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2018年5月 1日 (火)

東海道五十三次歩き20 箱根宿(後編)

◆箱根宿への続き

・石畳みに工夫された斜めの排水路。石畳の谷川の横には縦の排水路もある。説明板によるとこの大きな石畳の下には小石が2段くらい突き固めてあるそうで、手が込んでいる。
ローマ人の石畳はそれより遥か1500年以上も前から造り始められているから恐れ入る。

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・山中のアケビの花
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・橿木坂あたりから長い長い階段が続くのである
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・笈の平の石碑 東国の教化を終えた親鸞がついてきた弟子に、我らが上洛するとこの後誰が東国の門徒を導くのかと心配だから、戻って教化してもらいたいと別れた場所。
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・甘酒茶屋 二子山の麓にあって、茅葺で中には囲炉裏もある。8時半に歩き始めて、12時半に到着した。
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この店の名物の甘酒、みそこんにゃく、力餅(朝ついたといういそべと黒ごまきのこ)が美味しかった。
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その後隣の資料館を見学して、さらに幾つもの名がついた坂を登って行く。

・於玉坂 お玉とは実家が恋しくなって江戸の奉公先を抜け出して関所破りをして、磔刑から減刑で晒し首になった女性の名前。
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・お玉ヶ池はその首を洗ったという池
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・箱根馬子唄碑 「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」
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・お玉観音堂からの二子山。二子山って上二子山と下二子山があって、それぞれが2つの峰を持っている。四子山だったとは!途中見た時二子山なのに4つあって不思議に思っていたので解明できた。
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・芦ノ湖が見えてきた。一気に下って行く。この日石畳で出会った人は逞しい白人の外人さんが多かった。
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・ケンペルとバーニーの碑。ケンペルはドイツの博物学者で箱根の美しさを世界に紹介した人物、バーニーはこの地に別荘を持っていてケンペルの著書から「自然を大切にするように」と引用した碑を立てた英国の貿易商である。
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・芦ノ湖に降りると箱根神社の一の鳥居があり、いきなり人で溢れ、土産物屋や遊覧船に乗リ場など外国人が多い。そこに賽の河原があって石仏がたくさん並んでいた。
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・湖畔に出ると富士山方面には雲がかかっていた
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・桜が丁度満開であった
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・湖畔伝いに箱根神社に向う
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・箱根神社 荘厳な雰囲気
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         平和の鳥居 こちら側から見る鳥居もなかなか素敵だ
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・身代わり地蔵が賽の河原の斜め向かいにある。梶原景季が斬りつけられたとき、身代わりになって守ったそうだ。
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・関所に向かい始めると富士山が見えてきた。右側下の方に平和の鳥居が見える。
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・箱根旧街道杉並木 並木の所に箱根旧街道一里塚跡(24里目)もあった。
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●箱根宿(10番目の宿)小田原宿から16.5㎞、日本橋から101㎞、宿の長さ1.4kmくらいか。本陣6軒、脇本陣1軒、旅籠36軒。

・恩賜箱根公園展望館とそこからの眺め。うっすらとまだ富士山が見えていた。この公園の駐車場辺りから次回通る駒形神社辺りまでが箱根宿だった。
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箱根八里の歌の碑 鳥居忱(まこと)作詞・滝廉太郎作曲(明治34年)懐かしい歌だが「一夫關に当るや 萬夫も開くなし」の意味が当時わからなかった。
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                桜 マメザクラかもしれない
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・公園を出ると右手に箱根関所資料館があり、向こうに復元された箱根関所の江戸口御門が見えてきた。小田原藩から出向した関所役人が特に「出女」を厳しく取り締まった。展示の人形のみ衣服の色や文様、体の特徴が明らかでないためシルエット展示を行っている。
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遠見番所 さすが1800段近く登ってきたので、ここの階段を見て、もううんざり。最後の力を振り絞り登って芦ノ湖を眺めた。眼下には右手上の資料館と関所全体が見え、新居関所とは趣も大いに異なっている。
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                 大番所内の面番所
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                    足軽番所の寝床
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                        厩
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・駅伝を讃えての碑59_450x300
まだ箱根宿の途中だし、東坂は箱根峠まで続くが、バスターミナルに出たので16時40分頃見学を終えバスで小田原に出た。小田原からは上野東京ラインで東京駅へ、地元に戻り例のごとく乾杯した。

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コメント

箱根は3回は行ったと思いますが、この中では
関所だけです。
女性は特に厳しかったという話を思い出しました。
お玉さん、本当にお気の毒でしたね。
男尊女卑の時代といえども・・・

芦ノ湖と、美術館、大涌谷、登山電車など
思い出します。大室山も・・・

投稿: matsubara | 2018年5月 1日 (火) 18:51

★matsubaraさま

私は関所方面は初めてで、いつも強羅方面が多いです。小学校4年生の時1学期間小涌園の新宿区の寮にいまして、あちこち登山もしました。
お玉さんをはじめ数十人という単位で捕まったそうです。
お気の毒な昔の女性です。今の私たちは幸せですね。
美術館関係もたくさんあります。
ここ元箱根には成川美術館がありました。
大室山は伊豆と丹沢(神奈川県と山梨県の境ですね)にありますが両方行かれたのでしょうか。立川からダイヤモンド富士を見るとき丹沢山塊の大室山が見えます。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年5月 1日 (火) 22:08

こんにちは。あの急な階段は覚えています。登りは大変でしたね。お疲れ様でした。富士山が綺麗に見られて良かったですね。湖畔に箱根駅伝ミュージアムがありましたね。

投稿: 多摩NTの住人 | 2018年5月 2日 (水) 08:05

★多摩NTの住人さま

いつも思うのですが中国の泰山でしたか、6千段を中国の方は老いも若きも登って行くのですら、あの映像を観るたびに驚きます。今は半分バス道路が出来たと言っていますが。
それに比べたら箱根は1800段くらいですから。
お陰様でこの日はやっと富士山を拝めました。
富士山側はあと1回で終わります。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年5月 2日 (水) 08:26

tonaさん、おはようございます♪
石畳ってただ石を敷き詰めているだけではないのですね。
昔の人の知恵にはいつも感心させられます。
甘酒茶屋は車で旧道を走る時など、いつも寄っています。
甘酒や力餅、かき氷はよく頂きますが、みそこんにゃくは
食べたことがありません。美味しそうですね。
また、隣の資料館を見学したことはありますが、
於玉坂やお玉ヶ池の事は知りませんでした。
いつか行く機会があったら寄ってみたいと思います。
箱根神社が意外とひっそりとしていますね。
私が行った時は中国人の団体客で溢れていました。
東海道五十三次ではいろいろな宿場町を拝見しましたが、
箱根宿は見覚えのある場所ばかりだったので、
説明を読んでもすぅ~と頭に入りました。

投稿: hiro | 2018年5月 2日 (水) 09:21

「甘酒茶屋」、うまそう、歩いたら歩いただけのご褒美があるのですねえ。

投稿: 佐平次 | 2018年5月 2日 (水) 09:44

★hiroさま こんにちは♪

石畳に排水があったなんて気がつきませんでした。それも斜めにもしつらえていたとは。
甘酒茶屋は殆どの方が車で寄られた方でした。
ここのお餅は搗きたてだったのはご存じだったんですね。美味しいわけですね。
お玉さんは坂の名前の碑まであって、そして首を洗われた池の名前まであって、おまけに観音堂までありました。有名な話だったのですね。

元箱根に着きますとやはり白人も多かったのですが中国人も多く、多分日本人より外国人の方が多かったのではと思います。凄いですね。
私は関所と杉並木は初めてでしたが、思い描いていたのとは違っていましたが、面白かったです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年5月 2日 (水) 15:36

★佐平次さま

今回は石畳をいやというほど登りました。
こんな時は食べるのだけが楽しみだったりしています。
カロリー消耗に餅や団子など昔の人も補っていたのがよくわかりました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年5月 2日 (水) 15:42

箱根は我が家から近いのに意外と行ってないのです。
それでも車で4,5回は行ってると思いますが、歩いてないのでtonaさんのように細かくは覚えてません。

「箱根関所」は2度ほど行ってますが、箱根の関所破りは何十人か居たようですが
関所の責任者が気持ちの優しい人で、殆どの人達を道に迷ったの理由で死を免れたようですね。
箱根関所を当時のままに展示してあったので、当時がよく分かり面白かったです。

1800段も階段を上ってきたのに、遠見番所にも上って上から見下ろしたのですね。
流石tonaさんです。

車でただ通り過ぎるだけで何も分かりませんが、tonaさんが歩いて記事を書いてくれてるので
知らない事を沢山教えて貰っています。
いつもありがとうございます。

投稿: ラッシーママ | 2018年5月 2日 (水) 17:26

2011年11月に箱根へ観光に行ったとき、軟弱ながら箱根神社、箱根関所、甘酒茶屋と車で周りました。箱根関所の遠見番所から芦ノ湖の大観を眺め、箱根旧街道の石畳の道をちょっぴり歩き、甘酒も飲みました。寒い時期だったので温かい甘酒が美味しかったです。また2004年6月に箱根山(神山)へ登った時、粒の小さなハコネザクラのサクランボを試食しましたが、渋みや苦みがなく、美味しかったのを憶えています。

投稿: shikamasonjin | 2018年5月 2日 (水) 20:33

★ラッシーママさま

私も関所破りの人数が江戸時代を通して3けたまで行かなかったことに驚いたのでした。
関所役人は小田原藩からの出向ですが、優しかったのですね。隣の資料館みたいなところでお玉のことなど良く展示されていましたね。

最後の遠見番所の階段を見たときはまだ登るのかとがっくりしましたが、景色がよさそうで頑張りました。駅の階段はもうエスカレーターでしたよ。
箱根八里の歌は中国の故事を歌っていてなかなかにオーバーでありますが、一部雰囲気を味わうことが出来ました。
こちらこそいつもありがとうございます。

投稿: tona | 2018年5月 3日 (木) 08:51

★shikamasonjinさま

箱根神社は身内が結婚式を挙げたところですが、何も覚えていませんでした。ただ冬でしたので凄く寒かったことを覚えています。
甘酒茶屋も囲炉裏が暖かかったことでしょう。今は季節的に火は焚かれていませんでした。
古の旅人にとっては餅や甘酒は力を付ける美味しい食事だったのでしょう。
神山に登られたのですね。
私は小学校4年生の時、1学期間いた小涌園横の新宿区の寮にいましたので、山々を登りましたが、残念ながら何も覚えていません。数年前に登った金時山だけ富士山を仰いで感動しました。
ハコネザクラには実がなるのですか!
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年5月 3日 (木) 09:00

いよいよ東海道一の難所と言われていた箱根路ですね。
私達は箱根路を1泊2日を2回繰り返し、歩きました。
tonaさんの半分のスピードですが、
一番思い出深い路となりました。

坂は下る方が楽とい主張する一人にしたがい、
1日目は元箱根から甘酒茶屋をとおり、畑宿まででした。(これは大失敗)
午前中は土砂降りの雨、午後から歩きだしましたが、石畳を転ばないように、命がけで降りました。
橿木坂、よく覚えてます。
私達の使用したガイド本には、坂があまりに急なので「どんぐりほどの涙をこぼすと言われていた」とありました。
霧に隠れ、下まで見通せない階段もあり、恐い思いをしました
車で通る箱根とは全く違う姿を見て、これが
天下の剣と言われる所以かと納得しました。

箱根の関所、昔何回も行ったことがあるのですが、
20年近く行かなかったらスッカリ立派になって驚きました。
聞くと、関所の図面が発見され、それに従い作り直したそうです。
遠見番所行かなかったです~。

投稿: ☆銀河☆ | 2018年5月 3日 (木) 19:20

★☆銀河☆さま

先日銀河さんの2、3日日後くらいに追いかけて箱根西坂を降りました。拝見しています。同じのをお昼にいただきました。とても参考になりました。
パソコンが直ってから書く予定にしています。
その西坂ですが前日に嵐だったようで、登る時もそうでしたがストックを使って降りました。滑って転ばないように細心の注意を払いました。
霧に隠れてとは、まさに箱根八里の歌の世界ですね。怖かったでしょう。箱根はよく霧が出るのですね。命がけというのもよくわかります。
箱根の関所も杉並木もまったく初めてでしたので興味深かったです。
関所は最近復元されたそうですね。とても様子がよくわかりました。
やっぱり東海道で一番の難所ということがよくわかりました。登りも下りも雨の翌日だったのでひやひやでしたが、雨だったというお話を聞いて凄い体験と行って見て銀河さんのことを思ったのでした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年5月 3日 (木) 21:04

その後PCは回復しましたか?
この記事にコメント入れたはずなのに入っていなくて慌てました。
私もボケたかしら?と心配になりました。

マイテリトリーの箱根は息子が赤ん坊の頃から毎年通っていましたから、どこもかしこも思い出が残っています。
夫が亡くなった8ケ月前の2013年の12月に、この甘酒茶屋とお玉ヶ池を車で巡りました。
甘酒茶屋には赤い吊るし柿がぶら下がり、写真の題材としては絵になりカメラを向けたものです。
夫が亡くなった2014年の8月も息子一家との箱根旅行が決まっていたのに、実現できず残念でした(涙)
その後山仲間やワンゲルでも歩きつくして、どこも思い出がいっぱいの箱根です。

小田原宿も読ませていただき、ワンゲルで一月に歩いたコースとダブりました。
tonaさんのお元気さとフットワークの良さに刺激を受けて、私も負けじと歩いて、そしてブログにUPせねばと反省です。
何とか頑張りますね。

投稿: nao♪ | 2018年5月 8日 (火) 19:22

★nao♪さま

せっかくコメント入れていただいたのに、すみません。こちらのPCがいかれたせいかもしれません。やっと復活。でも今年いっぱい持つか怪しいです。

甘酒茶屋は次から次へと車で来た方たちが入ってきました。有名な所だったのですね。歩かなかったら一生知らなかったです。お玉さんのこともそうでした。
茶屋の吊るし柿ということは秋にいらしたのですね。風情があり、さすが写真を撮られる方の目線、素晴らしいです。
双子山はいつもよそから目立つ山で眺めることの多い山ですが、麓にはいろいろあったのですね。
nao♪さんは箱根にたくさんいらしていますが、ワンゲルで歩かれた道も何処やらさっぱりわかりませんでした。
自分でも歩いてみてコースがいろいろある中のほんのちょっぴり歩いているに過ぎないのがよくわかります。
歩くのはやっぱり体に良いみたい。怠ると足にも弱りが出て来るみたいです。頑張りましょうね。ありがとうございます。

投稿: tona | 2018年5月 9日 (水) 09:27

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