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2018年4月28日 (土)

東海道五十三次歩き20 箱根宿(前編)

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4/19(木)新宿駅のこれから乗るロマンスカーは7時発の箱根湯本行き。3月17日にデビューしたばかりの新車両だそうで、新幹線の窓と違い、窓がすごく大きくて眺望がいい。先頭車両の一番前の席を買うのは大変らしい。
到着した「はこね51号」。座席が自動的にこの後反対方向に変わって掃除がなされる。2号車に乗りました。
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◆箱根宿へ 箱根東坂を上がって行く。これに対して箱根峠から三島側を西坂という。

箱根湯本から芦ノ湖畔の箱根宿、関所まで。箱根湯本の標高が108m、甘酒茶屋705m、芦ノ湖723m、箱根神社767m、箱根関所730mへ向かうので標高差約600mの石畳を上る。34588歩、1880段。バスで小田原まで戻るためバスターミナルの横にある箱根関所がこの日の終着点で箱根神社に寄り道したりする。

・前回最後の景色・早川にかかる橋から湯元温泉駅と二子山が見える。箱根旧道は二子山の南側を通っていて、二子山の向こう側までこれから上って行くことになるが、後で二子山にびっくりするのである。

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・ギョリュウバイの大木
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・早雲寺 北条2代氏綱が創建。小田原征伐において一時的に豊臣秀吉軍の本営が置かれるが、石垣山城が完成すると当寺を含む一帯は焼き払われたのだという。
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北条五代の墓がある。右から1代目早雲、2代目氏綱、3代目氏康、4代目氏政、5代目氏直。
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                           連歌師・宗祇の墓がこんなところにあった
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・正眼寺
                       大きな地蔵は稲葉氏の紹太寺から移されたもの
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                 曽我堂 兄弟を供養するため親類縁者により建立された
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・「仲睦まじい道祖神」と呼ばれる
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・旧箱根街道一里塚碑(22里目)
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・箱根旧道入口に着き、いよいよ石畳の道が始まる
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・猫に会えた
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・觀音坂の石碑 この先箱根関所まで謂れがそれぞれありそうな、女転がし坂、西海坂(さいかちざか)、橿木坂(かしのきざか)、猿滑坂など13の坂が続くのである。それもいちいち写真に収めていくから時間がかかる。坂の碑の石の形がそれぞれ違っていて面白いのだ。
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・駒形神社から須雲川の集落を見る
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・鎖雲寺 浄瑠璃「箱根霊験記」の勝五郎と初花の墓の五輪の塔が並んでいる。お寺に飼われたレトリーバーがツーショット写真で人間と一緒に笑うのには驚いた。
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                      初花堂を覗くと、菩薩像の前に初花の像がある。
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・割石坂の石碑 曽我五郎が富士の裾野に仇討ちに向かう時、刀の切れ味を試そうと、巨石を真二つに切り割った所だそうだ。曽我兄弟が良く出てくる。
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・「これより江戸時代の石畳」という案内板があり、江戸時代の人々が踏んだ石だと思うと感慨ひとしおである。
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接待茶屋があった場所の案内板や「石畳の構造」の案内板がいくつかあって何層にもなっているのだと知り、造った人々の苦労を偲ぶ。

・箱根八里の歌にもあるように、石畳や川の石にも苔がむして滑らかではあるが、石畳は転びそうで、ストックを使用する。
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・東坂の中間点にある間宿の畑宿に着く。寄木細工は有名で工房や店が並んでいる。
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・茗荷屋本陣跡 ここの庭園はハリスやヒュースケンなど幕末外交の使者たちも感嘆したという。
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・駒形神社の御利益を見てやってください。12も書いてあって何でもありの神社。有難味があまり期待できないかな。
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境内の太子堂は聖徳太子が祀られ、太子は大工職人たちに工匠の祖として崇敬された。箱根細工が盛んな畑宿では多くの職人に尊崇されている。
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・畑宿一里塚(23里目)石畳を挟んだ直径9mのこの対の一里塚は復元されたもの。右側の木はモミ、左側はケヤキ。目印だけでなく、夏には木陰を作り、冬は寒風を防いでくれた。
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                      右側
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2018年4月24日 (火)

御岳山と日の出山・花見ハイキング

21日(土)は良いお天気で夏日で暑かったですが、山に行ってきました。出来れば1ヶ月に1回行きたいところですが、山だけは女性の一人登山は高尾山しかなく、登山会や親しい誰かとタイミングを合わせるのも難しく御無沙汰です。富士女子会で第一金曜日に都合のつく人だけ登ろうということにこの日決めました(が早速5月は大型連休でとりやめ)。
街道歩きで少し鍛えたので、山歩きも苦しくなかったです。歩いてそして低山ないし丘陵を登る・・体にいいみたいです。

青梅線御嶽駅からバス、そしてケーブルカーを使ったので831mの御岳山駅から929mの頂上までは約100mしかありません。日の出山は902mなので下ったり上ったりですが高尾山とも比べ物にならないくらい楽々高齢者コース。花がいろいろ咲いていて花見ハイキングでした。ちょっと載せすぎですがまだ載せきれないほど一杯でした。

        ケーブルカーを降りると美しい新緑が目に飛び込んでくる
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武蔵御嶽神社のケーブルカー到着駅の第二の鳥居(奥の院まで併せると全部で4つあるようだ)
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昆虫学者の矢島稔の碑「永劫に 御岳の宝 邯鄲の声」 初秋には邯鄲を聴く会が御岳山で行われている。誘われたけれども行けず、夜ですし今は行く相手がいなくてまだ行っていません。
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                     キケマン
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           ニリンソウとニリンソウ群生
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             ブロックの中に入っている地蔵様たち
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         5㎜ほどの小さな名前がわからない花も咲いている
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       スイカズラ科ツルカノコソウ  Sさまありがとうございました。450x332
     神代欅 国の天然記念物 平安時代ので1000年経っているそうだ
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                     山桜
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                     枝垂れ桜
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           武蔵御嶽神社が御岳山の頂上・標高929m
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                 アメリカスミレサイシン?
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              ハウチワカエデだと思うのですが
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日の出山山頂902m 友人たちが手作りコロッケやキュウリ味噌のせ、蒲鉾、トマト、玉子焼き、柿餡最中などを差し入れてくださって、自分のおかずは食べられず、家に帰って捨ててしまい、久しぶりにもったいないことをしました。
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山頂からは霞んでいたが周囲が全部見える。遠くに西武ドームの屋根が見えた。
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               関東ふれあいの道 三角点の碑
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        頂上付近の登山道にはセンボンヤリが数株咲いていた
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              古木で造られたベンチ、いいですね。
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                  タチツボスミレかな
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     下山はバスは使わないで歩きました。白いシャクナゲがきれい!
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                   カキドオシの群生
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                     御岳渓谷
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                     オオアマナ
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                     ウツギ
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        渓谷で下ってくるボート?を川上まで運んでいく若者たち
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沢井まで歩いて「澤之井ままごと屋」で甘酒を飲む。酒屋さんの甘酒だからことの外美味しく感じました。左は友人のシャーベットの甘酒。
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2018年4月22日 (日)

東海道五十三次歩き19 小田原宿(3)

◆小田原宿から箱根湯本まで 殆ど箱根登山鉄道に沿って歩きます。

・内野邸 明治36年(1903)建築の土蔵風町屋。なまこ壁や石造りアーチの和洋折衷の歴史的建造物。
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・板橋地蔵尊(宗福院)の大黒天の顔が楽しい
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・小田原用水(早川上水)取水口 小田原城下領民に飲料水に供された。北条氏時代に施設されたと考えられ、我が国水道施設の中では初期のもの。玉川上水の羽村の堰を思い起こします。
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・ロマンスカー、本日見たのには4種類の色があった。次回に乗る予定だが何色だろう?
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・風祭に21番目の一里塚跡があって、そこに道祖神がある。今までの道祖神は男女二神の双体道祖神だが、ここのは伊豆型という丸彫り道祖神だ。
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・茅葺のお寺萬松院
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・入生田駅近くに紹太寺(黄檗宗)が広がる。江戸時代初期の小田原藩主稲葉氏の菩提寺。広大な伽藍は火事で焼けてしまって清雲院のみ残る。元禄4年(1691)ドイツ人博物学者ケンペルがこの総門あたりのことを書き記している。

                       総門跡300x450_2
                      清雲院450x300_8
                    恵比寿天と桜
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          全部で350段の階段を上がると稲葉氏の墓に到着
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                 途中伽藍跡があリさらに階段
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                     マムシグサ
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稲葉氏一族墓所 春日局、その子・初代藩主正勝夫妻、二代藩主夫妻、三代藩主夫人などの墓。偉い人の墓は何時までもずっと世話する人がいなくても残っていくのです。家制度がなくなって、男の子が絶えると今は墓を作っても数十年後にはなくなってしまう庶民とは違う。一時だけ準備したのでその墓の下に収まる。それでいいのです。
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            春日局の墓にだけみかんが置いてあった
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                  開山の鉄牛和尚の寿塔
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                  この枝垂れ桜は320年という
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・日本初の有料道路の案内板 明治8年(1875)に人力車が通れるように勾配を緩くし、5年間通行料を取ったそうだ。
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・達磨が描かれた交通安全の碑
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・箱根湯本に到着 日が暮れておりました
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帰りは小田原へ出て上野東京ラインで東京へ。中央線で地元へ。いつもの所いつもように飲食し9時半ころ帰宅でした。

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2018年4月18日 (水)

東海道五十三次歩き19 小田原宿(2)

●小田原宿(9番目の宿)大磯宿から15.7㎞、日本橋から84㎞、宿の長さ約2.2㎞、本陣4軒、脇本陣4軒、旅籠95軒。
5代100年にわたる戦国武将北条氏の小田原。江戸時代には城下町で、大規模な宿場町として発展した。東に酒匂川の徒歩渡り、西に東海道随一の難所、箱根が控えている。本陣、脇本陣の数は東海道随一という。そして小田原名物と言えば、蒲鉾、漆器、鋳物、干物、箱根寄木細工、外郎だ。

・江戸口見附 20番目の一里塚もこのあたりにあったらしい。

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・北條稲荷 狼ではないかと思うほど恐い顔の狐と蛙に似た石・蛙石(かわずいし)がある。
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                       蛙石
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・府中(静岡)と同じく、ここも石柱に町の名前が刻まれ横に謂れが書いてある。
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・鍋町の石柱を曲がると「かまぼこ通り」には12軒のうち10軒が並ぶ
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・昼食は清風楼(文久2年創業)小田原どん。参加店は30店舗余あるそうで、小田原の海と大地で育まれた食材を一つ以上用い、伝統工芸品の小田原漆器の器に盛って、お客様に満足していただき、小田原がもっと好きになるように、おもてなしすること・・・という決まりがあるとのこと。
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この店のは梅味噌を練り込んだあじのつみれとかまぼこを卵でとじた丼が漆器に盛りつけられている。他に刺身、有機野菜のお浸し、味噌汁と漬物。美味しかったがちょっと多めでした。
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脇本陣跡、本陣跡を過ぎ

・なりわい交流館へ。 網問屋だった。関東大震災で壊れたのを昭和7年に再建した。ここでは温かいお茶を御馳走になった。
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・反対側の風月堂で和菓子のきなこ餅「へっちょい」を買う。へっちょいとは籠を担ぐときのかけ声だそうだ。
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・小西薬局 江戸初期より薬種商を営む済生堂薬局小西本店の建物は大正年間再建されたもの
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・ういろう 城の様な建物。丸薬の「ういろう」とお菓子の「ういろう」を売っている。ルーツは室町時代で、北条早雲に招かれ小田原に移住した。
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鈴廣(箱根登山鉄道の風祭駅にある)の蒲鉾と外郎を娘に買ってもらった。薬のういろうは141粒で1080円!仁丹に似ている。飲んでみたけれども、西洋医薬の洗礼を浴びているので、漢方は効き目が遅いかもしれない。
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・小田原城 築いたのは大森氏で15世紀中頃。北条早雲から5代の本拠。北条滅亡後は徳川家康家臣の大久保氏が城主。大久保氏改易で春日局の稲葉氏が城主。1686年再び大久保氏が城主となる。この後、稲葉氏と春日局の墓に詣でました。
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                                        銅門 二の丸の表門
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                    常磐木門 本丸の正門で最も大きく堅固に造られる
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                  天守閣6階から
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          1階に展示されていた小田原かまぼこコレクション
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・報徳二宮神社の二宮尊徳の子どもの頃と大人の銅像 子供の方のブロンズ像は約一千体制作されたが、戦時中に供出、これ一体のみとなった。
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・人車鉄道小田原駅跡の碑 明治29年~大正11年まで、ここから熱海まで約25㎞を人力で客車を押していたという。
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・大久保氏の菩提寺・大久寺を見、向かいの居神神社(鎌倉時代の古墳がある)を過ぎると板橋上方見附跡の案内板がありここで小田原宿は終わる。
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このあと、箱根湯本駅まで東海道を上って行きました。といってもとてもなだらかです。

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2018年4月16日 (月)

東海道五十三次歩き19 小田原宿(1)

半月も前になりますが、3/29(木)国府津から小田原宿を通り箱根湯本まで歩きました。東海道線は国府津~鴨宮~小田原。箱根登山鉄道は小田原~箱根板橋~風祭~入生田~箱根湯本の間です。42108歩。階段1000段。小田原城も丁度桜満開の時でした。

◆国府津から小田原宿までの間

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・国府津駅の近くでは親鸞上人が民衆を教化した御勧堂があり、ここに草庵を結んだ親鸞は7年住んだという。
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・菅原神社は国府津の天神様だそうだ。いろいろな物満載の神社。

曽我兄弟の隠れ石があってここでの仇討ちが警備が厳しくて隠れていても出来なかったという。結局富士山裾野がその場所となった。
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      撫で牛 自分の治したい所を先に撫でてから撫でると御利益あり
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童謡「通りゃんせ」の発祥の地。埼玉県川越市の三芳野神社も発祥の地と言われる。
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                  茅の輪くぐりをした
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         珍しい狛犬ならぬ狛牛(この間は狛鹿を見たのでした)
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     御神木のムクノキのすごい空洞。立っているのが不思議なくらい。
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・まだ真っ白な富士山が見えてきた
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・小田原市にも道祖神がいっぱい。辻などに安置されていたものを集めたのだそうだ。
八幡神社のもの。
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・この日も猫発見
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・↑の地図の松並木が現れる
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・大見寺には佐川の旧家・川辺家の墓や小嶋家の宝篋印塔があり、1500年代と明記され小田原市内で個人墓では一番古い。
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・酒匂宿本陣の川辺家の長屋門は黒く立派だ。matsubara家の長屋門はもっと大きかった。
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・法船寺 日蓮上人とお手引地蔵尊天 
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             ここでも道祖神がたくさん集められている
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五重塔 平成5年に信徒の常在によって建てられた。高さ6.8mだけれど美しい塔だ。
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・連歌橋から桜満開の眺め
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・酒匂川
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酒匂川渡し場の碑 この川は冬の時期だけ仮の橋を架けたそうだ。広重の小田原宿の絵はこの徒歩渡しが描かれている。
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・渡った先に二宮尊徳表彰の碑がある。小田原藩主・大久保忠真が金次郎をはじめ働き者、親孝行者13人を表彰した場所。
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・その近く、こんな所に新田義貞公の首塚がある。京都で晒されていた首を家臣が国の上野に持って帰る途中病に倒れ、ここに葬ったからとのこと。
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・山王神社の星月夜の井戸(蓋がされている)があり、林羅山が星月夜の詩を詠んだ。
旧山王原村の絵図には鯨が潮を吹いている絵やいろいろな書き込みがあって面白い。大正時代でしようか。
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・宗福寺の片耳を塞ぐ猿が載った庚申塔
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・山王大権現(宗福寺の鎮守) 堂内の猿像が珍しい。
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小田原宿の入り口にもうすぐ到着です。

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2018年4月13日 (金)

信州の直虎の町・須坂と北斎と高井鴻山の小布施を訪ねる(2)

<二日目>渋温泉と小布施
松代のホテルは快適で夕食、朝食はバイキング形式で少々食べ過ぎ。
前日の部屋からの景色。真ん中の山の右側は「奇妙山」1099mという名前。
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          起きると雪が降っていたので途中もうっすら雪景色
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●渋温泉
行基が東国行脚中に発見したとされる温泉で37ヶ所の源泉がある。源頼朝が通ったり、信玄の隠し湯であったりしたが、信濃松代藩主真田氏がここを保養地として利用したので発展した。小林一茶や葛飾北斎、佐久間象山なども訪れている。
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413x550「この1000年で最も偉大な業績を残した世界の100人」に選ばれた世界的画家の葛飾北斎は、実は大変な川柳作家であった。
江戸時代、誹風柳多留という川柳句集が年々167篇続刊された。そのうち85篇の時の撰者が北斎であり、序文も書いているわけです。
渋温泉にはこの川柳句集の中から「卍」という名で詠まれた182句の川柳と没年までの俳句5句を加え計187句を1句ずつ石に刻み、更に撰者であった85篇の巻頭文「序」を加え、渋温泉の町中に建立されている。凄い!
ここで『北斎は川柳も詠んでいた』という本を買って、この項の参考にしました。
北斎が川柳の撰者となった頃は「富嶽三十六景」の作中の油の乗っている68歳。有名な北斎漫画はこれより少し前に刊行されている。

1.団子屋の夫婦喧嘩ハ犬も喰
22. 紅葉ふみわけぐんにゃりと鹿の屎
37.ふえますに気がへりますと姑いゝ 嫁がまた子供が出来ちゃったみたいと言ったら、姑がわたしゃ皺が増えて気がめいる・・とため息。
78.田毎田毎月に蓋する薄氷
187.悲と魂でゆく気散じや夏の原  辞世の俳句(享年90歳)
川柳を読んでいると落語の世界みたいだ。

                 句碑
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                      渋温泉街
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                     横湯山温泉寺
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                   開運幸運の鐘
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    渋温泉のマンホール 温泉に浸かる猿の地獄谷野猿公苑はここから近い
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                   和合の滝 落差30m
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●小布施
北斎は天保13年(1842)83歳、弘化元年(1844)85歳、弘化2年(1845)86歳、弘化4年(1847)88歳と4回にわたって現在の上高井郡小布施町の豪農商・高井鴻山のもとに身を寄せた。

・祥雲寺 高井鴻山の墓所
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                 天井絵は小林聖花作(15畳)
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             シロスミレとミスミソウ
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・小布施町マンホールは北斎の波
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・北斎館 
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北斎の版画の企画展示や肉筆画(美人画・花鳥画・風景画)40余点が展示され、最後の部屋に二基の祭屋台(長野県宝)の天井画が展示されている。
東町祭屋台には85歳の作品「龍」「鳳凰」、上町祭屋台には86歳の作品「男浪」「女浪」の怒涛図が描かれる。実際に見ると色鮮やかで素晴らしい。
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398x550_2・高井鴻山記念館 ちらしより・・・
鴻山(1806~1883)は書画、漢詩、和歌、儒学、国学などに通じた文化人であった。
高井家は1615年頃浅間山麓から移住し、須坂の田中家と同じく北信濃きっての豪農商となった。常に困窮者の救済をし、天明の大飢饉に倉を開き窮民を救ったので、その功績が幕府に認められ「高井」の名字と帯刀を許された。
鴻山は15歳から16年間、京都や江戸へ遊学し、各界第一人者から学問や芸術を修めた。北斎など多くの文人墨客を招き、小布施を文化の高い地に育み、維新では教育立県を強調し、晩年は東京や長野に私塾を開いて教育活動に専念した。

記念館では「鴻山と師・知友展」もあり、北斎の娘・応為の絵もあった。ほか鴻山の絵、書、幟など展示されている。晩年は妖怪画に没頭したそうだ。
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                      鴻山像
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鴻山記念館翛然楼(ゆうぜんろう)1700年代後半の建物で、鴻山は書斎として使用し、文人墨客とここで語り合った。
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・昼食 栗おこわ膳
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・岩松院 北斎・正則・一茶ゆかりの寺 1472年創建
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本堂の大間天井絵「八方睨み鳳凰図」が北斎最晩年89歳の時の作品。21畳敷きの大作で、彩色には辰砂、孔雀石、鶏冠石を用い、4400枚の金箔を使用し、その費用は150両とのこと。やっと見ることが出来た。88歳でここまで江戸から歩いて来て、この迫力ある絵を1年かけて描いたとは何とも凄い人だと再確認です。
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福島正則の霊廟 豊臣秀吉の重臣であり関ケ原の合戦でも有名をはせ、広島城の大大名(49万8千石)になるも幕府の謀略によりこの信越(4万5千石)に国替えさせられ、在信5年で1624年、64歳で亡くなる。この霊廟に遺骨が埋葬されている。須坂の寺にも碑があった。
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一茶がこの寺の蛙合戦の池で「やせ蛙まけるな一茶これにあり」と詠んだそうだが、ぼんやりしていて見に行かなかったのが残念。

               霊廟から右に飯縄山が見えていた
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            階段を下りるとまた桜がきれいに咲いていた
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14時30分で観光が終わり帰路につきました。なかなか自分たちだけでは行けない充実した早春の北信の旅でした。




 

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2018年4月10日 (火)

信州の直虎の町・須坂と北斎と高井鴻山の小布施を訪ねる(1)4/7~4/8

300x450ナビゲーター付きの『葛飾北斎ゆかりの地めぐり』3回シリーズの3回目のみ参加してきました。(1回目は「神奈川沖波裏」のルーツ、宮彫師「波の伊八」の世界。2回目がすみだ北斎美術館見学と北斎が生まれ育った浅草から両国へ。)

一日目は北斎に関係ないが須坂藩と豪商、蔵の町の様子を、二日目は北斎の石碑に刻まれた187句の川柳が置かれる渋温泉と北斎と高井鴻高山の「小布施」を巡りました。

<一日目>須坂

行きのバスの中からレクチャーを受け、これから訪れるところの歴史をレジメで学んで須坂市に到着。
バスの中で漫画『信州須坂藩・堀直虎物語』を読んで、将軍慶喜を叱った男で、女城主直虎と同じ名前の13代須坂藩主・堀直虎のことを知る。

堀直虎は江戸時代末期の大名。若年寄、外国総奉行。信濃須坂藩の第13代藩主。
直虎公は漢学、書道、砲術、洋学、蘭学など勉学に励み、若年寄兼外国総奉行に抜擢される。
しかし慶応4年(1868年)1月3日戊辰戦争(薩長軍と幕府軍の戦い)が始まり、4日慶喜は朝敵となり敗走、8日に江戸城に戻る。江戸城では激論が飛び交う中、将軍慶喜に諌言し、1月17日、江戸城中で自ら腹を切って義に殉じた。享年33。墓所は港区赤坂の種徳寺で、霊廟は須坂興国寺臥竜山腹堂宇。
そしてこの日行ったのが奥田神社:藩祖堀直重と13代藩主堀直虎を祀る神社で、明治14年(1881)旧須坂藩の政庁であった須坂陣屋の跡地に創建された。藩祖が元、奥田だったそうで神社の名前になったようだ。(小さな藩なので城はなく陣屋であった)
又、財政難に喘いでいた藩を陰に陽に支援し、藩から篤く信頼された豪商・田中家の存在を知る。

・先ずは昼食  栗の入ったすしご飯のほか、なかなかに心のこもった豪華な昼食でした。

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・円光寺の太鼓堂 不等辺八角形の平面で、美的・芸術的に優れた楼閣建築です。江戸時代から明治にかけての建物。
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・桜の綺麗な普願寺 あいにく小雨模様でしたが
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田中本家博物館 江戸時代から戦後にかけて、北信濃屈指の豪商。田中姓を名乗り刀を差すことを許され、商人でありながら士分に取り立てられ、幕末期の厳しい時期に、須坂藩の財政の切り盛りをしていた。
地域のため貢献した田中家も1990年代から商売も傾きはじめ、2005年には一等地を売り、本家も博物館となり計20棟の建造物が2003年に国の登録有形文化財となった。
「近世の正倉院」と呼ばれ、約5万点の資料を交代で展示公開している。庭も天明の飢饉で困窮した庶民を救うため京都から庭師を呼んで作らせたという。春夏秋冬の庭がある。
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     南総里見八犬伝の羽子板    田中家の江戸料理
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       雛段                  かるた
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       食器                  漆器
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・寿泉院 
                    国定忠治地蔵
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      改易された福島正則がこの辺りに住んでいた。福島正則公遺跡碑
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奥田神社 ↑の直虎公が祀られる
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・旧上高井郡役所、大正6年の洋風建築 長野県に残る唯一の郡役所でバロック様式の影響を強く受ける。
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・塩屋醸造 元は塩問屋だったが1800年頃から味噌・醤油の醸造業に転向した。頂いた味噌汁が美味しかった。
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・蔵の町
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臥竜公園 臥竜山(471m)の懐にある公園で竜ケ池やカピバラなどがいる動物園がある
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2018年4月 5日 (木)

東海道五十三次歩き18 新居~白須賀~二川(後編)

◆白須賀宿と二川宿の間

・静岡県と愛知県の境にある境川は小さかった

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・遂に静岡県湖西市から愛知県豊橋市に入った。それぞれマークが描かれていた。静岡県は富士山マーク。ここで万歳三唱!
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・一里山の一里塚跡を過ぎる豊橋もキャベツの一大産地、キャベツ畑が広がる
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・コオロギ販売店があったL8円、M7円とあった。但し200匹以上で小売りだそうだ。
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・立岩という岩山が遠くに目立っていた
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●二川宿(33番目の宿)白須賀から5.8㎞ 日本橋から約296.5㎞ 宿の長さは約1.3㎞ 本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠38軒。二川と加宿大岩の2村からなる宿場。

今まで離れていた新幹線をくぐり、東海道線を渡ると二川宿だ。
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二川宿は凄いのだ。各家にこのようなのが置いてある。
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そして草津宿と並び東海道に2ヵ所しか現存しない本陣と、一般庶民が利用した旅籠屋が復元されているのである。江戸時代の商家・駒屋も公開されているのだ。人口では53宿中42番目、旅籠数は36番目で規模は小さかった。藩領になったり幕府領になったりの繰り返し、しかも地震が2回、大火が4回も起きているのだ。まず神社などに立ち寄る。

・豊橋市のマンホールは出港する船と人々が見える

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・十王院の石仏
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・妙泉寺には芭蕉碑があり、春乙桜がきれいな日蓮宗の寺
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・二川八幡神社 1295年鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請された神社で、立派な灯籠2対や秋葉常夜灯があり、奥には各種神社もある。
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・商家「駒屋」(東駒屋)江戸時代後期の商家の建物で無料で見学できる。まだお雛様がたくさん飾ってあった。
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・手筒花火のデザインの消火栓
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・東問屋場跡、脇本陣跡を通り過ぎ、いよいよ資料館を含めた本陣と旅籠屋清明屋の見学で入場料400円。

資料館>は二川宿の説明の他、当時の旅について説明の展示、ジオラマがあり、ワークシート8枚ももらう。凄い力の入れようだ。
この宿全体は間口が狭く奥に長い、京都の町屋のようだ
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旅籠屋清明屋> 1817年に建てられた本陣に隣接した旅籠を解体修理復元している。荷物置き場、土間、台所、客室(繋ぎの間)、奥座敷(上客向け)などがある。
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         旅籠の食事。煮物と魚の一汁二菜か一汁三菜だった。
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<本陣> 東海道の宿場には111軒の本陣があった。伊勢から移住してきた馬場家が経営していた本陣。明治になり味噌、醤油醸造業を行っていたが、豊橋市へ建物が寄贈され、改修復元して公開された。敷地面積525坪、建物は181坪半だったのがその後233坪にもなってとても広い。
門(表、裏)、玄関、 式台(道具、武具を置く)、番所(見張り)、台所、土間、勝手、板の間、茶室。そして立派な大名が泊まった上段の間だ。名前のとおり、一段高くなっており、庭の眺めもよい。お殿様のお風呂やお手洗いも豪華だ。
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その後、高札場の復元、本陣の向かいの東駒屋から分家した西駒屋を眺め、高札場跡と道路元標を見て、前の麩まんじゅうの有名な中原屋に入ったが売り切れであった。

・西問屋場跡の次に大岩町郷蔵跡の石柱があった。郷蔵とは年貢米の共同の備蓄所とのことである。
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・大岩神明宮には牛と馬があった
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・豊橋市の違うデザインのマンホール発見!吉田城(豊橋城)と手筒花火のようだ。
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・二川駅に到着、浜松まで戻り「遠州の夢の夢ポーク弁当」が買えた。遠州産銘柄豚で、花の舞酒造の酒粕をベースにしたみそだれを塗って焼いてある。次回から豊橋から新幹線に乗るので浜松駅弁当はこれで終わり。
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2018年4月 3日 (火)

東海道五十三次歩き18 新居~白須賀~二川(前編)

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3/23(金)小田原方面は雨、白須賀方面は晴れということで、また新幹線ひかりで浜松まで、東海道線に乗って新居駅で下車。前回歩いた宿場はとばして歩き、新居宿の出口あたりから次の白須賀宿、その次の二川宿まで全部で40720歩でした。これだけ歩くとカロリーは約2000㎉いる。そこで饅頭屋さんを当てにしているのに何と金曜日というのに目当ての3軒ともことごとくお休みか売り切れ。持参したバナナやカロリーメイト、エネルギー補給ゼリー、甘納豆などでカロリー不足にあてました。
この日の目当ては太平洋の眺めで何故かはのちほど。他、二川宿にて現存本陣や改修復元の旅籠見学です。舞坂では唯一現存の脇本陣を見、新居では唯一現存の関所や置屋を見て来たばかりでわくわくします。

又、この日は遂に長い静岡県から愛知県に入ったのです。静岡県には22宿あって白須賀が最後。東京、神奈川、静岡、愛知、三重、滋賀の六県を通って53宿あるが、そのうち静岡県が22宿で約40%になる。長かったです!

駅辺りで見かけた私と同じ年くらいの二人組の女性、きっと新居の関所でも見学していたのでしょうか、松並木を過ぎたあたりで追い越されましたがそのスピードは娘の速足と同じです。なんでも北海道からやって来て東海道を5年に渡って歩くそうで、1回が4泊5日とのこと。しかも山ガールスタイルで飛ぶように歩き去って行きました。この日は二川宿の次の吉田宿まで歩くとか。あまり寄り道は多くなさそうですが、世の中には元気な人がいるものよ!

新居宿(22番目の宿)の残り

・種田山頭火の新居駅横の句碑「水のまんなかの道がまっすぐ」 簡単に作れそうでいてそういうわけにはいかない。tona作「幸せは腹と頭からやってくる」・・季語なし。
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・鷲栖院に関所番頭を務めた(1647~57)佐橋甚兵衛の墓。たくさんいたであろう関守の中で何故この人だけの墓があるのか?
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                    墓の横の枝垂れ桜
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・69番目の一里塚を過ぎると棒鼻跡、ここが京方見附に当たる新居宿の西の境。棒鼻とは駕籠の棒先のこと。大名行列が宿場に入るとき、ここで先頭を整えたので言う。
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新居宿から白須賀宿までの間

・風炉の井 ここは橋本宿なのだが、源頼朝が1190年上洛の折、この井戸水を茶の湯に用いたという。
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・紅葉寺跡 同じく宿泊した頼朝の寵愛を受けた長者の娘がのちに出家したお寺で、足利義教が富士遊覧の時に立ち寄り紅葉を鑑賞したのでこの名がついた。今は跡が残るのみ。
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・新居から白須賀の間は花の咲いた松並木あり、広々とした田園風景の中にキャベツ畑がずっと続き、気持ちの良い街道だ。
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・前大納言為家と阿仏尼の歌碑。このあとに立場跡があるが、宿の間の中間点だった。
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・火鎮(ほずみ)神社 家康も祀られている。静岡県では秋葉信仰といい、この火鎮神社といい、いかに火事が恐れられてきたかを実感した。また静岡県には槇の垣根が実に多かったが槇は火災延焼防止の植物という。江戸の火事騒ぎしか時代劇で見ていなが、どこも火事では悩まされたのですね。
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・風車 ゴルフ場の電気を賄っているという。二川宿までずっと風が吹きわたって風の強い地域と実感した。「遠州の空っ風」というそうだ。何と「伊吹おろし」から来ているという。
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・清正公神社 入口が分からなくて探検に行った娘が写真を撮ってきたのをもらった。崩れていてもうすぐ倒れそうだ。
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・一里塚跡と高札立場跡を過ぎると内宮神明神社があってその隣に立派な長屋門があった
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・昼食 港屋食堂で11時15分だけど、この後ないので昼食とする。トラックの運転手さんも入るお店である。
ごはん(小)×2、あさり汁×2、かれい煮魚、どてやき、しらすおろし、白菜漬け。浜名湖の名物と愛知県名物どてやきのミックス。一度にあさりをこんなに食べたことはない!
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・蔵法寺 潮見観音が60年位1回公開。地震の年、備前岡山の池田綱政公が白須賀宿に泊まった時、観音様が夢枕に現れ、「早くここを去れ」と告げられし翌日大津波で宿が流れされたという。
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・潮見坂を登る。かつては坂下の海岸沿いに宿があったが、1707年の地震により現在の坂上に移った。登った所に「おんやど白須賀」がある。温かいお茶を無料で頂戴する。津波の記録や白須賀宿に関する展示があり、中でも素晴らしいのが往時の街道の様子のジオラマだ。白須賀は天領だったそうで地震移転の時幕府からお金が出たそうだ。
又、ここは織田信長が武田勝頼を滅ぼして尾張に帰るとき、徳川家康が茶亭を建てて、信長をもてなした所だ。
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・潮見坂上の展望台から・・・ここは広重の絵の風景で、遠州灘が見える。京都から東に向かって初めて目にする海で(と書いてあったが七里の渡しのことが行ってないのでわからない)、富士山も眺望できたという。明治天皇が初めて東京に行幸された時、ここで休憩されたが、天皇で初めて太平洋をご覧になったという。斉明天皇が和歌山白浜あたりにいらしたのだと思っていたのですが。あるいは熊野行幸で海が見えたのかと思っていました。
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白須賀宿(32番目の宿) 新居から6.5㎞ 日本橋から約289㎞ 宿の長さは約1.5㎞ 本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠27軒。

・白須賀宿が始まる
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・十王堂 閻魔像の脇に十王でなく十二像が並んでいた
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・隣の禮雲寺には弘法大師八十八ヶ所霊場があり巡ってみた。かぶっている帽子や数珠が違い、どなたがお供えしているのか全部にお団子が供えられている。飛んで落ちてしまっているのが多く全部供えなおした。
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本陣、脇本陣跡を通り過ぎ、夏目甕麿邸跡と加納諸平生誕地の石碑が立つ。本居宣長に学んだ親とその子で2人とも有名な国学者だそうだ。

・庚申堂には三猿と四猿が置かれる
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           四猿 右から2番目が行わざる(せざる)だそうだ
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・その北側に役行者が祀られていた
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・白須賀宿の出口あたり。境宿とあり白須賀宿の加宿とか。加宿とは宿場で常備すべき人馬が少ない場合に不足する人馬を補う村や町のこと。
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