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2018年5月29日 (火)

三陸応援企画の「絆」で結ぶ三陸海岸絶景の旅(後編)

<2日目>午後から

宮古市の浄土ヶ浜 
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宮沢賢治の歌碑「うるはしの 海のビロード昆布らは 寂光のはまに敷かれひかりぬ」1917年(大正6年)7月賢治21歳
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40分間乗った浄土ヶ浜周遊の遊覧船から
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宮古市田老で語り部から当時の様子などを、残された津波遺構の「たろう観光ホテル」で聞く。このホテルの社長が襲ってくる津波を6階から撮影しながら、ここから人々に早く逃げるように叫んでいたという。そのビデオを見せていただく。ホテルは2階までは鉄骨だけになっている。田老はマグネチュード9.0、最大波高16m、死者行方不明者181人(うち行方不明41人)、罹災戸数1691戸、漁船流出855隻。
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                  昭和の防潮堤
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田老の三王岩
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           2日目の夕食 このホテルはバイキングでした
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                     3日目の朝食
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<3日目>晴

三陸鉄道・南リアス線の吉浜駅から恋し浜駅まで乗る
                 吉浜駅と途中の景色
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             恋し浜駅の自販機とポストはピンク
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大船渡市末崎半島の東南端6㎞を碁石海岸という。(天然記念物指定)三陸ジオパークのジオサイトとなっている。
穴通磯(あなとおしいそ)は3つの洞門を持つ奇岩で小型観光船で穴をくぐることが出来るそうだ
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左の雷岩と乱曝谷 雷にも似た音がするので「残したい日本の音風景百選」に選ばれている
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          中央左が女島・男島、右下が海馬島(とどしま)
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陸前高田市の奇跡の一本松
350年以上の松、7万本もあった松のうちたった1本だけ残ったが、それもついに枯死し、幹の部分を貼り付けて残し、葉はレプリカで1億円以上かかったそうだ。
何故これだけが残ったかは28mもあって上の方の枝があり引っかかって流されなかったことと、写真でも見える後ろの建物があったお蔭だそうだ。こうした形で残すことにいろいろな意見もあったようですが、残ったたった7万分の1本の奇跡の象徴として多くの人々の記憶の中に刻み込まれることでしょう。また残った松ぼっくりから新しい苗も育っているそうです。
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                    残った松の根
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この山を削り取ってかさ上げした
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今回はたくさん買った土産であるが、面白いネーミングのお菓子は我が家用。「ぶすのこぶ」、やはり餡菓子です。すぐ口に入ってしまって、包み紙も見ないでなくなり、どこで買った銘菓かわからなくなってしまった ( ̄▽ ̄;)!!ガーン
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コメント

土地のものを買われたり、慰霊の旅でしたね。
前回にも増して、美味しそう・・・

菩提寺のご住職は、毎年訪問されています。
向こうは待っておられるようです。
私にも勧められましたが、母の事で旅行は無理
です。
言い訳かもしれませんが・・・
東北の人は忘れてほしくないそうです。

そのご住職から一本松の話はよく聞いています。
生き残ったのは理由があるのですね。

投稿: matsubara | 2018年5月29日 (火) 12:40

★matsubaraさま

もう7年も過ぎて遅かったですが、ほんのちょっぴりでも理解し、生産物を買うことが出来て良かったと思っています。都心にもアンテナショップがあるので通りかかったら協力したいです。まだ宮城県や福島県はその後このような旅はしていませんが、風評被害の多い福島県産は注意しています。それも被害に遭われた場所のをですね。

一本松のこと、どうして残ったか理解していませんでしたので、今回本当に現場に行ってわかりました。松としては非常に高く、そのため遠くから見ますと幹が細く感じられます。
高田松原が失われたのはとても残念な事でした。
お母様第一です。どうぞお大事に。

投稿: tona | 2018年5月29日 (火) 16:44

こんにちは
 
五月晴れの3日間、ステキな旅となられましたね。
私も震災後は地震+津波+原発の福島の方により多く気持ちが
向かっています。けれど、自然の破壊力をリアルタイムで
見せつけられたあの光景の衝撃は薄れるものではありませんね。
どんなにか恐ろしい思いをされお辛い日々を過ごされたか想像すると
いまだに胸が痛んでなりません。
お写真拝見すると海辺の自然の力強さと美しさに胸打たれます。
荒々しい破壊力を見せつけた海ですが、多くの恵みもまた
この海からなのですね。
災害の爪痕と復興の現状と自然。すべてに人々の祈りが共にあると
感じながら拝見しました。

投稿: ポージィ | 2018年5月29日 (火) 18:03

★ポージィさま

こんばんは。
珍しく3日間殆ど快晴でした。
そのお陰であの悲惨な津波が起きたのが嘘のような穏やかな美しい海を眺め続けました。
本当に最初はあの恐ろしい津波で犠牲者があんなに出たのに、福島の原発の次々と放送される恐ろしい事故内容に釘づけになり、津波の方が霞んでしまいました。
この田老というそんなに話題ならなかった町でさえ、奪われた命、家、船などの数を教えてもらって、関係した人々はどんなにか恐ろしく、悲しい思いをし、今も引きずっているのでしょうと、全くこの大震災を広く見ることを気付かされました。
食事で頂いたアワビ、ホタテ、ウニ、海藻は養殖に成功したもので、よくここまでやったと感心しました。お土産もいろいろ工夫をし売っていました。
今回のことは過去に2回、同じような大きな地震で津波被害を受けていたことが教訓になっていなかったことで、各自治体は語り部なども養成し、多くの人々に伝えています。
色々学ばせていただきました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年5月29日 (火) 20:49

こんにちは。三陸海岸を見学したことがありませんので。興味深く拝見しています。大震災後に東北支援のための「さくら並木ネットワーク」に賛同し、桜の苗木を被災地に2本植えました。津波の到達地点を繋ぐ並木にするとの構想です。ネームプレートがありますのでいつかその桜を見に行きたいと思っています。
http://sakuranamiki.jpn.org/

龍泉洞の水没は平成28年の台風10号でした。川の氾濫で高齢者施設が流されたり、岩泉町特産の岩泉ヨーグルトの生産も一時ストップしていました。

投稿: 多摩NTの住人 | 2018年5月30日 (水) 08:35

★多摩NTの住人さま

「さくら並木ネットワーク」拝見させていただきました。参加者の中にいらしたのですね。
素晴らしいことをされました。本当はこのようなことをしていかねばならない。もっと若かったら積極的に動いたでしょうに。
大きくなっていく桜を見る楽しみがありますね。宮城県の方はどこも足を踏み入れていないのですが岩手県同様だったのでしょう。

そういえば龍泉洞のこと、そんなことがあったのですね。すっかり忘れていました。洞窟内もよくあそこまで復活しました。地底湖がいくつかあってきれいな色ですね。
岩泉ヨーグルト復活しています。食べそこないましたが。
いろいろありがとうございました。

投稿: tona | 2018年5月30日 (水) 09:07

tonaさん、おはようございます♪
浄土ヶ浜や三陸鉄道・南リアス線から景色を見ていると、
7年前の震災が嘘に思えるほど、静かで美しいですが、
その土地に住む人々には、深い心の傷となって残っているのでしょうね。
奇跡の一本松が枯れたことはテレビで知っていましたが、
こんな形で残っていることは知りませんでした。
レプリカには見えませんが、根こそぎ流されなかったのは
それなりの理由があったからなのですね。
震災のことを忘れないために、いま私が協力できることは、
現地産の商品を沢山買うことぐらいですが、
tonaさんのように現地を訪れ、現地の方のお話を伺って
記憶に留めておくのも良い方法かもしれません。

投稿: hiro | 2018年5月30日 (水) 09:24

たびたびすみません。さくら並木プロジェクトですが、私は現地では参加していません。桜基金Bという支援方法で2回振り込みました。これは2万円寄付すると1本の桜を植え自分のネームプレートを設置してくれます。どなたでも参加できますよ。ネームプレートが無いのは1本1万円です。今でも募集しています。いつかその樹に花が咲いているところを見に行きたいと思っています。

投稿: 多摩NTの住人 | 2018年5月30日 (水) 13:51

★hiroさま こんにちは♪

リアス式海岸で絶壁になっている部分と、その間に入り組んで深く谷が奥まで続いて家々がある部分と、湘南に育った者としては実に美しいなあと感嘆します。しかしそれだけに津波が起きた場合は狭い所を遡って行くのが恐ろしいです。相模湾や駿河湾みたいな所は全体に押し寄せるのでしょうが、それも想像して恐ろしくなります。
奇跡の一本松は本物に見えますね。奇跡がこうした形で残されたのは、訪れて見る人にいろいろなことを考えさせてくれます。
支援の形もいろいろあることがわかりましたが、やはりどんどん現地の藻を買ってあげたいですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年5月30日 (水) 16:10

★多摩NTの住人さま

再びご丁寧にコメントいただきありがとうございました。
そうなのですか。何て良い形で支援出来たことでしょう。
今でも募集されているそうで考えます。
残念なのは咲くまで寿命がないということですが、心で見られますものね。
私はエジプトで植樹をしてきました。名前が書いてありますが、あんな遠くまで行きようがありません。もう砂漠地帯が少しは緑化しているかなあと時々考えるだけです。

投稿: tona | 2018年5月30日 (水) 16:19

tonaさんへ
東北応援の旅、特に東日本大震災で人的被害と建物の損害が大きかった岩手県へのご旅行、ありがとうございました。東日本大震災の被害は、福島第一原発事故による高濃度の放射性物質汚染に伴い帰還困難区域が発生した福島県が注目を集めましたが、未曽有の大津波により亡くなった人や建物の全壊は宮城県>岩手県>>福島県の順で、宮城県や岩手県の方が遥かに大きかったのです。そして両県の被災者は東電の補償もなく、義援金を除けばほぼ自力で生活再建しなければなりません。同じ被災者の間に、不公平やわだかまりを生じ、二重に不幸な大震災でした。それはともかく、北山崎、三王岩、浄土浜、碁石海岸(巨釜半造は行かなかったのでしょうか?)など陸中海岸の景勝地は昔のまま健在なことが分かり安心しました。お天気も良い中、絶景が見られて何よりでした。ご支援ありがとうございました。

投稿: shikamasonjin | 2018年5月30日 (水) 19:27

★shikamasonjinさま

今回は岩手県だけで終わってしまいました。
宮城県はまだどこも行ってないと以前申し上げましたが、後で思い出したのが鳴子温泉に宿泊していあたことです。が、ひどい被害を受けた仙台、松島から南三陸、気仙沼まで行かなくてはと思いましたがなかんかツアーが見つかりません。
本当に原発の方に気を取られ、津波で大勢の方が亡くなった両県に思いが行かなかったことに今回申し訳ない思いも致しました。
一緒した友人のご主人の実家が気仙沼で姑さんが亡くなった後に地震があって、入っていた病院が飲まれてしまったそうで、水難で亡くならないでよかったと言っていました。釜石にあったご主人の缶詰工場もすっかり立ち直って、鯖缶がどの店にも置いてあって嬉しかったです。
巨釜半造は一本松より少し南で宮城県ですね。宮城県はどこも観光しませんでしたので行きそびれました。
名勝はどこもお天気に恵まれたので色がきれいでした。
こちらこそありがとうございました。

投稿: tona | 2018年5月30日 (水) 20:58

tonaさん、良い旅をなさいましたね。
最初の写真の浄土ヶ浜、とても懐かしいです。
社会人1年生になった時の夏、短大時代の仲間4人で陸中海岸への3泊四日の旅をしました。
仙台~松島と巡り、汽車に乗って最初に出会った海がこの浄土ヶ浜・・・
4人で砂の上に寝転んだ写真があります。

あの震災以後、あの辺一帯は津波の被害で景色が変わったと心を痛めていましたが・・・
浄土ヶ浜の海の青さは変わらずに少しホッとしました。
でも、あの時一緒に旅した仲間の一人が天国に旅立ってしまい哀しい限りです。
今月、あの時の仲間とお墓参りに行ってきました。 

投稿: nao♪ | 2018年5月30日 (水) 23:07

★nao♪さま

私、社会人1年生の夏どこに行ったか思い出してみましたら、伊豆半島の下田の民宿泊まりでした。
陸中海岸の長旅素敵でしたね。学生時代は北海道と九州と能登半島でしたので、ついつい三陸海岸を見落とし行けませんでした。
浄土ヶ浜はそんな懐かしい思い出とともに、亡くなられたご友人を思い出す景勝地にもなってしまったわけですね。
町の部分はまだ爪痕が残っていましたが、景勝地は崩れたところもなく、海がきれいで感動しました。
心残りはまだ三大名勝の松島に行ってないことです。新幹線が出来たので簡単に行けそうですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年5月31日 (木) 08:43

2014年11月末に旧友を訪ねて仙台に行きました。
そのときに大震災・津波で大きな被害を受けた名取市の閖上地区を歩きました。
何も無い中に荒浜小学校の校舎だけがポツンと建っているだけの光景でした。
同じ日、松島に到着間近というところの何も無くなっている地区を通過中に
多くの復旧工事の車と行き違いました。
凄まじい津波であったことを肌で感じました。

閖上の記事をトラックバックしました。

投稿: Saas-Feeの風 | 2018年5月31日 (木) 09:56

★Saas-Feeの風さま

TBありがとうございました。
拝見して、2014年当時はまだこんな悲惨な状態がそのままだったのですね。
今回岩手県だけでしたが、宮城県側でこの名取市閖上地区は全く知りませんで、今地図で確かめたところです。
こんな小さな町々が合計すると実にたくさんあって、犠牲者の数も後から合わせると2万人を越したのでしょうか。
この時から4年、岩手県は随分復興していました。防波堤工事が急ピッチで進んでいるのが一番目立ちました。
ご実家を以前の阪神大震災でなくされたので、見学しても思いはどんなだったでしょう。
津波や山林の地滑りなど一瞬にして命を奪われ、酷いお話です。
また新しいことを教えていただきありがとうございました。

投稿: tona | 2018年5月31日 (木) 10:28

有意義な旅でしたね、ついぞこの目で見ることも叶わずです。
応援の一端を担って、確かめられて良かったですね。
復興状況も地域によって差があるようです。
現地の方々が負けずに生きてらして、頭が下がります。
国民に知らされない福島原発が、やはり気になります。
最近また、youtubeであの時の津波の恐ろしさを見たりします。
鳥肌が立って来て、一回しか見ることが出来ません。

投稿: だんだん | 2018年5月31日 (木) 17:11

tonaさん こんばんは

いい旅行をされましたね。

仙台までは何回か行っていますが、
その先は通り越して青森へ行ってしまうので
三陸は未だに行ったことありません。

美しい風景をみると、あの震災時の様子がまるで嘘のように思えます。
どうしても震災そのものより、原発のことに目がいってしまいますが、
津波で失われた命や家屋、そのほかの多くのことも決して忘れてはならないことですね。

二人の甥っ子が宮城、岩手で復興作業に従事しています。
頑張っていることと思います。

投稿: グレン | 2018年5月31日 (木) 18:07

★だんだんさま

旅行に復興支援が付いているのは後で知りました。ちゃんとツアー名を見ていない証拠です。
何時も何か抜けているのですよ。
それで旅行代金だけでなく、もうお土産を買うしかないと、帰りはパンパンの荷物でした。
食べ物ばかり。
大震災に遭ったら東京の人の方が弱いのかもしれません。
福島原発はあんな事があったのに、まだ原発を再開する所が多いです。自治体の収入が関係していたのですね。人間、子孫のことを考えず、究極は自分が生きていくための利益の追求なのですね。手段を選ばず、自分さえよければというのは政治家と同じ。
本当にあの恐ろしい高波が押し寄せてくる映像は生涯忘れることが出来ませんね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年5月31日 (木) 20:49

★グレンさま

私は三陸は初めてですが、宮城県の方は仙台も松島も海岸線はどこも行っていないのです。
御親戚が青森県でしたね。
青森は2つの半島や十和田湖に行きました。東北6県で一番行っているかもしれません。
思いがけず三陸の陸中中心に一部みられたことは有意義でした。
二人の甥御さんが復興作業を頑張っていらっしゃるそうで、有り難いことですね。とても大変なお仕事と思います。
名勝地の景色は素晴らしく、次に大堤防が出てき、そして蘇った水田には植えたばかりの稲にまだ水が流れていました。少し高くなった土地に家を建て直すお金も大変と思いました。
そんなに空き家もないでしょうし。あっても不便な所でしょうね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年5月31日 (木) 21:06

三陸応援の旅ですか、
あの大地震から7年、あの時の驚きと恐怖は忘れられません
復興への道はまだまだ険しいと聞きます
支援の形は色々ですが普通にはなかなか難しいですよね
でも旅行でならお手伝いできるかも
お土産をいっぱい買って…ですね
奇跡の一本松、こちらにも千本松原がありますので
たった一本残った松への思いは共感できる気がします
あの松が津波を忘れないための象徴として伝えられる価値は大きいでしょう

投稿: ビオラ | 2018年6月 1日 (金) 15:17

★ビオラさま

お久しぶりです。パソコン復活、そして長く続いたこと、おめでとうございます。
そんなお忙しい中コメントありがとうございます。
三陸の復興は、大防波堤建設と、高台移転の新居でたくさんの借金をしなくてはならないでしょう。大変なことですね。
特に年金生活の人はどうして良いやら、自分に重ね合わせて、もうお気の毒で。しかしかの地方たちは強いですね。
見習わなくてはと思ったことでした。
そちらの千本松原はすごかった。あんな松原が1本を残して消滅してしまったのですから、その喪失感ははかり知れないものがありますね。
たった1本の松を見て感傷的になりました。レプリカになってしまいましたが意義がありますね。

投稿: tona | 2018年6月 1日 (金) 21:18

三陸応援の旅のツアーに行ってらしたのですね。
東日本大震災より2,3年前とそれより少し前に三陸海岸をツアーで訪れています。
tonaさんが観光された場所を拝見させて頂きましたが
大震災で、あの穏やかな海が何十メートルの津波が押し寄せて来たなんて信じられませんでした。

未だに大変な生活を送ってる方も多いと思いますが
皆さんの頑張りは凄いです。
写真からはだいぶ復興されてきてるようで良かったと思いますが
何のお手伝いも出来ない自分に歯がゆく、義援金の協力しか出来ませんでした。

先週、私も東北方面に旅行し松島に寄りましたが、幸いにも瑞宝殿は津波から逃れられたそうです。

投稿: ラッシーママ | 2018年6月 3日 (日) 17:47

★ラッシーママさま

東北に旅行されていたのですね。
福島県から北へ進んだのですか。
私は今回は岩手県だけです。
美しい風光明媚な三陸海岸と津波の襲われた町と両方を見ながらで、震災以前の町の姿はもちろん一度も行ったことがなくて見てないです。
ママさんはそれ以前に訪れていらっしゃるのですね。自然は変わらないようですが、町は殆ど防波堤が出来つつありますから風景は一変したのだと思われます。
新しい家にまだ移ることが出来ない人もいるのかと思うのですが、もう仮設住宅に入っている人はいないと聞きました。皆さん頑張って家を建てられたのですね。
宮城県陸前海岸はどこも行っていませんので、せめて松島くらいは見たいものです。
そう、瑞宝殿を見るのを楽しみにね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2018年6月 3日 (日) 20:55

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受信: 2018年5月31日 (木) 09:56

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