静岡県には22宿あって白須賀が最後。東京、神奈川、静岡、愛知、三重、滋賀の六県を通って53宿あるが、そのうち静岡県が22宿で約40%になる。長かったです!

駅辺りで見かけた私と同じ年くらいの二人組の女性、きっと新居の関所でも見学していたのでしょうか、松並木を過ぎたあたりで追い越されましたがそのスピードは娘の速足と同じです。なんでも北海道からやって来て東海道を5年に渡って歩くそうで、1回が4泊5日とのこと。しかも山ガールスタイルで飛ぶように歩き去って行きました。この日は二川宿の次の吉田宿まで歩くとか。あまり寄り道は多くなさそうですが、世の中には元気な人がいるものよ!

新居宿(22番目の宿)の残り

・種田山頭火の新居駅横の句碑「水のまんなかの道がまっすぐ」 簡単に作れそうでいてそういうわけにはいかない。tona作「幸せは腹と頭からやってくる」・・季語なし。
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・鷲栖院に関所番頭を務めた(1647~57)佐橋甚兵衛の墓。たくさんいたであろう関守の中で何故この人だけの墓があるのか?
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                    墓の横の枝垂れ桜
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・69番目の一里塚を過ぎると棒鼻跡、ここが京方見附に当たる新居宿の西の境。棒鼻とは駕籠の棒先のこと。大名行列が宿場に入るとき、ここで先頭を整えたので言う。
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新居宿から白須賀宿までの間

・風炉の井 ここは橋本宿なのだが、源頼朝が1190年上洛の折、この井戸水を茶の湯に用いたという。
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・紅葉寺跡 同じく宿泊した頼朝の寵愛を受けた長者の娘がのちに出家したお寺で、足利義教が富士遊覧の時に立ち寄り紅葉を鑑賞したのでこの名がついた。今は跡が残るのみ。
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・新居から白須賀の間は花の咲いた松並木あり、広々とした田園風景の中にキャベツ畑がずっと続き、気持ちの良い街道だ。
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・前大納言為家と阿仏尼の歌碑。このあとに立場跡があるが、宿の間の中間点だった。
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・火鎮(ほずみ)神社 家康も祀られている。静岡県では秋葉信仰といい、この火鎮神社といい、いかに火事が恐れられてきたかを実感した。また静岡県には槇の垣根が実に多かったが槇は火災延焼防止の植物という。江戸の火事騒ぎしか時代劇で見ていなが、どこも火事では悩まされたのですね。
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・風車 ゴルフ場の電気を賄っているという。二川宿までずっと風が吹きわたって風の強い地域と実感した。「遠州の空っ風」というそうだ。何と「伊吹おろし」から来ているという。
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・清正公神社 入口が分からなくて探検に行った娘が写真を撮ってきたのをもらった。崩れていてもうすぐ倒れそうだ。
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・一里塚跡と高札立場跡を過ぎると内宮神明神社があってその隣に立派な長屋門があった
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・昼食 港屋食堂で11時15分だけど、この後ないので昼食とする。トラックの運転手さんも入るお店である。
ごはん(小)×2、あさり汁×2、かれい煮魚、どてやき、しらすおろし、白菜漬け。浜名湖の名物と愛知県名物どてやきのミックス。一度にあさりをこんなに食べたことはない!
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・蔵法寺 潮見観音が60年位1回公開。地震の年、備前岡山の池田綱政公が白須賀宿に泊まった時、観音様が夢枕に現れ、「早くここを去れ」と告げられし翌日大津波で宿が流れされたという。
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・潮見坂を登る。かつては坂下の海岸沿いに宿があったが、1707年の地震により現在の坂上に移った。登った所に「おんやど白須賀」がある。温かいお茶を無料で頂戴する。津波の記録や白須賀宿に関する展示があり、中でも素晴らしいのが往時の街道の様子のジオラマだ。白須賀は天領だったそうで地震移転の時幕府からお金が出たそうだ。
又、ここは織田信長が武田勝頼を滅ぼして尾張に帰るとき、徳川家康が茶亭を建てて、信長をもてなした所だ。
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・潮見坂上の展望台から・・・ここは広重の絵の風景で、遠州灘が見える。京都から東に向かって初めて目にする海で(と書いてあったが七里の渡しのことが行ってないのでわからない)、富士山も眺望できたという。明治天皇が初めて東京に行幸された時、ここで休憩されたが、天皇で初めて太平洋をご覧になったという。斉明天皇が和歌山白浜あたりにいらしたのだと思っていたのですが。あるいは熊野行幸で海が見えたのかと思っていました。
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白須賀宿(32番目の宿) 新居から6.5㎞ 日本橋から約289㎞ 宿の長さは約1.5㎞ 本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠27軒。

・白須賀宿が始まる
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・十王堂 閻魔像の脇に十王でなく十二像が並んでいた
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・隣の禮雲寺には弘法大師八十八ヶ所霊場があり巡ってみた。かぶっている帽子や数珠が違い、どなたがお供えしているのか全部にお団子が供えられている。飛んで落ちてしまっているのが多く全部供えなおした。
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本陣、脇本陣跡を通り過ぎ、夏目甕麿邸跡と加納諸平生誕地の石碑が立つ。本居宣長に学んだ親とその子で2人とも有名な国学者だそうだ。

・庚申堂には三猿と四猿が置かれる
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           四猿 右から2番目が行わざる(せざる)だそうだ
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・その北側に役行者が祀られていた
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・白須賀宿の出口あたり。境宿とあり白須賀宿の加宿とか。加宿とは宿場で常備すべき人馬が少ない場合に不足する人馬を補う村や町のこと。
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コメント

tonaさん、おはようございます♪
静岡県はお隣の県なので、地理的なことは大体わかるのですが、
愛知県は新幹線で多りすぎるだけで、旅行にも行っていないので、
友ブログさんがいる名古屋市以外は、知らないことばかりです。
今回の新居宿、白須賀宿はどの辺にあるのかも知りませんでしたが、
地理的なことから街道の様子まで、居ながらにして勉強させていただきました。

東海道歩きは東京、静岡が終わり、神奈川もあと少しなので、
もう半分以上歩かれたことになるのでしょうね。
一日に40720歩はとても真似できませんが、足は痛んだりしないのですか?
凄いな~とただただ感嘆するばかりです。
北海道からの二人組の女性も凄いですね。

投稿: hiro | 2018年4月 4日 (水) 08:13

浜松からこちら(東海から関西)までの旧東海道を
Saas-Feeの風はかなり歩いていますが
ご紹介の地域についてはまったく歩いたことがありません。

静岡県に旧東海道53宿の内の22宿があることを初めて知りました。
県域が海に沿って長いということですね。

旧東海道沿いに現存する松並木の中で
ここが長いよと紹介された宿場があるのですが
どこだったのか、記憶を辿っていますが思い出せません。
写真を見直すと出てくるはずです。
以前のブログサイトにアップしていましたが
例の如く消滅しており残念です。

投稿: Saas-Feeの風 | 2018年4月 4日 (水) 08:45

★hiroさま おはようございます♪

愛知県の近所はは戦国時代から多くの武将が出ているのに、地理的に遠いので関東の人間はなかなか通過するだけになってしまいますね。
私は名古屋城さえも行っておりません。
これから歩けば愛知県の東海道筋だけは分かりますが、寄り道があまり出来ないので、殆ど知らないままになるでしょう。

神奈川県側はあと箱根宿だけですので32宿訪ねました。半分をちょっと過ぎたにすぎません。まだまだですね。
平均4万歩を超えていますが、足の方は今のところどうやら痛みません。時々腰の方が心配になりますが。最初富士山が見える範囲だけでも歩けたらなあと思っていましたが、もしかして京都まで行けるかも。今後は遠くなるので歩数は少なくなると思います。
北海道の山ガールを見習わなくては。
有難うございました。

投稿: tona | 2018年4月 4日 (水) 08:58

★Saas-Feeの風さま

名古屋をずっと歩くとやっとそちらの四日市ですね。まだまだそちらは遠いです。
静岡県がいやに長いと思いましたら全街道の40%を占めていると言うので驚いた次第です。

今までのところで松並木がいいなあと思ったのが、舞坂、白須賀への途中、茅ヶ崎、大磯などです。
松原は沼津の千本松原ですね。手入れが大変そうです。
ブログも本にしない限り、いずれ消え去るものですね。私も長くてあと数年でしょうか。
本にするほど価値もないし、第一そういうものは見る暇を作らないでしょう。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年4月 4日 (水) 09:09

静岡県~愛知県へ向かっているんですね、4万歩以上の道のりが凄い!
新井ー二川も、全く知識がありません。

二人組の女性が飛ぶように歩き去る、達人の域ですね。
山頭火の碑は驚きませんが、tonaさんのひねった句が面白くも人柄が出ています(^^♪
どてやきって写真にありますか。知らないのです。
前は玉ねぎで、今度はキャベツ。肥沃な土なんでしょうね。
白須賀宿辺りは、津波で壊滅したのですか。
日本は今まで何度津波が襲ったのでしょう。改めて未来へ不安が募ります。

投稿: だんだん | 2018年4月 4日 (水) 12:20

★だんだんさま

やっと愛知県に入りました。長い道のりでした。愛知県については殆ど歩いたことがなく知りません。通り越して岐阜や滋賀、京都、大阪、神戸へでしたから。
二人組の後ろ姿を羨望の目でずっと追っていましたよ。

どてやきは写真にも見えていますが、牛のスジ肉を味噌やみりんで時間をかけて煮込んだものだそうです。味噌は八丁味噌で県境に近いので違和感なしです。
スーパーで見てみましたが、静岡から愛知にかけてのキャベツは出ていませんでした。
吉原宿も奥へ移転しましたが、ここも津波で高台に移転したそうです。天皇がご覧になり広重が描いた高さの所へ。
何時かはわかりませんが、近いうちとも言われる大地震が恐ろしいですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年4月 4日 (水) 12:46

どこも通過地点ばかりで下車したことが
ありませんので、珍しく拝見しました。

静岡が40%と聞きなるほどと思いました。
静岡の友人が、「新幹線の駅が5つもあるのよ」
と言っていたことを思い出しました。

静岡、新富士、掛川、浜松、三島と
5つありますね。

投稿: matsubara | 2018年4月 4日 (水) 15:21

★matsubaraさま

そういえば新幹線の駅5つですね。
新富士だけは東海道から外れていて利用できませんでしたが、あとは全部乗降しました。
「ひかり」が停まったり停まらなかったり、いろいろありますので「こだま」でちんたらちんたらということもありました。こだまはお弁当やお茶を売っていないので駅で買うことになります。
名古屋から先は新幹線はもう京都を利用ということになります。京都近くの宿場ですが。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年4月 4日 (水) 16:46

こんばんは
 
今回もたくさん歩かれましたね!ついに愛知県へ入られたのですね。
4万歩超とは… そんな健脚のtonaさんをさらに上回る?健脚の方とも
お会いになられたのですねぇ。ただもう感心するばかりです。
4万歩を超えて歩くには2000㎉を要するのですか。これだけの消費カロリーを
補うには、相当しっかり食べないと消耗してしまいますね。
 
東海道五十三次のうち、二十二が静岡県内とは、数えてみたことも
ありませんでしたが、そんなにたくさんだったとは驚きました。
太平洋を見た天皇の最初の方が明治天皇だったことも驚きです。
今の天皇陛下は太平洋を空の上から何度もご覧になっているのですもの
時代と共に交通手段も随分と変わったものです。
遠州にも津波被害の歴史があったことも初めて知りました。
遠州の空っ風にもお吹かれになったのですね。その隣、三河もまた
三河の空っ風と言っていました。その空っ風に吹かれながら育ちました。

投稿: ポージィ | 2018年4月 4日 (水) 20:48

★ポージィさん おはようございます。

いつもいつもコメントいただきありがとうございます。昨晩はniftyが故障してお返事が出来ませんですみませんでした。

ポージィさんの故郷に入りました。歩くと随分遠いですね。そう、静岡県が長すぎました。
神奈川県は9宿ありましてあと箱根宿だけになりました。それが一番大変なのですが。
カロリーは老人になってから1200㎉くらいしか摂取していないと思うのです。主食が少なくなりましたし、たんぱく質をちゃんとたくさん食べなくなりました。南北アルプスの登山の時、休憩するたびにチョコレートなどいろいろなおやつ3日分持参して食べていたことを思い出しました。それと全く同じです。

歴代天皇で初めて太平洋をご覧になった地点が潮見坂上だったとは!広重の絵と全く同じだったのです。
150年後の天皇陛下は皇太子時代から世界も駆け回りましたね。
ここが津波で移転した高台だったのですね。

三河の空っ風・・吹いてくる元は同じなのですね。地図のコラムに寄りますと、電車まで吹き倒すほどだとか。JR東海道線が突風の影響で最徐行だけでなく長時間止まってしまうことがあるそうですね。南岸低気圧の通過でも、鷲津から新所原間(帰りに乗りました)と蒲郡付近で多い時は1ヶ月に数回、運航停止があると書いてありました。
ポージィさんもなかなか厳しい風のあるところで過ごされたとは!
ポージィさんがご存知の所をこれから歩くのが楽しみです。お天気次第ですが箱根を先に歩く予定です。

投稿: tona | 2018年4月 5日 (木) 07:52

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