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2018年5月29日 (火)

三陸応援企画の「絆」で結ぶ三陸海岸絶景の旅(後編)

<2日目>午後から

宮古市の浄土ヶ浜 
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宮沢賢治の歌碑「うるはしの 海のビロード昆布らは 寂光のはまに敷かれひかりぬ」1917年(大正6年)7月賢治21歳
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40分間乗った浄土ヶ浜周遊の遊覧船から
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宮古市田老で語り部から当時の様子などを、残された津波遺構の「たろう観光ホテル」で聞く。このホテルの社長が襲ってくる津波を6階から撮影しながら、ここから人々に早く逃げるように叫んでいたという。そのビデオを見せていただく。ホテルは2階までは鉄骨だけになっている。田老はマグネチュード9.0、最大波高16m、死者行方不明者181人(うち行方不明41人)、罹災戸数1691戸、漁船流出855隻。
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                  昭和の防潮堤
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田老の三王岩
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           2日目の夕食 このホテルはバイキングでした
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                     3日目の朝食
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<3日目>晴

三陸鉄道・南リアス線の吉浜駅から恋し浜駅まで乗る
                 吉浜駅と途中の景色
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             恋し浜駅の自販機とポストはピンク
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大船渡市末崎半島の東南端6㎞を碁石海岸という。(天然記念物指定)三陸ジオパークのジオサイトとなっている。
穴通磯(あなとおしいそ)は3つの洞門を持つ奇岩で小型観光船で穴をくぐることが出来るそうだ
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左の雷岩と乱曝谷 雷にも似た音がするので「残したい日本の音風景百選」に選ばれている
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          中央左が女島・男島、右下が海馬島(とどしま)
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陸前高田市の奇跡の一本松
350年以上の松、7万本もあった松のうちたった1本だけ残ったが、それもついに枯死し、幹の部分を貼り付けて残し、葉はレプリカで1億円以上かかったそうだ。
何故これだけが残ったかは28mもあって上の方の枝があり引っかかって流されなかったことと、写真でも見える後ろの建物があったお蔭だそうだ。こうした形で残すことにいろいろな意見もあったようですが、残ったたった7万分の1本の奇跡の象徴として多くの人々の記憶の中に刻み込まれることでしょう。また残った松ぼっくりから新しい苗も育っているそうです。
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                    残った松の根
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この山を削り取ってかさ上げした
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今回はたくさん買った土産であるが、面白いネーミングのお菓子は我が家用。「ぶすのこぶ」、やはり餡菓子です。すぐ口に入ってしまって、包み紙も見ないでなくなり、どこで買った銘菓かわからなくなってしまった ( ̄▽ ̄;)!!ガーン
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2018年5月27日 (日)

三陸応援企画の「絆」で結ぶ三陸海岸絶景の旅(前編)

初めて三陸海岸(岩手県のみ)に2泊3日でツアーで,久慈から陸前高田、大船渡まで行ってきました。リアス式海岸の絶景と震災から7年の傷跡と復興状態の説明を受けながら見てきました。当時の惨状は殆ど消えていて、海岸線は巨大な防波堤が続き、今まだ造り続けけられています。山を削って土地のかさ上げが終わった所へ移転し、もう仮設住宅には殆ど住んでいないそうです。
義捐金を赤十字を通じて出しただけで、現地へのボランティアにも行かず、どちらかというと福島のプラス原発事故の方に心が向いていました。
こうした企画の旅行に4年前に参加した人が協力したとして自分の名前が刻まれていると写真に撮っていました。
兎に角原発だけでなく、津波の恐ろしさを目のあたりに見せてくれた東日本大震災と同じような地震が東京にも近いうちに来るというし、南海トラフ地震も、そして富士山大爆発の事も伝えられて、日本の人口の多くが密集していることを考えても災害の大きさは計り知れない。人口が多すぎて助けてもらえない可能性が大です。
いろいろな戦争を体験した人たちはもう多くが亡くなったか、体が弱ったりで、その知恵さえも聞くことが出来ません。対処すべき手段も乏しく、今の準備では数日も持ちこたえられない。結構、この点に関してだけ能天気で自分が生きている間は起らないのではと高を括っているところがあります。いろいろ考えさせられ反省させられもしました。
東北太平洋側沿岸の人々はよく頑張った。福島の人は帰還解除になっても町や村が死んでしまって、お気の毒という言葉しか出ません。
行っているときに市場の中のホタテコーナーは貝毒発生で発売中止。ホタテの養殖がせっかく軌道に乗ったのにまたまた生活の手段を奪われて。

<1日目>快晴

             盛岡駅に着くと岩手山が出迎えてくれる

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             琥珀で有名な久慈に向かっている
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               久慈の秋祭りの山車は素晴らしい
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3つの店で買い物をし、あまちゃんハウスを見学し、この日の観光が始まったのは、久慈駅から普代駅まで三陸鉄道北アリス線に乗り込んだ午後3時過ぎです。
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車内では海女ガイドの案内で色々な説明受けつつ40分があっという間に過ぎました。
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                     車窓からの景色
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             漁港(サッパ船でしょうか)も復活しています
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景勝地の北山崎
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一番遠くに薄く見えるのが、本州最東端の魹ヶ崎(とどがさき)。やませが来はじめたようだ。9_450x300
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                 番屋が新しくなっていた
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番屋の上の方の津波到達点 いろいろな所で聞くと津波の高さは10数mから30数mと幅があったのです。あの恐ろしい津波の映像が何時も目に浮かびますが、こんなところまで水が襲ってくるのを、実際に立ってみると身震いします。
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                       海岸
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                       夕食
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朝食 夕食もそうですがいつもの倍くらい食べているような感じです
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<2日目>快晴

宿のすぐそばの龍泉洞へ 気温15℃、洞内気温10℃ 日本三大鍾乳洞のひとつというが、つい秋芳洞と比較して感動が少なかった。
                      地底湖
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                     地蔵岩
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                  龍泉洞入り口付近
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                       昼食
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2018年5月23日 (水)

東海道五十三次歩き22 二川宿~吉田宿~国府(後編)

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●吉田宿の続き

・吉田城の跡地・豊橋公園に入り、吉田城跡へ向かう。
吉田城は1505年に築城されたが、今川、武田、徳川のあと1590年池田輝政が入封し、関ケ原の戦いの後は次々と城主が変わった。明治に廃城後は地震火事で焼失。現在は昭和29年再建の鉄櫓があり中の資料室が無料で見られ、歴史や町の紹介、浮世絵などが展示されている。
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                                  城から豊川を望む景色が美しい
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                                              石垣の残り
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            金柑丸跡に弥健神社があり、大きな神武天皇像が立っている。
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・公園を出て、国指定の重要文化財ハリストス正教会の建物を見る。大正2年の建物。
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・隣の安久美神戸神明社は鬼祭(国重要無形民俗文化財・2/10,11)で有名。赤鬼の迫力あること。宮司さんが照明を付けて見せてくれました。
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・日進院には100体の満願石仏がある。どれも欲張って成就したく、食欲増進にも気が引かれるけれども、健康と呆け封じの石仏に祈りました。
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・二川宿にもあったが、この辺りにも普通の家に手筒花火が置かれている。
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・西総門(復元されたもの)。ここで吉田宿が終わる。
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◆吉田宿から国府までの間

・芭蕉句碑を通り過ぎ、湊明明社に入ると奥には弁天神社がある。池があると美しい。

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・豊橋を渡る
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・豊川稲荷遥拝所(この日の到達点国府から4つ目の終点にあるが、行かれなかったのでここで遥拝)
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・聖眼寺の芭蕉句碑、芭蕉がここで詠んだという。ここは家康が吉田城を攻略した際、本陣を置いた寺。
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・下地一里塚(74里目)を通り過ぎると昔の家をしばしば見かける。まだ住んでいる家も多い。住むには不便でしょうが見る側にとっては風情があってなぜか懐かしい。
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・瓜郷遺跡 弥生時代中期から古墳時代前期の集落の跡だそうで、国指定史跡だ。農耕、漁労、狩猟が行われていたとう。竪穴住居が復元されている。中学生頃登呂遺跡に神奈川県から遠足に行ったことを思い出した。
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         チガヤと思われるが、今年はチガヤも早いです。
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・豊川市に入り豊川放水路を渡る。
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兎足(うたり)神社へ。ここは徐福伝説でも有名だ。
今はない「子だが橋」と兎足神社にまつわる話が伝わる。千年前、兎足人社には人身御供があり、春の大祭の初日にこの街道を最初に通る若い女性を生贄にした。ある年、ある父母が見た最初の女性が我が子であった。とても迷ったが「子だが止むを得ん」とわが子を生贄にして神に奉った。そこから「子だが橋」と名が付けられたという。
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・明光寺には、また八十八カ所巡りがあった。この間の所ではお団子が全部に供えられていた。三面の馬頭観音発見するのがこの辺りの楽しみになった。ここでも発見。
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・伊奈村立場茶屋(俗称:茶屋本陣跡)。吉田宿と御油宿の中間にあたりに立場が設けられた。このあたりの地名を茶屋という。
芭蕉の句碑と鳥巣の句碑がある。このあたりは芭蕉の句碑が多い。芭蕉ファンにとってはたまらない処でしょう。
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・迦具土神社、伊奈一里塚跡(75里目)を通り過ぎ、速須佐之男神社へ。何故か二宮金次郎の像があった。
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・ 半僧坊大権現の小社がのった石柱が珍しい。 後醍醐天皇の皇子「無文元選禅師」が開いた静岡県浜松市にある方広寺が半僧坊の本元。『厄難消除・海上等交通の安全・火災消除・諸願満足の権現様』として信仰を集めている。鎌倉建長寺の鎮守にもなっている。
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名鉄国府駅へと向かう。豊橋行きの特急が来てきて、7分間で今日一日歩いた所を通過して豊橋に到着。
豊橋には殆ど停車しないひかりに乗れそうだったので慌てて売り切れ続出の残りのお弁当を買い乗車したら座れた。稲荷弁当と娘のおかずのある弁当と分けあって食べる。
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2018年5月18日 (金)

東海道五十三次歩き22 二川宿~吉田宿~国府(前編)

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5/10(木)この日新幹線で豊橋まで行き、東海道線で一駅前の二川駅に戻りました。遠くなって国分寺5:33の電車です。
二川宿から吉田宿(豊橋)を経て、ここからは東海道線と離れ、東海道は名鉄線沿いとなるので、名鉄の駅の伊奈駅、小田渕駅、国府(こう)駅まで歩いて、国府駅から豊橋駅に戻り、たまたま殆ど豊橋には停まらない新幹線ひかりに乗れたので、東京駅には比較的早く到着。中央線が人身事故ですんなり乗れなかったのが残念でありましたが、午後に10時前には帰り着きました。48439歩。階段870段。

◆二川宿から吉田宿までの間

岩屋観音を見るために岩屋山古道の方を歩いて岩屋緑地に入り観音様と展望台に登ってから、東海道へと降りて行った。

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・小淵志ち銅像 群馬県生まれの志ちが伊勢へ向かう途中、二川に立ち寄り、ここの玉繭から製糸法に成功し、工場を創業。昭和初期には二川・豊橋はは全国生産の半数を占めたという。この方は富岡製糸場で技術を学んだのであろうか?
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・岩屋観音は730年に行基がこの地を訪れたとき、千手観音像を刻んで岩穴に安置したことに始まる。
聖観音立像は岩屋山山頂に1754年建立された。昭和19年(1944)、戦争で金属供出され、戦後昭和25年に再建された。

      鯖弘法大師像  有名な大師と鯖のお話。左手に鯖を持ったお姿。
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                     石像群
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                     岩屋観音堂
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              登って行くといろいろな石像が現れる
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              観音への道は険しく鎖を伝って登って行く
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            向こうの山に展望台があり、この後登った。
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・展望台への階段は256段。観音様の所と同じ展望を楽しむ。
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                東海道に戻るとブラシノキが満開
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・面影のない飯村一里塚を過ぎ、しばらく行くと疝気の神様を祭る白山神社がある。
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・河原地蔵尊 一番左側の石像は三面の馬頭観音ようだ
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・寿泉寺の立派な門と三重塔
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・東三河にも立派な秋葉山常夜灯がある
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●吉田宿(34番目の宿)二川宿から6.1㎞、日本橋から約304㎞、宿の長さ約2㎞位か、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠65軒。
 吉田が豊橋に改称したのは明治維新で吉田藩が消滅した明治2年。しかし鍛冶町、呉服町、札木町など町名がいくつか残っている。吉田宿は豊橋市のほぼ中心部にあたる。空襲でやられてここも江戸時代の遺構は殆ど残っていない。

・東総門跡(模型)が吉田宿の東の入口。江戸時代には番所があって午前6時から午後10時まで通行できた。
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・城下町特有の曲尺手(かねんて)。鉤型に左折、右折を繰り返している。
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・マンホール 公会堂、市電、市の花のツツジがデザインされている豊橋市の別バージョン。
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・札木 市電の駅 この辺りが宿の中心であった
1925年(大正14)以来走る路面電車には色々な広告がデザインされ5台くらい見たであろうか。
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・問屋場跡の道路の先には本陣跡の碑が建つ
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・きく宗 文政年間(1818~30)創業の老舗で「菜飯田楽」一筋の店。
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こんがり焼いた自家製豆腐に秘伝の味噌を塗った田楽と、茹でた大根の葉をご飯に混ぜた菜飯、お吸い物、漬物と、あとで黍団子が出てきた。味噌は豆味噌で、ここ豊橋・東三河は東西食文化の境界と言われる。鰻も関東風の「背開き」「蒸し」と関西風の「腹開き」「焼き」が共存しているそうだ。
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若松園 井上靖の『しろばんば』に出てくる和菓子屋。それは黄色いゼリーでとても高価である。バラ売り無しであきらめる。
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・手筒花火発祥の地という吉田神社(明治時代は百花園という花畑と料亭があった)に寄り、横断歩道の上から吉田大橋を見る。
  吉田大橋は広重の絵では豊川橋となっている。橋上には大名行列が描かれ、豊川東岸の吉田城には足場が組まれ普請の様子が描かれている。幕府の直轄橋で矢作橋(愛知県岡崎市)と瀬田の唐橋(滋賀県大津市)とともに東海道三大橋のひとつ。
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この後、いよいよ吉田城へ

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2018年5月14日 (月)

三代将軍家光遺愛の松(盆栽)とバラの鑑賞(都立園芸高校)

世田谷ウォーキングで開催された都立園芸高校訪問に参加しました。

駒沢公園オリンピック記念塔の前に集合 出発してここに戻るまで約3.5㎞
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深沢の園芸高校に到着すると、正門から本館までイチョウ並木が続いている。大正元年(1912)に植えられたとのことで樹齢は90余年になる。本館側から撮影。
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正門の脇に「兎々呂城」の石碑が建っている。
調べてみると、園芸高校の所に兎々呂城があったそうだ。城主は南条右京亮重長公。南条家は小田原北条家の家臣で、国府台合戦において戦功を上げた事から、この領地を与えられたと言わる。この「兎々呂城」は「城」を「キ」と読み「トドロキ」と読んだのではないかといい、それが現在の「等々力」という地名になったという説もあるようです。
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ハナミズキ(別名アメリカヤマボウシ)
大正元年、当時の東京市長・尾崎行雄氏から3000本の桜はワシントンに贈られ、今もポトマック河畔に咲いている。(以前行ったときは花の咲くのが遅くて咲いてなかったのが今でも残念)その返礼として大正4年に白花のハナミズキが40本東京市に贈られ、そのうちの2本が園芸高校に植えられた。他のは全部絶えたが、ここの1本だけが今も花を咲かせている。咲いたらすぐ花柄を摘み取るという作業が行われるそうだ。
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三代将軍家光遺愛のゴヨウマツ。全部で3鉢あるそうだが、園芸高校には2鉢、皇居に1鉢あるそうだ。
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下から幹を写すとこんなに太く普通の松の幹と勘違いしそうだ。樹齢500年とのこと。植木鉢の中の根はとぐろを巻いている凄い状態なのでしょう。こんなに圧縮されても生きている姿は感動ものです。
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     風雨の時などはレールに沿って奥の小屋に避難できるようになっている
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この学校ではゾウガメが飼われている。
名前はきんさん、ぎんさん。長寿で今世界で一番長寿のゾウガメは200歳とか。
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バラ園 
昭和8年本校卒業の鈴木省三氏(京成バラ園芸所長だった、バラの育種家)より寄贈されたバラが植えられている。
昭和63年(1988)に設けられ、バラの品種の歴史を系統的に学べる日本で唯一のバラ園。原種・古代バラが88種168株、現代バラが約120種425株植えられている。
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                     マチルダ450x300_11
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    原種の方はもう殆ど咲き終わっていた。早く咲き開花期も短いそうだ。
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                山椒バラ」が一輪のみ残る
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地図で見ると、駒沢公園の約4分の1の敷地を持ち、東京ドーム2つ分の広さの当校には、イギリス式庭園とフランス式庭園もあり、外部には玉川果樹園や伊豆下田農場もあるそうだ。
教室内にいる生徒は見えないが、盆栽の実習をしている生徒を見かけた。
曰くのある植物やちょっと満開を過ぎたバラを見られて大満足でした。

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2018年5月12日 (土)

東海道五十三次歩き21&1-2 箱根~三島~沼津(後編)

◆箱根宿から三島宿までの間の続き

・山中城跡は小田原に本城のあった北条氏が西の要として永禄年間(1558~1570)に築城した中世最末期の山城であったが、1590年に秀吉によって一日で落城したと伝えられる。北の丸、本丸、二の丸、三の丸、西ノ丸、岱崎(だいさき)出丸などの曲輪、架橋、箱井戸跡など400年前の遺構が復元されている山城は全国的にも珍しい。箱根山の自然の地形を巧みに利用している。障子掘や畝掘が発見され、水のない空堀の底に畝を残し、敵兵の行動を阻害するという北条流築城術の特徴を示すものとしても注目されている。

北の丸 真ん中右の白い群生はトキワハゼ。城跡の中のあちこちに咲いていた。19_450x300
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                                 西ノ丸、櫓台 ツツジがきれい
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                                             障子掘
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                                          西櫓から愛鷹山 
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                                 同じ西櫓から富士山見えず
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                                                 畝掘
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                                                     藤 
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                                            田尻の池
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山中城跡売店で昼食 名物の寒ざらし団子とおにぎり これから歩くのには力が出る食べ物ではある。白い方は抹茶塩で、草団子の方は味噌だれでとても美味しい。おばあさんが1人でやっているのだ。
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三ノ丸にある宗閑寺境内には山中城将の墓。隣には豊臣方の墓もある。
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芝切地蔵が収まるお堂の境内にある虫歯地蔵が本当に歯が痛そうでそれでいて可愛い。
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道路を挟んで岱崎出丸がある。秀吉の小田原征伐に備え急ぎ増築された曲輪。古くは御馬場跡であった。
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菊池千本槍の碑 南北朝時代この辺りにあった合戦で竹に短剣をくくりつけた槍が使われた。それで槍発祥の地と言われる。
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石畳をまた下って行くと国道に出、道路越しに芭蕉句碑を見て、また石畳。そこにキンランが数本咲いてた。
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国道に出てスカイウォークの隣を歩いた。たくさんの車で埋まっていたが、この日は富士山が見えないもよう。
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                       視界が開けてきたが、まだまだ三島市の方は遠い3611_450x157
        笹原新田の笹原一里塚(27里目)そばに大岡信の箱根八里記念碑あり
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こわめし坂の所の一柳院には、秀吉の山中城攻めで討ち死にした家臣の一柳直末の胴体を葬ったという。宗閑寺にお墓があったのにここにも。六地蔵、馬頭観音などもあった。
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三ツ谷新田に入ると、朝鮮通信使や徳川家茂や慶喜の寺本陣になった松雲寺には明治天皇が座って富士山を眺めたという石もあった。
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                             次の市ノ山新田には13体の六地蔵がある
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              最後の塚原新田に入ると普門庵にはいろいろな石造物がある
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箱根路と彫られた石。西から来た人はいよいよここから箱根へ向かうのだという覚悟というか感慨は一入だったことでしょう。
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  錦田一里塚(43里目)は国道を挟んで左右両方の塚が昔のまま残っている
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最後の方は殆ど坂とは言えないこの石畳が延々と続いて、もう石畳は結構という気分で歩く。
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線路を渡るといよいよ坂が終わって三島の町。宝鏡院には足利義詮の塚があるらしいが見つからず、少し先が三島宿東見附跡。
           その先にある妙行寺の狛犬が巨大で今まで見た中で一番大きい
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三嶋大社に到着し、福太郎茶屋で福太郎餅2個と愛鷹山麓で作られた沼津茶をいただく。とても美味しい。
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                                     三島市のマンホール
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この後三島宿から沼津宿入口まで歩いたのは第1回(バスツアー)の項にほぼ重なる。
http://maplesyrup.tea-nifty.com/365/2015/05/post-829c.html

●三島宿(11番目の宿)箱根宿から14.8km、日本橋から約115.5㎞、宿の長さ約2㎞。本陣2軒、脇本陣3軒、旅籠74軒。

・八幡神社に頼朝・義経の対面石の所にねじれた柿の木があったが、これらの事にまつわるお菓子を買った。「源氏双柿」と「黄瀬川対面石最中」です。
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●沼津宿(12番目の宿)三島宿から5.9㎞。日本橋から 宿の長さ  本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠55軒。 

今回でやっと日本橋から愛知県の二川宿までつながりました。あと20宿もあって、まだまだ先が長いというか楽しみというか、歩き通したいという気持ちでいっぱいです。

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2018年5月 8日 (火)

東海道五十三次歩き21&1-2 箱根~三島~沼津(前編)

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4/26(木)東京は快晴だったのに、箱根に着いたら曇っていました。ロマンスカーでなく新幹線で小田原に出た方が早く芦ノ湖バスターミナルに着きました。
この日は残りの箱根宿を歩き、箱根峠までさらに登り、後は一気に三島まで箱根西坂を降りて行きました。途中何度か富士山を仰ぐビューポイントがあるのにずっと雲がかかり、姿を現わしたのは沼津に近づいたころでした。私の第1回目の東海道五十三次歩きはバスツアーで三島宿から沼津宿に入りかけた所までで、娘と一緒に出発したのが沼津からだったので再び歩きこの区間だけ2度目ということになります。2度目歩いてみてこんな場所見ていないと何度も私が威張っていたので、娘がスマホで私のブログの中の1回目のを出して行っているじゃないと言われ、覚えていなかったので、毎回この調子でどこを見ているやら?全く呆れてしまいました。ブログに写真を見ながら思い出して書いていてこれですから、もしブログでまとめることがなかったら、どこをどう歩いて何を見たかも半分以上は忘れて思い出せないのではないかと、ちょっと情けない。芦ノ湖から沼津まで9時前から18時15分位まで歩き、53627歩、820段。今までの歩数の最高記録。今後こんなに歩くことはないと思います。

●箱根宿(10番目の宿)の続き

・箱根駅伝折り返し地点・往路ゴール。裏側には復路スタートと書かれている。駅伝の第1回は大正9年で4校で争われた。第2次世界大戦中5回中断されているが、現在20校(200人)が決戦に挑んでいる。5区、6区の人は特にあの坂・・・大変と思った。
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・山の神の祠の中の馬頭観音と地蔵。その手前に「関白道」の石碑があり小田原征伐で秀吉が通ったことによる。
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・駒形神社は箱根の鎮守
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境内に犬塚明神がある。箱根宿が創設された時、狼が多く、唐犬2匹に退治させて、宿が完成。しかし唐犬も傷ついて死んでしまい、ここに埋めて犬塚明神として崇め祀った。
ここまでが箱根の宿場であった。
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◆箱根宿から三島宿までの間 これから三島まで15㎞位歩くことになる

・芦川の石造物が駒形神社の向かいにあり、ここから箱根東坂最後の上り坂・向坂が始まる。石造物は箱根で最も古い庚申塔や巡礼供養塔である。
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・石畳 前日箱根は暴風雨だったようで、木が倒れていたり枯れ枝が飛び散り、石畳も濡れていたのこの日もストックを使う。
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・箱根峠に到着 標高846m。神奈川県もここで終わり(9宿もあった)静岡県の函南町に突入!ここから三島までずっと箱根西坂の長い石畳の道を下って行く。(函南といえば東海道線で熱海からトンネルに入り出たところが函南駅で次が三島駅である。今は新幹線で行くのでこの駅を見ることはない)
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・箱根の親不知(脚気地蔵)
放蕩息子を捜していた老いた父親が箱根峠まできた時、脚気で倒れたいたところ、若い籠屋が介抱すると装い刺し殺し財布をとろうとした。その顔を見るとなんと父親だった。息子は自分の喉に短剣を突きつけ自害したものの、死にきれず、山中の宿で相果てたという。
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・その先に「峠の地蔵」がある。この後いくつか出てくる箱根八里記念碑の一つで、これは女性8人の言葉が刻まれている。黒柳徹子、向井千秋、杉本苑子、橋田寿賀子、桜井よしこ、橋本聖子、宮城まり子、秋吉敏子。
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         黒柳徹子の地蔵は玉ねぎ頭「花見る人は皆きれい」
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・茨ヶ平で石畳に入ると八手観音と呼ばれる馬頭観音がある。そばに箱根八里記念碑の一つの井上靖の碑もあった。
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・兜石坂の竹笹トンネル
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・兜石は兜を伏せたような形で、兜石坂にあったのが坂を下りた地点に移転された。反対側には中山一里塚跡(26里)があった。
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・道の右側を上って行くと展望広場に出た。沼津アルプスや伊豆半島や駿河湾が見えている。東山魁夷「青山緑木」の箱根八里記念碑があった。
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・石割坂を下ると「念仏石」と手前に碑がある。 少し先の山中城跡の所にある宗閑寺で旅の行き倒れを供養して、ここに碑を建てたものらしい。
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・大枯木坂を下ったところに素晴らしいお花畑の家があった
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・三島市に入り、山中新田に入ると「雲助徳利の墓」がある。墓石には盃と徳利が浮き出ている。この人物松谷久四郎は西国大名の剣道指南役だったが、大酒のみで事件を起し国外追放になり、箱根で雲助の仲間入りをし、武士に苛められる仲間を助けたり、手紙を読んであげたり相談に乗ってあげたりした。酒で命を縮め亡くなるが、慕っていた仲間がこの墓を建てた。
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田んぼもないのに箱根西坂には山中、笹原、三ツ谷、市ノ山、塚原の5つの新田がある。三島までずっとさらに下って行く。茶屋、休憩所といった間の宿としての集落であった。
山中新田になかなか素晴らしい山中城跡があった。

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2018年5月 3日 (木)

『伊能忠敬を歩いた』佐藤嘉尚著

深大寺釈迦堂の国宝「釈迦如来座像」と同時代(飛鳥時代後期1300年前)の奈良新薬師寺の「香薬師像・御分身」と兵庫鶴林寺の「聖観音像・御分身」の三体をお詣りしてきました。

深大寺に今はナンジャモンジャ(ヒトツバタゴ)の木が2本、そば屋とお寺に咲いています。

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            キングサリはそば屋の前に咲いています
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池のマガモを見ながらニシンソバをいただく。ソバそのものは美味しいというほどではない。
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            開山堂参詣道に瓦で造った塀がありました
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『伊能忠敬を歩いた』佐藤嘉尚著
1999.1.2~2001.1.1まで約2年かけて5回に分けて北は北海道札幌、南は沖縄まで574日間11030㎞をウォーク隊16人が歩いた。さらに途中などともに参加した人は169446人だったそうだ。
隊員の歩いた様子を見ると、例えば第一ステージは1/25~5/2、98日間、東京から北海道まで太平洋岸を歩き通し、第2ステージ出発5/14まで家に帰って11日間だけ休む。凄いハード。
伊能忠敬一行は第8次(第9次は欠席)測量と最後に74日間にわたって江戸府内測量(第10次)をした。北海道は間宮林蔵に任せた。55歳から亡くなる72歳まで4千万歩を歩いたことになる。シーボルト事件も起こり、あるいはアメリカ艦隊がこの伊能地図で沿岸を調べる必要もなく大喜びしたなど、将軍家斉をして驚かしめた大図(縮尺3万6千分の一)69枚は江戸城大広間を一杯にしたという。
月にたった1、2日で日帰りで4万歩を歩いているだけの身には何ヶ月も泊まって歩くという体験はなく、たとえ若かったとしても出来ない。特に何事にも不便だった江戸時代のこの偉大なる大事業にはただただ頭が下がる。

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 パソコンの調子が悪くなって入院します。暫くパソコンとお別れです。

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2018年5月 1日 (火)

東海道五十三次歩き20 箱根宿(後編)

◆箱根宿への続き

・石畳みに工夫された斜めの排水路。石畳の谷川の横には縦の排水路もある。説明板によるとこの大きな石畳の下には小石が2段くらい突き固めてあるそうで、手が込んでいる。
ローマ人の石畳はそれより遥か1500年以上も前から造り始められているから恐れ入る。

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・山中のアケビの花
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・橿木坂あたりから長い長い階段が続くのである
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・笈の平の石碑 東国の教化を終えた親鸞がついてきた弟子に、我らが上洛するとこの後誰が東国の門徒を導くのかと心配だから、戻って教化してもらいたいと別れた場所。
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・甘酒茶屋 二子山の麓にあって、茅葺で中には囲炉裏もある。8時半に歩き始めて、12時半に到着した。
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この店の名物の甘酒、みそこんにゃく、力餅(朝ついたといういそべと黒ごまきのこ)が美味しかった。
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その後隣の資料館を見学して、さらに幾つもの名がついた坂を登って行く。

・於玉坂 お玉とは実家が恋しくなって江戸の奉公先を抜け出して関所破りをして、磔刑から減刑で晒し首になった女性の名前。
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・お玉ヶ池はその首を洗ったという池
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・箱根馬子唄碑 「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」
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・お玉観音堂からの二子山。二子山って上二子山と下二子山があって、それぞれが2つの峰を持っている。四子山だったとは!途中見た時二子山なのに4つあって不思議に思っていたので解明できた。
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・芦ノ湖が見えてきた。一気に下って行く。この日石畳で出会った人は逞しい白人の外人さんが多かった。
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・ケンペルとバーニーの碑。ケンペルはドイツの博物学者で箱根の美しさを世界に紹介した人物、バーニーはこの地に別荘を持っていてケンペルの著書から「自然を大切にするように」と引用した碑を立てた英国の貿易商である。
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・芦ノ湖に降りると箱根神社の一の鳥居があり、いきなり人で溢れ、土産物屋や遊覧船に乗リ場など外国人が多い。そこに賽の河原があって石仏がたくさん並んでいた。
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・湖畔に出ると富士山方面には雲がかかっていた
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・桜が丁度満開であった
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・湖畔伝いに箱根神社に向う
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・箱根神社 荘厳な雰囲気
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         平和の鳥居 こちら側から見る鳥居もなかなか素敵だ
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・身代わり地蔵が賽の河原の斜め向かいにある。梶原景季が斬りつけられたとき、身代わりになって守ったそうだ。
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・関所に向かい始めると富士山が見えてきた。右側下の方に平和の鳥居が見える。
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・箱根旧街道杉並木 並木の所に箱根旧街道一里塚跡(24里目)もあった。
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●箱根宿(10番目の宿)小田原宿から16.5㎞、日本橋から101㎞、宿の長さ1.4kmくらいか。本陣6軒、脇本陣1軒、旅籠36軒。

・恩賜箱根公園展望館とそこからの眺め。うっすらとまだ富士山が見えていた。この公園の駐車場辺りから次回通る駒形神社辺りまでが箱根宿だった。
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箱根八里の歌の碑 鳥居忱(まこと)作詞・滝廉太郎作曲(明治34年)懐かしい歌だが「一夫關に当るや 萬夫も開くなし」の意味が当時わからなかった。
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                桜 マメザクラかもしれない
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・公園を出ると右手に箱根関所資料館があり、向こうに復元された箱根関所の江戸口御門が見えてきた。小田原藩から出向した関所役人が特に「出女」を厳しく取り締まった。展示の人形のみ衣服の色や文様、体の特徴が明らかでないためシルエット展示を行っている。
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遠見番所 さすが1800段近く登ってきたので、ここの階段を見て、もううんざり。最後の力を振り絞り登って芦ノ湖を眺めた。眼下には右手上の資料館と関所全体が見え、新居関所とは趣も大いに異なっている。
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                 大番所内の面番所
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                    足軽番所の寝床
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                        厩
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・駅伝を讃えての碑59_450x300
まだ箱根宿の途中だし、東坂は箱根峠まで続くが、バスターミナルに出たので16時40分頃見学を終えバスで小田原に出た。小田原からは上野東京ラインで東京駅へ、地元に戻り例のごとく乾杯した。

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