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2018年5月12日 (土)

東海道五十三次歩き21&1-2 箱根~三島~沼津(後編)

◆箱根宿から三島宿までの間の続き

・山中城跡は小田原に本城のあった北条氏が西の要として永禄年間(1558~1570)に築城した中世最末期の山城であったが、1590年に秀吉によって一日で落城したと伝えられる。北の丸、本丸、二の丸、三の丸、西ノ丸、岱崎(だいさき)出丸などの曲輪、架橋、箱井戸跡など400年前の遺構が復元されている山城は全国的にも珍しい。箱根山の自然の地形を巧みに利用している。障子掘や畝掘が発見され、水のない空堀の底に畝を残し、敵兵の行動を阻害するという北条流築城術の特徴を示すものとしても注目されている。

北の丸 真ん中右の白い群生はトキワハゼ。城跡の中のあちこちに咲いていた。19_450x300
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                                 西ノ丸、櫓台 ツツジがきれい
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                                             障子掘
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                                          西櫓から愛鷹山 
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                                 同じ西櫓から富士山見えず
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                                                 畝掘
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                                                     藤 
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                                            田尻の池
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山中城跡売店で昼食 名物の寒ざらし団子とおにぎり これから歩くのには力が出る食べ物ではある。白い方は抹茶塩で、草団子の方は味噌だれでとても美味しい。おばあさんが1人でやっているのだ。
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三ノ丸にある宗閑寺境内には山中城将の墓。隣には豊臣方の墓もある。
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芝切地蔵が収まるお堂の境内にある虫歯地蔵が本当に歯が痛そうでそれでいて可愛い。
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道路を挟んで岱崎出丸がある。秀吉の小田原征伐に備え急ぎ増築された曲輪。古くは御馬場跡であった。
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菊池千本槍の碑 南北朝時代この辺りにあった合戦で竹に短剣をくくりつけた槍が使われた。それで槍発祥の地と言われる。
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石畳をまた下って行くと国道に出、道路越しに芭蕉句碑を見て、また石畳。そこにキンランが数本咲いてた。
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国道に出てスカイウォークの隣を歩いた。たくさんの車で埋まっていたが、この日は富士山が見えないもよう。
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                       視界が開けてきたが、まだまだ三島市の方は遠い3611_450x157
        笹原新田の笹原一里塚(27里目)そばに大岡信の箱根八里記念碑あり
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こわめし坂の所の一柳院には、秀吉の山中城攻めで討ち死にした家臣の一柳直末の胴体を葬ったという。宗閑寺にお墓があったのにここにも。六地蔵、馬頭観音などもあった。
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三ツ谷新田に入ると、朝鮮通信使や徳川家茂や慶喜の寺本陣になった松雲寺には明治天皇が座って富士山を眺めたという石もあった。
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                             次の市ノ山新田には13体の六地蔵がある
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              最後の塚原新田に入ると普門庵にはいろいろな石造物がある
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箱根路と彫られた石。西から来た人はいよいよここから箱根へ向かうのだという覚悟というか感慨は一入だったことでしょう。
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  錦田一里塚(43里目)は国道を挟んで左右両方の塚が昔のまま残っている
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最後の方は殆ど坂とは言えないこの石畳が延々と続いて、もう石畳は結構という気分で歩く。
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線路を渡るといよいよ坂が終わって三島の町。宝鏡院には足利義詮の塚があるらしいが見つからず、少し先が三島宿東見附跡。
           その先にある妙行寺の狛犬が巨大で今まで見た中で一番大きい
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三嶋大社に到着し、福太郎茶屋で福太郎餅2個と愛鷹山麓で作られた沼津茶をいただく。とても美味しい。
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                                     三島市のマンホール
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この後三島宿から沼津宿入口まで歩いたのは第1回(バスツアー)の項にほぼ重なる。
http://maplesyrup.tea-nifty.com/365/2015/05/post-829c.html

●三島宿(11番目の宿)箱根宿から14.8km、日本橋から約115.5㎞、宿の長さ約2㎞。本陣2軒、脇本陣3軒、旅籠74軒。

・八幡神社に頼朝・義経の対面石の所にねじれた柿の木があったが、これらの事にまつわるお菓子を買った。「源氏双柿」と「黄瀬川対面石最中」です。
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●沼津宿(12番目の宿)三島宿から5.9㎞。日本橋から 宿の長さ  本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠55軒。 

今回でやっと日本橋から愛知県の二川宿までつながりました。あと20宿もあって、まだまだ先が長いというか楽しみというか、歩き通したいという気持ちでいっぱいです。

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コメント

山中城址のツツジは満開になると素晴らしい光景になるのでしょうね。
櫓台や堀の斜面のツツジ群はお互いが重ならないように見えるでしょうから
一面がツツジの花色で覆われますね。
ここはツツジの名所になっている、或いは、なるのではないかなと思いました。

山中城址は戦国時代の山城なのですね。
そちらにいるころにはこの城のことを知りませんでした。
行ってみたいですよ。

投稿: Saas-Feeの風 | 2018年5月12日 (土) 15:53

★Saas-Feeの風さま

山中城址は櫓が再現されているわけではないですが、一面芝生で雑草もなく、ツツジや藤がきれいで、また富士山の絶景スポットであって、素晴らしい城址でした。
ツツジの頃に行くのが最高ですね。
素晴らしい山城でいろいろな工夫がされていて、特に堀、障子掘や畝掘には感心しました。それを秀吉が一日で滅ぼしてしまったというのが驚きでもあります。
車ですと簡単に行けますね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年5月12日 (土) 16:48

こんにちは。日本橋から二川までつながったのですね。あと20宿、頑張って下さい。

投稿: 多摩NTの住人 | 2018年5月12日 (土) 19:45

★多摩NTの住人さま

こちらにも続いてコメントありがとうございました。
この回はつなげるために歯を食いしばって5万歩以上も歩いてしまいました。
つながって凄く嬉しかったです。
だんだん遠くなりますので往復に時間を取られて見聞もしなくてはならず、歩く距離は少なくなりそうです。頑張ります。

投稿: tona | 2018年5月12日 (土) 20:04

箱根ー三島ー沼津と、距離を稼ぐ旅ですね~
山中城も行ってませんので、新しいことばかりです。
ウオーキングの愉しみは、地域に咲く花々。
そして山野草に出逢うことが、最も嬉しいです。
昔は雑草とバカにして通り過ぎたのに、今はつい足が止まりますね。
曲輪は、城防護の作りのことでしょうか。
岱地出丸は千本槍発祥の地ですか。分かりやすいです♪

途中で食べる地場のお菓子や饅頭が、何よりのご馳走ですね(^^♪
お茶に合うものが良いです~

投稿: だんだん | 2018年5月13日 (日) 10:56

★だんだんさま

街道歩きをしているのに、春になってからはついつい花の方に顔が向いて、植物観察会風になりそうで、引き締めて街道観察に顔を向けるべく戻しています。
山中城は5月がツツジの名所みたいでよさそうですが、冬の方が富士山がばっちりだと思われました。なかなか素敵な所でした。
曲輪はそのようですよ。中に門や塀や櫓が建てられていたのですね。
菊池千本槍の碑は岱崎出丸から少し降りた街道沿いにありました。ですからほぼ同じ場所ですね。
昔の人は途中の茶屋の餅や餡菓子で力を付けたと思います。肉などのタンパク質より糖分は歩くのに力が出たのでしょう。まあ、おかずは木賃宿の夜ご飯にちょっぴり食べられれば良かったかもしれません。江戸時代の宿の食べ物がそういえば二川宿で展示されていました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年5月13日 (日) 16:43

tonaさん、こんばんは~♪
山中城跡はまだ行ったことがありませんが、
tonaさんの詳しい説明でよくわかりました。
それにしても綺麗に整備された城跡ですね。
造形的にも美しいし、櫓台や 障子掘のツツジも綺麗です。
名物の寒ざらし団子とおにぎりも美味しそうですね。
力が出たのではないでしょうか。
苔むしたお墓も歴史が感じられますね。
虫歯地蔵はユニークで面白いです。
キンランはギンランに比べ花がふっくらとした感じがしますね。
まだ見たことがないので、一度見てみたいです。

日本橋から愛知県の二川宿まで繋がったのですね。
素晴らしいです。残り20宿も頑張ってくださいね。

投稿: hiro | 2018年5月13日 (日) 19:28

こんばんは
 
箱根の山のふもと近くに山中城というお城があったのですね。
全然知りませんでした。自然の地形を生かした堀が作られ、
それも堀の底に畝を残す形というのはこれまで見たことのなかった形です。
花を植え城跡を公園として綺麗に整備して残しているのですね。
城跡は、詳しい人が見ると堀やいろいろな建物など、ありありと
見えてくるものらしいです。私は実物がないとどうもうまく思い描けませんが
(わが市内の大庭城址公園内を歩いてもさっぱりわかりません)
こちらは結構分かりやすいように感じました。良いもの見せていただきました。
敵味方に分かれて戦い戦死した兵士たちが、どちらも同じように
慰霊されているのですね。
 
5万歩を超える距離で、しかも歩きづらい長い石畳の道、お疲れさまでした。

投稿: ポージィ | 2018年5月13日 (日) 21:07

★hiroさま こんばんは♪

こんなにきれいな城址は初めてです。そしてとても広いのに全部整備されていて驚きました。雑草一つ生えていないのですから。トキワハゼは雑草と言えるでしょうが。
堀の畝は見事ですね。北条氏はすごかったのですが、秀吉にはやられてしまいました。
はい、ここのお店の団子とおにぎりの美味しかったこと。歩き通せたのもこれを食べたことが良かったのかもと思いました。
虫歯地蔵は今まで見た地蔵さまで一番ユニークで面白く拝見しました。
この日は他でもキンランを見ました。丁度咲き頃だったのですね。いつかきっと低い山で見られると思います。
残り20宿頑張りたいです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年5月13日 (日) 22:05

★ポージィさま こんばんは♪

私も山中城のことを初めて知りました。箱根峠から約4km下ったところにあり、標高も580mもあり、三島まではこの後、9.2kmもありました。
今はツツジと藤が咲いていましたが紫陽花もあるようでした。
確かに建物が殆ど復元されていませんから(小さな兵糧庫だけはありました)、想像できないのですが、堀などを見ますと何となく~の丸と書かれている場所と照らし合わせて建物を想像し、そこに住んでいる北条氏の家来たちを思いました。
私は大庭城址公園にまだ行っていないのです。あの辺り大庭氏が治めていたのですね。歴史も勉強しないままです。
またまた5万歩を越えて少々疲れましたが、愛知県につなげたいという意地で頑張りました。
もうこんなことは出来ません。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年5月13日 (日) 22:21

東海道53宿は、岐阜にはありません。
中山道の宿はあちこちにあり、これを研究して
いる人もあり縁を感じますが・・・
こういうことであまり訪ねていません。
いかに知らないかがよく分かりました。
これからも教えて下さい。

投稿: matsubara | 2018年5月14日 (月) 09:23

★matsubaraさま

東海道がまだ終わらないのに、次回は草津の方から中山道を歩きたいと言っています。
歩いている方のブログなどを見ますと、岐阜県が随分あってそれから長野県に入って行くのですね。
東海道も日本橋当たりは知っていたつもりが結構知らず、神奈川、静岡と随分勉強出来た思っていますが、まだまだとば口です。
万葉集を研究されていらっしゃると、その奥の深いことが伝わってまいります。それと同じで歴史もさわりさえも知らないことに気がついた次第です。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年5月14日 (月) 12:49

群雄割拠の戦国時代には、いわゆる山城なる、天守閣などの建造物のない
自然の地形を利用したものが多く、その遺跡は城址公園などとしてたくさん見受けられます。
 畝掘はよく見かけます。お金のない地方の豪族君主は自然の川などを掘として利用し、山の断崖を城壁としてし自然の山を城として有事に備えていた。
 障子堀は初めて見ました。なるほどこんなものだったのですね。
山中城址は有名ですね。
両方の堀が見られるのは少ないと思います。

郷にも川と断崖を利用した山城の跡が史跡、城址公園として、桜の名所となっています。

投稿: 夢閑人 | 2018年5月14日 (月) 17:16

★夢閑人さま

私は有名なお城にいくつか行きましたが、竹田城や鳥取城など山城のようでした。
でもこんな堀は見ませんでした。
北条氏のこの障子堀は珍しいですね。
しかしよくこんな標高600m近い山の地形を利用して造ったものです。山の断崖が城壁だったのですね。
とても大変な建造物造りだったでしょう。
「西郷どん」でも鹿児島の風景が出てきますが、昔旅行したとき城址公園に行ったかどうかは覚えていませんが磯庭園には行きました。
城山は西南戦争のときに切腹したところだったのですよね。山城だったのですね。洞窟もあったようです。
桜の名所となった城山公園、もう一度行きたいです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年5月14日 (月) 19:17

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