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2018年4月18日 (水)

東海道五十三次歩き19 小田原宿(2)

●小田原宿(9番目の宿)大磯宿から15.7㎞、日本橋から84㎞、宿の長さ約2.2㎞、本陣4軒、脇本陣4軒、旅籠95軒。
5代100年にわたる戦国武将北条氏の小田原。江戸時代には城下町で、大規模な宿場町として発展した。東に酒匂川の徒歩渡り、西に東海道随一の難所、箱根が控えている。本陣、脇本陣の数は東海道随一という。そして小田原名物と言えば、蒲鉾、漆器、鋳物、干物、箱根寄木細工、外郎だ。

・江戸口見附 20番目の一里塚もこのあたりにあったらしい。

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・北條稲荷 狼ではないかと思うほど恐い顔の狐と蛙に似た石・蛙石(かわずいし)がある。
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                       蛙石
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・府中(静岡)と同じく、ここも石柱に町の名前が刻まれ横に謂れが書いてある。
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・鍋町の石柱を曲がると「かまぼこ通り」には12軒のうち10軒が並ぶ
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・昼食は清風楼(文久2年創業)小田原どん。参加店は30店舗余あるそうで、小田原の海と大地で育まれた食材を一つ以上用い、伝統工芸品の小田原漆器の器に盛って、お客様に満足していただき、小田原がもっと好きになるように、おもてなしすること・・・という決まりがあるとのこと。
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この店のは梅味噌を練り込んだあじのつみれとかまぼこを卵でとじた丼が漆器に盛りつけられている。他に刺身、有機野菜のお浸し、味噌汁と漬物。美味しかったがちょっと多めでした。
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脇本陣跡、本陣跡を過ぎ

・なりわい交流館へ。 網問屋だった。関東大震災で壊れたのを昭和7年に再建した。ここでは温かいお茶を御馳走になった。
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・反対側の風月堂で和菓子のきなこ餅「へっちょい」を買う。へっちょいとは籠を担ぐときのかけ声だそうだ。
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・小西薬局 江戸初期より薬種商を営む済生堂薬局小西本店の建物は大正年間再建されたもの
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・ういろう 城の様な建物。丸薬の「ういろう」とお菓子の「ういろう」を売っている。ルーツは室町時代で、北条早雲に招かれ小田原に移住した。
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鈴廣(箱根登山鉄道の風祭駅にある)の蒲鉾と外郎を娘に買ってもらった。薬のういろうは141粒で1080円!仁丹に似ている。飲んでみたけれども、西洋医薬の洗礼を浴びているので、漢方は効き目が遅いかもしれない。
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・小田原城 築いたのは大森氏で15世紀中頃。北条早雲から5代の本拠。北条滅亡後は徳川家康家臣の大久保氏が城主。大久保氏改易で春日局の稲葉氏が城主。1686年再び大久保氏が城主となる。この後、稲葉氏と春日局の墓に詣でました。
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                                        銅門 二の丸の表門
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                    常磐木門 本丸の正門で最も大きく堅固に造られる
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                  天守閣6階から
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          1階に展示されていた小田原かまぼこコレクション
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・報徳二宮神社の二宮尊徳の子どもの頃と大人の銅像 子供の方のブロンズ像は約一千体制作されたが、戦時中に供出、これ一体のみとなった。
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・人車鉄道小田原駅跡の碑 明治29年~大正11年まで、ここから熱海まで約25㎞を人力で客車を押していたという。
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・大久保氏の菩提寺・大久寺を見、向かいの居神神社(鎌倉時代の古墳がある)を過ぎると板橋上方見附跡の案内板がありここで小田原宿は終わる。
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このあと、箱根湯本駅まで東海道を上って行きました。といってもとてもなだらかです。

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コメント

小田原に関しては沢山の方々が載せてますし、伊東の家から近いので行き易いのですが
実際に通るだけで、小田原城に行ったのは何十年も前です。
小田原の名物は蒲鉾と箱根寄木細工は知ってましたが、漆器、鋳物、干物、外郎と沢山あるのですね。

小田原をもっと好きになって貰うよう、、小田原の海と大地で育まれた食材を一つ以上用い
伝統工芸品の小田原漆器の器に盛って、お客様に満足して頂く
小田原の心意気が見えます。
小田原のういろうは私が思ってたお菓子のういろうではなく
丸薬で沢山の方が買いに行くそうですね。

tonaさんが小田原城に行った時は桜が満開で素晴らしい時期でしたね。
42108歩、階段1000段をよく歩きました、健脚ぶりに驚きです。

今度伊東の家に行く時に小田原に寄ってみます。

投稿: ラッシーママ | 2018年4月18日 (水) 19:43

★ラッシーママさま

伊豆に行くには小田原あたりを通りますね。
小田原城は新しく復元されて立派になりました。
私が中学の遠足で行ったときはどうだったか?何も思い出せません。城跡しかなかったのかしら。
しかし今回行って見て門も復元されているし、お濠はあるし、とても広く、覚えていなかったですが子供の遊園地みたいで子供電車もありました。桜だけでなく藤が咲いたら見事でしょう。もう今頃咲いているかもしれません。
小田原丼面白いでしょう。他のお店も見付けてお暇なときがありましたら試してご覧になるといいですね。nao♪さんは天丼だったようです。
階段は小田原城を上っただけでなく、この後に行ったお墓(春日局)に行ったときや他の神社です。勿論下りも入りますが、1000段とは我ながら驚きました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年4月18日 (水) 21:11

桜咲くよい時期に小田原城に行かれて
よかったですね。

以前団体旅行で小田原には下車しましたが
かまぼこ工場に寄っただけでした。
お城にはいつか行きたいです。

春日局も稲葉氏も岐阜の人ですのに、そちらに
お墓があるとは知りませんでした。

旅先のお食事も楽しみですね。

投稿: matsubara | 2018年4月19日 (木) 08:56

こんにちは
 
県内なのに、越してきて間もないころ1度行ったきりの小田原です。
今改めて数えてみたところ、小田原城へ行った唯一の小田原行きから
20年以上も経っていることに愕然としました。
お城に象のウメ子がいましたよ。
工事が終わったお城をまた見てみたいです。
tonaさんがいらしたときは桜とのコラボがとても素適ですね。
新幹線の乗り換えや東名高速道路など、ただ通り過ぎることは
たくさんあったのですけれど。
 
今回の(1)(2)を拝見して、ちゃんと行ってみたくなりました。
実は小田原漆器も、丸薬としてのういろうとおもてなしのお菓子としての
ういろうのことも知らず、でした。お城のようなういろう社の建物も。
お菓子のういろうは名古屋の青柳ういろうと大須ういろうばかりで…
小田原漆器は木目が美しいのですね。
小田原の蒲鉾も、意外なことにほとんど食べていませんでした。

隙間生えのスミレも素適です。

投稿: ポージィ | 2018年4月19日 (木) 17:04

★matsubaraさま

私も小田原と言いますと、バスツアーでいつも鈴廣に寄って蒲鉾を買うというくらいです。
小田原城は中学校の遠足以来です。全然覚えていませんでした。
敷地が広いのにビックリです。
春日局の権力で、子孫が江戸城の重職につくと同時に小田原城城主になりましたから、ここにお墓を作ったようです。

食事はいつもその土地の名物などを食べるようにしています。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年4月19日 (木) 22:37

★ポージィさま こんばんは。

象がいたのですか。今回は猿を見ました。
もうウメ子はいないのですね。
井の頭公園の花子もいなくなってしまいましたし。
今年は桜が早かったでしょう。丁度満開でした。ソメイヨシノがたくさんあるのです。とてもお花見にもいいところですが、お城も完成して6階まで各階の展示を見て、最上階からの眺めも楽しめました。山や大島がはっきり見えなかったのが残念。桜の時は霞んでしまうのですね。
名古屋の青柳のういろう知っています。大須というのは知りませんでした。
小田原の蒲鉾、種類が多くてとても美味しいです。私は山口の仙崎のも好きですが、小田原は毎年たくさん食べています。
このスミレ、葉の形を見たらいわゆるスミレのように思えました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年4月19日 (木) 22:51

箱根や伊豆への通過点になって、あんがい市内をゆっくり見ることがない小田原。
捨てがたい魅力があることは聞いてましたが。

投稿: 佐平次 | 2018年4月20日 (金) 10:44

★佐平次さま

本当に通過点の小田原で、街を知っている人は少ないですね。バスツアーで寄る鈴廣くらいでしょう。
宿場町の面影はほんの少しですが残っているだけですが、城を基軸に、漁業をはじめ、漆器など知らなかった産業で頑張っているのだと見受けました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年4月20日 (金) 13:35

小田急線小田原線で小田原に出て
大雄山線で工場のある駅まで
或いは新幹線で名古屋・大阪へという
小田原は通過点でした。

車では小田原・厚木道路を使って伊豆に行ったこともありました。
そのときも通過点ですね。

歩いた経験は小田原駅と小田原城までの間の往復でした。
(トラックバックしました)

さくら咲くお城の姿は美しいですね。
このような時期には登城したことが無かったですよ。

軽便鉄道の跡碑のあることを知りませんでした。

投稿: Saas-Feeの風 | 2018年4月20日 (金) 16:16

★Saas-Feeの風さま

TBありがとうございました。
丁寧に書かれていらっしゃいますのでわかったことは、天守閣が昭和35年に復元されたとありますので、この年大学生になったので中学生の時の遠足で行ったときにはまだ復元されていなかったのですね。

今回、お猿さんいましたよ。寒い時期にいらしたのですね。わざわざ訪ねていらして本当に好奇心旺盛でいらっしゃいます。少しは真似しなくてはと思いました。
私も桜がこんなにたくさん咲いているとは知りませんでした。

軽便鉄道を人力で走らせていたとは驚きました。マラソンの選手のようですね。どんな人が押していたのでしょう。

投稿: tona | 2018年4月20日 (金) 21:02

こんにちは。小田原にも見どころがたくさんありますね。お堀に掛かる桜が見事です。

投稿: 多摩NTの住人 | 2018年4月21日 (土) 08:24

tonaさん、こんにちは~♪
桜が満開で、良い時期に行かれましたね。
小田原は電車で行っても1時間以内で行けるので、
神奈川県の中ではよく行くほうかもしれません。
10年分のブログを調べてみると、6回行っていました。
桜は3年前でしたが、小田原城は改修前でした。
万能薬のういろうは有名ですね。
先日、卓球の練習の時、もし行く事があったら買ってきてと、
仲間内で話していたところです。
清風楼やきなこ餅「へっちょい」は知りませんでした。
人車鉄道小田原駅跡の碑のことも知りませんでした。
もし行くことがあったら寄ってみたいと思います。

投稿: hiro | 2018年4月21日 (土) 15:05

★多摩NTの住人さま

こんばんは。
小田原も城と東海道宿場町として見どころがたくさんありました。
小田原城の桜がこんなに見事とは!初めて知りました。お堀があるので皇居の回りみたいですが、千鳥ヶ淵には負けます。
有難うございました。

投稿: tona | 2018年4月21日 (土) 19:46

★hiroさま こんばんは♪

今年は桜が早かったので思いがけず小田原でも見ることが出来ました。小田原城にこんなに桜がたくさんあるとは今まで知りませんでした。
何だか得した気分でした。
そちらからですと小田原は確かに近いですね。
私は鈴廣にバスツアーで寄る以外は中学生の遠足以来です。何も覚えていませんでした。

薬のういろうは朝4時から並んで買っていた時代もあったようです。今はその場で買えます。せっかく買ったのですから上手に使ってみたいものです。友人にわざわざ買いに行く人がいました。
人社鉄道があるなんて驚きました。
いつもhiroさんの記憶力の良さになんて頭の良い人でしょうと感心しています。

投稿: tona | 2018年4月21日 (土) 19:56

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東海道新幹線を途中下車して小田原城に寄ってみた。 前回は厚木にいたころのこと まだ幼かった子どもたちと一緒に来たから 30数年前のことになると思う。 当時の登城のことを思い出せないまま 時折、小雪の舞う寒い中を小田原駅から城まで歩いた。 発掘調査をしているらしい。 あ~~ぁ、全然思い出せないなあ~ 1870年(明治3年)...... [続きを読む]

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